はてなキーワード: 大人の女性とは
高校一年生の柴は、イジメの高校デビューをしそうになったところを、上級生の秋山くんに助けられて以来、秋山くんが大好き。ある日とうとう秋山くんに告白するも、秋山くんの不良仲間がぞろぞろ出てきて、柴は拉致されてしまう。
メイン 柴×秋山くん
エロ度はとても高い。エロ危険度も紹介した作品の中でぶっちぎりに高い。性的イジメや性虐待描写やストーカー行為など、インモラルな性表現あり。
真面目系クズ×ダウナー系の不良のカップリングで、しかも衝撃的で凄絶なオープニングからのエロという、のっけからめちゃめちゃ試される作品だが、実はピュアラブほっこり癒し系漫画である。懐かしのヤンキー文化に染まった世界観だが、少女漫画系の表現形態。
秋山くんのキャラが魅力的で、漫画・アニメの二次創作漫画ではお馴染みの、即落ち1コマ萌えのような勢いのある萌えで読者を落としてくる。絵柄の可愛さもあいまって、二次創作からBLに入って商業BLにも興味が出てきた人向け。
番外編の智美ちゃんはひたすら可哀想。智美のナイトメア内の秋山くんと智美ちゃんは、男同士なのに百合感を醸している。百合といえば二次創作を少ししか嗜まない私が言うのもなんだけど。
第1話と番外編の智美ちゃんシリーズは、たぶん商業BL漫画を読まない人から見た商業BL漫画の漠然としたイメージに合致している。しかし本編のエロはあまり痛そうなことはしない。
しかし、高校生同士のエロって今後は倫理的にアウトであまり出てこないのかなあ。商業BLは現在、成人同士のカプがほとんど。(私の観測範囲内)
アラフォーになったサラリーマンの野末は、恋人もなく趣味もなく、マンネリ化した私生活を送っていた。そんな彼に10歳年下の部下・外川が「アンチエイジングしましょう」と提案する。
外川×野末
エロ度低め。単行本の後半になってやっとラブシーンが出てくる。エロはご褒美。
大人の女性向け恋愛漫画のようなBL。エロよりも攻めと受けが近づき関係を深めていく過程を楽しむもの。映画化しないかなー。
商業BLは案外萌えが少ないような気がするけど、これは萌えをガンガン投下してくるBL。受けの野末さんが可愛い。可愛いけど乙女になりすぎない、いいあんばいの匙加減。
やっと書き終わったー。あえてエロありの作品ばかりを紹介したけど、商業BLを読まない人から見た商業BLってこんな感じでしょ? という印象を覆してくれそうな作品をなるべく選んだつもり。
実のところBLはポルノといっていいくらいエロがもりもりにある。けれども、読み手である腐女子たちは自分の読んでるものを棚に上げて男性向けのエロ漫画を非難しがちだ。それはどうしてなのか? 上に挙げた作品たちのエロ描写と男性向けエロ漫画の肌あいの違いからちょっと考えて欲しいと思う。どっちが良いとか悪いとかは言わんけど、やっぱりBLは男同士の恋愛・性愛を描いたものとはいえ、主な書き手と客層が女性で有る以上は、女性を不愉快にしないような表現になっているのだ。
いうても、マイノリティであるゲイを搾取するなとか言われたらぐうの音も出ないし、男性向けとあんまり変わらなさそうなエロのある作品もインモラルな性行為や性暴力を肯定するような作品もあるけれども。
それに、腐女子の一部が非難する男性向けエロ漫画だって、商業BLのように過大エロ広告で印象を歪められているだけで、実はそんなに酷くはないのかもしれないしね。知らんけど。
サンジャポの女子ボクシングに対する張本発言が炎上しているようだ。
しかし、批判派の一部が言うように選手を馬鹿にしているようには見えない(リスペクトもないけれど)。
張本くらいの年代の人たちは「女子供は男が体張って守れ」という倫理観を叩きこまれている世代だろうし、その倫理観と齟齬が起きて困っている感じに見える。
あの発言からすると、彼には女子ボクシングが「小学生同士のバーリトゥード(馬乗りパンチ流血で決着)」みたいな競技に見えているんだろう。
もし、未来にそういう競技が始まったらはてなーも困惑するんじゃないか?(今は小学生の自己決定能力がどーので大人の女性のボクシングと区別できるが、未来もそうかはわからない)
河村市長の態度は女性を頭から自分のパフォーマンスの道具扱いしていたが、張本発言は彼の倫理観的には落ち着きが悪いくらいのボヤキだ。
女がボクシングなんて生意気だとかではなく、痛々しくて正視できないのになぜ「喜んでみている人」がいるんだ!?みたいな戸惑いだろう。
時代に合っていないし、一言謝罪は必要だろうし、女性を勝手に庇護対象扱いするのは河村の感性と地続きではあるんだけれど、さすがに同列に並べるのは違うだろうと思う。
数ヶ月前彼女に振られて、それ以来悩んだり落ち込んだりすることが多くなった。
そこで、気分転換に脳内で理想の彼女を作って一緒に暮らすことにした。
・悩みを打ち明けて同情してもらう
・入浴や睡眠などの行動を促してくれる
など。
状況によって傍にいてもらうのでもいいし、脳内にそのままいてもらってもいい。
自分の都合のいいようにいてもらおう。
どういうことかというと、悩みや考え事が袋小路になっていたのを、外向きにすることによって少し解消のではないかと思う。
まだ数日間しか一緒に暮らしてないが、メンタルが安定してきたのか彼女の存在が消えかかってきた。
また悩んだり落ち込んだりしたら彼女に一緒にいてもらおう。
ちなみに僕の理想の彼女はアイドルマスターシャイニーカラーズの桑山千雪さんです。
いわゆるチー牛
工学系だからさ大学には、同族みたいな奴腐るほどいるんだけど、なんか割と彼女いるんすよね。
まぁ大学だし?出会いというか、きっかけがあればまぁピュアな大学生同士付き合うこともあり得るよなぁとも思うんだけど、それと同時に「あれ、今年で大学卒業じゃん」って。
社会人になって、どうやって出会うの?ナンパとか無理だし。いろいろ清濁経験した大人の女性が僕みたいなのを相手にする可能性って大学生以上に少ないなって絶望してる。
そこでさ、そこの既婚者先輩方に聞きたいんですけど、大学で上手く出会いを作れなかったような奴ってどうやって奥さん見つけたんですか?いろんなエピソードを聞いて参考にしたいす。
割と奥さん(not = 彼女)ってのは重要視してます、結構人生設計的な不安もあっての投稿なので。
(おしゃれに気を遣うとか、自分側の努力はもちろんこれから始めていく予定ですが、きっかけというか「増田は知らない(気づいてない・考えが及んでない)だろうけど、こうこうこういうことがあって結婚できたよ」みたいなのが知りたいです)
悪役である竿役男の能力は「対象を異空間に閉じ込め、更にその空間の中で時間の流れの速度を操作することができる」というもの。
例えば戦いの中でとある人間を異空間に閉じ込めて時間を超加速させることで相手を一瞬のうちに餓死させたりヨボヨボにしたりすることができるイメージ。精神と時の部屋を作り出せる感じだね。
現実世界の中だと一瞬とか数秒だけど、中にいる人間の感覚としてはちゃんと年単位の時間感覚を体験することになる。
異空間の内容は何もない真っ白な空間だったり現実世界の風景と近い空間だったり能力者の意思である程度コントロールできるものとする。
あと、能力者は好きなタイミングでその異空間に対象者と一緒に滞在することもできるし、相手を現実世界に戻すこともできる。
ここまで設定。
そんで主人公の少年と恋仲であり正義の秘密結社の仲間である幼馴染ヒロイン(巨乳)は時間操作系竿役男と対峙することになる。
能力は凄いものの戦闘力自体は低いので追いやられていく竿役男。
主人公が大技を展開し、「やったか!?」という展開になった次の瞬間、ヒロインは竿役男と共に異空間に閉じ込められることに。
ヤバイヤバイとなる主人公。こいつの技にかかったら1秒だってどんなことになるか予想できない。でもヒロインも竿役男ももう現実空間にはいないから主人公には焦ることしかできない。
数分の後、竿役男とヒロインは戻ってくる。何年異空間にいたのだろうか。ヒロインはあどけなさが残る少女から成熟したより美しい大人の女性に成長していた。絶望的にも、ヒロインがこの数分の間に産んだであろう竿役男によく似た子供を数人連れて。
絶望して発狂する主人公。その隙、竿役男はニヤケながらそそくさと逃亡する。
主人公にとってより絶望的なのは、異空間に閉じ込められている間にヒロインはちゃんと竿役男の子供への愛情とか母親としての自覚とかをしっかり身につけていること。ここが単なる『堕ちモノ』じゃなくてこの設定最大の胸糞ポイント。
戻った後、主人公はヒロインとちゃんと結ばれる。でもそれは竿役男の遺伝子を自分の手で育てることと同じこと。
「異空間でどういうことが起こったか?」みたいなのも作家によって全然展開変わりそう。主人公がアタフタしてる数分間とかをダイジェストで本人に見せたりするのもいいかもしれない。
ちょっとやそっとじゃ堕ちないヒロインを対魔忍的な展開にしたり頭に電極つないで数年掛けて洗脳したとかでもいいし、
(強制的にでも)幸せな母親としての日常を送らせるとかの方が胸糞悪いのかもしれない。
誰かこういうの作ってくれないかなぁ。
あんま興味を持ってないあっぱらぱーなので用語が間違ってたら文脈で判断してほしい。
外国だと実は自分は6歳の女の子ということに気づいて離婚した子持ち男性、みたいなのも目に触れた。
実は猫です、みたいなのも。
個人的にややこしいし糞めんどくせえ…と思っている。
人付き合いが嫌いなので、外見で大体あたりがつくこと(性別、年齢)だけでなく想像できない内面的な要素まで考慮しろなんて言われたらますます引きこもりボッチが加速する。
いや、今とそう変わらんか。
そしてふとわいてきた疑問。面倒な書き方をするとこう。
————
生まれてから7年目、生まれ持っての身体性別は女のA。しかしAは自分は本当は36歳の大人の女性で、セックスが大好きな人間だと気づいた。
幼女にしか性的関心を抱けない、生まれてから36年目、生まれ持っての身体性別は男性B。彼は性的関心を抱く対象が幼女なことを自覚し恥じており、それを表に出そうとは決してしなかった。
A曰く、Bはセックスの相性がとてもいい。それに自分をリスペクトし対等に見てくれるからこちらも彼をリスペクトしている。見かけで判断せず、内面を見てくれた彼のことを世界で誰よりも愛している。彼と共に幸福になりたいし、不幸なことも彼と共に立ち向かい、乗り越えていきたい。
B曰く、自分は幼女にしか性的欲求を抱けないのかと思っていた。Aのことも初めはその肉体からそう見ているのだと言い聞かせ距離をおこうとしたが、彼女の理知的な言葉、何より内面を知り自分は彼女と結ばれるためにこの世に性を受けたのだと理解した。はじめて対等に大人の女性を愛することができ、その愛するAを自分は生涯をかけて幸福にする。
————
36歳×7歳。
この婚姻を認めろと言って素直に認められる人は限りなく0に近いと思う。
法律的に問題ない国があり、そこで実際に婚姻が行われることがあったとしても、少なくとも日本人の我々は「人身売買」のような文字が脳に浮かび、本能的に嫌な感じがするだろう。
じゃあ。
36歳×36歳。
どちらかが既婚者であるとか、そういう問題はないとして。どちらも未婚であるとして。
「いいんじゃない? つか許可とろうとすんなよ。いい年しといてさ。おめでとさん」
基本こうだろう。
自認を優先するとこういう問題も起こると思うんだよな。
流れてくるニュースがどうしても強者とされてきたものの自認が弱者側だと気がついた、ってものだから。
例えば、性同一性障害の人に「それは思い違いじゃないか?」「ただ単に変わった自分を演出したいだけだろう?」「そんなのは間違っている、あなたの性別は生まれもっての肉体的な性別である男or女だ、冷静になりなさい」なんて言ってみたらどうなるか。
確実に大バッシングだし、「○○の□□な発言に抗議します」なんて署名が瞬く間に10万人突破しましたツイートがあちこちでされるだろう。
けれど、AとBに対しては同様の発言がAの保護のために許されるし(せいぜい違いは生まれ持っての性別が生まれてからの年月になるくらいだろうな)、Bにはロリコン、性犯罪者、虐待、その他もろもろの中傷はそれこそ10万単位だろう。
「Bに対する厳罰を求めます」「性犯罪の刑罰の厳罰化を求めます」なんかの署名が雨後のなんとやらだし、「7歳の女の子との婚姻を求めるBって誰?本名?家族は?? 調べてみました!」なサイトもほにゃららな筍なんだろうな。
Aの心は無視して、愛する人が犯罪者であるという前提で話が進んでいくのが彼女をどんな気持ちにさせるかを考えないで。
気になるんだよな。
以前にも書いたことだが、自分は彼女らを見て、かわいいというより、大人の女性だなあと感じてしまう。
自分の中での「女子」は中学3年で成長が止まっているため、45歳の今になっても女子大生を見ると「大人」と感じるのである。
しかしその反面、彼女らには、つい「年上の格好良さ」を見せようと演じてしまう。
自分の中での「女性」はクールでちょい悪な男性が好きなはずだから、彼女らの前ではいつも以上に孤高の人を演じて、彼女らに関心を抱かせようとするのだ。
ただ、45歳の今になってはいくらクールに振る舞っても、女性からまったく声はかからない。
かくして、そんな孤高の人は、彼女らといまだ一度もコミュニケーションをとることができない。
他方、男性講師も皆大学生だが、彼らを見ても女子大生と同じ感覚が湧かないのが不思議である。
もっとも普段彼らと会話することは全くないため、彼らがどういう人間かはほとんどわからないし、興味もわかない。
肌は黒く、茶髪のショートヘアーでヒゲを短く整えており、塾に来るときはサッカーの本田がかけているような金縁のサングラスをかけている。
女性講師からはエグザイルのなんとかに似ていると言われるなど、コワちゃらい感じである。
自分もちょい悪を演じているのだが彼は見た目だけのちょい悪である。
でも、彼はそれが「格好良い」といわれ、自分は言われたことがない。
自分は何をしても気づかれない。
これはいったい何の差なのか。
そんなちょい悪な彼でも仕事においてはフットワークが軽く、室長の言いたいことを即時に把握してすぐ行動に移すという行動力を持っている。
最年長の自分は仕事を任せられたことはないが、20歳そこそこの彼には様々な仕事を任せるのである。
だから、パソコンの仕事は彼にやらせるより自分が適任のはずである。
でも、パソコンを使った仕事でも、室長は自分ではなく彼に頼む。
そういうのを見ると、なんだかやるせなくなる。
また、これも自分と違って、生徒に面白い話をして楽しませることもできるため、生徒から人気があり、休み時間はいつも彼の周りに人だかりができている。
そんな彼は、いつも講師室に入るなり、得意の大声で周りの講師をいじったり、馬鹿話をして場を和ませており、講師室ではムードメーカーとしての役割を果たしている。
自分が彼の話を聞いてもあまり面白いとは思わないが、同世代ではあれが面白いと感じるのだろう。
彼にいじられる方も、まんざら悪い気ではなさそうだ。
彼が講師室にいないときも講師の間ではよく彼の話をして笑っている。
その一方で、彼は目上の人間に対しては体育会系なノリで接する。
その体育会系なノリが、上司である室長からも気に入られているのか、室長としょっちゅう長話をしている。
自分は仕事中ほとんど講師室で室長のそばにいるが、室長と最初の面接以来、5分以上話したことはない。
何気ないコミュニケーションが取れないのだ。
彼はもはや室長からは単なるお気に入りから「特別な存在」として認識されている。
その証左として、彼は塾の駐車場に堂々と自分の車を止めている。
学生のくせに車を持っていることだけで腹立たしいのに、塾に来るのにわざわざ車で来て、どや顔で駐車場に止めているのだ。
自分はそんな彼が好きになれない。
学生のくせに車に乗るなんて、運転免許も持っていない自分にとっては妬ましくて仕方がないし、あんなふざけた話ばかりしてて講師になれるのに、自分がいまだ研修生なことも納得がいかないし、妬ましい。
また、女性講師と笑いながら喋っているのも妬ましくて仕方がない。
彼は周りの講師のほとんどをいじってきたが、自分だけに対しては、決していじろうとしないことである。
体育会系ならではの年上に対する敬意があるのだろうか、彼は自分を笑いのネタに使ったことは一度もなかった。
いくらボンボンのエグザイルでも、二回り以上も年上の人間には敬意を払っており、そこは意識的にきちんと線引きしているのである。
当然と言えば当然だが、自分も中学校時代の水泳部で上下関係を学んだからよくわかる。
さすがのエグザイルも、そこはきちんとわきまえていたのだった。
…はずだった。
その日は休んでいる生徒が多かったが、講師も電車の関係でいつもの半分くらいしか来ていなかった。
自分もすぐに帰ってよかったのだが、そのとき男性陣から一番人気のある女性講師も残っていたため、彼女とのコミュニケーションを作る絶好のチャンスと考え、自分も敢えて残った。
いつもクールに振る舞ってばかりでは会話の糸口を掴めない、ここでは二人きりのときに思い切って声をかけてみようと考えた。
彼女はハーフのような顔立ちをしており、顔だけでいうとおとぼけキャラのローラに似ている。
彼女は大学でチアリーディングをしており、いつも黒髪をポニーテールのようにして後ろで結んでいる。
というのも、以前室長が講師名簿を見ている隙に背後から覗き見し、彼女の通っている大学や生年月日、住所も覚えたのだ。
男性講師が何歳でどこの大学などまったく興味すらわかないが、女性に対しては別である。
勉強ではほとんど機能しない暗記力も、こういう時には20代に負けないくらいの力を発揮する。
その日、最後まで授業があったのはエグザイルとローラだけだった。
最後の授業をしている間、自分はひとり講師室に残って予習をする振りをしながら、彼女に話しかけるためのネタを考えていた。
しかし、彼女はエグザイルと一緒に講師室に入って、ずっとエグザイルと喋っていたため、結局チャンスは巡ってこなかった。
夜になると雨はほとんどやんでいたが、室長はエグザイルに、自分ら2人を車で送るよう提案した。
自分は、正直彼の車に乗りたくなどなかったが、これまた彼女と話せるかもしれないチャンスと考え、期待に胸を膨らませた。
エグザイルは「いいっすよ」みたいな返事をして、車に乗せることを快諾した。
これは絶好の機会だ、これを逃すわけにはいかないと思った。
両親は車の免許を持っていなかったので、幼いころから数えるほどしか車に乗ったことないからだ。
最近乗った最も古い記憶は、20年くらい前に乗ったタクシーである。
しかし、彼らの手前、ほとんど車に乗っていないことを知られたくなかった。
夜10時近くに、塾のシャッターを閉め、隣の駐車場に向かった。
そして、彼の車をはじめて目にしたとき、やはり戸惑ってしまった。
まず、彼は、車のキーをリモコンのように押すと、車のランプみたいなのが光ったが、それが何を意味するかわからず、呆然と立ち尽くしてしまった。
車からカチャという音が聞こえたような気もしたし、それが開錠を意味するものなのかもしれない。
しかし、はっきりわからない以上、ドアを開けるわけにもいかなかった。
すると、エグザイルは「開いてるよ」と言った。
ああ、さっきのはやはり開錠の音だったのか、最近の車は鍵を使わなくてもドアを開錠するのかと、科学の進歩はすさまじいなと思った。
「開いてるよ」という言葉は、年上の先輩に使う言葉ではなく、同世代か年下に使う言葉である。
この疑問が自分の中で膨れ上がった。
なぜ彼はタメ口なのか、二回り以上年上の人間とわかっていて彼はタメ口を使ったのか、いやそれはない、そんなことは許されるはずがない。
そして逡巡した結果、なるほどこれはローラに向けて言ったのかと善解し、疑問に一応の決着をつけた。
そんないきなりのエグザイルのタメ口につまづいたが、いつもクールなちょい悪を振る舞う自分は、こんなことに取り乱したことを知られてはならないと思いつつ、先輩の威厳を改めて見せつけるように、車のドアを格好良く開けて挽回しようと試みた。
車のドアの開閉くらいはなんとなく知っているからだ。
そして、助手席のドアの取っ手に手を伸ばしたら、
「いや、後ろ行って」
と言われ、さらなるショックを受けた。
また、タメ口だ。
おそらく、さっきのタメ口もローラではなく、自分に言っていたのだ。
しかし小心者の自分はこの2発を食らっても、すぐには信じることはできなかった。
待てよ、これは自分に対する親しみをこめて言っているに違いない、と良いほうに考えた。
しかし、体育会系なノリの彼にそんなはずはなく、自分を目下に見ている説のほうがかなり有力となり、一気に不快になった。
しかも、ローラを助手席に乗せて、自分を後部座席に座らせるつもりなのだ。
ただでさえ家まで近いのに、これではローラと全くコミュニケーションが取れないではないか。
ただ、いまさら乗りたくないというわけにもいかず、つつがなくドアを開け、後部座席に乗り込んだ。
そして、久々の車に3度目のショックを受けた。
車の中はテレビで見た車と同じでカーナビがあって、革張りのシートに、いまどきの音楽が流れていた。
自転車しか乗らないので、車の内部構造はまったくわからなかったが、車の中はまさに異世界だ。
なんだか悔しかった。
自分は車の免許すら持っていないのに、たかだか20歳かそこらの糞ガキがこんな立派な車に毎日乗っていることに腹が立った。
車どころか、自転車に乗って、毎日必死にペダルをこぎながら図書館を往復し、図書館では向かいに座って勉強している女子高生を見て、悶々としていた。
そんな時期だった。
しかし、彼はそんな自分の数歩先、いや何十㎞先の人生を歩んでいる。
それが悔しくて仕方がなかった。
車の中はオレンジかシトラスかわからないが、柑橘系の香りが車特有の独特の臭いを打ち消していた。
ローラも入るなり、「いい匂い」と言っていたが、自分はそうは思わなかった、いや思いたくなかった。
先のエグザイルのタメ口で一気に不快にな自分にとっては、ローラのエグザイルに対する肯定的な発言も許さなかった。
車の中でエグザイルの言動を何度も反芻し、怒りで発狂しそうだった。
仕事の上では彼のが立場が上だが、さすがに二回り上の人間に対する態度ではないだろう。
その怒りを感じつつも、やはり小心者の自分はつい自己弁護してしまう。
ひょっとすると彼のさっきの言葉は、とっさに一番言いやすい言葉が出てしまっただけではないか、体育会系にもかかわらず思わずタメ口になってしまったのは仕事がオフになってつい気が抜けてしまったからではないか、もしやエグザイルはローラの前で少し格好つけようとしただけではないか、と自分を落ち着けるため必死の善意解釈を繰り返していた。
そしてある決意をした。
自分の不安を打ち消すために、彼が車の中で助手席のローラとの話に、あえて後部座席から自分が入ろうと考えたのだ。
さっきは2発とも単純な一言に過ぎなかった。
彼と2語以上の会話をすれば上下関係がはっきりする。
そのときの彼の言葉遣いで、彼のなかでの上下関係を認識できると判断しようと試みた。
この試みには勝算があった、
2語以上の会話であれば、さすがのエグザイルもタメ口を使うことは憚られ、おそらく敬語を使ってくるだろうと確信した。
そして、ローラの前で自分の方がエグザイルより上であることを誇示するチャンスと思った。
そして、彼とローラがくだらない話をした後、相槌をうつように「○○ですよね~」と言った。
自分はエグザイルの先の言動で侮辱されて腹が立ってしょうがないため、本来自分はタメ口でもよかった。
しかし、そこは大人の余裕と見せかけた小心者の本音で、敢えて敬語を使って接した。
ローラはきちんと「ですねー」と反応したが、なんと、エグザイルは自分の相槌を無視したのだ。
20歳そこそこの若者に45歳の人生の先輩がわざわざ相槌を打ったのに、無視しやがったのだ。
よしんば運転中だとしても、ローラとの話は漏らさず反応していたのに、自分の初めての一言に対しては「無視」なのだ。
普段職場ではおふざけキャラとして同僚のちょっとした反応でも見逃さず拾うのに、彼らに比べ遥か遥か先輩の敬語による相槌に無視を決めたのだ。
怒りを超えて悲しくなってしまった。
そして、同時に、もしかして彼を怒らせてしまったのではないかという不安が頭をよぎった。
もし彼が怒っているならば、これ以上の彼の話への介入はさらなる刺激となり、本当に怒りだすかもしれない。
言葉の達者な彼が本気になって怒れば、自分は太刀打ちできない。
また、自分は車に乗せてもらっている立場上、完全に自分の分が悪い。
それを棚に上げて応戦すれば、間違いなく彼女の前で失態を晒すことになる。
普段全くコミュニケーションをとらなくクールなちょい悪を演じているのに、ちょっと喋ったら怒られたなど、恥の上塗りである。
それだけは避けなければと思った。
そして、そう思わざるを得ない自分が情けなくなり、悔しくて悔しくて仕方がなかった。
そんなこんなで2語以上の会話を交わすという当初の目的も暗礁に乗り上げてしまった。
しかし、年上のプライドからか、本当は不安でたまらないくせに、自分も先のエグザイルの言動で先輩の威厳を傷つけられたことは許さないぞという態度だけは示し、ローラにだけはわかってもらおうとした。
なぜなら、もしエグザイルに自分が不快な態度が知られてケンカを売られたら敵うはずがない。
だから、エグザイルには気づかれず、心優しいローラにだけは、この男のプライドが伝わるよう、細心の注意を払って仏頂面を決めた。
そして、自分の家の近くの信号で止まったので、彼に「この辺で大丈夫です」と伝えた。
すると、彼は「え?あー、はい」と答えて、やおらハンドルを切って車を止めた。
おそらく車線変更をしなくてはならない関係で、もう少し早めに止めるべきことを伝えなければならなかったのだ。
それなのに、直前で止めるように言った自分に呆れと怒りを感じたのだろう。
ここで反省すべきなのに、楽観主義の自分はそうは考えず、あとのエグザイルの「はい」というどうでもよい返事に安堵してしまったのだ。
もし、目下の人間なら「はい」と言わず、「うん」とか「ああ」だろう。
そこに一瞬の安堵をした。
その後、そんな一瞬の安堵も奈落の底に突き落とす出来事が起こる。
彼の底にくすぶっていた怒りの炉心を露呈させてしまうようなミス犯しててしまったのである。
原因は、突き詰めて言えば、人生経験不足だ。
自分は車の降り方を知らなかった。
通常車を降りるときは歩道側のドアを開けるのに、自分はそれすら知らなかった。
もちろんまったく何も知らなかったわけではない。
狭い歩道側から降りたら車のドアがガードレールに当たって傷つけてしまうかもしれないという、さしてどうでもいいことは気づいたのだが、肝心なことはわかっていなかったのだ。
そして、彼の不機嫌を察しているにもかかわらず、自分は先の仏頂面の延長でそんなの気にしていないような振りをしながら、さらにタメ口で上から目線で「おーありがと」と言って、思いっきり車道側のドアを開けたのだ。
するとエグザイルに「なにしてんだ、危ねーだろ!!」といきなり怒鳴られた。
耳を疑うような怒声に一瞬心臓が止まった。
さらに、同時に車の後ろから走ってきたバイクに急ブレーキを踏ませてしまったのだ。
バイクに乗っていた人に少し驚いた顔で「大丈夫ですか?」と言われたので、大丈夫ですと答えると、そのまま走り去って行った。
続き→大学生を見て鬱になる2
今日街中でBOYZONEなんか流れてきてびっくりしてyoutubeで見てしまった。やたらちょくちょく再結成してるBSBとか嫌われながらも存在感を発揮してるJustin のせいで思い出すNSYNCにくらべてすっかり存在を忘れていた。ローナンはテレビの番組ホストをやっているらしい。そうなのか。
デビュー当時のTOTPと、1999年のPrince’s Trust Party のと18年のthe Late Late showを見た。
TOTPの頃はローナンは居心地の悪そうさがすごい。ゆるふわニットを着せられて、いかにも大人に歌わされてますという風情がなんとも言えず90年代のボーイズバンド感ある。それに比べてStephenのこれが素だといわんばかりの夢見る表情はすごい。Stephenは99年の映像でも同じような非現実的なトロンとした目をしていて、まあ当時のボーイズバンドは大体1グループに一人はゲイがいたけどこの時代のStephenはプリンセスみたいに堂々としていてめちゃくちゃに輝いている。楽しそうでいい。
ローナンは99年も18年も正統派の圧の強いイケメンで、99年は尖った感じがあるが18年は枯れてリラックスして、自分のイケすぎてる顔面で生きていくことに折り合いをつけてる感じがとてもいい。
Shaneはなんかボンクラ感が増した。日曜大工やってそう。Keithは18年が一番いいまである。昔の顔は濃すぎて胸焼けがする。Mikey、なんかテノール歌手みたいになってるな。
あと18年の映像で何がいいって、昔ファンだった少女ファンがすっかり大人の女性になって同じように客席でシンガロングしてる姿だ。99年の映像でキャーキャーしてた女の子たちがいまはいい感じのおばさんお姉さんになってニコニコでシンガロングしている。当時お母さんだったんだろうおばあちゃんを連れてきてる人もいて楽しそうだ。
それにしてもStephen死んでしまったの残念だ。同じ男と二回も結婚して、ドラマチックな人生だったな。夢見る目で歌う中年の姿を見たかった。
何年も前の話。初夏の晴れた午前中、北参道駅を出てすぐのスターバックスで100%の女の子と出会ってしまう。
それは客先への来訪時間を気にしながらわずかな時間を使ってPCを開いている時だった。2人がけの向かいあった席の片方に座りキーボードを叩いていると、10人は座れるであろう大きなテーブルに荷物を置く人影が視界の端に見えた。
直感のようなものを感じて、レジへオーダーをしにいく姿を見届けた。「ああ、100%の女の子だ」とすぐにわかった。村上春樹の小説にある、短編の一節のタイトルだ。正しくは「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
好みということでも、取り立てて美人というわけでも、何かをカバーするほどの愛嬌でも、何にも当てはまらない。純粋に、自分の中の100%の女の子がそこにいた。驚いた。思わず開いていたPCを閉じて深呼吸した。
「すごいなあ、見ることが出来た、出来てしまった」そう感じた。存在を知ってしまった。だからと言って何か出来るわけではない。自分には家族があり何か行動を起こすことなんて出来ない。
自分に今できることは、目に焼き付けることでもなく、声をかけることでもなく、ただ視線を外すことだけだった。時間にして5分か10分か。残りの冷めきったホットラテをゆっくり飲み干して、100%の女の子の存在を視界の外に感じながら、何を見るでもなく「いたんだなぁ」と深く考え込む。
客先へ向かう時間になり、席を立つ。結局その女の子の姿をしっかり見たのは10秒にも満たなかったと思う。ぼんやりと思い出せるのは、鎌倉の海の近くに住んでいる大人の女性というラフであり自分をしっかり持っている、なんとなくそんな人だったような気がする。年齢は27-8というところ。髪はロングで洗いざらしのような。だが、そのファッションも見た目も、何でもよかった。ただ、ただ、100%だった。それだけだった。
最近ね、やっと自分に一番似合う髪型に出会ったんです。それがハンサムショート。横から見たときに目元が隠れて、それが大人っぽくて素敵なヘアスタイル。ショートでありつつ女っぽさも残っていて、人生で一番似合っていると思うし、周囲からも好評で、鏡を見るたびに「素敵だなあ」と思ってる。
それがね、きょう客に、「でか。髪も短いし男と間違われるだろ」って言われて、バキバキと音を立てて崩れていきました。
身長が169cmあります。周囲には167って嘘ついてるけど、本当はあと1cmで170cmに到達してしまうくらいの背です。子供の頃から背の順じゃ一番最後で、今の今まで高身長であったことで何一つ良い思い出が無いから、正直コンプレックス。
たとえば小中学生の頃、女の子のほうが男の子より多い学年だったから、背の順であぶれた私は体育祭のフォークダンスとか男の子のポジションで女の子の相手をしてきました。男子と女子で練習する場所が違ったから、私だけぽつんと男の子の中に入れられて練習して、ダンスをすれば「女の子だ!安心する〜」って相手の子に言われて、その度に地味に傷ついて。男女を意識しだすくらいの年齢でコレするの、だいぶキツいんですよ。「私だってそっちに行きたいのに!」ってずっと思ってました。それからずっとずっと、コンプレックス。毎年こんなのが夏にあったから、運動会も体育祭も大嫌いでした。
そんな身長を持っている私、小さいころから髪型はほぼショートかボブ。ただでさえ背が高いのに、髪なんて伸ばしたら、もっと面積が増える(※追記1)じゃないですか。怖いんです、圧を感じられるのが。「高い」を「でかい」に変えられると、もう心臓潰れそうになるんです。ほんとに。
で、身長があってショートヘアってなると、ちょっと男性っぽくなっちゃうんです、どうしても。女らしさとか男らしさとかがボーダレスになってきたこの時代でも、「高身長、ショートヘア」より「低身長、ロングヘア」のほうがちょっと女性らしさを感じちゃったりするでしょ。それでよりによって私がひとえだから、くりくりおめめの可愛い女の子から程遠いのね。泣けるでしょ。
過去に外見で「男の子かと思った」って言われてメンタルをボコボコにされた経験があるので、少しでも女性らしくと思って頑張ってきました。整体に行って女性らしいラインをキープしたり、カジュアルになりすぎない服装を心がけたり、眠たい朝でもまつげはばっちり伸ばしたり、乱暴な言葉はなるべく言わないようにしたり。ぱっと見たときに「あ、ショートヘアの女性だな」って思ってもらえるように。
そんな中で出会ったのがハンサムショート。女らしさのあるショート。もうね、運命の出会い。ショートヘアが得意な美容師さんに切ってもらって、「めっちゃ似合うじゃん!顔見えないようにブログ載せていい!?」なんて言われて、毎日鏡を見てウキウキして、楽しくて、自分を少し好きになれたのね。
さっきまでね。
やっと持て始めた外見に対する自信を見ず知らずの出会ったばかりの赤の他人に破壊されて、たまらんよ。本当に。
初対面の人間に対していきなり上から下までじっくり見たあとに外見についての評価を下してきて、その後にセクハラまがいのことまで言われて、その客が終わった人間性を持っていることはわかってるんだけど、でも本当にショック。"可愛い"と無縁の外見だからこそ、そう思ってもらえるようにって頑張ってるのに、男性に「男と間違われるだろ」なんて言われて、傷つかないわけがないのね。「素敵な大人の女性に近づけたかも」なんて思ってたのに、男って。「でか」なんて言われて、コンプレックス刺激されて、「結局身長なんだ」「何をしても私はちっさくて可愛い女の子になんかなれやしないんだ」「ハンサムショートだって結局意味ないんだ」って、もう、この文章打ってて涙出てきた。でもやっぱり私は今のハンサムショートが大好きだし、ロングヘアにはしたくないし、はあ、もう、どうしたらいいの。
【追記1】
いきなりコメント来て驚いた。拙い文章でほんとすみません。仕事は接客業です。
ロングヘアだと面積が増えるっていうのは、もつ意味わからん表現でした。長方形が2つあったとして、一部でも欠けてたほうが小さく見えるでしょ。それを言ってます。表現が乏しくてすみません。意味わからんかったらそのまま飛ばしてもらっていいです。すまんな。
平行二重涙袋ぷっくり童顔小顔細身華奢骨格ウェーブしか認められないって言われていたけれどその通り。
20世紀の頃だと一重細面美人や豊満セクシー美人もありな空気だったけれど、今は二重童顔華奢以外は芸能人にはなれない感じ。
AKBが出始めた辺りからか?モーニング娘。全盛期はもうちょっと多様だったような。
二次元でもエヴァが流行ってた辺りは目の大きさが全てじゃないって感じだったんだけど、今はでか目童顔潰れ顔至上主義だよなー。
そもそも昔は「可愛い」というのは幼い子供に使う形容であって、今と違い大人の女性に対しては「可愛い」が一般的な誉め言葉ではなかったように思う。
20世紀の頃は大人の女性を誉める時は「可愛い」ではなく、「美人」「美しい」「綺麗」だったと思う。
(『可愛いお婆ちゃん』みたいな用法もあったけれど、それもあくまで愛らしいとかの意味であって
今みたいに外見そのものを指した言い方のみではなかった)
何だろうなー、なんでこうも女性に対する評価軸が「可愛い」一辺倒になったのか…そしてその「可愛い」が外見のみを指した言葉になったのか…
人間の女性に対する「可愛い」だけがおかしいんだよね、犬や猫や雑貨何かを形容する時は、必ずしも外見が整っていなくとも
相手が人間であっても男児やおじさんお爺さんが相手なら、そういう「可愛い」が使われるのに
年齢を問わず、人間の女性が対象になった時だけ明らかにおかしい
さも当たり前のように一つの評価軸でもって「可愛い女」とか言ってしまう。その事に疑問を抱かない。
フェミニストこそ、こういう傾向を批判すべきだと思うが多くのフェミニスト達はルッキズムには触れないか、触れるとしてもどこかズレている
20年前、中学2年生のときに参加した秋の吹奏楽コンクール。夏休みをつぶして練習をしていた彼女たちを横目に見ながら、ステージの上で俺は何もせずに突っ立っていた。割り当てられた楽器はトライアングル。特定のパートで音を鳴らすだけだった予定だが、誰かのミスで俺の楽器がステージに用意されることなく終わった。別にトライアングルを準備しなかった誰かを怨んじゃいないし、たぶん本当にただのミスだったんだと思う。悪いのは夏休み中に一回も練習に参加しないどころか、辞める意思を伝えなかった俺だと思う。
うちの家族は音楽一家だ。俺が小5のときに死んだ父親はフルートの奏者で、同期の友人を集めて社会人サークルを作ってときどき演奏会をしていた。姉も姉でピアノが得意でときどき、受験勉強の合間に演奏をしていた。妹もサックスの奏者で運転免許教習のためにと渡した金で自分用のサックスを買ってた。母親は別に音楽はしなかったが、彼女たちを育てるのにリソースを費やしていた。そんな家族だったから俺も音楽が好きで、得意できっと才能もあるのだろうと思っていた。
俺が楽器に触っていた一番古い記憶は幼稚園のころにピアノを習っていた記憶だ。音大を卒業したばかりの若い女性の先生を家に呼んで姉と俺が習っていた。彼女の教え方は結構自由な感じで、俺は楽譜を無視して勝手にペダルを押してみたり、習ってもない黒鍵を押して変な音を出したが彼女は「じゃあ、アレンジしてみようか」って言って楽譜の改変を許してくれたし、そんな優しい対応をしてくれる大人の女性に気恥ずかしさを感じた記憶がある。
それに対して母親はどちらかというと教科書的に楽譜を覚えさせようとする人で、幼稚園から帰ってピアノを自主練する時間になるとひたすら楽譜の同じフレーズを繰り返させられた。ちょっとでも間違えると「あと10回繰り返しなさい」という具合。これが原因でピアノが嫌いになってしまって先生を呼んでの個人レッスンも辞めてしまった(辞めた時の具体的な流れはもう覚えていない)。
そんな俺だったが小5のときに父親が死んだ。彼が残したフルートを見て「これを俺も吹けるようになりたい」と思った。そんなことを思いはしたものの、具体的に行動は起こさず、塾やら剣道やら(これも嫌いだった)中学受験に失敗したりしているうちに進学先の中学校に吹奏楽部があることを知ってそこに入部した。思えばこれが間違いだった。
俺の入部した吹奏楽部は俺以外全員女子。顧問はまさかの俺の父親の知り合いで、そこに男子が参加したものだから舞い上がっていたように思う。最初に割り当てられた楽器はチューバだった。いわく、低音でバンドの全員を支えろとのこと。チューバ奏者には申し訳ないのだが、これが全く楽しくない。低音を鳴らしても自分が何を演奏しているのか分からない。顧問は部員のモチベーションをあげるためなのか、自分の趣味なのか分からないがみんな知っているポップスや歌謡曲を演奏させたが、メロディを奏でるメンバーが聞いたことのあるフレーズを演奏しているのに対して低音が演奏している音は一体何の役に立つのか全く分からなかった。定期的に同じ音を鳴らすこの行為になんの意味があるのか分からなかった。ついでに俺は残念ながら肺活量が低くてチューバを満足に吹くことができなかった。その後、顧問の命令でアルトサックスへ、そして最後はコントラバスに転向。もはや管楽器ですらなくなり、この辺で完全に俺のやる気は消失して部活をさぼるようになっていた。
で、中学2年生の夏休み。俺は部活に行くと言って家を出てから友達の家へ行って連邦VSジオンで遊んでいたものの、あるタイミングで顧問がその友達の家に乗り込んできて俺は拉致されてしまった。与えられた楽器はトライアングル。夏休み明けのコンクールは部員全員で参加して今の3年生を送り出すんだから、お前も参加しろとのこと。無理やりワンフレーズだけのパートを練習させられて、そして迎えた本番で事故は起きた。トライアングルが無い。
理由は分からない。楽器を運ぶ担当の1年生からも下に見られていた俺は、楽器の用意をしてもらえなかったのかもしれない。それか、俺が自分の責任で運ぶように指示されていたのかもしれない。分からないが、ステージ上で何もせずに突っ立っていた記憶だけは残っている。指揮棒を振る顧問の困った顔、演奏が終わった後でほかの部員から向けられた視線。すべてが苦痛で俺は逃げるように会場を後にした。顧問はさすがに哀れんだのかそれとも呆れたのか、それ以降俺を部活に連れていくことはなくそのまま俺の存在は自然消滅した。
そんなことがあって、何年もの月日は経過したが幸いなことに音楽自体を嫌いになることはなかった。どちらかというとDreamcast勢だった俺はクレイジータクシーやソニックアドベンチャーで洋楽に触れて、バンドの存在を知って低音が奏でる面白さをそこで初めて知った。と言って、特に具体的な行動を起こすでもなく大学に行ってからはギターヒーローとかドラムマニアでときどき遊ぶ程度。あとはオーケストラやマーチング、ジャズなんかをときどき思い出しては聞く程度だった。だけど心の中で、音楽をもう一度やってみたいと思う気持ちだけはちょっとずつ育っていっていた。
結婚して子供もできて、その子供が8か月になったころの2020年からコロナの影響を強く感じるようになった。仕事はそれ以前から完全リモートだったので特に支障はなかったのだが、趣味の温泉旅行が制限されたのはつらい。そんな中でおこもり需要の一つとして注目されたのが楽器だったわけ。俺もその例にもれずヤマハが発売しているヴェノーヴァを購入してみた。生まれて初めて自分のお金で買った楽器。これがめちゃくちゃ面白い。
練習はだいたい朝子供を保育園に送る前と夕方、保育園から帰ったあとの夕食までの時間。だいたいどっちも20分くらいだから1日のうち40分くらい。しかも最近は寒いから朝の練習はしない日もある。練習と言っても昔のように間違えたフレーズをなんども繰り返すわけじゃない。最初こそ音を鳴らす練習や指の運びの練習はしたけど、一通りそれっぽく音が出せるようになったら後は自由だ。楽譜を買ってきて自分が好きな曲を自分が満足するまで吹けばそれでいい。アニメや特撮が好きなので「ドラえもんのうた」とか「ウルトラマンのうた」とかを一通り吹いて、サビだけ吹けるようにしておしまい。最近はコンビニで曲ごとに譜面を印刷できるので、気になる曲だけ印刷してくれば1枚400円くらいで収まる。飽きたらまた別の曲をやるし、ときどき思い出して前にやった曲を吹いてみて自分の中の変化に目を向けると、ちょっとは上手になったかな?と思って自己満足する。それだけでいい。
子供の時にやっていたバイエルをひたすら反復する練習は何だったのか。中学のときに面白さが全く分からなかった低音をひたすら鳴らしていたのは何だったのか。そんなことやる必要なんてなかった。自分が好きな曲を適当に吹いてひとまず満足して、そしてまた戻ってきて高みを目指したり目指さなかったりすればいい。そう言う物だったんだな。
今にして思えば父親が俺に音楽を教えてきたことは無かった。たぶん、彼は今の俺と同じことが分かってて練習を強要するんじゃなくてやりたくなったらやればいいくらいのスタンスだったのだと思う。俺もそういう気持ちで子供に接して行きたい。
ロマンスタイプに普段敵意丸出しな方々は、一体何が何がそんなに気に食わないんでしょうか。
着飾らないと外に出られないロマンスの悪口を言うのはやめてください。】
パーソナルデザインロマンスの人は、Twitterのロマンスに憧れる人たちにウンザリしています。
ロマンスタイプを勘違い不美人の心の拠り所にするのは、やめてください。
ロマンスタイプかも?と言っている人たちのツイートを毎日見ますが、学生服で色気がすごいと言われるとか、すっぴんで色気があると言われるなど、色気色気と色気を魔法か何かと勘違いしていますが、すっぴん学生服で色気があると言われるのは間違いなくロマンスではありません。
ロマンスタイプは間違いなく幼少期から学生時代に得をするタイプではありません、むしろ損ばかりのタイプです。
ステージに上がるようなスターでもない限り、ロマンスタイプの装いにロマンスタイプが辿り着くことなんてありません。
さなぎの状態のロマンスタイプはゴージャスな巻き髪に華やかなメイク、大きなアクセサリーが似合うなんてことに気づけないし、気付いたとしても幼少期から学生時代に積み重なってきたファッションに関する嫌な思いのせいでそんな格好で気軽には出かけられません。
気づくことには、気づくこともあるでしょう。
巻き髪の方がわたしは素敵になるなぁ
だけどこんな張り切ったように見えるかもしれないものを身につけていいのかな?と不安が勝つんです。
ロマンスタイプのすっぴんは頼りなく弱々しい、とてもじゃないけど見れたもんじゃありません。
そんな弱々しいスッピンの自分が華やかなものが似合うと気付いても自分から装備できるはずがないんですよ。
舐められるなんてことは日常茶飯事、痴漢にもあいやすく、コスメカウンターで何も買うものがないと落ち込んだり、会社の制服やリクルートスーツを着て頼りなく見える自分に苛立ったり、そういうのがロマンスタイプの日常なんです。
キュートタイプの女性は適当にインスタに乗っている服装メイクで垢抜けて、顔立ちはさほど良くない、むしろぐちゃっと崩れていても男性が好む軽さゆるさを出すことができる。女性の敵にはなりづらい外見なので、こちらが悪者にされる。
グレースタイプの女性は正統派美人の装いが似合い、ロマンスタイプの自分はイロモノ美人タイプなのだと自覚し落ち込む。
ナチュラルタイプはまさに自分の憧れを体現したものだと感じ落ち込む。さりげないのが一番様になるのが、羨ましい。
ファッショナブルタイプは自立した女性であり、一人でも生きていけそうな強い雰囲気と、滅多なことがなければ舐められないところと、いくらでも際限なく盛りが通用するという点に憧れを持つ。
フェミニンタイプは言わずもがな雰囲気美人といった感じで、婚活服を毎日着ていれば正解かつ、雑誌なども豊富にあり美人百科の安い付録を身につけてもサマになるのだろう。
そして、自己診断ロマンスは、ロマンスタイプがロマンス以外の装いをしたときの体験をしたことがないからこそ、色気があるからわたしはロマンスタイプ!などという勘違い不美人発言をしてしまうんです。
ロマンスタイプの診断は、色気があるとかプラスの側面からではなく、マイナスの側面から見るべきです。
キュートの装いをしてイタイ人に見られた。グレースの装いをして弱々しく見られ、舐められた。
フェミニンの装いをして、自分がキモチワルイと感じ、似合わない。評判も悪い。
ナチュラルの装いなんて、お笑いです。部屋着ですよ。犬のお散歩さえ行けません。
ロマンスタイプのあるあるとして、自分が大人の女性であるなんて全く想像もせず対極のボーイッシュなものに憧れるというのも、自己診断ロマンスさんは知っておくべきではないでしょうか?
わたしは大学に入学したてのころ、miniという雑誌のような装いに憧れていました。
ざっくりしたパーカーやニットを着て膝上スカートを履いてスニーカー、大きめのリュックを背負って跳ねるように歩くことに憧れていました。
メイクもごく薄く、爽やかで弾けるような笑顔に憧れていました。
胸下まで伸ばしたロングヘアは手入れが面倒で、乾かすのにも時間がかかって巻かないで下ろしているとただのメイク途中の人になります。
メイクだけをしても綺麗にはなれません。髪を巻くまでがメイクです。
女神降臨という漫画のイラストに共感しつつ、すっぴんはこんなに酷いのかと落ち込みます。
化粧をしない顔を見たくないので、ギリギリまでメイクを落としません。
スポーツの場に行っても、スニーカーが必須なので、スニーカーが似合うタイプに嫉妬します。
一日中歩き回ってもロマンスタイプの服なんてほとんど見つけられませんよ。
ロマンスタイプはウィンドウショッピングとは無縁とまでは言いませんが、あまり好きではない人が多いのでは?
一日中歩き回ってあっちの店へ、こっちの店へ、なんてことが好きなのはキュートタイプですね。
通販で買う方がずっと早くて、安くて、似合うものが見つけられます。
スニーカーが必要な場面ってあれこれあるけど、結局正解はなんだか分からないんです。
毎日毎日髪を巻いて、下着姿が一番マシなんじゃないかと思うのは気分が良くないですよ。
化粧を落として部屋着に着替えてガッカリしたいですか?
自己診断ロマンスさんは色気にずいぶん憧れがあるようですが、そんなにいいものではありませんよ。
冒頭でも言いましたがロマンスタイプなんて結局着飾らないと色気が出ないイロモノなんです。
だいたい自己診断ロマンスの人が思い浮かべるロマンスタイプの装いをしたら種類はどうあれ、誰でもそれなりに色っぽく見えるはずです。
谷間を出したり、やたらとオーバーリップにしてみたり、目や口を半開きにしてみたり、舌を出してみたり、二の腕を出したり安いキャバクラのお姉さんのような服を着て、自分には色気があるからロマンスタイプだ!などとつぶやくのはやめませんか?
ロマンスタイプは影か光かと言えば影ですが、品がない方と一緒くたにされることは不快ですよ。
色気という言葉はロマンスタイプを表すのにぴったりですが、そのせいで何か自分を勘違いした自己診断ロマンスさんが多くいることを非常に残念に思います。
まじでわかんない。
等々
組曲:×?
アガット :▲?
ティファニー・カルティエ・ブルガリ・ショーメ・ディオール:〇? 高くて買えないよ!
よくわからん
セリーヌ; 〇?
フェラガモ:〇?
アローズ:〇?
ロクシタン:▲?
サボン:〇?
なんていうかそれぞれのブランドの年齢層とかイメージとかが男にはまったくわからんのよ。
上で挙げたブランドはなんか聞いたことあるやつを適当に並べただけ。
女性の方も、モビルスーツとモビルアーマーの違いとか、ジャンプとサンデーとマガジン違いとか、X-boxとPSのちがいとか、わかんないひと多いでしょ??
4℃の例の件
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/into_mashumaro/status/1341356848113303554
別に「親しくない人からいまいちなプレゼントをもらうと困るよね」とか、「子供っぽすぎて、なんだかな。もっと大人の女性として見てほしいよね」くらいの愚痴でいいのに、いちいち人格否定する奴いるよな。
「相手に合った適切なプレゼントを選ぶ能力がない」のは確かだろうけど、それが相手を罵っていい理由になるのか?
あと、これは僕の偏見だけど、能力の低さと人格を混同するやつって女に多い気がする。
能力が低い→適切なコミュニケーションを取れない→不快な思いをする→自分に不快な思いをさせたこいつは悪人に違いない、みたいな。