心理学とか建築学とかが大学という接頭辞を冠することはないでしょ。
だから逆に「大学」とついてる学問は、大学で学ぶことが尽きちゃうって印象がある。
もちろん「高校」数学との対比としての意味以上のものはないのかもしれない。この場合大学数学とは高校までに扱わない数学全般を指していて、大学とはそれを教授する施設の代表に過ぎない。
でもそれならたとえば国語には大学国語はあるか?ということになる。国語学というものはあるけどそれは大学国語とは呼ばれない。
経済も高校では政経倫理とひとまとめに呼ばれることがあるだけで、高校経済も大学経済も存在しない。
こういうことから心理学とかに比べても数学は底の浅い学問ではないかという印象さえ持ってしまう。
むろん新規性を前提とした論文という点から考えれば、数学という学問の蓄積は決して底が浅いものであるとはいえないはずだ。
私が言いたいのは、研究するための道具立てとしての知識は、大学で教わることで一通り揃ってしまうのではないかということだ。
今この瞬間も数学的事実は新発見されているだろうし数学が厚みのある学問であることは自明だ。
しかしその発見のための研究に必要な知識自体は大学あるいは院で習うことで出そろってしまうのではないか。
それに比べ経済学は最近もMMTなんてものが発表されたように体系としての分野が新しくでてくるわけで、大学を出たあとも研究テーマによっては独自にそういった体系を学んでいかなければならないということがある。心理学とか医学だってそうだろう。