はてなキーワード: 全日本弓道連盟とは
久しぶりに弓道をしようと思って弓道グループに2つ行ってみて気づいたこと。同じようにアメリカで弓道を再開しようとしている人に伝えたい。
弓道には小笠原流とか日置流とかあるのはご存知のとおりだが、全日本弓道連盟がそれを取りまとめて日本では弓道の振興発展に努めている。
柴田家の弓はそれまで天皇家に納めるほどよい弓を作っていたが、20代目(1921-2013)が作った弓はあまりにもひどかったようである。
(ソビエトに捕虜となっていた時期があり、うまく伝承が行われなかったという話もある)
弓師の組合も文句を言うレベルであったが、全日弓から引導を渡された柴田氏は、どういう経緯かアメリカに渡り弓道を広めようとする。
このとき組んだのチベット系僧侶のChögyam Trungpaである。
https://www.lionsroar.com/kyudo-master-kanjuro-shibata-passes-away-at-boulder-dojo/
欧米で認知されていたオイゲン・ヘリゲル氏の「弓と禅」の影響もあり、スピリチュアル・禅などといった本来弓道とは関係のないものとごっちゃになり、スピリチュアルブームに便乗してコロラドから全米に広がっていった。
そのため現在アメリカでの弓道はZenやSpiritualが前面に推されているものもあり、日本弓道の考え方(武道や戦前の体育教育の一環)とは大きく異なるところである。
ちなみに柴田氏の伝えたのは日置流尾州竹林派であり、現在名古屋の一部でしか残っていない様子。
三十三間堂の通し矢に向いた射法であり、これまた今の主流の日置流とは大きく異なる。
さらに柴田氏がほぼ一人で全米に伝えようとしたため、現実的にはとても指導は行き届かず、アメリカで見られる日置流は尾州竹林派と呼ぶのは同じ弓道家としては心苦しいぐらいのレベルのものである。
自分が最初に見学した弓道グループもこのスピリチュアル系で、練習時間のときにいきなり両手の指を合わせて瞑想から始まった。
元々小笠原流で自分は習ってきた、というと、参加するならこちらのやり方に合わせなければいけない、と強要してきた。
追ってアメリカに広まったのが全日本弓道連盟・国際弓道連盟であり、アメリカの人たちは「Renmei style」とか「ANKF Kyudo」「INKF Kyudo」とか称していた。
2つ目に自分が見学した弓道場もRenmei系の、全くもって日本と見間違うような道場であり、大人になってから日本に来て修練したと思われる六段練士・五段教士も普通に複数おり、とても真っ当な射をしていた。
ぜひともAll Nippon・International Kyudo Federationには引き続き真っ当な弓道を世界に広めてほしい。
これから弓道をアメリカで始める人、日本で昔やっててアメリカで再開したい人には、ぜひRenmei系の弓道グループに顔を出していただきたい。
補足:弓道家でオイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」を読んで全くピン来なかったのは自分だけではないはず。
どうやらオイゲン氏は3年ほど阿波研造師から教わっただけで、勝手に禅の要素を加えてヨーロッパに広めてしまったようである。
補足2:まともな尾州竹林派。最初にほとんど押し開かないのは通し矢の影響か。
https://www.youtube.com/watch?v=u4q4TD-gA7E
補足3:どうしてこうなった
なーんか、全日本弓道連盟のホームページ、アホ業者にやられちゃった感じだな。
えれぇ見づらく、使い辛くされちまって。
無駄金使った感じ。
もっと綺麗で上手い人居るのになー。
しかも、映像、テイクいくつまでやってんだかしらんけど、目づかい酷すぎんだろ。
あの目がきょろきょろしてる無様な姿を、アップでつかうってのはこの射手に対する侮辱に近いもんがあるよな。
さらし者扱いっつーか。
元々目づかいが上手くない人なのかもしれんけど、あの画像チェックしたら普通は使わないでくださいってなりそうなもんだけどな。
まぁ、対外的には女性の映像あてとけば見たいな風潮があるのかもしれんけど、範にもならん、鳥差しで、手繰り引きで、美しくも無い映像を長々と流す意味がわかんない。
全日本弓道連盟の影山某という人物がその四文字熟語を引用してきて、初心者に教えすぎだと、学ぼうという意欲が沸いた時に適切に教えるのが良いと宣っているけれど、そもそもその適切とやらは指導者の側でしか判断し得ないと思うのだが、その判断が適切だと誰が保障するのだろう?
また、一人が多くを教える弓道界で、同時とやらを実現できるほど、弟子を見てやれるというのだろうか?
自分は理事とかをやっている偉い大人物なので、常に適切な判断しかしえないし、全ての弟子を鳥瞰してそれらの学ぶ意欲を常に把握できているとでも思っているんだろうな。
いやはや、大変な自信家だ。
私には絶対に真似できない。
指導者は教えられる時、教えを請われている時には最大限教える。
その時、教えられる側が理解できなかったとしても、その教えが正しいものであって、教えられた側がその教えを覚えておこうという努力をしているようであれば、いつかその教えに気づいて理解できるときが来る。
それでいいではないか。
というか、そんなこと誰しもわかっていることだろう。
それを「啐啄同時」なんて偉そうな禅語を取り出してきて、何か偉そうなことを短い文面で宣おうとするから、誰でもわかっているような事柄と異なることをいってしまうことになるんだろう。
それは表面だけ繕って、実がない。
なんかこの影山某という人物がそうだと言うわけじゃないけれど、近年の全弓連全体に揺蕩っているものと同種に感じる。
そっちの方をよっぽど先に案じるべきだと思う。
高校や大学の部活動で弓道に入門した人が、一般の社会人弓道で弓を継続した時、高確率で言われる台詞だ。
そしてこういうことを言われ続けるのが面倒で弓をやめてしまった人の話が、至る所に転がっている。
これ、言ってる内容が抽象的過ぎて揶揄にしか聞こえないし、なんか学生弓道に妬みとか侮蔑の感情でもあるのかと思ってしまう。
もし指導のつもりなら問題点を絞った上でもっと具体的に指摘して克服法まできちんと説明するべきだし、そうじゃないなら嫌味でしかない。
それにそういう言い方は、その人のそれまでの経験の否定に繋がりかねないので慎むべきだろう。
ついでに書くと、今の射手は全日本弓道連盟が教本にまとめた、正面打ち起しの射法しか知らない射手が殆どということもあり、他流派、特に斜面の射手に対するハラスメントが常態化しているらしい。
「お前なんだその引き方は。○○流だかなんだか知らねーけど我流じゃねーかそんなの。弓は正面に構えるもんだろ」
「その引き方だと年取ってから辛いわよー」
これらは、正面の射手しかいない道場に自主練に行った斜面の射手が、実際に言われたことだ。
しかしながら、徒歩での射法は古来から斜面だったし、世界的に見ても斜面の構えが主流なわけで。
それが正面一辺倒になり、さらに「射法と体配が渾然一体となった、品のある射」なんて声高に言われ始めたのは明治からの話なのだ。
その成立の経緯にも諸説あり、少なくとも現代の正面打ち起しが文句なしに最も優れているわけではない。
こんなの、今の時代ちょっと勉強すればすぐに分かるはずなんだけど。
その程度の知識もないし、さらに学生だ何だとケチを付ける物言い、こんなので何が「真善美の追求」だ、ふざけるな。
単純に弓を引きたいだけなのに、要らん面倒が振りかかるとかうんざり。