2021-03-30

霞が関Googleになる日

Googleには、世界中から超優秀な人材が集まっている。彼らは高い給料をもらい、ホワイト労働条件自由職場環境のもとで、クリエティティ溢れる仕事をしている。

インターネットが人を幸福にしたかはさておき、Googleのお陰で世の中は確実に便利になり、世界中の人々がその恩恵に預かっている。

Google時代に追いついているどころか、Google時代を作り出す存在である

 

とここまで書いたのは、想像に過ぎない。実際はGoogle労働環境について何も知らない。Google製の検索エンジンを使って持つようなったイメージに過ぎない。

 

とはいえ、だ。霞ヶ関と比べればGoogleが”進んでいる”のは確実だ。

霞ヶ関は、日本でも優秀な頭脳の持ち主が集まる場所であるしかし、そこで働く官僚たちは日本随一の長時間労働の元、ヘロヘロフラフラ私生活犠牲にして、時には薬物をキメながらなんとか仕事している。彼らは過労死ラインなどとうの昔に振り切っている。

ご存知の通り日本行政は縦割りで、割られた縦には強い強い縦社会がある。例え黒でも上が白と言えば白と言わざるを得ない。自分には黒く見えても、何度計算しても黒だと出てしまうとしても、上の言うことが絶対なら、見るだけ計算するだけ考えるだけ無駄である。やる気があればあるほど苦しい環境だ。そうして日本一の優秀な頭脳はドブに捨てられる。

こうしたクソのような環境を変えたいと変えて欲しいと願ってきた人は、霞ヶ関だけでなく日本全国どこにでもいるだろう。しかし、依然として、もう何十年も変わらない日々が続いている。

問題認識しながら解決する力を持たないのである組織としてはまさに終わっている。ガチガチに凝り固まって錆び付いてほとんど動かなくなっている。そこにイバラのように既得利権が絡みついている。

Googleは違う。Googleでは少なくとも昼寝が許されている。縦の人間関係に囚われない自由意見交換を重んじているし、社員にはきちんと余暇時間が与えられているはすだ。ニュースを読めば、Googleは常に自社の生産性について調査し、改善しようとし続けていることが伺える。日本が何とかしようと言い続けるだけで何もしなかった何十年もの間にGoogle世界最大の企業にまで成長した。

霞ヶ関Googleのようになる日は、来るだろうか?常に旧態のやり方を疑い続け、あれこれ変化を加えてみては結果をモニタリングし、労働環境アップデートしていくような組織になれるだろうか?完全にGoogleのような環境になることは不可能だとしても、ほんの少しでも近づくことはできるのだろうか?

 

逆に、こうも考える。Google霞が関のように凝り固まって、利権に飢えて保守化し、そのまま生産性を失って緩やかに衰退していくことはあるのだろうか?Google霞が関になる日はあるのだろうか?Googleもいつかこうなるさと冷笑する余地が我々には残されているのだろうか?

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