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はてなキーワード: 国家体制とは

2018-11-21

anond:20181121220433

それもあるだろうけど、それは「帝国主義戦争反対」というスローガンが元になっているからだと思う

帝国主義戦争反対はざっくり言うと他国侵略する対外戦争国民のためにならないというスローガン

ただ、このスローガンが打ち出された時代共産党暴力革命を認めていた時代共産党から対外戦争否定するが国家体制を変える暴力革命は良いとするものだった

現在では暴力革命否定していて国内外での暴力執行に反対する立場ではあるけれど、帝国主義戦争反対をもって共産党はずっと平和主義政党というのは少々無理のある主張ではある

2018-10-14

anond:20181014230743

まあそんな言い方をするやつは差別しかしてないということはさておき、確かに区別差別認定されうる定性的区別はない。

差別という考え方は人権思想立脚していて、人権思想人類文明の維持と発展のためにあるので、自己決定とか機会の平等とか幸福とかGDPとかが把握できるほど損なわれていれば差別認定していいんじゃないだろうか。

日本中世国家なので問題を提起すると「世論から見てそれはお前のお気持ち問題では…わが国家体制の維持に貢献しないのでは…」と言われがちだが、人権思想こそがフランス第一共和政に始まる近代国家を成立せしめた根幹であることは理解すべき。

2018-09-01

anond:20180831180806

しかしそれを全部ほっぽり出したら、経済効果などというモノを図る必要のない国家体制が待っているわけでな

2018-03-18

思考停止ではないアベノミクスへの反論を考えてみた

anond:20180317143226

アベノミクス好景気の本当の原因なのかはよくわからない(経済学部卒業だけど)。

アベノミクスは、大規模すぎる金融緩和という第一の矢以外は、全く当たっていない、というか第二、第三の矢を放つこと自体を、言い出しっぺの総理自身が、全く忘れているかのようである

景気は良くなっているように見える、経済指標のいくつかは向上している。法人税の税率を下げて企業経済活動保護を行っているし、あれだけ札を刷っていれば当たり前のことでしかない。問題は、刷った金がどこに流れていくかである

人口の多くを占める給与所得者の手取りは減少している。増税社会保障負担増しているからだ。消費税増税するつもりでいたらしい。人口の大半を占める給与所得者の手取りは減っているし足元景気は両手を上げて喜べるほどの変化とは言いにくい。大規模金融緩和を行うための方便の一つである年金運用もそれほど改善したという話はきかないどころか、年金受給年齢を引き上げるという報道もあるように、むしろ大して良くはなってないのではないだろうかと思っている。

更に、重商主義政策は続き、いわゆる「働き方改革」に着手している。人口の多くを占める給与所得者の手取り収入が下がっている上に、この先は人手不足が深刻で更に労働環境悪化、主に労働時間の増加と時間当たり報酬の低下、というかたちで私たち給与所得者に対して、厄災として降りかかってくるだろう。人口減少に伴う労働者人口の減少は、もう10年以上前から話題になるべき場所では小さい話題にはなっていたが、これは企業利益率低下を招く。一番のコストである人件費が上がる可能性が高いからだ。そして労働者保護視点ゼロの現政権が考えている「働き方改革」の骨子を見る限りでは、企業にとって人件費を抑えるためにはとても有効な、労働者権利を最小化(というか労働基準法を守る気がない監視罰則の導入をする気がない)するものを、推し進めそうになっていた。

推し進めそうになっていた、と過去形で〆ることができたのは、ひとえに森友問題加計問題(これはまだ疑惑段階ではあるが、森友がこれだけ真っ黒なら…とは思わざるを得ない。状況証拠は森友より分かりやすく真っ黒なので)のおかげである

加計問題一見問題がない良い話のように見える。官僚管理主義排除雇用若者流出などの問題を抱える地方希望を与える、ように見える。が、露骨な「オトモダチへの利益誘導」にも見える。加計スキームの怖いところは「オトモダチでないとアベノミクスで買う人がいなくなるほど刷った金が還流できない」という「構造」を邪推できてしまうようなものでもあるからである。いくつかの報道本丸扱いされているのはこれが理由だ。どれだけ札を刷ろうが、幼稚園児に北朝鮮のようなマスゲームを仕込んで首相夫人を褒めそやさせたり、首相と幼馴染の生まれた時からオカネモチでないと、本質的意味アベノミクス恩恵を得ることはできないのでは…と思えてくる。

もちろん、投資家のうちに旨いことやった人々もいるだろうし一部の「勝ち組社員」の中には多少ベアがあったりボーナスでうはーとなったりしている人はいるだろうが、働き方改革がこのまま推進されてしまうと、せっかく給与雀の涙ほど増えたところで、労働時間負担がどんどん増えるだけ、という暗い未来が更に想像やすくなる。金を回してもらうには安倍のケツを舐めるしかない、という社会になるということ。

増田自民党のことが嫌いになれないというのは、どちらかと言うと安倍様のケツを舐める側に近いところから仕事を得ているからだろう。ただ、世界はその他大勢の「そうじゃない人」も支えているし、増田だって所詮はただの給与所得者でしかなく、上が「おらもっとケツ舐めてこい」という体制になったり、将軍様の気まぐれで余禄が還流されなくなったりしたら、同じことを言ってられるかという風が吹けば飛ぶような立場しかない。

社会を、より大きな社会リスクや変化を減らせるように運営していくためには、こういう形はあまり良くない。人が動かす社会不安定さを招きやすいからだ。繰り返すが増田だって「今たまたま」悪くない場所にいるだけでしかないし、安倍将軍のゴキゲンが変われば簡単に変わる、人知的な政治の怖さはこれである。私は法治国家の方が好ましいと考える。

更に元増田不思議なところは、自民党安倍政権をごっちゃにしているということだ。もちろん議会民主制なので政権与党≒キャビネットではあるのだが、実際には党内にも色んな意見があって調整したり話し合いをすることで、議論法案はより良いものになるはずである民主主義ってそういうことでもあったりするが、安倍政権公務員人事権運用独裁的(森友問題はおそらくこれが原因で起こっている)だし、内閣人事もこちらの顔が羞恥で赤くなるほど露骨な「ケツ舐めてくれる人優先」で能力を見た適材配所には全くなっていない。言えばきりがないほど、麻生がかつて漢字読めなかったことを揶揄されきっかけで退陣したのがばかばかしくなるだろうなと思うぐらいには失言方言失策オンパレードである稲田さんが典型

これは私見だが、おそらく安倍麻生を筆頭にした「彼ら」は、そして増田も「公」の概念理解していないのではないだろうか。安倍麻生両氏については「公=オレ」ぐらいに思っていそうである。違うよ。「公」はその社会に属している全員が共有する「場」であって、民主主義国家においては「法律」を作ってその場所をみんなで守る、と言うようなものである。常々首相はアホヅラで「朕は国家なり」って言うと似合うだろうなーと思っているのだが、それは帝国主義的だしもっと言えば独裁である江戸時代か、いや明治天皇にでもなったつもりでいるのか(実際の明治天皇はそういうタイプ性格ではなかったようだが)もしれない。

厄介なのはご本人たちに「公=オレ」いう間違いを自覚する気がないことと、公=オレと思いこめる源泉が「親から受け継いだ多大な財産」をバックボーンにしているという残念さである。せめてワタミ程度に「自力で手に入れたもの」であれば…もしくは官僚上がりの政治家のように一応は人並み以上に勉強を積み重ねた人であれば、とも思うが。ワタミワタミでああいうひん曲がり方をしているし官僚上がりだと官僚との慣れ合いが酷くなる可能性もあるし困ったもんだ。まぁ安倍政権官僚上がりの閣僚が少ないので後者心配不要である、つーか逆に偏差値で言うと43くらいだなーと思うのでもう少し官僚上がりの閣僚増やしたらいいのに笑。

今そういう独裁的な国家体制でこれ以上続けていても、国際競争力世界でのプレゼンスを維持できるとは全く思わない。現に安倍政権はほんっとーに外交がド下手だ。ちょっと面白いぐらい下手。北朝鮮に振り回されまくってるし、猫の目が変わるようなトランプ政権情報米国から流してもらえてないことすらしばしばだ。あれだけしっぽ振ってんのにどんだけ舐められてんだよ笑と思う。

更にいえば、誰も買うものがいなくなるほど刷っている札は、この後どうするんだという問題であるトリクルダウンは今のところ起きていない、あとは日銀がいつ紐を引き絞るのかということであるが、これ、誰がどのタイミングでやっても世の中全部が大怪我はする。すでにそのぐらい刷りすぎてる。なのに多くの給与所得者たちの手に渡る金は少ない。首相もいつだかの会見で「給料あげたれよ企業よー」というコメントを出したがその後に政権が進めたのが「底に穴があいている働き方改革」なので、まーガス抜きしかなかったのかなーと愚考する。

インフレも起きつつある。もちろん良いことではあるが、それに比して給与の上がり率が追いついていない。この先に待っている可能性はスタグフレーションである。すでに可処分所得の低い世帯からじわじわと個々の家計においてスタグフレーション的な現象が起こっている。若年層や子育て世帯に余裕がないなど、で、結果的少子化も止まらない。

もしくは、紐ちょっと引き絞っただけで一気にまたデフレに逆戻りか。どちらにしても札を庶民還流させるための方策であるはずの第二、第三の矢がまったく飛んでこないのだから当然である。ここで所得増税とか消費増税するあたり、安倍ちゃん結局良く分かってなかったんじゃね?感がすごい。2012年第一安倍内閣が発足してアベノミクスアベノミクス煩く言うようになった時から、「基本歓迎するけど、いつ紐締めるんだろうね、つーか第二第三の矢って具体策ゼロだけど大丈夫なのかね…」という声はあった。結局あれから5年経っても第二第三の矢はまだ実体が見えてこない。

2018-01-16

anond:20180116095333

仲良くできない、というレベルの仲の悪さだったらお互い無視でいいけどさ、近隣国ってもっと仲が悪いんだぜ。

具体的にはお互いがいつ相手が攻め込んでくるかわかんねー、って思ってるくらい。

から無視してるだけだと警戒不十分なわけですわ。

そんな事情があるから顔を合わせるたびにやれ軍縮しろとか軍事演習やめろとかキーキー言い合う羽目になる。

そんなお互い攻め込むつもりなんてないだろ、と思うかもしれないけど、日本には前科があるので警戒されて当然だし、中国現在進行形でいろんな国の国境付近で不穏な動きをし続けてる。日本に向けてミサイル飛ばしてる北朝鮮は論外だし、韓国日本国境問題を抱えてる。

じゃあ今の国境線と各国の国家体制がこの先永久に固定したままがいいのかっていうと、そこまで長生きする人がいないからそんなことわからないんだよね。

2018-01-02

日本よ、これが本当の「憲法改悪」だ

韓国憲法改正草案を独自入手、国家社会主義的性格が露わに

 国会憲法改正特別委員会諮問委員会が1日、非正規雇用制度をなくして整理解雇原則的禁止するとともに、労働組合経営参加保証する左傾的内容の憲法改正草案を作っていたことが分かった。世界的な傾向である「フレクシキュリティ」(労働市場の柔軟化)とは逆行する内容を憲法に盛り込もうというものだ。諮問委はまた、憲法前文などで国家体制の根幹をなしている「自由民主的基本秩序」という言葉を削除・修正するなどしている。

 本紙が同日単独入手した諮問委の改憲案には「期間制・派遣労働事実上禁止」「整理解雇禁止」「労働者役員制」などの条項が多数盛り込まれている。改憲案第35条第2項は労働者雇用する時に正当な理由がない限り期間の定めがなく、直接雇用しなければならない」となっている。また、「解雇から保護される権利」も規定している。経済界関係者「現行の期間・派遣労働者存在否定し、事実上労働者終身雇用を確保するという意味だ」説明する。

 経済分野では、法案に入れるだけでも議論を招く事案を憲法に盛り込んでいる。諮問委は第119条第3項を新設し、企業に対する消費者集団訴訟懲罰的損害賠償制の保証を明記した。企業が「経営負担が増す」と懸念している制度憲法規定しているのだ。現政権雇用創出案として提示した「社会的経済」に関する内容も諮問委の憲法改正案に盛り込まれている。改憲案には「所得社会サービス保証される権利」などもある。

面白くなってまいりました

2017-11-05

anond:20171105174716

こういう「日本国家が太古の昔から変わってない」信仰ってなんなんだろうな。

天皇一族はずっと継続してるけど、その元で国家体制がずっと変わってきたってのが事実に近いと思うけどね。

ずっと小さな革命が繰り返されてきたというか。

2017-09-10

5分でわかるカタルーニャ住民投票独立問題

このへんの話。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2

事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。

5分でわかるまとめ

補足説明

背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼ必要があります

1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペイン王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデター鎮圧したことで即位直後は民主化守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王クーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える

閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペイン単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語バスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府トップスペインに帰国し、民主化が進展します。このときフランコ体制下で抑圧されてきた「スペイン多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます

(ここでいう「民族」ってのは、英語ネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペイン単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人バスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)

民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペインナショナリストフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペイン統一、つまりスペイン単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。

Section 2

The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.

太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインひとつネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティ存在することが謳われていますナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまりネーションひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。

(ところで、この憲法からもわかる通り、スペイン連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語自治州国家体制といいます

この憲法にのっとってカタルーニャ自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府公教育カタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語使用助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語スペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています

助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)

ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。

Section 3

C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.

C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.

C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.

そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人カタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります

この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育カタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州言語政策も、たとえば「お店のメニューカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルカタルーニャ語を使う義務」「企業広報活動カタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。

ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペイン自治州には基本的徴税権がありません。バスク自治州ナバラ自治州には歴史的事情(ありていに言うとスペイン継承戦争官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金カタルーニャから徴収され、多額の税金カタルーニャ還元されています

しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャ交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしていますしかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャ高速道路整備も中央政府拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。

こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派社会労働党)との交渉徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。

これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペイン統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定違憲となり、カタルーニャネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャ学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。

ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャ自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子だってカタルーニャ暮らしているわけですから独立に傾きます

2014年カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州非公式の投票を決行しましたが、中央政府憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけますちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後カタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています民主主義とは。

このような国民党政府対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。

スペイン政府オプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。

Section 155

1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.

2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.

ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識必要だろうと野暮を承知解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。

参考文献

この増田のパクr……ネタ元です。どれもネットで読めます

違憲とされたカタルーニャ州法の条文が詳しい解説が。

スペインにおける地方分権についての基本書。

現代カタルーニャ入門書

インド系カタルーニャ人独立派についての記事

そもそもなんでカタルーニャスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!

2017-09-05

核爆弾で全閣僚議員霞が関官僚都庁吹っ飛んだ時の国家体制

ってどうなるの?

一応調べたけどわからんかった。

決まってない?

2017-06-11

続・白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

http://anond.hatelabo.jp/20170611183038

これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド西域東南アジア文化を伝えた。

遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベル用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しか桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺大仏開眼供養会はインドベトナム出身僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。

  

日本がしばしば新羅従属国として扱おうとしたため、両国関係はしばしば緊張した。しかし、日本遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」

これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使新羅人に助けられたというのは、円仁著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?

また、上掲の講談社日本の歴史シリーズから引用すると、次のような話もあります

遣唐使派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台真言の平安仏教旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

このころ唐では、みずから世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷新羅や、朝廷に服属しない東北九州南部の人びとを蝦夷隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。

朝廷東北地方九州南部進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試問題を解くときのヒントになるでしょう。

もっとも、この点はやはり、山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方蝦夷九州南部隼人異民族夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。

それに比べると、三省堂教科書は、遣唐使中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

遣唐使8世紀には6回、9世紀には2回派遣され

実教出版にも「奈良時代遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版9世紀のことも記述していてグッド。

遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから9世紀末まで遣唐使派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。

理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。

これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しか朝廷遣唐使派遣積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。

  

[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的なかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。

東京書籍教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。

これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。

ちなみに、このとき天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王メラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないか日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的問題は、国史編纂ときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社日本の歴史シリーズ青木和夫著の中央公論社日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)

  

さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」倭国」「朝廷」等の表記になっています

なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号国号は、ある時期の特定政治状況のもと、人為的に作られたものからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号国号使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。

無論、教科書では便宜的に仁徳天皇推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権国家体制形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています

こういう細かな表記へのこだわりからも、各社の教科書がどんな史観に基づいているかを見ることができるはずです。

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2017-04-21

望み

私には生まれつきエゴがないので、個人的な望み(俗に謂う「夢」)がない

人々の洗脳を解いてデモクラシー革命を実現することが望みだが、それは、バイトして金貯めて実現しうるようなことではないし、TNT背負って溜池山王突撃してもきっと実現しないだろう。バイトして金貯めて革命を実現する話をアニメ化でもしてほしいくらいだ(笑)

どうやったら人々からエゴがなくなる進化が起こるのか、日本人(笑)近世近代以来の洗脳が解けるのか、判れば苦労しない。むしろ洗脳が解けないようにして国家体制を実現しているわけだから、そんな容易に洗脳が解けるはずもないのだろうと思う。たとえ成り上がって革命を起こそうとしたところで、見つかったら確実にぶっ叩かれて刑務所に入れられるのが日本スペックなので、もう手の施しようがないのだろう

わざわざ近世近代呪いを呼び起こして洗脳を強めることを、今の権力者支配層、既得権益階級がやっていて、もはや滑稽なまでに愚民どもは釣られているようだ。近世近代のことを「日本古来」とかい阿呆が多いし、そもそも「日本」なるものは古来存在しない。「日本」というのは近代国家主義概念で、遡ってせいぜい徳川光圀大日本史が端緒だろう

エゴのない進化を遂げるというのは一種の才能で、天才的なできごとで、ヨーロッパモダンエヴォリューションに限らず、釈尊ブッダ)にも起こった昔からあることなのだけれども、人類凡そをみると進化することは決してなく、むしろ幼稚化が進んでいる。岡本太郎が云っていたことも然もありなんと思う

2016-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20161113023411

そういう意見を目にするし、誤ってはいないと思うけど、

そうなると北欧デンマークとかスウェーデンとか、どうやってああい国家体制を築き上げたのかが分からない。

元は蛮族なのに、今や先進的な福祉国家だぜ?

2016-07-09

いまは公務員勝ち組みたいに言われているけれども

バブル時代公務員になるのはバカだとか言われていたんだよな

(公務員は、好況時に給料が安い)

職業の貴賤も景況感国家体制によって変わるもんだ

2015-12-25

やっぱり彼らの方が正義なのだろうか

「彼ら」があん時代錯誤国家体制でやっていけるのも石油やその他の資源があるからに過ぎず、

子供が増えるのは単に貧しいからで、いずれは彼らも少子化に悩むことになる。

頭ではそう理解している。そして納得したことにしている。

しかし、頭のどこかで疑念が消えない。

本当の正義は彼らの方にあり、我らはやがて雑に育てられたかつての子供たちに駆逐されるんじゃないかと。

その時、我らが滅びた表向きの理由としては、あいつら神を信じないから罰が当たったんだざまみろハハハ、

ぐらいのことが順当に言われるのだろう。しかし、理由の三番目か四番目あたりには出てくると思うのだ。

「まあ、あいつら、いくらなんでも、女子供優遇しすぎたよね」と。

2015-07-31

いい加減イラク戦争アラブの春の末路に欧米責任を負うべき

実際至高の国家体制なんてこの世に存在しないのはわかってるし、おれらも別に選択したわけじゃねーけど。

なんか民主主義があるべき国家の姿のような幻想持っちゃってる人ってところどころにいて、いい加減民主主義以外で成り立つ国家も正解という認識持っておいたほうがいいと思う。

なんつーか人的に民主主義国家が少数派だし。

ほんとアラブの春ってなんだったのかなと、リビアに介入したNATOは正しいことをしたと今のリビアを見て言えるんですか?

シリア自由軍に武器輸出していたドイツとかもそうだけどさ。

中東の春」「イラク自由作戦」こういう無邪気さが気持ち悪いんだよ。

確かにお前らの歴史では正義文脈で語れるかもしれん。

お前らの中では正しい武力を用いて、間違った政権倒したからと、胸を張って言うだろうけど。

現実的に酷すぎるだろ。

で、俺はそんなクソな戦いに触れたくも無いわけ、リビアでどんな圧制があったか知らんし知りたくもない、パンナムが落ちたっつーけど777も落ちてるわけじゃん。

正直北朝鮮で何万人が人権を抑圧されて殺されていようがどうでもいい、それが正しいか間違っているかそうでないかお前らみたいに胸を張って言える勇気根拠も無いっていう。

ただそれだけ。

ニヒリズム結構リビアの後始末もできないような原理主義よりは少しはましな選択じゃね?

2013-07-29

最近成り上がりとか革命とか好きになれない。

それは在日民主党イメージしか湧かないかである

この国の秩序を在日民主党が乱すことは完全に間違いである。

革命家がある体制を転覆させて国家を支配するなど愚の骨頂である

この国はこの国を治めるに相応しい家柄の長が治めることが望ましい。

それがこの国家社会地域の秩序を保つことになるからである

まぁ、官僚制度については破壊しても構わないと思う。

例えば、能力があるからとか金持ちからとか

そんな理由だけでこの国を治めてもらっても困るのである

その点からすると民主主義制度と言うものも否定されるものなのかもしれない。

能力がないもの国家企業を治めることは問題があるかもしれないけれど

やっぱり、家柄が代々ある家系がこの国の長になることが相応しい。

新参者革命を起こしてもロクなことにはならないし

外国人の思う壺になるだけだからである

革命なんて日本では起こす必要はまったくない。

安定した暮らしがほしいのであれば

出来る限り安定した国家体制社会体制や経済体制を長期的に維持する必要がある。

それを作るための革命ならばまだしも、長い間、家柄すらも長く守り続けた経験のない家系の者に

国家を預けることはナンセンスなことである

自然名家の生まれが政治家になり、経営者になることが

国家のためであり、社会のためであり、そこに生きている民のためになる。

日本がどんな国家よりも常識的で倫理感が強く整然としているのは

天皇家が何千年も続いていて、この国を治め続けてきたからであります

安心感と安定感は革命家成り上がりには創れるはずがない。

2013-06-17

未だ覚めぬ、総中流時代幻想

大学卒業して20年たつとわかる、終身雇用なんて、幻想だった。 - 竹内研究室日記

は、実体験とともに思い出を振り返る上品オヤジ説教なので、

居酒屋で絡まれたら、大変な時代でしたねー今もどんどん悪くなってますねーとか言っとけば良いわけだが、

ブコメが興味深い。

http://b.hatena.ne.jp/entry?eid=150492630

大学生就職希望人気ランキングを遡って見るといいよ。満州鉄道(笑)炭鉱(笑)国鉄(笑)銀行(笑)航空(笑)

このテの話題が出る際には、鉄鋼、造船、繊維などの、大量のブルーカラー必要としたが、ある時期を境に必要としなくなった産業を指すことが多かったので、隔世の感がある。

南満州鉄道実質的には"国家運営"プロジェクトであったことは結構有名だろうが、挙げられているいずれの業種も強い"国策"企業であって、官僚として中枢に入るか、実地に出て国を変えるかという、エリート選択肢しかない話題ではある。

(その意味で、件のブログ東大工学部出の連中の話なんか知らねえよ、という揶揄なのかもしれないが、夢に賭けた若者を笑うのは、自虐にしても寂しいことではある)

まあ、本題はこっちである

時代は既にもう一歩先の「普通人生結婚してマイホーム持って子供育てて…)なんて、幻想だった」のフェーズに行ってるんですけどね。この国もうダメじゃん

なのに日本社会は未だに終身雇用前提でできてるからなぁ。これでは住宅ローンも組めないし、子どもも作れない。理系研究者の方でこれだから、我々文系人間はどうやって食べていけばいいのか。

これは、ある程度は誇っていいことなのかもしれない。

一億総中流」は遠い過去の夢となっても、少なくともはてブコメントを残す人間の脳裏には、鮮烈な印象として焼き付いているわけだ。

列島改造をすすめ、基盤を整備し護送船団で企業を育て、労働組合を抑えつつ国民意識を総中流に向ける。

田中角栄音頭を取り、中曽根が完成させた「戦後日本」。

出稼ぎ労働上京へと姿を変え、地方公共事業を、都市民間企業を躍進させた。

日本住宅公団が「団地」を建て、借家ではなく「家」をという意識を持たせていった。

団地妻とは蔑称ではなく、羨望の対象であったのだ。

その意味で、「普通人生」や「日本社会」が、未だに1960年代に築きあげた幻想を基にしているというのは、

とても、とても、とても、感慨深い。

一応補足しておけば、日本終身雇用前提の社会になったことなど一度もないし、

普通人生が、結婚マイホーム子供のセットになったことも、やはり一度もない。

それはつまり残酷な言い方をすれば、

平安時代後期に「禄をもらって荘園を維持し、遊興に耽るとか既に幻想だった。この国オワタ」と言うのと同じだ。

もちろん王朝国家体制は、その制度設計を平安貴族を中心に置くだろう。

でもそれは「普通」じゃ無い。

今我々がここにいて、増田を読み、はてブコメントをしているのは、

貴族が紡ぎ、武士が駆け、商人が席巻して、軍人が靴を鳴らしたその系譜じゃない。

そのほとんど大多数は、主流ではない人達の脈々と続く人生連続が途切れなかったからだ。

子を産み育てることが楽であった時代はない。

しかし、たった一度でも途切れれば、今ここに我々は居ないのだ。

一億総中流は、「自分たちがどの階層いるか?」というアンケートへの回答からなった。

時代が下るに連れ、平均すれば間違い無く豊かに生きやすくなっている。

一億総中流という意識が、上を見ればキリがない日本を生きる中で、前向きに豊かな気持ちを持たせてくれた事は良いことだと思う。

だが、いままさに最頻値にいる人達が「昔、幻想を信じさせることで上向きにしていた時代」を「普通の事」だと思い込むことは、果たして良いことなのかどうか、僕には判らない。

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