2013-05-26

発達障害認識するということ

俺はうつ病休職したとき発達障害である事がわかったんだけど、

発達障害者って実は社会にかなり溶け込んでるんじゃないかと思い始めた。

復職したとき上司になった相手はかなりやりづらくて、自分はひどく困ってしまった。

上司自分が間違っているなんて絶対に認めないし、自分がほんのちょっぴりでも非難されると感じると烈火の如く怒る。

周りに話を聞いてみると、やはり扱いづらい人間だそうだ。

周囲とトラブルを起こしてしまうのでなかなか大きい仕事に出せないらしい。

そういった特性のためにもういい年で課長クラスなのにプロジェクトリーダーにもなれないのだそうだ。

それでもある程度社内での居場所を確保しているので少なくともクビにはされない。

周りが配慮する事で何とか仕事が回っているという状態だ。

 

社会で上手くいっている発達障害者は上手くいってない発達障害者をよく叩くけど、

社会で上手くいくかどうかって運でしかないと思うんだよね。

仕事の適性だとか周りの環境や理解者がいるかとか会社自体が上手くいっているかとか…

いろんなファクターが絡んでくるんじゃないのだろうか。

 

自分自分の特性を理解してから一年SST認知行動療法などのコミュニケーションの練習を繰り返して、

なんとか社会に戻っても大丈夫だと主治医に一応の太鼓判を押してもらえたから帰ってきたのだけれど

人事部長上司についての相談をして、自分と同じようにコミュニケーションの練習をすれば今よりも絶対に良くなると言ったら

部長は「君は若いから一年で復帰できたが、彼に同じような事をすればおそらく再起不能になってしまうだろうし、彼にも家族がいる」と言う。

確かに自分の特性を理解して、それと向き合う作業は非常に辛かった。

最初は三ヶ月くらいで戻れると思っていたが、一年もかかってしまった。

上司はもういい年だから自分価値観破壊と再構築を行うには長い時間がかかってしまうかもしれない。

でも、自分はそれでも周りと上手くやっていけるようになれば今よりもずっと視界が広がるだろうし、人間としても大きくなれると思うのだけれど…

 

一体なにが正しいのだろう。

周りが配慮している事で一応上手くいっている状態を無理矢理変えるのも問題かもしれないけれど、

結局それは周りがコストを支払っている状態だ。平等じゃない。

げんに上司も大きい仕事を任されていない。

何とかするべきだとは思うのだけれど、自分はまず自分を何とかする事に全力を傾けるしかないのだろう…

自分の無力さに涙が出てくる。

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