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2021-06-03

大坂なおみの休場とシャマランヴィレッジ

 大坂なおみが休場した。

 理由うつ病からだそうだ。

 終わったな。僕はそう思った。

 

 僕は大坂なおみの「マスコミの在り方について」の投げかけは、方法は少し間違っていたかもしれないが、正当性が全くないとは思っていない。

 政治家スポーツ選手に、タレント被害者を含む事件関係者にに投げかけられるマスコミ質問の中にはマジでアホで下世話で品性のかけらもないような下劣ものも少なくない。「自社の記者に話した」という絵面のためだけに何回も同じ質問をしたりもするし、自分が欲しい回答が出てくるまで延々と誘導尋問する記者普通に存在する。

 はっきり言ってこの状況は異常だ。

 勝って気分がいい時ならともかく、負けて落ち込んでいるときにアホの相手なんかやってられんというのは心情的に理解できる。

 この台風大坂なおみが何故か同僚を敵に回したり、主催者との対話放棄して大荒れ模様になってしまった部分はあったが、続けていればもう少し何らかの展開が見られた可能性もなくはなかった。

 だが、大坂なおみうつ病で欠場した。

 そのことで大坂なおみを責める論調は一変した。だが、それは決して大坂なおみが望んだ方向にはいっていないはずだ。

 

 病人だったらしょうがないよね。病人イジメるのはよくないよね。

 

 そりゃそうだけど、そりゃそうだけどさ。だったら健常者をいじめるのはいいのか。スポーツ選手強者立場からバカマスコミのクソ質問いつまでも甘んじて受けなければならないのか。うつ病診断書を出せば記者会見は回避できます。それでいいのか。

 本来記者会見の在り方、すべてのマスコミとすべての選手関係性、そういった話をしないといけなかったのに、大坂なおみうつ病者という「特別」な存在になってしまたことで、今回の件は「特例に対してどう対応するか」という問題にすり替わってしまった。

 もちろん、一部マスコミではこれまでのマスコミの在り方について自省的な報道を行っているところがあるのも知っている。だが、いまだに多くのマスコミは「大坂なおみさんは病気だったのに責めてごめんね」といった論調が主流だ。

 大坂なおみの乱は、大坂なおみが欠場理由うつ病したことで終わってしまった。

 

 この件で思い出したのはM・ナイト・シャマラン監督2004年映画ヴィレッジ」だ。

 もう17年前の映画なのでネタバレしてしまうが、ヴィレッジは「犯罪被害者だけで集まって二度と犯罪が起きないように鉄の掟で守られた『犯罪存在しない』はずの集落殺人事件が起こってしまう」という話だ。

 結局、犯人集落で暮らす精神障害持ちの若者だったんだけど、僕はこれに心底がっかりしてしまった。

 犯罪被害者が集まって、犯罪が起きそうな要素を細部にわたって取り除いてその中で犯罪を知らない世代を育てていく。その中ですら犯罪が起きてしまう。秩序を守ろうとしすぎるあまり秩序にゆがみが生じている描写もあった。

 僕はこれを「人類において犯罪というものはどれだけ避けようとしても起きてしま原罪なのか」という問いだと考えていた。「悪意というものはどれだけ排除しようとしても生まれしまものなのか」

 でも実際には精神病患者という「特別」な人間による犯行だった。

 しょうもな。なんなら「どれだけ犯罪が起こらないようにしていても、制御不能精神病患者犯罪者になる可能性がありますよ」まである。はっきり言って害悪だ。アホか。

 「普通人間」がそうなっちうから主題が活きるんじゃないのか。特別人間けがうなっちゃうならそいつ排除すりゃいいだけじゃんか。今後は精神病患者が出たらそいつを村から追い出せば、「悪意を人工的に取り去った」村では永久犯罪は起きません。そうか?本当にそうか?

 

 対象が「特別な何か」になってしまった時点で、普遍性が失われてしまう。

 問題根本は「精神的に弱った人間」だけの問題では決してなかったはずだ。

 非常に残念である

2021-06-02

anond:20210602173410

主催者別に手のひら返してないでしょ

サポートしていきますからより良い会見の形にしていきましょうって言ってるだけで

それは最初から言ってるんだって

なおみが大会に出るけど会見はブッチっていう強硬手段に出たか強硬な反応が帰ってきただけで

2021-06-01

https://news.yahoo.co.jp/articles/323223250caf5a9b5fe3e42796cfd92f55287037

主催者大坂が「心の健康状態無視されている」として27日に会見拒否を表明して以降、沈黙を守ってきた。30日に拒否が実行されたことで4大大会主催者共同声明を出す異例の事態に発展した。声明では大坂に考え直すよう促して対話提案し、健康状態確認支援の申し出をしたが全て拒否された経緯を公表。会見の義務違反を繰り返した場合大会追放だけでなく、多額の罰金、将来的な4大大会出場停止処分もありうる旨を伝えたことも明らかにした。

健康状態確認支援の申し出をしたが全て拒否された経緯を公表

武井壮facebook

大坂なおみ選手会見拒否問題

『心の健康状態無視されている』とのことだが

多くの批判が寄せられている一方

精神的な問題なら仕方ないとする見方もある

医師などの診断で精神的な問題があると認められる場合ならば、ストレスを軽減する必要があるが

そうでないならば

『ならよし』とは簡単には言えない問題

選手の気分レベル問題

『気分の悪いときにそれを強要される』のが嫌だと

いうことだとすると、選手自分の都合で大会収益システムの一部をボイコットすることになる

これは利益背反行為になる

そうしたこと理解して

試合後の会見が苦痛でやりたくないと言う事ならば

シンプル解決策として

試合の獲得賞金を半額受け取る契約などを付帯すればいいのではないか

返上する賞金はスポンサーに分配して返金、もしくはスポンサーOKなら他の選手の賞金に分配することでバランスが取れる

試合をたくさんしたのに、会見拒否だけで半額はおかしい!』と言う方もいるだろうがそうは思わない

事前の取材を受ける、大会放送試合を流す、インタビューを受ける、大会主催パーティーなどに参加するなどの行為全てに同意した上での報酬として賞金が設定されていること

そして、ここが重要だが、選手活動とは別に多くのスタッフスポンサー獲得に向けて尽力し、大会を設営し、その広報活動従事し、放送局との調整、ボランティアの確保、会場の確保、警備、集客アコモデーションなど様々な業務をこなしている

その上で優勝はじめ優秀な成績とメディア露出を果たした選手への最大のリスペクトとしてスタッフ年収の数十倍から100倍にもなる高い報酬が設定されている

その上で

選手努力技術と、スタッフ作業はイーブンな関係にあると思う

選手の高いパフォーマンスが無ければ試合は成り立たないがしかし、大会関係者の尽力がなければ大会は開催されないか、もしくは賞金のないアマチュア大会になるだろう

ならば関係はイーブン

そして、試合以外の露出に協力しないならば

手に入れるのは名誉のみでもいいはずだ

名誉は欲しいがスポンサーメリットを確保する行為は不参加だと言うなら半額の賞金を受け取る契約試合に出れば良い 

名誉が手に入れば

個人へのスポンサーは獲得できて収入は確保できるし、返上した金額を分配する事で、大会側の損失も補填することができる

誰を責める事もなく、選手精神状態にも配慮しつつ問題解決する事ができる

優勝選手報酬は莫大な金額である

そこに関係するどのスタッフ生涯賃金にも登る数億円の報酬が手に入る

主催者や大会スタッフスポンサー企業スタッフたちも、あらゆるストレスと戦いつつ職務をこなしている、全ての職務ストレスなく精神状態キープできるものではないと思う

そんな中、年に一度行われるビッグイベントにおいて選手けがストレス理由職務拒否することは、フェアではないし、それが許されるならどんな仕事も『これは精神的な健康によくないからやりたくない』と拒否され成立しない

ならばその分を減額するのが妥当ではないかと思う

懲罰的意味合いではなく、収益などに対する仕事量として、競技力を高め、試合で発揮することとメディア露出はそのくらいのバランスで成り立っていると感じる

近年、あらゆる精神ストレス懸念して

我々の活動制限されるが 

最低限のラインがどこにあるか、が全員同じでない限り、誰かがストレスを処理しなければ世の中は成立しないし

ストレスを感じるから拒否

という話は高額な報酬を手にする立場では簡単に処理できるものではない

その報酬を手にできる『理由』が自分のみの経済活動の結果ではなく、あくまで『楽しいスポーツ』をプレーしていたら

ストレス」と戦いつつも職務をこなして、自分よりも遥かに低い報酬でその報酬を獲得する努力をするスタッフ大会関係者の尽力により用意された報酬にたどり着いただけ

スポーツが上手い』

それだけで手にできる報酬などどこにも無い

理解が足りない』と誰かを責めることも

大会記者メディアを責める事も

どちらも不毛な争いだ

ならば経済的観点妥協点を設定すればいい

これは『精神状態』などを理由に両者が争う問題ではなく

仕事作業量と報酬を巡るシンプル契約問題であるべきだと思う

もう一度言うが

この世の中に『スポーツが上手いだけ』で手に入る報酬存在しないのである

スポーツが金を産むのではない

そこに携わる全ての人の『業務』により

スポンサー企業の全ての社員の尽力で得た利益から

アスリート報酬は確保される

そしてこれは私見だが

自分自身の感じる

ストレス』も同じく

自分けが受けているわけではない

誰もが受けている可能性のあるものだと認識して

みんなでシェアしつつ、思いやりつつ

わず軽減していければいい

そう考える強さもアスリートとして、タレントとして持ち併せたいと思う

武井壮さんがfacebook大阪なおみさんについて語っている

大坂なおみ選手会見拒否問題

『心の健康状態無視されている』とのことだが

多くの批判が寄せられている一方

精神的な問題なら仕方ないとする見方もある

医師などの診断で精神的な問題があると認められる場合ならば、ストレスを軽減する必要があるが

そうでないならば

『ならよし』とは簡単には言えない問題

選手の気分レベル問題

『気分の悪いときにそれを強要される』のが嫌だと

いうことだとすると、選手自分の都合で大会収益システムの一部をボイコットすることになる

これは利益背反行為になる

そうしたこと理解して

試合後の会見が苦痛でやりたくないと言う事ならば

シンプル解決策として

試合の獲得賞金を半額受け取る契約などを付帯すればいいのではないか

返上する賞金はスポンサーに分配して返金、もしくはスポンサーOKなら他の選手の賞金に分配することでバランスが取れる

試合をたくさんしたのに、会見拒否だけで半額はおかしい!』と言う方もいるだろうがそうは思わない

事前の取材を受ける、大会放送試合を流す、インタビューを受ける、大会主催パーティーなどに参加するなどの行為全てに同意した上での報酬として賞金が設定されていること

そして、ここが重要だが、選手活動とは別に多くのスタッフスポンサー獲得に向けて尽力し、大会を設営し、その広報活動従事し、放送局との調整、ボランティアの確保、会場の確保、警備、集客アコモデーションなど様々な業務をこなしている

その上で優勝はじめ優秀な成績とメディア露出を果たした選手への最大のリスペクトとしてスタッフ年収の数十倍から100倍にもなる高い報酬が設定されている

その上で

選手努力技術と、スタッフ作業はイーブンな関係にあると思う

選手の高いパフォーマンスが無ければ試合は成り立たないがしかし、大会関係者の尽力がなければ大会は開催されないか、もしくは賞金のないアマチュア大会になるだろう

ならば関係はイーブン

そして、試合以外の露出に協力しないならば

手に入れるのは名誉のみでもいいはずだ

名誉は欲しいがスポンサーメリットを確保する行為は不参加だと言うなら半額の賞金を受け取る契約試合に出れば良い 

名誉が手に入れば

個人へのスポンサーは獲得できて収入は確保できるし、返上した金額を分配する事で、大会側の損失も補填することができる

誰を責める事もなく、選手精神状態にも配慮しつつ問題解決する事ができる

優勝選手報酬は莫大な金額である

そこに関係するどのスタッフ生涯賃金にも登る数億円の報酬が手に入る

主催者や大会スタッフスポンサー企業スタッフたちも、あらゆるストレスと戦いつつ職務をこなしている、全ての職務ストレスなく精神状態キープできるものではないと思う

そんな中、年に一度行われるビッグイベントにおいて選手けがストレス理由職務拒否することは、フェアではないし、それが許されるならどんな仕事も『これは精神的な健康によくないからやりたくない』と拒否され成立しない

ならばその分を減額するのが妥当ではないかと思う

懲罰的意味合いではなく、収益などに対する仕事量として、競技力を高め、試合で発揮することとメディア露出はそのくらいのバランスで成り立っていると感じる

近年、あらゆる精神ストレス懸念して

我々の活動制限されるが 

最低限のラインがどこにあるか、が全員同じでない限り、誰かがストレスを処理しなければ世の中は成立しないし

ストレスを感じるから拒否

という話は高額な報酬を手にする立場では簡単に処理できるものではない

その報酬を手にできる『理由』が自分のみの経済活動の結果ではなく、あくまで『楽しいスポーツ』をプレーしていたら

ストレス」と戦いつつも職務をこなして、自分よりも遥かに低い報酬でその報酬を獲得する努力をするスタッフ大会関係者の尽力により用意された報酬にたどり着いただけ

スポーツが上手い』

それだけで手にできる報酬などどこにも無い

理解が足りない』と誰かを責めることも

大会記者メディアを責める事も

どちらも不毛な争いだ

ならば経済的観点妥協点を設定すればいい

これは『精神状態』などを理由に両者が争う問題ではなく

仕事作業量と報酬を巡るシンプル契約問題であるべきだと思う

もう一度言うが

この世の中に『スポーツが上手いだけ』で手に入る報酬存在しないのである

スポーツが金を産むのではない

そこに携わる全ての人の『業務』により

スポンサー企業の全ての社員の尽力で得た利益から

アスリート報酬は確保される

そしてこれは私見だが

自分自身の感じる

ストレス』も同じく

自分けが受けているわけではない

誰もが受けている可能性のあるものだと認識して

みんなでシェアしつつ、思いやりつつ

わず軽減していければいい

そう考える強さもアスリートとして、タレントとして持ち併せたいと思う

https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=10226286385974717&id=1493110918

大坂なおみ 全仏オープン2回戦の棄権を表明「辞退することがベスト

こういうのを見ても

アスリートファーストなんていうのはありえない

主催者エゴイズムの塊

アスリートピエロみたいなもの

2021-05-31

ウマ娘馬券を買うようになったオタクについての観測メモ

増田オタクだ。

俗に言う所の「所属ジャンル」というべきものがかなり老若男女入り混じってるタイプで、5,60代のオッサンからピチピチのJKまで揃ったタイムラインで過ごしている。

天ぷら胃もたれして苦しい思いをしているオッサンのすぐ真下に、試験前なので浮上減ります><が流れてくる愉快なタイムラインだ。

さて「ウマ娘」はかなり大衆にウケており、「ウマ娘クラスタ」と括るべき熱烈なコミュニティの外でも、サブの趣味としてこれを置く人間も多い。

我々のジャンルでもかなり大勢人間ウマ娘ダウンロード、そしてプレイしているように見られた。

ゲームやそのファンアートを楽しむだけでは飽きたらず、馬券に手を出す人間も確実に増えた。

なので、馬券を買うようになったオタクの周辺について色々観測したメモを書いてみることにした。

元々競馬をやっていた勢力

主にオッサンである

一部のオッサンたちはウマ娘が始まる前からいつも特定の日時になるとアイマスの「全然違うじゃん!もう私競馬辞める!」のコピペツイートRTしてきた。

ウマ娘色々にかかわらず、まったく元から競馬をしていた人たちである

やはり仲間が増えた事が嬉しいのか、ギャンブルの後ろめたさが軽減されたからなのか、知識をひけらかすのが優越感があり楽しいのか、

そんな要因でいつもより競馬に関するツイート数は増えたように感じる。

とはいえ彼らはもともと競馬をやっていたので、ウマ娘の影響を受けた変化率はかなり少ない。

競馬をやっていない勢力

当たり前のことだが、オタクが皆競馬をやっているわけではない。

この話題と直接は関係ないが、このまま続けるとあたかオタクが全員競馬をやっているかのようなバイアスが入るので、彼らについても一応触れておきたい。

そもそもウマ娘をやっていないオタクは(元から競馬趣味だった場合を除き)競馬をやっていない。馬のうの字も喋らない。まあ当然の事である

たまーに「最近ウマ娘流行ってんね」ぐらいの事を口にすることがあるかないかぐらいのものである

またウマ娘はやっているが競馬をやっていないオタクも当然存在する。

この勢力自分観測範囲からいくつかに分類しみるとこうである

無課金派:ギャンブルにもソシャゲにも金は払わない価値観で、ゲーム無課金範囲適当プレイしている。エンジョイ勢

貧困派:無課金派に近いが、その理由価値基準というよりは金銭的な問題である場合生活が困窮しているかもしくは学生である

美少女派:美少女には興味があるが、現実の馬そのものには全く興味がない層。

創作派:主にクリエイティブタイプの人で、競馬なんか覚えてる暇とリソースがあったら絵描きたいよみたいなタイプ

自虐派:自分頭脳・要領・運に全く自信がなく、まず自分の予想が当たるかもしれないという希望を一切持っていないタイプ

ウマ娘競馬を始めた勢力

そしてウマ娘競馬を始めた勢力である

これも大きく分けるとこんな人が観測された。

・利用派:自らを爆死芸人にしたてる事で、エンターテインメント意図的提供していそうな人。元からフォロワーが多かったりプチ有名人であることが多く、あざといけど流行りのコンテンツを上手く利用してるなと言う印象である競馬を金儲けの手段としたいというよりは、フォロワー稼ぎやコンテンツ提供に対する投資のような側面が大きいように見える。

パズル派:とにかく予想すること自体がクソ楽しい勢力。昔からソシャゲの次のイベント予測とかナンプレ懸賞とか大好き。新しいパズルを買ったぐらいに思ってる。

推しお布施派:予想を立てるのではなく、推し及びある程度関係する馬に対するお布施だと思っている。金が余ってる。

・本気で金稼ぎできそうだと思ってる派:単純にアホ。ギャンブルは必ず主催者側が得をするように出来てるのを知らない。

文化知りたい派:なんとなくどういうものなのか見識を広めたくて1回やってみる人。見識を広めたいだけなので払うのは少額だしだいたい1回で辞める。

そんで、上記のどれにも当てはまらないやつ。

インフルエンサーではないし』、

普段からパズルが大好きという訳でも無ければ』、

推しからという理由で買ってる訳でもなく』、

『ましてや本気で金稼ぎできそうだとも思っていない』、

『けど何回もやる』

派。

こいつらが一番、増田は怖いと思っている。

上記に述べた利用派・パズル派・推しお布施派は、あくまで大損こいても目的は果たせるので、それに同意して金を払っている。

ただそうでもなくて、なんかぼんやり競馬をはじめた勢力がいる。なんか満たされてなくて、なんか満たされそうで、宝くじを買う心理に近いのかもしれない。

で、こういう奴がどんな奴かって言うと、大体伸びてない絵師とかメンヘラ童貞喪女とかそういう人。

ギャンブルってこえーを体現する存在である

個人的にはこういう人がどうなっていくかを少し懸念しているんだけど、ウマ娘競馬を始める事自体は悪い事ではないと思うんだよね。

増田自身価値基準は「文化知りたい派」に近いんだけど、オタクやりながら艦隊名前覚えたり博物館刀剣を見に行ったり地方聖地巡礼したり世界史にやたら詳しくなったりするのは結構楽しいからね。

まあ後はただぼんやりギャンブルの魅力に引っ張られて悲惨な事になる人が出ないようには祈るだけだ、と思う。

anond:20210531110526

会見の場を提供しているのは、主催者側で、質問しているのはメディア記者達。

嫌な質問、失礼な質問に対する対応拒否すれば良いだけで、

会見の場に出ないというのは、プロとしての義務果たしていないという事では?

(この言葉は嫌いであまり使いたくないのだけれど、「筋が違う」という感じが否めないのは俺だけだろうか。)

主催者だってスポンサーあっての大会から

会見の場に出てもらわないと都合の悪い事も有るだろうし。

ただ、彼女の言うような失礼な質問発言を控えるよう、

主催者から記者側に要請する等、選手を守る行動をとるべきだとは思う。

2021-05-29

anond:20210529204552

男性選手ラケットを壊す人は多いのに、なぜ「彼女」と女性選手非難したのか?

女性選手非難した」のではなく、「非難した」のが大坂なおみという「女性選手」だった

非難すべきは、特定選手ではなくテニス業界大会主催者スポンサー)ではないのか?

そう考えるのであれば、あなた非難したらいい

anond:20210529161815

あんた『テニスラケット破壊する彼女を見て』(anond:20210527221543)の作者だろ。以下で示す通り文体共通点が多く、同一人物しか思えない。

  • 『= ここから粗筋 =』という、粗筋を示す区切りを用いている
    • この増田では、『= 粗筋ここから =』と同一表記を避けた模様
  • 行頭一文字空け
  • 括弧「」と鉤括弧『』を使い分けた文章
    • どちらも、強調したいことを「」、固有名詞を『』で使い分けている
  • 丸括弧は半角()を用いてる
  • 感嘆符疑問符は全角『!、?』を用い、後に空白を入れていない

フィリップ・K・ディック小説やら歴史認識やらはどうでもいいが、『テニスラケット破壊する彼女を見て』のブクマコメントで受けた批判に対して追記反論してくれよ。特に以下の二点に関しての意見を聞かせてくれ。

2021-05-14

anond:20210514093417

クラブハウスって発言者指定できるの主催者かなんかじゃなかったっけ?

それをシステムルールに沿って決めるようにするというのが違いなんだけど。

2021-05-13

anond:20210513184831

おっと主催者からまさかの抗議、会場がざわついています

これはどういうことでしょうか

2021-05-10

もうなすり合いばっかりで笑

自分の国のことも決められない無能じゃん

安全安心大会が開催できるよう、全力を尽くすのが政府の責任だ」と改めて開催に意欲を示した。「主催者IOC国際オリンピック委員会)、IPC国際パラリンピック委員会)、東京都組織委員会だ。政府は水際対策を中心に、感染対策に万全を期すべく主催者連携する」と述べ、開催の可否を判断するのはあくまIOCなどだとした。

あらゆる婚活サービス経験してきたので、感想を語る

30代後半男、地方出身東京在住

20代前半から婚活サービスを利用し始め、途中彼女が出来たり別れたり、婚活市場を出たり入ったりと紆余曲折がありながらも、この度結婚に至ったため、振り返りがてら利用してきたサービス感想を書いてみようと思う。

 

相席居酒屋お見合いパーティー、街コン結婚相談所、マッチングアプリと思いつく婚活サービスは一通り利用したことがある。

順番に感想を書いてみる。

 

相席居酒屋

メリットアポなしで気軽に行ける

デメリット:どんな女性が居るか分からない

正直言っておすすめしない。婚活でなく友達探しとしても効率悪すぎると思う。

女性無料で飲み食いできるので、感覚として8割くらいが時間つぶしで来ている。

そういう場所だと割り切って安いキャバクラ代わりとして使うには良いんじゃないかな。イケメンコミュ力高い人は楽しめると思う。

たまにぶっとんだ女性もいて、楽しいこともあるが、婚活として使うのはハードル高い。

 

 

お見合いパーティ

お見合いパーティーにも種類があって、大きく分けて回転寿司型、合コン型、イベント型に分けられる。

 

回転寿司

メリット:開催頻度が高く、都内だと毎週末十数回は開催されてると思う

    参加者の年齢層が指定されていたり、旅行好き、ゲーム好きなどテーマ指定されているため、ある程度ターゲットを絞り込むことは可能

デメリット:会話できる時間が短い

    男性は割高

まず回転寿司型だが、一般的お見合いパーティーと聞いて想像されるのはこのパターンかな。

1人あたり5分程度の時間を区切って、順番に違う女性と話をするタイプのもの時間になると男性が移動して、一つ隣の女性の席へ移るため、回転寿司タイプとはうまいこと言ったもんだ。

このシステム体験するためだけに一度参加してみるのも面白いかもしれない。

基本的には事前に用意したプロフィールカードを見ながら会話するのだが、長くても1人10分程度しか会話できないため、自己紹介程度で時間切れになることが多い。

多くのパーティー最後カップリング発表があり、お互いにもう一度会いたいという意思合致した場合、連絡先が交換できるシステムになっている。

逆にカップリングできないと連絡先も交換できないので非常に効率が悪い。何回かカップリング成立し、再度デートする機会もあったが、俺はその後発展することはなかった。

やっぱりもう少し会話する時間が欲しい。

 

 

合コン

メリット回転寿司型と同様に年齢層やテーマ指定されているため、ある程度ターゲットを絞り込むことは可能

    比較的長時間で、お酒も入るため、話が盛り上がることが多い

デメリットグループを仕切れる位コミュ力がないと、好みの女性と会話をすることが難しい

次に合コン

飲食店に集まる合コンのような形式。これも時間を区切って席替えがあるが、回転寿司型ほど短時間でもないし、同時に複数人女性と会話が出来るので、回転寿司型よりしっかり相手を見ることが出来る。

但し男性側も複数人グループになってまとめて席替えになるので、コミュ力が低いと気になる女性に話しかけられずに終わるパターンもあり、ある程度のコミュ力が求められる。

ダントツ可愛い子がいるとコミュ力高い男が独占することがままあって、最後まで話できない人がいる場合もある。

店を貸し切って行うタイプだと良いのだが、通常営業中店舗を間借りしているタイプでは周囲の視線結構恥ずかしい。

 

 

イベント

メリットイベントによっては、趣味嗜好が近い異性と出会える可能性は高い

    出会いは無くてもイベントが楽しければ良し、と割り切れる

デメリット拘束時間が長いため、参加者イマイチ場合時間が経つのが遅い

    途中から自由行動になることが多く、リーダーシップ取れる人がグループに居ないと、グダグダになりがち

最後イベント

これは色んな種類があって、一緒にスポーツや謎解きを楽しむものからバスツアーのものもある。

趣味色の強いイベントだと、趣味が合う女性出会やすいと思う。

俺がお見合いパーティーで彼女が出来たのは全てイベント型だったので、成功率から言ってもわりとおススメできるタイプ

 

 

合コン型とイベント型は連絡先交換自由なので、回転寿司よりも2回目以降につながる可能性が高いが、途中で主催者が居なくなることが多く、たまに暴走する男性が居たりする。

飲みすぎで腹を出して寝だす奴とか、寒いでしょう?と言いながら自分コート女性押し付けようとする奴とか。嫌気がさした女性イベント途中で帰ってしまうのも複数回たことがある。

割とカオスだが、反面教師としては有効。絡まれてる女性を助け、その後デートにつながったこともあるので、スマートな振る舞いは身を助けることを思い知った。

 

お見合いパーティーは大手どころのIBJかエクシオ主催パーティーに参加することが多かったけど、IBJの方がタブレットを使ったり、回転寿司会場も半個室になってたり、洗練された感じがして良かったな。

ただ、申込時に「女性満席です!」って書いてあったからワクワクして参加したら、実際は女性3人しか居なかったり、お前定員何人で設定してんだ?って問い詰めたくなるようなパーティー複数回経験してる。

参加費用女性は500円程度~に対して、男性側は5000円~と高額に設定されてるし、婚活男子舐めてるんだろうなと思う。ただ集客力のある代替イベントがあるわけでもなく、仕方なく参加させて頂いてた。

そこんとこ、ほんと何とかしてください。

 

実際行ってみないとどんな女性が参加してるか分からないのが最大の弱点かな。

イベント型や合コン型はとりあえず楽しんで帰ろうと思えるんだけど、ターゲットとしてる層の女性そもそも参加してないと、特に回転寿司型は時間無駄にしたって思いながら帰ったことも。。。

男性目線ではあまりデメリットと感じなかったが、参加条件に「年収●●万円以上~」「大卒以上~」と書かれているパーティーであっても、給与明細卒業証明書などの提示必要なく、自己申請のみでOKだった。

身分証明も免許証提示すればOKだったので、既婚者が紛れ込んでても分からないだろうなと思った。

ある日、1日に2回お見合いパーティーに参加し、1回目で出会った女性と2回目で再会したことがあり、かなり気まずかったが今となれば笑い話だな。

ちなみにその女性は後日マッチングアプリでも見かけたので、最早運命じゃないかと思ったが、いずれもマッチングしなかった。

 

 

街コン

近隣の複数居酒屋で同時に合コンをやっている感じ。合コンっていうよりも、どっちかというと立食パーティーに近いかな。

参加人数が多いイベントが多く、どうしても可愛い子と出会いたいという場合確率的に悪くない選択肢だと思うが、参加人数が多すぎで訳わかんなくなることが多い。

あと、婚活パーティー型と違って指定席ではないので、可愛い子の周りには人だかりができてるが、そうでない子との差が激しすぎて、なんだかなぁ・・・と思うことも。

俺が参加したイベントたまたまそういうタイプだったのかもしれないが、主催者はもうちょっと配慮してあげてほしい。

正直10年近く前に、2回しか参加したことないので、最近事情はどうなってるか分からん。正直あまり詳しくない。すまん。

当時は街コンブームだったので、最近はいろいろ状況が変わってると思う。

 

 

結婚相談

メリットプロフィール写真である程度絞り込んでから出会えるので、効率は悪くない。

    身元がしっかりしているので、ネットワークビジネス勧誘サクラに気を使わなくて良い

デメリット費用が高い

    退会するまでセックスNG

 

費用が他と比べてダントツに高いので、それなりにしっかりした女性が多いのかと思いきや、変な人、というか価値観の合わない人と出会う率は一番高かった。

ひたすら質問ばかりしてきてこちらの質問には全然答えてくれない人とか。どちらかと言うと受け身女性が多い気がした。

最初から1対1で対面する時間が長いので、お互いの嫌なところも見えやすく、結果として価値観が合わないことが分かりやすかったのかな、とポジティブにも捉えらえると思う。

 

相談婚活の流れとしては、プロフィールを見てお見合い申し込み⇒お見合い⇒仮交際真剣交際プロポーズ・成婚退会だが、俺の入っていた相談所は、仮交際までは何人と交際してもOKというルールになっていた。

お見合い後に仮交際が成立した場合、当日中男性から女性電話をかけるファーストコールというルールがあるんだが、これがまぁ繋がらない。

俺は退会するまでに5,6人と仮交際になったんだが、初日電話が繋がったのは1人だけだった。酷い相手だと1週間音信不通のこともあった。

交際成立後も、LINEしても返事来るのが数日後、とかはざらにあった。

俺がたまたまそういう女性ばかり選んでしまってる見る目のない男なのかもしれないが、お互い社会人なんだから基本的ルールは守ろうぜ。

 

とはいえお見合いが成立した場合は、少なくとも1時間はじっくりと話す時間があるため、元ヤンから元アイドル契約社員からバリキャリまで、普段出会えない色んな人の色んな話を聞けて面白かった。

相談所によっては親身にアドバイスをくれるところもあるらしいので、恋愛経験の少ない人には良いと思う。俺の入っていた相談所は質問に対して明後日な回答しか出てこなかったので、あまり頼らなかったが。

サポート重視の人は入会前に相談所をしっかり吟味した方が良い。

 

なんだかんだ退会前の肉体関係禁止されてるのが地味につらい。俺は退会後いろいろあって結局婚約破棄になったのだが、体の相性の悪さも婚約解消の(一部だが)要因となったことは事実

 

 

マッチングアプリ

メリット:直接会う前にメッセージ交換が出来るので、ある程度人柄を推し量ることが出来る

    費用は安い

デメリット玉石混交。本気で出会いを求めている人も居れば、どう見ても情報商材屋だろうっていうプロフィールの人も居て、嘘を嘘と見抜けないとマッチングアプリは難しい。

 

なんだかんだで一番おすすめ。妻と出会ったのもマッチングアプリ。俺が婚活を始めた十数年前は、まだ出会い系のダークな印象が強かったけど、この5年ほどで一気に市民権を獲得して使いやすくなったのは大きい。

出会う前にアプリ上でメッセージをやりとりできるから、実際会ってみて「何こいつ?」ってなることは逆に相談所より少なかった(ゼロじゃないけど)。

マッチングしてうまくいくにはある程度コツは要る。俺自身マッチングアプリも入退会繰り返してたけど結婚相談所辞めた後に再開したら思いの外うまくいった。相談所での経験が活きたんだと思う。

20代後半で初めてマッチングアプリに挑戦した時はなかなか好みの女性マッチングできなかったが、30代中盤になって再挑戦したら意外と可愛い子とマッチングできる。(ただし相手も同年代な。若い子とのマッチングは無理)

たぶんライバルイケメンたちが婚活市場から居なくなって、俺みたいなフツメン以下にも可愛い子が回ってきやすくなる年代なんだろう。

モテなくて悶々としてる20代も、30中盤まで待てれば可愛い子と出会える確率は上がると思うよ。但し年齢分、外見の洗練と心の成長は必要からな。待ってりゃ良いってもんでもないぞ。

 

 

 

結局結婚するまで8人の女性とお付き合いしたけど、実生活出会ったのは2人だけで、あとは何らかのサービスを使ってた。

内訳は

イベント型のお見合いパーティーが4人

相談所1人

アプリ1人

だった。特に30代になってからは身近な出会いが無くなったので重宝した。

 

振り返れば結婚に至るまでお見合いパーティーには40~50回は参加したし、マッチングアプリでも100人以上の女性いいね!を送り続けた。

お見合いパーティーの自己紹介だけで終わった相手カウントすれば、数百人の女性出会い続けた十数年だった計算になる。

アプリお見合いで数人出会っただけで上手くいかないと挫けている人がいたら、もっと断られ続けてた奴がいるぞと、励みになってもらえれば嬉しい。

 

出会いの数を増やすだけで上手くいくことはないし、トライエラーファッショントーク力も向上させる必要があるのは間違いない。

それでも諦めずに出会い続ければ、いつかは素敵な人と出会えると思う。

妻は同い年なので決して若くはないが、めちゃくちゃ可愛いし、精神的にも自立した素敵な女性だ(俺より学歴年収も高い)。

婚活中はつらいことも一度や二度じゃなかったけど、こんな素敵な女性出会えた自分幸運だと思うし、諦めず出会い続けた自分を褒めてやりたい。

あくまで俺の経験則なので異論もあるだろうが、最後ノロケで終わらせてもらう。

 

 

追記

思いの外伸びてるので驚いてる。

俺の表現が拙いせいで、相談所には変な人しかいないと誤解している人も居そうなので、少しだけ補足しておく。

 

個人としては相談所もマッチングアプリも、一定割合価値観の合わない人は居て、その上で、直接会う前にメッセージ交換できるのがアプリ最大のメリットだと思ってる。

例えばアプリプロフィールに「旅行が好きです」と書いている人に対し、「今まで行った旅行先でどこが良かったですか?」とメッセージを送ると「沖縄です!」みたいな一言回答しか返信しない人、めちゃくちゃ多い。どうやってコミュニケーション取れっちゅうねん?あとは一発目のメッセージからタメ口で送ってくる人とか。

こういう人たちは申し訳ないが直ぐに切っていたので、直接会った人の3倍はメッセージだけで終わった人が居る。

相談所でのお見合い通過率も大体3分の1程度だったので、価値観が合わない人の割合はだいたい一緒じゃないかな。

相談所も事前にメッセージ交換できる機能を付ければ悲しいお見合いの数も減って良いと思うんだけど、お見合い料で稼いでるところもあるから難しいんだろうな。

 

アプリでは少なくとも見た目なりプロフィールなりに興味を持ってもらえた上でメッセージ交換をしているはずなので、いつもメッセージのやりとりばかりで直接会えないっていう人は、「いい人は会ってくれない」と嘆くより、自分の送ったメッセージを見返して改善できないか考える方が建設的だと思う。

(中にはいいね稼ぎ目的男性もいるらしいから、あまり根を詰めると精神衛生上よくないと思うので、ほどほどに)

アプリが合う人、相談所が合う人、それぞれだと思うし、俺個人として相談所はあまり合わなかったという話でしかないです。相談所をディスってる訳ではないので、念のため。

 

 

あと、妻の年齢についてのブコメが伸びてるみたいだけど、トップブコメの人が言いたいことを補足して頂いてました。ありがとうございます

一点追加すると、相談所のブログなどで聞きかじった知識では婚活男性の中には年下女至上主義の人が結構居るらしくて、その人たちにも対して、同年代に目を向けても素敵な女性は居るよ、っていうメッセージを伝えたかったのです。それ以上の他意はありません。

 

追記2

費用モチベーションについて書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20210511220031

2021-05-09

逆に左翼人達は池江選手が何を変えられると思っているの?

始めに自分スタンスを明確にしておくと、オリンピックの開催は反対、もし反対を表明するアスリートが居れば非常に尊敬するし支持する。

でもアスリートに反対表明を求めるのは違うと思っている。

 

この件に関して左翼人達の反応が思っていたより酷くて驚いている。(勿論例外も居たけど)

殆ど陰謀論電通による工作と決め付けたり、CM政治家成る等のスポーツ以外の利益追求の結果だと勘ぐる人が居たり・・・・。

どうして大きい組織や権力者じゃなくて、立場の弱い個人攻撃するのだろうか、

全体の為に個人スポーツ人生犠牲しろ、と言うのは全体主義的だし、選手個人自由過大評価して彼女らの受ける批判自己責任還元してしまうのは極めてネオリベ的な仕草だと思う。

弱い個人への攻撃全体主義ネオリベ、それをあなた達は批判して来たのでは無かったのか、あなたは今批判対象と同じ事をしていないか、一度冷静に考え直して欲しい。

一方で「選手個人ではなく主催者であるIOCIPC、国、東京都組織委に五輪反対を求めるべき」と言う左翼の人も居て、安心した。正しいと思う。左翼全体が全体主義ネオリベに染まっている訳では無い。

 

ただやはり気になるのは「私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。」という池江選手ツイートに対する左翼側の批判だ。

「池江選手には影響力が有る、何も変える事は出来ないと言うのは嘘」といった批判が有る様なのだけど、「影響力」というのは抽象的すぎる。

具体的に何が出来ると想定しているのだろうか?

批判側が彼女に求める行動は簡単に分けて2パターン考えられる。

 

①池江選手五輪中止を実現できる影響力を持っているので、五輪中止の為に動くべき

②池江選手五輪中止を実現できる影響力を持っていないが、五輪中止の為に動くべき

 

この2パターンだ。

①の場合は一部の五輪賛成派から彼女自身バッシングを受けるかも知れないが、少なくとも五輪中止と言う成果を得られる。やる価値は有るかも知れない。

しかし②の場合彼女スポーツ人生に深く影響を与え、バッシングも予想される選択を迫っておきながら、五輪中止という結果も得られない、最悪のケースだ。

左翼人達が①と②、どちらの想定で、どちらを彼女に求めているのか、まずは自覚するべきだと思う。

彼女五輪中止に対する実効的な力を持っているのかいないのか、という問題彼女に行動を求める事の倫理的な是非を検討する上で非常に重要な事だ。

 

では、左翼人達は池江選手に何が変えられると思っているのだろうか?それを知りたい。教えて欲しい。

個人的には池江選手一人が反対を表明した所で、五輪の中止には影響しないと思う。

彼女には影響力が有る、でもそれは精々中立的国民が反対派へ傾く程度の影響力で、五輪の開催に実際に権限を持つIOC組織委や東京都権限者が彼女の反対で心を動かされる、なんて幼稚な願望に過ぎないと思ってしまう。

私の認識では国民は既に反対派が多い、それでも中止に至っていない五輪に、国民への影響力が特色のユニットが今更大した影響が有るとは思えない。

から私は「私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。」という池江選手ツイートは正しい現状認識だと思うし、だからこそ彼女に反対を求めるのは彼女にとって損しか無い選択を求める人権侵害では無いかと思う。

彼女批判する左翼人達は、そうではない、と言う事なんだろうか。

だとしたら、具体的にどういうシナリオ彼女五輪中止への影響を持つと考えているのか、教えて欲しい。

彼女IOC組織委の上位者達に言う事を聞かせられる権限なり能力なりを持っていると思っているのか、それとも彼女の反対の声で国民が蜂起し五輪を中止に追い込めるのか、

彼女のその影響力は彼女固有の物なのか、それとも五輪参加予定の選手なら誰でも五輪を中止させられる力を持って居るにも拘らず、全員が現状それをしていないのか。

或いはN人以上の選手が反対を表明する事で中止に出来るのか、その場合Nはどの程度の想定なのか、等々、具体的に教えて欲しい。

その内一部は、五輪開催に反対を表明したアスリートが現れれば検証できるだろう。五輪反対を表明するアスリートが出現したにも拘らず五輪が中止に至らなかったら、批判側の根拠棄却され、池江選手の「私は何も変えることができません」という想定が正しかたことが証明される可能性が有る。

もしあなたが今想定している「彼女に何が出来るか」が実際には正しくなかった場合の事も考えて欲しい。間違った根拠彼女に反対を求め、批判し、陰謀論や勘繰りをしていたとしたらそれはどれくらい非倫理的な行いなのか、もしあなた根拠が崩れた時はどういう手段で贖うつもりなのか、具体的に考えておいて欲しいし教えて欲しい。

「影響力が有る」なんて曖昧ぼんやりした表現で、反対を迫ったりそうしない事を批判するのは、池江選手自由を抑圧する行為で、倫理に悖る行為だと思う。批判するなら、彼女が何を出来るのか、具体的に想定し、それを表明してからでは無いだろうか?

 

 

追記

 

なんで「一人だけ」の前提なのかね。そりゃ一人だけなら変わらないでしょうよ。こういうのって同調者を募って大きいムーブを起こして変えていくものでしょ。その運動を起こす力を「影響力」と言っているのでは。

・・・・?「或いはN人以上の選手が反対を表明する事で中止に出来るのか、その場合Nはどの程度の想定なのか、等々、具体的に教えて欲しい。」と書いてありますよね?明らかに「「一人だけ」の前提」じゃないんだけど、なんでこのコメント成るの?

ドン引きなんだが、日本語読めてる?単純に馬鹿なの?それとも読んでないだけ?本当に怖いんだが、このレベルなの?ここの人って・・・・。それともこの人が特別馬鹿なだけ?流石にこれは無くない?

で、「その場合Nはどの程度の想定なのか」教えて欲しいんだが、大体で良いので。

 

風向きを変えられる/恐らく影響力のある選手が反対を示せば、それに追随する選手はいる。池江さんがそれをしないことは個人選択だと思うけど「なにも出来ない」ことは事実ではない。(「しろ」と言うかは別の話)

風向きって・・・曖昧過ぎない?それはどの位信頼性が有るものなの?「恐らく」って何?他の選手追随しなかったor追随しても何も変わらなかった場合責任はどう取るつもりなの?

悪いけど今私は池江選手へ反対を要求し、それをしない事を批判している人たちの話をしているんだわ、それは文章を読めば分かるよね?

他人本来個人選択である事を要求批判しておいて、その程度の信頼性で本当に問題無い認識なの?

聞きたいんだけど、それは他の件でも同じ考えなんだろうか?私は成るべくこの事を覚えておいて今後のあなたコメントを読むつもりだけど、今後どの問題についても同様の認識だと考えて大丈夫?訂正しなくて大丈夫ですか?

あと、私が聞きたいのは具体的なシナリオです。少なくとも他者の「個人選択」に要求批判するに足る程度の、実現性現実性を備えた具体的なシナリオです。

風向き」等と言う曖昧言葉では無く、具体的に誰辺りが追随する希望があり、それによってどういう影響が有って、最終的に中止に行き付くのか、教えて貰えますか?

ブコメでは足りないと言うなら、あなた確かブログやっていましたよね?文字数制限は無いですよね?

それとも、「ブログに書くかどうか」というあなたの「個人選択」だけは、池江選手のそれとは違って、要求されるべきでない不可侵権威を持っていたりしますか?だとしたら申し訳御座いません。謝ります

(一応書いておきますが、私自身のスタンスは池江選手場合と同様、あなたが書くかどうかも完全に自由です。仮にそれをしなかったとして、それを責める事は有り得ませんし、しない事はあなたの如何なる落ち度でも有りません)

一応、個人的には特に最終的にIOC組織委や東京都のどこの(もしくはすべて?)具体的などの権限者に届いて中止に至る算段なのかと言う点が特に曖昧だと感じています、その点を明らかにして頂ければ尚幸いです。

また、今後池江選手(又は他の選手)が反対を表明し、その結果として「風向きが変わらなかった」と言う結果が出る可能性は有ると思いますが、もしそうなった場合あなたがどういう風に責任を取り、或いは贖うつもりなのか(それとも贖いは不要と考えるのか)非常に興味が有ります

 

少なくともグレタの演説のあと、欧米化石燃料排除に動いた。#KutooもBLMも最初は少数の人間が始めたムーブメントだったろうよ。いつまで個人社会を切り分けてんだ?一人で諦めてろ。

欧米だったら意味は有ったかもしれないとは個人的には思うよ。(まぁ欧米だったら、この極めて日本的自己犠牲強制自粛要請”の様な)がそもそも通用し許容されたかは疑問だが)

しかしそれがIOC組織委や東京都に同様に適用できると思う?

こう言っちゃなんだけど、随分信用してるんだね、私は正直に言えばそこまで信用できない。何でそこまで高評価出来るのかが分からない。その評価は他の場でも一貫している物ですか?場合によって都合よく上下したりはしていない?

あと#KutooやBLMは告発者や発言者自身意志で行われるもので、他者から強制されたり要請される物では無いという認識なのです。間違っていますか?

「いつまで個人社会を切り分けてんだ?」は意味がよく分からなかったんだけど、非常に全体主義的な思想を感じさせる言葉なんだけど、自覚は有るのだろうか?

社会的な要請個人自由侵害できるという考えだとすれば、それは限り無く右翼思想に近いし、保守思想親和的だと思うんだけど、あなたあなたの個々の意見思想が実際には(自らの意図を離れて)どの様な意味を持ってしまい、悪用され、悪影響を与え得るのか、ちゃんと考えていますか?

最後に、「一人で諦めてろ」と言っている先は誰ですか?私はここで「池江選手が諦めている」話をしていますあなた意図如何に関わらず、その文脈上、「一人で諦めてろ」は池江選手へ向けた言葉として意味を持ちます

他者自己不利益になる行動を要求し、それをしない事を批判しておきながら、「一人で諦めてろ」とはどういう意味ですか?

一人で諦めている人にわざわざ口を出して自己不利益になる行動を要求し、それをしない事を批判しているのはあなた達でしょう?

あなたあなたの言っている言葉意味意味を本当に理解して書き込みをしているんですか?自分文章がどのような意味を(時に意図に反して)持ってしまうのか、本当に理解しようとしていますか?

もしそうでないなら、あなたあなた言葉の悪影響を制御する能力に欠けているし、その様な幼稚さに安住している限り、今回の様な倫理的バランスを取る事が難しく、常に誰かを傷付けたり蔑ろにしてしま危険を持つ問題言及するには適任ではありません。

言っている意味が分かりますか?あなた子供です(あるいは子供レベルです)、人を傷付け得るような場所では遊ばないで下さい、危険です。

2021-05-08

追記追記あり】オリンピック選手は辞退しなくていいけど人を死なせる覚悟を持て

主催者側も、マスコミも、なんなら選手たちだってさんざん「日本中勇気を与えたい」だの「被災地に元気を」だの「こんな時代からこそ明るい話題を届けたい」だの言ってたじゃん。

日本中に元気を届けられる影響力があるのなら、逆に日本中負の感情を届ける影響力だってあるでしょ。

オリンピック選手を見て元気になる人もいれば、「こっちは医療崩壊してんのに……」「せっかく自粛してるのに意味あんのかよ……」ってやる気なくす人だってたくさんいるよ。

もちろん五輪によって死ぬ五輪中止なら死なずに済んだ)人だっていっぱい出るだろう。

からって出場辞退しろとは言わないよ。

「いや私は日本中不快にさせてでも、死者が出ても、それでも出たいんです」って言うなら、それを抑える権利は誰にもない。

問題は、そこまでの覚悟があるのか?ってこと。

「いや私は言われたことをやるだけです。出場をどうこう言う資格は私にはありません」

って言ったその口で

「私のプレーで人々を元気づけたい」

みたいなことだけは口が裂けても言わないでほしい。それは卑怯すぎる。

ちなみにおれは会社員で、会社から言われるまま電車に乗って出勤してる。それによって感染拡大に貢献してるかもしれない。

でもおれは「私は出勤するかどうかを決められる立場にありません」とは口が裂けても言わない。だって俺には会社を辞めることも会社を休むことも何が何でもリモートワークにさせてくださいと会社に言うこともできるのだから自分意思で出勤を選んだのだから

自分通勤によってどこかの誰かが死ぬかもしれないが、それでも俺は出社する。なぜなら知らない人の命よりも自分の食い扶持のほうが大事から」という気持ちで出勤を選んだのだ。

池江璃花子選手がずるいのは、人を死なせる覚悟を持たずに、いいところだけ見ようとしてるとこ。

正直に「オリンピックのせいで誰かが死んでも、それでも私はオリンピックに出たい」って言えよ。そこまでの覚悟があるなら応援するよ(大会の開催自体には反対だけど)。

【ここから追記

お前だって論法

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%89%8D%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%AB%96%E6%B3%95

俺が卑怯なことと、池江選手無責任のことは何の矛盾もなく両立するよ。

言っとくけど俺は「アスリートは辞退宣言しろ」なんて思ってない。ただ「私は何も決める立場にありません」は嘘だろと言いたい。

オリンピック選手批判は本当に間違っているのか?

最初に断っておく。

今回の主題は「オリンピックを開催するべきか?」ではない。

いや、私はオリンピック開催には否定的なのだが、言いたいのはそこじゃない。

ここでは「オリンピック道義的問題があるときアスリート批判は間違っているのか?」について話す。

下衆の極み俺ら

池江選手ツイッターに長文を投稿したこと話題になった。

どうやら池江選手に「五輪出場を辞退して欲しい」とか「五輪開催に反対して欲しい」というリプライが届いて戸惑ったらしい。

おーけーおーけー。そりゃ確かに戸惑うだろう。

簡単に「じゃあ五輪辞退します!」とはできない。それだけ選手は多くのものを背負っているからだ。

この話題に対して俺らのアルピニスト 野口健が次のような投稿をした。



『下 衆 の 極 み』

凄まじい表現だ。普通は血の通う人間に向かってこんな言葉をチョイスしない。

アルピニストの強い怒りが感じられる御ツイートだが、ちょっと待って欲しい。

本当に五輪開催の有無についてアスリート意見を求めてはいけないのだろうか?

というかアスリート五輪開催について社会的責任を負うのではないだろうか?

少し考えていこう。

抗議のために試合を辞退した大阪なおみ選手

今回の報道を受けて思い出したのは昨年のW&Sオープンを辞退した大阪なおみ選手

彼女人種差別に抗議するために試合を辞退し、これを受けた大会側が正式人種差別に抗議することで一件落着となった。

当時も散々議論になった大阪選手のこの行動について強調しておきたいことが2つある。

ひとつは、これは大阪選手だけでなくバスケ野球など多くのスポーツ同時多発的に起きたムーブメントであること。

そしてもうひとつは、別に大会主催者人種差別を行ったわけではないということだ。

まり大阪選手を含むアスリートたちは「大会人種差別への抗議声明を出さないのは道義に反する」と考え行動を起こしたのだ。

もう少し視野を広げてスポーツの外も見てみると、このような話はたくさん出てくることがわかる。

例えば今年の3月に、グラミー賞会長女性蔑視発言人種差別的な審査基準理由に、3組のアーティストグラミー賞ノミネートを辞退した。

(元会長女性蔑視発言ときいて何かを思い出さずにはいられない)

主催者側に道義的問題があるとき参加者がその問題について黙っていていいのだろうか?

少なくとも海外アスリートアーティストは「No」だと答えるだろう。

沈黙したまま大会に参加するのは道義的問題肯定していると考えるからだ。

感染拡大におけるアスリート責任は?

森前会長が辞めたことで、女性差別という問題は(建前上の)解決となった。

寒々しい解決ではあるが解決解決。これで五輪に参加するアスリート差別加担者の誹りを免れることができた。

ならこれで万事OKだろうか?もちろんそうではない。

いま問題になっているのは五輪開催による感染拡大、つまり大会主催者側の人命軽視の姿勢

この感染拡大問題アスリートにとってより直接的な道義的責任が発生する。

なぜなら人々はあなたたちアスリート応援するために密になり、感染が拡大し、人が死ぬからだ。

アスリートはそのことをわかっているはずだ。わかっていて、しかし見てみぬふりをしながら大会に参加する。

そして、人が死ぬ

もちろんそうはならないかもしれない。

五輪開催時にはコロナはすっかり収まっていて、みんなで肩組んで国歌を歌いながら応援するかもしれない。

だがそんな馬鹿げた楽観論で行動するようならアスリート失格だと言わざるを得ない。

そもそもアスリートのための大会なはず

いまはすっかり寒々しい響きになってしまったが、五輪は「アスリートファーストである

建前上は頑張るアスリートのために五輪は開かれるのだ。

アスリートのための大会なのに、アスリート五輪開催について意見を求めるのが"下衆の極み"なのだろうか?

いつからアスリートはそんな特権的職業になったのだろう?

まだ幼い高校野球青年ならいざ知らず、いい大人自分の行動によって与える社会的影響について無知でいていいはずがない。

五輪あなたたちアスリートのために開催されるイベントだ。

そしてあなたたちアスリートには、海外アスリートがそう示したように、大会主催者を動かすだけの影響力がある。

その責任と影響力を認識しておきながら「自分たちはただ競技に集中するだけです」という態度は許されて、

アスリートにその影響力を行使して欲しいと願うことは"下衆の極み"なのだろうか?

私は"下衆の極み"だと切り捨てられた人々の気持ちがわかる。

もうすぐ90歳になる私の祖母はい東京に住んでいる。その東京にいま五輪という名の変異フェスがやってこようとしている。

それをなんとかして阻止したい。その気持ちが私には痛いほどわかる。

オリンピックは聖域

言いたいことは大体言ったので少し感情的なことを書き殴る。

ここまで読んでくれてありがとう。以下は読まないでもいいよ。

オリンピックのむかつきポイントは多すぎて何から言っていいかからないが、

ひとつには「オリンピックを聖域にしていること」が挙げられると思う。

私たちはこれまでどれほど「オリンピックから」と我慢を強いられてきたのだろうか。

オリンピックから」の一言で我々は楽しみを奪われ、ただ働きさせられ、汚職利権沈黙させられ、そしていま命までもが軽んじられている。

オリンピックを聖域にした結果がこれだ。

そして野口健の「最もやってはいけないのはアスリートにその刃を向けること」という発言も、その聖域の延長にあると私は考える。

はっきりいって、これがオリンピックでなかったら多くの選手が声を上げていたはずだ。

しかオリンピックからオリンピック特別しかたのないことだからアスリートは人命軽視にすら抗議しない。

それどころかオリンピック選手までもを聖域化して、それを批判する行為を"下衆の極み"だと断ずる。

アスリートがなぜそんな特権的地位にあるのか私は理解に苦しむ。

頑張っているから?頑張っていれば批判されない特権を得るのか?

ちがう。

アスリート経験的に、頑張ってさえいれば自分批判されにくいことを知っているのだ。

批判されないか五輪道義的問題があっても目を瞑る。

どうせ日本人馬鹿から始まってしまえば感動して自分たちを称賛するだろうとわかっているのだ。

だが、少なくとも私は、もしも五輪開催によって私の大切な人の命が失われたら、全てのアスリート軽蔑スポーツを強く憎むだろう。

追記(5月10日

読んでくれて、そしてコメントをくれてありがとう

上記文章最後に「全てのアスリート軽蔑スポーツを強く憎む」と書いたせいか

スポーツマンvsスポーツ苦手マンといった構図のコメントがついてしまった。

やっぱ軽率な書き方をすると良くないね反省

この構図は、当然ながら私が意図したものとは違う。

個人の話をするならスポーツは好きだ。素朴に体を動かすことを楽しいと感じる。

ではなく、私が言いたいのは「見る人に元気を与える」という名目の元で行われている産業スポーツ

それらスポーツに関わる者は本当に批判してはならない聖域なのだろうか?ということだ。

個人スポーツ好きだろうが嫌いだろうがそんなことはどうでもいい。

私は、普段は「見る人に元気を与えたい」などと吹聴しているアスリート

元気以外に与える自分の影響力には無関心であることを、たまらなく気持ち悪いと感じるのだ。

フリーランス舞台関係仕事をしている知人がいる。初めて任されたとても大きな舞台が5月末に予定されてたんだけど、中止になった。とても落ち込んでいた。ギャラは満額は難しいかもだが支払われるらしい。主催者側はその方向で調整してくれているということでまだはっきりとはわからないが。でも、お金だけの問題じゃないという。これまで彼が心血注いで頑張ってきた成果が何も世に出ないまま終わるのが1番辛いと。フリーランスとして活動し始めて初めての大きな仕事。ここで成果を見せれば次の仕事だって繋がる。なのにその道が断たれる。それはアスリートと一緒だ。アスリートのように常に表舞台に立ってわかりやすい成果をみなに示すことがないだけで、人生をかけているのは同じだ。知人のその彼だけでなく、舞台に立つ役者だってミュージシャンだって同じだろうし、自粛要請を受けて矢面に立たされている飲食店だって同じだ。何店かの店を経てやっと自分の店を持った店主さんを知っている。アスリートとの違いがどこにあるんだよ。だからアスリート攻撃しろって話じゃない。アスリートだけを擁護するなって話だ。飲食店役者ミュージシャンもそれを支えるスタッフもみんなそれぞれに人生をかけているのは同じだ。政府は何故それがわからないのか。そして「次はこれです」って政府差し出す悪役、「夜の街」とか「酒」だけにわかやすく石を投げるのか。次はい自分が石を投げられる番になるかもとは思わないのか。

池江璃花子五輪辞退を求めるリプを送るのと、ロックフェス主催者参加者アーティストを叩くことは何が違うのか

池江璃花子五輪辞退を促すリプライを送るのは極めて間違った行為だと思う。彼女を初めとした五輪選手もこのコロナ禍における政府自治体失策の明確な被害者だ。

その認識は多くの人が抱えている事だと思う。

ではその一方でこのゴールデンウィーク春フェス主催した会社や出演したアーティスト、恐らく大半のルールを守った参加者テレビ番組コメンテーターTwitter上で自称医療従事者に叩かれていたのは正しいのか?

フェス主催者もこの1年以上大きな収入を絶たれた、明確な被害者だ。そんな中でも次に繋げるために今回1年のブランクを経て、過剰な程の感染対策を敷いた上で開催に踏み切った。そしてその主催者の力になりたいと出演を決めたアーティストや参加を決めたオーディエンスを叩くのは池江璃花子を叩くのと同様にお門違いでは無いか

五輪を止めるために池江に辞退を促すことも、フェスの開催を批判するのも、元を正せば政府失策、無策が原因ではないか。どちらも正しいコロナ対応の上で、五輪の立て直しやフェス開催再開までの金銭補償があれば彼らが五輪フェスの開催に固執する事もなかったのでは無いか

勿論、スポーツ選手が最高のパフォーマンスを魅せれる時間は有限だ。しかしそれは同じようにバンドミュージシャンにも同じ事が言える。極めて近い境遇の2者なのに、どうしてこうも世間の声に差があるのか。

皆、池江のここまでのストーリーに同情して、彼女へのリプライを『間違っている』と言っていやしないか?それこそ『間違ってる』のではないか彼女白血病を患わず五輪代表選手になっていたとしても、彼女に辞退を促すリプライを送ることはお門違いも甚だしい。そして、1年間の自粛を経てやっとフェス開催に漕ぎ着けた主催者を批判することもまた、お門違いだ。

2021-04-28

妻がコロナ対策をしなくなりつつあって不安

妻の親戚にイベント主催者がいるんだけど、このGWにある屋内イベント実施しようとしている。妻もそこに行こうとしていて、緊急事態宣言中に行くことはないのではないか、と止めて喧嘩になった。そこまで親族のことが信用できないならいい、お互い勝手にすれば良いと言っている。

個人的に今回の変異種はこれまでと違ってやばいことになるのではと思っているし、知人の医師からも「今回はかかったらきついと思うよ」と言われているので、予定していた打ち合わせをまたオンラインに戻したり、一段と気をつけるようにした。

ただ妻は仕事関係者感染者が出てもそこまで気にしないようになって、マスクしてれば平気でしょという感じ。流石に飲み会とかは行っていないんだけど、同僚とランチ普通に行っているみたい。

今年の年明けくらいまでは同じくらい気をつけていたのに、ここ最近はそうでもなくなってきた。もし万が一なんかあった時、私は彼女を許せるだろうか。

自分ほとんど在宅ワークなんだけど、週に1回くらい別の作業場仕事に出てるくらい。あまり外出していないこともあって、家族以外の人と1時間くらいマスクなしで会話することも非常に怖くなってしまっている。今年の年明けくらいまでは妻も気をつけていたのに、ここ最近こういう感じで全然かになっているのが、非常によくない気がする。同時に自分もあまりビビっていわゆるコロナ脳っぽくなっているのも、すごくよくない気がする。

2021-04-25

もういやだこの政府

ただ吐き出させてほしい。

日本でのCovid-19のこの状況について、政府批判すると未だに「個人自粛がたりてない」「外出するやつばかりだ」と個々を責めるようなコメントを多々見るが、あらゆるところに見られる「自分我慢しているのに他人我慢してないのが気に食わない」という足の引っ張りあいが本当に嫌だ。

個人自粛でひろがりを大幅に抑えられるような時期はとっくのとうに過ぎている。政府が上から指示を出していれば、頓珍漢な策に税金を注ぎ込んでいなければ、もう少しまともな状況だったのではないか

例えば外出云々にしても、エッセンシャルワーカーでなくとも会社テレワーク許可してくれず、出勤をせざるを得ない人たちはたくさんいる(私を含め)。いくら国交省電車アナウンスで「ピーク時を避けた時差通勤や、テレワークをしてください」と言ったところで、あるいは都知事が「都外の人は都内に来ないでください、通勤を含みます」と言ったところで、大多数の一般社員アルバイト自分意思テレワークや時差通勤ができるわけがない。だって会社が出勤せよというのだからテレワークができる業種なのに、テレワークシステム自体この一年ですら作ってこなかった会社が、テレワークをさせてくれるわけがない。

ここで政府が「(雀の涙ほどではなくちゃんとした)休業補償を出します」あるいは「テレワーク推奨の補助をします」と言ってくれたのなら、今より(平日の)人出は抑えられるのではないか

休日のお出かけをしたい人たちを抑えるためにあらゆる娯楽施設を休業させ、酒類提供する店も休業させているが、それで本当に人出は抑えられるのか、といったら疑問が残る。これで政府からお出かけしないでくださいね、と言われても、この1年間の政府体たらくを見ていたら、協力するのが馬鹿馬鹿しく思えてしまう。ここで「だからそこで出かけるやつのせいでおさまらないんだ」と言う人は沢山いると思うが、それを個人のみの問題としてしまうのはいかがなものかと思う。政府責任を負わず、まるで個々の努力が至らなかったか感染が拡大しているのだと言わんばかりのお願いベース対策で、国民同士の対立煽り政府への批判を和らげようとしているのではないか

個人努力には限界がある。たまたま私たちが真面目に最初に協力したから、「要請だけだしておけば、お金を掛けずに人出を抑えられるはず」と政府はそれにあぐらをかいしまっているのではないか私たち従順ロボットではない。ここまで長引くと、みんな気晴らしがしたくなるのは当たり前のことである。それに加えて政府はお願いをした私たちに対して、自分達は会食したりとまったく誠実ではなかった。休日の人出を抑えたいのであれば、「休業補償をしっかり出し、五輪も中止します、宣言科学的根拠に基づきこれぐらいに感染者数が減ったら解除します、給付金も再度出します」ぐらい言わないと、国民はもう協力してくれないと思う。

そもそもその娯楽施設を無理矢理直前に休業させようというのもおかしな話ではある。映画舞台ライブフェステーマパーク美術、加えて最近は本まで、政府はこれを不要不急と位置付けてしまっているが、数年前までクールジャパンと宣って利用していた割にはひどい扱いではないか?そして何よりも腹が立つのは、これらを不要不急と切り捨て、関係者をあらゆる面で苦しめておきながら、五輪は開催したい、何故なら勇気を与えるからと言っているところだ。

私たちの生きる糧であり、出演者主催者などの生命線であった数々のイベントやお店自体を潰しておいて、自分たちの懐を暖める、世界に対して見栄を張れる(と思い込んでいる)五輪はやるというのが信じられない。

これを言うと、「では五輪のために賭けてきたアスリートにもそう言えるのか」と言ってくるのを何度も見かけたが、そんなもの芸術だって一緒であるアスリート五輪に出場するという夢のために長年やってきたように、俳優声優ミュージシャン、その他芸術関係者だって、今まで中止延期されてきた映画舞台ライブ等に、夢を叶えよう、ファンを喜ばせようと長い間費やしてきたのだ。それを観に行くファンだって、その日のイベントのために仕事を頑張っている人は少なくない、というかむしろ多いだろう。

加えて、大きめのイベントだと2回は日程や会場を五輪のためにどいてくれと言われているはずだ。それで日程も会場も譲って、なんとか調整してさあやるぞ、って時にいきなりまた中止せよと言われては、関係者が浮かばれない。

五輪の規模の大きさのために、他の娯楽が軽視されるのが腹が立ってしょうがない。規模がでかい方がより重要なんてことはない。そしてスポーツ愛好者と芸術愛好者で対立しがちになってしまっているこの状況を作っているのも腹が立つ。

1番政府に対して不信感を抱くもとになっているのは、五輪をどうしても開催したいと言っているのに、まったくもってCovid-19を抑えようというのが見えないところである。そんなに開催したいのなら、全力でCovid-19を抑え込もうとするのが普通ではないか?それなのに、いつもいつも目先の損益のことばかり考えて優先して、ちゃんとした対策をとっていないからこの1年間でなにも状況が変わっていない。1年前、go toに注ぎ込んだ無駄お金を、検査や休業補償医療機関への補填ワクチンの確保にまわしていたらこんなことにはならなかったのでは?と思わずはいられない。

こんなに医療疲弊して、ワクチン摂取率も低く、政府感染防止対策国民努力にほぼ頼りきりの国に、各国がアスリートを送りたいはずがないと思うが、このような状況でどうやって五輪をやるつもりなのだろうか。強行しても負のレガシーしか残らないと思うが、そこのところ政府はどう考えているのだろうか。

とりあえず、あらゆる業種に、コロナ禍を乗り越えられるだけの十分な休業補償が支払われますように。

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