はてなキーワード: バッヂとは
開いてみるとこうだ。
mrgafaceoさんがあなたのブックマーク([B! 20213…)に☆をつけました
B! 1時間前
「これはどのブクマエントリーだろう」とクリックすると「2021301に関する id:my さんのブックマークはありません」などとしか表示されない。
よく見てみるとリンク先が https://b.hatena.ne.jp/my/2021301#bookmark-4699183376463334786 などとなっている。
「2021301」…ここが20210301と書くべき間違いなのである。
最近このパターンが多い。ようするにこれは自動操作によるスパムスターで、そのプログラムにつまらない誤りがあるのだ。
もう1段深堀りしてみよう。
スパムスターの贈り主「mrgafaceo」なるユーザーを見てみると「ブックマーク数2、お気に入りユーザー数500、お気に入られ6」…ついさっき生まれたばかりのよちよちユーザーであるにも関わらず、お気に入りが限界突破前カンスト値の500人に達している。
主題に立ち戻るが、このような実体のないアカウントにスター、それもタダスターをもらって嬉しいだろうか?
お知らせアイコンにバッヂが付いた!開いてみるとはてなスターだ!嬉しいなあ!ああ嬉しいなあ!承認欲求!承認欲求!承認欲求!承認欲求!……
――でもそれスパムなんですよね~
一緒にいる相手がいい気分でいられるように自分を改善する、っていうのは言うほどカンタンじゃない。
普通はそういう心の動きにはならない。人は私利私欲のために努力をするものだし、そのこと自体は別に何も間違ってないんだけど、増田はそんな普通のラインから先へ、抜きん出ている。
セックスできる愛玩動物、ってワードチョイスに人の良さは表れてる。
イケメンの境遇を明かすことで読む人を畏怖させないように、あえて卑屈っぽい言い方をしているんでしょう。
本当にミソジニー…女性さげすみマンだったなら女性を鬱憤を晴らすモノとして、あるいはトロフィーやバッヂのような道具とみなすはず。
でも邪悪を装うときにさえ、「愛玩動物」——“愛すること”が前提として入ってきてる。根っこの善良さは漏れ出てしまうものだ。
ともあれ、贅沢な悩みだろうと悩みは悩み。増田の心境は切なそうだ。
考えたんだけど、女性たちが増田のどういう面を好きなのか、愛しているのか、を聞いてみたらどうかな。文章を通して俺が読み取ったより多くを、きっと女性たちは知ってる。
彼女たちが予想に反してミサンドリー… 男性さげすみウーマンで、内面なんて無視して単に性的な道具かあるいは救済を提供する装置として増田を都合よく使っていたならば、それは、良くないこと。
ひどい扱いを許容していると、だんだん自分自身が削られていく。性的に充足していても心を犠牲にしてるなら幸せは遠くなってしまう。
プライドを取り戻して、自分を大切にして欲しい。たとえ一時的につらい別れを伴ったとしても。でもいつかのある日に、増田を大切にしてくれる誰かをみつけられたなら、きっとその子を好きになれると思う。そのとき恋愛はまた動き出すんだ。
もしいま付き合ってる女の子たちが道具としてじゃなく、人間として増田にちゃんと向き合っているのなら、気持ちを言語化できるはずだし、それは増田の幸福の実感にも繋がる。
謙虚さが高じて過小評価してしまっている増田の人間性を、女性たちの目を通して見ることで、再評価できる。自分の気持ちの重みを感じることが再びできるようになる。増田はその権利を持っていると思う。
セックスと愛のリンクを取り戻して。セックスについて何か言うことはイコール人生の立場からは釈迦に説法だからできないけど、愛なら言えることがある。人を愛するとは目の前の相手に全面的に・真剣に向き合うこと。私見だけどそう思っている。この視点が使えそうなら幸いだ。差し出がましかったらゴメン。幸運を祈る。
その中でも『7年前の本が欲しい!』と似たような体験をし、そこから一種の敗北を味わったのでツラツラと書こうと思う。
まだまだ生意気なJCからJKに上がる直前の冬に、友人Yととある特撮の本を作った。
彼女はキャラの心情を書くのとオリジナル要素を混ぜるのが好きな物書きで、ある意味悪癖なそれが一種の作風になっていた。
20ページもない本をひーこら言いながら作って、とある雑誌の片隅の同人誌作りましただったか売りますだったかのコーナーに投稿して、載った事にはしゃいだ思い出がある。
売れなかったが。
その雑誌の情報から、まさか問い合わせしてくるとは思わないだろう。
平成初期の特撮だ。今でもファンは多いが、本を出すほどの情熱家はさすがに居ない。と思う。探してないけど。
JCの頃に書いたコピー本だし、本文は違う人の物だから私にはどうしようもないと返すと、どうにかその人とは連絡が取れないかと食い下がってくる。
そこまで欲しいならと私はYに連絡を取ってみることにした。
連絡がつかなかった。
携帯のメアドは変えているだろうから、連絡が着くまいと思い電話をしたのに、携帯の番号が変わっていた。
仕方ないのでご実家に掛けるとYのお母さんが出て、
「結婚して家を出て、今は関東にいる。だがいくら親友だったあなたでも、あの子が連絡先を教えてない人に勝手に教えるわけにはいかない。申し訳ない」
ととりつく島もなく切られてしまった。
厨二全開の彼女は、お人好しというか素直すぎるバカというか面倒見の鬼というか、いややっぱり騙されやすいバカと言おう。
とにかく騙されやすいので、借金の保証人にもホイホイなりそうだとは思っていた。お母さんもそれを警戒したのだろう。わかる。だってあの子はバカだ。
しかし、バカでも結婚しているとは。オタクはいつの間にか卒業して、マトモになったのか。
それはそれで悲しいな。騙されてないといいな。と思いながら、彼女と同じく厨二全開だった友人Tに連絡をしてみた。
仕事もバリバリ出来て同人活動もガッツリしているせいで、彼氏と長続きしない(告白してきながら活動を理解しない相手が悪い)私とは違い、なんか愛を育んでいた。しかも旦那と2人FG○重課金者。なんだその理解あるどころか同士の旦那は。ずるい。私も理解して欲しい。シレッとフレコ交換した。二人とも強かった。
まぁそんな彼女はYと大親友だった。当時は険悪だったと本人は言うが、私からすれば当時から互いを嫌悪しながらも理解して、何かあったら背中を任せるくらいには信頼してる関係だった。例えるなら蒼い槍兵と赤い弓兵の関係だ。
だから連絡しているだろうと思ったが、彼女も連絡先は知ってるが連絡はしていないという。
しかし、問い合わせの本は大事に保管しているので、スキャンして送ってくれることになった。お前がおけパだ!感謝しかない。
問い合わせた人にも連絡して、問い合わせの本の話は終わった。
友人二人の結婚に若干の敗北感を感じつつも、良かった良かったと思っていたら、特大の感想文がきた。
これは、Yに送らねばならない。(使命感
しかし。Yとは連絡がつかない。
Tに事情を話したら、彼女経由でなんとか直接Yと連絡が取れた。
緊張しながらYにメールする。だって相手はオタクを辞めた(と思われる)のだ。ここでこちらがオタク臭のあるメールをして「その歳でこんな文章しか書けないの?」とバカにされたくない。
なんせ彼女は、バカだった。私が面倒を見てやらねばならない友人だった。
服はスーパーの服飾コーナーで買ったような適当な物。髪はいつもボサボサポニテ。ダサい眼鏡に小太りの小動物。それが私の中の彼女だ。
まぁつまり、完全に見下していた。
結婚しても、どうせ悪い男に騙されて言い様にこき使われてぼろ雑巾になってる事だろう。私が別れさせて、更正させてやらねば。だってバカだし。なんて酷いことを思っていた。
メールには、過去の本とはいえ無許可でコピー本を相手に送付した事の謝罪と、その感想がきていたことを伝え、全文を載せた。そして少しだけ自分の近況を伝えた。
それに対する返信は、少しだけ砕けた感じはあったが、れっきとした社会人の返信で、そこでまず頭を殴られた。
彼女からも近況があり、子供がいること、まだオタクをしていて、本まで出していたこと。
LINEしてるのでよければとあったので、即友達申請を送った。送ってから社交辞令ではと思ったが、彼女からすぐに受理されて、FG○スタンプで挨拶された。そこから色々話した。
確認すると二次小説はブクマしてた。心臓が止まった。数ある中でも超好きな設定の奴だったからだ。
一次小説はエタってたので続きはよぅ!と急かしておいた。まだ読んでないが、きっと面白い。
二次小説もプレイ終わってから続きを書くと書いてあったのに半年経っていた。急かしたらこちらはもう書かない関わらないと断言された。何とか頼み込んで、くっつくとこまでは頑張ると言質を取った。
布教されたゲームの二次小説も書いていたので三話まで読んで、ちょうど半額セールしてたので即買った。
国民的ゲームとマイ○ク○フトのシステムが合体したゲーム。連休中にクリアして続きを読もうと思う。
小説は、昔と同じようにオリジナル要素をうまく混ぜて、より面白くしていた。その作品をよく愛し、調べ、必死に設定を考えなければこうはならない。本人は言わなかったが、きっと昔と同じように必死に設定ノートを作ったのだろう。
同人作家として負けた。と感じた。
そして旦那の話を振ってみると、待ってましたと言わんばかりに惚気られて、子供自慢もされた。ポケ○ン新作のバッヂ七個取る幼稚園児ってすごいな。さすがに親の育成手伝いはあると思いたい。
ともかく話ぶりから騙されて居ないし、旦那さん理解あるどころか同レベルのオタクで楽しそうだというのは感じた。
女としても負けてる。いやいや、結婚が幸せとは限らないし。いま私も幸せだし。と強がってみたが独り身さみしい。一緒にゲームしてくれる彼氏欲しい。
とりあえず、ゲームを終わらせて小説を読みきったら、彼女の本を買おうと思う。
散々見下していた人間が言う台詞ではないが、私は彼女の小説のファンなのだ。
じゃなかったら、あれだけ厨二全開の小汚ないオタクだった彼女に本を作ろうなんて声をかけていない。
と書いていたら、Yから旦那に出会った当時の写真が送られてきた。
何とか写真はないかせがんだ結果、最近はないが昔なら。と渋々出してくれたものだ。
最後に出会った成人式ではまん丸で、白い着物も相まってマシュマロなんてからかった。
写真には、ほっそりした脚に黒タイツをはいた、膝丈スカートにふわふわのブラウスをきた、こじゃれた眼鏡の丸顔の女の子がいた。
別人だった。
二十歳当時の精神的DVしてくる彼氏が浮気してたことで別れてから、ストレスが減ってがっつり体重が落ちたらしい。待って。情報が多い。
当時に彼氏が居たことにも驚いたが、朗らかに笑いつつもあの裏にはDV受けてたの?しかも浮気されてたなんて。解放されて良かった。本当に。そこから今の旦那さんに出会えて本当に良かった。
今は育児疲れでボロボロらしい。せめて眼鏡の写真をとせがんだら、送ってくれた。いい人過ぎないか。しかもこじゃれてた。子供に曲げられても大丈夫な眼鏡らしい。すごいな。
ここまできたら自分はもはや矮小な人間としか思えなくなってきた。
そんな彼女は言った。ジャンルが合えばまた本を出したいね。と。
私の返信はこうだ。
つまりはまぁ、
見下していた相手が
ボロ負けした喪女の話
ノベルティーグッズでわりとよくあるのがバッヂだ。もらうと嬉しい。好きなキャラのならもちろん喜んで買う。買うのだが、着けどきがわからない。だからいっぱい持っているのに使われないままのがほとんどなのだ。
ステッカーならまだ使える。車のガラス、PC、アタッシュケース等々色々な所にはれる。バッヂも、子供のころだったら、服や帽子やカバンへ気軽に着けていた。でも私は大人になってからはブローチ以外のものを服に着けるのをちょっとためらうようになってしまったのだ。誰も私などに注目しているわけじゃないことはわかっているけど、やっぱり恥ずかしさが先に立つ。
じゃあカバン、ということになるのだけど、安くない値段のカバンにブザっと針を刺すのはちょっとつらい。今は遊び用のリュックにそっと着けているけど、リュック自体の出番がめったにない。じゃらじゃら着けると重くなるからせいぜい3つくらいしか使えない。
・この増田がフェミさんや女性の意識がわかりにくいとおもっている
と仮定して、(女性だったらセクハラになりかねないのでこの先よまなくていいですが)
ちんこの包皮のかぶり具合への健康への影響が今の1万倍以上でかかったとして
「今日包皮の調子が悪いから休みます」が学校や職場にまかり通って欲しい人と
そうでない(全く包皮に不調がない)人が一緒にくらすとしたら
ちょっとややこしいことになるのはわかるだろう。
修学旅行の風呂場で毛の生え具合剥け具合を隠すのにタオルをかぶせるかどうか、悩んだ時期があったはずだ。
そしてもっと深刻な悩みがあったとして女性ばかりの医者や学校の担任の先生にいおうか、いってなんらかの救済が発生するかも定かではないとする。
そういうときにデパートの下着売り場やら髭剃り売り場やらが率先して包皮不調バッヂをつけてくれた。
助けになるかどうかは社会の成熟具合によるからだれも一意に決められない。
どうやら女性からみると「男性は一人一派でわかりにくいね」といわれているようだがこっちだって自分の体のことだって理解できねえよ。ああまた不調になったらどうしよう。
こんな感じ。
・体調悪いバッヂ(妊婦バッヂなど)はいいアイデアだがすでにやられていたりそれぞれに問題があったり(妊婦はかえって電車などで攻撃をうけることがある。優先席に座っていても寝たふりをして譲らない人も多い)して今回のとはあまり関係がない
・生理は長いと7日間/28日周期だから働いている女性の1/4~少なくとも1/6は生理である
・これを可視化することで「ほぼ0人、たまに居るものではない、常に居るもの」と世間にわからせる必要がある
・「生理で働けない人の可視化」の必要性と同様に「生理であっても働ける人」(手当が既存のものであっても、またはその人が独自に採用している働けるようになる補助手段があってでも)も可視化する必要がある
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。