はてなキーワード: 通知表とは
独女30歳。3年前に上京して一人暮らし。一年ほど前に転職したのだが納期守れないわ発注ミスするわ上司や同僚とコミュニケーション取れないわでなんとなく職場から浮いている。ミーティングも苦手。自分の意見言えない。発言したらしたでなんかズレてるらしくえっ?て反応される。最初フレンドリーだった上司はどんどん当たり強くなるし後輩に給料抜かされるしやばいと思いながらもミスは一向に減らないむしろ皆の目が怖くてビクビクしてミス増発の負の連鎖。
数年落ち着いてた過食嘔吐が復活して、仕事中はいつもダルくて眠い。このままじゃ一生を棒に振ると思い心療内科へ。
端的に上述を先生に伝えたらおもむろに差し出されたのが某製薬会社が発行してるADHDのチェック表。物忘れとかミスが多いとかほとんど当てはまって、下された答えは不注意優勢のADHD。その日からコンサータが処方された。
自覚なく病院に行ったから、まさか自分が発達障害なんて思いも寄らなかった。でもよくよく考えたら、思い当たる節がたくさん。子どもの頃から運動苦手(マラソン万年ビリ )だし動き鈍いし喋るスピードもすごく遅かった( 同級生からわざとでしょと言われるほど)。歩き方がペンギンみたいで変だとも。未だに言われ続けるのは「マイペース」「変わってる」。高校までは性格荒くて友だちどんどん変えたり先生に告げ口したり(自分が原因で不登校になる子がでるほど )。普通にコミュニケーション取ってるつもりなのに相手を怒らせたりもする。うーん今ざっと書いただけでもアスペ要素満載。
その反面、発達障害って問診だけで分かるもんなのか?と医者を疑ってる。言われた通り薬は飲んでるけど生きづらさは消えない。だから別の病院に行った。精神科とか発達障害で評判いいとこ。1ヶ月待ってやっと初診。テンション高めの女医に、問診だけで発達障害認定されたけど信用できないからセカンドオピニオン目的で受診した、紹介状はない、母子手帳や通知表は実家にあって持参できない旨を伝えた。紹介状なしで来たことをチクチク言われた。横に研修の学生さんがいるのもすごく不快だっ。マシンガンで話すお医者さんでついていけなくて途中からフリーズモードになってたら半笑いで対応された。イライラと不安が爆発して後半ずっと泣いてた。なんとか知能検査の予約までこぎつけたけど涙止まらなかった。会計終わって外に出ても電車に乗ってもまだ止まらない。こんなに泣いたのは数年ぶりだった。なにがあんなに泣けたんだろう?
なんか支離滅裂な文章になってしまった。自分は本当に発達障害なのだろうか。まぁ知能検査で分かるんだろうけど。もし違ってたらどうしよう。どうしたら普通の人みたいに働けるんだろう。生きていけるんだろう。
今日も仕事だったけど相変わらず上司は当たり強い。目合わせないし他のスタッフにばかり仕事の話をふる。どうせ仕事任せてもらえる器じゃないですよー。「わたし発達障害なんです」って言ったらどんな反応するんだろ?甘えるな言い訳するなって言うんだろうな。
会社辞めたいけどいくとこない。友だちも彼氏もいないから頼れる人いない。田舎の母とは仲悪いから死んでも言えない( 父は離婚して絶縁状態)。
嘘みたいだが本当の話である。
難易度を示す偏差値(河合塾基準)が35以下となる入試を通じて
実際に教壇に立つ教師のことで、誇張や叙述トリックでもなんでもない。
子供たちを教え育てていることになっている。
そんな信じられないことが学校現場で起きているのだ。
旺文社のサイトで「偏差値35以下」「教育・教員養成系学部」で
数多くの大学から、毎年、偏差値35の教師が世に送り出される。
僕の調べた限りでは、この大学数は近年なぜか急増しているのだ。
教師といえば、子供たちに正しい知識を正しい方法で伝えるプロ。
この認識はそれほどまちがっていないだろう。
実際のところ、偏差値35の教師は中等教育(高校、中学)よりも、
子供たちの基礎的なリテラシーを育てる重要な仕事だが、大丈夫だろうか。
偏差値35の教師が説く道徳を学んで議論する(通知表に特別な評価記入あり)。
事ここにいたっては、恐怖しかない。
偏差値がすべてではないと人は言う。
その通りだと僕は思う。
しかし、教師たるもの、ある一定以上の水準が求められるのは必然。
例えば、2018年のセンター試験結果から計算すると、以下の数字が出てくる。
英語:200点中、63点
国語:200点中、48点
ご承知の通り、センター試験は基礎知識を問う問題がほとんどで、
わからなくても選択肢を選べば一定の確率で正解することもある。
つまり、それがこれほどまでに解けないということは
少子化によって大学全入時代となったことだけでは説明がつかない。
ベテラン教師の大量退職と、教員免許更新制によって教師になる資格を持つ者が
不足しているのが大きい要因だ。
詳しくない人でも、ニュースで教師不足を嘆く声を聞くことがあるだろう。
現行の制度は、教師のなり手そのものを減らす結果となっているのだ。
そうして、本来、教師となりえる有能な人間(会社員経験者、研究者上がりを含む)を弾き飛ばし、
人生経験も学識も浅いが免許だけは持っている「偏差値35」の教師が誕生する結果となった。
あなたの子供の教師は、賢そうなふりをしているが、本当は偏差値35かもしれない。
教室は偏差値35の教師に支配され、子供たちは偏差値35から学ぶ。
我々はその先の未来をまだ知らない。
以下、予想される反論にあらかじめ回答を。
A. 現行の入試制度では、私立大の場合、AO入試・推薦入試での入学が
半数を大きく超えるのが通常だ。
すなわち、がんばっても偏差値35にしかならなかったということである。
A. もし本当に人柄や人間味が秀でているとしたら、
人としてわかりやすい魅力を備えていないこともわかる。
低ければ経営に関わる問題なので、一生懸命試験対策に取り組むのだろう。
また、幼稚園教諭に知的能力が必要ないというのは大間違いだと思う。
A. 何を言っているのか。
採用後に何を積み重ねていくかが重要であり、教師たるもの日々勉強だ。
A. 論外な考えだ。
自分の子供はいいかもしれないが、偏差値35の教師から教育された
幸い優しい社長、上司に恵まれてクビは免れているが、事あるごとに厳重注意。
3度目はもう呆れられていた。
「なぜ同じミスを繰り返すんだ」
「どうして間違ったの?確認すればいいだけじゃん、前も言ったけどさ」
これからもっともっと給料上げて、昇進して、子供を大学いかせたいし不自由なく暮らしていきたい。家の購入も段取りが付いてきている。
自覚はあるつもりなのに、いつもこうだ。
ネットにある診断テストや傾向を見ると、見事に自分が当てはまっていた。
落ち着きが無い、集中が続かない。片づけられない、サボる、幼少期の通知表に「落ち着きが無い」と書かれている…などなど。
…もしかして、ADHDに効く薬を飲めば…自分はミスしない人間になれるんじゃないか?怠惰で阿呆な自分が、真人間に変身できるんじゃないか?
そう考えた。
うん、その通りだと思った。精神病や発達障害の診断がされたら最後、保険加入は絶望的。会社にバレたらさらに立場は無くなるだろう(もうすでに無いけど)
なので、こっそり輸入の薬を買うことにした。
今年(2018)から、ADHDに効く薬は輸入が禁止されたそうで、輸入販売サイトの在庫が無くなれば医者に行くしか手に入る方法が無くなるそうだ。いまはギリギリ在庫が残っていたので、あわてて購入した。
薬が届くのがとても楽しみだ。
副作用があるとか、医師の意見なしで服用するのは危険とか、いろいろ意見はあるけど、そんなのどうでもいい。
ぶっちゃけ副作用で死んでもいいのだ。だって、こんなクソ人間のまま過ごしても、家族を幸せには出来ない。死んで保険金を残し、第二のパートナーを見つけてもらう方がよっぽど幸せになれるだろう。
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
うわさ では、生徒がしっかりしている区(山手線内内側とか)の学校では内申点は厳しめにつけられ、所謂荒れている学校のある区の内申点は緩い模様。
授業中積極的に手を挙げないと、テストで95点とっても通知表3だからね。
えぐいのは5教科だけではなく、残り4教科も採点されること。
高校受験で突破できる学力がある生徒は、特別選考枠なくなったので私立に流れているよね
具体的には早慶付属校レベルの学力だと特別選考枠で日比谷いけたのが微妙なので。
国立・開成クラスだと内申点のビハインドを超える位、独自問題で点数とれるが、そのクラスはほんの一握り。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
私には1歳11ヶ月離れている姉がいる。
頭が良くて友達の多い姉だ。
およそ2歳離れているが、年度の都合で学年は1つ違いだった。
幼い頃からできた姉とよく比べられてきた。
お姉ちゃんは言うことを聞いてくれるのにお前はなぜ聞き分けが悪いんだ。
お姉ちゃんは勉強して成績が良いのにお前は漫画ばかり読んでるんだ。
家では当たり前に比較された。
幼稚園小学校中学校に入学すると、まず先生から姉ちゃんの妹と呼ばれた。
そして姉の友達にも姉ちゃんの妹と呼ばれる。
先生からも先輩からも、顔が似てるだとか、性格は違うとか、姉ちゃんはそんなことはしないとか毎日言われていた。
年賀状の枚数が姉の方が多いとか、姉は友達といろいろなところに遊びに行っているだとか。
通知表の成績が姉の方がいいとか。
最初は私も追いつこうと頑張った。
だけど毎日毎日姉ができるのになんでお前はできないんだと言われて劣等感でいっぱいになった。
このことの最初の変化は、家族でトランプをして私が1番にならないと、トランプをめちゃくちゃにして怒り泣き叫んだ。
家族で出かけるのを嫌がり、外で寿司を食べなきゃ行かないと言っていた。行ったら行ったで、帰りたいつまらないとずっと言ってた。
姉がいなくなればいいのにと毎日祈ったし、姉の宿題プリントをめちゃくちゃしたり隠して意地悪をするようになった。
しかし親は1人で遊んでることが心配だったようで、姉に、あねと姉の友達と私とで遊んでやってくれと頼んだ。
当然よく知らない姉の友達と遊んで楽しくもなく、漫画が読めないからイライラが募り姉の友達と大ゲンカになった。姉はこの喧嘩を黙って見ていた。
そして太った同級生の女の子をいじめた。この頃の私の思考は、太っている=だらしない、で、私よりダメなくせに楽しそうに笑っているのが許せなかった。
それでもたまに親は私のことを褒めることがあった。
姉ばかり褒めてばかりだと平等ではないと感じたそうだ。
このころの私は褒められても嬉しくなかった。
それよりも、親が姉に対して、妹はできるのになんでお前は出来ないんだと言って欲しかった。
皆大嫌いだった。全員敵だった。
親には嫌なら家を出て行けと言われた。
それからは親に話しかけられるまえに急いで部屋に駆け込むようになった。
こどもを比べると家庭が崩壊する。
意外にも1番傷つき被害を被ったのは姉だった。
元来穏やかで繊細な気質の姉は、唯一私の気持ちに気付いていたようだった。
しかし親や周りのすることを止めることもできず、私には無視され散々だったろう。
姉は良い子を止めることは出来ず、マイナスな感情は見せずにいた。
誰もが知る名門校に入り順風満帆に見えたが中退し引きこもり始めた。
親にも怒鳴り散らすようなり、親は困惑し、あんな良い子だったのにどうしてと嘆いた。
姉と比べられるのは苦しかった。
年子だと比べられる期間が長こと、体格が同じ感じだから比べやすいのだろう。
本当はこんな文章を誰かに見られる形で書くのは恥ずかしくて仕方ないのだが、あまりに苦しいため吐き出させてください。
低レベルな愚痴吐き出し、自分語りなのでやな人はスルーしてください。
自分は育った家庭が、10畳一間に家族四人、父親重度のアル中で暴れる(酒が原因で若くして死んだ)、母親過剰な教育ママ(自覚無し)というユニークな環境だった。
家が一部屋しかなく両親からの監視、重圧、虐待から逃れようがなかった。
アダルトチルドレンの御多分にもれず人生がぐちゃぐちゃだが、その一番の理由は超テレビっ子世代にも関わらずテレビを禁止された事だと思う。
小中学校では、同級生の話している内容が全くわからず、会話が不可能なので人付き合いを学ぶ機会を完全に奪われた。
常に友達の輪に入ることができなかった。
通知表に友達に話しかけることができない子といった旨を書かれたことがあるが、どうしようもなかった。
ゲームだけは何故か1日1時間許されていたので、ゲームの話題しかできない日陰者だった。
当然オタクの友達しか作れないのだが、俺自身は全くオタク志向がないので上手くいかず。
中学校時代はゲームの話題しかできないのと、極端に人と接するのが苦手なのが気味悪がられて、もちろんいじめの標的になった。
やり返す性格なので表立っていじめられることは回避したが、集団で俺に聞こえるように悪口を言うというスタイルのいじめに毎日毎日さらされた。
ストレスで中学生にして額が数センチ後退し、重度のアレルギーになった(何もなくても常に激しい腹痛と下痢、じんましんが出っぱなし それは今も治らない)
結局しつけにより勉強だけは人並みより出来たのでそれなりの大学に入れたが
大学では友人、知人ゼロというのがあまりに苦痛で、行けなくなってしまった。
大学ひとりぼっちというだけなら珍しく無いかもしれないが、自分の場合それまで鬱積してきたものに耐えられなくなった形だ。
中退してしばらくストレスで体を壊して何も出来なかったが、その後社会に出ても、ろくに人付き合いの経験が無いものだから全く上手くいかなかった。
かなり歳がいってからその後本などから必死で学んだところ、人付き合いに関しては良くなった(あまりに遅きに失したが)ので我ながら決して根っからコミュニケーションが苦手では無かったという事実が、逆に辛い。
全て自分のせいだったらどんなに楽だったことか。諦めがついたろうに。
小さい頃もたまたま話題があった子と一瞬仲良くなることは多々あった。
これを誰かに話したところでテレビ禁止のせいで人生がめちゃくちゃになったなんて突飛な珍説として一笑に付されるのがオチだろうから誰にも言えないのだが、自分なりに深く考えた結果、どう考えてもそれが一番自分の人生で重大だ。
父親の虐待など、人が聞いたらそちらの方がインパクトは大きいだろう事もあったが、自分としてはテレビ禁止さえ無ければ人生が全然マシだったろうと確信している。
親は馬鹿だから子供に与える影響に頭が回らず軽い気持ちでテレビを禁止したんだろうが、本当にそれさえなければ、友達と楽しく過ごす当たり前の子供時代を経験できたろうし、身体も壊さなかったろう、うつ病にもならなかったろうし、大学を卒業して就職してという人並みの人生も送れていたのにという考えが何故か頻繁に明け方に目が覚め、急に襲ってきて、親への恨みで頭がいっぱいになり非常に苦しい。
恨んだところで人生が戻って来るわけでも、これから好転するわけでもないのに。
同級生に地元の大地主の息子がいるのだが、友達が沢山いて、学年一可愛い子と付き合ってそのまま結婚して若くしてデカイ家を建てて、俺の欲しかったもの全て持ってて、地主の土地ゾーンに足を踏み入れる度泣きそうになる。
現在自分はうつ病で働けなくなり、四畳収納なしの部屋に住んでいる。
もちろん独身だ。
人生は比べちゃいけないとはよく言うが、彼の妻は自分の初恋の相手なため彼の恵まれ方と自分の悲惨さはどうしても無意識に比較してしまう。
実家の近くなので今度あそこにできるんだなと以前から知ってました。
それもかなり右よりだなと。
ちなみに豊中市の公立学校は北部はセレブですが、南部はDQNの集まりですw
ン十年前の話ですがとあるサイトを見る限りあまり変わってないのかw
http://www5.plala.or.jp/ysk/kimigayo-toyonaka.htm
http://mid.parfe.jp/kannyo/onbudtoyonaka/katu-hou/H14/H14-6-H13-sotu-tyou-seimei.htm
・音楽の教科書の最後のページはプリントを貼るように指示される
・小学校の修学旅行は広島でなぜか公園以外にあるとある慰霊碑の折り鶴まで作らされる
というかそっちがメイン(ry
・夏休みの登校日は大体8月6日。原爆関係の映画を見せて感想文を書かせる。
・道徳の名ばかりで授業がない。というか「にんげん」という怪しい本を使った授業になる
・高校受験は学力が高いかよほどの強い意志がない限り特定の学校の受験しかさせてもらえない
・成人式になると市民会館の前で日教組の旗を持って突っ立ってる
ご近所の選挙区で同胞の有名政治家が予算委員会サボってでもすっ飛んできますよw
自分の場合不幸中の幸いだったのが中学3年間のうち2年が退職した爺さん講師(今思えばバリバリの保守思想)に当たることが多かったので
当時のテレビアニメか何かで憑依するみたいなのが流行ってた時期だったんだと思う(幽☆遊☆白書かな?)。
これを体得する前の僕の成績はクラスの中では総合で「中の下」くらいだった。
あるテストの日、テスト用紙が配られている間、前のほうに座っていた吉田くんの背中を睨みつけ、
「吉田くんよ、僕に憑依しろ憑依しろ」と念じていた。何も感じなかったけど目をカッ!と見開いてみたりした。
するとどうだろう。何となくいつもよりもテストがスルスル解けるような気がするじゃないか!
実際、理科と算数のテストの成績もクラスで中の上くらいは取れた。
点数がよかったことの要因が吉田くんを憑依させたことだと思った僕は、
次のテストでも理科と算数のときに吉田くんの能力を借りることにした。
またしてもスルスル解ける(気がする)。
これで社会もできちゃうのではないかとワクワクしながら真剣に目をカッ!と見開いた。
これは本当に使えた。
授業の時やテスト勉強の時にも憑依させたら、すごく点数上がるんじゃないかと思って、
授業中やテスト勉強中に、それぞれの科目が得意な友達を自分に憑依させたりしていた。
そんなこんなしていたら、総合の順位は学年でもトップクラスになっていた。
この方法が使えない科目が一つだけあった。体育だ。
小嶋くんという運動神経抜群の友達を憑依させようとしたけど、ちっともうまくいかなかった。
中尾くんを憑依させようとしたけど、これもうまくはいかなかった。
中学、高校でもこの方法を続けたし、大学受験もこの方法で合格した。
今や大学教員になってしまい、学生にどんな方法で勉強すれば良いかと質問される始末である。
「ロールモデルを持とう。あの人ならどうするか真剣に考えるんだ。」
でも本当はこうアドバイスしたい・・。
通知表も終わってないんですよね、まだ。
肉屋のがらのわるいおっさんがクレームにきて対応させられるわ、
もう火に油を注ぐからって、新任の代わりに家庭訪問させられてんですよ。
変なやる気出して「おれ、行きます」じゃねーよ。逆に時間かかるんだよ。
まだ、通知表おわってねーつーの。
で、なんで、おれは給食費を子供の家まで訪問して集めてんですかね。
「いま、油モノしてるから、またあとで」じゃねーし。
回収の仕組み作れっつーの。まだ、全部集め終わっないのよね。
行ったら、どうせ「意識が足りない、こんな教師に教えてもらいたくない」だろ?
大体、こういうこと言ってくるのは、
「おれなんか」って誰も聞いてないし、
なんで無いんだろね。
でも、それでもいいや。
だって、高給取りになったら、私怨まで込めてクレームしてくるでしょ。
そんなんだから、地域の平均所得に合わせて、数百円ほど減らさせたんだよね。
楽して安泰、定職ウハウハって思ってんのかな。
お前が選んだ道?給食費回収まで選んでねーよ。
嫌なら、辞めろ?
なんで学校まで巻き添えくうんだっつーの。
ランドセルに傷が付いた?つくよ、ばか。
まだ、通知表おわってねーつーの。