一緒にいる相手がいい気分でいられるように自分を改善する、っていうのは言うほどカンタンじゃない。
普通はそういう心の動きにはならない。人は私利私欲のために努力をするものだし、そのこと自体は別に何も間違ってないんだけど、増田はそんな普通のラインから先へ、抜きん出ている。
セックスできる愛玩動物、ってワードチョイスに人の良さは表れてる。
イケメンの境遇を明かすことで読む人を畏怖させないように、あえて卑屈っぽい言い方をしているんでしょう。
本当にミソジニー…女性さげすみマンだったなら女性を鬱憤を晴らすモノとして、あるいはトロフィーやバッヂのような道具とみなすはず。
でも邪悪を装うときにさえ、「愛玩動物」——“愛すること”が前提として入ってきてる。根っこの善良さは漏れ出てしまうものだ。
ともあれ、贅沢な悩みだろうと悩みは悩み。増田の心境は切なそうだ。
考えたんだけど、女性たちが増田のどういう面を好きなのか、愛しているのか、を聞いてみたらどうかな。文章を通して俺が読み取ったより多くを、きっと女性たちは知ってる。
彼女たちが予想に反してミサンドリー… 男性さげすみウーマンで、内面なんて無視して単に性的な道具かあるいは救済を提供する装置として増田を都合よく使っていたならば、それは、良くないこと。
ひどい扱いを許容していると、だんだん自分自身が削られていく。性的に充足していても心を犠牲にしてるなら幸せは遠くなってしまう。
プライドを取り戻して、自分を大切にして欲しい。たとえ一時的につらい別れを伴ったとしても。でもいつかのある日に、増田を大切にしてくれる誰かをみつけられたなら、きっとその子を好きになれると思う。そのとき恋愛はまた動き出すんだ。
もしいま付き合ってる女の子たちが道具としてじゃなく、人間として増田にちゃんと向き合っているのなら、気持ちを言語化できるはずだし、それは増田の幸福の実感にも繋がる。
謙虚さが高じて過小評価してしまっている増田の人間性を、女性たちの目を通して見ることで、再評価できる。自分の気持ちの重みを感じることが再びできるようになる。増田はその権利を持っていると思う。
セックスと愛のリンクを取り戻して。セックスについて何か言うことはイコール人生の立場からは釈迦に説法だからできないけど、愛なら言えることがある。人を愛するとは目の前の相手に全面的に・真剣に向き合うこと。私見だけどそう思っている。この視点が使えそうなら幸いだ。差し出がましかったらゴメン。幸運を祈る。
くっさ
読解力なさすぎっていうか 自分の物語おしつけすぎ。