昔、某テレビ番組で島田○助が「俺は差別はしねえ、だが区別はする」って言っていたのを最近ふと思い出す。このあと確か出演者から「変わんねえじゃんか!」と言われそのくだりは終わっていたと思うのだが、未だになんだかこのフレーズが気になって仕方ない。
ジェンダーとか色々言われる世の中で、マイノリティを肯定していきたいという心は自分にもあるんだが、どこからがマイノリティに対する「差別」になるのかわからない。例えば「男性はスカートを履いてはいけない」は明確な差別だと思うが、「トイレのマーク、赤は女、青は男」の認識は差別に当たるのか?とか。
テレビのCMで「理想の女性に」とか言ってるのとか「男らしさ」とか「女らしさ」とか言ってるのにもいちいち「これは差別に当たるんだろうか?」とか考え始めてしまう。
物事を円滑に進めるためには区別は必要だ。それがどこから「差別」に変わってしまうのかがわからない。正直、「理想の女性に」と謳った広告を出した会社に「理想の女性というキャッチフレーズはジェンダーに配慮しているのか」っていう電話が入ったとして、それが「正当なジェンダー的抗議」なのか「クレーム」なのかもはやわからない。難しい。
区別はない。より人権侵害に近い行為という文脈で差別という言葉が使われることが多いだけ。
まあそんな言い方をするやつは差別しかしてないということはさておき、確かに区別が差別と認定されうる定性的な区別はない。 差別という考え方は人権思想に立脚していて、人権思想...
経済的に非合理的な考え方であれば、それは差別であるというのは、わかりやすい考えですね。
西欧的ではあるけどな。最上段に「産めよ、増えよ、地に満ちよ」があり、中長期的な政策の合理性があり、最後に短期的経済合理性があり、資源分配は短期ほど多く、権限は長期ほど...
区別 トイレのマークを男女で分ける 慣習 トイレのマーク 赤は女 青は男 偏見 トイレのマークの色に関して赤は女、青は男に使うべき 差別 日頃男女が存在する環境にもかかわ...