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2015-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20150219003006

あの話を見てイジメとは全く感じなかった


私はアイマスに何の思い入れもない人間だし、さらりとエンタメひとつとして見てる立場


みおちゃんは確かに他人から見るとライブ規模を勘違いしていて、

それはつまり自分立ち位置などが若さ故にあまり分かっていなくて

突っ走っちゃったんだな〜って感じで

周りは誰も悪くないし、もちろんみおちゃんだって悪くない。


誰にでもあるような些細な勘違いを、イコール醜態であると感じる人は

同じような経験があるのか、

若いのか、

その経験を乗り越えられていないのか・・・という印象

(例えば現実でそういう些細な勘違い嘲笑された、揶揄された等)


自分の中でそういう体験がうまく昇華できていないと

その勘違い自体黒歴史のような感覚になってしまって

勘違いする=恥ずかしい、醜態=そんな作品見たくない

と思ってしまうのかなーと思った


なぜそう思ったかというとまさに自分自身そういう面があったか


「授業中、先生から質問意図勘違いして、おかしな返答をして笑われた」程度の軽い勘違い

笑われたことが非常に辛く、恥ずかしい記憶、駄目駄目な自分のダサさとして心の奥に根付いていて

10年以上経ってからもずっとあの時の恥ずかしさが忘れられなかった


今振り返って考えてみれば全くもって大したことではないし

そんな勘違いをしたからといって自分自身価値が下がったわけでもないし

人間なんだから誰でもそういうことってあるよね、程度の問題なんだけど

若かった私にとってそれは重大な問題だった


みおちゃん、人間らしくていいじゃん

勘違いなんて誰にでもあるし、そのことを馬鹿みたい、赤っ恥だなんて思わない

周りの子もそのことについて別に揶揄したりしないイイコばっかりだし

みおちゃん本人は次回、自分自身のこと「あ、突っ走っちゃった、恥ずかしいな」と思うかもしれないけど

そのことは悪いことなんかじゃないと思うよ

2015-02-18

オタクであることが黒歴史

めっちゃオタクのくせにオタク自分否定し続けているから生きるのが辛い


ルオープンでオタクを楽しんでる人羨ましい


ダブスタ隠れオタクなのでどうしても人目を気にしてしま

オタクである自分を受け入れられてない


多分自分が一番オタク馬鹿にしているんだろうな


オタクってキモい空気読めないし恥ずかしい存在である

これはつまり

自分ってキモい空気読めないし恥ずかしい存在であるってことであって

オタクのことではない


分かってるのに

分かってるのにオタク自分を受け入れられない

自分がそんなに気持ち悪い性癖なはずがないという気持ちと

この性癖から一生逃れられないという気持ちが戦い続けていてどうしても辛い


オタク=恥

オタク=悪

オタクである自分は恥ずかしいし悪いし気持ち悪い


オタク楽しい

オタク人生

オタクであることは楽しいしそれこそが人生だしオタク活動するために生きてる


総括すると

オタクであることは楽しいけど、恥ずべきことだしこんなのは本当の自分じゃない

のような感覚になってとても辛い

2015-02-15

ポケモンなりきりエロチャットという黒歴史

イーブイスタジオカフェだったか?)のお絵かき掲示板に投下されたピジョット♀×エーフィ♂のエロ漫画ルギア♂×ラティオス、途中からアブゾル♂が絡んでラティオス×ラティアスになったエロマンガミュウツー♂×ラティオスラティアスエロ小説ログを探しています。御存知の方ご一報下さい。
当時はタウリンアーマルド)♂になりきってました。2002~6年頃?ピジョットマンガは昔agnphで見かけましたが英訳されてました

2015-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20150212150628

100%釣りだと思ってスルーしてたけどもしかしてマジなのか?

これは入社して半年現実を思い知って絶望するパターンだよ…。

誰しもこういう調子ぶっこいちゃう時期はあるが(それにしては入社先が微妙すぎだけど…)、

黒歴史しかならないからまりネットに書いたりしないことをお勧めする…。

絶望したあとに目が死んだ立派な社畜に成長するのも道ではあるが、2回目の就職活動が本番だという意識で頑張れるようにしておくのをおすすめする…。

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

 せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分ブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。

大学入学まで

 ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称統一されていなかった時代でもある。記録媒体カセットテープゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。

 市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。

 当時はまだ、パソコンメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だからNECパソコンソフトシャープパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001PC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者プログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。

 その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチフロッピーディスクになり、一瞬でセーブロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。

 せっかくの新マシンではあったが、やはり用途ゲームだった。雑誌掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。

 なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響プラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。

 中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコン受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤー経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲーム勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである

 高校入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまたからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。

 ちなみに、ぼくとほぼ同年代英国ライタースティーブン・プールには『トリガーハッピー』(2001年)というテレビゲーム歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代ゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。

 しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPG製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。

 技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲーム目標大学合格に切り替え、パソコンメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである

大学入学以後

 1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京学生ポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。

 入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京進学校出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。

 いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生あいだでポケベル流行っているというのも別世界話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。

 その一方で、大学入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話重要ツールだったのではなかろうか。

 あるとき風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。

 ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったか1994年のはずだ。日本でもインターネット商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学パソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。

 大学2年生の終わりごろ、ゼミ選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。

 しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。

 当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモ携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。

 他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口膾炙していった。大学パソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。

 ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネット接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブ自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである

 もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。

 ぼくが参加していたのは朝日ネットフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネットからはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信ログに残っていることを主人公発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。

 その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネット時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねるである。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。

 …と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。

2015-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20150209012042

理想オタクの行動まんま俺だ

そっかー羨ましがられるもんかー

二次SSなんてガチ黒歴史だけど不思議と消せない、実際良い思い出のようだ

しかし一つだけ違う、あの頃オタクの業に焼かれた輩は今もオタクから抜け出せない

卒業できない、多分死ぬまで

2015-02-05

黒歴史だと思っていたらTwitterなんてできねぇ

名前がないから溜まった自己顕示Twitterで発散するしか方法のない同級生たち。

一方僕は仮の名前だとしてもSNSからめっきり経ってしまった。

僕は黒歴史がいっぱいある。

いじめられていたこと、よりも、大事友達いじめの標的になった時、守るどころか一緒になって悪口を言ったこと。

僕を思ってくれた友達を切ってきたこと。

やる意味も今となってはないが、のうのうと、TwitterFacebookをやれる神経はない。

人を本気で思ったことのない僕には、人を無償で思う気持ちがわからなくて

疑ってばかりいた

これからもそんな生き方しかできない。

人のTwitterなんか見てる僕はそれ以下だ。

根に持ってるわけじゃない。

僕は人がどんな時にどんなふうに苦しむのかが知りたいんだ。

黒歴史に苦しまない人が

2015-01-29

初めてじゃなかったCの思い出

今やプログラミングといえば、Webなどで使われるような高水スクリプト言語中心のアプリケーションプログラミングが主流だ。

そんなこともあり、もはや以前の低レベル言語によるシステムプログラミングの苦労など、タダの昔話である

そこに来て、実際は齧った程度の分際で、性懲りもなくそんな昔話を書いてみる。


今も昔も、基本的に難しい仕事無茶振りから始まるものだ。

少なくとも10年位前に自分が手がけた(押し付けられた)仕事はそうだった。

大学で初めて触ったC言語しかポインタからないで止まっているような奴に、電文の再配信プログラムを任せたのだから


客は「遅延が絶対許されないシステムなのでJavaとかPerlとかはやめてねー」とにこやかな笑顔かつ笑ってない目で注文してきた。

そうなるとC/C++くらいしか事実上選択肢がない。

このうちC++は、Java経験がある自分からしても仕様が膨大かつ複雑すぎて、とても手に負えないと感じ、必然的にCで書くことに。

勿論Cの言語仕様がKR本一冊で収まるほどコンパクトであっても、それが簡単であることを全く意味していないというのを開発早々に思い知らされたのだが。

あ、Cと言えば電文提供側の機関が受信用のスケルトンプログラムを一応は用意してくれていたが、どう見ても電文受信中に接続が切れた時のことを考慮していない内容で、全く参考にならなかった。

その時点で相当ヤバいである


コード書きにおいては、例え一人屋台の俺ルールであろうが、コーディング規約のようなもの絶対必要である

その時のルールは「gccオプションに"-Wall"を入れた状態で、Warningゼロになること」にしてみたが、その途端、日付変更線をまたがない限り退社できない生活が始まった。

というかオブジェクトを使えないだけでも地味に辛いのに、更にCの言語仕様コンパクトである以上に原始的と言っていい代物で(だからWarningは基本無視できないのだ)、しか言語仕様以外の環境依存要素が山積していると来たもんだ。

そんな言語システムコールだらけのコードかつ複数ファイルディスクリプタの同時監視(即ち非同期でノンブロッキング)しかマルチプロセスシグナルもあるよ!とか、お客さんは俺を殺す気か、そもそも完成させる気無いだろとか、今だったら思う(当時はそう思う余裕もなかった)。

仕方なく最初のKRに加えて「UNIXネットワークプログラミング」をわざわざ東京に出かけてまで買って読み漁った。

後にも先にも、古今東西の名著と呼ばれるような本を、泣きながら読んだのはこの時だけだったりする。

そこまで凄い良書なのになんで絶版になったんだか。


いかし、それでも「子供を殺しても死なない」、かなり前の処理での領域破壊のせいで突然プログラムが止まっちゃうなどなど、やればやるほど問題が出る。

シグナルを受信し、仕様のとおりに処理するのがこんなに難しいのか!と途方に暮れたこともあった。

そして途方に暮れても解決の手段になるような便利なツールもなければライブラリもない。

結局、「ある程度正しく動いたら、あとは出来た所まで」で勘弁してもらってようやく開放されたが、今でも当時の自分仕事ぶりには全く満足していない。

無駄に頑張ったというか、頑張っただけの仕事であり、折角低レベル実装というCの本領発揮分野の案件でありながら、スレッドmalloc()、可変長引数は遂に習得できなかった。

こういうプログラムって、どうやったら正しく動かせるんだろ。


このような経験を経て、後年、Cやシステムプログラミングを指してギークな人々が

Cはとても高効率ですし、マシンリソースもドカ食いしません。残念ながら、Cがそれだけの効率性を実現するには、あなた自身が低レベルリソース管理(たとえばメモリ管理)を手作業でやってあげなくてはならないのです。それだけ低レベルコードがあると、複雑でバグも起こりやすいし、デバッグですさまじい時間をとられることになります今日マシンはずいぶん強力になっているので、これは通常は悪いトレードオフです――マシン時間を少し非効率に使っても、あなた時間をずっと効率的に使う言語を使うほうが賢明でしょう。

本物のプログラマアプリケーションプログラムなど書かず、まっさら金属板にゼロから書き込んでいく。アプリケーションプログラミングなど、システムプログラミングのできない弱虫のすることだ。

と言っていたことは正真正銘の事実であると痛感した。

あと、あれほど苦手だったポインタについても、「ポインタ理解できないと永久にC初心者」というのを嫌でも理解した。

あれはギターのFコードやSEALsのヘルウィークみたいなもので「習得できなかった者にとってはキャリアの終わりを意味するが、習得できた者にとっては始まりですらない」ものなのだ


・・・で、これだけで終わってしまうと本当にタダの黒歴史だが、これには少しだけ嬉しい後日談がある。

それから数年後、やはり電文転送系のシステムで、かつて自分がCのソロプレイでこなしていた規模の数万倍はあると思しき超大型案件助っ人の「兵卒」として参加したのだが、そこはインプラとアプリでチームが分かれており、アプリ側だった自分

配列ポインタ構造しか使わないで済むなんて、なんて楽な仕事なんだ!」と左うちわのんびり過ごし、しかも高評価をいただいて帰ってこれた。

実は今までの案件で一番幸福感が最高だったのは内緒である

僕が中学生の頃に作っていた黒歴史人名リストに比べればまだマシだぞ!

http://anond.hatelabo.jp/20150128093447

改 海魁 (アラタ ミサキ

泊 伯拍 (トマリ シイテ)

登発天 四里望 (ドハツテン シリモチ

九十九 八十八 (ツクモ ヤソハチ)

剣 拳把 (ツルギ ケンパ)

恋都 半人(レント ハント) 

2015-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20150121143330

いまさら定義について言っても仕方ないが、

マンガアニメを真似する素人馬鹿にする言葉邪気眼黒歴史厨二病なのであって、

真似される側のマンガアニメ制作者を指す言葉ではないんだよな。

栄光への復活を信じて

ギャン泣きであるAFC決勝トーナメント進出が嬉しいからではない。いや、そりゃーめでたい。めでたいけど、何はなくとも今日香川のゴールに感動したのである。見てますクロップシンジはやりました。

私がサッカーに興味を持ったのは2010年南アWCからで、今の主力選手たちがいわゆるルーキーたちのころだった。内田さんは顔だけアイドル枠SONYCMあいまって「見せてくれ内田()」とか言われて笑われてたし、ちょうど長友が活躍し始めて「なんだアイツ!?」って言われ始めた頃だったし、っていうかそもそも川口かいたし。川口って私が小学生Jリーグ発祥したころから代表にいた気がするけどあいつは何者なんだ。そんでもってその頃、香川さんはまだ代表ではなかった。

ただ、この2010年香川さんが輝き出した年でもあった。ドルトムントへの移籍がこの年だったんだもの

2010-2012は、ドルトムントにとっても香川さんにとっても黄金期。でも私、この当時は香川さんに興味なかった。いやドルトムントは応援してたんだけど、香川さん個人にはあんまり興味がなかったのだ。そもそもドルトムントを応援してたのだって、一緒にサッカー見る友達がシャルカーだから「じゃあ私はドルトムントにしよう~」みたいなノリだったし。その後大好きになったけど。

そんな流れもあって、まあ香川真司というプレイヤーにはあんまし興味を持っていなかった。ハマって二年目ぐらいまでは、まずサッカーの流れを把握することで精一杯だったし。最初サッカーって何人でやるのかも知らないままワールドカップ見てたレベルだったからね。

ようやくなんとなくサッカーの流れを理解して、選手ひとりひとりに想いを馳せるレベルになったころには香川さんドルトムントの人ではなくなっていた。そう、2013年マンチェスター・ユナイテッドへの移籍である香川真司個人へのスポンサーになりたかったのに、大人の事情KAGOMEさんがマンチェスター・ユナイテッドスポンサーを務めることになってしまった悲しい事件が起こった年でもある。まあKAGOMEマンUイメージカラーが赤だからいいだろ。

好きなチーム・ドルトムントでえらく活躍してくれてたはずの香川さんは、マンUに行ってえらく泥沼にはまっていった。バイエルンキラーと呼ばれたあの天才はどこへやら、なんかよくわからん使い方をされてよくわからんダメ出しをされてよくわからんまま公園でひたすらクロスの練習をする毎日である。来る日も来る日もクロスクロスクロス。「シンジは他のことがうまいんだからクロスしょうがないよぉ」とか言ってくれてたクロップとはさよならしてしまったので、ひたすらモイーズの言うこと聞いてクロスの特訓である。おいおい話が違う、俺を中心にしたチームを作るから来てくれってジイさんが言ってたから渡英したんだぜ?と裁判起こしてもいいだろってぐらい冷遇される。かつてかわいがった選手があんまりにもあんまりな扱いを受けてるからって、別リーグクロップがわざわざ「シンジは本当は出来る子だもん><」とか涙ながらにコメント出したレベルである

超のつくビッグクラブでボロッボロにされる香川さんは、まあ当然代表でもいいパフォーマンスはできない。もうあれイップスだろやめてやれよ、ていうかあからさまにadidasの都合で背番号10を背負わせるのやめてやれ、その番号は本田に背負わせてやれ!明らかに本田のほうが10番の仕事をしている!確実に香川プレッシャーになってるもん10番! というファンの心もむなしく、香川さんはもう自分探しの旅に出たほうがいいだろって状態のままマンU日本代表10番を往復。見ているこっちの胃が痛くなる一年半だった。ブラジルワールドカップについてはもう触れてはいけない黒歴史だ。

さて驚きの2014年ボロボロになって先も見えない自分も見えないサッカーボールも見えない状態の香川さん古巣ドルトムントに帰ることになる。ドルトムントはもう大喜びである号外新聞とか出しちゃう王の帰還だの放蕩息子の帰宅だの、ロードオブザリングなんだか単なるdisなんだかわからん歓迎ぶりで、香川さんもささくれどころかゴビ砂漠ぐらい荒れ果てた心をちょっと癒しつつ帰独。

ただ、あったかいおうちに帰ってきたからそのままいいプレーに繋がるぜ~なんて甘い話があるわけもなく。「ええ~シンジ帰ってくるならもうシンジを中心にしたチーム作るよ!俺は赤い悪魔とは違うよ!」という浮かれポンチなコメントを実現させたユルゲン・クロップを持ってしても香川さんの「自分ってなんだっけ病」は治らないままだった。っていうか環境もよくなかった。自分たちのサッカー教の教祖である本田さんとその筆頭信者・長友さんが近すぎた。物理的に。マイブラザーとか呼んでる場合ではない。今の香川さん必要なのは小笠原病(鹿島である

自分が何者かもわからないまま自分サッカーを探しているせいで香川さんボロボロ、ついでに香川さんのせいではないけどドルトムントボロボロ日本代表だってボロボロ、どこを見てもボロボロ王の帰還とか持て囃してくれたドイツ新聞は「コイツいるとチームの空気が悪くなるわ」とかdisってくる。空気読まないことに定評のある内田篤人から「救ってやりたい奴がいる」とか言われちゃう。槙野からもんじゃ焼き約束すっぽかされて待ちぼうけ喰らわされちゃう

そんなぼろぼろな香川さんが、ちょっと気分転換でもしといでよ~とばかりに送り出されたAFC。狙い的には、下位相手に無双して自信を取り戻してもらおうという目論見があった人も多いんじゃなかろうか。

ところが幕を開けてみると、なんでか香川さんは初戦で2アシストとかしちゃってる。結果的には3得点に絡んじゃったりしてる。続くイラク戦でも、めっちゃ頑張ってるのはすっごい伝わってくるけどアシストが多いのであるエースアシストかってぐらいアシストしてる。

違うんや…アシスト大事だ、大事だけど私はお前にゴールを決めて欲しいんや…!と祈り続けて9日め、ついにその日はやってきた。そう、ゴールだ。後半に入ってきた武藤から繋がって、香川真司AFC初ゴール。アギーレジャパンでの初得点川島はゴール捨ててまで疾走してきて香川を祝う。お前はゴールを守れ。

位相手に1ゴール決めただけだろ、って意見もあるだろう。つーかもっと決めろよって思われてると思う。ゴールは決めたけど内容あんまよくなかったね、って意見だってたくさんある。

でも、はからずもマンチェスター・ユナイテッド移籍という泥沼時期から香川真司を見守り続ける形になってしまった私にとって、このゴールは本当に本当に眩しいものだったのだ。「よかった、よかったネェ…!!!」という一言以外に言葉が出ないわけですよ。

ゴールした瞬間に私の脳裏をよぎったのは、内田さんの「救ってやりたい奴がいる」っていう一言だったし、「シンジは何も損なわれてない」と香川さんを信じ続けてるクロップ言葉だった。すっ飛んできた清武の姿でもう涙腺は崩壊。えらいこっちゃ。試合が終わったわけでもないのに大号泣

次にあたるUAEとは中二日の調整になるので大変だと思うけど、今日感覚を忘れないうちにまたゴールを決めてほしいわけです。日本代表を応援してるのはもちろん、自分がこんなに香川真司を応援しているだなんて夢にも思わなかった。びっくりしたわ。彼のサッカー人生で一番輝かしかった時代と、一番どん底だった時代を両方見てしまったので思い入れがとんでもないことになっている。どうか彼が自分探しの旅を終えて、サッカーを楽しめる道へ帰ってきてくれますように。

2015-01-11

脳内変換

http://anond.hatelabo.jp/20141220223955

自分の都合の良い脳内変換もしていたけど、

実家から発掘された黒歴史(日記帳とか交換日記ノートとか)を懐かしさのあまり読み返すと

まったく記憶から抜け落ちていて、

えええそんなんだったべか?という今思うと笑える変換も多かったみたいで

思い出や記憶はあまりゲンミツに整合させない方が身のためかなあとちょっと思ったんだわ。

同窓会なんかで古い友人と再会するときは、そのとき記憶話題だけで盛り上がったほうがいいんだべね。

2015-01-03

そろそろアニメ化されてもいいだろってエロゲつよきすとかこんにゃくとかリメイクしろ

特にタカヒロ三部作リメイクした方が良いんじゃないかと思う。

そりゃ媒体リラバみたいにエロい方面でもいいと思う。

クソゲーだったそらみずをエロい方向性で作ったOVAは大ヒットしたわけで

同じくタカヒロ作品で姉ちゃんとしようよもそれなりにヒットしてる。

テレビアニメが無理ならエロアニメ化すりゃいい話で、

原作漫画エロアニメはそれなりに売り上げるしシリーズ化もした。

エロゲーの方も飛田もとい比良先生夜勤病棟もヒットしたじゃないか。

うそろそろ許されてもいい頃だと思う。

テレビアニメは失敗した、じゃあ次にしなくちゃいけない事は黒歴史化して、

つよきすorこんにゃくアニメ化してない、じゃなくてアニメ化は失敗したけど

月姫Fateみたいにリメイクすりゃいいじゃんって話。

AIRだってKanonだってリメイクして大ヒットしたじゃない。

それらを参考にデモベとかカオヘとかも一緒にリメイクしていけばいいんだよ。

なお、ファントムは二回アニメ化されたけど、無かった事にしたいと思ってるのは俺だけでいい。

2014-12-31

年末年始なので今まで書いた増田放出する(修正しました)

大掃除のついでに。正月休みで暇な人は読んで下さい。

轢かれた猫。

最近のできごと。猫物語が好き。

セフレでいいから

これも最近のできごと。こんなことがあるから人生面白い


大森靖子。

勢いで内容を大森靖子プロフィールに変えてしまった。下手なステマ


ローソンの厚切りかつサンドが美味しい。

舌が安いからこれくらいで十分幸せ

初めてデリヘルを呼んだ時の話。

いつか高級デリヘルを呼んでみたい。


久々にゲーセンに行った。

パチンコ屋の続き。自分弱すぎワロタ

ファミマのアイスカフェラテが美味い。

安くて美味いは正義。寒くなったら全然飲まなくなった。


どっかで一人で泣いているあんたへ。

大事な人への届くかもわからないラブレター。直接伝えるのは照れ臭い


だから僕は、ライブハウスに通うんだ。

みんなライブハウス行こうぜ。


デリヘルを呼んでみたい。

デリヘルに対してまだ希望を持っていた頃の話。


朝の公園。

出勤中に5分で書いた。


続・オヤジのパン屋。

パン屋って楽しいよね。パンうまうま。

王様の耳はロバの耳

すごく気に入ってるんだけど、全然反応が無かった。


久々に夢精した話。

人に言いづらい下系の話は増田に書くに限る。


ドワンゴに就職したかった話。

ただただ川上さんが好きなだけ。春で仕事辞めるんで雇って下さい。


世界は多分、愛で満たされているんだろなと思った話。

西成スーパー玉出お話偽善的なエントリは伸びるよね。


仕事のやりがいとか

仕事愚痴増田に書くに限る。


オヤジのパン屋。

ほんとに、地味で素敵なパン屋なんです。


お別れした彼女と久々に会いました。

ひきづってるなぁっていうのがよくわかる。


満足に飼い殺される。

疲れていたのがよくわかるエントリですね。


12月25日、水曜日。

この夜は何をしてたか全然思い出せない。もう一年前か。


虚構が現実を侵食する。

タイトル詐欺。こういう話は人に言いづらい。


彼女とお別れして、一月ほど経ちました。

恥ずかしくて読み返せない。


かぐや姫の物語を観てきました。

劇場版まんが日本昔ばなしでした。


夜の公園にて。

客観的に見ると、こいつ自分大好きだなーってのがよくわかる。


夢と狂気の王国。

はやおかわいいよはやお。


セックス単価という考え方。

こういう話男同士で酒飲みながらしたらすげー盛り上がるよね。


彼女とお別れしてしばらく経ちました。

これ音読されたらその場で死ねる自信ある。


愚痴ばっかり言ってる人について思うこと。

構造が実にブーメラン愚痴は吐くもんじゃいね



増田の歩き方。

所信表明的な。そして誰も何も教えてくれない。


彼女とお別れしました。

燦然と輝く黒歴史


猫と仲良くなる上で気を付けている三つのこと。

ライフハックっぽいタイトルをつけてみた。実家の猫と遊んでいた。


処女を拗らせてる貴女方へ。

すごく大事女友達に向けて書いた記事。こんなこと到底伝えられない。



女の子をオナホールとして考えてみる。

初めて書いた増田。こないだこの女の子に連絡したらブロックされてた。


あと、はてなブログもやってます全然人来ないけど。

http://bamiiiii.hatenablog.com/

来年もどんどん書きます。どうぞよろしくお願いします。

URL記法教えてくれた方、ありがとうございました。

2014-12-20

誕生日おめでとう

今日だよね。忘れてないんだ。

多分、自分のことは黒歴史扱いになっているとは思ってるんだけど

年月が経つと、自分の都合の良いように脳内変換してしまって

しかしたら逢いたいと思ってくれてないかなあとか

ふうっと、実家のあたりを通ってみてくれてないかなあとか

妄想してしまうのだ。

自分は、経年劣化しつつも、

周りからは一応「変わらないねぇ」というお言葉をいただいているので

(多分、社交辞令割合は少なめな気がする・・・)

見かけたら、多分判ってくれると思うんだ。

あの時、なんで嘘をついていたのか

今でも聞いてみたいと思ってるよ。

あなた大学の進路が、自分職業を選ぶきっかけになって

(いっしょに仕事できるといいね、って言っていたっけ)

今でもそのことはものすごく正解だと思っていて

感謝しています

ありがとうね。

実家、もうすぐ取り壊しなんだ。

2014-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20141213081336

シューカツ()が始まってOB訪問()とか始めて意識が高くなってしまったB3またはM1だな。

学部工学部理学部あたりか。(読み直すと、経営工あたりの文系か?って気もしてきた。わからん)

黒歴史を増やすだけだから就職して2年くらい経つまで黙っていた方がいいよ。

2014-12-03

売り上げ1000本未満でオーディオコメンタリー入ってるアニメってある?

まさかこうなるなんて思ってたなかった点で多分黒歴史になってるかもしれないけど、

少なくとも3桁の人は買って良かったと思ってるから胸を張って良いと思うよ

2014-11-16

エロ計算

音ゲーしてる時に身体のリズムを取ることに意識しすぎるとうまくいかないことが多々ある。

音をちゃんと聴かずに身体のリズムだけを基準にするとズレてくるのは当たり前なんだけどね。

この意識の仕方は大袈裟に言えば周りをちゃんと見て行動する意識形成に役立つから初等教育に取り入れるべき。

という話を音楽先生にしたら音楽教育音ゲーを取り入れるという発想自体が全く無かったと驚いていた。

.

エロに関しても全く同じことが言える。某イオンド大学という凄い大学の某アダム徳永という人物はニコ生デビューしたはいいが

卑猥発言をしすぎたために数ヶ月で撤退を余儀なくされた黒歴史を持つが、彼のセックス観は常に俯瞰的視野を持つというものだった。

よくムードを大切になどと言われるが、ムードに飲まれてはミイラ取りがミイラになるので、ムード俯瞰することが大切だ、

という発想がカウンセリング理論における脱中心化の発想に相似している。児童教育においても見守る大切さが言われるが、

見守ることは決して放置ネグレクトではなくむしろ対極にある、愛そのものとも言える行為なのである

.

ここ10年、いやここ5年に人工知能ができることは随分と増えた。電王戦で厳選されたプロ棋士達に勝ち越したのは記憶に新しいが、

少し昔ならありえないと思われていた相貌認識も人のそれを超える性能を身につけるに至った。さすがのミンスキー博士もこれにはびっくりである

それくらいIT技術進歩にも匹敵するくらい昨今の人工知能技術日進月歩の感がある。ともすると笑いのタネであったニューラルネットなども随分現実的な話になってきた。

これで人間感性までを扱えるようになる準備が整ったといっても過言ではない。電王戦で今回も出る予定のやねさんもボカロ作曲に携わるとかなんとかかんとか。ニャンともピンとも。

新地平が見えて音楽情報処理学会捗るというものである

.

そうなってくると当然のことながらエロだって計算できる。やっとタイトル回収。当然コンピュータが描いたエロ絵で当然のようにカく時代だって当然目の前に当然迫ってきている。

いまエロ情報評価にはDMMAmazonpixivの星の数のような人間レビュー頼りにしすぎている所があるじゃーん?しか個別作品ごとに評価しないといけない。

「この商品も見ています/買っています」だけは優秀だけどねそれ以外はてんで駄目。これからはそういうのも人工知能予測計算してプッシュ型のレコメンデーションが可能になるのだよ。

.

人間って比べると価値判断が歪むことが多いんだよね。一面しか見ずに比較したりするし、さらに言うならば比較できない部分も多々あるからね。

スペック上は優れているはずなのに糞なパソコンっていくらでもあるでしょう。電気店員は売りたいものを客に比較させて売る。

でも比べたい、比べて一番いいのを選びたいというのが人情。そこで人工知能が出てくるわけです。

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で、最初の話に戻るけど漫才なんかにも話の間合いやテンポなどのリズムがあるでしょう?けど比較しようという心、

私どものほうではヨガ言葉を借用して分別心と言っておりますが、比較しようという心が前に出すぎるとうまくいかない。

こっちの言い方よりこっちの言い方のほうが笑いがとれるかなとか。笑わせようとすると笑われるの法則

常日頃から選びに選んで引き出しに入れておいたネタドン滑りにでもなってごらんなさい。三日三晩うなされて布団から出れません。

.

エロだって同じで選ぶんじゃない。すでにそれはもう選ばれている。流れというものが既に存在しているわけだからね。

それをまず感じ取る必要があってこれは大変なことなんだ。だからそれが出来る人は我が国の貴重なエロ人材とも言える絵師なわけ。

けどこれから起きる大惨事産業革命職人の手仕事をことごとく奪っていくだろうね。

2014-11-08

田舎底辺中学生部活

実家母親電話いわく、地元中学校部活動強制ではなく任意となったらしい。弟は学校から帰ると、ずっと友達ゲームをして過ごしていると愚痴られた。

僕は、バスケットボール部所属していた。15時半の授業が終わると、各々は体育着になって体育館に向かう。そして18時半までひたすらドリブルを続けていた。コートの真ん中では、運動バスケが上手な奴らが陣取り、ひたすら試合をしていた。雑魚である僕らはコートの隅である。たまにボールが飛んでくると、それを真ん中に投げ返すだけの簡単な作業である

苦痛だった。家に帰って、ゲームパソコンをしていたかった。

雑魚の中でも、カーストがあった。僕はそのカーストの中で低い方だった。上手な奴らの分に加え、同じカーストから受けるイジメがった。それもあって、バスケ部活動苦痛だった。

思い返してみれば酷いものだ。たまに試合を「やらさせてもらう」としたら、笑われるか怒鳴られる。部活基準は上手な奴らに合わさっているので、雑魚は何をやっても怒られる。

そして、何かと休日は校外で試合をする。雑魚はそれに合わせて一緒に行動し、ボールや荷物を持っていく。上手な奴らの親は我が子が一番可愛いと、どこにでも車を走らせる。ビデオを撮り激励を贈る。雑魚の一人である僕は、横目で冷めた弁当を食べ、サボれる場所を探す。何もおもしろことなどない。時間を潰すのに必死苦痛だった。強い強い苦痛を感じた。

僕の中学校田舎なので、人数は東京に比べたら断然に少ない。一学年に80人はいなかったと思う。そうなると部活動の数も少なくなる。その上、なぜか部活動強制参加だった。サッカー野球、そしてバスケットボールのどれかを選ばなければならない。文化部は何か体に問題があるか、家庭に問題がある子しか入部できなかった。

他の部活も大抵同じだったが、野球部先生が皆平等にシゴいていたので、しんどそうだったが精神的に追い詰められていそうな感じではなかった。サッカーは楽そうだった、これに入れば良かった。友達もノビノビしてたし、試合半年に一度しかなかったようだ。バスケははっきりとした上下関係というイジメがあったし、顧問試合に勝つことしか言葉がなかった。

試合の日などでは、他の学校顧問は常に生徒を怒鳴ってた。頭ごなしに下手糞と怒鳴りつける。生徒は泣く。でも青春なんだと、上手な奴らは語っていた。この空間の何が楽しいんだろうと思った。上手な選手がいて、怒鳴るコーチがいて、あとは奴隷がいた。試合に勝つことが絶対で、失敗しないことが求められ、奴隷時間を潰すことに必死だ。奴隷は微塵も興味が無いバスケが上達するわけでもなく身体能力が上がるわけでもなく、雑用のためだけにいた。

バスケ部は僕の学校が誇る素晴らしい「伝統」の一つに数えられていた。上手な奴らは誇らしく、青春を感じていたのだろうか。伝統というものは、犠牲の元にあったことを知らなかったのだろうか。

その後、部活動は三年生の夏で終わり、受験勉強と塾で追われることになった。僕は勉強ができたので途端に楽しくなった。その後、受験が始まり僕は進学校に進み、できる奴らはスポーツ推薦、またはスポーツ推薦で落ち大金を払って私立校に進んだ。

何年かして、僕は大学に行き就職して今に至る。「上手な奴ら」の話は一切聞いたことはなかった。そりゃそうだろう、上手な集まりの中で高みに行くのはとても大変だ。しかも、バスケ野球サッカーほど良いスポーツではない。プロになったとしても食べていけるわけがないだろう。オリンピック日本の枠はない。上手になっても意味価値もないスポーツだ。

母と話をしていると自然と昔話をしていた。母親バスケ部は嫌だったらしい。そりゃそうだろう。休日早起きをして、何も活躍できない子供弁当を作ってたのだから。高い名前入りのジャージを買わされ、たまに車を走らせ、遠い学校施設子供を送り迎えにいってやったり。きっと、母親内でのカーストもあっただろう。僕が勉強ができなかったら、もしかしたら母親もイジめられていたかもしれない。

僕は半笑いで聞いていた。遠い昔のことだから、もうそんなに辛くはない。ただ、あの時の時間で何かもっと他の事をやっていれば、きっと楽しかったんだろうなあと思っていた。

その後、あの「上手な奴ら」の話になった。上手な奴らは高校卒業したあと、揃いも揃って地元で働いているそうだ。田舎なので大した仕事はない、それこそ工場とかしかない。できる奴らのリーダー工場で働いているらしい。朝の8時から夜の11時まで働き、体中を黒い油だらけにして帰ってくるらしい。給料も聞いたところ、手取りで15万円はいっていないそうだ。それをもう何年も続けているそうだ。

僕は母親との電話を切ったあと、ふと辛かった思い出をつらつらと思い出してみた。一日2時間半、週に12時間半、月に50時間。それが2年と半年、600時間をかける2.5して1500時間プラス月に2回ほど休日全日潰される。その時間を、僕がマックス有意義に使えたか微妙だが、とても貴重な時間に思えた。

僕は今、残業はあるとはいえ悪くない環境で働き、年齢で見て平均以上の年収を貰い、今のご時世にしては恵まれすぎている生活をしている。あの時の惨めさはもうないのだ。僕は今、立派で、幸せだ。ドリブルもできず笑われ、道具やボール試合に忘れて怒鳴られ、陰湿な嫌味を言われ続けたあの部活にいた僕は、上手な奴らより恵まれているのだ。

きっと上手な奴らは、僕と低いカースト時間を奪ってしまった罪を、たった今被っているのだ。僕が苦痛に感じていた時間を、自分の大好きなバスケに費やしてしまったことに対して、惨めな生活をして免罪しているのだ。そしてきっと、その工場は潰れフリーター生活になるだろう。昔を思い出しながら、惨めな生活を悔いるだろう。青春犠牲のもとにできていた。輝くためには燃料がいる。カーストの下の奴隷がいて、頂上へ高く登れ、そして輝くのだ。そして今、そのカーストはいなくなり、上手な奴らは地面で頂上にいたときのことを思い出しているのだろう。

別に僕はもうどうでもいいのだ、奴らとは赤の他人なのだから。でも、ああ、やった。苦痛が柔らいだと感じた。


つらつらと書いてしまったが、これで僕の黒い物が掃き出せたと思う。駄文失礼した。

もし、僕みたいな田舎暮らしていて、同じように部活動とかで惨めな思いをしている人がいたら、反発するべきだ。その代わり、何かに打ち込まなければならない。僕は勉強だった。勉強ができたから頑張ってこれた。

僕は、今の僕が決して良い大人ではないと思う。だけども、上手な奴らに加わらなくて本当に良かった。でもカーストの下にいたことは黒歴史だ。人生は難しい。

追記

コメント全て読ませて頂きました。ありがとうございます

自身スポーツ自体はとても良いことだと思う。中学生という成長期に、きちんと体と心を育てるのは素晴しい。ただ、「スポーツをしていればなんでもいい」という一辺倒であること、そしてそれを全力で応援してしまう大人、駒を無理やりでも勝たせたいと思ってしま顧問、これらは問題だと思う。夢を持つなら、それについてライフプランを立てさせるべきだし、駄目な場合が大きいということも教えなければならない。子供は、キラキラと夢を持って青春を演じさせて、大人を夢中にさせるものではない。青春ドラマ現実は違う。

特に顧問を兼ねる中学教師、彼らはスポーツ推薦で高校に入れてしまえばなんでも良いと思ってると思う。その後の事は何も考えてくれない。高校入学を完全にゴールとしてる。そうじゃなくって、きちんと大人への段階を考えさせ、一緒に相談してくれる中でなければならないと思う。今思うと、自分の実績を作るのが最優先だったんじゃないか。

それらが上手な奴らの可哀そうなところだと思う。

でも僕は同上しない。あの部活動は、僕らのカーストには何も施しはなかった。ただドリブルだけやらせて応援という声出しをさせて、徹底的に雑用に使う。何も育たなかったし、育ててくれなかった。僕らがバスケの初歩も分からない屑で、全く運動ができないせいもあるだろう。それなのに、何も指導もなかった。形だけの練習をさせて、問題にならない程度になったら、満足するまで自分たちを可愛がった。

イジメもあった。そこまで壮絶じゃなかったけどね、陰湿環境に四六時中いるから、どうしても弱いものイジメが発生する。死ぬほどではないけど、辛かったよ。それが2年半。全く無駄で辛い時間だったね。

色々トラバされてるので、適当に返信します。

所帯持ちだったらただの頼れるとーちゃんって感じがする

「頼れる」=「稼ぎがいい」 だ。 労働時間ばっかり長くてもな。

ちょっと勉強するだけで、ものすごく楽な環境に行けるのに、わざわざ底辺に行く奴ってマゾしか思えないよな。

よっぽど無能なんだと思う。

頼れるとーちゃんになっていればいいよね。その子供は良い人生をおくれますように。上手な奴ら、というより地元に残った組について僕は詳しくは知りません。ぱらぱらと、結婚したとか聞いたりはするけどね。

「上手な奴ら」がきちんとした大人になっているか、っていうのは、僕はそうにはなってないと思う。酷い言いかただけど、多かれ少なかれDQN化してるんじゃないかな、多分。奴らは無能でまともな生活じゃないと思う。

今日日の現実は、大学Fランだろうが最低限卒業しているのがあたり前で、ホワイトカラーが一般家庭の仕事だと思う。上手な奴らがバスケで成功していたらともかくして、工場なんかじゃなく一般企業に勤めて普通生活給料を貰っていたら、僕はまた嫉妬なり苦痛を覚えていただろうね。

余談になるけど、労働環境だったり、子供を育てる地域としては僕が地元を離れたときより確実に悪くはなっている。実家帰る度に思うけど、仕事も働けるところも目に見えて少なくなってきてるみたいだし、昔の風景不安になるような感じで変わってきている。パチンコ屋が増えたり、DQNが好きそうな店が増えたりね。

そもそも、その手のリーダータイプは途中で要領よく何かを見つけて他のことで儲けそうな気がする

どうだろう。リーダータイプはいたけど所詮田舎大将井の中の蛙からね。それに成功するにしても、また新たな惨めなカーストが生まれると思う。

特に名門という訳でもない田舎中学の中で「できる子」と言う程度なのにスポーツ推薦って有り得るの?

僕の小さな範囲しかないけど、ほとんどの公立私立高校であったよ。もちろん限られた数だけどね。高校に入って活躍できそうになくても、適当理由一定数は取るのでは。

バスケの上手下手を基準順位付けられ苦しんだ増田が、勉強ができるできない、収入の大小を基準に人を順位付け優越感を得ている。

収入は結果だけど、それまでの過程で優越を覚えてるよ。低いカーストの奴らを長期間いじめておいて、結局はスポーツ活躍できず、こういう惨めな境遇に落ちつく。

自分でも酷いと感じるけど、溜飲が下がったというか、なんかすっきりした。そのうちにどうにも思わなくなって忘れるだろうけど。

増田が主張したかったのはバスケより勉強ができる方がカースト上位にいくべきということだけか。

バスケがうまかった奴も勉強ができた増田も同じ。

カーストの上位を目指すのは別に主張したいことではなかったが、結局はそうなってたね。

ただ、僕は勉強という純然たる競争があって本当に良かったよ。あのカーストは、いじめ奴隷を育てる環境機能していたからね。良い競争と失敗したときの逃げ道、これが本当に必要ものだと思った。


とりとめのない返信で申し訳ない。脱線して、色々とぶれた事を書いてしまたかな。

中学生ハッカーゴーストライターになった話

兄弟からプログラミングやりはじめたんだけれど、この問題の答えになるようなのJavaで書いて欲しいんだ」みたいなリクエストがあった。

以前からパソコンハッカーとかに興味があった従兄弟で、

俺は一応エンジニアで飯を食っているのでよく懐いてくれた。

よくある初心者用の問題だったので、初心者が躓くポイントコメントをつけてメールで返す。

何度かやり取りが続いた。

たまにコードダメ出しをして欲しいとかいってくるが、ほとんど俺が書いていた。

俺の勘としては勉強のためというかは宿題の代行をしているみたいな気がしてきた。

なんかどこかに公開してんじゃないか?と思って、

コードのある部分をグーグル検索してみた結果一つのブログが出てきた。

ブログというよりは、SNSに近いあのサービスなのだが、完全に俺のコードがそのまま公開されていた。

そこの主のIDも従兄弟メールIDとかなり近い。

レーベンシュタイン距離が3で済むくらいIDが似ている。

もう完全に本人。

ハッカーバトル

なんかそのブログはいわゆるワナビーたちがいっぱいコメント書いていて

何だが微笑ましいんだけれども

なんかワナビーたちのグループが幾つかあって、そのグループ間でバトルになっていた。(総勢7人もいなかったが)

情弱とかスクリプトキディとかそんな煽り言葉が飛び交い、知識のひけらかしと揚げ足取りの激しい応酬が繰り広げられていた。

IP抜く、IP抜いてそこにトロイを送る、IPで住所を調べる、IPでどこ中かしらべる。

などなど…いやいや、IP信仰すげーよ。

太古の日本本名を知られたら魂を操られるという信仰くらいIP信仰すごいよ。

Wikipediaとかで知識を仕入れるんだろうね。

SQLインジェクションでお前のパソコンパスワード抜く」とか、「クロスサイトスクリプティングクッキー攻撃だ」とか…

攻撃名前ってかっこいいもんね。

分かる俺も中学生だったら使いたくなっちゃう。

そんな中で、従兄弟自分の成果として俺のコードを出していた。

ヘッダの署名や、冗談MITライセンスを記載していたがそれまでそのままコピペ

ここに集まってくる子たちはどんな子なのかと、それぞれのIDをぐぐってみたら

出るわ出るわ。ツブヤキサービスや別のブログサービスアカウントが…そして学校名も…

不正アクセスなんかしなくても個人情報すぐわかるのに、彼らはバトル中にそれらググれば分かる情報をつかって煽ることは無かった…

まあ、そんなもんか

とりあえずおもしろいので、しばらくゴーストライター続ける。

リアルタイム生産される黒歴史が見れて兄ちゃんちょっと懐かしい気持ちになったよ。

しばらくすれば飽きてくるだろう。

その時は従兄弟スキルがつくかも知れないから、一緒にソフトウェア開発をしたいと思っている。

スマホアプリとかWEBサイトとかね。

2014-10-27

遅れてきた思春期の巻き添えになっていて死にたい

25過ぎて初めて恋愛して(やっと自分レベルを受け入れて、自分と同等レベルの男を受け入れる事ができて)初めて彼氏できて(でも自分はこいつと同じカーストとはみんなに思われたくないからみんなの前では「彼がしつこかったから付き合った」とか言っちゃって)、

でも実際は初めての「やべ~恋人同士ってこんな楽しいのかよ」というみんなが中学高校で過ぎてきた道を楽しんでいる人がマジでキモい

いや、正確には別にそれ自体はきもくないけどそれをあたかも私が人類初めて体験しました!かのように、こんな経験してます!って大声で叫ぶ奴がうざすぎる。

ベタジュエリーショップチェックインしてんじゃねーよ。みんな高校生の時にそのブランドに憧れたんだよ。彼氏のことへんな呼び名のまま給湯室で話してんじゃねーよ。みんなそれ中学生ときにやって終わってんだよ。

「夜空で星がきれいなのは、すこし駆け足な冬のせいじゃなくて、あなたがここに私を連れてきてくれたからって、私気づいてるよ?」みたいな地獄ポエムを恥ずかしげもなく職場の人もいるFacebookにあげてんじゃねーよ。

みんなそれ中2でやってもう黒歴史なんだよ。せめて恥ずかしがってくれよ。もうババァなんだよ!遅れてきた思春期を取り戻そうとして関係ない人を巻き込むなよ。

それがフィードに流れるたびに、社内メール婚約報告するたびにこっちのHPがガシガシ削られていくんだよ。もう頼むからやめてくれ。彼氏と2人でやればいいじゃないか。

みんなが失笑していることに気づいてくれ。

2014-10-13

もちろんただの個人差の話なのだが、私は「オレ中々のイケメンだわw」とか思ってる超ブサイク男性がいても特になにも思わないだろうし、むしろ「なんだこいつ面白いな」と好感的に思うことがあってもおかしくない、と断言出来る。

そうかなあ

俺はカンチガイ君と呼ばれていて

酷い扱いされてたけど

黒歴史

2014-10-06

フォント弄りがいまさら流行増田

10年前かよ

やめて黒歴史がよみがえる

ピーーーーー ヒョーーーロロロローーー

2014-10-05

ようやくスター消せた

1ヶ月前に間違えてつけちゃった通常スター

変なコメントドラッグした状態でつけちゃったから、スター付けられた方は、何言ってんのこいつ状態だったと思う。すまん。

とりあえず今さらだけどスター消せて、黒歴史を消せたように感じてホッとしてる。

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