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はてなキーワード: 青春とは

2020-07-26

anond:20200726045707

今年40なので、ふーんサムライチャンプルーはおじさんのファンが多いのか、まあ自分も嫌いじゃなかったけどと思いながら読み進めてたら、70年代80年代がその人たちの青春なので〜っていやいや 70年代80年代青春だった層はもう還暦だぞ 70年代、生まれてすらいねーし

ついでに言うと大黒摩季活躍してたのは90年代だぞ

若い人たちにはなんならお前らはバブル時代にいい思いしてたんだろ!とかまで言われそう感あるな

10年後には、太平洋戦争ってどんな感じだったの?とか聞かれそうまである

知らんよ

2020-07-24

僕ヤバをどういう気持ちで読むべきか

「僕の心のヤバイやつ」面白いって言われてるから俺も読んでみたら絵かわいいし話も面白いと思ったんだけど俺は自分のこと陰キャだと思ってるから勝手陰キャを消費するなよという気持ちになってしまって素直に読めなくなってしまたからこれからどうやって僕ヤバを読もうか考えている。

陰キャネタっぽく使われることもあるけどマジの悪口で言うこともあるから昔のネクラとかオタクみたいなのと同じ種類の言葉だと思う。

オタクという言葉は今でも負のイメージがあるがダサいとか臭いという意味からアニメ好きみたいな意味になってきて昔よりはマシな言葉になったと思っている。

俺は20代なので昔のことは詳しく知らないけど。

でも陰キャという言葉はまだ生まれたばかり。

ネタっぽいイメージで使われているが残酷性がまだまだ抜けてない思うので陰キャを弄ぶのはまだ早いのではないかと思う。

あの漫画好きなのってどういう層なんだろう。陰キャが「こういうのいいなー」と思いながら読むのか、

それとも陽キャが「陰キャってこんな感じなんだ〜面白れーまあ俺は山田とすぐ仲良くなれるけど」、って感じで読むのか、

それとも年取って陰キャだの陽キャだので悩まなくなったオジさんやオバさんが「あー高校生若いっていいなー、青春だなー」とか言って親目線で見守る感じで読むのか。

俺は僕ヤバにどう向き合えばいいんだ

2020-07-23

ストロングゼロの味

はじめしゃちょー のこの動画を見た

『最強の酒ストロングゼロでふわトロかき氷作ってみた

https://www.youtube.com/watch?v=GN6IF-DsiZU


ストロングゼロを美味しくないって人もいる

僕もそう思うけど,呑みたいって思うときは多い

かき氷 ぐらい普通のおいしいやつが食べたいって気持ちもあるが

どこかで「ストロングゼロ」を求めている

それは,おそらく味ではなくて

ストロングゼロ」っていう精神を味わっているんだと思う

宗教まではいかないにせよ,心のどこかで

ストロングゼロ摂取することを拠り所にしているってことだろう

精神性としての「ストロングゼロ

それはきっと「第二の青春の味」なんだと思う

2020-07-22

ライザのアトリエ精巧青春の再演だ

 君の青春時代を思い出してほしい。部活動サークル活動に明け暮れ、あるいはそうでなくとも仲の良い友人たちと過ごした日々を。同年代の仲間たちが集まって、同じ目標に向かって努力し、でも皆個性的バラバラだった。得意分野も違えば、目標を目指す理由も違って、かける熱意も時間も、家庭環境物事価値観だって違う。ただ同じ場所にいる、同じ目標を持つ、同年代なだけの子供たちが集まった歪な空間青春譚はそんな中で紡がれる。皆バラバラからいつも仲良くというわけにもいかず、時には激しく争ったりして、仲間が去ることもあったろう。対立の末に互いを尊重するようになることもあったろう。決して順風満帆ではないその起伏に溢れる日々は、フィクションの中にとどまらない、現実物語として青春時代支配する。

 青春譚の世界は狭い。子供たちは自分たちの目に見えて手の届く範囲世界を生きる。仲間たちを見て、この先いつか出会う他の集団を思い、自分たちのこれから歩む道を見据える中で、その下に埋もれた大勢に思いを馳せることはない。自分たちと同じくらい努力して、けれど自分たちと今後出会う事のない別の子供たちに対して、仲間意識や同情が芽生えることもない。だからいつも青春譚の主人公は「自分」になる。青春の熱気が、自分こそが物語主人公かのような錯覚に溺れさせる。だから青春時代に、例えば「僕はこんなに頑張っているのに!」とほかの仲間たちも同じくらい、あるいはそれ以上頑張っていることを知っていたとしても、つい思ってしまうのだ。クラスメートGでも部員その16でもない、自分こそが主人公なのだから、その主人公というまやかしアイデンティティにすがってしまう。子供たちにとっての青春譚は、自分自分たらしめるアイデンティティを探し求め、特別になろうとする物語とも言えるだろう。

 しかしずっと青春謳歌しているわけにもいかない。歳を重ねるごとに見なければならない世界は広がりをみせ、将来という現実が重くのしかかり、広い世界の中で自分いかにありきたりで普通な存在なのかを自覚せねばならない時が来る。受験就職勉強スポーツの成績、資格試験引っ越し失恋、身内の不幸、怪我もっとささいな下らない会話かもしれない、そのきっかけは様々だろう。子供たちは転機を迎える。そうして子供たちは青春を過ごした集団から引退する。「成長」して「大人」になって、青春譚は終わりを告げるのだ。

 けれどそんな期間限定青春譚をずっと紡ぎ続ける者も中にはいる。青春を捨てることな集団から去って「大人」のひしめく社会へ赴く彼らは、その「子供」的な部分をあるときは称賛され、ある時は幼稚だと批判され、けれどそのどちらであれ特別存在であることには変わりない。大半の子供たちが普通大人になる中で、普通ではない者だけが特別存在として「子供」であり続けることができる。選ばれし者だけが終わらない青春譚を謳歌する。

 ライザのアトリエ青春であるしかしライザのアトリエ青春譚として異質な部分がある。

 青春譚の多くは主人公物語の中心に据えつつも、仲間たちにまつわるエピソードを描く。例えば青春を題材にした傑作部活もの響け!ユーフォニアム」はアニメ化成功しており知る人も多いと思うが、この作品主人公久美子を通して物語が進むものの、個々のエピソードの中心には様々なサブキャラクターが据えられていて、彼女たちの問題にぶつかりながら、彼女たちの力で先に進むつくりになっていることが分かるだろう。「響け」ではある種記号的な主体性のないひとたらし主人公を設定することで、疑似的に吹奏楽部全体を主人公として描き、仲間たちの物語を繰り広げる。青春譚は仲間たち「みんなの物語」だからこそ、多くの作品は幅広いキャラクターの幅広い問題を描くことになる。

 けれどライザのアトリエにはサブキャラクターイベントほとんど存在しない。したがって仲間たちの物語ほとんど描かれず、物語の節々からその成果だけが見え隠れするにとどまる。そんな主人公だけにフォーカスした青春譚は、いつのまにか、まるで主人公ひとりの英雄譚かのような様相を呈してくる。そう、青春譚が「みんなの物語なのはあくま大人目線の客観的ものにすぎず、そのさなかに居る子供たちにとってはそれが「自分主人公英雄譚」かのように錯覚してしまうのだ。ライザのアトリエ青春譚だが、ただの青春譚ではない。青春の熱に浮かれた主人公ライザの視点から見た、錯覚英雄譚なのである

 ライザのアトリエはライザの英雄譚だ。自身こそが主人公である錯覚に溺れるライザは、仲間たちにも同じように物語があることに気づけない。例えばタオはどうだろうか。勉強を頑張っている場面が何度かあったかと思えば、いつのまにか遺跡古代文字をそらんじて見せた。他にも、例えばライザとの確執を乗り越えたボオスはあっという間にライザをも超える決断力と行動力を見せるようになった。彼らの成長はそれだけでひとつ物語になりうるほど大きいものに違いなく、彼らは全員が物語主人公たりうるのだ。けれどライザはそのことに気づけない。気づけたとしても気にしない。青春の熱気で仲間たちへの関心さえも浮ついてしまったライザは、自身英雄譚に溺れていく。

 ライザのアトリエファンタジーRPGであり、プレイヤー主人公ライザを操作してゲームを進めていく。走り回り、素材を採取し、アイテムを調合し、依頼をこなし、戦闘をし、そしてテキストボックスをおくって物語を進めていく。そんなゲームとして当たり前な行動に対して、ライザのアトリエもまたゲームとして当たり前の快感プレイヤーに与える。素材採取の爽快感、調合の楽しさと達成感、報奨金を得てうれしく思い、戦闘では調合の成果に一喜一憂する。RPGにおいてプレイヤーゲームシステムから特別感や万能感といった快感享受することになる。

 そしてライザのアトリエでこの快感享受するときプレイヤーは気付かぬまま物語に没入してしまうのである。ライザの英雄譚を進める中で、ライザ本人は自分特別さや万能さといった錯覚を抱えて自分物語主人公だと信じており、一方プレイヤーゲームシステムから特別感や万能感といった快感を与えられながら「ライザが主人公ゲーム物語」を進めることになる。ライザの描く錯覚物語プレイヤーの受け取るゲーム快感はゆるやかに、けれど確実にシンクロしていく。プレイヤーは気付かぬうちにライザの錯覚英雄譚の支持者となってしまう。プレイヤーもまたライザと同じように青春に溺れてゆき、サブキャラクターにも物語があることを重要視できなくなってしまう。タオ古代言語研究も、ボオスの精神的成長も、レントもクラウディアもアンペルもリラのことも、しっかり評価しているつもりでもどこか軽視してしまう。青春譚がみんなの物語であることをつい忘れてしまう。だってライザのアトリエはライザの英雄なのだから

 ライザのアトリエは、誰もが英雄ではないからこそ面白い青春譚を、英雄譚を語るためのフォーマットであるRPGを用いて語った時いったい何を表現できるのかという問いに対して、ひとつ面白い答えを示せているだろう。

 やがて夏が終わり物語エンディングを迎える。けれどそこに訪れたのは英雄凱旋というハッピーエンドではなく、別れだった。自分の将来という現実、親の都合という現実、これから生活という現実、ライザがそれまで見て見ぬふりをしてきた様々な現実が、仲間たちとの別れとともに押し寄せる。英雄譚を共にした大切な仲間たちが「大人」としてライザの前に立つ。青春譚を経て特別になれなかった子供たちが「大人」としてライザに別れを告げる。ここでライザははじめて、仲間たちにも同じように物語があったことを理解する。ライザが青春の熱に浮かれて目の前のことだけに躍起になって満足している間に、仲間たちはもっと広い世界を見つめていたのだ。このひと夏の出来事は、決して英雄譚なんかではなく、仲間たちみんなの物語だったという現実がライザを襲う。自分が見て体験してきたひと夏が一気にひっくり返されて、言葉を失うほどのショックを受ける。

 けれどライザも特別存在でないのなら、現実とは向き合わねばならない。ライザは「大人」になることを決める。皆を引き留めない。隠れ家は解散。遠く離れてもまたいつか会おう。そんなありきたりな結末を選ぶ。ライザは特別にはなれなかった。子供のままではいられなかった。「なんでもない」ライザは青春の夢に生まれ、そしてなんでもないまま「成長」という名の死を迎えた。青春を生きたライザというキャラクターは、青春の終わりとともに消える。ライザは「大人」になっていく。

 ライザが「大人」になることを選んだように、プレイヤーもまた青春の夢から覚めなければならない。ずっとこつこつ積み上げてきた錯覚英雄譚は、エンディングの場にきて一気に崩される。プレイヤーの支持した英雄譚なんて最初からなかったのだ。エンディングプレイヤーに、ゲームシステムからもたらされる特別感や万能感を物語解釈にまで持ち込んでいないか咎めてくる。ライザ視点しか見てないのに物語全体を理解した気になっていないかと冷酷に突き放される。ずっとおだててきたくせにエンディングにきて突然「なんでもない」の世界に突き落としてくる。プレイヤーも「大人」にならなければならない。

 平和後日談もなく物語ピーから急に始まる決してハッピーではないエンディング。いつか訪れることを知っていた仲間たちとの別れ。その別れを祝福したい気持ち。けれど自分だけ取り残された焦燥感もある。どうにかハッピーエンドには行けないのかと歯がゆく思う気持ち自分特別さを否定された時の居心地の悪さ。

 そんな複雑に絡み合ってモヤモヤした、けれど無性に懐かしいあの青春喪失感を、「ああ、明日からこの部室に来ることは無いんだ」と思うあの青春残響追体験したいなら、これほど適したゲームは他にないだろう。

 ひと夏の濃密な時間を過ごして、結局特別にはなれず「なんでもない」まま青春時代を終えた少女、ライザリン・シュタウト。そんな少女に、3年の年月を経て、2度目の夏が訪れるという。

 「ライザのアトリエ2 ~失われた伝承秘密妖精~」は今冬発売予定。アトリエシリーズをよろしくお願いします。

anond:20200722180846

青春十八切符福島まで行こうと思ってたんだけど駄目なん

本日7/22 21時からの「少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-完全版」生ライブ配信を見てくれ

https://youtu.be/KlvivbU_GqQ

タイトルの通りで、上記URLにて本日21時から少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-完全版」が生ライブ配信(アーカイブなし)(アーカイブありでした)されるのでダイレクトマーケティングする。

暇だったら老若男女問わずぜひ見てほしい。

上手いこと文章をまとめる能力がないので箇条書きにて簡単説明おすすめポイントを並べていく。


少年ハリウッド」とは

少年ハリウッド」とは、作品名および作品主人公となるアイドルユニット名前である

同様の名前を冠した作品舞台小説アニメに展開されたメディアミックス的なプロジェクト(『少年ハリウッド自体の初出は2011年舞台公演)なのだが、

主にアニメである少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 49 -』(2014)『少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 50 -』(2015)を念頭に置いて触れる。

おおまかなジャンルとしては男性アイドルもの

あらすじ等を書くのが苦手なので、アニメ公式サイト作品紹介の一部を引用すると、

このお話は、劇場"ハリウッド東京"を拠点活動するアイドルユニット少年ハリウッド」が巻き起こす、ドタバタ青春アイドルサクセスストーリー! ……だったらいいのにな

作品紹介 INTRODUCTION|少年ハリウッド

ということらしい。

少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-完全版」とは

Makuake|TVアニメ「少年ハリウッド」第26話を完全版にさせたい!応援プロジェクト|マクアケ - クラウドファンディングにて資金を募り、

少年ハリウッド - HOLLY STAGE FOR 50 -』26話「少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-」に新作パートを追加する形で完全版の映像を作ろう、という企画成果物であり、主に映画館でのイベント上映で流される

少年ハリウッド』26話自体アイドルライブ公演を再現しており、尺の都合上ダイジェスト版のような形式を取ることになったが(とはいえ作劇上の瑕疵は全くなく、必要十分な量なのだが)

完全版になることで約1時間ライブ公演1回分をまるまる描き切った。

全編ほぼすべてが観客目線で描かれており、3DCGによるダンスもなく、生歌(CD音源でない歌)もあるというかなり臨場感のある仕上がりで、この世に数多あるアイドルアニメ(のライブ回)と比べても独特な作品となっている。

クラウドファンディング自体も、6000万円弱集めたということで当時少し話題にもなった。(支援者一人あたり平均1.8万円程度)

少年ハリウッドの良い所

哲学(こだわり)がいい

なんと言ってもまず、作品を貫いている哲学がいい。

それには2種類あって、1つ目は脚本家の持っているアイドル哲学(アイドル観)。

それが作品中に存分に投入され、かつそれが独りよがりものではなく、各回の脚本はもちろん、全体の構成、そして「少年ハリウッド」の楽曲歌詞において効果的に作用している。

アイドルという嘘。アイドルの"死"(解散引退)。ファンアイドルとの距離感センター交代。

ドタバタ青春アイドルサクセスストーリー」なんて嘯くのも当たり前で、ドタバタというよりジタバタだし、青春という言葉イメージほど爽やかでもないし、そんなにサクセスもしていない。

しろアイドル限界終焉を匂わせるような題材を好んで扱っているふしがある。闇を見せるからこそ希望が見える。有限だからこそ美しい。

アイドル禅問答のようなこねくり回しが、脳に一度馴染んでしまうと逃れられない魅力を生み出している。

2つ目は、アニメ作品としての哲学(演出)。

少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR YOU-(完全版)」は最たるものだが、他にもテレビ音楽番組を通しで再現してみせた第10話「ときめきミュージックルーム」や舞台劇をやった第5話「エアボーイズ」など、一風変わった回。

全編に渡って抑制的なテンションを保ち続ける演出とそれを支えるリアル寄りのキャラクターデザイン

毎回違うEDアニメーション。

そうした斬新さとこだわりを感じさせる作風は、脚本の妙に引けを取らないこの作品の美点だと言える。

曲の歌詞がいい

この作品に登場する(関連する)楽曲作詞すべてを担当するのは、原作者でありシリーズ構成・全脚本担当した橋口いくよ氏。

少年ハリウッド楽曲歌詞もまた、アニメ本編と同様に橋口いくよのアイドル哲学をよく表現する媒体になっていて、両輪をなしていると言っていい。

アイドル哲学の良さは上記したが、特に「永遠 never ever」「ハロー世界」はまさにアンセムといった出来だ。

曲がいい

メイン楽曲作曲80年代90年代にかけて活躍した作曲家の林哲司氏が担当されていて、キャッチーかつ少しレトロな曲調が聞いていて心地よく、どことな郷愁を誘うので何回も聞いてしまう良さがある。

「少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 49-」特集 林哲司インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

(声優が豪華)

曲のことばかり褒めたが、もちろん歌もいい。

逢坂良太柿原徹也山下大輝蒼井翔太小野賢章。当然みなさん歌がうまい

2020-07-21

つらい

どうしてもモヤモヤした思いが消えず増田に書いた。

死を受け入れられない

三浦春馬は私達の青春だった。

思い出を巡ると三浦春馬の顔が思い浮かぶ

彼は私達の青春偶像なのだ

ごくせん

ブラッディマンデイ

君に届け

ドラマ感想学校でたくさん話して、

映画を見てキュンキュンして、

ミュージカル活躍する彼を応援した

あの俳優が好きだねと休み時間友達と話した時、

あなた名前が上がった

私たち青春時代に見た物語にはあなたの姿があって、

あなたの姿は正しく私達の青春の一断面なのだ

どうして死んでしまったのか、と誰しもが思っているのではないか

遠くにいる私たちがそう思っているのだから彼と親しい人はそうだろう、事務所から発表されたメッセージを見てもそのように思う。

愛された人だと思う。

熱烈なファンとは言えない私でもそうだった。

私たち三浦春馬神聖化したくない。

私はまだあなたの死を受け入れられていない。

ニュースを見てからずっと泣いて、またこ文章を書きながら泣いている。

あなたの成長を追いかけて、私たち大人になれるのだと信じていた

でも、いつか私たちあなたの年齢を追い越すことになってしまうことが悲しい。

あなたのことはきっと人生で幾度も思い返すでしょう、

あなたの死を受け入れられず、まだずっと悲しい気持ちでいる

もう届かないけれど、あなたは本当に素晴らしい役者だった。

あなたは本当に素敵な人だった。

就寝前07/20

立ち直るまで数日はかかると思っていたが、ほんの数時間でなんとも思わなくなってしまった。

所存私もその程度だったのだろうか。

アルバイトで一緒だった人に打ち明けたから、気が楽になったのだろうか。

やはり自分で溜め込まず、人に話したり文章に書き表すと毒抜きになるのだろう。

考えると少し心臓が痛くなり、目の奥が熱くなるのを感じるが、じきにそれもなくなり、青春の1ページとして思い出話に変わるのだろうか。

2020-07-20

anond:20200720024615

またオタクがありもしない青春を夏に当てはめて感傷に浸っている

我が家にはネット弁慶の生きるのだけはうまい姉がいる。

面倒くさがりだが器用で、やる気がないだけでやれば学内10位とかに当たり前に入るような。

当たり前にファッションセンスがあって化粧うまくて、生活タイミングが合ったらリアルでウェイパリイベントに参加する(実際のウェイパリイベントは知らない)

引きこもりだが持ち前の器用さとアンテナの広さでアフィで稼ぎ、ごくたまーに就活して数ヶ月働いて、気分が乗ったら彼氏作って貢がせてる。

私が寝る時間スパスパタバコを吸い、ゲラゲラと笑いながら最近流行の(もう旬が過ぎているかも)麻雀アプリで遊ぶ。

私はというと青春全てを周りに追いつくためのマラソンに使い果たし、社会人になってメチャクチャ努力して胃に穴開けて発狂して精神病院にぶっこまれた。

医者カウンセリング(?)ですぐに知能検査しよっか。って言った。

結果重度の学習障害と発達、自閉が見つかり半年後には障害手帳が出た。

さらに診察時は過剰ストレス統合失調症適応障害、鬱の三冠だった。

今は少し元気になった。作業所というのに通ってる。

ありがたいことに、趣味でやってたもの仕事になり、支援を受けて仕事を受け続けたらきっと作業所卒業自営業者にでもなるのだろうな。

どうして同じ親同じ腹からまれてここまで格差が出るのかとたまーに姉に殺意が湧く。

だが悲しきことに、そんな私を20数年唯一否定せず、対等な人間として接してくれ、肯定してくれるのもまた姉なのだ

複雑である

2020-07-19

嵐がファンを思って最後まで走ってるんだなということをようやく感じれた

昨日の音楽の日、とにかく最高だった。

と言うのもここ最近テレビネット配信でそこそこ長い尺のメドレーをやってくれることは確かに増えたんだが、基本Love so sweethappinessと言った認知度の高い曲。

まりは万人受け狙いの定番曲を含んだメドレーが多く、別に嫌いなわけじゃないんだけど、ファンとしてはなんだかなぁと言う気持ちが否めないまま12/31へ向かっていた。


そんな中、昨日大トリで出てきた嵐。

どうせ定番曲とReborn、そしてカイトだろうなぁ…と勝手予測を立ててたんだが、それが良い意味で裏切られた。




ハダシの未来」「PIKA★★NCHI DOUBLE」「カイト





わず声が出た。


え、PIKA★★NCHI DOUBLEやってくれるんですか?マジですか?え?


こんなとこに常駐してる人間から涙腺なんてものは枯れ果て、年中水不足のような状態なんだけど、女がむやみやたらに発狂したりする感情がこの時初めて理解出来た。

PIKA★★NCHI DOUBLEファン人気が非常に高いシングル曲

しかし同時に嵐の中で一番″売れなかった″暗黒時代象徴でもある曲(それでも14万枚売れてるんだけど)

勿論ファン人気が高いだけあってライブでもそこそこやってくれた曲ではあるんだけど、外周回ってお手振りファンサ用の曲にほぼなっていて、まともなパフォーマンスを見れる機会は少なくなっていた。

そんな″名曲″をまさかこの2020年テレビで、しかダンスパフォ付きでやってくれるとは…

ファン向けの曲であればYouTubeとかのネットでやるのが主流なんだろうけど、ここに来てテレビで、しかも一音楽番組大トリでやってくれることに本当に感動した。




なんかもうそれだけで最近あった嫌なこととか全部吹っ飛んだし、一曲が齎すパワーってすげぇんだなぁと。




「限られた愛と時間を両手に抱きしめる」

「せめて今日だけは消えないで」


こんなの今歌われたらグッと来ちゃうよね。

淡く儚い青春を歌った曲が、今はこうして活動休止へのカウントダウンリンクする。

なんて良い曲なんだろうと再認識出来たと共に、コロナ禍だろうと最後までグループとしての「嵐」応援しようと心に決めた。



たとえ今だけと分かっていてもね。

大学ときの恋の思い出

この時期になるとふと思い出すことがあるのが大学生の時の事で

思い出が消え去るのが寂しいので匿名で残そうと思う。

全くモテなくて恋人もいた事がなかったわたしが、大学生とき、後輩に教室で突然キスをされた。

後輩とは特別すごく仲が良かった訳でもなかったけど時折きっかけがあって話をすると私自身は気が合うなと思っていたし、話しやすい人だと思っていた。

初めてのキスは二人共椅子を使って寝転んでいたときに突然相手が顔を近づけてきてキスをしてきた。

なんでキスしたんだろ??と不思議に思ってたけど相手がすっごいキスうまいなっていうのと(ほんと、とろけるようなってこういうの言うのかって感じ)驚きと、とにかく不思議感情だった。

嫌じゃなかったのはその前から私はぼんやり相手を好きになっていたからなんだろうなと思う。そこまで大好き!片思い!とかではなかったけど。

暑い夏休みだったけど暇な私は大学にほぼ毎日行っていた。

その日をきっかけに相手特に連絡をとって示し合わせる訳でもないが自然と二人きりになって教室の隅の人に見えないところでキスをよくしていた。今思うと本当に恥ずかしいが1時間とか2時間とか平気で二人で何を話すでもなくキスをしたり抱き合ったりしていた。

そんな日が何回かあって、合間には映画にいったり、すこし遠出したり、お祭りに行ったりした。その時はすごく楽しくて、もともと話すのが苦にならない相手だったから一緒にいるのが心地よかった。

相手はそういうときに、手をつないだり肩にもたれかかったり、人気のないところでまたキスを繰り返したけど

付き合ってはいなかった。

夏が終わるにつれて、二人でこっそり会うこともなくなって、相手は別の人といい感じになって

付き合ってもいなかったので自然と離れていってしまった。

私は相手が好きだったので離れていってしまうことが寂しくて、ほんとは相手にも私を好きになってほしかったし、もっと一緒にいたいなって思った。

でも相手はかなり恋愛には慣れてる感じの人間だった。

恋愛初心者の私にはそんな相手をつなぎとめる術もなかった。

ほんの少しの期間だったけど

今でもあの頃の思い出はなんとなく私の中にいいものとしてあって、あんまりそのあとの恋愛は思い出したくないんだけどそのことだけはキラキラした青春だったなーってこの夏になるとつい思い出してしまう。

相手は今忘れちゃってると思うけどあの当時少しでもわたしをいいなって思ってくれてたらいいなと思ってしまう。

2020-07-18

ほのか恋愛ベースにしたほろ苦さもある青春群像劇みたいな絵が綺麗っぽいマンガが読みたい

ふだんは4コママンガばかり読んでいるのだけども

このたびイエスタデイをうたってにハマって原作も読んだら良くてこういうのをもっと読みたいと思ったのだけど原作者さんの他の作品を読んだら求めてるのとは違かった

恋愛マンガなら少女マンガかもだけどちょい違くて男の視点も女の視点も両方あるのがいい

なんかありますか?

2020-07-16

僕は青春がしたい

ふぇぇ……DMMとかFANZAを使ってる人ってどこにいるの?

エロゲーとかエロ同人好きな友達でも僕がDMMとかFANZAの話時々すると「つかってないかわからん」とかいいながらふっと目をそらすのだが。

絶対うそだろう。僕にはお見通しだよ。

なんなの。くちにしてはいけないあのお方的な何かなの。

DMM話題になるときはだいたいNOT18禁健全ゲームであるたいまにんRPG艦これ亀ちゃん社長講話かばっかり。

おかしいじゃあないか

やめたまえ。絶対に使ってるのに僕に隠し事をするのはやめたまえ。

僕ぁね。普段君たちがDMMFANZAをどう使ってるかが知りたいんだよ。

ちょっと恥ずかしい秘密を打ち明けあってもっとなかよしになろうじゃあないか

それが青春というものだろう?

妖怪に遭った話

オカルトではないが私は妖怪の話だと思っている

特定性別や嗜好や趣味なんやかんやを叩く為に書いてはいない

夏に遭った妖怪がおり、未だ夏になると思い出して気分が沈むのでネットの海に流して供養したい、そういう話だよ

オカルト話を期待した人はごめんね



悪魔



趣味を同じくする友人らと遊んだ帰り道、此方を見て悪魔だと罵倒する爺に遭遇した。

一行で済む話なのだが、供養であるのでもう少し語りたい。語るね。


その当時私は二十歳手前くらいの年頃だった。

高校生活は闇色を煮詰めた肥溜めのような暗鬱たる日々だった。要するにカースト底辺のクソ陰キャだった。

しかインターネットを通じて共通趣味を持つ他人と出逢い、親交を得て、なんだ生きるの楽しいじゃん、広いじゃん世界インターネットありがとう、という救済を得てもいた。

インターネットの海は広く、必然的現実世界での住所は遠い事が多く、オフ会となれば一大イベントだった。

少なくとも当時の私にとってはそうだった。

大学には行かず就職をする道を選び、そこで働いて得た給料を握り締め、バスに乗り電車に乗り飛行機に乗り、初めて『友達に会いに行く為のひとり旅』を経験した。

うきうきとわくわくでいっぱいだった。


冒頭に一行で纏めた『趣味を同じくする友人らと遊んだ』というのは、つまるところこの『オフ会』の事だ。


集まった面子と一頻り語り合い、飯を食べ、ショッピングに興じ、おやつを食べ、カラオケで歌い、プリを撮り、オフ会は至極健全に盛り上がり、感極まって泣く程楽しかった。


宿を取っていたので、いや、旅行からまりたいじゃんね。日帰りはやってやれないことはないが、余韻に浸る時間が欲しかろう。欲しかったのだ、私は。

ビジホの一室でひとりゆっくりとこの日を噛み締める為の時間が欲しかった。

泊まっていきなよと言ってくれる面子も居たが、それは畏れ多すぎてできなかった。比喩でなく嬉しさで爆発して死ぬと思った。

じゃあ次に逢う時はうちに泊まってねと言ってくれたその友人に、(また逢えるの!!!!????来てもいいの!!!!!!????)と内心で爆発しながら頷いてハグをして手を振った。


その、帰路だ。


とんでもなく楽しかった、私の青春は今からなんだ、皆やさしくて面白くて素敵な人達だったな、等というような幸せに酔いながら人気のない暗い夜の道をひとり歩いていた、その時。



前方から自転車が走ってくるのが見えた。

幸せに酔いながら歩いていた、とはいえ、そうかそれでは道の端に寄って自転車の通行を妨げないように歩こう、と思う程度には素面だった。

素面だったが、酔ってもいた。


道の端に寄って歩きながらも心は此処にあらず、楽しかった思い出ばかりを反芻していた。

であるからして、自転車を漕いでいるその人物が割と結構な声量で何か言葉を発しているらしいと気が付いたのは、すれ違うまさにその手前だった。


ところでそのオフ会というのは、ゴスロリを愛好する者達の集いであった。

ゴスロリの是非だのなんだのについてはここでは省く。

そして私は自分が着るならばゴシックが好きであった。


初めての友人と初めてのオフ会

しかもその友人らは趣味が同じ。

誰も私の服装嘲笑しない。

それどころか、皆が皆思い思いに目一杯ドレスアップして集う。

加えて、何より、若かった。


要するにこの日の私は勿論どえれぇ気合を入れたコテコテゴシックファッションに身を包んでいたのだ。化粧も然り。

ゴシックとか言われてもよう解らんという場合概念的な魔女想像して頂ければ、それで解釈はふんわりと一致する。


自転車に乗ったその人物はすれ違いざまこう言った。




悪魔!!!!!!!!!!!!




言われた私はこう思った。




魔女ですけど!!!!???)




しかながら見知らぬ爺にすれ違いざま大音量罵倒されるという体験は思い返す限りこれが初めてであった。

まりに驚いたものから足を止めてその爺が去りゆくのをぽかんと見送る格好になってしまったのだが、すれ違い終えて去りゆきながらもまだ尚爺は此方を振り返り振り返り、私を罵倒し続けていた。

否、爺が罵倒していたのは私ではなかった。私を通して何か概念的なもの罵倒し続けていた。


悪魔チリン)、女(チリン)、売女チリン)、悪魔チリリン)、女(チリン)、悪魔チリン)、悪魔チリン)、悪魔チリン……)……


夜の小路罵倒ベル音を響かせながら去ってゆく爺。

通り魔に遭った気分だった。


しかし私は魔女なので、えぇまぁ売女ではないのでそこは否定しますけど悪魔だったり女だったりはしますね…???????????????


という気分でもあった。

けがからなさ過ぎてそういう妖怪なのだと思うことにして正気を保ったのかもしれない。

私という個人罵倒していた訳ではなかったからかもしれない。

元より私の好むファッション一般には受け入れられにくい傾向であることと、虐げに慣れきった高校生活も一因としてあったのかもしれない。


当時の私はこの爺が一体何であるのか全く解らなかったのだ。ただ辛うじて、爺の見た目をしているから爺だということだけは解った。

結果、この爺には妖怪悪魔爺という名がつけられた。私の中で。


この妖怪悪魔爺はそれから数年経った今でも夏のこの時期になると私の心の中に勝手に蘇り、なんとも言えず遣る瀬無い虚無感を齎してはベル音を響かせ去っていく。


嘘だ被害妄想幻覚だなんだと言われるのも辛い気がしたのでこれまで誰にも言わずにいたのだが、例のポテサラ爺が現れたことにより、おそらく同類妖怪であろうこの悪魔爺の話もネットの海に流して供養したく、こうして記事を書いている。


来年からは私の頭の中に勝手に蘇らず、もういい加減成仏してほしい。

シャニマス】ノクチルとオトナ帝国アイドルマスター

 「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」という映画をご存知でしょうか。20年以上続くシリーズの中でも傑作と名高い作品です。20世紀も終わり2001年、「20世紀博」というテーマパークにはまる大人達。ある日しんのすけ子どもを置き去りに失踪してしまう。残されたしんのすけ達は大人を救うため20世紀博へ向かう…という映画です。

 

~ジャングルジム~

 若干ネタバレですが大人達は結社イエスタディ・ワンスモア(敵)が発明した"なつかしいニオイ"に影響され幼児退行し文字通り「子ども」に戻っていきます

 立ち位置的にイエスタディ・ワンスモア=P、「大人」=ノクチルに近いのでは無いかと思います。(あくま立ち位置的な話)

 Pは透の中に過去の思い出を回想し、「輝き」としてノクチルの大人として見た時決して褒められた物ではない行為拍手し、またノクチルもPの中に昔の憧れ(ジャングルジム?)を見た透とその後ろ姿から懐かしさを求め、挙げ句子どもじみた反抗をする姿に近しさを感じます

 オトナ帝国では敵とされた「過去に立ち戻らせようとする大人」が主役となっている訳です。

 要するにノクチルの「青春」というのはPという大人の望むその掌の上の出来事で、反抗的なある種幼稚な行動もPの期待する所な訳です。そしてPは彼女達を罰を与えず始末書を書かせる程度で済ませてしまます。敢えて大人として振舞わない事で子ども自身の願望の自己投影手段とする作中のP引いてはライターエゴを強く感じました。

~夕日町~

 イエスタディ・ワンスモアのボスであるケン台詞夕焼けは人を振り返らせる。だからここはいつも夕方だ。」

 子どもとして大人への反抗を遂げたノクチルを夕焼けが照らし出します。遠い過去子ども時代への回帰象徴としての輝きなのでしょう。日暮れへの感傷は万人共通のものなのだと思います

~21世紀を手に入れろ~

 最後は野原一家イエスタディ・ワンスモアの戦いになります過去に拘泥し時間を巻き戻し過去という殻に閉じ籠ろうとする敵と未来に向かってひたすら走り続け未来を手に入れようとする一家の戦いです。

 先程も述べましたがノクチルに対するPは大人の責務を放棄し、彼女たちの良く言えば純粋な、悪く言えば子ども染みた行為を称賛します。

 こういった構図は特に青春モノなどではありふれたものとも言えます。ただ私が気になったのはそれが「大人主観」でありそれを美化し正当化するような筋書きであることです。

 系統として古典で言えば「ぼくらの7日間戦争」のような純粋で爽やかな青春大人への反逆を描こうとしたのだと思います。ですがPという大人恣意が前提にあることで純粋さは薄れ「俺たちの7日間戦争」とでも言うべきものになってしまっています一言で言えば"理想的なクソガキ"でしょうか。青春の1ページという描写陳腐な物に成り下がります

 今の所のノクチルにおけるPというのは彼女達の成長を阻む存在であり、必ずそこと向き合うべきであると思います

 そこに向き合えない限り"売り物"と"売る者"のエゴ、ノクチルというアイドルがPの自己満足と大人としての子どもへの傲慢の上に成り立つ存在しかいからです。

 

~最後の~

 割と悪く書いてる気がしますがまだ1ページ目、最初コミュまでの感想しかありません。またそう言った関係性や意識の変化も描かれていくものと思います

 個人的に驚いたのは天塵のコミュ徹頭徹尾称賛する人が割りといた事でしょうか。オレの人生はつまらなくなんかない!(ryと言えるような大人は意外と少ないのかもしれません。

 現状の彼女達というのはPに泳がされているだけの存在であると思います。そこに自身から向き合い、殻を破り、誰の定義でも無い私へと変化していく方が健全だとは思いますね。 

 

2020-07-15

あのジャンルに付いていけない

からかい上手の高木さん」は『からかい上手』ではなく『上から目線不快ないじり』だし、

「宇崎ちゃんは遊びたい!」は『うざかわいい』で処理できない悪意の無いモラハラセクハラで、

「イジらないで、長瀞さん」はスクールカースト上位から下位へのいじめで、

上野さんは不器用」は完全に逆セクハラだろ。

そもそもこれらを一括にしていいものか。自分では「男女で1対1の関係がメイン」「会話劇によって進行する」「恋愛要素有り」という定義高木さん型として認識しているんだけど。んで昨今流行りに便乗して色々出てきてるけど、全然響かないんだよなぁ。この手のジャンル感想としてよく目にする「甘酸っぱい青春きゅんきゅんする~💕」「ニヤニヤする~💗」みたいな感情も湧かない。

流行った理由として「童貞こじらせ草食系男子が増えた結果、女子からぐいぐい来てほしいという需要によって執拗に絡んでくるヒロインが生まれた」という解説理解できたけど、肝心のヒロインを「可愛い」と思わず「うざい/理解不能/不愉快」としか感じない。

そして自分がなぜ高木さん型に拒否感を覚えるか考えたが、これらは直接的な暴力を振るわない言葉/行動型の理不尽暴力ヒロインなんじゃないと思った。

好意の籠もった迷惑行為なら許容しなければいけない、男側は反撃してはいけない(できない)構造。どんなことをされても我慢しなければいけないという不条理さに不愉快と感じるのかもしれない。

ただ劇中では男側もまんざらでもない様子で受け止めるのがお決まりだし、作者側もそんな意図は無いのはわかっている。自分童貞こじらせ草食系男子だけどフィーリングが合わなかったんだろうな。

高木さん型が今後ジャンルとして定着するするのか、ツンデレのように一通り消費し終わったあと「なんであの時はあれが流行っていたんだろう」と思われるか分からないが、今後自分の中のイメージを変えてくれるような作品出会えるんだろうか……。

2020-07-14

ほどよく恵まれ人生だと気づいた

日常生活を送るためのお金に困ったことがない

・両親とも兄弟とも仲がよく、年に二回くらい揃って国内旅行をする

大学まで親の金卒業できてる

学生自体いじめられた経験がない

・小、中、高校部活が楽しくて友達がいて喧嘩もして充実した青春を送った

小学校からの幼馴染み4人と定期的に集まって喋ったり旅行したりする仲が続いてる

地方の優良企業正社員として働いている

職場人間関係に困っていない

都市部まで一時間田舎の1LDKでのんびり一人暮らししている

マイナー界隈の創作活動でほどほどに承認欲求を満たしている


大学時代にもっといろんなことに挑戦すればよかったなとか、交際相手が居たら楽しいだろうなとか、いくつか思うことはあるけど概ね満足している。五段階評価なら四くらい。

浪人した時も留年した時も新卒就職に失敗してニートしてた時も「今回ばっかりはもうだめだ」て絶望してたけど、なんだかんだで乗り越えていた。勉強就職も、もっと頑張ればもっとレベルの高い地位を獲得できたのかも知れない。でも今、まあ満足してるなと思えているだけで十分かなと思う。

将来に対する不安は人並みにあるけど、それもなんだかんだで解消されていくんだろうな。ほどよく生きていきたい。

2020-07-13

プリティーリズム・レインボーライブを見てください

anond:20200713195127

ウソップ主人公ワンピース」を求めてる増田に勧めたいのはプリティーリズム・レインボーライブ

少し前の女児向けアニメだけど、女児アニメ抵抗がなければ是非見てみてほしい。(抵抗があっても騙されたと思って見てみてほしい)

プリティーリズム・レインボーライブは、女児向けのキラキラ・オシャレでコーティングされた、スポ根青春群像劇だ。

インキャラは7人の中学生女子と、それを取り巻く3人の高校生男子、3人の大人男性、1人の少し年上の女性

この14人が、「プリズムショー」という架空スポーツを通して、互いに影響し合い、家族や様々に纏わる因縁解決し、成長していく物語だ。

主人公の「彩瀬なる」は、プリズムショーのどしろうとの中学生中学校職業体験プリズムショーに纏わる店に関わったことでプリズムショーに触れ、プリズムショーや音楽を志す同級生や、プリズムショーのエリート選手養成機関に通う生徒たち、その中でもトップエリートの「蓮城寺べる」らと出会いプリズムショーを通して成長していく。

ネタバレになるが、作中で、主人公のなるは恋をする。しかし、その恋は実らず、意中の男子友達女子と付き合ってしまう。

また、物語クライマックスプリズムショーの王者を決める四年に一度の大会なのだが、そこでもなるは結果を残すことはできない。

なるは陽気でお気楽人物だ。終始、周りの人物に関わり、事態を引っ掻き回したり後押ししたりしている。そんななるが起爆剤になったり、ならなかったりしてさまざまな登場人物が関わり合い、物語は進展していく。

作中では、女児向けアニメにも関わらず、裏切りネグレクト毒親交通事故遺族の問題など、終始ヘヴィテーマが繰り広げられる。そんな事態に、時には明るく首を突っ込み、時には友人たちのために奔走するのが主人公のなるなのだ

あとは騙されたと思って見てみてほしい。

本当に全人類に見てほしいアニメです。

青春を抜け駆けろ

格差固定化しているのだ。平等救済では広く薄くしか救済されない。抜け駆けして自分だけ得をするのが唯一の道。

君にだけこっそり教える彼氏彼女の作り方なんてのは嘘。何かを知っていたら他人に教えずに自分だけの秘密にしておくものだ。

2020-07-12

anond:20200711103038

見に行ってみたけど「やっぱAmazon検索性ってクソだわ」と再確認するだけに終わった

とりあえず「ななかさんの印税生活入門」が対象内だからそれかな

kashmirは「○本の住人」みたいな変態作風のほうが多いけど、ななかさんの方は「kashmirなのに(比較的)普通部活もの書いてる!」「しかちゃん青春してるし完結してる!」という意味で良い

anond:20200712090402

本音吐いたね。

世の改心したムーブいじめっ子なんてみんなこんな事思ってんだ。

クズども。

お前たちに歪められた私の心とか、壊された青春なんて謝罪しても戻らない。

死んで詫びろ。

2020-07-09

大学に行きたかった

30代半ばちょい過ぎの会社員です。

今朝もそうだったんだけど、もう20年近くずっと前から同じような夢を見続けています

夢の内容は「大学に行きたかった」というもの

もう20年ぐらい前なんだけど、家庭の経済的事情により大学へ進学したものの、すぐに中退をせざるを得ない状況でした。

結局、大学に進学したものの3ヶ月だけ通って夏季休暇のタイミングから休学して一人で就職活動をしたり、公務員試験を受けてみたりで、冬になって正社員としてIT関係会社入社しました。

もう20年ぐらい不定期に「大学に行きたかった」という夢を見て、その度に夢の中で泣いてる。

色んな事情が重なって大学に行くことが出来なくて、通信も考えたけど継続できるかどうかという点で不安であったり、悶々としてたら20年経ったいまでも未だにそんな夢を見る。

今、通信制の大学学費ぐらい払えるようにはなったけど、きっと違うんだろうなと思う。

18歳で周りと同じように大学に行って、そういう青春であったり、時間を過ごしたかったんだろうなと。

でもそれはもうどうしようもないし、取り返しがつかないものだと思うので、時々通信制の大学募集要項を見たりしてる。

通信制の大学勉強してみて、何年かかかっても卒業出来たとしたら、今朝のような「大学に行きたかった」と涙を流す夢は見なくなるのだろうか。

自分の中ではそれがすごくコンプレックスに感じることも多々あったので、それが無くなるのだろうか。

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