2015-01-13

艦これアニメ弓道問題本質は、やる気のないアニメートに尽きる

まず念のために言っとくが、アニメイトじゃないぞ。


事の経緯を改めて確認しておくと、

  1. 艦これアニメ第一話において赤城弓道場っぽい施設で弓を射る(=艦載機を飛ばす)シーンについて、実在弓道所作と異なる点を指摘した画像ツイートされる(ツイート主はネタのつもり)
  2. この画像ガチ批判だと捉え、そのようなニュアンス転載ツイートする者が現れる
  3. 転載ツイートを見て、画像内容に反発する者が続出し、弓道経験者に対する罵詈雑言まで出始める
  4. 炎上案件としてまとめサイトが取り上げる
  5. 炎上案件としてニュースサイトが取り上げる

詳細はTogetter↓参照

http://togetter.com/li/769220


元のツイートにはガチ批判意図は無かったにせよ、このアニメのデキがなぜビミョーなのかという核心に近いところを、この指摘は突いているように思う。その理由を以下に述べる。


問題画像に反発する意見として「キャプテン翼テニスの王子様は、題材となった実在の競技と比較するとメチャクチャなことをやっているのに、多くのファンから支持されている。したがって題材へ忠実でないことがただちに悪いわけではない」というものがある。この主張は確かに頷けるものであるが、それはあくまでも、あえて題材に忠実でない表現をすることによってのみ描き出されるものがあるから、という創作意図があってこそである。例に挙げられた2作品について言えば、題材に忠実な表現によっては不可能なほどダイナミックなシーンを描写したい、という意図があってあのような内容になっているのは明白だろう。

翻って、問題となった艦これのシーンはどうだろうか。赤城加賀所作のところどころ、あるいは施設や的など、実在弓道意識して真似ている部分が多々見受けられるが、しか赤城が弓を射るシーンそのものは、問題画像が指摘するように、実在弓道に忠実となるような描写が徹底されていない。あえて徹底していないのだとすれば、それによって何かが描き出されているだろうか?新しい価値がその徹底しない表現からまれているだろうか?答えは否、だろう。


たかが1シーンではないか、と思うかもしれない。不作為の不徹底が1シーン見えたから何だと言うのだ、と。

しか問題のシーンは、たかが1シーンなどではないのだ。着任したての吹雪が一航戦の練習風景をこっそり覗き、赤城の弓を射る姿を初めて見て感心するシーンである吹雪赤城に憧れを抱くという、いわゆるフラグが立つ場面であり、ここで吹雪の感心っぷりを視聴者にも共有させなければ、その後の吹雪の心の動きを視聴者共感させることができなくなる、非常に重要なシーンなのだ。したがってこのシーンの演出における最優先の目的は、いかに赤城をカッコよく美しく描き、吹雪同様に視聴者をも見惚れさせるか、というところに重点が置かれなければならないはずだ。

それがどうだね?不作為の不徹底だ?真面目に演出するつもりが無いのかと言いたくなる。赤城をカッコよく美しく描くために、あえて実在弓道に忠実な描写から外れました、ならわかるよ。でも実際の描かれ方は、ただ漫然と、脚本・コンテに「赤城が矢を放つ」と指定されてたからそのとおりに描きましたーというだけの、なんら創意工夫のない描写じゃないか。

艦これ弓道にまつわる話題を見聞きしてきた御仁なら既に承知のことと思うが、実在弓道は型にこだわる武道だ。だからそれを忠実に再現するだけでもある程度の美しさを描き出せるはずなのだ。なのにそれをせず、かといって自前で創意工夫した描写でもない。こんなの、赤城をカッコよく美しく描こうという意図がそもそもありませんよーとしか見えないではないか。アニメウソに塗れながらもカッコいいポーズを決めようとした、片足立ち射法の加賀のほうが百倍マシだ。

こんな調子演出意図スカスカ作画をしたら、いくらセリフで「すごい集中力」などと吹雪に言わせようが、そのセリフに納得のいく作画が伴っていないのだから視聴者は白けるだけだ。そしてこのシーンで吹雪共感し損ねた視聴者は、直後の甘味処のシーンで赤城を思い出し惚ける吹雪が、どうしようもなく浮ついて見えてしまうだろう。惚ける吹雪キラキラエフェクトを使うくらいなら、直前の赤城描写こそ(吹雪主観エフェクトかけまくるなど)ベタベタ演出して視聴者を引き込むべきはずなのに。


まり実在弓道に忠実でないことが問題なのではない。実在弓道を真似た描写をいろいろしておきながら、肝心のところで忠実でなく、しかもその不徹底が演出意図によらない単なる怠慢に見える、ということが問題なのであり、突き詰めれば、この重要なシーンにおいて赤城をカッコよく美しく描かねばならない、という意志の不在が感じ取れてしまうのがダメなのだ


そもそも我々がアニメーションに期待するのは、まさしく物語に沿って絵が動く=アニメートすることだろう。プロット上カッコいいと定められたシーンはカッコいいアニメートとして見たいし、美しいと定められたシーンは美しいアニメートとして見たい。それが叶わないならアニメーションを見る理由などない。ビジュアルノベルCDドラマで十分だ。すなわちアニメートの気持ちよさを追求しないアニメーションに、存在価値などない。

艦これアニメダメさは、つまるところそれに尽きる。このシーンはこういう意味があるからこういうアニメートで見せなければならない、という演出意図をきちんと持って1シーン1シーンを丁寧に描写していく、そういう意志に欠けているように感じられるのだ。それをもっと象徴するのが問題のシーンなのである

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