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演出チーム
野村萬斎 開会式・閉会式の総合統括、チーフ・エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター
2020年8月ごろ 佐々木宏から小林賢太郎に開会式の演出の協力を求められ承諾
2020年8月18日 完成前B案 佐々木宏がMIKIKOに説明
2020年12月9日 ケラリーノ・サンドロヴィッチ パラリンピック開会式ステージ演出担当発表#
2020年12月9日 小林賢太郎 パラリンピック開会式ステージ演出担当発表#
2020年12月23日 野村萬斎演出チーム解散 佐々木宏に一任#
2021年3月18日 佐々木宏辞任 後任おかず# 小林賢太郎が演出統括扱い
2021年7月8日 五輪 東京・神奈川・埼玉・千葉 無観客#
2021年7月14日 五輪演出チーム発表 エグゼクティブプロデューサー 日置貴之 聖火台デザイナー 佐藤オオキ
■開会式
Director of Choreography 平原慎太郎
Scenographer 種田陽平
Set Disigner 冨澤奈美
Composer 小山田圭吾
Composer 徳澤青弦
Composer 原摩利彦
Composer 景井雅之
Assistant Music Director ナカムラヒロシ
Costume Designer 櫻井利彦
他
■閉会式
Director of Choreography 平原慎太郎
Scenographer 種田陽平
Set Disigner 冨澤奈美
Video Director 平牧和彦
Multimedia Director メリッサ・ウィーゲル
Composer 徳澤青弦
Assistant Music Director ナカムラヒロシ
Stylist 森田晃嘉
Costume Designer 飯嶋久美子
他
左の原口と右の伊東、どちらも「相手に攻め込まれる時間が長い試合」でカウンター気味に攻め込む時に
力を発揮するタイプで、昨日みたいな引きこもる相手に対して、吉田が指摘する「クリエーティビティー」を
発揮するタイプではない。
みんな「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、前回の最終予選の激闘を忘れてるようだ。前回の最終予選のMVPは
原口で誰も文句ないだろう。常に控えに甘んじていた原口がチームの苦境の中でスタメンに定着し、攻守に死力
を出し尽くしてくれたおかげで、ギリギリで突破できた、それぐらい日本と他の最終予選出場国との間の実力差は無い。
前回の原口のように、チーム内の序列をひっくり返してスタメンを奪い取るような選手が出てこなければ、敗退しても
不思議じゃない。
原口も大迫も、選手としてのピークは過ぎてるのに「論功行賞」采配で固執する森保監督は当然クビ。タテに突破して
クロス上げてもアジアレベルのDFに競り勝てない大迫…。昨日の試合の先発平均年齢「29・7歳」は歴代最年長だって。
森保ジャパン 戦術面でも完敗…「準備はしていた」も大迫にボール収まらず― スポニチ Sponichi Annex サッカー
https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2021/09/03/kiji/20210903s00002014140000c.html
庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、
かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。
あの二人のクリエイティビティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。
さてここで本題。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
全盛期だったせいか、とかくアニメと漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、
当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。
この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送・再放送で目にしてることが多いし、
5年以上遅いと平成特撮をテレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮を
レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視はほとんど感じない。
最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。
年寄り除くとこの限られた世代だけが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。
その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、
それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代にあんまり近寄りたくないんだよな。
そのくせ日本特撮オタクのタランティーノやティム・バートン、最近なら
ジェームズ・ガンやギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。
それこそエヴァやシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。
一旦、色眼鏡を外して純粋に作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年に差し掛かってるから。
追記:
なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。
脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。
なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。
特殊技術が現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそもの価値や優劣が決まると信じ込んでる。
俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザイン・ストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。
先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブンは地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。
すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教的二元論はそもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックなスタンスだった。
その思想の権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明はめんどいからググってくれ。
そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。
次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人が聴覚障害者の無垢な少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。
この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシーで主人公のウルトラマンを挑発し続ける。
「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。
良識ある大人たちは「聴覚障害者の無垢な少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。
ダークナイトのジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。
俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
その時期のビデオ劇場オンリーのウルトラマンや仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。
俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギがウルトラマンだったなんて。
追記2:
一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。
例えば大魔神のミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、
メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。
でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。
10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で
俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに
https://anond.hatelabo.jp/20210404105223
「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」
「でも幼稚だからな」その手のトラバやブコメはほぼほぼ見受けられないんだよな。
俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止で否定する奴の多さよ。
俺がマイナス方面の問いかけをしたからマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、
実際特撮が良い方面で話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。
他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。
演出チーム
野村萬斎 開会式・閉会式の総合統括、チーフ・エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター
2020年8月ごろ 佐々木宏から小林賢太郎に開会式の演出の協力を求められ承諾
2020年8月18日 完成前B案 佐々木宏がMIKIKOに説明
2020年12月9日 ケラリーノ・サンドロヴィッチ パラリンピック開会式ステージ演出担当発表#
2020年12月9日 小林賢太郎 パラリンピック開会式ステージ演出担当発表#
2020年12月23日 野村萬斎演出チーム解散 佐々木宏に一任#
2021年3月18日 佐々木宏辞任 後任おかず# 小林賢太郎が演出統括扱い
2021年7月8日 五輪 東京・神奈川・埼玉・千葉 無観客#
2021年7月14日 五輪演出チーム発表 エグゼクティブプロデューサー 日置貴之 聖火台デザイナー 佐藤オオキ
■開会式
Director of Choreography 平原慎太郎
Scenographer 種田陽平
Set Disigner 冨澤奈美
Composer 小山田圭吾
Composer 徳澤青弦
Composer 原摩利彦
Composer 景井雅之
Assistant Music Director ナカムラヒロシ
Costume Designer 櫻井利彦
他
■閉会式
Director of Choreography 平原慎太郎
Scenographer 種田陽平
Set Disigner 冨澤奈美
Video Director 平牧和彦
Multimedia Director メリッサ・ウィーゲル
Composer 徳澤青弦
Assistant Music Director ナカムラヒロシ
Stylist 森田晃嘉
Costume Designer 飯嶋久美子
他
音楽流すにも演出的な必然性というものがあるけど選手の入場にゲーム音楽流すのは出来合いのもので間に合わせているだけ。
本来あのようなイベントには一回限りのそれ専用の曲を用意すべきなんだよね。というかTVCMでも大河ドラマでもそうしてるわな。
その楽曲制作を誰に依頼するのかは演出プラン次第なんでゲーム音楽の作曲家に依頼することだってあり得る。時間長いから複数依頼してメドレーにするプランでも良い。採り上げるべき才能が沢山いればね。
そういうことをしないと新しいものが何も生まれてこない。世界に向けた式典で出来合いのものを寄せ集めて内輪受けのチグハグなイベントを披露してしまった。クリエイティビティが枯れてる。
アスリートたちは挑戦するために参加してるのにホストの日本国は過去の栄光という埋め草でなんとかする方を選んでしまった。
埋め草扱いなんですよ、あれは。まあ喜んでたら良いんじゃないですか?
ちょっとまとめてみようと頑張ってみました。2020年以降の時系列がまとまった資料がなく苦労しました・・・。世界よこれが日本のレガシーだ!!
https://hochi.news/articles/20210714-OHT1T51146.html
五輪・パラリンピックの開閉会式の演出チームは波乱万丈だった。17年12月に野村氏、椎名林檎氏ら名だたるメンバー8人で発足し、当初は映画監督の山崎貴氏が五輪の演出で主導的な立場だったが、18年7月には狂言師の野村萬斎氏が総合的なトップに就任。19年途中からは振付師のMIKIKO氏が実質的な責任者へと変更された。
ところがコロナ禍による大会の1年延期に伴い、昨年12月には演出チームは解散、クリエイティブディレクターの佐々木宏氏が総合統括に就任していた。しかし佐々木氏はタレント・渡辺直美への侮辱的演出のアイデアが大問題となり、結局3月に辞任。MIKIKO氏の辞任に至る経緯も問題視され、表向きには責任者不在の状態が続いていた。
東京五輪・パラリンピック組織委員会は14日、大会の開閉会式制作・演出チームのメンバーを公表し、式典のコンセプトを発表した。
演出の実質トップとなるエグゼクティブプロデューサーに就いているのは元博報堂で、アイスホッケーの日光アイスバックスのGMも務めた経験を持ち、国際スポーツビジネスの場で活躍してきた日置貴之氏。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210714/k10013139621000.html
ことし3月から東京オリンピック・パラリンピックの式典の統括を担当する大会組織委員会の日置貴之エグゼクティブプロデューサー
http://www.smg-world.com/management#hioki
1974年生まれ。大学を卒業後、株式会社博報堂に入社、その後FIFA Marketing AGに転職し2002FIFA WORLD CUPKOREA/JAPANのマーケティング業務を行う。
https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202107140001278.html
「この状況での五輪。人によっては反対する人もいる。バラバラになった状況だ。大会の基本コンセプトに『ダイバーシティー&インクルージョン(多様性と調和)』とある。この時代に『国民は』とか『世の中の人々は』という表現は完全な時代遅れだ。国民って誰? 人々って誰? という時代。その人々とは日本人のこと? ということ。これを多様にイメージしていく。受け手の気持ちになって考えることが唯一、コミュニケーションの今後のあり方だ。それを考え開閉会式をつくってきた」
-その「ダイバー…」
「それを言えない段階でだめ。僕が大事にすべきは、みんながそれを言える、理解する開閉会式にしなければいけない」
-東京五輪招致の起源だった「復興五輪」という言葉をコンセプトに盛り込まなかった意図は
「省いたつもりはない。たまたま書いてないだけ。演出には復興の観点もあり、1ミリも忘れていない」
「見てもらえば分かる」
「受け取り方をこちらが定義してはいけない。医療従事者の代表としてとか、そういう考え方自体がこの時代にそぐわない。日本の人は、同じような生活をしてきちゃっている人たちの考え方と、世界のいろんな考え方を認めていくことが大事。まあ、皆さんは日本人しか読まないメディアかもしれないけど(笑)。僕自身、海外でずっと生活してるので、やっぱりすごく不思議に思うところも日本にはある(笑)」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/598439
「開閉会式の制作チームの約7割が女性で、LGBTの方や外国人もいる。3月に再出発して最初に取り組んだ課題がジェンダーのバランス。常に大勢のチームの中で議論している」
https://olympics.com/tokyo-2020/ja/news/news-20210714-03-ja
プロデュースチーム
https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202107190001222.html
任命した組織委の責任はないのか問われると「(組織委が)この人選の最終責任を負っていると認識しています。(昨年の制作チーム変更という)一連の流れの中、新たな開会式運営のためのチームをつくりました。(日置貴之)エグゼクティブ・プロデューサーという立場の人がおられ、ここに(オンライン会見に同席して)いる中村英正(大会開催統括)がおられ、その上に事務総長である私がいて、さらに橋本聖子会長がおられるということ。この体制が責任を持っております」
https://twitter.com/Zangiri_mono
https://hochi.news/articles/20210714-OHT1T51146.html
五輪・パラリンピックの開閉会式の演出チームは波乱万丈だった。17年12月に野村氏、椎名林檎氏ら名だたるメンバー8人で発足し、当初は映画監督の山崎貴氏が五輪の演出で主導的な立場だったが、18年7月には狂言師の野村萬斎氏が総合的なトップに就任。19年途中からは振付師のMIKIKO氏が実質的な責任者へと変更された。
ところがコロナ禍による大会の1年延期に伴い、昨年12月には演出チームは解散、クリエイティブディレクターの佐々木宏氏が総合統括に就任していた。しかし佐々木氏はタレント・渡辺直美への侮辱的演出のアイデアが大問題となり、結局3月に辞任。MIKIKO氏の辞任に至る経緯も問題視され、表向きには責任者不在の状態が続いていた。
東京五輪・パラリンピック組織委員会は14日、大会の開閉会式制作・演出チームのメンバーを公表し、式典のコンセプトを発表した。
演出の実質トップとなるエグゼクティブプロデューサーに就いているのは元博報堂で、アイスホッケーの日光アイスバックスのGMも務めた経験を持ち、国際スポーツビジネスの場で活躍してきた日置貴之氏。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210714/k10013139621000.html
ことし3月から東京オリンピック・パラリンピックの式典の統括を担当する大会組織委員会の日置貴之エグゼクティブプロデューサー
http://www.smg-world.com/management#hioki
1974年生まれ。大学を卒業後、株式会社博報堂に入社、その後FIFA Marketing AGに転職し2002FIFA WORLD CUPKOREA/JAPANのマーケティング業務を行う。
https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202107140001278.html
「この状況での五輪。人によっては反対する人もいる。バラバラになった状況だ。大会の基本コンセプトに『ダイバーシティー&インクルージョン(多様性と調和)』とある。この時代に『国民は』とか『世の中の人々は』という表現は完全な時代遅れだ。国民って誰? 人々って誰? という時代。その人々とは日本人のこと? ということ。これを多様にイメージしていく。受け手の気持ちになって考えることが唯一、コミュニケーションの今後のあり方だ。それを考え開閉会式をつくってきた」
-その「ダイバー…」
「それを言えない段階でだめ。僕が大事にすべきは、みんながそれを言える、理解する開閉会式にしなければいけない」
-東京五輪招致の起源だった「復興五輪」という言葉をコンセプトに盛り込まなかった意図は
「省いたつもりはない。たまたま書いてないだけ。演出には復興の観点もあり、1ミリも忘れていない」
「見てもらえば分かる」
「受け取り方をこちらが定義してはいけない。医療従事者の代表としてとか、そういう考え方自体がこの時代にそぐわない。日本の人は、同じような生活をしてきちゃっている人たちの考え方と、世界のいろんな考え方を認めていくことが大事。まあ、皆さんは日本人しか読まないメディアかもしれないけど(笑)。僕自身、海外でずっと生活してるので、やっぱりすごく不思議に思うところも日本にはある(笑)」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/598439
「開閉会式の制作チームの約7割が女性で、LGBTの方や外国人もいる。3月に再出発して最初に取り組んだ課題がジェンダーのバランス。常に大勢のチームの中で議論している」
https://olympics.com/tokyo-2020/ja/news/news-20210714-03-ja
プロデュースチーム
https://twitter.com/Zangiri_mono
CODE VEIN(コードヴェイン)というゲームがある。ゴッドイーターシリーズのスタッフが作ったダークソウルライクのゲームで主人公のキャラクリがかなりの完成度でできるのが特徴のゲームだ。
ゴッドイーターはバーストと2をやっていたので、オリジナルキャラの主人公もストーリーで喋ったりと重要な扱いを受けることは知っている。決してこのキャラクリに手は抜けない。まだやっていないが多分モンハンのような無言主人公ではないはずだ。
そんなこんなでコードヴェインをPCにダウンロードしてから一週間以上たってしまった。
キャラクリが終わらないのである。というかそもそも俺はキャラクリのような創造的な作業がとても苦手だ。
「これを組み立ててね」ってパーツとねじと設計書とかもらえれば大体の人よりは綺麗に組み立てることができる自信はあるけど、「これでなんか作ってね」と粘土を手渡されたら固まってしまう。なんも思いつかんから。
このグニグニの物体をどうしてやろうかという案が全く脳味噌に浮かんでこないから。
それで話が戻るけどコードヴェインのキャラクリが終わらないのである。終わらないというかそもそも始まらない。今回は思い切って女性キャラにしよう!というところまで決めた。でもその先が一切思いつかないから取り敢えずゲームの世界観を知ろうとすべてのPVと制作陣のインタビューとファミ通のゲーム発売前の記事を読んだ。コードヴェインの主人公たちは吸血鬼で血をテーマとした武器アクションをするらしい。世界観自体も赤黒い感じの色合いで進んでいくということまで分かった。キャラクリの手は進まない。
youtubeでキャラクターデザインの動画を見る。まず最初に仕様書を書いて簡単な特徴や性格、色合いを決めてから作業に取り掛かるらしい。ーーーーーふざけないでほしい。それができないんだけど???俺はどんな素晴らしいキャラデザを作るかという1→100にする方法みたいのは求めてない。どんなキャラをつくるかという0→1(あわよくば100)の過程を求めているのにそんなものはどうやら自然に浮かんできて当然らしい。キャラデザを勉強する人は作りたいキャラがあって、それをよりよくするためにキャラデザを勉強するんだもんな。俺のように普通の日常を暮らしていたら突然キャラデザをしなきゃいけない場面に遭遇したやつなんていないんだろ。その後もシルエットがどうちゃら言ってたけどもう自分の耳にはあんまり入ってこなかった。キャラの一部を大きくするとシルエットが特徴的になって良いらしい。
とにかく手を進めることにする。俺のように理屈をこねてばかりで何も作らないやつを”無産”というらしい。このままではいかん、ということでとにかく各パーツのなかで自分が一番好きなやつを選んでいく。
夢中でキャラクリを進めて40分くらい経っただろうか、ふと我に返ると画面に長身のむちむちの女性がいた。身長、豊満度のパラメータはMAXだ。でもおっぱいの大きさのパラメータは中の上くらい。俺は「それはフィクションだろw」ってぐらいのサイズ感の乳はあまり好みではない。現実的かつでっけえのが好き。
服もなんかどしゃ降りの雨の中走ってきたみたいなピチピチかつ反射がテカテカの下着みたいなやつを着ている。すっごいいかつい軍服のようなもの、ガスマスクのような口を覆うもの、いろんな選択肢があったが自分が選んだのはピチピチの濡れ下着だったみたい。
顔はどうなんだ顔は?顔はね、ちょっと下がり眉でおどおどした感じではないんだけど決して強気な性格ではない。そんな感じ。
だからさあ!!!一言でいうと人妻。人妻、作っちゃいました。エロ漫画の。仕様書「人妻(でっかい)」。
そうなんだよ。なんのクリエイティビティも持たない俺なんかに人体錬成させたらでっけえ人妻しか出来上がんないわけ。作り上げたときにやっぱ少し落ち込んだよ。だってでっけえ人妻が吸血鬼が戦う世界で主人公になれるわけないじゃん。いや百歩譲って「でっけえ女」、これならまだいい。巨大な武器を振り回したりする世界ですからしっくりくるよね。でも「人妻」、これがあかん。ほんまに。人妻は戦わせちゃいけないわけ。
え?戦う人妻もいる?? うるせえ!!!!!それは姉御タイプのやつだろ!!!俺が作ったのは下がり眉のタイプの人妻だから!!!
ようするにコードヴェインの世界観に合ってないと思うんですよ。どんなに優れたキャラデザでもやっぱり大事なのは世界観との調和だと思う。なのに俺はそれができない。世界観に合わせたキャラデザというものができない。どんな世界観でもムチムチの人妻を一体錬成して供することしかできないわけ。
匿名で色んな人の考えが見れるのおもしろくて増田はよく見るんだけど、文字しかないのはなんか淡白すぎると思っていた。
そのシンプルさが気楽に使えていい面もあるけど、なんかもっとクリエイティビティを発揮できる場があったらおもろいんじゃないかなと思って自分で作りたくなった。
と思って最近ずっと作ってたんだけど、最終的には絵文字とテキストを自由に配置して投稿できるサービスになった。
簡単に言えば簡易版インスタのストーリー・ツイッターのフリートみたいな感じ。まだストーリーほど高機能ではないけど、利用登録とかなしで投稿できるので、使ってみてほしい。
あとそれぞれの投稿にはリプライすることもできて、リプライは元投稿の周りに配置されるみたいな感じになる(わかりにくくてすまん)。
増田とはだいぶ違う感じになったけど、匿名な点は同じなので雰囲気として似てると思う。昨日公開したぐらいでめちゃくちゃ過疎ってるから投稿・シェアしてもらえると嬉しい
Googleには、世界中から超優秀な人材が集まっている。彼らは高い給料をもらい、ホワイトな労働条件と自由な職場環境のもとで、クリエティビティ溢れる仕事をしている。
インターネットが人を幸福にしたかはさておき、Googleのお陰で世の中は確実に便利になり、世界中の人々がその恩恵に預かっている。
Googleは時代に追いついているどころか、Googleが時代を作り出す存在である。
とここまで書いたのは、想像に過ぎない。実際はGoogleの労働環境について何も知らない。Google製の検索エンジンを使って持つようなったイメージに過ぎない。
とはいえ、だ。霞ヶ関と比べればGoogleが”進んでいる”のは確実だ。
霞ヶ関は、日本でも優秀な頭脳の持ち主が集まる場所である。しかし、そこで働く官僚たちは日本随一の長時間労働の元、ヘロヘロフラフラ私生活を犠牲にして、時には薬物をキメながらなんとか仕事している。彼らは過労死ラインなどとうの昔に振り切っている。
ご存知の通り日本の行政は縦割りで、割られた縦には強い強い縦社会がある。例え黒でも上が白と言えば白と言わざるを得ない。自分には黒く見えても、何度計算しても黒だと出てしまうとしても、上の言うことが絶対なら、見るだけ計算するだけ考えるだけ無駄である。やる気があればあるほど苦しい環境だ。そうして日本一の優秀な頭脳はドブに捨てられる。
こうしたクソのような環境を変えたいと変えて欲しいと願ってきた人は、霞ヶ関だけでなく日本全国どこにでもいるだろう。しかし、依然として、もう何十年も変わらない日々が続いている。
問題を認識しながら解決する力を持たないのである。組織としてはまさに終わっている。ガチガチに凝り固まって錆び付いてほとんど動かなくなっている。そこにイバラのように既得利権が絡みついている。
Googleは違う。Googleでは少なくとも昼寝が許されている。縦の人間関係に囚われない自由な意見交換を重んじているし、社員にはきちんと余暇の時間が与えられているはすだ。ニュースを読めば、Googleは常に自社の生産性について調査し、改善しようとし続けていることが伺える。日本が何とかしようと言い続けるだけで何もしなかった何十年もの間にGoogleは世界最大の企業にまで成長した。
霞ヶ関がGoogleのようになる日は、来るだろうか?常に旧態のやり方を疑い続け、あれこれ変化を加えてみては結果をモニタリングし、労働環境をアップデートしていくような組織になれるだろうか?完全にGoogleのような環境になることは不可能だとしても、ほんの少しでも近づくことはできるのだろうか?
逆に、こうも考える。Googleが霞が関のように凝り固まって、利権に飢えて保守化し、そのまま生産性を失って緩やかに衰退していくことはあるのだろうか?Googleが霞が関になる日はあるのだろうか?Googleもいつかこうなるさと冷笑する余地が我々には残されているのだろうか?
「ブレスト参加者のあなたは前々からブチ犯したいと思っていた。あなたみたいなアバズレを血祭りに上げるショーを演ろう」などと提案したら倫理的に問題だ。ブレスト参加者の心理的安全性を侵襲してしまえば言われた彼女からはもうアイデアは出なくなるし、いかに倫理的に無礼講としても発言からは当人の価値観がのぞき見えるもの。暴言で傷ついてしまったらその痛みはずっと残る。
ブレストの大前提は欺瞞だと思う。完全な自由は成立せず、せいぜい「参加者同士の信頼関係の上で日常よりやや寛容に拡張された倫理感」の元での自由な議論、くらいになるだろう。でもそんな縛りを明言してしまえば本当に面白いアイデアは出てこなくなる。幻想は必要だった。
ブレストだから何でもありなら、俺は日本中のみんなからクリエイティビティを引き出すために「参加者みんなでやる、なんでも言い放題のブレスト掲示板」を作る。