最初に断っておく。
いや、私はオリンピック開催には否定的なのだが、言いたいのはそこじゃない。
ここでは「オリンピックに道義的な問題があるとき、アスリート批判は間違っているのか?」について話す。
どうやら池江選手に「五輪出場を辞退して欲しい」とか「五輪開催に反対して欲しい」というリプライが届いて戸惑ったらしい。
おーけーおーけー。そりゃ確かに戸惑うだろう。
簡単に「じゃあ五輪辞退します!」とはできない。それだけ選手は多くのものを背負っているからだ。
この話題に対して俺らのアルピニスト 野口健が次のような投稿をした。
池江さんご本人に「五輪辞退を求める」といった趣旨の投稿をした人たちは下衆の極みである。五輪開催の有無について意見があれば決定権のあるIOCや、また開催国、開催都市である国や東京都に向けるべき。最もやってはいけないのはアスリートにその刃を向けること。 https://t.co/9K6XDiHOSx— 野口健 (@kennoguchi0821) May 7, 2021
『下 衆 の 極 み』
凄まじい表現だ。普通は血の通う人間に向かってこんな言葉をチョイスしない。
アルピニストの強い怒りが感じられる御ツイートだが、ちょっと待って欲しい。
本当に五輪開催の有無についてアスリートに意見を求めてはいけないのだろうか?
というかアスリートは五輪開催について社会的責任を負うのではないだろうか?
少し考えていこう。
今回の報道を受けて思い出したのは昨年のW&Sオープンを辞退した大阪なおみ選手。
彼女は人種差別に抗議するために試合を辞退し、これを受けた大会側が正式に人種差別に抗議することで一件落着となった。
当時も散々議論になった大阪選手のこの行動について強調しておきたいことが2つある。
ひとつは、これは大阪選手だけでなくバスケや野球など多くのスポーツで同時多発的に起きたムーブメントであること。
そしてもうひとつは、別に大会主催者が人種差別を行ったわけではないということだ。
つまり大阪選手を含むアスリートたちは「大会が人種差別への抗議声明を出さないのは道義に反する」と考え行動を起こしたのだ。
もう少し視野を広げてスポーツの外も見てみると、このような話はたくさん出てくることがわかる。
例えば今年の3月に、グラミー賞元会長の女性蔑視発言と人種差別的な審査基準を理由に、3組のアーティストがグラミー賞ノミネートを辞退した。
(元会長の女性蔑視発言ときいて何かを思い出さずにはいられない)
主催者側に道義的な問題があるとき、参加者がその問題について黙っていていいのだろうか?
少なくとも海外のアスリートやアーティストは「No」だと答えるだろう。
沈黙したまま大会に参加するのは道義的問題を肯定していると考えるからだ。
森前会長が辞めたことで、女性差別という問題は(建前上の)解決となった。
寒々しい解決ではあるが解決は解決。これで五輪に参加するアスリートは差別加担者の誹りを免れることができた。
ならこれで万事OKだろうか?もちろんそうではない。
いま問題になっているのは五輪開催による感染拡大、つまり大会主催者側の人命軽視の姿勢だ
この感染拡大問題はアスリートにとってより直接的な道義的責任が発生する。
なぜなら人々はあなたたちアスリートを応援するために密になり、感染が拡大し、人が死ぬからだ。
アスリートはそのことをわかっているはずだ。わかっていて、しかし見てみぬふりをしながら大会に参加する。
そして、人が死ぬ。
もちろんそうはならないかもしれない。
五輪開催時にはコロナはすっかり収まっていて、みんなで肩組んで国歌を歌いながら応援するかもしれない。
だがそんな馬鹿げた楽観論で行動するようならアスリート失格だと言わざるを得ない。
いまはすっかり寒々しい響きになってしまったが、五輪は「アスリートファースト」である。
アスリートのための大会なのに、アスリートに五輪開催について意見を求めるのが"下衆の極み"なのだろうか?
まだ幼い高校野球の青年ならいざ知らず、いい大人が自分の行動によって与える社会的影響について無知でいていいはずがない。
そしてあなたたちアスリートには、海外のアスリートがそう示したように、大会主催者を動かすだけの影響力がある。
その責任と影響力を認識しておきながら「自分たちはただ競技に集中するだけです」という態度は許されて、
アスリートにその影響力を行使して欲しいと願うことは"下衆の極み"なのだろうか?
もうすぐ90歳になる私の祖母はいま東京に住んでいる。その東京にいま五輪という名の変異株フェスがやってこようとしている。
それをなんとかして阻止したい。その気持ちが私には痛いほどわかる。
ここまで読んでくれてありがとう。以下は読まないでもいいよ。
オリンピックのむかつきポイントは多すぎて何から言っていいかわからないが、
ひとつには「オリンピックを聖域にしていること」が挙げられると思う。
私たちはこれまでどれほど「オリンピックだから」と我慢を強いられてきたのだろうか。
「オリンピックだから」の一言で我々は楽しみを奪われ、ただ働きさせられ、汚職と利権に沈黙させられ、そしていま命までもが軽んじられている。
オリンピックを聖域にした結果がこれだ。
そして野口健の「最もやってはいけないのはアスリートにその刃を向けること」という発言も、その聖域の延長にあると私は考える。
はっきりいって、これがオリンピックでなかったら多くの選手が声を上げていたはずだ。
しかしオリンピックだから、オリンピックが特別でしかたのないことだから、アスリートは人命軽視にすら抗議しない。
それどころかオリンピック選手までもを聖域化して、それを批判する行為を"下衆の極み"だと断ずる。
アスリートがなぜそんな特権的地位にあるのか私は理解に苦しむ。
頑張っているから?頑張っていれば批判されない特権を得るのか?
ちがう。
アスリートは経験的に、頑張ってさえいれば自分が批判されにくいことを知っているのだ。
どうせ日本人は馬鹿だから始まってしまえば感動して自分たちを称賛するだろうとわかっているのだ。
だが、少なくとも私は、もしも五輪開催によって私の大切な人の命が失われたら、全てのアスリートを軽蔑しスポーツを強く憎むだろう。
上記の文章で最後に「全てのアスリートを軽蔑しスポーツを強く憎む」と書いたせいか、
スポーツマンvsスポーツ苦手マンといった構図のコメントがついてしまった。
私個人の話をするならスポーツは好きだ。素朴に体を動かすことを楽しいと感じる。
ではなく、私が言いたいのは「見る人に元気を与える」という名目の元で行われている産業スポーツ。
それらスポーツに関わる者は本当に批判してはならない聖域なのだろうか?ということだ。
個人がスポーツ好きだろうが嫌いだろうがそんなことはどうでもいい。
選手は平社員だから逆らえない、止める権利もないとかいうけど、 一般の労働者だって、労働組合を組織して、経営者の不当な扱いには抗議してきたんだから、 オリンピック選手もそう...
満員電車乗ってる時点でそいつも加害者側だし説得力ないだろ
いまから組合を組織するの?
平社員ではなく高度プロフェッショナル人材なんだよね ホワイトカラーエグゼンプションという高度プロフェッショナル制度が ブラック企業の温床と批判されたように アスリートファ...
正直反五輪派に憎まれたところでアスリートやスポーツマンは屁でもないんだよな だってスポーツをすることの利点が現代社会で大きすぎるんだよ ・幼少期は学校のヒーローになり自...
どれもオリンピック選手には時期過ぎてるから関係ないやん
話を広げるつもりはないけれど、 感染拡大に加担するかもしれないイベントや事業、ひいては経済活動全般。 同根の問題がある。 オリンピックは象徴的な問題。 象徴化されて、その...
自国のワクチン普及できてないのに世界中から人呼び込もうするイベントやってる国なんてないからな
俺もオリンピックはさっさと中止になるべきだとは思っているけど、それでも競技に人生かけているような選手の人達は社会正義がどうとか関係なく開催を望んでも良いとも思うよ。 ス...
飲食店については給付をしっかり迅速にするべきだがな。
金儲けできない競技に人生や生活賭けるなよ
選手がオリンピックをするべきではないと発言することとそのように発言することを周りが強要することには雲泥の差があるんだが?
こういう変則ロジックで相手をカタに嵌めて何が楽しいのかわからない 相手が困るだけで何のメリットもない
お前そもそも最初からスポーツを憎んでるじゃん ずっと苦手だったもんなぁ、バカにされるしさ 仕返しのいい機会だもんな、徹底的にやろうぜ 俺達で革命を起こそうよ、今こそ立ち上...
中止や無観客化されたライブや舞台と 差の付け方がえげつないよね 同じエンタメなのに