はてなキーワード: 青春とは
(恥ずかしながら響け!ユーフォニアムは未視聴です)
吹奏楽部員のフルートの傘木希美とオーボエの鎧塚みぞれの2人が
曲の理解を深めるとともに自分たちの関係性を見つめ直す物語であった。(ちょうざっくり)
映画にも描かれている、合奏の空気感や曲作りに対する部員同士の対立なんかはあるあるなんじゃないかと思う。
偏見じゃん!といわれればそれまでだが、
わかるな〜と思いながらみていた。
だから、とても没入することができたし、いい作品に出会えたと感じた。
本題はここからだ。
自分が大人になってしまったことに映画を通して気付いてしまったのだった。
結構ショックだった。
ネタバレを含むが、
上位カーストという感じ。
ずっと傘木の後をついて回っている。
一方、傘木は自分の方こそみぞれなしではいられなかったということに気付くのだった。
まずこれがもう序盤で気付いてしまうのだ。
こういう子って急に大きくなるんだよなぁって肌で感じてしまう。
それはいい。
例えば恋愛漫画で、この2人どうせくっつくんでしょ?(その過程がみたい)というのは往々にあって
何がショックだったのかというと、
友達とのイザコザ(で片付けるのは失礼だが)が羨ましかったのだ。
今の私といえば
あんまりストレスが溜まったら、美味しいものを食べて仕事と関係のない友達に愚痴って消化、
気持ちがみえなくなってハグを求めて相手の気持ちを知ろうとする、
合奏の掛け合いがぎこちなくなって知らぬ間にできてしまった距離感に落胆する…
そして私にはわかるのだ、
ここまでイザコザしたとしても
でも安心して欲しい(?)
ひょんなことから連絡をとったりすると4年くらい空白があったとは思えないような時間を過ごせたりする。
そしてなにより
強烈にうらやましい!と思ったし、
作品を通して高校生の私に再会させてくれたリズと青い鳥は偉大だ。
素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます。
もう一周観ようと思う。
響け!ユーフォニアムも観るべきなんだろうか?
の映画を見た。
いじめたやつがずっと謝りたかった、ごめんなさいって、言うシーンがあった。
そんなことで許されない。
時間は戻ってこないし、常に脅えて生きていくしかない私たちは、一生このままだ。
謝って楽になってくれるなよ。どうせ幸せにやってくんでしょ?死なれたって許せない。
私たちは死ぬまで地獄のような生活を続けるしかないんだ。お前らのせいだ。
どれだけ変わろうとしたって、変わったように見えたって、幸せな日常がおとずれたって、心の底では怯えてるんだよ。
人の目線や、話す声や、音楽を流して遮断したって口元が動く人が目に入るだけで怖くなる。
自分は無価値な人間だという感覚が消えなくて、死ななくちゃって本気で思ってしまうんだよ。
お前らのせいだ。人のせいにしたってどうにもならないけど、お前らのせいなんだ。
そう思えるようになったのも、あれから10年ほどたってやっとだよ。ずっと、ずっと、私が存在してるから悪いんだって思ってた。
お前らは幸せそうに青春してたな。いじめたことなんてなかったかのように、当たり前に笑ってた。楽しかっただろうね。
謝って楽になるくらいなら、謝らないで。
謝る気もなかったり忘れてるくらいなら、ひとりで不幸になって惨めに死んでくれ。
『バトゥーキ』というマンガがいま、1話から最新話手前までを一挙無料公開してる。
簡単に説明すると、主人公の女の子が両親を救うため、ヤバイやつが指定するくそ強い人間をカポエイラで倒したり仲間を増やしたりする青春格闘マンガだ。カポエイラだけじゃなく、空手合気道柔道システマ、いろいろな格闘技を使う奴が出てくる。時折ギャグが挟まる。
『嘘喰い』の作者の最新作と言えば、「あ〜」となる人もいるかもしれない。
20話くらいまでを丁寧に書いてて(悪く言うとそこまで展開が遅い、片鱗はあるけれどぱっとしない)ヤバイやつが主人公にコンタクトをとってきてから一気にエンジンがかかる。
だから初見は一気読みの方が向いてる。序盤は一週間に1話のペースだと用語の意味があやふやになりがちだし主人公の目標がはっきりしないしで、自分も当時はふんわり読んでた。そのあたりで嘘喰いからついた読者も随分離れてしまったようだ。
なので、エンジンがかかって最近はおもしろくなったと言っても、スロースタートなのは否めないので人に勧めにくかった。
そんなこんなで最近ヤングジャンプ本誌での掲載は打ち切られて、ヤンジャンのマンガアプリに移籍して連載が続くことになった。
それをきっかけにしたのか、最新話前までがいま無料で公開されてる。
一挙公開のことを知ってから、新しくバトゥーキに触れた人がいるのだろうな、とTwitterで「バトゥーキ」を検索してみたが、正直びっくりした。
フォロワーが大勢いる創作者や感想勢がバトゥーキのことを話している。その人たちに影響されて様々な人がバトゥーキを読んだ、おもしろかったと呟いている。
自分がこのマンガをおもしろいと感じたように、他の人もおもしろいと思っているんだと嬉しくなった。
絵について、格闘技について、挟まれるギャグについて、キャラクターについて、熱く語っている人がいる。今回の一挙公開で自分よりもよっぽどバトゥーキという物語やキャラクターを愛するようになった人もいるだろう。それがとても嬉しかった。
ちなみに内容だけでなく本誌掲載されたときについていた煽り文もおもしろい。すでに読んだ人には、どの話の後に挿入されたかわかるだろうが、「YOUはいつから家族に…!?」は大好きな煽り文だ。
[第1話] バトゥーキ - 迫稔雄 | となりのヤングジャンプ
嘘喰い 5巻 |無料試し読みなら漫画(マンガ)・電子書籍のコミックシーモア
ここからは余談。
やはりバトゥーキは一気読みに向いていたし、ウェブ移籍を期に一挙公開に踏み切ったのは正解だろう。
けれどバトゥーキが本誌からなくなり、能動的に読みたいものほとんどなくなってしまったから(銀英伝も随分前に移籍してしまった)ヤングジャンプは買わなくなった。
もう少し早く一挙公開をしてくれればという気持ちも、小さく胸の中でくすぶっている。おそらくシャドーハウス(こちらもスロースターター)が以前一挙公開で成功していたことと、作者がTwitterでウェブ移籍について話していたのをたまたま見てしまったのが理由だろう(私は作者の呟きをたまに見にいくことはあってもアカウントをフォローしていない。察しのいい人なら理由はわかるだろう)
このあたりは、いまになってはもう詮無い話だ。
大学一年のときに講義で紹介されて気になっていた『アンダーグラウンド』という映画がなんとイオンシネマでちょうどリバイバル上映中だと知って、これは天命だと俺は思った。
一年前に知った映画をふと思い出して検索をかけたら、ちょうどその時にリバイバル上映をやっている。ものすごく有名で超人気ってわけでもない映画なのに!
最寄りのイオンシネマは泉南市にあって、交通費は片道だけで千円かかる。あのクソ遠い関西空港よりさらに遠い。でも行けると思った。当時はまだ元気があったし、なにより運命みたいなものを大切にしようという心がけがあった。
泉南はやはり遠かった。大阪・梅田から離れるにつれてドンドン田舎感が増していき、イオンモール最寄りの岡田浦駅なんかはほとんど無人駅みたいな寂れかたをしていた(本当に無人駅だった気もする)。
上映まで1時間くらい時間があったから、近くの浜に行った。秋も半ばで空は快晴、陽は落ちかけているが、夕暮れというほどでもない。空がいよいよ夕焼け色になってある種の華やかさが生まれる前の、一番寂しい感じのする時間帯だった。海の周りの道路は広くて綺麗なのに通行人は俺しかいなくて、それも寂しい感じがした。大きな人通りのない交差点に「岡田浦朝市→」と書かれた案内看板があって、なんだかポスト・アポカリプスみたいで胸騒ぎがした。たぶん普段は交通量も多く、全然寂れてなんていないんだろうけど…。
しばらく泉南マーブルビーチというところで海を見た。所詮大阪湾だからたいした感動はないんだけど、それでも海は海だった。浜に敷かれた白い砂利が綺麗だった。
イオンのなかで何をしたかはあまり覚えていない。映画館の作法が全然分からなくてチケットを買う時にどぎまぎしたような記憶だけがなんとなくある。
小さめのスクリーンで、客は俺を入れて4人だった。ひとりは似たような年頃の青年で、後の2人はヤンキーっぽいカップル。どういう動機でこの映画を観てるんだろうなと思ったが、まあよく分からんのはお互い様かもしれない。
映画はよかった。あんまりキッチリ理解できた気はしないけど、しっかり覚えているシーンが複数あるってことはいい映画だったんだろう。
上映が終わったのは8時過ぎで、帰り道は真っ暗だった。ぼんやり歩いていたら草薮に思い切り接触して、パーカーの腕じゅうにひっつき虫(ヌスビトハギというやつらしい)の種がついた。真っ暗で人通りのないなか自然と対峙(ってほどでもないが)しているといよいよ寂しい感じがして、ちょっと泣きそうになった。
家に帰るころには10時を回っていた。なんだかいい体験をしたなあ、と強く思った。大学生活で一番青春を感じた一日だったかもしれない。
ーーー
っていうわりと美しい思い出がある場所がクソみたいなインターネットミームの聖地になってたときの悲しみ、わかるまい!
そういう人は「そこそこいい大学」を出たって言うんだよね。
中学(中学受験した人は小学高学年)のクラスで10位くらいの人。
地元トップ高ではないが一応進学校と名の付く高校に進学して、優等生の地位を守って親子ともども一安心。
住んでるところにもよるけど、ざっくり大学進学率が50%とすると、大学進学組の中ではど真ん中の平均的な成績であることに気づかずに。
高校生活は部活に恋愛にと青春を謳歌してガリ勉を見下し、偏差値50程度の大学に進学したらどこから見ても立派な凡人。
法務会計系の資格でも取ればいいのに、やりたいことをやるとか言って専攻は文学部とか社会学部。
中国語とかスペイン語とかできればまだいいのに、発展途上国には行きたくない。
就活時にコネがあれば自尊心を満たす就職ができるが、コネがなければ人生初の挫折に直面し、その後は敗北感を感じて生きていく。
何が悪かったんだろうね。
どこで頑張ればよかったんだろうね。
喪女でヲタクで腐女子っていう三重苦抱えてるんだけど、性欲が男子並にある
小学生でエロサイト見てたり親が隠してるAV見たり自慰覚えたり、テレビの芸能人の妊娠報告見るたびこの人たちヤったんだって思ったり まあ性の目覚めが早かった
中高は女子校だったし、彼氏が居たり経験ある子って一部だけだったから焦りもなく、ヲタクだから推しに金かけたいから彼氏なんかできたら時間もなくなるし金も全部は推しにかけれなくなるって思うから青春したいなとは一回も思わなかったし、大学生になった今も彼氏はいらないって思ってる
小学生の頃からいつか自分もセックスするんだろうな、って思ってたけど、大学生になって、今まで女子校で過ごしてきて彼氏の話なんか無かった友達が次々彼氏が出来たりなんなら夜の話もする子もいる
自分の知らないところで皆”経験”してるんだ、、って思うと急に焦ってきた
普通はここで成人して彼氏いない歴=年齢なことに焦ると思うけど、私は経験ない歴=年齢に焦ってる
パートナーが欲しいから彼氏欲しいじゃなくて、セックスしたいから彼氏が欲しい 自分で思って情けなさすぎるけど何で人間に性欲なんかあるんだよって思う
本当は前戯から終わるまでどのくらい時間かかるのかとか、そもそも気持ちいいのか、ラブホって実際どうなのとか経験したことある友達に根掘り葉掘り聞き出したいけどなかなか難しい 男子は性事情オープンにしても良くて羨ましい
LGBTとかじゃなくてほんとに性欲があるだけなんだけど、動画で同性とのセックスの仕方も見てるからこの際同性でもいいからセックスしたい
どんな人と付き合いたいとかどんな人とセックスしたいとかが無くて、そもそも好きな人居ないから恋愛にならないんだけど恋愛どうこうよりセックスしたい
夢を見た
中学生の時に単純に好きとも嫌いとも言い切れないクラスメートの女の子が夢の中に出てきた。そいつと親密に接する夢だった。別に健全な内容の夢だ。
起きてすぐ、何とも言えない嫌な気分になった。
今までに夢にそいつが出てきた時はあまり何も思わないか、どちらかと言えば嬉しい、と思っていた気がする。
実際にそう思ったことに正しいもくそもないが、何とも言えない嫌な気分になるのは今までで一番正しい気がした。
そういう気分になるということは、自分がいままでずっと何を考えてきたのかようやくだいたいわかった気がした。
大した話ではないかもしれない。
現実の話。
中学生の時ある事件があり、クラスメートの女の子が落ち込んでいるから担任からそいつに対して全員それぞれ手紙を書けと言われた。
俺は小学生の時から作文が苦手で毎回「何を書けばいいのかわからない」と思い、書き出すまで相当時間がかかってしまう。(今思うと多分これが自分の人生でわかりやすいポイントだと思った)
事件は単純な嫌がらせの話で、自分からそいつに言えることはあんまりないと思った。
容姿が良くて優秀、でもなんか知らんが中の良い友達1人とだけずっと話しているというイメージのやつだった。
負けるながんばれ!というような力強いことをあまり悩まずに1行書けて担任に預けた。
普段から全然そういう風に言う性格ではないが、単純にそれが一番心に伝わる言葉だと思ったのでそう書いた。
全員から手紙集めた担任が、帰りのホームルームでそいつに全員の手紙を渡しホームルームが終了し帰宅した。
そいつがそのまま自分の席で手紙を読んだのか家に帰ってから読んだのかは知らない。
翌日から、変わった。
実際にはそこではないのかもしれない。でも俺の感覚ではそこから変わった。
なぜたった1行、それだけでそいつの俺に対する反応がそんなに変わるのかわからなかった。
ドン引きされるかもしれないとも思っていたが、確かにそいつの心に伝えられる謎の自信もあった。
でもそんな…そんなにそいつが変わる、しかもそういう方向の反応になる…そんな俺にとってムシの良いことがあるのか…。
なんで俺にそんなに関心を持っているんだ??
目が合うと負の感情ではないすごいエネルギーが送られてきて顔が赤くなってくる…嫌な気持にはならない。そんな感じだった。
他のやつの書いた手紙はもっと何行も書いているやつもいたらしい。担任から褒められていたのは他のやつだった。
普通に、他のやつに対しても変わっているのに俺に対してだけ変わった!?と気持ちの悪い誤解をしているのかもしれない。
俺は、明らかに違った態度をしてくるそいつに毎日ドキドキするようになった。
そいつの容姿が良いのでそういう風になって欲しい、という欲望はもともと確かにあったかもしれない。
俺は同年代でも見た目が幼く大人しいからか女の子から親切にしてもらえることは比較的多かったが、あくまで親切という感じでそれまで誰かと親しくなることもなかった。
まあ、とにかく嬉しいに決まっている。
だが…
本当に、心底、
本当に。
俺の一挙一動でまたそいつが何か良い方向にも悪い方向にも変わってしまうかもしれない。
単純に嫌われるのが怖い、だけとも違う。
当時からインターネットで調べることができたので自分が脇見恐怖症と思われるようなものになっていると分かった。
好きな気持ちよりも怖い気持ちの方が上回ってしまうようになっていた。
結局何もなく卒業した。
そいつからしたらなぜ俺があんな感じだったのか、嫌われてるのかなんなのか意味が分からなくて苦痛だったと思う。
全部自分の都合の良い狂ったストーカーのような妄想なんじゃないかと思って今までの人生で一度も誰にも話したりしなかった。
というか今思えばどう考えても普通に俺以外にも気に入ってるやつは何人もいただろう。自分がそうであったように。
もう30代だからどう考えても都合よく記憶を改ざんしていることは山ほどあるとは思う。
そいつが出てきた夢から覚め、何とも言えない嫌な気分になった後、
ずっと俺は何においても自分が単純に怖がり、ヘタレだと考えていた。
具体的に考えてみたが、おそらく何においても選択を間違えることが異常に怖かったのだと思った。
怒られたくない。文句を言われたくない。恥をかきたくない。
それで家を出た今親とも連絡しなくなってしまった。
日常会話でこれを言ったら空気読めてないんじゃないかと思い発言に時間がかかる。
自分の好きなものを正直に友達にも家族にもなかなか言えなかった。
ネット上ですらうっかり変なこと書いて馬鹿にされるのが怖くて匿名掲示板にもなかなか書きこめない。
就職先、やりたいことがない。必然的に楽で儲かる仕事をしたいと考える。でもどこが良いのかよくわからない。
友達も選びたい。恋人も選びたい。でもうまく嘘をついて断ったりとかちょっとでも卑怯なことはバレるのが怖くてほとんどできなかった。
優秀な奴ならできるのかもしれない。でも自分の能力ではそんなことはなかなかできない。できない自分を受け入れられない。
他のやつはうまくやれてるように見えるのになぜ自分はうまくやれないのかわからない。
でも初見で正解の選択肢を掴むことが至上命題のように考えてしまう。
負のループ。
物事は表裏一体で、頑張ろうと自分だけを厳しく追い込むと必然的に他人にも心のどこかで嫌な風に思ってしまう。親切に遊びに誘ってくれる友人にさえも。
ようやく自分と向き合えた気がする。
でも気がするだけで合っているかは多分一生わからないしそう簡単には変われない。
あれから同窓会とかにも全く行っていない。学生時代の誰にも会いたくなかった。嫌だった。
俺の連絡先をクラスメートの誰も知らない。でも実家に連絡があったという話も聞かないのでそもそもハブられてるのかもしれない。
理由。年々知っている有名人が死んでいくから。30代とかで若くして突然死ぬ有名人もいたから。自分も嫌になって全部投げ出そうかとかたまに漠然と思うから。友達がいないから。結婚してないから。糞だと思う。こんな30代になりたくなかった。
あいつに会ったとして何事もないようにふるまうべきなのか、何もかも正直に話して謝るのかまだよくわからない。
俺は論理的に「卒業してクラスメートの誰かが結婚してようが何してようが別に同一人物だろう。同じ名前の人間なんだから。」と、ずっとそう思っていた。
でも一緒に過ごした3年間とかの時間よりも、何倍もの時間を自分とは別のところで既に過ごしている以上、それはもうほぼほぼ別の人間に入れ替わっているようなものだろうと気付いた。
みんな毎日色んなものを食べ想像もつかないくらい膨大な量の身体の組織が入れ替わり、色んな経験をしている。
懐かしい話ができるかもしれない。ウマが合うかもしれない。でも、それを話す人はもう別の人間だ。あの頃の俺もあいつももういない。
それが分かっている奴は卒業式で泣くんだろうと思った。
小中高、俺のクラスのやつらも大体が泣いていなかった。
そういえば、なぜ俺のクラスのやつらは卒業式であまり泣かないんだろう、とずっと前から心に引っかかっていた。
もしかしたら自分のような人がいるかもしれないと思い、書いた。
はじめてのコミケで本が売れた。
生きててよかったと思った。(※ここからは本人特定されないために嘘も混ぜるがそこは許してほしい)
ずっとダメ人間だった。顔は不細工。もう女子とは学校を卒業してからほぼ話してない。
リーマンショックのせいで、ブラック企業に偽装請負で働いてた。
それでメンヘラになった。
それで4年間ひきこもりをやった。
自分は何も残さず、家族に寄生したまま死ぬんだろうと思ってた。
怖かった。
家族が死んだあとどうするんだろう。自分も後を追って死ぬかとか考えてた。
自分にも夢があった。
西尾維新とか奈須きのこみたいな作家になりたいとかずっと思ってた。
でも新人賞への小説を一作も書かずどうせ無理だろうと思ってだらだら過ごして、アニメを見たりラノベを読んだりして青春は終わった。
そんななか創作クラスタをずっと、「うらやましい。でも失敗しろ。お前らなんかどうせプロになれず終わるんだ」と呪詛と羨望を混じった眼で見続けてた。
twitterで「こんなに絵がうまくなりました」っていうツイートが流れてきた。描き始めの絵と現在の絵の差をみんなで楽しむって企画。名前は伏せるが、大嫌いな絵師の絵が流れてきた。いけ好かないリア充野郎だと思ってた。
悔しかった。
最初の絵はノートに鉛筆で描かれた落書きだったのに、現在の絵はラノベの表紙に使われてもおかしくないクオリティだった。
その日から、一か月ぐらいずっと、悶々と考え続けてた。あいつはプロになるんだろうか、漫画家になるんだろうか、失敗したらいいのに、炎上して消えればいいのに、そんなことばかり考えてた。
そして、俺は、自分も絵を描くことにした。なんでそう思ったのかわからない。ネットに乗ってる、サルでも描ける萌えキャラの描き方講座を読み、コピー用紙に萌えキャラを鉛筆で描き始めた。
あれはきっと逃避だったんだと思う。自分の将来と向き合うのが怖かった。だから美少女に救いを求めたんだと思う。我ながら馬鹿だと思う。
最初の一か月はつらかった。どんなに描いても人間の顔にならない。美少女を描こうとしてるのに不細工どころか人類の顔になってくれない。何とか人間に見えるようになるのに1か月かかった。
ネットの情報を見ていると、萌え絵を描くにはどうやらパソコンとペンタブが必要だということがわかってきた。お絵かき用のPCとを調べてみたら、7万円はかかるということが分かった。
気が付いたら、アルバイト雑誌を入手し、アルバイトを探していた。
アルバイトを探している、と言ったら年老いた両親が驚いていた。
医者も驚いていた。
家の近くのコンビニバイトを探していたが、引きこもりオーラのせいで全部面接で落ちた。
唯一受かったのが、コンビニに調理パンを卸している食品工場のバイトだった。
一日7時間。深夜勤、時給1000円で7000円を一日で稼げた。
ずっと立ちっぱなしだったが、1か月でPCとペンタブとペイントソフトが買えた。
そうして気が付いたら社会復帰していた。
毎日昼の15:00に起きたら絵を描いて、夜の21:00に出勤し、終わったら寝る。そういうダメ人間の生活を2年ぐらいやった。
絵は下手くそだったが、お絵かきアカウントを作り、ネットにアップするようになった。
このころから、新しい友人がネットででき始めた。中にはフォロワーが1万人超えのような上級絵師さんも相互フォローになった。
アップした絵が初めて10RTぐらいされるようになったのもこのころ。
そうしたら、会社から「正社員として働かないか」と言われた。本心は嫌だった。創作に使える時間が減るから嫌だったのだが、会社は先に親のほうに話を通してしまった。こうなるともう正社員として働くしかなくなってしまった。ひきこもりとして実家に寄生しているのに「絵を描く時間が減るから嫌なの」とか言えるわけがない。いやいやながら、正社員になって働くことになった。絵を描く時間が一気に減った。一日一時間ぐらいしか描けなくなった。そんな日が2年続いた。
気が付いたら、預金残高が300万ぐらいたまってた。家に住んで近くの会社で絵ばっかり描いているし、生活費を払っても自動車も買わないのだから、それぐらい溜まる。
それからさらに数年。そして俺はコミケに出た。本当はずっと出たかったのだ。創作クラスタが11月と6月になると「東ア‐12」とか名前の横につけるのがずっと格好いいと思っていた。でも、1部も売れなかったらどうしようとも思っていた。ネットで一部も売れなくて重い在庫を持って帰るとか、そういう話を読んで怖いと思っていた。でも、預金残高を見て、売れなくても大丈夫だと考えなおした。
で、申し込んだら最初は落ちた。
二回目で初めて通った。
そこから「初めてのコミケのサークル活動」みたいな記事を読んで必要な物を一式買った。
ポスタースタンド、防炎加工の敷き布(いわゆるあのぬの)、カラーのポスター、小銭入れ。そういう物を買うたびに、不安が募っていった。
それで初めてのコミケ。
最初の一時間は全く売れなかったから、「ああ、やっぱり。不安的中しちゃったよー。もう止めとけばよかったよー」とそのまま帰って寝ようと思った。
社会と初めてつながったような気がした。
買ってくれた人に「ありがとうございます」と心から言えた。
数十部売れた。
生きててよかったと思った。
自分はコミケとか創作とか、そういうのがなければ、ずっとひきこもりだったのだと思う。
あそこがあるから生きていられる人はきっとたくさんいると思う。
車で10分もかからない距離だったと思う アップダウンがかなり激しくてふた山くらい越えなきゃだからチャリだとキツそうだけど、キツいといっても無理ではない距離だった
いこうと思ってたんだよなあ 大学の夏休みに帰省してさ、朝9時くらいに家を出て、自販機で水買って、汗を拭いつつセミの鳴き声をBGMにチャリを漕ぐわけですよ 体力ないからときどき止まって、登り坂はチャリを降りて呻きながら登り、下り坂は風を感じながら駆け下りる 海が見えて、まあいつも車に乗って見てるところだしものすごい感動があるわけでもないんだけど、やっぱり自分の脚で来たという感動はそれなりにある 潮の香りのなか海沿いをチャリで走って物産館に行き、ちょっと商品を物色したあと併設のレストランで早めの昼食にフライ定食を食べる 食べ終わったら海に行って、日焼けを気にしつつ海面を眺める 帰り道はただただ苦痛 エアコンの風につつまれることを想像しながら無心にチャリを押す そういう小旅行を妄想してたわけだ
チャリが チャリが捨てられてなかったらなあ いや、チャリが健在でも暑いつって行かなかった可能性はあるけども でも行ってた可能性も結構あるんだよなあ 帰省したらチャリが無かったときのあの感情……
青春ってひとりでもやれるんだよな バカらしいことを全力でやればいいわけで、友達とか彼女の存在は不可欠ではない
夏休みにひとり、5キロの山道をチャリ漕いで海まで行く たいしたことなさを含めていかにも愛おしい青春の思い出になりそうだ
もうキツそうだなあ
体力がすっかり落ちてしまった 山道をチャリ漕いでたらしにそう つかチャリ買わんといかん 実家にもなかなか帰れない チャリなんて買ってどうする?
いっそ折り畳みのマウンテンバイクみたいなのを買えばいいのかな でも、青春海紀行は通学に使うようなママチャリでやるからこそのものなんじゃないかな
ああ…
いい海に行きたい 程よく田舎で、程よく行きにくい海 いや、いっそ電車でもいいや 普段いく方向ではないけどいこうと思えばいける距離に素敵な海が欲しい 今は海が遠すぎる
楽しそうだったので2020年6月20日の上記有料配信を購入して視聴した。
実際楽しかった。
というわけで、素人目に(?)印象に残ったところの感想を思いつくままに、多少の偏りはあるかもしれないが書いてみる。あらかじめ書いておくと、YouTubeのジャニーズJr.チャンネルだと一番見てるのはHiHi Jetsなので多分そっちに偏ってる。
ファンクラブ会員でなくても税込3000円で1週間アーカイブを視聴可能なので、興味を持たれたかたは購入を検討してはいかがだろうか。
(購入した理由はもう1つある。私はCOVID-19医療に最前線で関わってはいない医療従事者なので、このライブの目的を知り、同業者の支援につながるならば……という考えがあった。
このような自分語りを唐突に挟むので、邪魔なかたはカッコ内を読み飛ばしてください。)
(「学校へ行こう!」を見てた世代なので、原曲のV6には親しみがある。長野博さんの顔がタイプ。)
(宝塚歌劇団を不定期に観劇する人間なので、佐藤龍我くんの脚の長さは宙組男役っぽいなとかうっかり考えてしまいがち。)
(HiHi Jetsと美少年は例年出演していた夏のイベントがCOVID-19の影響で中止になったとのことで、猪狩くんはそれをくんで「おいでよ」を「心の」に変えて歌ったのだろう。
実は現在私が追っている他界隈で7月に開催するはずだったライブも中止になった。
「"心の"SUMMER STATION」を聞いたとき、封じ込めていた悔しい気持ちが蘇って、同時に昇華された気がした。一視聴者の事情なんて知る由もないだろうけど、ありがとう。)
(どこが好きかはうまく表現できないけど、日テレ土曜21時ドラマの主題歌になりそうな曲調か。前述の他界隈で好きな楽曲にもある。あまり関係ないけど『ねぇ もっと』を何故かKinKi Kidsの持ち歌だと思っていた。)
『Vanilla』(A.B.C-Z)で随所に入るハープの音が良きかな。思い返せば『青いイナズマ』のサビ前ハープも好きだった。
いい思い出だな。自分も似たような、進学塾とは言えないところでバイトをしていたから、その風景が目に浮かぶよ。
あの年齢の頃だと、生徒との精神的な距離感もそんなに離れていないんだよね。自分は十分な距離離れているような気でいるんだけれども、ふとしたときに思ったよりも近くにいることに気付いてしまうような。自分の青春も終わっていない、けれどもさらに眩しい青春の中にいる人たちが大勢いる空気感。
そういうわけで、1975年生まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。
それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。
俺にとっては、ヴィデオゲームの魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。
結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。
今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。
『カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク風大学生たち)でひしめきあい、
当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。
忍び込むようにして入ったこのゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。
『パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。
キャラクター、BGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。
消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。
それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。
もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、
「ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、
中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。
推理小説よりもゲームブックよりも面白い「推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。
シナリオ・堀井雄二/制作・チュンソフト。ゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。
本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。
けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である。
子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。
初プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。
作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体とUIがポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。
そういえば、ここに挙げたゲームは殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。
それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲームの凄さによるものだったのかは知らん。
ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。
「RPG」というジャンル/概念を意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。
「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか?
もろ鳥山明なドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター(末弥純デザイン)たちに慄いた。
寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。
ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。
おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。
あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、
バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律は羽田氏ならでは。
タイトル画面、カント寺院、キャンプBGMは永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。
当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。
当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードをファミマでバイトして購入した。
膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。
トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。
インターネットなき時代に本作を自力でクリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。
ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGやウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。
ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。
つい最近まで「自分はローグライクなゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。
当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず、文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。
タクティクスオウガもドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、
朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲームは自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。
後期SFCらしい完璧なドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作とUIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、
ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。
手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。
「フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。
中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜
「昨年ついにSwitchで配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから、絶対やっとけ!!!」
それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。
数多の熱狂的ファンや批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。
俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である。
あるいはクラブカルチャー、サブカル、世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM。
本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。
人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物。
もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。
世代的にゼルダはディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。
『神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。
正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。
あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからもクローズドワールドで結構。
なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームだから。
BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。
エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。
夕暮れ時、ロンロン牧場でマロンちゃんとオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。
『moon』ディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。
『moon』が作り出したうずたかい第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。
エンディングではいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後のゲーム)。
坂本教授がBGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。
内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。
(ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)
おまけにリメイクもアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。
だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲームの趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。
とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。
しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。
本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。
本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。
それまでスタンドアローンでしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘でしか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。
その体験は視界を塗り替え、時間感覚を刷新し、現実を異化した。
これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMS』しか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。
『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。
汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。
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俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝。
何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。
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【追記】
ブコメ全部読みました。
こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事なゲームの思い出とか括りでは語れない気持ちを排除するみたいで、
あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、