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はてなキーワード: 弓道とは

2016-03-02

矢面に立つ人間が現れると、

そこへ向かって集中砲火する日本人特性

まるで的を得弓道士。

この本能とでも言えるような行動を改めないと、

皆一緒で出る杭は叩く文化脱出することはできない。

2015-12-30

アニメリアルを求めるものではない

艦これ弓道の頃からアニメリアルを求めすぎ。

リアルテイストというだけで、別に何もかもリアルにしようというわけではないし、それでいいじゃん。

リアルがいいならドラマでも見てろよ。

展開に無理はあっても、物理法則はおおむねリアルの枠から出ないから

であるからして、アニメに対する「リアルだ!」という評価も、「アニメにしては」という前提だと思う。

ガルパンものすごく好きで、明日3回目の劇場版を見に行こうかなと思っている。

すごく好きだが、別にリアルだとは思わない。

ただ、戦車の形とか、雰囲気とか、舞台とか、そういうのはリアルだと思う。

から、「ガルパンリアルだ」というのを否定もしない。

2015-10-31

夜の公園ラジオ体操第1をする

夜の公園ラジオ体操第1を始めて3日が経った。

とりあえず三日坊主クリアした訳だ。めでたい。

今日金曜日なのでいつもだったら週末に向けて気が抜けてダラッとしていたが、エイヤッ(IT業界語)と公園に行ってきた。

そもそものきっかけは、はてなブックマークラジオ体操話題を見ていたのが記憶に残っていたという点は大きいと思う。

ただ、常駐先で一挙手一投足を監視されながら定時まで嵐のように仕事をするとヘトヘトだし、緊張状態が続くので体が

凝り始めたというのが大きな理由だった。「追い込まれてもヘラヘラ笑っているIT超人」みたいな人がたまにいるが、

なるほどああいタイプはしぶといだろうなとようやく理解出来た所もある。

本当ならば、夏休み小学生のように朝日を浴びながら体操すれば心にも体にも良いんだろうが、現状でも基本定時帰り

とは言え6時起きで通勤しているので、現実的には厳しい。では帰ってきてからリラックスモードに入る前にパパッと

着替えて3:16の体操をこなしてくればいい。

音源は落ちていたが、自分の逃げ道を防ぐためにiTunesStoreで購入。200円。

一日目。体操を終えてみると「なぜこんな事に?」という疑問点が出てきた。ウルトラマンである

二日目。ある程度一日目の疑問が解けた。

三日目。かなり腑に落ちた。

アニメ刀語主人公の姉であり、「天才」「化物」の鑢七美(やすりななみ)の特技は「見稽古である

大抵の技は一回見れば覚える。二回見れば盤石。

もちろん筆者は単なる凡人であってフィクション天才とは比較にならないが、経験とは馬鹿にならない物で宮本武蔵

五輪の書における「観の目」的な物が自動的に整理される。パターンの見切りが早くなる。おそらくゲームをあまり

やらなくなったのもその辺が原因だと思う。

まずかなりの人はラジオ体操学生時代以来やっていないと思うし学生時代に苦になった人は余りいないと思う。

筆者も運動神経は鈍い方だったが、特に苦にはならなかった。ただ、中年の身では余裕だと思っていたが、結構しんどかった。

思い出したのは、小学校時代運動会保護者のやっていたラジオ体操だったのだが、それがなんだか子供心に無様に見えた。

早送り気味のチャップリン映画のように、挙動がせっかちで芝居がかっているように見えたし、テンポも遅れている。

それからテレビで見た芸人ラジオ体操。余裕綽々で始めるが体操が終わってみると、半ヤケ気味に満員電車の中で

まれたように髪は乱れメガネがズレてシャツズボンから出ている。オーバーアクションでもなかなか面白かったのを

記憶している。

おそらく原因は二点あって、一つは「年を取ると感情抑制が甘くなる」という点があると思う。

動作に感情を込めると間違いなく「力む」のだが、その力みがぎこちなさや無駄な動きに繋がっている。

から感情豊富オタクの言動は芝居がかっているし、機械的動きが必要楽器演奏で情感を作り出す音楽

やっている人は動作が軽やかで年を感じさせない。多分ラジオ体操もうまくこなすと思う。ただ、オタク

例えば弓道のような精度を高めてくスポーツにハマれば感情を込めない動きがマスター出来るだろうし、

作品を作る方の漫画家も反復作業が膨大に発生するので技は磨かれるだろうが。

それで連想したのは「料理愛情」と言うけれど愛情感情から品質にムラがあるのでは?

プロとしてそれはどうなのかな?古来から言葉なのかな?と軽くググると、起源

1980年代オールナイトフジの「結城先生の真夜中のお料理教室」や料理番組「夕食ばんざい」などに

出演していた料理研究家結城貢キャッチフレーズとある最近言葉だった。

どうも、どこかで「愛情を込めて歌う」という文章もあった気がするが、「心を込めて歌う」という表現の方が一般的だし、

理にかなっているような感じがある。感情を込めて歌うとロックのように力んでがなり立てるような歌い方になるか

まともに歌えなくなるだろうし、心を込めるというのは丁寧にやるということでクラシックオペラ的な歌い方とまでは

行かないまでももっと純粋歌唱力問題になるのでは、とここまで考えて、筆者自身「心を込める」という言葉

どういうことかということを厳密に理解していないなと思い、またもやググってみたが、「いかに相手に真剣に向かい合うか」

という文章があって「一期一会」的だよなと思ったのだった。

それから整理してみると、どうも感情量を増やすような構造に嵌められている気もするが、穿ち過ぎかも知れない。

閑話休題。二点目。

3日目で詳細まで分かったがラジオ体操は「前半は緩いが、ドンドンしんどくなる」ということだった。

一番始めの「腕を前から上にあげて大きく背伸び運動」。これは緩い。ここで大抵のおっさんは油断してしまう。

粛々とこなして、「前下に曲げます!柔らかく弾みをつけて3回そして、うしろそりぃぃ」。ここで「あれ?俺テンポ少し

遅れてね?」。

クライマックスはその後の「身体を回しましょ~(`・ω・´)!!」からコンボ上半身グルグル回す。クラクラする。

漫画キャラクターを笑えなくなった。三半規管が弱まっているな……。動作も遅れ気味だ。

続けて「足を戻して両足飛びぃ~」。クラクラしている中、暗い空間ジャンプする。なるほど。これが目眩か。

SFセンスオブワンダーが目指している領域ゲームデザインに興味のある人ならおなじみのカイヨワの

「遊びと人間」における「眩暈(イリンクス)」。4分類(他は「競争アゴン)」「偶然(アレア)」

「模擬(ミミクリ)」)のうちではやや過小評価ではないか?

3:16程度の運動ではもちろん脂肪は落ちないだろうが、体がほぐれる効果はあると思った。年を取るほど

挙動範囲の狭い動きをしなくなるので体がこわばり凝り固まっていく。腹回りの脂肪も感じた。少し甘味は控えようと思う。

2015-06-11

一般人武道に対する認識

剣道竹刀でペチペチ、汗臭い

柔道DQN巣窟、汗臭い

空手バカ一代

弓道世界にも類を見ない長大な弓を扱い、身体的にはもちろん精神的にも多大な成長を促すことができる。

また、礼儀作法も重んじるため日常所作が美しくなる。

弓道は立禅とも呼ばれており高い哲学性も帯びる。オイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」はスティーブ・ジョブスが愛読していたことで有名だ。

美男美女も多い。

2015-06-09

ノンフィクション作家の末路

前に読んだことのあるノンフィクション作家

最近名前見ないなと思って検索したら、一線を超えていた。

以下、本人のtwitterプロフィールからひとつずつ突っ込んでいく。

作家

→調べたら最近紙の本の出版はなし。

死にかけ体験8回。

→前は3回くらいだったから数年で5回も死にかけたのか。

趣味仕事は旅と冒険弓道ジョグジェットスキースノボ

→前から好きな人だったようなきもするが、スノボしてたのは初耳。

懸垂毎日100回等。

→見るからにひ弱そうなんですがね…。

カジノと株はほぼ常勝。

→「ほぼ常勝」って日本語まれてはじめてみた。たまに負けるってこと?

世界紀行120カ国余。

→紀行って旅行中の体験・見聞・感想などを書きつづった文章じゃないの?出版されてるんだろうか。

単著は約100点余。

アマゾンで調べても100も出てこない。国会図書館でも100も出てこない。

オリジナル電子書籍別に220点超。

電子書籍題名変えたり、章ごとにわけるなどして冊数稼ぎ。そしてどれも売れてない模様。

不定期有料マガジン1万7500部。

→1ヶ月メルマガさなくても誰から文句を言われない。

Twitterフォロワー数が17,200人くらい。メルマガ購読者数のほうが多いという謎。

著書累計725万部。

→調べようはないけど多分嘘。

中堅会社CEO東南アジアに7法人代表

→調べても全く出てこない。

という感じ。なんだか残念な人になっていた。

この他にも、ネット界隈を見てみると、

財産東北被災者寄付

税金問題を指摘され貸与に変更。ただ誰から感謝言葉もないし、ニュースにもならない。

震災直後に自著増刷

出版社に問い合わせたが初版しか出ていない。

Amazonにて自著のレビュー自作自演

→自著だけに飽きたらず他人に☆ひとつレビューを書き込む。

はい文章書いてたはずなのに、この有り様。

人間どうなるかわからないですね。

2015-03-26

艦これアニメ弓道警察

艦これアニメがつまらなかったのは、弓道警察が一役買った可能性はないだろうか?

去年11月に加賀さんの弓を構えるポーズ全然弓道やってないと話題になったやつ。

伊達や酔狂であんなポーズになるわけないんだから、あのポーズで弓を射る必然性のあるシーンがあったはずで、

例えば足元に着弾した砲弾を避けながら反撃する、といったダイナミックなシーンが予定されていたのではないか?

だが、駆逐艦戦艦が相当無理な体勢から砲撃、雷撃する中で、

空母がそういったダイナミックな攻撃をするシーンは一切なかった

全部、中途半端に本物の弓道意識した、地味なポーズで弓を射っていた。

話題になったのが去年の11月なのだから修正する時間はなんとか捻出できただろう。

あの騒ぎを敏感に察知した艦これ製作陣が、本来あったはずの、ダイナミックで爽快な発艦シーンを消した可能性がある。

もちろん、修正にかかった時間は、他のシーンのクオリティを下げることで取り返すしかない。

最終話艦娘戦闘中なのに棒立ち会議しているのは、このためだったのではないか?

どうにも、今回の艦これアニメ製作陣は、視聴者の反感を買うことを異常なまでに恐れているように見えた。

それも変な所で。

例えば提督を出すと、「男を出すな!」って荒れると思って、不自然なまでに提督の姿が出てこないのがそれだ。

如月轟沈の大バッシングを受けて、史実通りなら祥鳳は轟沈するはずなのに、大破炎上で済まされた。

(祥鳳炎上シーンの不自然な腕の角度は、元々は轟沈シーンで、

海中に沈みゆくシーンを無理やり改変した物だと思えばしっくりくる)

弓道警察の騒ぎも、視聴者は軽くいじったつもりだったのに、

製作陣は異常なまでに、「これはダメだ」というメッセージを受け取ったのではないか?

その結果が、あの地味な艦載機発艦シーンで、艦これアニメをつまらなくするのに一役買ったのではないかと思う。

もちろん、艦これアニメはそれくらいじゃ取り返せないくらい、ダメダメな出来だったわけだけれど。

2015-01-28

艦これアニメ足柄合コン問題本質は、浅薄キャラ描写にある

艦これアニメ弓道問題本質は、やる気のないアニメートに尽きる

http://anond.hatelabo.jp/20150113233602

を書いた増田です。


巷では第3話の内容が取りざたされるなか、今さら第2話に言及するのかよ、ってツッコミはごもっともですが、ニコニコ配信で視聴してる人へのネタバレ回避のためのこのタイミング投稿ということでご理解いただきたく。


さて本題。

艦これアニメ第2話における如月セリフによって「足柄合コンに行って失敗した」ことがほのめかされており、そのことに反発が集まっているという経緯がある。ツイッター上での感想などはtoggetterにもまとめられていたりして、ちょっとした騒ぎに。

よくある演出じゃないかと擁護する向きもあるけど、そもそも足柄というキャラ男漁り的な属性を付加しているのは二次創作でしばしば見受けられる描写であり、しかし今まで公式媒体でそのような扱いを受けたことはない、という事情がある。つまり問題セリフは、単によくあるテンプレ描写という位置づけではなく、公式にはもともと無かった属性二次創作で盛んに用いられているからという理由アニメに輸入されたという構図に見えてしまう。これは原作ゲーム足柄のファン(かつ、二次創作での描写に不満を持っている層)にとってはキャラ改変・改悪にも映るわけで、荒れるのもむべなるかな。過去にも赤城大食い属性二次創作から原作ゲーム逆輸入されたという前例もあって(そのときも一部の赤城ファンを中心に荒れていた)、二次創作ネタ公式採用されることを嫌う提督が少なからずいるということがあらかじめわかっていたのに。

本筋に関係ない枝葉末節なのだからスルーしろという向きもあるけど、枝葉末節ならなおのことこのような描写をする必要性がないはずで、なんでこんな描写を入れたのかと、よりいっそう制作側のセンスが問われる話になる。こういう点について鈍感な制作陣は、そもそもキャラクター人気に支えられている原作アニメ化になど携わるべきではないのでは?

KADOKAWAアニメでいうと、キディ・ガーランドにおいてニコニコネタをふんだんに突っ込んだエピソード放送して視聴者の顰蹙を買ったという事例が思い出されるけど、二次創作との距離の取り方がわかってないアニメスタッフ(それも上流工程)がぼちぼち現れてきているのではないか、という気もする。


ここまでが前振り。

今回の問題も、第1話における弓道描写問題と同様に、単なる一描写の巧拙の問題にとどまらず、制作全体に潜んでいる本質的問題氷山の一角であり、駄作化の兆候なのではないか、というのがここからの主張。


まず1つ言えるのは、作品方向性スタッフ間で共有・統制されていないのではないか、ということ。

アニメでは提督の姿の直接的な描写が避けられているが、提督を具体的に描かないことで男の影を排除している、あるいは提督視聴者というニュアンスを込めていることは、様々なスタッフインタビューでもほのめかされている。いずれにせよ、いわゆる美少女動物園型の作品志向されていることになるが、ならばなぜ合コンなどという男の影ちらつきまくりの要素を出してしまったのか。提督描写を避けるというかなり強い枷(実際にそれによって作劇が不自由になっている部分は多かろうと思う)を自分たちでハメておきながら、その意義をスポイルするような要素を、まったく本筋に関係のない枝葉末節のところで触れてしまう、というのは、自分たちがどういう方向性作品を作り上げていこうとしているのかコンセンサスが取れていない、または誰一人として自覚していないか、あるいはわかっていながら実務がコントロールしきれていないか、いずれかである


もう1つは、原作キャラ描写を読解し理解したうえでアニメという媒体ならではキャラ描写をしていく努力放棄しているのではないか、ということ。

この点については、「ハラショーしか言わない響、という例もあるが、もう少し議論やすい例として暁を挙げたほうがわかりやすいだろう。アニメにおける暁もまた、レディーに絡めた発言ばかりしている。これは一見すると原作通りであるかのようにも思えるが、ではなぜ原作ではそのような描写になっているのかを考えてみると、その大元には背伸びをする女の子像を描きたいという動機があると容易に想像でき、しか原作立ち絵が静止画ゆえ動きが表現できず、また提督艦娘の会話どころか艦娘どうしの会話すらない造りとなっていて、モノローグ的なセリフによってのみ背伸びしがちな女の子キャラ性を描かなければならないため、その条件に最適化した結果が、ある種テンプレ化したようなあのセリフ群になっているのだろうと思い至る。その点、アニメという媒体ならば動きもあるし会話もさせられるから、個々の場面に合わせてキャラ描写もっと柔軟に行うことができるし、むしろ原作通りのセリフ回しをそのままアニメでやってしまうとテンプレ臭が強すぎて場面から浮きかねずかえって不自然になるだろう・・・にもかかわらずアニメでは愚直に原作セリフを真似てばかりいるのである

公式コミカライズやそれこそ同人誌などでも、場面とセリフとをきちんとすりあわせて、テンプレ臭くならないような、それでいて暁が背伸びしようとしている感じを醸し出し、その可愛らしさをうまく表現している例は多々ある。そういった例と比べると、アニメでのキャラ描写練り込みが足りてないし、そもそも練り込もうという意欲もなくただわかりやすいレディーというキーワードを振り回しているだけの、ひどく雑に記号化された描写しか見えない。

足柄合コンを匂わせる描写も全く同根で、原作における足柄がいったいどんなキャラなのかということを掘り下げて考えることをせず、ただただわかりやす記号として男漁りという要素が二次創作界隈に流通していたから、それを拝借してきて一丁あがり、という安直脚本になっているのである


以上2つ、艦これアニメにおける足柄合コン言及から垣間見える問題点を述べた。前者は制作全体がきちんとまとめきれていないことを示唆しており、後者脚本家技量不足を示唆している。このような事態に陥っている制作体制から良作が生まれてくるなどとは、全く期待できないだろう。

2015-01-25

ステージの光はすべて星

「この業界周りで働く人たちは、皆、総じて、"愛"に弱い。」(辻村深月 ハケンアニメ!)

アイドルマスターシンデレラガールズ」の第3話を見てこの一文を思い出さずにはいられなかった。思い返せば第1話冒頭。ニュージェネレーションから漏れ彼女たちをすでにデビューしたアイドルとして見せた「お願い!シンデレラ」。画面からあふれでる愛におぼれるようだった。それからはじまった物語も素晴らしく、決め台詞差しまれる話運びにただただ溺れるしかなかった。そして第2話の宣材の撮影。たとえ短くともまた漏れしまった彼女たちが出演している絵に心が震えた。

そこからの第3話。ついにはじまるシンデレラストーリーゲーム本編をプレイしていないため彼女たちの衣装がどのイベントレアリティのそれなのか判らないことが残念でならない。

ここまでアニメデレマスは漠然としていた「見たいもの」が予想以上の物語と絵をもって与えられる、天啓甘露のようだ。まぶしいばかりの愛が散りばめられ、あふれている。まさにスターだ。

そして光が強ければ強いほどに闇が色濃く見える。

アニメ艦これであるアニメ企画が発表された当時に当然の展開と受け止めていた。そして同時に口にはしなかったが漠然とした不安が芽吹いたのも事実だった。

時がたち発表されたPV第1弾。動く彼女たちを見て真っ先に感じたのは違和感だった。重い曇天、鈍色の海。それらを従えたなによりも黒い深海棲艦。立ち向かう艦娘たちにもどこか闇がつきまとう。戦争舞台であることは承知していたが、これはあまりに暗すぎる。その色遣いは先立って感じた不安に塗り込められた胸の内を投影たかのように見えた。

そして第2弾PV。不安を拭い去るかのような明るい場面……の果てにでてくる秘書官長門。参戦本部なのだろうか、その色遣いはセピア色。軍楽隊が奏でるBGM。夕日の中飛行する戦闘機(九七式艦攻? というところに目が行ってしまう)。当然である戦争だと思い知らされる。美少女動物園日常アニメではないと見せつけられる。

それが見たいわけじゃない。

そんな不安の中はじまったアニメ艦これ。なぜか舞台現代でも未来でもない。過去だ。太平洋戦争当時なのだろうか。その説明はない。不安ばかりが募る始まりだった。

そして第3話。不安は形になり、姿を見せた。これは戦争なのだ。生きるか死ぬかの物語なのだ、と。轟沈と隣り合わせの青春なのだ、と。

艦これは強烈にデレマスとの対を感じさせる。

女の子が戦う世界を見せつけることで、全提督に冷や水を浴びせ続けるかのように。世界絶望に満ちていると押さえつけるかのように。誰もが死ぬんだと殴るかのように。目をそらすなと睨むように。

ここに期待はないんだと叫ぶように。

俺は木曜に冷や水を浴び、金曜夜には愛を浴びる(BSは異なる、と入れておけばいいのか)。

艦これ物語世界にあまりに従いすぎている。物語の下に艦娘たちを配置している。だから戦争の影から逃れられない。すべてを支配する。

いっぽうデレマスは女の子たちが物語を従える。彼女たちの意思物語を拓いていくのだと共感できる。

ただそれだけだと虚構のにおいが強いのだが、竹内Pとその上司たちがしっかりと世界を支えている。第3話で楽屋に現れた部長川島瑞樹挨拶をする場面などその真骨頂だろう。リハーサルでの音響さんのセリフ(ここの芝居がとりわけ印象的だ)、ステージ下のスタッフ。そしてライブ終了後の挨拶スタッフの労をねぎらうセリフ。そういった細かいところがこれは「仕事」だと伝えてくる。言ってしまえば彼女たちだって戦っているのだ。みくにゃんの繰り返しの挑戦だって彼女なりの戦いだ。負けるけど。

デレマスのこの「愛し方」が判っている背景は突然のことではなく、これまでに連綿と繰り返されてきたアニメ化によって制作側に培われた技術なのだろう。つまり、もし艦これと同時期に「ゼノグラシア」が放送されいたらと思わないでもないのだ。

アイマスは愛し方が確立している。その頂点が先の劇場版であり、Febriの特殊号だろう。最新号は艦これ特集なのもなにか運命めいた存在を感じさせる。

小山高生タイムボカンについて語った際に「天地人がそろった」と述べていた。同じことをデレマスに感じるし、いけないほうの天地人がそろったことを艦これに感じる。これまた偶然であり、運命の綾であろう思いたいが、第3話放映翌日から艦これアーケードロケテストが始まった。三国志大戦撤去直後に発表されただけにその知らせに触れたプレイヤーが何を期待したのかは想像がつくし、その結果がどうなったかはご覧のありさまである

艦これではなく艦これ人気が好きだった」という増田には深く同意できる。残念だがいまのところ、艦これはすべて期待を裏切り続けていると言わざるを得ない。これから目をそらし、褒めそやすことは大本営発表報道し続けた太平洋戦争末期の報道各社と変わりがないだろう。連想するなら艦これへの弓道から批判は、本来であれば物語全体に向けられるべき「コレジャナイ」を局所的に言語化した結果なのだろうか。

竹内Pと提督の造形の違い、二次設定の使い方、ゲーム中の素材の扱い、表現……。あまりにデレマスと艦これは対をなしすぎる。恐ろしいほどだ。同時期に放送したのは両者の意地なのか、運命なのか、それとも他の何かか。私の心境としては、見届けるデレマスと看取る艦これ、というところだ。

人為的に誘発された知能は,その増大量に比例する速度で低下する」(ダニエル・キイス 「アルジャーノンに花束を」)

2015-01-18

なんでアニメ弓道に指摘したくらいで

なんでアニメ弓道に指摘したくらいで

製作者でもない単なるアニメファンどもが「面倒くさい奴ら」とか言ってくるんだろうか。

無関係なくせにこの程度のことでいちいち絡んでくる奴らこそ面倒くさいよ

2015-01-13

艦これアニメ弓道問題本質は、やる気のないアニメートに尽きる

まず念のために言っとくが、アニメイトじゃないぞ。


事の経緯を改めて確認しておくと、

  1. 艦これアニメ第一話において赤城弓道場っぽい施設で弓を射る(=艦載機を飛ばす)シーンについて、実在弓道所作と異なる点を指摘した画像ツイートされる(ツイート主はネタのつもり)
  2. この画像ガチ批判だと捉え、そのようなニュアンス転載ツイートする者が現れる
  3. 転載ツイートを見て、画像内容に反発する者が続出し、弓道経験者に対する罵詈雑言まで出始める
  4. 炎上案件としてまとめサイトが取り上げる
  5. 炎上案件としてニュースサイトが取り上げる

詳細はTogetter↓参照

http://togetter.com/li/769220


元のツイートにはガチ批判意図は無かったにせよ、このアニメのデキがなぜビミョーなのかという核心に近いところを、この指摘は突いているように思う。その理由を以下に述べる。


問題画像に反発する意見として「キャプテン翼テニスの王子様は、題材となった実在の競技と比較するとメチャクチャなことをやっているのに、多くのファンから支持されている。したがって題材へ忠実でないことがただちに悪いわけではない」というものがある。この主張は確かに頷けるものであるが、それはあくまでも、あえて題材に忠実でない表現をすることによってのみ描き出されるものがあるから、という創作意図があってこそである。例に挙げられた2作品について言えば、題材に忠実な表現によっては不可能なほどダイナミックなシーンを描写したい、という意図があってあのような内容になっているのは明白だろう。

翻って、問題となった艦これのシーンはどうだろうか。赤城加賀所作のところどころ、あるいは施設や的など、実在弓道意識して真似ている部分が多々見受けられるが、しか赤城が弓を射るシーンそのものは、問題画像が指摘するように、実在弓道に忠実となるような描写が徹底されていない。あえて徹底していないのだとすれば、それによって何かが描き出されているだろうか?新しい価値がその徹底しない表現からまれているだろうか?答えは否、だろう。


たかが1シーンではないか、と思うかもしれない。不作為の不徹底が1シーン見えたから何だと言うのだ、と。

しか問題のシーンは、たかが1シーンなどではないのだ。着任したての吹雪が一航戦の練習風景をこっそり覗き、赤城の弓を射る姿を初めて見て感心するシーンである吹雪赤城に憧れを抱くという、いわゆるフラグが立つ場面であり、ここで吹雪の感心っぷりを視聴者にも共有させなければ、その後の吹雪の心の動きを視聴者共感させることができなくなる、非常に重要なシーンなのだ。したがってこのシーンの演出における最優先の目的は、いかに赤城をカッコよく美しく描き、吹雪同様に視聴者をも見惚れさせるか、というところに重点が置かれなければならないはずだ。

それがどうだね?不作為の不徹底だ?真面目に演出するつもりが無いのかと言いたくなる。赤城をカッコよく美しく描くために、あえて実在弓道に忠実な描写から外れました、ならわかるよ。でも実際の描かれ方は、ただ漫然と、脚本・コンテに「赤城が矢を放つ」と指定されてたからそのとおりに描きましたーというだけの、なんら創意工夫のない描写じゃないか。

艦これ弓道にまつわる話題を見聞きしてきた御仁なら既に承知のことと思うが、実在弓道は型にこだわる武道だ。だからそれを忠実に再現するだけでもある程度の美しさを描き出せるはずなのだ。なのにそれをせず、かといって自前で創意工夫した描写でもない。こんなの、赤城をカッコよく美しく描こうという意図がそもそもありませんよーとしか見えないではないか。アニメウソに塗れながらもカッコいいポーズを決めようとした、片足立ち射法の加賀のほうが百倍マシだ。

こんな調子演出意図スカスカ作画をしたら、いくらセリフで「すごい集中力」などと吹雪に言わせようが、そのセリフに納得のいく作画が伴っていないのだから視聴者は白けるだけだ。そしてこのシーンで吹雪共感し損ねた視聴者は、直後の甘味処のシーンで赤城を思い出し惚ける吹雪が、どうしようもなく浮ついて見えてしまうだろう。惚ける吹雪キラキラエフェクトを使うくらいなら、直前の赤城描写こそ(吹雪主観エフェクトかけまくるなど)ベタベタ演出して視聴者を引き込むべきはずなのに。


まり実在弓道に忠実でないことが問題なのではない。実在弓道を真似た描写をいろいろしておきながら、肝心のところで忠実でなく、しかもその不徹底が演出意図によらない単なる怠慢に見える、ということが問題なのであり、突き詰めれば、この重要なシーンにおいて赤城をカッコよく美しく描かねばならない、という意志の不在が感じ取れてしまうのがダメなのだ


そもそも我々がアニメーションに期待するのは、まさしく物語に沿って絵が動く=アニメートすることだろう。プロット上カッコいいと定められたシーンはカッコいいアニメートとして見たいし、美しいと定められたシーンは美しいアニメートとして見たい。それが叶わないならアニメーションを見る理由などない。ビジュアルノベルCDドラマで十分だ。すなわちアニメートの気持ちよさを追求しないアニメーションに、存在価値などない。

艦これアニメダメさは、つまるところそれに尽きる。このシーンはこういう意味があるからこういうアニメートで見せなければならない、という演出意図をきちんと持って1シーン1シーンを丁寧に描写していく、そういう意志に欠けているように感じられるのだ。それをもっと象徴するのが問題のシーンなのである

2015-01-12

ニートはたいへん

社会復帰してだいぶ経つけど、

ニートやってる時は1日中2chとあるスレにだけ住み着いて、

ずっと同じ話題ループさせてた。

その話題ってのは「スレの居心地が以前と比べて悪くなった」ってのと、

とある人物は○○だからクソ」ってこと。

それを3年くらい。

反対してくる人や無視して別の話題する人を敵と思って攻撃しまくってた。

 

要するにまともな精神状態じゃない。

異物混入とか弓道の話ずっとしている人らもそういう状態だから

何を言っても無駄だと思う。

艦これ勢って頭悪いでしょ?

アニメ1話放送されて、また弓がおかしいと言い出す糞が現れた。

それはいい。5日経ってもまだ同じ話をしている。アニメの弓に突っ込むのはやめましょう!なんて。アニメの弓の話を毎日熱心に拡散しているのは、大喜利いつまでも正義感に浸っている一般市民だ。不快情報一生懸命拡散して楽しい?何十万人も視聴者がいて、一人でも基地外が発掘されれば、毎週こんなことする?

頭悪いというより、急激に成長したためコミュニティ成熟度が足りず、少しでも否定されると顔を真っ赤にしてしまう。アフィブログのいいカモ。今は弓道なら全叩きで良い風潮があるのでそれが使われているが、探せば他分野の叩き台も見つかり、いくらでも同じ手口が使えるだろう。

熟れたコミュニティだといちいち釣られはしない。熟れていく過程基本的にゆっくりだが、アイマスではアイマス2発売直後に興味深い事件があった。真美のセリフの断片を抜き出した中傷記事はちまが書き、たいして興味のない人間アイマスは糞だなと釣られてた件である。いちいち不快情報言及して嘘だと熱弁しても全く終わらないので、スルー力を上げないわけにはいかなかった。

艦これというブランドをまず考えて、授業参観で終わっていいのか

もっといろんな艦これ経験したほうがゲームにとってプラスじゃないのか、と


そう、アニメの一話を見て思いました。

端的に言えば満足できない、この先満足するのは難しいかと思ったのです。


はいっても、アニメスタッフが手を抜いているとか、まじめに作ってないんじゃないかと

非難したいわけではありません。

私が艦これアニメ1話を見た時の印象は、下記のようなものでした。

@ham1975: 艦これアニメ、めんどくさい顧客相手に慎重に書かれたパワーポイントプレゼンのようだった

https://twitter.com/ham1975/status/552972215201718273


しろ逆に、アニメスタッフは大変頑張られたと思います

ただその頑張りの方向が『最大多数の最小不幸』を目指している感じであり、

かつそれが視聴者にも伝わるがために、「あ、うんまあ悪くなかった……んじゃないかな」

と褒めることもできないが文句を言うには忍びなく、

結局出た出ないを話題にする授業参観アニメなっちゃったのかなあと思います


まあ、5W1Hすら設定しないというのはどうかと思うんですが、いろいろあったんでしょうね。


Who(誰が)    艦娘が(ただし何者かよく解らない)

What(何を)    敵の深海棲艦を(ただし何者かよく解らない)

When(いつ)    ヨクワリマセン

Where(どこで)  ヨクワリマセン

Why(なぜ)    ヨクワリマセン

How(どのように) 砲撃や雷撃で倒しました


ノベライズやTRPGでは、艦娘が人ベースなのか転生なのか、どちらかに決めた上でやっています

コミカライズだとボカしているものもあり、誤魔化せる表現が可能なら曖昧にしていくという指針でもあるのかもしれません。



ただ、ぼかさずに済むHow、戦闘手段アニメに落とし込めていないのは大変気にかかります

水上スキーはまだしも、あのサイズあの形態で戦うのであれば、艦の戦闘準拠する必然性はありません。

からこそ、水雷戦隊クロニクル天龍は剣を振るいヲ級はその頭部で噛み千切ろうとし、side金剛金剛は敵戦艦を投げ飛ばすという表現になったのでしょう。

言ってしまえば、魚雷有効だって人型であることと相反しちゃうんですよねえ。


巷でどうこう言われてる弓の話も、どちらかというとなんで矢が艦載機になるのか、

弓の鍛錬をする意味がどの辺にあるのかをアニメ世界の中できちんと説明できるか、理由づけられるか、の方が大事だと思うんですけどね。

現状初見さんが素朴な疑問を抱きそうな点はいくつかあるんですが、その殆どゲームユーザーも慣れただけで説明できないわけで、

アニメでその辺の説明がされることを期待していた向きもあるんですが、こうも「そういうものから」で流していくのをみると、

しろ「設定に触る部分は説明しない(できない)」という意思表示にも思えます

説明しないことによるメリット、というよりすることによるデメリット、というものに心当たりがなわけではありませんが

そこまで厳しく語ることを制限されていると、何のためにアニメを作ってるのかよくわかりませんし、

スタッフも作っていて面白くないんじゃないかなあと思います

配慮もうれしいのですが、まず面白くするために考えて、そのあとで可能限り配慮を尽していく形であればなあ、と



ところで、本当に巷でいわれてるんですかね弓の話。

指摘された! 弓道やってるやつはめんどくさい! と範囲限定しない中傷はざらなんですが、肝心の指摘はあまり見ません。

おそらく今回の発端はこのツイート

https://twitter.com/shockn55/status/553844214698504192

画像だと思うんですが、わざわざ掲示板あたりで使われていた画像を引っ張り出してきて、

面倒な人たちに目をつけられたと主張、拡散されていくのを見ると「面倒ってなんだろう」と考えてします。

しかも、(別の方ではありますが)「キービジュアルに対する指摘を受けて直しても(註:但し指摘を受け入れてたという根拠はない)、結局突っ込まれる。テロリストに譲歩しちゃダメってことだ」

という主旨の呟きも目に入ってしまい、比叡カレー吹いてしまいました。テロリストってお前。

と思ったら、2か月前の時点ですでにテロリストに準えるコメントがあるまとめブログ記事があり、

http://kantama.net/archives/16344385.html#comment

指摘が入ると「仏の提督さんでもキレました」と闘争に入るスタイル確立

および艦これへの言論によるテロに対する、高い意識存在が伺えます

また、件の記事自体今日を予期した念入りなシャドーボクシングであり、

どちら側が原因かはさっぱりわかりませんが、元々開戦の機運が高まっていたのだなあと感じ取れます。どちらが原因かはさっぱりわかりませんが。


なお私は剣道部であることを付記いたします。



長くなりましたが、あくまアニメに対する懸念は一話時点での懸念であり、今後の十一話で払拭してくれることを期待していますし、

不惑に至って尚、新しいことであるシナリオライディングや作詞に手を出す挑戦心を忘れない、

中年の星たる原案田中謙介氏のシナリオライターとしてのシンデレラストーリーになるような成功

および中村ノリというブランド継続をお祈り申し上げます

2015-01-10

艦これアニメ第一報で弓道に関して騒いでたのは確かに弓道経験者だったけど、アニメが始まってから騒いでるのは弓道やってなかった人ばかりで、やってた人は以前の騒動を反省して黙ってる印象がある。

現状、死体蹴り様相を呈していて見ていて心苦しい。

2014-07-25

何故、学生相撲が廃れ、柔道が人を殺すのか

中学校の必修教科として武道が制定され何年か。

柔道危険性はデータを持って示されているが、武道柔道を含んだままいまだ必修として続いている。

たとえ必修でなくても部活動としての柔道は変わることなく続いていくだろう。

しかし、柔道と言うのはデータを示されるまでもなく、それどころか部活動としてやるものとしても危険すぎる競技である

 

日本には武道と呼ばれる特殊な競技群が存在している。

主にそれは、近代までに日本で発展した人を打ち倒すための技術を競技化したものを指し、剣道を筆頭に、柔道空手道弓道居合道合気道相撲道などを含む。

武道は、特につのカテゴリーに別れ、一つは演舞を持って競い合うもの、相手を敵とせずに的もしくは協力者を持って自分技術を示し合う競技である。これには弓道居合道剣道柔道の型などが含まれる。

もう一つは実際に敵を相手とし技を仕掛ける格闘技に類する競技である剣道柔道空手相撲などが含まれる。

 

前者の安全性比較的高いものである。当然武器の目指す先が人ではない、もしくは打ち倒す目的ではないため、人を打ち倒すための技術を用いても危険性は低い。

一方で後者危険性は高い。人を打ち倒す技術を人を打ち倒すために使うため、当然のことである

後者の中で、柔道相撲は主要武道の中でも特に危険な競技である

その理由は、この二つの競技にはプロテクター存在していない、ということに尽きる。

 

剣道であれば、慣れ親しんだ防具が思い浮かぶことだろう。

空手は、生徒であれば直接殴りあうフルコンタクト式ならプロテクター必須であるし、寸止めであってもプロテクターをつけるのが普通だ。

武道でなくとも同じ格闘技アマチュアボクシングは、ヘッドギアと大きなグローブ義務がある。

格闘技でないラグビーですらヘッドギア存在する。

一方で、柔道相撲にはプロテクターと呼べるもの存在しない。申し訳程度、柔道にはたたみがあるだけである

しかし、中学高校一般的な、スプリングの入っていない、床に敷いた畳と言うものは当然硬く、危険性が大きい。

締め技関節技等の制限が行われたとはいえ、戦前から一切変わらない安全基準で行われるスポーツと言って良い。

敵の攻撃から体を守るのは基本的に自らの習得した防御技術だけと言う競技だ。

ところが、その柔道相撲部活で競い合うのは、お互いに未熟な児童生徒学生たちである

運動で体が熱くなり、試合や乱捕りで敵対すれば興奮し、普段よりも無茶な状態で無茶な技をかけることが多くなる。

プロテクター存在しない柔道相撲は、失敗した時に守ってくれるものは何一つなく、その時点で怪我が確定するといって良い。

柔道は投げ技で、相手の体を畳みにたたきつける打撃を行い、関節技で骨を痛め、締め技で意識を奪う競技。

相撲張り手で叩き、投げ技で土にたたきつけ、押し出し土俵から落とす競技。

 

体験的な話で不正確だが、中学高校柔道試合では、1つの大会で必ず1人以上のけが人を目撃する。

大相撲で怪我をしていない力士だけでとった場所が近年存在しただろうか。

 

考慮すべき安全と言うものが、武道伝統という言葉で覆い隠されている。

剣道竹刀を作り、防具を作った。空手プロテクターを取り入れた。柔道本来着ていた防具を脱ぎ捨てて、身を危険晒した。相撲は裸である

当然プロオリンピックといったレベルのものを変えるべきではないかもしれない。

しかし、そのアマチュアもしくは学校レベルの段階において有効に使えるプロテクターを考案すべきだ。

危険性があると叫ばれているが、武道を必修とするならば、その危険性を排除する努力本来必要なはずである

そうしなければ、無理強いて行わせたところで、結局は危険がために人が離れ廃れていってしまうのだから

2014-05-30

艦これ空母ファン向け弓道入門

艦これ人気に便乗した弓道の話です。

一部の空母娘が使っている弓から弓道に興味を持った人が読んでくれればなーという感じです。


さて、艦これDMMゲームである以上、18歳以上しかプレイできないのですが、同人から興味持った学生もいると思うので(あと大学生もいるだろうし)、まず学生向けのお話

結論から言うと、もし学校弓道部があるなら、そこに入るのが一番。

弓は教えられたことを身につけるために、ある程度の回数は反復練習しないとなかなか上達しないので、毎日放課後すぐに弓を引ける環境が最高なのです。

ちなみに道場アメリカ空母も真っ青の開放型格納庫状態なので、防暑・防寒に注意して快適な弓道ライフを送ってください。

若いからといって、何でもかんでも気合いと根性だけでどうにかなるほど現実は甘くないので、「努力より工夫」をキーワードにするといいかもしれません。

あとは「意味もなく年長ぶる間抜けな先輩には気をつけろ」「先輩になったからって小天狗になるな」というのも重要ですが、これはまあ部活全般に言えることなので。


次に学校弓道部がない人や学生じゃなくなった人向けの話。むしろこっちが本題。

学校弓道が出来ないとなると、社会人向けの弓道サークルに入ることになるのですが、「生意気だと思われないよう年長者は敬え、できれば可愛がられろ」だけでは済まない、ちょっと初心者が入りにくい所を解説。


弓道というのは、弓を引く技術である「射法」と、弓を持った時の立ち振る舞い全般を規定した「礼法」によって成り立っています

それで問題になるのが礼法。

社会人弓道一般的に礼法偏重で、初心者に教える場合も礼法から入る傾向があります

初心者にしてみると

「弓を習いに来たのに、今日は弓も持たずに座り方と立ち方・歩き方しかやらなかった」

「弓は持ったけど、取り回し方ばっかりで、いつまで経っても矢を放つところを教えてくれない」

というギャップから苛立ちを覚えること請け合い

はいえ、これを習得しないと先に進ませてくれないと思うので、ひたすら覚えてしましかないのが現実

それこそ受験のために過去問を覚えるみたいな感じで。

もちろん全く使わないかと言えばそんなことはなく、昇段審査とかでは覚えているのが前提ですが。


では何故そこまで礼法にうるさいのか?


これは、弓道が成立した歴史的経緯関係があります

そもそも弓道明治年間に生まれた歴史の浅い武道で、女子の礼法に至っては戦後に作られた新しいもの

そんな弓道の成立時に問題になったのが

鉄砲が登場し武器としての歴史を終えて久しい弓を、武道として続ける意義は?」

というもので、その回答が今の弓道の、あらゆる流派のごった煮状態に近い「射法と礼法の融合」だったと。


はいえ、そんな哲学的命題に興味を持って入門する初心者はまずいないと思うので(オイゲン・ヘリゲルでも読んでいれば別ですが)、最初

「的に当てるスポーツだもん、当たらなかったら面白くないじゃん」

くらいのノリでいいと思います

それにいくら礼法偏重だって、いざ試合になれば的中数が全てだし、審査にしたってある程度段位が上がれば「当たって当たり前」が要求されるわけで。

まあ礼法は、歳を取って思うように当たらなくなった時でも、ライフワークとして弓を続けるための予習くらいのつもりで学べばいいんじゃないですかね。


最後に、空母娘が使っている弓について。

これは竹弓といって、弓が武器として活用されていた頃からあるというか、弓も矢も元はといえば竹製なんです。

しか現代弓道では、安くて壊れにくいグラスファイバーの弓にジュラルミン製の矢が主流で、竹弓竹矢を若いうちから使っている人は殆どいなかったり。

でもあの弓のディテールに惚れたとなれば、これはもう竹弓竹矢を買っちゃっていいと思います

高いしこまめなメンテ必要だし、最初は壊しながら覚えていく感じになる覚悟必要ですが。

2014-04-16

スポーツに才能ある人の残念な話

スポーツと言っても弓道アーチェリーの話です。

射撃ボウガンダーツ、吹き矢等を想像した人はごめんなさい。

いわゆる人力で弓を引いて的に当てる、言うなれば弓系スポーツネタです。


弓系スポーツでは、数百人に一人くらいの割合で、必要技術をあっという間に吸収する、まさに弓を引くために生まれてきたんじゃないかみたいな人に出くわす。

ではそのまま試合審査でみるみる結果を残すのか・・・と思いきや、そうなる前にあっさりやめてしまう。

理由は簡単すぎてつまらないから


彼らに言わせれば

「弓なんて単純、というかグーッと伸びていってピッと離すだけの動作の、何が面白いのか理解できない。そんな簡単な動作に他の人が苦労しているのが信じられない。しかも苦労しているのに入れ込むのはもっとからない」

確かに弓の引き方は、相手の出方による駆け引きも絡んでくる他のスポーツに比べたら、動作的には決まり切っている。

しろどんな場所、どんな体勢からでも同じ動作をこなし的中させる技術と言っていい。

普通に立った状態、野山を駆けたりスキーで滑走した直後の心拍上がりまくり状態、競馬の追い込み並に疾走する馬を駆る状態、座った状態、伏せた状態、色々あるけど。

その核になる部分を苦もなく体得できてしまえば、あとは何もないと思うのも無理はない。

なので、そのまま行けば国体オリンピックを目指せそうな、天才人材が居着かないと。


もちろんこれは射法の先にある、弓を引くことの意義まで、うまく教えていくことが出来ていない、指導側の問題も大きいとは思う。

元来、弓は非常に強力な武器ではあったが、鉄砲が登場した数百年前に武器としての歴史は終わってしまった。

そこでスポーツとして再定義・再構築された弓をやることの意味・・・という話に向き合っていくことになるんだけど、ちゃんと教えられてますか?みたいな。

実際問題、アーチェリー学生弓道(特に大学弓道)は的中に偏りすぎだし、社会人弓道は射の哲学に偏りすぎ。

自分のように「基本当たらなきゃ面白くない」程度に考えている社会人弓道家としては、そんな風に感じる。

2014-01-25

女の趣味努力

私「うちの会社の先輩のAさんね、弓道のなんかの大会入賞したらしいんだ。4年くらい前から始めて、それで今そこまで極めたんだから凄いよね。仕事も出来るし、それで趣味の方もそこまで上達できちゃうんだから、流石だよね。私は何をやっても中途半端から羨ましいよ」

知人「それって羨ましい話? むしろやるせない話じゃないの?」

私「え? どこが?」

知人「女が趣味を始めたり、サークルに入ったりするのって、出会いのためじゃないの? それで4年もやってて、結局成果無くて、趣味けが無駄に上達しちゃったってことでしょ? その先輩が射止めるべきは的じゃなくて男の心だったんだよ」

私「いやいや、確かにAさんも『付き合いを広げたくて始めた、いい出会いがあるといいな』とか言ってたけど、続けてるうちにすごい嵌まったみたいよ。ていうか元々興味有ったんでしょ。でなきゃわざわざ弓道なんてやろうと思わないよ。もともと多趣味な人だしね」

知人「プロになれるわけでもないのに、女が趣味を極めてどうするんだよ。そんな趣味にのめり込んでる暇があったら婚活始めとかないとやぱいんじゃないの、年齢的にも」

私「いや、Aさんはただ自分が好きでやりたいからやってるわけで……それに仕事だってちゃんとやってるんだし。それに、出会いだってこれからあるかもしれないでしょ。入賞までして、業界でも有名人になっただろうし」

知人「趣味で始めて賞まで取っちゃう女なんて、男からは余計敬遠されるに決まってるじゃん。まして仕事も出来るなんて言ったら、尚更だよ。女がすべき努力はそういうことじゃないよ」

私「なんで? 私が男だったらAさんみたいな人は喜んで奥さんにしたいけどな。仕事趣味もそれだけ出来る人なら、主婦だって完璧でしょ。実際家事もできるっぽいし」

知人「趣味なんて嵌まれば嵌まるほど金も時間も食うし、その時点で旦那負担かけるんだよ。いくら家事育児と両立します、って言ってもさ。そんな暇があったらパートでもしろってことだよ、いや、家事育児だって真面目にやろうと思えばやることはいくらだってあるはずだよ。趣味に使うエネルギーがあればそっちに集中するべきだよ」

私「女が趣味にのめり込んじゃいけないの? 自分は一緒になるなら趣味の合う女がいい、って言ってるくせに。『これが理解できないバカな女はダメだね!』って」

知人「まあ、自分に話題を合わせて付き合ってくれるなら勿論いいんだけどね。下手に真面目に勉強し出しちゃって、俺以上にマニアっぽくなっちゃったら引くよね。それで食うわけじゃないんだから、他に努力すべきことややるべきことは優先しないと」

私「いや、自分だって別にそれで仕事するわけじゃないのに、ずいぶん趣味に注ぎ込んでるよね?」

知人「男と女とは違うよ。さっきも言ったけど、女が趣味やら仕事やらに入れ込んでるうちに年だけ食っちゃったら悲惨からね。そういや君だって最近英語勉強始めたそうだけど、それで外人男をゲットするつもりなの? 留学でもする気? でなきゃ今更意味あるの?」

私「いや、これは仕事必要になってきたから。英語実用でしょ、将来のこと考えたら、使えるに越したことないっていうか、むしろ必須じゃない! Aさんなんか中国語も出来るしね。結婚して家庭に入っても、旅行だって使えるし、映画洋楽も訳無しで意味分かれば楽しいだろうし、単純に世界広がるし……」

知人「くだらねー。女のキャリアアップとか自己実現とか、今更そういう時代じゃないよ。本気で将来を考えて幸せになりたいなら、他にやるべきことはあると思うよ。とりあえず、そのAさんは反面教師にした方が良いよ。だいいち、君はAさんほど仕事も出来るわけじゃないんだろ? 下手に真似したら将来死ぬほど後悔すると思うよ」

私「他にやるべきこと……ね……たとえば?」

知人「それが分かってる、本当に出来る女はとっくにいい男をつかまえて、幸せ結婚生活送ってるよ」

私「……」

2013-08-13

愛人という生き方

母親若いころから仲良くしていた女性は、いつも誰かの愛人であることで生計を立てていた女性だった。

40年以上前から整形にエステに、と今の美魔女(笑)ビックリ努力を重ねていた。

実際、まったく年に見えなかった。

そりゃそうだ、美しくないと、相手に飽きられて、捨てられて、路頭に迷うからだ。

わたしが生まれて、わたしより何歳か上の彼女の娘とよく遊んでいたときは、ある医療関係者とちゃんと結婚していたが、覚えている限りちゃんと婚姻関係を結んでいたのはそれだけだ。

わたしのいえの何駅か先に開業していて、4階建ての豪邸(一階は病院)で、家具はすべて日本じゃ見たこともないようなすばらしいものだった。

家の中はほこりひとつ落ちていなかった。

料理もとても上手で、美しい母親子供たち、医者の父親、とすべてが素晴らしく見えた。

だが、子供は一番上の子はたしか父親が違うのだけれども、兄弟みなグレるか歪んでいた。

不登校、16歳で妊娠タバコひきこもり、などなど。

わたしが仲良くしていた少し年上の少女は、早熟であったためか精神を病んでしまい、不登校になった。

わたしが中学生ぐらいになるころ、彼女たちは引っ越した。離婚したのだ。

引っ越した後、すぐに後釜の既婚者の金持ちを捕まえ都内の1フロアに一部屋しかないようなマンション家族と、その金持ちと住んでいた。

遊びに行ったら、すごくおしゃれだったので今でも覚えている。

中学生から込み入った事情は知らなかったし知ろうともしなかったが、その金持ちは奥さんと愛人の間を交互に行き来し、それを奥さんも容認していたようだった。

少し年上の少女は、学校になじめず、弓道油絵ヴァイオリンを習っていたようだった。

一緒に銀座三越に行って、いろいろきれいなものを一緒に見て回って、少女化粧品を買って、千疋屋フルーツパーラーを食べて帰ったのを覚えている。

その時のわたしは一切意識していなかったが、そのお金金持ちからいただいていたものなのだろう。

わたしの母親愛人彼女はそのうち疎遠になった。

生き方が違いすぎるのよ」と母親が言った。

母親は、学が無いながらも、自分で商売をおこし、わたしたち兄弟を立派に育ててくれた。

愛人彼女は、今はまた違う金持ち愛人として生きている、らしい。3年に一回ぐらいは母親のところに電話が来るそうだ。

彼女の事をいいとも悪いともわたしは判断できない。

それぞれが、それぞれの思うように生きればいいと思う。

不登校になって、そのあと専門学校に入りなおした愛人彼女の娘のことだけはいまだに思い出す。どうしているだろうか。

ただ、わたしは愛人彼女のような生き方は不可能だなぁと平凡な顔と体型を見ながら思う。

最初結婚した医者元旦那さんがTVに出ているのを見て、久しぶりに思い出したので。

もう、これから人生であのレベル金持ちとけっこう密接に付き合うことなんかなかなかないだろうなぁ。

いろいろいい体験をさせていただいた。

2013-06-02

弓道の道具背負った袴の女の子階段の前を登っていたのだが、

視線を平にするとちょうど紺色のひらひらが目に入った。

学生さんのお尻を凝視するのもな、と目を足元に落としたのだが

普通スニーカー靴を彼女は履いていることに気づき

白いスニーカーソックスの上にちらりと顔を出した肌色の踝と目があってな、

その瞬間、俺の脳内ではパンパカパーンファンファーレが鳴り響き、

新宿階段天国への十三階段

ああ、いつまでも登っていたい、なんて至福のひと時なのだ、と。

休日出勤氏ね悪態をついて、泥みたいに曇ってた頭はもう頭脳明晰

眠眠打破ウコンの力を一気飲みしてもこうはならないくらい元気だ。

障害対応ハッスルちゃうぞ!!

2013-01-14

桜宮高校で「顧問王国」が出来てしまったたった一つの理由

 教師の一人として、桜宮高校バスケ部顧問を擁護すべき点はまったくないと思います

 「児童生徒への指導に当たり、学校教育法11条ただし書にいう体罰は、いかなる場合においても行ってはならない。」に逆らっている訳だし。

 しかし、なぜ体罰が容認される「顧問王国」が出来てしまったのか、触れるマスコミがまったくなくてげんなりしています。  

 これは、部活動が非常に曖昧な位置に置かれ続けていることによるものです。

 部活動指導は我々教員の正当な業務ではありません。正当な業務なら時間外に勤務させられた場合残業代を支払わなければなりませんが、土日に部活動指導をして支払われているお金は4時間以上指導して手当はわずかに1800円(うちの自治体場合。練習試合の引率等で10時間以上拘束されても1800円)です。

 部活動は建前上「教育職員が自らの意思に基づいて決定したところに基づくもの,すなわち自主的に行ったもの」であり、形式上校長はじめとした管理職部活動の「部活動顧問をしてもらうこと」を教師に「お願い」する形となっています

 「命令」した訳ではなく、「お願い」した訳ですから、その指導内容について細かに指導できるわけがないですよね。

 「顧問王国」ができた理由は、部活動がこういった「グレーゾーン」に置かれ続けたことが原因です。

 抜本的な解決策としては欧州のように学校単位での部活動をなくして社会体育化するか、アメリカのように学校単位部活動はかかえつつコーチ指導)はプロがするという形しかありませんが、どっちも無理でしょうね。

 小手先の対策として部活動顧問監視を厳しくするということが検討されるでしょうが、そもそもそんな人員いませんし、そんなことすれば部活特に運動部)の顧問をする教師は激減するでしょう。

 「顧問したくありません」って言っても管理職は「お願い」している立場なので何も言えませんし。

 人事異動も(基本的には)部活動のことなんて考慮せずにされてますから自分弓道国体入賞して大学でもやっていたにも関わらず、赴任校に弓道部がないのでしたこともないサッカー部顧問をさせられています

 やったこともない部活顧問をさせられて部員からは軽んぜられて、顧問会でも低く見られて、土日も連休も無しで生徒に付き合ってやってるのに、外部からぐちゃぐちゃ言われたらやってられないですよ。

 スポーツの底辺を「ボランティア」というあやふやものに任せ続けていたツケなんですよ。

 酔ってるので支離滅裂かもしれません。すみません

2012-12-09

学生の射なんだよね」

高校や大学部活動弓道に入門した人が、一般の社会人弓道で弓を継続した時、高確率で言われる台詞だ。

そしてこういうことを言われ続けるのが面倒で弓をやめてしまった人の話が、至る所に転がっている。


これ、言ってる内容が抽象的過ぎて揶揄しか聞こえないし、なんか学生弓道に妬みとか侮蔑感情でもあるのかと思ってしまう。

もし指導のつもりなら問題点を絞った上でもっと具体的に指摘して克服法まできちんと説明するべきだし、そうじゃないなら嫌味でしかない。

それにそういう言い方は、その人のそれまでの経験の否定に繋がりかねないので慎むべきだろう。


ついでに書くと、今の射手は全日本弓道連盟が教本にまとめた、正面打ち起しの射法しか知らない射手が殆どということもあり、他流派、特に斜面の射手に対するハラスメントが常態化しているらしい。


「お前なんだその引き方は。○○流だかなんだか知らねーけど我流じゃねーかそんなの。弓は正面に構えるもんだろ」

「あの流派は当て射。だからダメ

「その引き方だと年取ってから辛いわよー」


これらは、正面の射手しかいない道場に自主練に行った斜面の射手が、実際に言われたことだ。

しかしながら、徒歩での射法は古来から斜面だったし、世界的に見ても斜面の構えが主流なわけで。

それが正面一辺倒になり、さらに「射法と体配が渾然一体となった、品のある射」なんて声高に言われ始めたのは明治からの話なのだ

その成立の経緯にも諸説あり、少なくとも現代の正面打ち起しが文句なしに最も優れているわけではない。

こんなの、今の時代ちょっと勉強すればすぐに分かるはずなんだけど。


その程度の知識もないし、さら学生だ何だとケチを付ける物言い、こんなので何が「真善美の追求」だ、ふざけるな。

単純に弓を引きたいだけなのに、要らん面倒が振りかかるとかうんざり

2012-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20121031135832

えっと、昔は事実上女人禁制だった芸事って、女子でも男子のやり方に倣うことが定型化しているもの結構あるから(弓道とかね)、落語もそうなのかなと思って訊いてみただけ。

でも本当に単純に、着付け無頓着で作っただけだとしたらちょっと残念かも。

2012-10-21

メガネの修理をした話

先日、生まれて初めてやった弓道で、弦がメガネに引っかかり、左右両方のつがいが豪快に死んだ。

デザインもなかなか、掛け心地もとても気に入っていたので、たかメガネと思わずに修理したいなと思った。

東海地方地方都市に住んでいた時に買ったものである

zoffとかalockみたいな全国チェーンではなく、街のメガネ屋で買ったメガネ

かなり変わったメガネが多かったけれども、黒のセルフレーム、いわゆる黒縁メガネだ。

そのメガネ屋の話も語りたいことはたくさんあるのだが、それはさておき修理の話を進める。

Googleブランド名を調べると、取り扱い店舗を知ることが出来た。

自分の住所から一番近いのは、都内だった。

軽く1時間はかかるが、迷ったが駅に向かった。

ギリギリだったが、まあなんとか、営業時間内に間に合うだろう。

そんなこんなで、1時間少々電車に揺られる。

そしてまた、駅から遠い。

家を出た時のテンションも平常に戻りかけたころ、店に着く。

存在感を隠しきれない言葉に出来ないメガネをかけた店主がいた。

なんていうか、スタンド使いっぽい感じ。

そういえば、買ったお店の店主もそんなんだったななんて思い出す。

それで、かくかくしかじか事情を説明する。

そこから

「うちでも取り次げますけれども、どうせなら製作者のお店がここからちょっと遠いですが、小一時間ほどのところにありますので行ってみてはどうでしょうか?」

なんかすげぇ、ジョジョっぽいなと思いつつ、「いえ、いまもう19時ですから、着く頃にはあちらも閉店時間になるでしょうし。」

「そうですか、でもちょっと問い合わせてみますよ。」

電話を取る店主。

えぇっ?!と思うも、なりゆきに任せる俺。

「19時閉店だそうですけどッ、来店まで待ってるとのことだそうですッ!どうしますかッ?」

もう行くしかないような気がして、勧めに従うこととした。

「この道を真っ直ぐですッ!そうすれば駅につきますッ!」

そんなこんなで、それから小一時間ほどかけて、小さなメガネ屋にたどり着いて、その店で修理に出すことが出来た。

僕の人生で、店舗で買った品物から、その製作者にたどりつくような経験というのは、はじめてなんじゃないだろうか。

なんとなく掛け心地がいいなくらいにしか思わなかったけれど、きっと、目に見えないたくさんの工夫と、溢れる情熱で出来た眼鏡なんだろう。

ちょっとした感動だった。

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