はてなキーワード: 医者と患者とは
ずっとソフトウエアエンジニアで飯食っていたのですが、2021年4月からIT系専門学校の教員を3年間やってきました。
始めるうえでやって良かったこと。逆にがっかりしたことを書こうと思います。
いずれちゃんと書くつもりだったのですが、途中で飽きてしまったのでwとりあえず下書きっぽいのを投げてます。
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教員になってすぐに、理事長含むお偉方の前で模擬授業をやったのですが、そこでの理事長の評価がとても良かったそうです。私がいないところで褒められたので、どこが良かったのかわからないのですが、模擬授業中の他教員からのフィードバックでは、「常に教室中を見回して聞き手のことを見ている」「適当な時間に質問タイムを入れている」などをいただきました。この辺りは説明やプレゼンを数多くこなしていれば普通に対応できると思います。どちらかというと、「初手で理事長に好印象付けに成功した」が大きかったと思います。
とりあえず、なんとかなりそうだとの感触を持ちました。
さて、私は大卒で専門学校のことも知らないし教員歴もありません。
なので、経験のある社員教育(OJT)をベースに、不具合があったところを修正する、という方針で臨みました。
②課題解決のための材料の提供のみ行い、課題解決は自身で行なってもらう。こちらが全てお膳立てして、こちらの想定に沿った解決策の提示を行なってもらっているので、まだ自立しているとは言えないが、本人は自分の努力で解決したという自意識を持っている。
③「なぜこの課題を解決すべきなのか」という問題提起のみ行い、解決のためのリソースを入手するところから自力でやってもらう。これができるようになると、こちらの想定を超えた課題解決を行うことがあり、仕事を任せることができる。
こちらをベースに、不具合のあるところをアレンジする方針で臨みました。
基本方針は
①専門知識は全て教員が持ち、必要な情報を全て提供する「教師と生徒(≠学生)の関係」
②体調が悪い時には自ら病院に通い、専門技術を持った医者の医療サービスを受けるような「医者と患者の関係」
③RPGの「武器屋」のように、自ら魔王は倒さないけど、各自に合った良い武器の選び方、武器の使い方は教える「勇者と武器屋の関係」
③だけちょっと表現が違いますが、これが1番学生に通じやすかったんです。
また、学生は「さん」づけで呼びました。TPOによっては呼び捨てもしますが、「あの子」のような「子」とは呼びませんでした。「あの子呼ばわり」というとネガティブな印象の方が私には強いので。
基本的に学生との接触回数・接触時間を増やすことで、学生からの好感度・信頼度は上がります(人によって上昇率に差はあるにせよ)
朝早くから在室しているメンバーは固定されがちですが、まずは少数の学生であっても、良い評判を勝ち取り、口コミで他の学生評判が広がってくれれば良いと考えました。
これはずっと続けたかったのですが、特に3年目は仕事が忙しく、時間ギリギリに通勤するのがやっとだったので中断してしまったのが残念です。
専門学校が大学と違うところの一つが、専門学校にはゼミ・研究室がないことです。
コロナ禍でオンライン登校が多かったせいもあると思いますが、学生同士のつながりが希薄です。クラブ活動も全面ストップだったので、クラス外の学生、学年を跨いだ学生同士の連携はほとんどないように感じました。
大学だと、学生が何かわからないことがあれば、まず同じ研究室生・同級生に、次に先輩に質問し、それでもわからなければ教員に聞きにくると思うのですが、専門学校だと、割と軽微な質問まで教員にきます。もちろん困っている学生がせっかく相談に来てくれたのだからそのつながりは大事にしますが、教員に聞きにくるまでに捨てられた無数の質問もあったんだろうなと思いましたので、そちらをなんとかしたいと考えました。
こんな便利なツールがあるよ。よかったら授業で使ってください。という「紹介」をしました。
細かい使い方までは言わなかったのですが、特にグループワークで学生が自主的に使ってくれました。
特に人気があったのはMiro(ブレインストーミングやカンバンなど)、Figma(アプリのデザインなど)、Notion(技術共有などWiki的な使い方)などです。どれも複数人の同時編集機能があるので、グループワークで使うのに相性が良かったようです。
ツールの使い方、どんな図面・ドキュメントを書くかなど、学生同士が細かく相談したり、あるチームの成果を別のチームで紹介したり等、学生が自主的に動いてくれました。
統制が取れた、良いチームワークができたと思っています。
統制とは(辞書に載っている意味とは違うかもしれませんが)個人が自主的に別の個人やチームに共感し、自主的にその方針に従っている状態が保たれている時、「統制が取れている」と言う言い方を、私はします。
フォローアーシップが十分に発揮されている状態、と思って頂ければと。
1年目は登校授業が週1に制限されていたので、放課後の学生居残りまで発想が及ばなかったのですが、「夏休み中に登校して、学校で基本情報の勉強をしたい」との学生の申し出があったのでいろいろ調べたところ、前日までに登校計画書を提出すれば対応可能だとわかりました。計画書さえ出せば毎日登校でも良いそうです。その後、通常授業の日も事前に学生名などを届けることで教室が使えることになったので、できるだけ学生を呼ぶようにしました。
卒業の1年以上前に内定を取る学生もいますので、彼らに未内定学生のフォローを手伝ってもらいました。
「面接でどんな質問があるか」等、最新の就活事情は私もわかりませんし、その辺の情報は学生が1番詳しいです。
教員や就活支援担当のいうことより、同年代の学生の経験談の方が、説得力もありますし、学生も真剣に聞いてくれます。
さらには、就活フォローの名目で、学生との1on1に当てていました。
「自己PRのネタ探し」などの名目で、学生の経験などをかなり詳しく聞くことができます。普段なかなか聞けない「みんなより1学年上なのはなぜ?」などの質問もできますので、私にとっては貴重な時間です。
私は座学をほとんど受け持たず、実技メインの授業でした。
実技メインなのは助かりました。
技術者として他の人に指導なり水平展開するのと、基本的に同じやり方が取れるからです。
技術リーダーの仕事は「自身のスキルを持って、他の技術者の成果を向上させる」です。それは教員でもほとんど同じです。
受け持ちも3、4年生なので、2年以上プログラミングを学んだ人たちです。ずぶの素人集団ではありません。
特にグループワークの授業では「チームがより良い成果を出すためには、チームメンバーの技術、知識、経験をフルに生かすこと」を命題に、かつて学んだCrew Resource Managementの技術をベース(CRM自体を学生に学んで欲しいわけではないので)に、Psychological SafetyやHealthy Conflictの考え方を交えた取り組みを行いました。
引き継いだシラバスから、デザイン思考を用いた企画発案、スクラムによるアプリ開発を重点に、他の部分は極力削ぎ落としたり簡単に取り上げるだけにしたのも良かったと思います。
実際の授業では、先に挙げた通り学生同士の教え合いを活発化させることをメインに、こまめに学生の机の間を回って、学生から質問なり、ただの雑談があったときにすぐに話ができるようにしていました。
このあたりは、工夫というほどではないですね。
専門学校は1コマが50分しかないので、途中で集中力が切れてしまったら、時間内の回復は難しいです。
なので、できるだけ授業を止めない。たとえばあるチームの質問を他のチームにも展開したいと思った時には、その場で一旦授業を止めるのではなく次のコマの開始時にまとめて話をするようにしました。
逆に、これは50分持たないな、と思った時には、あえて中間に5分ほどアイスブレイクを入れることもあります。
この辺り、授業進行・クラス運営は技術ではなくアートだなと強く感じました。
基本的には「中間層の学生をメインに授業設計する」「よりできる学生は本人の自主性・成長力に期待する」「それ以外の学生は個別対応」で対応しました。クラスに40名以上もいると、全員個別対応はできませんので・
ただ、できる学生だからと放っておいてもいいわけではない。常に気を配っている姿勢を見せつづけないといけない。
で、そういう学生には「こちらからお願いごとをする」機会をできるだけ作るようにしました。
直近2年連続で学年総代を私のクラスから輩出させていただいたのですが、彼(女)らは、4月の時点では特に目立って他学生への気配り・目配りができるタイプではなかったです(仲間内では人気がある学生でしたが)。「総代候補」の学生数人を中心にこちらからお願い事を増やし「ありがとう」という感謝の意を伝えるようにしました。
結局、総代になった学生は、私から最もお礼を言った学生になりました。
総代になる学生は、何か具合の悪いことが起こった時に逃げたしだりやる気を失ったりせず、問題解決しようとするか、少なくともテンションが大幅に下がることがないですね。そういう「胆力」がある学生が結果的に総代になってくれて、個人的にはうれしかったです。
高校時代の出席率が良くない学生は、(高校の入試偏差値が高くても)成績がよくないケースが多いです。高校時代の出席率は入試担当部門に行けば見せてもらえるので(そのことを知ったのは教員やって1年以上経ったころでしたが)、予め当たりをつけることができました。
ちなみに今は高校時代の成績、出席率は教務担当はオンラインで見られます。なぜか国語の成績はシステムに入ってないので、そちらは相変わらず見に行かないといけないのですが。
人数はそう多くないのですが、高卒資格で入学してくる学生は、これらの情報がありません。学生のコミュ力は結構な差があって一概にいえないのですが、教員含む大人との駆け引きは苦手な学生が多い印象です。つまり、就活が大変になるということです。
調子の良くない学生の典型例として心療内科の受診経験者も結構いたのですが、教員にも隠していることが多く、引き継ぎにも書かれていないケースや、本人から他教員に言わないで欲しいという申し出もたまにあります。
私の場合、心療内科受診を勧めた学生に受診歴なしの学生はいなかったのですが(受診歴あるのに本人から申告されるまで気づかなかった学生はいます。)こういう対応ができる教員はそう多くないので、学生が隠したがる一員になっていると考えています。
対処法は学生による、としか言いようがないですね。学生むけの無料相談室を勧めるところまでは共通ですが。
前年度の担任から、「特に問題点はない素直な学生だが成績は良くない」という引き継ぎを受けた学生が、実は大人を騙すことになんのためらいも無い人物だったことがありました。私などからすると「こんな単純なウソが大人に通用すると本気で思っているのか?」と思える幼稚な対応でしたので、すぐに保護者連絡を取って(当然保護者は気づいていますので)、保護者・担任の連携が強固に取れていることをアピールすると、少なくともウソが通用しないことは気づきます。基本的には保護者から「先生、なんとか卒業だけはさせてください」という言質を取って、とっとと卒業してもらう、というスタンスです。
やたら素っ気ない態度と、1年の時から比較して成績が急降下していた学生がいたのですが、彼女の友人から「父親と決定的に仲が悪く、そのためか年長男性に心を開かない」ことを教えてもらうまでは、全くとりつく島がなく、苦労した学生がいました。会話が成立するようになってからも、特に強い言葉を使ったつもりもないのに学校に来なくなってしまうことが時々あったのですがなんとか就職も決まり、今は元気にやっている様子です。
出席率・単位が不足する学生には補習を受けてもらうのですが、私を含めごく少数の教員は「他の人よりちょっと多く学校に来てもらうことになったけど、これが終われば進級・卒業できるんだから、あとちょっとだけがんばろう」というスタンスでした。補習が終わり「これで卒業決定です。4月からは新社会人として頑張ってください」というと、学生自ら反省とか決意とかを言ってくれるので、こちらはそれを信じて送り出します、
一方で補習中ずっと説教モードの教員も多く、聞いているこちらがうんざりしました。説教しない教員同士で「学生はすでに十分反省しているのに、なんでまだ怒るんでしょうね」とヒソヒソ話をしてたものです。
事前に全く想定していませんでした。
私自身、大学どころか、高校、中学の先生と両親が面談をやっていた記憶がありません。
とりあえず
「できるだけエビデンスを揃える」
で臨みました。
成績の良くない学生・就職を控えている学生の保護者との面談は特に重要です。
「もうすぐ社会人なのだから、自分で決断・行動してほしい。先生にお尻を叩かれてから行動を起こすようでは困る」という保護者は多い、というか、ほぼ全員です。こちらももとよりそのつもりです。
単純に放置する保護者も多いのですが、「1人前になるのはゴールではなくスタートですよね?1人前の人間としての能力を持ったら、その力をどう使うべきでしょう?困っている人を助けるのも、力の使い方のひとつと思います」などと偉そうなことを言って、保護者連携を強化しました。
最新の就職事情がわからない。自身はIT系の人間ではないので、どういう支援をしたら良いのかわからない、という保護者の方には、過去の学生の活動事例、本校学生の就職先、勤務地などの資料をもとに、説明を繰り返しました。
大学の就活に関する情報はネットにたくさんありますが、専門学校生に特化した情報は意外とありません。それはこちらも同じなのですが、「ここは大学生とほぼ同じ。ここは事情が違う」という情報を集めてご報告しました。
「先生と会ってどんな話をしたらいいのかと思っていたが、お話できてよかったです」というメールをいただいた時にはホッとしました。
1. とにかく忙しい。
去年の3月末で辞めた教員の補充しなかったため、仕事が山積みになった
その前年にもベテラン2名が辞めていたので、土日も休めない状況になった。
2.やることがなくなってしまった
2年目で数値化できる数値はほぼずべて学年トップ。場合によってはIT学科トップや全校でも2、3番手などになってしまい、さらに上を目指すものがなくなった
校長など経営陣の意向を取り違える。他の学科長と連携しないなど、独自路線を突っ走る。かといって学科の取りまとめもやらないので、成果の出ない(クラス数激減)学科になった。
4. 他教員と話が合わない
4年ではスクラム開発を取り上げるのですが、4年担任はよくいえばスクラムガイドに忠実。悪くいえば批判的精神がない、なぜこういうルールになったのかまで考えが至らないタイプでした。
スクラムガイドには、チームは「10名以下」と明記されているのですが、チーム開発経験の乏しい学生にこの人数は多すぎです。
実際、成果を出したチームは4人チームが最も多かったのですが、ずっと多人数チームに固執し続けていました。
4年生は当然実力はあるのですが、それに見合った成果が出ませんでした
5.他教員が働かない
2、3名で案内をしていたのですが、体が不自由そうな保護者の方をエレベーターに誘導したり、 Permalink | 記事への反応(2) | 13:20
節操なくハラスメントっぽいものすべてに名前を付けた結果、○○○○ハラスメントが大量発生しているわけだが、○○○○をその場の思いつきで作っているせいで命名の一貫性がまったくない。
これを機に、○○○○を命名の種類の観点から分類しておこうと思う。
なお○○○○は、2023年9月13日現在のWikipedia「嫌がらせ」から。
心の傷は浅いうちに、病院に行った方がよいのかもしれない。
長期間、重く積み重なって煮込まれていくほど、どんどん人に簡単に話すことは難しくなっていく。
なんとかふんばっていてもとうとう限界がきて、なんとか、どうにか、すがりつくような思いで、病院に行ったとき、病院の現実をみる。
医者もその人を本当に助けようと親身になってくれるわけじゃない。初診は少し時間をとって話をきいてくれるけど、本当にその人の話をきいて解決につなげようと親身にきいてくれるわけじゃない。長年に渡った辛いこと、もうどう話せばよいか、どこから話せばよいかもわからなくても特にそこには深入りしない。基本は状況はどうか、食べれてるか、眠れてるか、状態をきいて薬をだすだけ。医者の身になってみれば当然のことだ。仕事で時間も限られるし、患者はどんどんくるし、一人に割けるリソースはわずかだ。
そんな状況で患者の状況や痛みも理解できないし、対話の中でむしろ傷つけることを言ってくる(人による)。客観的にみれば当然だししかたがない。初めて会って少し話しただけの人のことをそこまで理解できないし、また、いろんな種類の苦労、痛み、また人の性格もある中でしゅんざに全て理解してその人に的確な打ち返しができるわけがないのだ。これは医者と患者の相性もあるだろう。
そのあと、カウンセリングに行ってみた。なるほど、話を聞くプロなのだと思った。自分ではどう話してよいかわからないところ、的確に質問して引き出してくれる。カウンセリングの技術があるのだと思った。ただ、今思えば非常に相性が悪かったのかもしれない。人間の性格的な相性というより、バックグラウンド的な。自分の話に対して「普通は〇〇で辛いのに、あなたは△△で辛いなんて変だ、変わってるね」と笑われた。そもそもこういう状況が長く続く状況で△△は辛いのだということが理解できないのだ。
でも、カウンセラーに話して客観的にそれに対するコメントをもらう、それは、自分の中にある傷を開いて次に進むことにつながると思った。だから、少し気が進まないような気はしたが2週間後に同じカウンセラーの元を訪れた。カウンセラーはメモをみた。前回のときの話のメモが書かれているのだろう。「増田さんは、××で〜〜だったんでしたね」全然違う。断片はあってる、メモされてた単語は合ってるんだろう。でも、前回いったことの正反対じゃないですか。そうですよね、覚えてないですよね。私にとってはあなたとのカウセリングは2週間での一番のビッグイベントだったし、今回もこれでよくなるようにしていきたいってとても重要に考えていたんです。でも、カウンセラーの方からしたら、日々たくさんこなすカウンセリングの一つで2週間前のカウンセリングの一つの内容なんて覚えてないですよ。仕事だし。それでがっくりして、その後は行かなくなってしまった。
もう6,7年前の話だけど、少し思い出したので。
医者もカウンセラーも人間だし、あんまり期待してもだめだね。ただ、病院は投薬だけじゃなくて、もう少しカウンセリング的な治療にも力入れた方がよいんじゃないか、大変だけど投薬は根本の治療にならない。
Twitterで広がってるタグは「婦人科医療に保険適用での麻酔処置を」だけど、内容的には「あまりにも痛みがある/身体に負担がある検査を、検査の必要性/検査のやり方/痛みを減らす方法についての説明/提案不十分のまま行い、患者が痛がっても"痛いなんて言うのはごく一部""出産と比べたらこんなの痛いうちに入らない""普段セックスしてるのに痛いの?"などと取り合わない医者が多いんだがどうすりゃええねん」というものなんだよね……
だからたぶん、「#女性の痛みを軽視しないで」のタグの方が広まってたら、麻酔科医の増田も苛つかなかったのかなとは思う
(ただ婦人科医療~の方が具体的っちゃ具体的だし、婦人科医の人から"感情的に騒いでる"と言われたのがあったからか、こっちのタグはあまり広がってないイメージ)
(あまりに痛くて家族を呼んだ、タクシー呼んだという話があった)
・麻酔などの選択肢があるなら、事前にメリットデメリットを説明した上で提案する
(医者と患者の間にカーテンがあるので、何されてるか見えない不安がある)
麻酔が無理そうなら麻酔じゃなくてもいいので痛いのなんとかしてくれ、せめて暴言吐かずに「すみません、なるべく痛くないように頑張りますんで」ぐらいの態度でやってくれ
【追記】
・麻酔科医の増田とか、保険収載を教えてくれたコメント増田とか、すごくありがたい意見ですわ
こっちは素人だから有識者が意見くれたら適宜主張も変えていくし、例えば麻酔科医がマンパワー足りんから待遇の改善主張してって言ってたら主張/支援していくと思うよ
医者の方はできれば、素人をバカにする方向ではなく(そういう医者のツイートがあった)、なぜ出来ないのかとか今の制度でできるものはないかとかどうやったら実現可能なようになるかを説明してくれたら助かりますわ……というか最初のは診察でちゃんと説明して……
・どの科でも起こりうるよね?という考えと、産婦人科に顕著なのではないか?という考えって特に矛盾しなくないか?
ドクハラもwiki見たけど産婦人科の記述多めじゃない……?(wikiだからかもだけど)
違う科とで比較しない方が良かったら、他の国の産婦人科の対応と比較してるツイートもあるのでタグ見てみてくださいな
あと、「女性は男性より痛みに強い」という通説が蔓延してることもあり、女性だけ(ここでは男女の比較のために女性だけと書いてしまうけど)がかかる科では特に痛みを軽視されやすいのでは?と考えています
あのページで表現されているのは「神崎のクライアント=カナメの要求レベルが並外れて高い」ということ(と神崎の学内におけるヒエラルキーの高さ※)である。それをどう読めば東京芸大の学生の方がクライアントより力関係が上という話になるのか。
カナメの要求レベルが並外れて高いのは、それだけ神崎さんの持つスキルを「自分達にはないもの」として高く高く見積もっているからで、それを頼んで受け取る=工程として下流であるカナメたちのほうが「依頼する」という視点では下の立場かと読んだ。
……とここまで書いて思ったんだけど、私は、「専門知識を提供する側と、それを受け取って使う側」の勾配として、専門知識を提供する側を上流と置いてるかもしんないな。
例えば、医者と患者だったら医者が上流ではあるべきじゃんか。力の関係に限れば患者が上という見方も当然ありうるけど(クソ医者の治療から逃げたりとか)、専門分野における構図としてはやっぱ医者が上流だと思うし。そんな感じで、デザイン専門の神崎さんと、それが欲しいカナメさんでは、神崎さんが上流だという目で読んでたわ。
同時に、神崎さんの苦闘のシーンが学内の図書館であるのは、「カナメたちが持っていないもの」を表現する補助線として、「現役芸大生の利用できる設備・環境」を登場させる意図があったんだと思っている。「カナメたちの会社内にあるもの」の範囲ではダメで、カナメたちが持っていない、アクセスできないところの知識や技術まで総動員して、ようやくカナメの高い要求に応えていると。
乳腺外科や婦人科であれば確かにおっぱいを触ったり下の方に検査器具を突っ込んだりすることはできるが、相手の顔や年齢やスタイルを選り好みできるわけではないし、婦人科検診ではおおむね医者と患者の間にカーテンが引かれて顔が見えないようになっている。
乳ガン検診や婦人科検診はだいたい35歳以上から受診必須になるので、増田が期待しているような若くて可愛くてスタイルのいい女の子なんてほとんど来ないと思った方が良いと思う。
温泉の脱衣場(女湯)だってグラビアアイドルみたいなスタイルの女はほとんどおらず、どちらかといえば乳の垂れた老女の方が多い。
男はこの手の話題となると自分の理想とする女だけを想定して妄想を繰り広げるが、だいたい見放題、触り放題となる女は女性としてのピークを越えた人が多いので、逆に金でももらわないとやってられない仕事だと思う。
https://twitter.com/executivedoctor/status/1142295896765296641
TVを見て薬を拒否するのは治療拒否なのだから、リスク・転帰を説明して診療終了でいい。
(そのときには家族や看護師、薬剤師などが同席するのが望ましい)
だいたいは「何かあったらお医者さんがなんとかしてくれる」って思ってるから気軽に治療方針に従わないのであって
手遅れになってから「なんで先生あの時もっと強く言ってくれなかったの」と言い出しかねない。
そんな人間に時間を使うより他の人に時間を使えばもっとたくさんの人を救える。
そして、医者と患者の治療方針が合わないのに診察を続けるのは無責任である。
いくら患者が医師の指示に従わないからと言っても、診察している以上は医師の責任で治療しているのと同じようなものである。
治療がなされていない以上は入院させて医師や看護師の監督の元で治療を行うか、診察を終了させて治療は行われていないことをはっきりさせるべきである。
感情を文字に起こしたくなったで匿名ダイアリーに頼ろうと思う。
仕事しんどいな。ちょっと疲れてしまった。こんなのわがままなんだけどさ。
朝起きて最初に目にしたものが上司からのラインで、今日の午前中に資料作って送ってくれってやつで、すごく嫌になってしまって複数課されたタスクを何一つ消化しないまま夜8時半になってしまった。
実際の締切はまだだけど、上司から言われていた締切を守れていなかったので100%こっちが悪いんだけどさ。
残業という概念がない業界だから、この業界では私が間違っているのだけれど、3連休の中日に仕事の連絡しないでくれないかな。
金曜の夜は職場泊まって仮眠取ってから仕事して始発前に帰ってきた。
帰宅して少し寝て風呂入って身支度して、3連休初日は法事で遠出してて、帰って来てから出勤して資料作って夜に送った。
倒れるみたいに寝て、日曜朝6時にぱちって目が覚めていちばん最初に上司のラインみて、もう感情は湧かなかった。
こんなのでしんどくなってたらだめだって言われたし、しんどいときは逆にチャンスなんだよって言われるけど、あなたたちがそれを言うのはどうなのかな。それは私が言うことであって、周りが、しんどくさせてる張本人たちが言うことでは無いように思うけれど、甘ったれたゆとり世代だからよく分からない。世代を出すのも言い訳だね。
昔の自分の尻拭いでしんどくなってるので、完全なる自業自得なのは分かっているんだ。
日中にできないから、残業して作るべきだった。分かってる。7時に出勤して21時に仕事が終わっても、それはそれでこれはこれなんでしょ。食事ができなくなっても、眠れなくなっても、抗鬱薬が倍量になっても、それはそれでこれはこれだ。
バカだけど医者だから、振り返って考えて、自分の状態がやや鬱に傾いていたことは分かるよ。だけど、プライド高くてバカだから、「つらいです」の一言が言えないんだ。大昔、自分が患者だったときに医者の一言で状態が一気に悪くなったことがあって、その時に医者って生き物のことが心底嫌になったことがある。小娘ひとり治せないどころか悪化させるんだな、あなたたちの言葉がどれだけ他人を抉るか分かっていないんだなって、若気の至りで職種全体を見限るのには十分なインパクトだったよ。
色々なしがらみと金銭的な問題で結局自分もあれだけ嫌っていた医者になってしまったけど、こうなるなら早々に死んでおけばよかったと思うこともある。医者がしんどくなってはいけないとは言わないけど、しんどくなって止まってたら人が死ぬ。自分のせいで死んだ患者が1人いるなら、その代わりに1000人救えと言われた。学生時代、医者の不勉強は罪と言われた。医者は泣くなと言われた。どの言葉も、嫌味なくすべてその通りだと思う。でも、その言葉がずっとこっちを殺してくる。つらい人、大変な人、しんどい人が駆け込み寺みたいに病院に来るなら、全員助けたいと思うよ。それができる資格がある。応召義務とかノブレス・オブリージュとかとは言わないけど、持っている能力や資格は正しく還元すべきだ。だからこそ、それができなくて自分のことしか考えられないのであれば死んでしまえばいいと思うのだ。医者と患者の気持ちの重さが対等になることはなくて、そろそろ私はその隔たりに潰れそうなのかもしれない。
ただ医者と患者の面倒を見るだけが仕事と思われがちだけど、実際にはそれに付帯する事務作業もそこそこある。
だけどそれを仕事としてみなしてくれない。残業代も出ない。先輩がソリティアばっかしてどかないから作業出来ない。楽しんで仕事やりましょ〜的な運動なんかいらん。金よこせ。
②コンプライアンスがない。
共用PCなんてのがあちこちにおいてあるが、朝立ち上げたら夜勤者がアマゾンにログインしっぱなし。
ちょっといじってるだけで怪しいポップアップが大量に出てくる。
信頼できるセキュリティソフトでスキャンしたらマルウェアが山のように。そんなパソコンで集計したり、社内資料作ったり。
飲み会も昭和のノリ。セクハラパワハラなんでもあり。誰も止めない。止めたら明日居場所がないから。
③よく分かってない医者は思ってたより多い。
素晴らしい先生はもちろん一定数いる。そんな人と仕事ができるのはテンション上がる。けど、だいたい作業するのは何にも分かってないような医者、診断も怪しいし、治療の選択も怪しい。子供のお守りしてる感。
④事務がやたら偉い。
いい歳したジジババがこっそり裏で昼間からイチャついてるの見た時は鳥肌たった。
何台もサーバー買っておいて未だに社内手続きが電子申請出来ないってなんだよ。
管理も全部外注って、この課20人くらいいるけど皆ソリティアでもやってんの?
使わなきゃただの鉄の箱だよ。
毎年謎の業務改善の発表とかしてるけど、実質的には何も改善しない。俺達頑張ったな…!!って内輪でなんか盛り上がるのは見ていてツライ。
外注の派遣さんにしちゃった方がしっかり仕事やってくれる気がする。
当時の同期も上司も別の業界に行って3年経った今でもまだ仲良いし、イベント事には声かけてくれる。素直にいい日々だったと思える。
時折足を踏み入れる立場になってから思ったのが、医療というか病院は踏み入れにくい環境だと思う。社会からの関与の方向が限られている状況、環境はよくないんだと転職してから益々思う機会が増えた。
「お前はカルテを書かないから分からない」と言って喫煙患者に説明を放棄するのをやめてくれ。
「わからないだろうけど、それは不健康」と言う割に、なぜ不健康なのか説明しない。
「その病気に(罹患する)する意味がわからない」と言うので、体調不良のいきさつを説明するが納得しようとしない。意味がわからない理由は言わない。
ただのカルテ書きとして存在してるならわかるけど、医術的アプローチで問題解決する立場の人にやられると辛い。
「ぶっちゃけ、病気を治したくないんだろ?」とツッコミをしたら負け、「いいから病気を治してくれ」と言いたくもない。
ダメなら理由を教えてくれ。できないなら理由を教えてくれ。それだけなんだ。(と、言うと機嫌が悪くなる。どうしてほしいの?)
これが医者と患者です。
前提として、誰が悪いという問題ではない。事象に良いも悪いもない。善悪を決めるのは立場と概念である。
うつ病は、患者もそうだが、その患者を引き取った家族にも多大なストレスとなる。特に患者が一度独立し、その後うつ病にかかり失職し、実家で引き取る事になった場合などは顕著であると思われる。
家族と患者の間でまず必要になるのは、両者の間で”うつ病についての”コミュニケーションを再構築する事である。家族は強力な共同体だが、それは生活の上での話であり、病気とは別だ。生活はツーカーでいけても病気となれば話は変わってくる。この両者を混同し病気についてのコミュニケーションを疎かにすると、両者の間に溝が生じ、最終的に相互不信の状態に陥る。家族の側から見ると「何を考えているのか分からない」「どう動いているのか分からない」、患者の側から見ると「どうせあいつらは自分の事など分からないし、分かろうとする気もない」となる。著者は実際そうなりかけている(と思っているのは著者だけの可能性もある。この場合は一方的な不信となるが、この状態が良いはずなどない)ので、以下に「あの時こうしていれば」と感じた事を書く。
1.病気についての知識を共有する。
患者は、家族がどこまで自分の病気を理解しているのか不安を持つ可能性がある。患者を含めた家族全体が、病気についてどのように理解しているのかを共有することは重要だと考える。可能であれば、患者の主治医などから、患者を交えて、その病気がどのようなものであるかのレクチャーを受ける。この時点であわてて本やネット上の記事を読んで知識をつけることはお勧めできない。重要なのは共通した認識を持つことなので、情報源は統一することが望ましい。仮に患者にとって最も大きい権威が主治医で、主治医と本の主張に食い違いがあった場合、患者は主治医の意見を信じるかも知れない。家族は本の主張を信じ、患者は主治医の主張を信じる事になると、ここにリスクが発生する。かと言って本を読むなという事ではない。後述。
2.患者の病識について共有する。
患者には自覚症状と、非自覚症状が現れる。著者の場合は、一時期ひどく怒りっぽくなっていたそうだ。そんな自覚はないのだが。一方、自覚症状として死にたいという気持ちが常につきまとっている。数年前に突発的に襲われ、その時は何とかやり過ごせたものの、以後延々とくすぶっている状況である。当然ながら家族には話していない。自殺のための道具一式を買い集めていつでも実行できるようにしている事も家族は知らない。書き出してみるとそこそこ危険な状態かもしらん。このリスクは、患者の病識を家族間で共有することで軽減することができる。(1)をクリアしていると、患者としても自分の状態を話しやすくなる――「家族は病気についてどこまで分かっているのか?」と疑問を抱えている状態よりは。理想は日常会話の中で患者側から「最近はこんな感じ」と言えるようになる事である。ここを誤ると患者はウソをつくようになる。
3.主治医と接点を持つ。
治療を医者と患者だけの中で完結させてしまうと、家族からは現状が見えにくくなる。また、患者と医者のやりとりもルーチンワーク化する可能性がある。毎回である必要はないが、数回に1度は患者に同伴し、どのようなやりとりの中で治療が行われているかを知ることは有益だと思う。患者の前で言いたくない事が出てくるかも知れないので、その場合の相談先(患者の診察日時とずらして主治医に会えばいいのか?あるいは別の相談先が用意されているか?)を確認し、患者にも伝えておく。患者に予告なく主治医に会いに行き、後になって「先生に会ってきたんだけど」という行為は、特に日頃から全く診察の同伴をしていない場合、患者にダメージを与える可能性がある。
うつ病患者に「がんばれ」は禁句とされるが、「がんばれ」の音の組み合わせがNGワードなのではない。文脈の問題である。上記をクリアすることで、患者に接する際のアウトラインくらいは見えることを願う。この希望的観測を前提とすれば、わざわざ項目を設けて書く必要もないんですけどね‥‥。ともあれ、無駄な所に気を遣って家族側が無意味にストレスを溜める状況をある程度は軽減できるかも知れない。できるといいなあ。
この記事もそうだが、結局のところ重視するべきは、著者の名前と肩書きしか見えない本でも、もっともらしく書かれているネットの文章でもなく、直接顔を見て会話をする人間である(その人間に治療を任せられるか否か、という所まで含めて)。ある問題に対して多角的にアプローチすることは有益だと思うので、本などを読んで疑問に思った事はどんどん主治医にぶつけていいと思う。(1)で本に待ったをかけたのは、情報が固着している本などでは状況に合わせた柔軟な対応が不可能だからである。「本を読んでだいたい分かったし、先生に会っても話す事とかないし、病院は患者だけで行ってもらえばいい」と思考が進むと、患者は自分の病気に関心がないと受け止める可能性がある。
以下は実際に著者が経験したトラブルである。ほぼ愚痴に近いかも知れない。
a)快方へ向かったフリをする
患者は「いきなり転がり込んできた厄介者」であることも「今後の人生設計を破壊した」ことも「大きなストレス源」であることも、百も承知している。したがって「早く良くなって欲しい」という家族側の希望も十分に分かっている。病気についてのコミュニケーションが十分でない場合、表面的に良くなってきた様子を見た家族が「最近は調子がいいみたいね?」と言う。上記の事柄を察している患者は「良くなってきている」と言う。言った以上、家族の前では無理をして元気なフリをする。しばらく経って、家族が「そろそろ社会復帰を考えてもいいんじゃない?」と言う。上の方でも触れたが、実際は自殺衝動から次の24時間をどうやり過ごすかの状態で社会復帰と言われても困る。溝は深まる。
b)金銭トラブル
患者は金遣いが荒くなる場合がある。クレジットカードは注意を要する。積み立てていた患者名義の貯金を知らない間に使ってしまっているかも知れない。例えば年金や健康保険料などを一度患者に渡して支払いをさせる場合は使い込みの危険がある。著者の場合は到底支払い能力を超えた大きな買い物ではなく、「このくらいなら何とかやりくりできるかも知れない」の小さな買い物が積み重なり、結局一度預かりで国へ納めるはずの年金を使い込んでいる。訳あって一時的に著者の管理となった生活費なども使い込みが発生している。当然バレる。
原因は判断力の低下である。「何とかやりくりできるかも知れない」の目測を誤る。対策の一例では資金の凍結、上限枠を設定したクレジットカードへの交換、あたりか。
資金の凍結は将来起こるトラブルを未然に防止することが期待できるが、「自分の金を無理矢理取られた」と思われないように、十分な事前準備が必要だろう。何せ相手はうつ病患者である。物事を悪い方へ、悪い方へと考える。著者が実家へ引き取られた時に資金の凍結をさせられた場合をシミュレートしてみたが、なかなか反応が想像できない。
で、著者が直面しているのは(b)の問題で、この背景に(1)から(4)の問題が存在する。ひとつひとつは容易に修正可能なように見える。しかし積み重なると難しい。大事故は小さな原因の連鎖で起こるパターンの縮小版である。判断力の低下と説明しても、家族が病気に対する知識をどれだけ得ているかの共有がされていないので「そんなの理由になるか」と一蹴される可能性がある。金額的な問題は今の家庭の経済状況で十分にリカバー可能な額なのだが、今後の資金ぐりや信用の問題などを考えると全く先が見えない。何をやっているんだか。かくしてここしばらく著者を悩ませていた自死が大きくのしかかってくる。大事故は小さな原因の積み重ねで‥‥
安定剤を飲みつつ現実逃避と気を紛らわせるためにこんな文章を書いている訳だが、これが遺言とならない事を祈るばかりである。明日病院いてきます。って明日祝日じゃん‥‥
そもそも、問題を抱えているところまでいって話も聞かずに、
(というか世の中に問題なんてない!とか言ってる馬鹿もいるし)
そもそも恵まれた人に、社会の問題解決しようとする根性はない。
がむしゃらに頑張るなんて自分には無理。楽なままでいていたい」というメンタルな人間ばかり。
問題を持っている人と解決する人が異なるものには医者があるけど、
自分が、風邪なのか?インフルエンザなのか?その他の難病なのか分からない。
そして、それを治療する薬を出すけど、その薬(解決法)は、医者が作ったものじゃない。
あと、医者は患者が向こうからやってくるシステムができているけど、
その他の多くの・問題や仕事には患者からやってくることはない。
やってきたとしても、医者と患者のように役割が明確ではないから、
多くの人間が、同じ問題を抱えているのに、その人たちが皆、問題を発見できるとも限らない。
問題を発見・整理して、問題を知ら無い人に説明するのは一仕事。
それこそがキーマン。
薬の提供者は薬代を請求すればいいけど、
昨日、NEWS23で取り上げられていた
アトピー患者として、なぜこういうことが起こるのか考えてみた。
★感じたこと(前置き)
最低。今回の件は、とても悪質だと思う。
アトピーでガサガサの肌がつるつるになるよ!という謳い文句の商品は
あちこちで見かけますが、基本的に効果ないんですよ。当たり前だけど。
で、「あ〜…またダメだったか…」と、私たちは使うのを止めるわけです。
ただ、今回の件は、ステロイドが入っていたために、劇的な効果があった。
そりゃ、効けば嬉しくて使い続けますよ。これが本当に本当に悪質。
そう思いながら塗ってきた患者さんやそのご家族の気持ちを思うと、涙が出る。
いくつかの要因があると、私は思う。
①薬を使わずに治したい
アトピー患者は、薬を使わずに治したい気持ちがすごく強いと思う。
下記②と混同されがちだけど、私は、この気持ちは薬の副作用うんぬんとか、
そういうこと以前にあると思う。
皮膚にベトベト保湿剤や薬を塗るのって不快だし、なんとなく不健康な感じで
罪悪感がある。自然に反しているというか…悪いことしてるみたいな気分になる。
②薬が怖い
①と似てるけど少し違う。
今、アトピー治療に使われる主な薬(外用薬)は、ステロイド、あるいは免疫抑制剤。
詳しい説明は省きますが、これらの薬は副作用もあり、使い方が難しい。
副作用出ないかなあ、怖いなあ、大丈夫かなあ、効かなくなったらどうしよう。
だから、副作用のなさそうな薬(のようなもの)や化粧品、健康食品、漢方薬などを
使ってみたくなる。
③薬の使い方が難しい
もしかしたら②とほぼ同義かもしれないけど、ここでは分けます。
医者の言うとおりに薬を使っても、なかなか効果が出ないこともある。
実際、私は今、結構悪化していて毎日身体に強めのステロイドを塗っているけど
ぱっとは良くならない。長年使ってきた慣れもあるし、汗が悪さをしているらしい。
良くならないと、「なんで薬使ってるのに良くならないんだろう…」と
不安になって、薬を使いたくなくなってくる。
④誰かの体験談
本やネットや口コミ。あちこちで聞く、「誰かはこれで治ったらしいよ」という話。
根拠や信頼性がなくても、治ったと聞くと気になって、
慢性疾患患者にとって「治った」というのは、麻薬みたいな言葉だなあと思う。
⑤外見コンプレックス
そんなことしてもどうにもならないのに、つい人の肌と自分の肌を比べてしまう。
周りの人は、何も塗らなくてもつるつるすべすべの肌。
なんでだろう。どうにかして、私もつるつるすべすべになりたい。
この強い気持ちが、アトピーを治すためなら何でもやる!という変な行動力に
つながっている気がする。
ちなみに、1000万円できれいな肌が買えるのなら、私は迷わずそうすると思います。
⑥信じるって(良くも悪くも)強い
上記にいくつか書いてきた通り、アトピー患者は治療に悩み、迷っていることが多い。
そのせいか、逆に、信じられるものができると妄信してしまいがちだと思う。
それが正しい情報ならいいけど、間違っていると…。
自分だけならまだしも、良かれと思って周囲の困っている人に勧めたりしてしまう。
悪意がないからこそ、タチが悪い。
アトピー患者は①②③⑤あたりのせいで、不安感が強いことが多いと思う。
だから、できれば話を聞いてもらいたいし、わからないことを丁寧に教えてほしい。
ただ、医者からすれば、慢性疾患だし、ある程度症状がコントロールできていれば
あとはいつもの薬を出すだけで、特別話もないのだろう。頭ではわかる。
わかるけど、不安が取り除かれないことによって、次第に
「この先生にかかっていても良くならないかもしれない」と思ってしまい、
★最後に
かゆみと不安との闘い、なんとかがんばっていきましょう。