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2018-05-23

諦めることも生きるうえでのヒント

アルピニスト野口健は、産経新聞書評2014年、次のように言った。

弱者勇気栗城史多著 生きる上で多くのヒント

https://www.sankei.com/life/news/141018/lif1410180018-n2.html

10年ほど前の出来事だが、僕の元に一人の青年が訪ねてきた。「野口さん、エベレスト単独酸素で登りたいのです」と。短い時間であったがピン!と感じるものがあった。これまでにも何人もの青年たちが僕に同じような事を伝えに来た。しかし、彼らの多くは僕に宣言した目標のごく一部を達成したところで満足してしまったのか、または就職活動といった現実に背を向ける勇気もなかったのか途中で放り投げてしまう者ばかり。だったら最初から僕に宣言などしなければ良かったのに。

https://www.sankei.com/life/news/141018/lif1410180018-n2.html

栗城氏も三度(みたび)エベレストに挑戦し、いまだに登頂は成し得ていない。前回のエベレストでは遭難し手の指を9本凍傷により切断。登頂できない彼に対し誹謗(ひぼう)中傷は酷(ひど)かった。「下山家」とも罵(ののし)られた。

僕は世の中の応援に対し時に「無責任だなぁ~」と感じる事もある。応援する側の多くは何となく応援している。そして結果がでないと時に梯子(はしご)を外したかのように批判に回る。そんな風潮の中、途中で夢を諦(あきら)めていく若者も多い。

しかし、栗城氏は指の大半を失いながらもエベレスト単独酸素を諦めていない。今夏、彼は8千メートルであるロードピークに無酸素単独挑戦し見事登頂を果たしたのだ。初めて彼と会った時に「この青年は違う」と感じていたのは間違いではなかった。来年、彼は再びエベレストに向かう。「弱者勇気」、この彼のメッセージには生きる上でのヒントが多く込められている。

彼が亡くなった今、なにかを成し遂げずに途中で中途半端に放り出して、諦めることができること、ここにこそ、生きるヒントがあるように思う。

諦めずに続けるには、それが好きで好きでたまらいか、よほどの才能が必要だと気がついたのは最近のこと。

責任感が弱く根気がなくて、何事も続かなくて、業績もぱっとしない。やばいと思ったらすぐに逃げる。助けを求める。無理をしない。一人で頑張らない。

組織では、こういう私は全く評価されないだろうが、限界以上のことはしない。自分なりのポリシー再確認した。

2017-11-08

anond:20171108000955

野口健氏は熊本地震被災地支援に、テントのほかにありったけの「アイマスク耳栓」を持ち込んだらしい。

ここ一番の時、しんどい時、大事な時は睡眠の質が本当に大切。

2012-06-05

KU・・・空欄埋めてくれ

KA・・・こいつらアホか

KB・・・狂ったボウリング

KC・・・海馬コーポレーション

KD・・・高校デビュー

KE・・・これはエロイ

KF・・・クソみたいな回だったな今回の古畑任三郎

KG・・・カラテガール

KH・・・これはヒドイ

KI・・・2の10

KJ・・・キロジュール

KK・・・桑田真澄清原和博

KL・・・

KM・・・

KN・・・木の実ナナ

KO・・・固めのおっぱい俺の嫁さん)

KP・・・かっぱえびせん

KQ・・・京急久里浜行き

KR・・・

KS・・・

KT・・・テツヤコムロ

KU・・・空気薄くなってる

KV・・・

KW・・・

KX・・・今日Xデー

KY・・・空気読めない

KZ・・・

追記:

6/5KE追加しました。KN、KP、KU、KX、追加しました。KB、KF、KO、KQ変更しました。

皆々様、クソみたいな暇つぶしのお付き合い、ありがとうございます

今のとこ一番おもろかったのは「空気薄くなってる」です。多分、アルピニスト野口健が山頂付近ツイートした時に使うのでしょう。

野口健 ‏@kennoguchi0821

ヒマラヤ山頂付近なう。凄くKU。

でも、もう飽きかけてるし、データが全部飛んで暇じゃなくなったので更新しないかもしれません。死ぬ

KX・・・狂ったミスターXに「猿君、紅蜂さんは実はヤリマンだよ」と聞きたくない情報をムリヤリ与えられる罰ゲーム、はめっちゃ面白かったけど俺にとっても罰なんで不採用です。

2011-09-10

鉢呂氏発言「死の町」

鉢呂氏発言についていろいろ思うことがあり筆をとります。

今日新聞テレビなどメディアで鉢呂氏が福島県「死の町」と発言し首相が不穏当な発言と非難し引責辞任をしたと報道された。

僕のツイッターTLでもおおむねその意見同調する方が多く思えた。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201109100180.html

引用) 鉢呂氏は8日、首相とともに原発周辺地域を視察。翌9日の記者会見で「残念ながら周辺市町村市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」と発言した。

確かに「死の町」という言葉ショッキングだ。

しかし、間違っているんだろうか?

僕が登山家 野口健氏が福島原発周辺を取材したブログを見たときの印象は、どちらかというと鉢呂氏の「死の町」との表現に近いものだった。

野口健ブログ http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52166029.html

それまで生活があった町から人が消え、今後何十年にもわたって住めなくなってしまった。チェルノブイリのように健康への懸念もある。

ゴーストタウンになった町をその目で見て、これからも住めないと思うと「死の町」という表現を使ってしまうのもわかる。

引用)鉢呂氏は福島第1原発事故を受けたエネルギー政策の見直しを所管しており、事故対応政権の最優先課題に掲げる野田首相は早急な態勢立て直しを迫られる。停止中の原発再稼働をめぐる地元自治体との協議にも影響を与えそうだ。

そしてこれだ。

鉢呂氏は経済産業相で、エネルギー政策の見直しを所管していた。

その人物が実際に福島の現状を見てその絶望的状態を認めたともとれる発言をした。

それに対して首相が「不穏当」と言ったのであれば?

まったく意味が変わってくる。

もし鉢呂氏が原発について絶望的な状態を認めたとしたら、今後のエネルギー政策は大きく変わる。少なくとも原発推進を進めることはしないだろう。

これは脱原発を望む世論に沿ったことなんじゃないだろうか?

それに首相は「不穏当」と言った。

引用)また視察後の8日夜、都内で報道陣の一人に防災服をすりつけるしぐさをし、「放射能うつす」という趣旨の発言をしていたことも分かった。

これにしたってツイッターから情報で真偽は今の僕にはわからないが

記者の発言への抗議との情報もある。

ツイッター発言より引用

鉢呂発言。記者が「福島放射能ついたままですか?」と質問して、それに対して抗議した大臣が、「それがどうしたんだ?放射能つけてやろうか?」と怒ったという話がある。もしそうならば、記者差別発言で、鉢呂さんは、それに抗議したということになる。

本当に糾弾するべきは鉢呂氏だったんだろうか?

本当は野田首相こそ糾弾するべきでは?

そして

もっとも糾弾されなければいけないのはショッキング言葉を捕まえ、その発言の真意を深く追求することなくスキャンダラス報道するマスコミではないだろうか?それをそのままうのみにする我々国民ではないだろうか?

こんなもの自民党時代の「漢字が読めない」「夜はバー」などと政策と関わらないところであげ足をとる報道と一緒だ。

ツイッターでは震災以降、いや尖閣以降政府マスコミによる隠ぺいだの情報操作だのに対する怒りが多く聞かれる。

でもこれだってマスコミによる情報操作じゃないのか?

それをそれを喜んで享受し一緒になって叩いてるんじゃないのか?

ふざけるな!

2009-12-25

アルピニスト野口健ブログ

ttp://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51367789.html

そして何よりも残念な事は日本首相日本国民外交の場でけなしたことです。

 ブルネイ国王に「税金を払うぐらいならば日本国民が国を捨てたがるだろう」と言ったに等しいが、なるほど、鳩山氏のその発言は偽装献金問題にまで繋がってくる。母親から毎年1億8000万円の資金提供が判明しているだけで6年間続いた。約9億円。偽装献金に使われたのは母親から提供された資金であったとされている。同額が弟である邦夫氏にも渡っていたとされるが、由起夫氏サイドはあくまでも「貸付だ」と説明。それに対し弟の邦夫氏は「最大限の贈与税を払い、私の責任のつけ方としたい」と事実上認めた。また責任の取り方として党の役職を辞任された。

 贈与税を払いたくないための虚偽記載、つまり悪質な脱税行為が行われきた可能性が徐々に明らかになってきたわけですが、あのブルネイ国王に対し「税金を払うぐらいならば日本国民ブルネイに移住したいと考える」と発言したあの言葉に対し

日本国民ではなく、鳩山首相、あなた自身の心の声ではなかったのですか」

と私は問いたい。

I left a woman to die on Everest

この間の富士山遭難事故について。3人で登って1人だけ生還した。

それが想像できない立場にいる人からは、彼らがどんな状況に置かれていたのかを、想像することも、理解することも出来ないのだろうと思う。

もちろん、片山さんが悪いわけじゃない。彼は、生き残れる力はあったが、助ける力はなかった。単にそれだけだ。

例えば、踏み切りで脚をとられた人がいたとして、どの瞬間まで人は助けに出るだろう?

それが知り合いだった場合、どれだけの決断が必要なんだろう。責めないで欲しい。


今回の事故で思い出した記事がある。

標高の高い山で遭難に遭うと、死体は地に帰らない。ずっと、永遠にそこにある。

世界最高峰エベレストには50年間で3800人以上が登頂し、200人以上の方々が亡くなっている。

死体は、回収されるまでそのままにある。登山者たちはその死体を横目に登頂を目指す。

Everest + body」で検索してみればいい。登山服を着た日焼けした死体に出会うだろう。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-451798/Everest-climber-returns-mountain-bury-woman-forced-abandon-9-years-ago.html

1998年、イアンはエベレスト登頂を目指していた。

頂上まで背負える空気ボンベは1本。約1時間分のエアになる。

急いで登らないと登頂はおろかキャンプまで下山することもできない。

"Please don't leave me."

8000m付近で遭難して動けなくなっている女性がいた。彼女自分がここで死ぬことを知っているようだった。

イアンは、登頂を諦めて空気がなくなるまでのあいだ、彼女の傍にいてからキャンプに戻った。

それは、彼女最後の言葉となった。

人は死んだら、ただの物体になる。Manとbodyは類義語ではない。生命が抜け落ちている。

それからずっと、イアンは彼女のことを忘れることができなかった。

2007年彼女を引き取りに行くまでの間、彼女の体は、9年間もの間、登山道の傍で置き去りとなって太陽の光りを浴びていた。


人間死体は、登山者にとってはとても運べる代物ではないのだ。

野口健エベレストゴミ回収を始めた時、それより死体回収をやって欲しいという声もあったそうだ。

特に、締める言葉は用意していない。

生きてリスクを冒せば、成功することもあれば、失敗することもある。その場を生き延びる人も、死ぬ人もいるけれども、100年後にはみんなゼロになってる。

わたしたちは限られた時間の中にいて、死ぬ前の時間を生きている。誰かと一緒にいて、どちらかが死んでしまったとしてもそれはあなたのせいじゃない。

ただ、悲しい出来事があったというだけだ。

危険なことは避けるべきだと思うかもしれない。でも、それは本人が決めるべきことで、他人が気を揉んでもしょうがない。

一回限りの人生だから、何をして生きるかは自分で決めたらいい。だけど、できそうなことに挑戦していくしかないんじゃないかな。

 
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