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2019-01-31

無敵

インセプションを久しぶりに見た。

一番好きな映画かと聞かれたらちょっと違うのだけど、

今までで一番面白いと感じた映画は、間違いなくこれだと思う。

インセプションには、ロバート・フィッシャーというキャラクターが登場する。

ロバートをざっくり説明すると巨大企業の二代目だ。

彼は初代社長である父親モーリスとの間に、大きな問題を抱えている。

ロバートが幼少期に母(モーリスにとっての妻)を亡くしたとき言葉

「話すことなんてなにもないな」。

やがて寝たきりになったモーリスロバートを呼び寄せ、言ったのは

「お前には失望した」。

父親からのこういった言葉は息子であるロバートの心に大きな影を落とした。

それこそ、夢に出るほど。

あとは映画を見てください。オススメ

自分にもロバートのような経験がある。

私は被虐待児だ。

父親(片親だった)と死別するまでずっと、私はあれに、ありとあらゆる暴力を振るわれた。

身体言葉、それらひとつひとつを浴びるごとに私は呪われていった。

お前はだめだ、お前には学習能力がない、お前はただのペットだ、お前なんかいらない、

お前は娘じゃない、お前は誰だ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ。

私が高校生とき、末期がんであることが判明した。

余命一年と宣告され、ちょうど一年で父は死んだ。

いまわの際に父が言ったのは、「こんなふうに育ててすまなかった」。

……。

は? いやいや、なんだよそれ?

こんなふう? 私のこと?

あんた、死ぬ直前になってまで私を全否定するんだな。

あの言葉によって、呪いは完成した。いまも私は呪われ続けている。

私を突き動かすのはいだって怒りだ。

話がちょっと逸れるけれど、目に見えて不良になるわけでもなく

親に対し逆ギレ出来るのは、ある種の強さなんだそうだ。

私はけして「いい子にするから家に置いて」タイプではなかった。

小学生とき

私は娘じゃないらしいので授業参観にも運動会にも父を呼ばなかった。

そうしたら教師が親を呼んだ。

親に「出てけ」と言われたので本当に出て行った。

そうしたら警察の世話になった。

人生うまくいかないものだな。

もちろん、それができないひとを弱いと言いたいわけではない。

私が根っから変人というだけのことだ。特に強いとも思わない。

話を戻す。

カウンセラーにそのこと、つまり「こんなふうに育ててすまなかった」と、

言われたことを話した。カウンセラー首をかしげた。

「それはそういう手段虐待)を取ってしまってすまなかった、という意味ではないの?」

へー、なるほど、そういう解釈もあるな。

だが死人にくちなしだ。あの言葉の本当の意味など誰にも分からない。

とはいえ、あの言葉真意を知りたくないといったら嘘になる。

できることなら父には生き返ってほしい。

生き返った父に、あれはどういう意味だったのか聞きたい。

だがそれは、ついで。

生き返ってほしい本当の理由は、私がこの手で、あれを殺したいから。

いままで受けた暴力をそのまま返す。

こんなことを考えているから、私もいつか誰かに殺されるんだと思う。

運よく殺されなかったとしても、

がんの家系であることが判明したので、肺がん咽頭がんあたりで、

誰にも手を握ってもらえることなんかなく、ひとりでみじめったらしく死ぬんだろう。

私を殴り続けたあれみたいに。

私はロバートじゃない。

ドリームマシン存在しない。

でも構わない、

私は無敵だからだ。

それにしてもディカプリオはどうして、一緒にいても幸せになれなさそうな女をヒロインにあてがわれてしまうんだろうな。

インセプションもそう。それとタイタニックシャッターアイランド華麗なるギャツビー

2019-01-23

20年近くの自分人生を整理したい。

何となく、今ここで自分人生文章に起こして整理をするべきだと思った。

かなり長い文章になっているかもしれないので、とてつもなく暇で好奇心旺盛な人だけ読んでくれ。

公開する必要性は無い気はするけど、鈍感な私に誰かが何かを気付かせてくれるかもしれないと期待して公開することにした。

とはいえ身バレすると面倒なので所々フェイクは入れさせてもらう。

そして、私やここに出てくる登場人物が、貴方の周りにいるあの人だと勘付いたとしても何も言わず、仄めかしたりもしない事を約束して欲しい。


前置きはさておき、出来るだけ時系列にそって思い出しながら書いていこうと思う。

私は物心付いた頃には母と祖母と一緒に暮らしていた。

この頃は何も知らない純粋子供で、毎日を楽しく生きていた。

母や祖母と一緒にお出かけをしたり、クリスマス誕生日の時はケーキを食べたり、多分その辺の家族と何ら変わりない幸せな家庭だった。

今の私にとってもこの頃の思い出はかけがえのない大切な宝物だ。

でも、この頃から周りとの違和感をずっと感じていた。

母は毎日沢山の薬を飲んでいた。

幼稚園友達は爪が綺麗なのに私だけ真っ黒だった。

それを見た先生ちゃんと綺麗にしなさいと言われて、ちゃんと一週間に一回お風呂に入ってるのにって思った。

私の家は床がゴミで埋め尽くされていたから、夕方テレビで映る綺麗な家や友達の家が羨ましかった。

周りの友達と同じお稽古に通う度に、先生ちゃんと家でも練習しなさいと言われる。でも、ゴミだらけの家でどうすればいいかからいから何もしなかった。

書き出してみると私は何も知らなくて、何も出来なかったのだと改めて実感した。

知らないのは子供から当然だとしても、行動くらいは起こせたのではないかと思う。

もし、そうしていれば私が今こうして整理する必要もなかったかもしれない。

小学校に上がってからはその違和感がより強くなってきた。

いじめにあったからだ。

一部のクラスメイトから臭い、頭の上にフケが積もってると言われ続けたけど、何故自分けが言われているのかわからなかった。

仲の良い友達先生も誰もそんな事を言わなかったから、私が気に食わなくて傷つけたかったのだろうと思っていた。

でも、悪いのは自分だった。

当然だ。一週間も風呂に入っていない奴が同じ教室に居て耐えられる訳がない。

臭いと言われて当然で、それを指摘しない仲の良い人達はあまりにも優し過ぎた。

今思いだしたが、お稽古先の講師でさえ「私ちゃんって、ちょっと臭くない?」と私の影で言っていた。

それでも、この頃の私は皆と同じで、何故か自分だけ不当な扱いを受けていると思っていた。

気付けよ、鈍すぎるだろ。

それか、心の奥底で幼い自分にはその現状を変えられないと諦めて思考停止していたのかもしれない。

結局、そのいじめは学年が上がるに連れて収束していった。

イジメっ子も気付いたのだろう、コイツは訳ありなんだと。

もう一つ、小学校時代に思う所がある。

母が私をアーティストライブに連れ回すようになった。

毎週何処かしらのライブイベントに連れて行かれ、気付いたらファンクラブにも入っていた。

それについてよくクラスメイトと話していたら、授業参観の時にその子の親に「どうしてそんなにお金があるの?」と聞かれた。

私は上手く答えられなかった。何故なら、知らなかったから。

大人お金事情はきっと子供の私には理解出来ないだろうと思って一切考えて居なかったから。

でも、母がお金をかなり切り詰めていたのはわかっていた。

母がその事で祖母に怒られたり、よく家の電気が止まったりするのを何度も見ていた。

働いても居ない母が何故あんなにお金を使えるのかは大人になったらわかる事と思い、考えるのは先回しにしていた。

そして、段々とライブイベントに行く頻度はどんどん落ちていき、一年後には全く行かなくなっていた。

そういえば、何故母に連れて行ったのかと聞いたら、辛い思いをしている私を元気付ける為と言っていたのを覚えてる。

それは違う。きっと私を自分繋ぎ止めて置く為なのだろうと、今の私は思う。

中学時代は素敵な青春を送ることができた。

いじめにあう事もなく沢山の友達純粋に向き合う事が出来て、良い先生にも恵まれてかなり充実していた。

とはいえ、何度か辛い思いをした。

一つ目は学校休みがちだった。

中学の頃になるとちゃん毎日風呂に入っていた。家の風呂が壊れるまでは。

直す為には金と家のゴミ掃除が不可欠だった。

でも、家族全員働いていないし、私は学校生活で忙しく、祖母と母は体を悪くしているので、あのゴミ屋敷を掃除できる人間は誰も居なかった。

から、一番近い銭湯で体を洗わなければならない。

前述の通り、金が無くて毎日なんて行けないから2日に1回だけ通っていた。

それもまた異常だと気付いているから、また臭いと言われて苛められないか友達不快な思いをさせないかとずっと心の底で怯えていた。

たまにどうしても疲れて銭湯へ行けなかった次の日は母と適当理由を考えて学校を休んだ。

ベタベタ臭い身体学校に行けるはずがない。

二つ目友達を家に招けなかった事だ。

休日は仲良しグループの皆の家に行ってパーティをしていたけれど、私だけは人を家に入れられるような環境じゃないから、何とか理由を付けて断っていた。

友達は行きたいのにと少しはゴネていたけどすぐ引き下がってくれた。

本当は皆と同じように自分の家に人を招いてパーティをしたかった。

"皆がしているから"じゃなくて、皆が楽しそうなのが羨ましかたから。

三つ目は身バレするので詳細は書けない。

言えることは、母の衝動的な行動によって私の心が大きく傷ついた事だけ。

今まで点と点だったものが線になったのは高校の時。

きっとここまで長ったらしい文を読んでくれた人の何人かは気付いているだろう。

私の母は呪われている。

急にファンタジー要素が入ったと思うかもしれないが、ただのフェイクを交えた言い回しだ。

具体的な呪い名前が浮かんだとしてもそっと胸の中に閉まっておいて欲しいし、詮索は控えてくれ。

きっかけはふとエゴサしている時に、SNSで母を探しているといった投稿を見かけた時。

名字名前普遍的から違うだろうとは思ったが、読み進めていくと自分の母の事だとはっきりわかった。

何故あの時あんなに金があったのか。

答えはそこら中の金融機関や知り合いに借金をしていたから。

そういえばと思い、ポストを見ると弁護士から封筒が沢山入っていて内容は全て借金

私があの頃楽しめたのは母が返せもしないのに人から金を借りたから。

裏切られた気分だった。

今まで家族とは絶対的な物だと思っていて心から信頼していたのに。

世界が崩れ落ちたような気がした。

からといって、問い詰める勇気は無いし、その後の居場所が無くなるからととりあえずは様子見する事にした。

そして、その数週間後母の友人から相談が来た。

「母が私の部費が足りないかお金を貸してくれと言われた。どうすればいい。」と。

例年同じ時期に部費を徴収する習わしで、顧問に言われる前からわかっていたので予め母に伝えておいた。

流石にきちんと取っておいてくれているだろうと信じていたから、徴収する前に母とちょっと良い外食をしたり買い物をしたりした。

でも、そうしなければ余裕で払えた額を借りようとしていた。

母は何の計画性も無く、後の事なんて一切気にしない人間だと気付いた。

それから、別の母の友人から相談された事もある。

「母が金を返さない。問い詰めればその場しのぎの理由を作りだしたり、逆ギレする。」と。

その人への申し訳無さと母に対する呆れしかなかった。

そういった出来事がいくつか重なった後、母は自分呪いについて初めて打ち明けた。

そして、今まで悩み苦しんできた出来事根本的な原因は母にあった事に気付いた。

とはいえ、私は母を悪人だと、巷でよく聞く毒親だとは思わない。

ただの他人迷惑をかけ続けて生きる種類の生き物だと思った。

生きているだけで周りの人間を不幸にする生き物なのだと。

からといって、今すぐ縁を切れるような状態では無いから、それなりに努力しなければならない事にも同時に気付いた。

このような出来事が立て続けに起こる度に、今までぼんやりとしていた輪郭がはっきりしていくかのような気分だった。

私の家は異常なんだ、人と違うのだと。

そう気付いた瞬間、心にずっとあった霧が晴れた。

でも、霧が晴れた先に見えたのは茨の道だけだった。

自分は人と違うから人と同じようにレールに乗る事は出来ない事がわかった。

自分は人よりも辛い思いを乗り越えて生きなければならない人間だとわかった。

それに絶望して私は何もかも出来なくなり、高校不登校になった。

幸い環境に恵まれていたか卒業は出来たけど、かなりギリギリだった。

今は何となく無気力でぼーっと生きている。

一回精神病院に行こうかなと思った事はあるが、別に頭痛もしないし健康体だから行かなくても良いかなと思う。

とはいえ、やりたい事は沢山あるし、その為にやるべき事も頭の中ではっきりわかっている。

から、もうウジウジ悩んで足踏みするのを辞めようと思い、この文章を書く事で全て自分の中で終わらせる事にした。

実際問題は何一つ解決しないけれど、一度何がしたいか、どうするべきかを自分の中で明確にさせる為に、一度全て振り返って決着を付けたかった。

そして、私は決めた。

もうこの事で悩まないと。

暫くはそういう事が付き纏う人生を送らなければならないけど、これは私の人生から絶対にその邪魔はさせないと。

努力して、ゆくゆくはそれを全て消し去ってやると。

これでもう全て終わりだ。

追記➝沢山の人が読んでくれて凄く嬉しいけど、まさか創作扱いされるなんて思わなかった。

それくらい私の人生普通の人とかけ離れた物なのだろうと改めて自覚させられた。

からといって傷付いた訳では無く、もっとこの現実味の無い人生を大切に楽しんで生きていこうと思うよ。

2019-01-05

全校生徒数1人、飛島中学校ホームページ面白い

毎月発行される学校だよりをホームページで読めるのだけど、唯一の生徒「Aくん」の活動報告と化している。

例えば学校だよりの第1号なんか、時候あいつのあと、「さて、Aくんの義務教育も残すところ1年となりました。」なんて文から始まるのだ。

全校集会授業参観、持久走大会など、通常の中学校で行われるイベントも大抵行われている。

でも授業参観ではAくんとその両親の早解きレース、持久走大会では島の郵便局員なんかも呼んでいっしょにレースしている。

かにも、国際交流でAくんがアメリカ短期留学したり、合唱コンクール本土中学生と一緒に出たりしている様子がわかる。

こんな中学生活にも憧れる。

2018-12-03

anond:20181203102614

授業参観の時に「好きなものを紹介しよう」ってのがよく掲示してあるんだけど

アニメ(低学年なら普通の子アニメだが高学年だと深夜アニメだったりする)紹介する子が

1クラスに低学年なら数人、高学年なら1人くらいいる感じだった

妙にオタクっぽい絵描いてたりして将来黒歴史になりそうだな…と思う

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-09-27

anond:20180927131156

授業参観学校行事夫婦そろって参加するんだけど人前では会話すらしない人たちが

家ではメッチャ激しくセックスしてると思うと興奮するな

2018-07-29

anond:20180729094240

以前の職場に来ていた「ヤ」で始まる訪問販売のレディ。

自分は毎回同じ味を、日数分買っていたんだ。

そうすると、ちゃんとそれを覚えてくれていて、うちに来るときはそれを残しておいてくれたりとか、

すみません子ども授業参観があって、次に来れるのが来週なんですよ」って言ってくれたので、5本まとめ買いできていた。

ある時、たしか妊娠たか何かで、別のヤのつくレディに変わった。

俺は小心者なので、細かい注文はクレームっぽくなるかなと思って言えないわけよ。

から、1ヶ月くらい毎回ジョアプレーン味を買ってるのに、「すみません、売り切れなんですよ」って言われちゃうと、レモン味にせざるを得ない(うまいからいいけどさ)。

まりさ、別に容姿問題だけじゃないんだよ。こっちには、小さいながらも積み上げてきた信頼関係がある、と思っているんだよ。

例えば、毎日飲んでるプレーン味なら5本まとめ買いできるけど、「新製品ドリアン味です」って薦められても試しに1本しか買う気にならないだろ。

2018-07-05

愛人

小学校の開放授業(授業参観ではないんだけど、地域の人たちが自由見学できる)で、習字の授業を見た。


好きな言葉を書くっていうお題で、「愛人」って書いてる子がいた。

笑いを狙ってるのかな、と思って見ていたら、「敬天愛人」の下半分だった。

嘘松からリラックスして聞いてほしいんだけど

小学校授業参観で、生まれときのことをお母さんに聞いて作文にしましょうっていうのがあったんだ。

でも、息子と同じクラスの子が訳ありだったみたいで、保護者の人が泣き出しちゃった。

お母さんはもともと体が丈夫じゃなくて、無理して子供を産んだらしい。

そのお母さんは生後まもなく予後不良で亡くなって、お父さんと妹さんが代わりに育ててたんだって

授業参観に来てたのは、その妹さん。

その後、再婚して正式に継母になったそう。

担任もひどいことするよね。

本当に安倍政権許せない。

2018-05-11

anond:20180511162915

実際俺もなんで田舎にいるのかって「地元が衰退していく様はつらい」って感情論だし、戻ってきた同級生も「自分が住んでたところがなくなっていくのはつらい」って言ってる。

俺の小・中学校の母校はもう廃校からな。てか、小学校合併したはずなのにその先も更に大きな学校合併されて、謎。

子供授業参観で「なつかし~」とか一生ないから、もう。

やりがいしかないっしょ、正直。

2018-04-20

授業参観みたいに親が見学にくる日のある会社ってまだあったっけ?

2018-02-23

anond:20180223230210

小学生の子持ちだよ。

子供自分趣味押し付ける気はないし、

子供は(当たり前だが)私とは趣味嗜好が違う私とは別個の人間として育ってるし

学校勝手友達を作って来る。

友達の親御さんとは授業参観の時に挨拶する程度の付き合いしかない。

幼稚園の時は送迎で母親同士毎日顔を突き合わせていたか母親同士の付き合いが小学校よりずっと濃くて、仲が良いママ同士もいたけど

の子供同士も仲良いかというと別にそんな事もなかった。

子が年少の時はべったり一緒だったママ達が、年長の時は会っても挨拶もしない仲、と言う

裏で何があったんだ、というのも目撃した。

2018-02-05

あなたはおかあさんだけど

絶賛炎上中の「あたしおかあさんだから」の歌詞を読んで具合が悪くなったので書き捨てる。

わたし母親は、あの歌詞の通りのおかあさんになろうとして、挫折した。

母親たるもの子どものためにぜんぶを犠牲にして生きなければいけない、と強く思い込むひとだった。

母親はいつも不機嫌だった。

パートをしながら、いつもおいしいご飯を作り、いつも部屋を綺麗に掃除し、5人家族洗濯をするために1日に何度も洗濯機を回し、習い事部活の送迎もし、授業参観懇談会もほぼ皆勤賞。

自分のための外出なんて、年に一度あるかどうかの同窓会くらいだった。

そしていつもいらいらしていた。

少しでも役に立ちたくて、手伝いを申し出たり、母親パートから帰るより前に帰宅することがあったら洗濯物を取り込んで畳んでみたりした。

邪魔」「畳み方が違う」と怒られた。

何度も謝った。

いらいらしている母親は、小さなことで何度も怒った。ドアを閉める音が大きかった。お茶をこぼした。それでビンタとお説教しかもそのあともずっと不機嫌。

怒られると謝った。謝るともっと怒った。

手伝っても、手伝わなくても、話しかけても、傍にいないようにしても、怒られた。

だけど毎日、おかあさんでいてくれた。

おいしいご飯と綺麗な部屋。習い事もさせてくれたし、大学まで行かせてくれた。

あなたはおかあさんだけど、

無理なことは無理って言ってほしかった。

あなたはおかあさんだけど、

もっとやりたいことをやってほしかった。

あなたはおかあさんだけど、

もっと、笑って生きてほしかった。

おかあさん、

あなたはおかあさんでいて幸せでしたか

わたしあなた感謝しているけど、

あなたにとって、わたしは、あなた犠牲にしたもの以上の存在ですか?

2018-01-24

最近の子どもって大変だね

最近

幼稚園卒業式→産んでくれて感謝

小学校2年生授業参観→産んでくれて感謝

1/2成人式→産んでくれて感謝

小学校卒業式→産んでくれて感謝

中学校卒業式→産んでくれて感謝

以下続く

という家庭もあると聞いた。

本当なの?

2017-12-30

2017年アニメ総括

私的メモ

ぶっちぎりトップ

なかなか良かった

1話単位でとても良かった

クソアニメも多かったが良作もそれなりに。まあまあ楽しめました。

2017-12-22

本当にもてない、本物の喪女でてこいよ

出てきて心の内を吐き出してみろよ

出てくる女ってモテないふりしたかまってちゃんメンヘラしかいねえじゃねえか

モテないんです(既婚者)とか、誰から相手されなくて(非処女)とか、寂しくて死にそう(明日授業参観日)とかそういう奴しか出てこねえじゃねえか

本物の喪女ってどこにいるんだよ

2017-12-10

中学校の机が狭い

授業参観懇談会中学校に行った。

もちろん、体が大きくなったせいもあるのだろうが、机ってあんなに小さかっただろうか?


教科書ノートを広げたら、重ねないと置けないんだよ。

さらに筆箱と、授業によっては副教材だの地図帳だのプリントだのを置くんだよ。

狭い。狭い。狭い。

少子化だっていうなら、2人で机3つくらい使わせてほしいよな。

2017-11-27

anond:20171127002307

そうか?

私は8歳離れた兄がいて、母親が27歳と35歳の時に出産してるけど、授業参観ときに他の母親から一目置かれている母親が誇らしかったぞ。

anond:20171126234047

俺は母親が35歳の時に生まれたからさ、授業参観なんかで周りがみんな若いお母さんな中、1人だけ周囲から浮いて見える母親存在が恥ずかしかった。結婚するなら若い方がいいな、生まれてくる子供のためにも

2017-10-08

コミュニケーション知識を持ち込む難しさ

ADHDでもアスペでもいいけど、こういう発達障害人間は、普通の人とは生きてる世界が違いすぎるため、相互理解には正しい知識必要であることは、多分専門家の間では常識だろう。

これは普通の人が発達障害知識を得るだけでなく、発達障害当事者普通の人の知識を得ることも必要だと思う。

即ち、意志の力情熱経験則に基づく「ちょっとした工夫」だけでうまくやれる可能性は、かなり低い。


しかし、である

普通人間理解というのは生まれから蓄積してきた対人経験に基づいて相手を観察し、その場の現物合わせ、いわゆる「ちょっとした工夫」でこなすものである

からこそ、いわゆるコミュ強者と言われる人ほど、なまじ経験則オールオッケーだったが故に、発達障害への理解に正しい知識必要という所に辿り着きにくい気がするのだが、どうだろうか。

何より普通の人から見て、発達障害当事者言動はしばしば不快感を催すため、そういう感情的反応も、一層理解を難しくする気がしている。


実際、今まで自分が見てきて「今思うと、コイツ絶対そうだろう」という人間が何人もいたのだが、彼らに対し、今だったら一体何が出来るのか、結構疑問である

もし既に対処法が確立しているならトラバに書いてもらって構わない。

小学校時代同級生A君

  1. 授業中に必ず出歩き始める
  2. 先生発言に対し、ほぼ衝動的に茶々を入れてしま
  3. 最初のうちは無視したり適当にあしらっていた先生も、最後はキレる
  4. これを何人もの先生に、数年にわたって繰り返してきたので、彼の所属クラスどころか、学年全体のレジェンドとなっていた
  5. 授業参観でもその言動は収まることなく、懇談会でお母さんは平謝りだったらしい

中学校時代同級生B君

  1. 部活で先輩の発言に対し、「内容に誤りがあったら訂正する」返答を、空気も読まずに繰り返した結果、先輩ほぼ全員から反感を買う
  2. 先輩からの指摘にも口答えばかりで、これまた先輩の怒りを買う
  3. 顧問先生に対しても口答えを連発
  4. 廊下で先輩とすれ違う時に必ず殴られるようになり、ほどなく幽霊部員
  5. 顧問先生から幽霊部員化したことを問い詰められ、「先輩に殴られるから」と理由を話したところ「それはお前が生意気から」で一蹴される
  6. 同級生からは「いつも気取っていてムカつく奴」と見なされ、誰も味方にならないどころか、相手にされなくなった

以前勤めていた会社の同僚だったCさん

  1. 衝動的な発言で客から反感を買う
  2. 業務上私有車で出先に移動して作業というパターンが多かったのだが、車に積んだ会社備品や客先への納品物を頻繁に無くす
  3. 後で上司や同僚が彼の車を調べると、↑で無くしたはずの物が沸いて出てくる(故意だったら業務上横領レベルの量)
  4. 仕掛りタスクの詳細を忘れまくるので、しょっちゅうスケジュール破綻をきたす
  5. そのため、新しく割り当てられた仕事が、3ヶ月と経たないうちにリタイヤを余儀なくされるというパターンを何度も繰り返す
  6. 上司の叱責と注意は多分1000回を超えていたと思う
  7. 上司からは「このままだと昇給未来永劫ない」と宣告される


勿論、これらのケースで最も困っているのは本人であることは間違いない。

しかし、周囲だって大変な迷惑を被っているわけで、そういう意味では、彼らも加害者なのである

かに殴られたりキレられたりと、かなり暴力的対応をされているが、これは明らかに彼らがしでかしたことへの「帳尻合わせ」なわけで、こういう対応をするから悪い奴とは言い切れない。

それを踏まえた上で、どういう対応をすべきなのか、かなり難しいと思う。

2017-09-24

anond:20170924110419

でも今やダンス必修化だろ。

それで授業参観とかで見せられるんだろ。

絶対やだわ。

2017-08-28

8/27

二人が昼前のバスで帰った。

一人になった家は見違えるほど綺麗になった。ピッカピカ。

一人でやってもここまで綺麗にならないのは何故だろう。

旅先で散々カーチャン達にキレてきた。あれやこれや。

帰って一人になった時に後悔しきれないぐらい落ち込み、ベッドに潜り込んで枕に涙をながす。過ぎたときには大したことなかったのにと再び後悔する。

部屋机の真正面に見える窓際に飾ってある家族写真

随分前で何時か覚えてないし日付も見えないかな。

そこそこ昔なのにあっという間に二人とも50代。元気だけどそれでも、、、

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小学生のころ

二人とも仕事でやや忙しかった。だがその裏でとうちゃんは「ふ」の真っ最中だったらしい…カーチャンココロやられてたらしいが当時心が添付されてない会話と幼さで状況が分かりやしなかった。

育児放棄からほど遠いが心はしばしばそんな感じだった。

何をどうしたのか分からないしよく覚えてないが幸い二人をつなぎとめることができた。

それでも心は変わらなかった感じだった。

多分このころが一番の元凶

ギリギリ不関心な感じ。一緒に何かを育んだり最後まで取り組んだ記憶がない。

報酬系がうまく育たなかったのかもね。

環境自体は悪くなかった。金にも困ってなかった。だが足りなかったのは温もりだと度々想う。

現代の子供がゲームに夢中になる理由報酬と罰がハッキリわかるがよく挙がる。

おそらくこれだった。

友達が遊んでたポケモンに興味惹かれて同年代の子たちより遅めに遊び始めた。

あれは良かった。子供なりのコミュニケーションツールであり、コミュニティーへの参加券だった。家で話せる相手がいなくてもポケモン話題を用意してくれた。

今思えばこの流れは成功でも失敗でもあった。だが溝が深くなるだけだった。

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二人と心のある会話が多分少なかったせいで人を観察するばかりしてた。日本語をまだ習ってないのに入った日本語メインの幼稚園で覚えた昼ごはん屈辱。おかわり欲しいだけだったのに言えなかっただけでみんなに見られて笑われた。石塚英彦(イメージに傷ついたらスミマセン)みたいな体型の女保育士がなに言語不自由を笑ってんだ。お前のせいで喋るのが今でもすこし躊躇うようになったんだぞ。

小学校には人生に何事もなかったように入学した。

初めての学校小学生未来の話は早い早いと思われがちと思うが、「深い」直感はいつも正しいと思う。あの時クラスの中に一人だけ素質が違うのを感じた。直感学校の果て(大学など学歴における小学校沿線上の先にある何かという感覚 )にランキングあったらこいつはトップにいるだろうなと確信したのは授業参観日で自分名前に込められた意味・願いの発表だった。彼の自信がこもった発言動作一つ一つのキレの良さ。確信したよ。そして高校卒業大学進学。ふと思い出した彼の名前を顔本で探したらなんと東大現役だった。

これは正直おめでとう以外の気持ちはなかったよ。学歴直感を照らし合わせてもチートでもなんでもない、これが実力だという真の勝ち組雰囲気が漂ってた。素直に同級生だった奴の一人が人生における一つの成功を掴んだことが嬉しくてたまらなかった。この調子でいけばさらに大物になるだろう。期待してる。

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二人とも比較的に早い段階で世界の反対側を見てきた。だから気がつけば自分も鏡の向こうにいた。この体験はまるでタイムマシンのようだった。

ある日は卒業式保護者席に。ある日は学校に居ながらも皆が先に散らばってたのを知った。

現実に戻るまで何度見た走馬灯

二人の仕事や個々の問題が落ち着いてきた。今までの溝の埋め合わせや溝があったことへの許しを請うようにほぼ毎週末運動施設に連れて行ってくれた。

だけど遅かった。

突然の心の共有に異常検知したのか、受け入れがたかった。

今思えば家族全員の失敗である。何事もなかったが当たり前と慣れてしまってた。逆に何事もなかったように家族であろう姿に戻ろうとする二人。隣り合ってもお互い違う価値観の基に過ごしてきた。

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少年オタクになった。

別にオタクになるのは悪いこととは言ってないとまず断言しておく。

オタクになるまでに感じたことはおそらく読んでる人達がこれまでorこれからないだろう。

新しい環境。新しいクラス幼稚園屈辱が時々脳裏に浮かんで無口で過ごした。馴れ合うまでの経緯は忘れたが、日本人日本の魅力を教えに来た同級生がいた。

可笑しいよな…日本人じゃない奴が日本人日本の魅力???

実際そうでもなかった。オタク文化を紹介され、いつしか彼と他の仲間たちとなけなしの小遣いでグッズショップ巡りした。

ボカロにも出会った。

wowaka蝶々P、ゆちゃP、164、40mP、etc…。素晴らしい音楽を世に出してくれた。やや機械音だが生身の人間じゃない何かが発する言葉の羅列が逆に心に届いた。

だけどある日二人に見られて「甲高い機械音」と言われたときはようやく見つけた居場所が傷つけられて溝が更に深くなった。

いつしかラノベという文学を知った。

授業なんて聞いてないで一日一冊半ぐらい読んだ。日本語文学なんざラノベ以外読まない日々だった。

日本語がみるみる上達した。ほぼラノベで養った語学力で今は私立トップ校に在学中だ。現役で入って留年もしてない。これでも悪と言い張れるか?そもそもラノベ害悪という人は何を根拠拒否しているのだろうか。

話を戻す。

彼らとつるんでいるうちに学校に慣れた。だが成績のほうはリーマンショック暴落の直後のようだった。別に二人も特に心配していなかった。

オタク進化した。PCギークオタクになった。

学校というものを取り除けば楽しい毎日だった。なにかOS裏技を見つけては仲間と共有して、学校というパノプティコンイタチごっこしてた。

場所は変わってないが年取った。

イタチごっこは相変わらずだった。だがたまに学校からウェブサイト開発案件が来た。三人体制だったがあのときにゃあgitなんか知らなかった。

マーク・ザッカーバーグストーリーはご存知かな。彼が同級生兄弟と一緒に顔本を作るはずがいつの間にか功績を奪ったようになってしまったという。

実際似たようなのが起きてしまった。相手今日本じゃない公立のまあまあい大学行ってる。生意気だがあいつなりに成功の道を作っているようで奪われた身としては進歩必要犠牲としての役目を果たした感があって恨みはない。自分がいたおかげであいつが成功を掴めたんだ。自分プロデュースしたと思えば何もかもやり過ごせる。

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小中高片思い沢山してきた。「嗚呼自分普通人間だな」と感じた。だが高校では周りを見ては諸行無常だと実感した。そりゃああれだけ見たら無心になった。なったつもりがなりきれなかった。

二人からの心のこもった愛がいつしか途切れて、片思いをするたびに「この人なら足りない何かを埋めてくれるかな」と数週間悩んではまた無心に戻った。

高校最後の年。

陰湿ギークオタク電車男にすらなれない。(ごめんなさい電車男まり知らないです)

無心がリバウンドして誰でもいいから付き合いたいと思い始めた。

成り行きで一人と付き合うことができた。ランキングでいうと余り物に近い。(すまない)

付き合って数ヶ月。

燃え尽きた。

なんで付き合ってるんだっけ?誰のために関係を維持してるんだっけ?

けど卒業式四日後ぐらいに相手から別れ話出された。チャラ男ではないが、これでよかったのだ。これが一番ダメージ少ないなら相手うんざりして切り出したことで悪者にでもなっていい。と何度も何度も自分に言い聞かせてた。同時にやや恋愛恐怖症になった。

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大学に入った。頭がとてもいいってわけでもない。いくつかの大学に落ちたさ。だがこの大学合格通知が来た時はとうちゃんにとって悲願っぽい何かを感じた。無心で育てられたとは言え、心の底では「これでやっと見てくれるかな」という気もあったかもしれない。

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インターンシップにも応募した。とある大手情報企業だ。とうちゃんには無念しか残ってない所に挑んだ。

負けたよ。いつ以来の敗北感だろう。

手持ちの装備は心がない会話ばかりで作り上げた会話力だけだったよ。二回戦のグループ討論で落ちたよ。父の日だったのに朗報持って帰れなかった自分が更に悔しい。カーチャンは夢を再び見せることが出来たと言ってるが、見れたかな。。。

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大学でも片思いは何回かした。

無心を貫くと心に決めたのにまた同じ理由で破ってしまった。現実はそう甘くなかった。

ハラという言葉ができる前に遭ってしまった。ハラスメント?それ本気で言ってるの?言ってるそばから相手社会的地位を下げるような内容を公開してそれって私刑だよね?

まあこの身がコミュ障恋愛恐怖症になるぐらいだから相手もなんらかの強迫症じゃないかと哀れんで過ごせばいいと思って無かったことにした。

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カーチャンは去年あたりキレやす理由についてうすうす気づいて原因を根本的に治したいと言ったが、溝が深すぎたとだけ言った。

ここまて約10年。そりゃあすぐに埋まるわけないよな。夢でも見てたのか、途中数千字の理由を書いたが読んでも理解できないって言ってたもんね。家庭崩壊になりかけて警察を呼んで連れて行こうとしたもんね。

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最後に話を最初に戻す。

二人にキレまくったこと。すぐじゃないが、いつも一つ一つ後悔する。途切れた愛でも、無かったことにはならない。しかし合間が大きすぎた故、怒りと許せない気持ちがどうしても先走ってしまう。

キレたその夜には枕元で、「もし今夜、明日明後日、突然の事故で二度と触れる事ができなくなったら?」「もっといろいろやれたのに」と悪い想像をして悲しみ、寝落ちするまで泣いてしまう僕がいる。

さすがに10年も考えればいくつか答えが見えたよ。

無かったことにしたことには慣れた。だったら無かったことを無かったことにすれば少しは良くなるのかな?

P.S.

まり元どおりまでバイバイバイ

思いついたら歩いていけ

心残り残さないように

砂の惑星10周年か。ちなみに最初に聞いたボカロ曲はなぜかデッドボールPの曲だった。

今日wowakaアンノウンマザーグースをようやく聴いた。このリズム、この歌詞…何もかもが懐かしい。何よりも聴いた瞬間

もう一回 誰も知らないその想い

この声に預けてみてもいいか

あなたには僕が見えるか?

あなたには僕が見えるか?

どうやって この世界を愛せるかな

いつだって 転がり続けるんだろう

ねえ、いっそ

誰も気附かないその想い

この唄で明かしてみようと思うんだよ

の部分が一番響いた。

運命も偶然とかいつも信じてもどうにかなるものではないと思っているけど、これは自分決断を忘れないうちに書き下ろしていつしかまた自分に読ませて落ち着こうという願いで書いた。

ありがとうwowaka。この決心に背中を押してもらって。

最後に、

「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」

引用

https://www5.atwiki.jp/hmiku/sp/pages/36575.html

https://www5.atwiki.jp/hmiku/sp/pages/36481.html

2017-08-27

父兄来て困ります だと思っていた。

宇多田ヒカルのTravelingという歌の中に、

不景気で困ります」という歌詞がある。

昨日カラオケ自分が間違っていたことに気付いた。

ずっと、

父兄来て困ります。」

と、授業参観の子供の反抗期を歌っているのかと思っていた。

真実は、景気の話をしていた。

急に好きになった。

2017-08-24

高齢出産顛末

あくま自分のケースな

俺:30歳 東京

実家東京から時間地方

父が60、母が40の時に俺が生まれ

子供の頃、父と出かけると「おじいちゃんと一緒でいいわね」と言われたりした

授業参観に来た親たちと並ぶと、母はやはり歳を食って見えた

当時はすこし思うところはあったけど、今となってはそんなのは何とも思ってない

問題はここから

現状

父 : 現在90、老後資金が尽きて下流老人へ(諸事情年金はほぼ無い)

母 : 現在70、早くも認知症発症

いまは実家に両親2人、なんとか自活できている

しかし母のこともあり、父の年齢もあり、長くて数年、場合によっては明日からでも立ち行かなくなるだろう

はっきりとは言われてないが、実家に帰ってこいムードを作られてる

両親の介護と、生活費のために

俺は田舎が嫌いで東京に出てきた人間

何者にもなれてはいないが、ようやく仕事面では自己実現ができつつある

そんな中地元に帰るという事は、少なくとも今の「俺」という人間死ぬ

両親の老い介護

誰しもいつかは通る道だとは思う

が、それを30そこそこで背負わされるのは正直きつい

一般的な年齢の両親からまれてきた場合介護問題に直面するのは40代中盤以降だろうか

それなりに上手く生きてきた人なら、それを受け入れられる体制も整いつつあるだろう

けど俺の場合はそれが「今」来た

体制的にも、金銭的にも、それを背負える状況にはない

また仮に、全く予定はないのだけど、

結婚しようと思った人が居た場合、俺の両親はどのように映るだろう

彼女未満の人が一応いるが、そのあたりのことは一切話していない

30そこそこの歳で相手の親が認知症だと聞いて、身構えない人はいるだろうか

40すぎて子供がほしいと願うのは構わない

しかしその子がいくつかのライブイベントを迎える時、自分は何歳なのかは考えて欲しい

その時に果たして自分は我が子の足かせにならないかという事を含めて

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