はてなキーワード: 多忙とは
日曜日は異様に暇だったのに、昨日はやたら混んだ。警戒レベル上がったのに何故? あ、警戒レベル上がったからか。
出勤直後、凄絶な忙しさの最中に、フリーター女子バイト18歳さんの担当レジにお札が詰まるというアクシデント。フリーター女子バイトさんは、
と、レジ接客中の私を押し退け、故障レジをまさかの丸投げ。えぇぇぇぇ!? と私は困惑しつつも、そうこうしているうちにレジ待ち列がどんどん伸びていくので、レジの札詰りを直すことに!
壊れた自動レジの前には恐そうな中年女性のお客様がイライラした様子で待っていた。さっそく私は謝り倒しつつレジを開ける。自動レジは賢くて、お金が詰まると対処法が客側ディスプレイに表示される。店員は画面の案内に従ってレジの投入口や金庫を開けるだけだ。
……つまり、誰にでも出来るはずの作業。それを丸投げされた私って一体。しかも先週か先々週にもフリーター女子バイトさんのレジが詰まって、お客様がブチギレた上、できないわからないと嘆くフリーター女子バイトさんにこれまたブチギレたシフトリーダーが「何でこんなこともできないの!?」とめっちゃ怒鳴りながらやり方教えてたはずでは。
フリーター女子バイトさんは、お金詰りの対処法は覚えなかったが、自力で解決しようとすれば余計に事が面倒くさくなることは学習したということだろうか……いや経験積もうよ……と思いつつ、私は私でレジが壊れる経験ってあまりしたことがないので、ま、いいか、これも経験だしーと思って頑張って取り組んだけど、それで良かったのかどうかわからない。
レジはなんと一度に三ヶ所が詰まっていた。「確認ポイント①」の詰りを取ってレジ金庫を元に戻してもアラームが止まらず、また解錠して調べると「確認ポイント②」が詰まっており、そこを直して金庫を元に戻すとまたアラームが!
と、そんなこんなで何度も金庫を解錠して引き出しては戻しを繰り返しているうちに、お客様はいっそうイライラが高まった様子で、私はびくびくしながらレジ操作を続けていた。しかし、詰りの原因が、お客様の投入したお札の間に公共料金のお客様控が二枚も挟まっていたことだったのが発覚すると、お客様は一転して縮こまり、
「大変申し訳ございませんでした……」
と蚊の鳴くような声で頭を深く下げたので、私は恐縮して
「いえ、全然だいじょぶっす!」
なんてテンパってたせいですごくダメダメな返事をしてしまった。
そんな、焦って慌ててみっともない姿を晒しながら長い時間をかけてレジ詰りを直しているときに限って、知り合いが来店しており私のレジに会計にきた。子供の同級生のお母さん!!
と彼女は言ったが、私が醜態晒しながら頑張ってたことには触れないでくれた。やさしい。コンビニにあるまじき長時間待たせてごめん。
レジ詰りの対処を丸投げした(しかも状況説明すらせず「お願いしまーす」の一言で済ますなど……)ことで、フリーター女子バイトさんをたしなめるべきかどうか、少し考えたのだけど、フリーター女子バイトさんの自称「うち本当に馬鹿なんです」に最近うっすらと真実みが出てきたので、言っても無駄なのではないかという気がした。レジ画面に映し出される操作案内の漢字が読めないとか……あり得る……。先週か先々週のときも、彼女はシフトリーダーに「そんなこともわかんないの!?」と怒鳴られたときも「すみません、わかんないです」って言ってたし。
FF商品が18時半にもならないうちに売り切れてしまったので、多忙な中でも合間を見てFF商品の什器をさっさと掃除し終えたところ、オーナーが出勤して来てそれを見て上機嫌になる。が、端からオリンピック期間はずっと暇に違いないと決めてかかっているオーナーには、18時台が死にそうなほど忙しかったことなど信じられなかったようだ。
まだ30歳になるかならないかくらいの若い男性客で、店員にタバコを覚えさせようとする人がいるのだけど、最近「タバコください」と言うことすら省略して目で「あのタバコ取れ」と合図してくるのだが、私はそれを無視して「合計280円でございます」とさっさと年齢層ボタンをポチる。タバコの銘柄を覚えさせる客の糞率の高さは異常なので、容赦しない。
ストーカー客来店。そんな時に限ってオーナーはドリンクの補充をしにウォークインに入ったまま出てこないので、しぶしぶ対応。
ストーカー客もまるで調教するかのように店員というか私にピースライト二箱と覚えさせて要求してくる。以前は「タバコ。」の一言で命令してきていたのだが、私が聴こえないふりをしたら「タバコください」に戻ったのだ。もっと聴こえないふりして「ピースライト二箱ください」と言わせたいところだが、ストーカー客を接客する時間は1秒でも短い方がいいので「タバコください」で妥協している。
タバコ二箱買うだけで袋くださいって何だよと思ったので、聴こえなかったふりをしてタバコだけスキャンして年齢層ボタンをポチったら、ストーカー客は、
「袋は?」
と言って律儀に「戻る」ボタンを押したので、私はしぶしぶ12号の袋(3円)を一枚出して「こちらのサイズでよろしいですか?」と聞いた。
ストーカー客が帰ってから、黙って特大袋(5円)二枚売り付けてやればよかったなと思った。
惣菜パン類が異常に売れ残っていた。21時の納品の時に、オーナーからあまり空きのないパンの棚に納品されたパンを出来るだけ詰め込めと命令されたので、まるでパズルゲームみたいに商品を並べ替えまくって棚にスペースを空け、届いた商品を詰めた。
どうしても多すぎて入らない品だけは、並べずに事務所にしまっておいていいということだったのだけど、頑張って並べ替えしたお陰で事務所送りになった品は一品だけで済んだ。
気持ちを整理したい。
何気なく見てしまった夫と同僚とのLINEのやりとりからハッキリわかった。
このことを知るまで、私は夫の風俗利用には肯定的な方かなと思っていた。
でもそれは、付き合いや、ほんの気まぐれなら許せるかな、というレベルだったことを知った。
急に同僚と飲むことになったと定時後にLINEしてきたあの日は、半休を取ってソープに行き、その後仲間を集めて報告会をしていたなんて。
入籍1ヶ月後に、結婚祝いと称して特別高級なソープに嬉々として行っていたなんて。
コロナ禍にこっそりソープに行って、何食わぬ顔で家に帰ってきていたなんて。
最近はレス気味だったけど、仕事が忙しくて休みもなかなかなくて、いつも疲れているようだから仕方ないかなと思っていたのに。
思えば今までしてくれたのも、私が誘った時ばかりだったな。私、下手だったかな。あなたが好きな巨乳でもないし。
風俗に行っていたという事実そのものではなく、これまで何度も平然と嘘の予定を伝えてきたり、こっそり豪遊してきたりという事実が辛い。裏切りだと思う。
風俗は病気が怖いからもう行かない、もう相手がいるし、と付き合ってすぐ言ってくれたのは嘘だった。
結婚前から、毎日ずっと過剰なほど愛情表現をしてくれて、私もそれに負けないくらいの愛情表現をしてきたつもり。
平均世帯年収よりも下回る家計でも、夫婦で慎ましく楽しめていたと思っていた。
日頃から私の料理が好きと言ってくれていたから、贅沢はできなくても美味しいご飯を作ってきた。
夫の前でかわいくいられるよう頑張ってきた。
私は、私たちの将来のために節約してるのに。夫をこんなに愛しているのに。夫しか知らないのに。
ずるい、汚い、気持ち悪い、怖い、惨め、情けない、色々な感情で心がぐちゃぐちゃ。
私もマッチングアプリで出会おうかなとか考える。仕返ししても心が晴れるわけないのに。
夫の風俗仲間の同僚達も、妻に隠しているんだろうか。
結婚前、私に会いたいと言って奥さんも連れて来て4人で食事をしたあの同僚も?
眠れない。引越しの家具選びの時、くっついて眠れるからとダブルベッド一択だった自分が憎い。
寝る前にLINEを見るんじゃなかった。そもそもLINEなんて見てはいけなかった。わかってたのに。
LINEを見てしまった自分も悪い。本当に悪い。だけど、見られて困るものなんてないって言ってたのに。信じてたのに。
夫が寝落ちする前にちゃんとアラームをかけたかなんて、確認しなければよかった。
書いていたら少し冷静になって吐き気も震えもおさまってきた。
でも、朝早く家を出なければいけない多忙な夫は、あと1時間ちょっとで起きてくる。
そいつは一つの国語表現に固執するあまり、不特定多数に自説を吹聴して回り、
あまつさえ特定の国語学者のアンチまで務めるという壊れっぷりであった。
流石に目に余るのでそいつのプロフィールを見たところ「発達障害」という文字列が入っていた、
ああそういうことね、と冷たくレスを返してみると、案の定相手がいきり立ったものである。
ひたすら自説の正当性と大義名分を主張しヒートアップしていく一方、
私はそれを見て、かわいそうなやつだなと思った一方、
「なんのためにこいつは発達障害を自称しているのか」と思ったものである。
自分も素人なので詳しいことは知らんが、ネットでちょっと調べた限りでは、
「発達障害はどうでもいいことに固執する傾向がある」というような話があった。
(下手に曲解するといけないので、そういうふわふわした理解にとどめておく。)
その性質を自覚しているなら、そうなっていると指摘された時に、
「すまんな」「ええんやで」とならなくては意味がないのではないか。
逆に言えば、それができないのが発達障害なのかもしれんが。
いずれにしろ、彼が発達障害と診断された意味が微塵も感じられなかったのである。
そういえばもう一つ、「病気の診断」に関して思うことがあった。
一昔前に「新型うつ」という概念が流行ったころ、それを否定する風潮が強かった。
お茶の間にとって「うつ」とは「常に気分が落ち込んでいるべきもの」という偏見があった時代で、
(あるいは今もそう変わってはいないのかもしれないが、少なくともメディアの扱い方は違う気もする)
「やるべきことに直面すると落ち込む、解放されると嘘みたいに明るくなる」という新型うつを見て、
「甘え」や「仮病」の二文字が頭に浮かぶ人は少なくなかったであろうと思われる。
その様子を見ていた自分は当時まだ子供であったが、子供なりにその風潮を憂えたものであった。
いざ自身が大人になってみると、うつ病の人が周囲にちらほら出てくるようになる。
私の交友関係はだいぶ狭いほうだが、それでもあんな人やこんな人がカウンセリングを受けている。
仕事で心を破壊された気の毒な人もいれば、体育大学に通いながら精神を病んでしまった人もいる。
健全な精神は健全な肉体に宿れかし。そう思わずにはいられない。
無知の知ではないが、うつ病とはわからぬものだなという事だけがわかってくる一方、
彼らが日々己の心身と闘っている様子が切実に見えてくるものである。
しかしながら、うつ病患者だからといって100%同情されるわけでもない。
知人のとあるうつ病患者は、日々の体調管理すら苦労している様子が見て取れる一方、
もともと愚痴が多いうえに「かわいそうな自分」に酔うタイプであった。
それを日々聞かされる周囲の人はだんだんと耐えられなくなり、距離を置くようになってしまっていた。
うつ病であることそのものではなく、自分に酔うことを苦々しく見られていたのである。
子供のころから見ていた自分は「こいつ病気なんじゃね」と思っていた。
私が大人になるにつれて傾向は見えてくるようになり、
どうやら忙しいだとか面倒なことが控えると機嫌が悪くなり、
思うようにならないことがあると、それをしばらく引きずる形でまた機嫌が悪くなるようであった。
頼れるものに頼ろうとしても結局文句ばかりで一向に楽になろうとせず、
そうして忙しくなるとまた機嫌が悪くなるというマッチポンプばかりをしていた。
ネットを通して「そういう人もいる」という知見を得て、そういう人なら仕方ないなと思っていた矢先、
本人からうつ病であると打ち明けられたのである。診断書を見せられるでもなく。
そのとき私が抱いた感情は「かわいそう」とか「お気の毒」ではなく、
申し訳ないが「それ見たことか」「何を今更」「で?これからどうする?」という気持ちであり、
正直言って同情は一切わかなかったものであった。
なぜなら自らを病に落とし込んでいるようにしか見えなかったからである。
近年は様々な病気、あるいはナントカ症というものが多数生まれてきている。
先日某ラジオでも取り上げられていたが、とくに恐怖症になると枚挙にいとまがない。
「お酒恐怖症でーす!なぜなら目の前にあったら飲んじゃうから!違うかw」という投稿には個人的にムカついたが、
ほとんどは「落ち着きをなくす」「立っていられなくなる」のような割と切実な訴えであったし、
自身の友人知人からもそういう話は聞いたり、あるいは付き合ってきたものである。
そうした新たな病気やらなにやらというものの周知が試みられているのもまた現代であるが、
じゃあすべて見て聞いて覚えられるかと言えば、そんな余裕は多忙な一個人にはないし、
公の場で突然異変を起こした人を「あ!これネットで見たやつだ!」と100%適切に助けられる自信もない。
ましてや「病気」認定が差別的なものになりうることは過去も現代も同じであり、
無垢なマイノリティの方々が切実な訴えをなさっては、様々な人間が入り乱れて大騒ぎになるところである。
では「病気」という診断は何のために存在するのか?百害あって一利なしなのか?
私はそうは思わない、というか、「病気」だけが特別である必要がないと思う。
彼はかなり前に、声帯ポリープが発見されたことがあったらしい。
声を出すお仕事の人にとっては特に厄介な病気であり、切除をしてしばらくお休みをいただくのが常である。
しかし彼は「付き合っていけば味になる」と割り切り、手術をしなかったというのである。
そのせいもあってか度々喉の不調で活動休止ということもあったようなのだが、
2011年の時には「プロとして情けない」とツイートした履歴もある。
身体と心の不調では話が違う、と言われるかもしれない。
しかしながら私が言いたいのは、彼はある種の病を「個性」として受け入れたということである。
病気とまでは言われないものや、単なる性格に過ぎないものも細分化されつつあるように感じる。
「あなたはこだわり屋さんです」とか「あなたはネガティブです」とか言われても、
それは正式な病気や障碍ではないし、なんらかの公的な援助が受けられるわけでもない。
あるいは病気や障碍とまでは言い切れない「グレーゾーン」なるものも存在するようである。
そういう「個性」が明らかになったときに、自分はどうするのか?
自分がその個性とどう「付き合ってい」くか考えていくべきなのではないか?
もちろん病気や障碍には「どうにもならない」「仕方がない」部分はあるし、それに伴う人並み以上の苦労もある。
自身の身体をコントロールできない病なら、どんなに偉そうにして厚かましい要求をしてもいいのか?
自身の精神をコントロールできない病なら、コントロールを諦めて好き勝手罵詈雑言を吐いてもいいのか?
一般人にとっては、大義名分があるから批判することは難しい。でも人として嫌な思いはする。
そうして直言を受けることなく、一部の優しい人に甘やかされ続け、他の人からは疎まれ、
傍若無人にしてある種の孤独なモンスター、言い換えれば「裸の王様」が生まれる。
とくにマイノリティにおける過激派は、どいつもこいつもこうなってはいまいか?
大学の授業に通えていない現状を憂えてのことであったと思われる。
当時の自分は「怠けているだけなのに病院に行かせてくださいだなんて…」と、
今思うと「たとえ病気でなくても」医者にかかったほうがよかったのではないかと思っている。
結局二度と機会は訪れなかった私であるが、
大学生時代におけるリアルとネットの交流を通じて多くのことを学び、
時には大きなトラブルを起こして教訓を肝に銘じ、
また時には友人からの諫言も受けつつ自分を自分なりに成長させることができた。
かつては絵に描いたような「メンヘラ」だった私も、
今では精神疾患を冷静に分析し、自身を客観的に見られるようになり始めた、と思う。
そうか?と思われるかもしれないが、少なくとも昔よりはマシである。
なぜなら今思い返すと「昔の自分」が恥ずかしくて仕方ないからである。
未だに昔の自分に同情する部分もないわけではないが、
一方で人の振り見て我が振り直すことも多くなった。
それだけ人の、自身の「醜さ」というものをより理解できるようになったのである。
自身の気分の落ち込みも「これは見苦しいな」「こうすればおさまる」と自己分析し、
専門家によらないセルフコントロールを自分なりに築き上げてきた。
そんな自分から見ると、コントロールそのものを放棄している人が理解できないのである。
現代は科学と西洋医学の時代であり、「病気を治す」ことに邁進しているものと思う。
しかし一方で、「付き合っていく病気」というものは決して無くなるものではない。
今のコロナ禍においてもワクチン接種が進む一方で感染は防げない!と言われたり、
新たな生活習慣においては鳴りを潜めたことで、日々の感染対策の重要性が浮き彫りになった。
ワクチン打てばかからない!でもなければ、タミフル飲めば大丈夫!でもなく、
自分ができることをして病気と付き合っていくことこそが大事であると改めて示されたものと思っている。
以前ネット上で「自分の機嫌は自分で取る」という言い回しが話題になった時には、
それができるかどうかはさておき、やろうと思わなければ始まらないのである。
不機嫌な自分を正当化するだけでは、だだをこねる子供と変わらないのである。
自分の心をなだめてあげること。
心の不調の原因に向きあうこと。
それをやらずして「病気」に甘んじていては何の意味もないのである。
人はたいてい、何かしらのハンデを抱えている。
病気や障碍を隠して生きるよりかは、カミングアウトできる世の中であってほしいが、
カミングアウトを免罪符と誤解している人間は、その秩序を乱してしまう。
自分に対しては、病気や個性を認め、なるべくコントロールしてみよう。
他人に対しては、病気や個性を認め、なるべく受け入れてあげよう。
それらが並立して初めて、やさしい世界を体現できるのではないか。
月に1本短編が読めるってやつなんだけど、最近多忙なのか2回に1回は小説が載ってない。
でも1ヶ月の内に一度も更新がないと定期購読自体が(note運営側から)強制終了されるから何かしらの文章は上げないといけないらしく、
大抵は小説の登場人物の話とか自没にした過去の小説とか質問箱とかに答えてるのをとりあえずで置いて、来月は2本小説を上げますって書いてるんだけど、それが1本しかない、先月の分がないってことが今までに何度かあった。
自分は結構ルーズだから今日何となく数えるまで気づかなかったんだけどこれって大丈夫なことなのかな。
月300円とかだからそこまで気にしてないけど、かなり売れっ子で長い間忙しそうだからもう定期購読マガジンやめたらいいんじゃないかと思う。
うちは身体的にとても仲がよく、赤裸々な話で恐縮ではあるが妊娠前はほぼ毎日、妊娠後も数は減ったものの週2〜3回とそこそこの回数で成功していたんすよ。
当然出産後も体のほうが元に戻れば、完全とは言わずとも元に戻ると思うやん。
いや、こんなに無理ゲーだとおもわなかった。
まず1歳近くまで、授乳やら夜泣きやらで夜にゆっくり…というシチュエーションが皆無。
まあこれは予想の範疇で、出産前は俺が一人悶々とするパターンか…と思いきや、夜中のミルクやりや朝夕の家事サポートで夜は俺自身もダウン。
嫁も俺も性欲自体はあるのでなんとか2〜3回「とりあえずやっておかなくては…!」的なノリで大至急こなしたのだが、いつ起きるかというソワソワで色気もなにもない。
乳離すればチャンスが増えるのでは?と思いきや乳離が遅い!1歳越してもまだ乳をネブネブしながら寝ているのである、1年経ったら返してくれるはずだったのでは???最近「おっぱい美味しそうですね〜いいでちゅね〜」が俄然本気になってきてますが、すみません取り乱しました。
ともかく乳離する素振りが無いのに、あるき始めると当然活動量が増え体重も増えるので抱っこも重たくなる、
多忙からか双方体調のバランスを崩す事が増え、二人の万全のタイミングが噛み合う機会ががくんと減ってしまった。
これにお月のものの1週間休暇が加わると、月に2〜3回という以前では考えられないほどの超絶セックスレスになってしまったのである。
出産後にセックスが減って、仲が良いのに年単位でセックスレスという意味がよくわからなかったんだけど、
これ物理的に不可能な状態になるんね、ようやく合点がいきました。
これうちら夫婦はまだお互いに性欲があるから子供の手が離れて行くに連れ少しづつ回復する見込みあるけど、
妻のほうがホルモンバランスで性欲が落ちたり、夫のほうがレス期間に性欲減退してしまったら一気に深刻なセックスレスになるよなーと思った。
期間が長くなればなるほどどうしていいかわからなくなりそうだし、赤ちゃんを預けられるラブホが必要なのでは(真顔
追記:
とりあえず「明日ここにきてください、本当のレスを見せてあげますよ」系のコメをくれた全国の山岡さん大変失礼いたしました。
とはいえ概ね似たような境遇の諸先輩方へはきちんと趣旨が伝わってるようで幸いです。
自分のツイッターでは色んな人と繋がりすぎていて吐き出せないので、ここで愚痴を言わせてください。
以前は遠征して行っていたものも今は市内から出ることすら許されていません。
行きたいけど仕事も大事だし、公式が生配信やアーカイブも残してくれたりしていて、むしろ遠征費をかけずにそういうのを見ることができてそこそこオタ活を楽しんでいました。
そんな中、ずっと好きだった漫画家さんが個展を開くことになりました。
入場特典は先生が画像をツイッターであげてくれてイラストが見れたからそれで良かったことにしました。
開催一週間前の告知はコロナ禍じゃなくても行けなかったと思うので、なかったことにしようと思いました。
先生の漫画は多忙な日々の癒やしで、それが読めるだけで幸せだと思い込むことにしました。
今後サイン会に行けるようになる日も来るはずだからその日を楽しみにしよう。
そう思っていたのに、許せないことが起きました。
「○日の○時から会場にいます!」と先生がツイートしたのです。
それを見た瞬間、「え?」って思いました。
個展初日に会場に行っていたこと、そこで読者と交流しおそらく手紙などのプレゼントを直接受け取ったことをツイートし、「私も会いたかった」と言った読者がいたようです。
そういった読者を気にかけてわざわざ告知をしたのです。
じゃあそもそも行けない私にはなんの気もかけてくれないの?
おそらく「絶対行きます!」とか「お会いできるのが楽しみです!」とかそういう言葉が並んでるのでしょう。
告知をしたら先生のファン全員が行けると思ってるんでしょうか。
先生は「なかなか読者の方とお会いできないご時世でせっかくなので」とも言っていました。
そんな告知をしたら人が集まると想像できないのでしょうか。
それなのにわざわざ人を集めてもしものことがあったらどうするんでしょう。
こんな時に自ら人を集めてコロナに罹ったとき面倒を見ることになる医療従事者の方の心配をしているんです。
入院したことで私の仕事についての大変さや大切さを少しでも知ってくれたのかと思っていたのに、期待しすぎていたようです。
読者と交流がしたいならツイッターのスペースじゃダメだったのかなあ。
それなら私みたいたな現地に行けない人も先生とお話できたと思うのに。
仕事辞めろとか引っ越せとかそういう意見はこの一年たくさん聞いてきたのでいりません。
ただの八つ当たりだったとしても、私は先生のことが嫌いになりました。
たくさん人が集まるといいですね。
地方公務員をしている。
「こうやった方が効率化できるのでは?」と色々工夫して提案しても
上司から「余計なことしなくていい」「仕事のやり方変えるの面倒くさい」と足蹴にされた。
そのツケでコロナで多忙を極めているが、臨時雇用のアルバイト学生や民間委託の労働者を見てると、すごく気持ちよく働くんだよね
働かない公務員おばさん(おじさん)が多いなと思う。
一応作業はしてるんだけど、その仕事いる?みたいなのが多い。あんまり詳しくかけない。
採用試験だけ必死に頑張って、採用されたらあとは出勤して、ルールを守って、和を乱さなければ年々昇給して、民間がどれだけ不景気でもボーナス貰える。
正直頑張る気なくす。
保育士の仕事は介護士や運送業と同様に立派な仕事だと思うぜ。もっと給与を貰うべき
ただ世間で言われてるよりはフツーに立ち回ってれば給与貰うけどな
でもそのフツーの立ち回りが福祉の仕事につくような優しい人間には難しいことが多いからな
そもそも福祉関係無いサラリーマンだって何故か転職で給与あげられない立ち回りが下手なヤツおるしね
薄給の代名詞の介護士もそこそこ稼いでる人もいるっちゃいるんだけどな
3:理学療法士 兼 介護福祉士 兼 ケアマネージャー
グエー滅されたンゴ
ワイさんはウルトラ・スーパー・ハイパー・ミラクル良い人を自称・自認しているが、
どれだけ自分のことしか考えていない身勝手なトンチキ野郎か思い知らされる聖人。
正しい意味での意識高い系男子。茶々を入れるとしたら多忙な彼の奥さんは大変そうだなぁくらいか。
彼を見ていると自分自身が恥ずかしくなるし羨ましくなる。誰だって人の役に立つ・社会のためになる仕事がしたいよなぁ。
人様のおうちのお財布事情は知らないが、お子さんの持ち物・カッコ見てる限りではそこそこ稼いでるご様子。
やりようによっては稼げるなら介護やりたいなぁって思うが、ワイさん本質的に福祉や介護に向いてないのよね。
性格的にも特性的にも人の話聞かないし、性格的にも特性的にも注意散漫なので。
人の役に立つ意識高い仕事ができないなら、せめて意識高い風の生活は送りたいよね。
誰の役にも立たないけど穴が埋まる感じはする。
コロナウィルスのワクチン接種が日本で始まってから、医療従事者や予約を取った高齢者以外のルートで、自治体の首長や議員、地元の企業の有力者が接種したということがニュースになり、批判をされている。このニュースにおいては大きく分けて以下のような意見が出ていると思っている。
批判派のメインは一つで、ずるをしている、ということだ。権力者と近い人間がその権力を使って、ワクチン接種の列に並ばずに自分だけが利益を得ようとしているというものだ。
もう一方でこのニュースを肯定する意見もある。いくつかあるが、大きくその意見を支えているのが「ワクチンを余らせるべきではない。余るなら別の人が打つべき」ということだ。1本2000円する高額なワクチンを無駄にするわけにはいかないので、余って捨てるぐらいだったら誰かが打つべき、という意見はもっともらしく聞こえる。
ただ、ちょっとここで考えてみた。素人考えなので間違っているところは十二分にあると考えている。どこが間違っているのかを教えてほしいので、どうか上記のニュースに肯定的な意見を持つ医療関係者の意見をいただきたい。
私がワクチンのオペレーションに関して参考にしたのは以下の資料である。厚生労働省とファイザーの情報なので一番正確だろう。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000726454.pdf
https://www.pfizer-covid19-vaccine.jp/#/VaccineTreatmentMethod
余ったから別の人に接種を行う、というオペレーションを想像してみる。厚生労働省の情報によるとファイザーのワクチンは接種日まで超低温冷凍庫に保管されて、当日に冷蔵庫に移される。解凍されたワクチンは5日以内に打たなければならない。その場合余ったとわかるのはいつのタイミングだろうか? 1日100本用意して、その日80本しか使われなければ明日使うという選択肢も用意されているのに。そもそも厚生労働省の資料にある当日に解凍というのを無視して月曜日に金曜日までの1週間分ワクチンを一気に解凍していない限り、余るということが発生するのだろうか?
もう一つ考えてみるのが、接種会場に届くものが解凍済みという場合である。そうすると1日に必要量以上届いてしまった場合は一気に接種をしなければ行けないし、余っているので明日少ない本数送ってきてください、というオペレーションが成り立たないのかもしれない。接種会場に在庫が積み重なるパターンである。しかし、ファイザー推奨の移送手続きによればサテライト会場でもドライアイスによって-60℃の超低温状態が保たれているはずなので、届いた時点で解凍済みというのは正しくないと考えている。通常医薬品の取り扱いというのは厳格なものであり、このオペレーションと異なる方法をとっているとしたら重大事故になるはずである。
では、厳格に運用するとして解凍した当日中に打たなければいけないとする。その場合に余ったとわかるタイミングはいつだろうか。少なくても午後だ。仮に午後3時ぐらいとしよう。予定していた人が会場に来ない。あと2時間で会場は閉まってしまう。このままでは予定の接種を終えることができず解凍したワクチンが無駄になってしまう。
接種会場から取りまとめをしている役所に何本余ると連絡が届く。ワクチンを無駄にしないためにあと2時間で打てる人に会場に来てもらわなくてはいけない。そのときに誰に連絡をする?
最初の連絡先に市長や議員、社長を選ぶ? それらの人は朝から一日の予定が決まっている。その予定をすべてキャンセルして今から2時間以内にどこどこ会場に来なさい、と言うか? そんな人達の予定を調整するのがどれだけ難しいか、社会人として働いた事がある人なら当然知っているはずだ。
では逆に、余ることを前提に市長や議員などの予定をおさえたとする。逆に余らなかったらどうなるか? せっかく開けた予定が無駄になる。それらの人が余るかどうかわからないワクチンのために何日も予定を開けておくのか? そんなことは非現実的である。
もっと言えばファイザーのワクチンは接種後に副反応が発生して、高熱を発症する場合もある。簡単に一日の予定を開けられない市長や社長の翌日も潰れてしまう可能性がある。急いでワクチンを接種して翌日に影響が出たら? そんなリスクを負ってまで急遽仕事の予定をキャンセルして接種に行くのか?
しかし現在報道によれば、多忙な上流階級の人々に対してのみ、余っているので接種できたという情報だけである。ただし、余っていたら接種したというのは上記のようなオペレーションが働かないと成り立たない。
最初に書いてしまったが、市長だの社長だのは余ったから接種されたのではなく、最初から自分たちの分を融通してもらっているはずである。そうでなければ説明がつかないからだ。ただ、医療従事者や予約が取れた高齢者が接種対象となっている現状で、融通してもらうというのはまぎれもなく自分の持つ権力の行使であり、それでは具合が悪いので、一番マトモな言い訳として、余ったから打ったと言っているだけだと思っている。
この結論に対して、上記オペレーションを踏まえた上でぜひ間違っている点についての指摘を求めたい。
これまでのオペレーションの穴があったとして、本当に余ってしまった場合、そのときに誰が打つのかについて考える。
ワクチンが余っているなら誰でもいい、かつ極めて時間制限がある状況下であるならば、一番病院において近くにいる人、医療事務や病院で働く掃除担当のパートの方、医療従事者の家族、病院に出入りしている卸業者などを対象にすることだって選択肢はある。医療従事者の家族がコロナに感染すれば、ワクチンを打っているとはいえ濃厚接触者になるのではないだろうか(ここは自信がないので教えて下さい)。その場その場で判断するなら、どこぞの社長を呼ぶより家族の方がまだ急遽の呼び出しにも対応ができる可能性が高い。
さらに言えば、私は他にも優先的に接種すべきエッセンシャルワーカーがいると考える。インフラに関わるような公務員(水道局やゴミ収集車の職員の方も含む)や高齢者施設の職員、物流系の仕事に従事される方、あるいはスーパーの店員などいくらでも挙げられる。この人達だって市長よりは予定の調整をつけられやすいだろう。
新潟県三条市がワクチンが余った場合は教職員を優先する、と表明して高い評価を得ていた。教職の方々は常に多くの子供達との接点があるし学校でクラスターが起きて学校閉鎖になれば影響度が大きいので正しいと考えている。
権力者のワクチン接種のニュースで肯定する意見として「いずれ打つことになるのだから問題にすべきではない」という意見がある。私はそれを正しいと思わない。この手の話でニュースになるのは議論も合意もなく権力者がワクチンを優先して接種しているという、権力を持っているか、権力に近いかどうかが、ワクチン接種の決め手になっているからである。今はまだすべての医療従事者への接種が終わっていない。彼らが先に接種したことで接種日が数日ずれた人もいるだろう。その数日のズレがコロナ感染の決定打になることもありうるかもしれない。
これからは高齢者への接種が始まる。誰ががその列に割って入ったとして後回しになるのは自分の親や祖父母かもしれない。一人や二人ならいいとなるかもしれないが、昨日セコムの役員が80人分のワクチンを接種したというニュースが流れた。この話がだんだん甘くなってくれば、○○議員の後援会員数百人を優先して、という話になるかもしれない。それによって遅れる人も出てくる。遅れた人は自分が遅れたかどうかに気づくことはないが、それは権力の使い方として正しいのだろうか。今回はワクチンだが、コロナ感染者が入院できる基準が権力の近さによるものだったとしてそれを許容できるのだろうか。ワクチンだからいい、入院はいけない、ということのどこに基準を設けて話をすべきなのだろうか。
以上が素人が考えた意見である。はっきり言ってこういう意見は専門家に語ってほしい。医療系のライターならワクチンが余るのかどうか専門知識によって確認することができるはずだ。社会学者とか政治学者なら権力者が優先されることへの意見をもっとロジカルに説明できるはずだ。新聞社などメディアはただ批判するのではなく、もっと深堀してほしい。もし、専門家がここで説明していたという記事があればそのリンクなどを貼ってもらえると嬉しい。
私としては、こんな素人の意見でどうのこうのはてぶがつくよりもビシッと専門家のみなさんによって議論が深まってくれる方が嬉しいし、この疑問がそういう知性のある人に届いてほしいと思っている。
別に皆に有意義な時間を楽しんで貰おうと思っているわけじゃなく、今の自分の感情を吐き出したいだけなのでこちらの日記に垂れ流す形になる。
何らかの形でこのページに来た方には本当に申し訳なく思う。
特別な仕事の性質とかそういう訳ではなく、(恐らく)皆と同じ社畜とか、そういう類の話である。
休憩も、昼食も取る時間がなく働き続け、会社内を走るように何度も往復し、上司達から思い付きで始めたとしか言いようのない企画を当日から対応しろと言われ、仕事が無駄に積み上げられて、残業しないと到底回らない量なのに残業するなと上司に怒られ、結局こっそりサビ残したり、上司がいない日曜日にこっそり休日出勤(無論サービスである)して、仕事の処理に明け暮れる毎日になっている。
労働時間も毎日11時間以上は働いている中(まぁこの点は割と自分に限らず皆その時間まで残ってたりするので、不公平感は感じないが……文字にすると自分の感覚が狂っているようにも思える)、当然私生活はマトモなものではない。
帰ったら寝るだけ、辛うじて風呂に入ったり洗濯辺りはしているが料理なんてする余力などなく、殆どコンビニ弁当、ウーバーイーツでマックとか頼んだり、外食も食べ慣れたチェーン店ばかり。
休みの日も布団から殆ど出れず、14時間以上横になったまま(睡眠が取れているとは言っていない)で何かする前に夜になっているパターンが殆どで、仕事して帰って寝ての繰り返しで楽しいことやワクワクするようなことは一つもない。
そんな前提があっての話になるのだが今日の昼、普通に休暇が取れた中で髪が伸びていたので流石に散髪に行ったのち、買い物して帰るより外食して帰るかと思い、某チェーン店に向かっていた。
そこは商店街で割と飲み屋系、個人店が多いのだが、酒とか飲まないし何より恋人も友人もいない身、そういうところに行くのは敷居が高い。
大体、そういう人間の外食は全国(県内限定でも可)展開されているチェーン外食店にしか居場所がないのである。
ただ、そんな中でとある店員さんに「ランチどうですか?」と路上で声を掛けれられた。
店の前に立って客引きをされていて、たまたま店の前を横切った私に声を掛けたようだった。
このコロナ禍、客足が遠のくのは仕方ないことだよなぁと思いつつ、店を見ると、モツ鍋やら焼き鳥やらメインの、まさしく夜の居酒屋さんであった。普段から昼を開けているのか、コロナ禍だからランチを始めているのか……それは分からない。
先にも書いたが、私はそんな店に行ける人間ではない。それこそ居酒屋なんて誰かと行くところであって、一人はハードルが高い(私個人の偏見なのは承知である)と思っている。少なくとも、私はそんなハードルをわざわざ越えようとは思わない。
だから、店員さんに誘われた時に出てきた私の第一声が、「あの、自分一人なんですけど……」である。
なんとも馬鹿馬鹿しく情けない返答だったのだが、店員さんは朗らかに「大丈夫ですよー、お一人様のカウンターテーブルもありますし、今ランチタイムで価格の方も~」と答えてくれた。
ぶっちゃけこの時はお断りして、慣れたチェーン店へと向かうことも十分出来たと思う。ただ、まぁ、その時は気まぐれで、そういうの店でもいいか、向こうもお一人様OKって言ってるし。ということで、ホイホイついていくことにした。
店の方は、パッと見だが、個室が2~3つぐらい? カウンター用のテーブルが一直線に続いて10人ぐらいは座れるような長さだったように思う。
ただ、カウンターテーブルと言っても、目の前は厨房とかではなく壁に向かってテーブルが設置されていた。厨房は店の奥側にあるようだった。
当然というかなんというか、人が全然いない。お客は私一人だけだ。これで外食するな、濃厚接触! と文句も言われる筋合いもない。(勿論、アルコール消毒と検温もしている)
ランチメニューを見ると、900円台から1200円台、ランチと考えるなら逸脱して高いわけではない、と思う。もしかすると安いぐらいか?
ただ、この手の店に普段いかないのでオススメのランチはどれですか? と尋ねると、あまりそういう質問が来ないのか、店員さんはオススメメニューというより、普段お客さんがこれこれを頼まれることが多いですねー、という具合の答え方だった。
その中で、せっかく来たんだし頼まれている率も高そうでランチの中で一番高いやつにするか、ということで、1200円ランチのモツ鍋定食をお願いすることにした。モツ鍋ってランチになるんだな……とか思いながら。
そうして待っていると、モツ鍋定食がやってきた。お一人様用の鍋に、ライスに漬物、実にシンプルである。
ライスはお代わり自由ですよー、と言ってくれながら鍋の蓋を店員さんが上げてくれる。
真っ先に目についたのは上に盛られた糸唐辛子。少し輪切りの唐辛子もまぶされて、プリップリのモツが鍋のスープから少し顔を覗かせる。自身の脂身とスープに浸かってやや暗がりの空間の中でも一際輝いているように見えた。
お一人様ように切られた丁度良い長さのニラも色彩の割にサイドに控えて主役はモツの方だと主張を押さえている。
いや、別段コレ自体が特別な料理ではないことは重々承知している。
しているのだが、なんというか、久方ぶりに、料理を食べるという実感が湧いたのだ。
別にチェーン店が悪いとかマクドナルドが低俗だとか、コンビニ弁当がクソなどと貶めているつもりも毛頭ない。
ただ、それらを食べていた自分の認識が、食事としてではなかったことを思い知ったのである。
だから、それを満たすために手近なコンビニ弁当や、部屋から出ること自体が億劫な時はウーバーイーツを利用し、たまに時間の取れた休日にせめて外食しようと思っても手軽なチェーン店の利用。
どれも見慣れて、寧ろ飽きているぐらいで、けれど他に目移りする余裕もなく、朝はコンビニで適当なおにぎりを買って車を運転しながら食べ、昼は食べれずに帰ってクタクタになりながら適当なコンビニ弁当、たまにウーバー。そんな日の繰り返し。
そんな中で気まぐれでやってきた店で『料理』を出されて、私が今まで食べていたのは食事ではなく、餌だったと思ってしまったのだ。
先も言ったが、それらが餌だという意味ではない。自分の認識として、今まで食べていたのは料理という食事ではなかったと言いたいのだ。
だって、料理って食べたいものがあって作ったり(或いはそういう店に行ったり)、逆に(例えば親が作った)食べたくない料理を出されても、我慢して食べるようなものが食事だったり料理だったりするわけで。
自分の中での感情が全く動かない、空腹だからそれを満たすためにメシというのは、料理ではなく餌でしかないように思う。
たまたま、その餌を取る手段として手軽だったのが自分にとって、コンビニ弁当とかだったりしたわけだ。
だから、なんというか。確かに気まぐれで来た店で何気なく選んだメニューでも、目の前に料理が来た時に、猛烈に今から食事をするんだという感情が沸いてきたのだ。(逆説的に今までのは餌だったのか……と実感したわけだ)
だから、久々に食事を堪能したわけだが、まぁ、美味しかった。鍋を食べるということ自体が久々だったし、熱々の料理を食べることもある意味久々だったように思う。
無料でデザートもつきますよーと言われ5種類ぐらいから一つ選べるらしい(基本サービスという感じではなさそうだったので、この辺もコロナで在庫が捌けないとかの理由があったりするのだろうか?)ので、遠慮なく一つ選び、その代わりというのも変だが、(まだお腹空いていたし)串ものを5本ぐらい追加でお願いした。
程々に満腹になった頃には支払いは2000円に届きそうな金額だったが、些末な問題である。久々に食事を楽しませてもらったのだから、うん、本当に楽しんだと思う。
ただ、結局私が来ている内に別のお客さんが入ってくることはなかった。潰れないと良いが、と祈るばかりである。
それが今日の、13時ぐらいの出来事だ。だから、まだこの熱は収まっていない。だから、今日は久々に夕食は自分で作ろうかと思っている。
これでも多忙を極める前は、きちんと料理していたし弁当だって作っていたのだ。ココ最近は本当に忙しくて無理だったが。
でも、やっぱり食事はいい。食事がいい。慣れていて食べれたら良いだけの餌なのは嫌だと痛感した。
久々に心が躍る。
さぁ、夕食は何にしようか。
一年ちょっとの間だがパワハラ上司の元で働いてきた。暴力はないが、例えばミスをして原因を追求され説明すると必ず「本当に自分の頭で考えてる?ちゃんと考えて仕事したらミスなんて起こさないよね?」と詰められたりしていた。
そんな上司に怯える人も多く、私もその一人だった。通勤の電車で泣くことも多々あった。
そんな上司に耐えてたけど結局クビになり、今別の職場で働いてるが、これがもう天国みたいで驚いている。
■挨拶が返ってくる
それもあって自分から挨拶しなくなったくらいだ。今の職場は挨拶する前に挨拶してくれる。当たり前のことだけど感動してしまった。
■質問しても不機嫌にならない
前職では入社してすぐでも「質問する前に調べてくれない?人の工数を奪ってることを意識して」と言われていた。
そんな職場だから誰もわからないことを聞かないし、わからないことをそのままにしてミスが多発していたのだが。
今の職場では「わからないことは積極的に聞いて欲しい」とすら言われるから驚きだ。
「そんなのこの業界にいるんだから知ってるよ!」って内容も含めてマンツーマンで丁寧に教えてくれる。ただただ感謝しかない。
■雑談がある
雑談なんてしたら殺されそうだったから話せなかったけど、今は雑談ができる。すごい。
前は一緒に働いてる人が未婚か既婚かも知らないほど関係が希薄だったから。
■話が通じる
前は忙しすぎて頭が回ってないのか、説明しても話が通じていないことが多々あった。
ありがたい。
こういう職場で働いてるからか、前の職場でやらかしていたケアレスミスがなくなった。
確認してるのに間違えてる〜なんてこともかなり少なくなって、仕事もやりやすい。
多少のやりがいはあるし、なかなか楽しく働いている。
ただ、前の職場が職場だったので、若干抜けきれてないところもある。仕事中の雑談に若干怯えてしまうし、小さいミスでも怖くてしつこく確認したり、少しのことでも平謝りしてしまう。
前みたいにミスをしても反省文を書かされたりミーティングで嫌味を言われることもないんだけど、完全に癖になってしまってるんだろう。
徐々に今の職場に慣れていきたいな。
明日も頑張ろ。
付き合って3年、同棲して1年になるのでそろそろ結婚しようとプロポーズの準備をしているときにコロナが来た。
俺の仕事が全て吹き飛び、彼女が多忙になったことで結婚の話はあまりしなくなった。
それでもお互いに希望を持って生活してこれていた。コロナが収まったら結婚しよう、という意思疎通があったから。
俺の仕事はなくなったけど、二人いっぺんに吹き飛ばなくてよかったね、という話をしていた。
去年は上手く行っていた。
専業主夫の俺と、外で戦う彼女。俺は設営系でいろいろ作るのは得意だったので、マスク作ったりDIYしたりしてた。
設営系の仕事なんて全くないし、このご時世に新たに人を雇おうとする会社もない。
俺があれこれ歩き回ってコロナを持ち帰るのもよくないだろうと、とにかく裏方に徹していた。
あれこれ理由を付けていても、結局俺は無職の男なのだ。「自分が大変なのにこいつは何もやってない」とも思ったろう。
今年に入り、オリンピックの有償ボランティア募集などの話があると「応募すれば?」と言ってくるようになった。
あぁ、これは、俺の存在がストレスになってるんだな、と思った。
ごく小さな仕事は入ってくるようになってはいたのだが、以前とは程遠い。
それに現場でも、知り合いにコロナが出た、などの話をしばしば聞くようになっていた。正直怖かった。
大規模な仕事は怖かった。
良かった、と思った。
これで俺も仕事に出られる、そう安堵したとき、なんとオリンピックの仕事が入ってきた。
オリンピックにはもううんざりしていたので、かなり複雑な気持ちだったのだが、金は非常に魅力的だった。大金だった。
あぁ、こうしてオリンピックはやめられなくなるのだなと思いながら、仕事は請けた。
彼女を苦しめているのはオリンピック周辺のゴタゴタなので、彼女にどう伝えようか迷った。
去年だったら、「国から金を少しでも取り返してくる」みたいな感じで勢いよく言えたのだが、最近の彼女の俺への当たりは非常にキツい。
ワクチンの驕りというわけでもないだろうが、何かが変わってしまったのだろう。
俺への不満、仕事への不安、政府への不信、いろいろあって、表出したのだろう。
彼女に仕事を受けたと伝えると、「まぁ、感染しないように頑張って。ウチ(病院)もう限界だから」とだけ言われた。
仕方のないことか。
ワクチンを一緒に受けられたら、また違ったのかもしれないが。
去年のうちに何でもいいから働きに出るべきだったのか。
部屋も探して、引っ越さねばならなくなるだろう。
もう疲れた。
金が必要だ。
すまんな。
https://uma-furusato.com/info/entry-57977.html
最近、直接牧場の電話番号を調べに見学問い合わせの連絡をされている方がおり牧場さん大変迷惑していると耳にしております。現在牧場さんは繁殖シーズンのため多忙な時期であり、見学中止とされている牧場が多くございます。
このようなことが続くと今後一切の見学中止という状況になることもございますので、見学問い合わせは牧場には直接連絡は行わなず、必ずふるさと案内所にお問い合わせくださいますようお願いいたします。
ttps://twitter.com/versailles_farm/status/1390847500383227905?s=21
【お願い】
我
多忙な日々だった。
1日の勤務は所定で8~6時間だけど、超絶な詰め込みの仕事だった。
完全に、常勤と同じ働き方だった。
ちなみに、私以外の職員はエンジニアでない常勤職員が多かったけど、ほぼ定時に帰っていた。
最初は定時で帰れていた。
自分自身の生き方として、私は病気になった家族と一緒に過ごしたかった。
それに、多少は前職の製造業(IT事業がメインだったが)で貯蓄を作れていた。
裕福では全然ないけど。
人間関係は悪くなかった。
どちらかと言えば、上司・同僚も良い人たちだったと思う。
工数の概念はないし、納期ものんびりペースで調整させてもらうことができた。
開発の経験もあったし、Excelは当然のこと、AccessもVBAもSQLも余裕中の余裕だから、現場の仕事では人気になれた。
だから、常勤職員が絶対にやりたがらない電話対応とか、ヘルプデスク対応も、進んで自分からやった。
最初は定時で帰れるように他部署と調整しつつも、上司に提案したりして、新しい仕事も掴みとっていった。
でも、どんどん苦痛になっていった。
非常勤は基本的に雑用ばかりを押しつけられ、楽しそうなやりがいのある仕事は全部常勤職員が取っていくからだ。
でも、仕事の量はどんどん増やされていく。
「残業をつけずに働いたほうが働きやすいよ」とか、「ここの職場では常勤職員と同じように働いても大丈夫なんだよ」とか、
暗に、常勤職員並みにに働くことを求められたことは頻繁にある。
あと、信じられないことも言われた。
「常勤職員並みに働かないと、来期の契約は結ばない可能性がある」
だって。
情報システム部門の管理職(部長・室長)は、現場の仕事の実態を何も理解していなかった。
これが大きな問題だった。
管理職に、システムの実務を経験したことのあ職員が皆無だったのだ。
職員のスキルの実態については、自分以外は誰もAccessさえまともに使えなかった。
Accessを起動してテーブルを参照できるレベルの職員のことを、上司は「Accessができる」と高評価していた。
Accessが使えればSQLも自動的に理解できる、それくらい簡単なのだと言っていた。
バカかよ。
私とは別に委託業者もいて、ヘルプデスクは基本的には業者が対応していた。
私が辞めたあとは、全部そちらに丸投げするらしい。
ヒラの職員からは、「いなくなったら職場が大変になるね」と言われた。
「下の人間がやる仕事」、「外注に回す仕事」と思っているらしい。
SESを馬鹿にするわけではないが、ヘルプデスクに技術的対応ができるSEなんて、ほぼいないのが現実なんだけどな。
上は、ITの実務・現場対応に関しては、「自分たちの仕事ではない」という意識らしいのだ。
辞めた後、私の個人携帯にはヘルプデスクの外注業者の方から、度々、「教えてほしい」のメールが来る。
でも、自分もそうだったのだ。
私は、これでも、やりがいを持って働いていたんだ。
最初はね。