「だまし討ち」を含む日記 RSS

はてなキーワード: だまし討ちとは

2016-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20160613203332

まず、人生とは計画通りはいかないものだと知るべき。

人生計画めちゃくちゃなのはよくあることです。。。

さて、応募した求人職種と今やらされてる仕事職種が違う 問題は、

・社内情勢が変わり、一時的に違う職種をやらされている

・もともとその職種やらせるために、だまし討ち採用された

のどちらかだろう。

どちらに当てはまるか、よくよく社内外を観察して、だまし討ちにあったと思うならさっさと転職せよ。

2016-05-08

Windows10の強引なアップデートは何らかの法に触れないのか

しつこくポップアップし続け知識の無い人には無効にできなかったり、[Yes][はい]みたいな選択肢を出してだまし討ちとかあの手この手ユーザーの意に反して勝手アップデートさせたり

こういうのって法律的にはオッケーなの?

アプリが動かなくなったりデータが消えたりした例は電子計算機損壊業務妨害罪まであり得るんじゃないの?

2016-02-28

[]2月28日

○朝食:なし

○昼食:考え中

○夕食:考え中

調子

むきゅー。

お仕事は今日もお休み

昨日のうちに洗濯とかはしたので、今日はゆっくりのんびりの日。


ポケモンの思い出

一夜明けてネットを色々見てみると、出るわ出るわの、ポケモンとの思い出記事。

便乗しようかしら、と思ったけど、僕にとっては赤緑からの20年間ずーーーっと現役のコンテンツで、

「この時期はポケカ

「この時期はトレッタ」

「この時期は本編」

「この時期はポケダン

みたいな、どのポケモンにハマっていたか、って違いはあれど、

基本的にずーーーっとポケモンを遊んでいるから、思い出を語るのは難しいんだよなあ。


僕とポケモン出会いは別コロでした。(別冊コロコロコミックのことです、)

当時はボンボン派でして、コロコロは読んでなかったんですよ。

ちなみに、何故ボンボン派だったかというと、ガンダムが乗ってたからです、僕の父親は重度のガノタで、

ガンダムと名の付くものは全部買ってたんじゃないか? ってぐらいのオタクだったため、GガンやWのときた版が連載していたボンボンを買っていたんですね。

なんだけど、風邪か何かで学校を休んで寝てたときに、祖母がお見舞いに子供向けの雑誌を買ってきてくれたんです。

それが、別コロで、それに乗っていたポケモン特集記事

そこに書かれていた、フシギダネ説明文。

さすがに細かい文面までは、もう覚えていませんが、

「多彩な技を使いこなす植物ポケモン」的なことが書かれていたんです。(豊富な、だったかなあ)


そう「多彩な技」この一文が、僕とポケモンの20年間の始まりでした。


今にして思うと、

「いや、ポケモンは全員四つまでしか技はないし、フシギダネってそんなに技豊富か? 粉系ばっかやん」

とか思うけどね。

で、何故「多彩な技」って一文に惹かれたのか? というと、

ドラゴンクエスト5の話をツラツラ書くことになるので、省略します。(おお、今にして思うと、後のポケダンを作るチュンソフト最後のドラクエじゃん)

ざっくり言うと、ドラクエ5の仲間モンスターの特技の少なさにガッカリしていた的な話です。

(当時は攻略本とか持ってなかったし、ここに誤解があることは勘弁してね)


フシギダネを育てて、多彩な技で相手を翻弄したい!」ということで、頭がいっぱいになったんですが、

そこはさすがに小学生強請ってもすぐには買ってもらえませんでした。

当時の僕は中学受験のために、塾通いの日々でした。

って、今調べると僕は小学三年生だか、四年生から塾通いだったのか……

別に勉強漬けだからどうのだの、親の教育がどうのだって文句を言うつもりはないけど、

今にして思うと、色々面倒くさかっただろうなあ、親が。って思いますね。

余談はさておき「そこの塾のテストで良い点数をとれたら、ポケモンを買ってあげる」と親と約束したんですよね。

(ちなみに、ゲームボーイは父親がSAGAをするためにもう持ってた)

そらもう、必死勉強したのを覚えています。

当時は「国語」「算数」の二科目を塾で学んでいたんですが、

算数」で良い点数をとるのは早々に諦めた記憶がありますね。

っていうか、僕は未だにあの中学受験特有方程式を使わずにつるかめとか旅人の問題を解くの出来ないんですよねえ。


「国語」に狙いをしぼって、ひたすら漢字を覚えて、文章問題に慣れるために問題集をやたらめったら繰り返しやったりしてましたね。

ちなみに、そのとき加納朋子の「ななつのこ」に収録されてる短編を題材にした国語の問題を解いたのが、

ミステリとの出会いだったりします。

うーん、子供の頃に触れた文化は今の僕を形作っているなあ。

結局、努力のかいあって、夏頃に買ってもらえたんですよ。

たしか、夏休みに入る前、七月の前半ぐらいのテストだったと思う。

いやーこれは嬉しかったね、なんとその塾で一番良い点数をとったんですよ。

しかも「漢字の問題を全部間違えてるのに、文章問題が満点」っていう、なんか凄いもったいない感じで、

一番をとったんですよ。

それからは、そらもうポケモン漬けでしたね。

ちなみに、初めて殿堂入りしたパーティー

フシギバナ

ピジョット

ギャラドス

ファイヤー

フリーザ

でした。(六匹目は多分数合わせだったから記憶にない)

今にしてみると、電気一貫性が凄いな。

ちなみに、フシギバナニックネームは「トロワ」でした。

これは、ガンダムWに登場するヘビーアームズというガンダムパイロットで、

多彩な技を使いこなすフシギダネにふさわしい名前だ! と思ったのを未だに覚えています。

(他のNNは覚えていないけど)

殿堂入りしてからも、図鑑埋めたり、レベル100を目指したりと、かなり長い間プレイしていた記憶がありますね。

ただ、64を買ってもらったのが、ポケスタ金銀発売後だったので、ポケスタを使った遊びができなかったんだよなあ。

少なくとも、アニポケオレンジ諸島に入るぐらいまでは、ずっとプレイしていたと思います。

そう一人で。

一人で。



ポケモンの思い出を語る上で、ダイヤパールが出て、Wifiでネットの向こう側に行けるようになるまでの間、一人でプレイしていた。

という事実から逃れられないですよね。

僕は友達のいない子供だったので、顔付き合わせての通信プレイをしたことがないんですよね。

社会人になって、ポケカ初めてからポケカの流れでやったことあるけどね)

ユンゲラーゴーストゴーリキー進化させたことないんですよ。

いやもう、学生時代はずーーーーっとイジメられっ子だったので、楽しく友達とポケモン、なんて夢のまた夢なんですよ。

そもそも、まともに他人と会話したことなからね。

クラスメイトっていうのは、僕に突然殴り掛かってくる人たちだったからね。



なんか、嫌な思い出しか湧いてこないので、ポケモンの話に戻ろうかな。

緑版を楽しんだまま、ポケスペ(当時は作画が別人でしたね)もハマったし、アニポケも楽しく見てましたね。

ポケカは一人で二つデッキ組んで、一人で対戦してました。

ただ、お金かかるからポケカは旧裏すら最後まで付き合ってないですね。

(その後、BWで復帰します)

で、待ちに待たされた金銀が出て、銀をGBカラーと一緒に買ってもらったんですよね。

映画の影響でルギアの方が好きだった)

これは確か誕生日貯金をしていた記憶がありますね。

ただ、このとき僕は中学受験の追い込み真っ最中だったから、合間合間にやってただけで、ガッツリプレイしてないんですよね。

から今では、ジョウトの思い出はHGSSの方が強かったりします。

結局、中学受験は本命に落ちて、第二志望の男子校にうかって。

でもなんか、結局イジメられっ子ポジションはかわらなくて……

この頃からミステリ小説ガッツリハマりだして、

その影響でプレイするゲームノベルゲームに偏りだして、

さらに、インターネットWindows98がお家にやってきて、

(中学二年生特有黒歴史的な色々があって)


ルビーとサファイヤが出るわけなんですが、

ここで僕は運命の出会いします。


そう「ダーテング」との出会いです。


このゲーム日記でもたびたび話題にあがる「ダーテング

このポケモンとの出会いが、ルビーでした。

ミズゴロウを選び、何となくで捕まえたタネボー

実はストーリーから大好きでした! とはなりませんでした。

ダーテングのことを好きになるのは、もう少し先の話です。


ルビーが出るも、当時はミステリノベルゲにガッツリハマってて、

かつ、Windowsを使ったあれやこれやで、ぐへへへ、ってしてたので、

ポケモン小学生の遊びでしょ」的なノリで、そこまでハマってなかったんですよね。

(ああ、この時のネットでの僕の活躍は、未だにグーグル先生が覚えてるので思い出せるが、まあ辞めておこう)

ファイアレッドリーフグリーンコロシアム辺りは、もう発売日当時には買ってすらいませんでした。

(GCはチュンソフトのアレをやるために買ってたけど)

そして、高校生になって……

また僕をポケモンに呼び戻すゲームが発売されます。

そう「ポケモン不思議のダンジョン」です。

上で書いた通り、僕は当時ノベルゲにハマっていました。

そして、ノベルゲといえば、チュンソフト

チュンソフトといえば、不思議のダンジョン

ポケダンねえ、シレンGBをミレンまでクリアした僕にかかればお茶の子再々、サイサイシーさ!」(当時僕がネットチャットでよく使っていたジョーク

と、軽い気持ちで買うも、ドハマり。

感動的なストーリーでぼろぼろ泣き、清森の超絶難易度に悶絶し、とポケダン赤はもうかなりやり込みましたね。

不思議のダンジョン恒例のセーブデータに表示されるアイコンを全部揃えるのに一番時間がかかったのが、ポケダン赤な気がしますね。

シレン2のモン壺絡みのアレも普通にやると時間かかるんだけど、なんか僕シレン2に関しては、かなり旅の神クロンの追い風が吹くんだよねえ)


そんなわけで、またまたポケモン世界にハマりだした、僕なんですが、

今度は大学受験が待ってました。

当時、笠井潔にハマっていた僕は哲学科で哲学教授になるんや! という、夢がありました。

なんですが、まあ色々あって、就職に強い地元情報科大学に入ることになります。

そこでプログラム出会い、今の仕事にも繋がってるわけですね。

そうえば、はてなIDを取得したのは、この辺りかな?


で、巡り巡ってようやく「ダーテング」を好きになる話ですね。

ポケダンポケモンを再び好きになった僕は、

当時の最新作であるエメラルドを購入します。

ルビーと同じようなストーリーなのに、色々違っていて楽しめたんですが、


クリア後のアレです。

そう、未だに挑戦している人もいるであろうアレです。


バトルフロンティア」です。

ポケダンを苦労しつつも、清森を突破した僕ですら、

このバトフロはあまりにも難しすぎました。

ポケモンストーリーって、基本的レベル上げてゴリ押しすれば勝てるんですが、

バトフロではレベルが統一されるので、ゴリ押しできないんですよね。

どうすればいいのか?

大丈夫インターネットがあります。


ここで、僕は所謂「三値」というものを知ります。

個体値努力値種族値って奴ですね。

そして、個体値は少なくとも素早さに関しては最大値じゃないと、そもそもゲームとしての読み合いが成り立たないレベル意味がない。(トリルないから最遅も意味ないしね、あーでも、グラードンカイオーガの天候変化組は例外かな)

っていう、今ではもう常識になっている知識を知りました。

これが、僕がポケモンの沼にもうしっかりどっぷりつかった瞬間でしたね。

まず優秀なポケモンを孵化させるためには、とりあえずデタラメでも良いから、数をこなすのが早そうだ。

と当りを付けた僕は

タマゴグループが二つあって」

「孵化歩数が短い」

「オスメス比率が普通

この条件に合うポケモンを探すことを始めました。

出来れば、陸上グループがいいなあ(遺伝に使うドーブル陸上から)とか色々探すうちに見つけました。

タネボー」です。

タマゴグループ陸上と植物という、連絡網的にかなり優秀な二つ。

そして、3840歩というかなり短い孵化歩数。

こりゃ良いんじゃね?

と思い、孵化!

孵化!

孵化!

孵化!

孵化!


僕の大学一年生は、ずーーーーっとGBA片手にタネボーの孵化をしていましたね。

そこで生まれ

4V(HACS)、せっかちのタネボー

メス。


そう、念願の3Vの壁を突破した、初めての4Vが

メス。

ここで、僕の心が折れました。

「もういいや、この山ほどいるタネボーをまず実際に育成しよう」と。


ところが、

ところが、ここからポケモンの一番楽しい時間でした。

未だにこの時間はワクワクして楽しいです。

そう、このタネボーをどう育成するかを考える時間です。

とりあえず、葉緑素を生かすために晴れPTは確定。

弱点多いし、耐久もないから、晴れ始動は別のポケモン

三世代当時は大爆発が強かったから、大爆発は確定。

せっかくの晴れなんだからソーラービームも確定。

あとは、タイプ一致でだまし討ち

残り一枠、うーん、良い技ないし適当に猫騙しでも入れておこう、シングルじゃ腐りそうだけど。


で、次は相方か。

晴れ始動

耐久があって、弱点が少ない子か……

弱点が少ない?

ヤミラミって弱点ないんだよねえ(第三世代当時の話、今ではフェアリーが弱点)

よし、この子にしよう、残りの技は適当に状態異常系いれとけ。


最後に、晴れPTなんだから、炎のアタッカーだよなあ。

タイプでかつソーラビームを覚えるのが最適だよね。

えーっと、エンテイヘルガーの二匹かあ。

エンテイコロシアムで厳選とか死ねからヘルガーにしよっと。


ダーテング

ヤミラミ

ヘルガー

と、こんな感じの思考回路を経て、

晴れPTが完成しました。

もちろん、見ての通り、三世代当時で考えてもこのPTは弱いです。

ラティとかどうやって突破するつもりだったんでしょ)

ですが、自分の考えた作戦で、自分の育てたポケモン達が戦う、

そんなポケモントレーナーの当たり前が、それはもう、それはもう楽しいことに気づいたのです。

始めは孵化歩数だのタマゴグループだのの、打算で育て始めたダーテングのことが、

フロンティアで一緒に戦ううちに、どんどん好きになっていき。

相方ヘルガーヤミラミのこともどんどん好きになって。

そして、偶然なんですが

このPTなんと、全員が悪タイプを持っている

「悪統一」でもあったんですね。

これに気づいて、僕は

「悪タイプ」を愛する、悪ポケ専門トレーナーになったのです!


それからダイヤパールネット対戦デビューをしてからは、そりゃもうポケモン漬けでした。

きあいのタスキによって、晴れ始動を行いつつ、大爆発で退場できるようになったダーテング

プラチナで不意打ちを覚えて一気に晴れ下での物理アタッカーとしてかなりの地位にたつことになったダーテング

悪統一!

この縛りと育成、対戦の楽しみによって、僕はもうかなりネット対戦にのめり込みました。

ちなみに、僕が対戦していたのは、2chの社大スレというところでした。


でまあ、ポケモン対戦漬けの大学生活が終わり。

なんやかんやで、プログラムの会社に就職して。


BWですよ。

ここまで、基本的

ポケモン楽しい」の図式だったんですが、

BWですよ。


BWでランダムネット対戦が導入されて、ますます対戦にのめり込もうと思った僕は、

「そろそろ悪統一を辞めて、普通にPTを組もうかな」と思っていました。

それをするのに、世代交代というのはちょうど良いタイミングだと思ったのです。

思ったのに

攻略本ガチャ

ムックガチャ

ポケカガチャ

これですよ。

もう本気でポケモン作った人に聞きたいんだけど

かそくアチャモのために、五冊攻略本をかって、しめりけミズゴロウを五匹ゲットして、ブックオフ攻略本を売る」

これが、楽しいと本気で思ったんですかねえ?

いやもう、楽しいわけないじゃないですか

誰が「わーい、好きなポケモンのために攻略本いっぱい買うの楽しい!」って思えるわけ?

おかしいでしょ。

そりゃさ、映画前売り券でポケモンもらえるのあったよ。

でもそれは、明確に貰えるポケモンがハッキリしてたし、

少なくとも、一枚買えば一匹貰えるっていう簡単なルールだったじゃん。

それが、なんやねん、攻略本ガチャて。

映画前売り券はまだいいわ、映画何回も見ればいいんだから。(よくないけど)

攻略本何冊も買って何になるわけ?

おかしいでしょ、どう考えても。


マグナゲートが糞ゲーとか、

ポケモンダッシュが糞ゲーとか、

ポケモントローゼが糞ゲーとか、

そういう次元の糞ゲーじゃないんだよ、

攻略本を山ほど買うって、もうゲームじゃないじゃん。

効率よく攻略本を買うために、仕事頑張って給料たくさんもらいます、じゃん。

それゲームじゃないじゃん。



という感じで、もう第五世代にはかなりガックリ来て、ろくにプレイしていません。

BW2に至っては買ったけど御三家すら貰ってないです。


なんだけど、XYが出て、

愛するヘルガーが、メガヘルガーになることで、より晴れPTのアタッカーって側面が強くなって、

ORASでダーテングが不意打ち没収されるも、

ヤミラミメガ進化できて、

なんだかんだ、今ではポケモンを楽しんでます。

第六世代からは、シングルじゃなくて、ダブルを専門にすることで、

より愛するダーテングが活躍できるようになったし、

サンパワー晴れ熱風というメガヘルガーロマンを追うのは超楽しい


いやうん、でも最近ネット対戦ポケットモンスターというよるガルットモンスターから最近ちょっとやってなくて、

派生作品ポケモンピクロスにハマってるんだけどね。


長々と書いたけど、ポケナガにハマった話とか、ポケカ全般の話とか、全然したりないなあ。

とにかく、ポケモンの20年は、僕の人生の20年でもあるんだなあ、としみじみ思いました。

2015-01-17

あるあるシークエンス  ガンマンの決闘 タイプ (ネタバレあり)

http://anond.hatelabo.jp/20150117153405

次元大介の墓標 の再訂正を兼ねて

ガンマンの決闘

 クライマックスで向かい合う主人公と敵役。

 ほとんど同時に銃を抜く二人。

 主人公が血を流し、膝をつく。勝ち誇る敵役。ヒロインの悲嘆。

 。。。

 ほどなく敵役が崩れ落ち、主人公警句じみたセリフを喋ったり、生きていることが明らかになる。

あるある

 クライマックスにおける主人公偽装された死と復活の一種の典型である

余談

 余談だが、チャンバラ時代劇で侍や忍者同士の決闘でこれと同様のシークエンスがみられるのは

 1940-50年代西部劇の影響ではないかと思う。

 次元大介の墓標 

 前述の「偽装された死」を書いていたときイメージしていたのはダークナイトノーラン2作目)のアレっぽいアレによる偽装だったが、

 アレはクライマックスではなかったので、増田日記の流れ上はまちがっていた。

 この作品偽装された死(に近い最大のピンチ)はやはりクライマックスにあった。

 実は生きていた次元大介と凄腕暗殺者対峙

 怪我をおった状態の次元次元の銃が重く抜き打ち勝負にはむかないかという情報視聴者提示される。

 凄腕暗殺者の銃がいかに有利かという情報提示される。

 (略)勝利する次元大介(ここネタバレ

 直前の要人狙撃シーンからこの間のHOWはやや複雑だが、説明付き準奇跡として視聴者を満足させるものとなっていたと思う。

 荒野はつらいよアリゾナより愛をこめて~

 2014の西部劇コメディ。2014なのでジャンルメタ化した作品であることが宿命づけられている。

 クライマックスはひ弱で射撃の上手くない主人公対リーアムニーソン演ずる凄腕悪者ガンマンである

 前半に「三つ数えたら撃つ、と言っておきながら待たずに撃つリーアムニーソン。なんて卑怯悪者」という伏線がある。

 その情報ヒロインからこっそり教えてもらった主人公も「三つ数える前に撃つ」作戦に出る。

 しかし、真似された悪漢リーアムニーソンは発砲された直後から激怒である

 だまし討ちにかけていたであろう主人公にこの後打つ手はない。ヒロインもまとめてひどい目にあうだろう。

 最大のピンチ!と視聴者が思う。

 だが…(

 ここで奇跡がおき、主人公は死なず、理由が説明される。>フィナーレへ

 銃撃による死の偽装

 銃撃による死の偽装はなかなか難しいように思える。

とにかく

 とにかく生きていたんだよ!(仮面ライダーS)方式昭和も終わって、なかなか通用しないだろう。

 (え? ガーディアンブギャラクシー?)

 だが、銃撃に限らず(ザ・松田男塾)とにかく生きていたんだ、が巷間に跋扈しているおかげで、前述の

 綾波の偽りの死に見えて偽装でなかったという妙なミスリーディングが成立したといえる。

ジッポあるある

 胸ポケットのジッポのライター保安官バッジが、銃弾を受けとめたから…撃たれて死んだように見えたが死んでいなかった。

 というのも、説明付き奇跡の例ではあるが、今ではギャグしか存在を許されないだろう。 



 

 

2014-10-13

ちょっと前、バイト先が事務所っぽいところだったんだけど、

おばちゃんに、

「お客さんのところにお茶がないって気づいたら出してね」

って言われてて、

まさにその状況になったことがある。

その時に「本当に出していいのか?」ってなんか人の指示を疑ってしまって、

ずっとそわそわしてた。

んで、違う人に「出してあげなよ」って言われて、

やっと作業できた。

この、「以前言われていたことがほんとうに正しいのか」、みたいなしょうもないことを不安がることが多い。

だまし討ちとかされた経験があるのかな、ってくらい(そんなん記憶にはないんだけど)。

これは『本当はそんなめんどくさいことやりたいくない、から、わかんないって言ってる』ってパタンかなもしかして

いまの心境的には『やってみて失礼がられたらこわい』なんだけど。

今考えている、対応策としては、『失敗した時のことを具体的にイメージして、不安の程度を把握してやわらげる/失敗してもなんとかなる、とわかるところまで想像する』なんだけど…

自分がこんなに失敗怖がっているって認めはじめたの最近から超びっくりすること多くてヤバイ

2014-08-07

母親もひとりの人間。ひとりの女の子

親もひとりの人間という言葉は、

親に甘えないで自立せよという意味を多分に含んでいると思う。

母親とはそれすなわち絶対的母性に依る理解者なんかじゃなく

母親もひとりの人間であり、なんちゃら。

そのことは高校大学にかけて理解していたつもりだが、

最近、うちの母に対して、母と私が母娘の関係でなければ、

仲良くはならないタイプ女性であることに気づいてしまった。

例えば夕飯のとき

食後は勉強があるからと断る私に執拗ビールを勧める母。

「じゃあ、ふたりで1本飲もっ。それならいいでしょ♪」

結局、自分の分は少し飲んで

「もう飲めなーい。お父さん飲んで?」と父のグラスに。

なぜこれから勉強するという娘にお酒を飲ませたいのかわからないし、

なぜ父に向かって強烈なぶりっ子死語)しているのか分からないし、

だいたい、飲み会でこういうことする女のひと、

だまし討ちのように私にたくさんお酒を飲ませてそれを他の男性との話の種にする女の子一定割合で、いる)

嫌ったりはしないけど、いや、苦手だけど、

仲良くはならないよなぁ。と。

もっと「素で」仲良くなれるかと思ってたんだよ。だって母親からさ。

でもそれは間違いなんだよね。

今まで幾度と無く近づいては喧嘩になる理由がわかった気がした。

からといってまぁ無理に距離を置くというわけではなく、

飲み会で現れる「ああい女の子たち」とだって飲み会の時には無難に盛り上がれるように

これからは適切な関係を築ければと思う。

2014-08-04

子育てについての自分の中の大きな不安

http://anond.hatelabo.jp/20140804000142

この奥さんが他人に思えなかった。

自分と重なるであろう部分が多く、自分ちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。

本当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。



高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。

大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。

活動の内容そのものより、自分組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。

部のために骨身を惜しまず動いた。

一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。

でも直接文句を言う度胸はなく、一人でストレスを抱え込んではときどきあさっての方向に爆発させていた。

周囲の自分に対する評価は「よく気がついて、頼んだことはきっちり完遂するし、フットワークも軽くて、まあとにかくまじめでできるやつなんだけど、怒らせると面倒だからとりあえず機嫌を取って上手に動かしておこう」といった感じだった。

いくつかの人間関係の軋轢を経験した結果、自分の中に周囲との円滑な調和を妨げる深刻な側面があることに気づいた。

周囲の人間自分よりもっと情緒的なつながりを大切にしているし、いつでも何もかもに対して100パーセントで動いているわけでもなく力の入れどころをうまくコントロールしながら生きているし、自分みたいに極端な滅私奉公精神で動いているわけでもなく、みんな自分の将来を少しでもよくするために大学という巨大な器の中でそれぞれにもがいているのであり、部活に熱心でないからといってそいつが何事にもだらしなくいい加減な人間だというわけではない。

何より、自分だってよく考えてみると周囲にずいぶんと失礼な言動を多々やっているのだが、周囲は少なくとも、そんな自分を「こいつはこういう性格から」と受け入れて、ひとつ個性として尊重してくれている。

周囲が自分の考えをわかってくれない、のではなかった。

周囲を受け容れていないのは自分のほうだった。

このことに、4年かかってやっと気づいた。

それから新卒内定した会社就職した。

同期はみんないい人ばかりで、わたしはすぐに彼らのことが大好きになった。

大学時代に比べたら、だいぶ上手に人間関係が構築できるようになってきた。

としばらく思っていた。

しかし、入社して半年が過ぎるころから、わたしは同期の中で少しずつ浮き始めた。

ここの会社は毎年の恒例行事地域お祭り新入社員が何か出し物をしないといけないのだが、その出し物の内容をみんなで決めるとき、わたしは暴走した。

わたしの、無難でかつ隙のない正論づくめの提案に、当初、誰も反論する人はいなかった。

入社式では新入社員代表あいさつをさせられたりして、上司からは同期のリーダーとして何事も率先して動くことを期待されていたのでその通りに動いたのだけど、実際は同期の中で発言力がある人間が他にいて、その人の案にみな本当は乗り気だったようだった。

わたしはそのことに、全く気付かなかった。

やがてみんなで日程を合わせて練習を始め、わたしは何の疑問も抱かずに場を仕切り続けた。

ある日、たまたま残業で遅くなることになった。連絡を入れ、1時間ほど遅れて練習場に行った。

その1時間で、出し物の内容がまるっきり変わっていた。

テーマも違う、使う道具も違う、とにかく根っこから変わっていた。

わたしは2ちゃん顔文字みたいにポカーンとしばらく固まっていたが、そんなわたしを目にしながらも、誰も、何も言わず淡々とその新しい内容の練習を続けていた。

それでやっと、自分ひとりが周囲の感情を置き去りにして暴走していたことを悟った。

同期のやり方は、正攻法ではないのかもしれない。だまし討ちに遭ったようでいささか傷ついたのは覚えている。

けれど問題はそんなことではない。

学生時代から課題を、わたしはまったくクリアできていなかったのだと気づき、愕然とした。

周囲がこういう行動に出ざるを得ないほどに、わたしはコミュニケーションを成り立たせるのに難儀する人間だと見なされていたのだ。

そしてさらに救いようのないことに、それにわたし自身は気づいていなかったのだ。

ちなみにわたしがどうしたかというと、さすがに黙ってその練習に加わった。

「当初の予定とは違うね」とは、このときから今に至るまで、わたしも他の同期も、誰も言わなかった。

たか最初からそれをやる予定だったかのように、全員が振る舞った。

少ししてから部署の中でも居心地が悪くなり始めた。

親身になって面倒を見てくれていた先輩たちが、わたしと少しずつ距離を置くようになった。

仕事を覚え始めて自立に向かい始めたということだと勝手解釈していたが、これもそうではなかった。

上司がわたしのことを露骨に煙たがるようになり、保身のために仕方なく追従するようになっていたようだった。

こういう周囲の空気感みたいなのも、当時は理解できなかった。

周囲との調和が何より大切、そう理解していたはずなのに、周囲と自分との間に生じ始めた軋みをどうすることもできなかった。

わたしは2年持たずにその会社を辞めた。

「その会社自分が合わなかっただけだ」と結論づけるのは簡単だ。

けれども、今思えばそこは決してブラックではなかったし、日本的な一体感を過剰に強いる雰囲気会社でもなかった。

いろいろな不運が重なっただけなのかもしれない。

本当のところは、何が一番の原因なのかはわからない。

その上司結構ろくでなしなのは事実で、下についた人間はもれなく会社を辞めていくので今はまったく別の部署の実権のないポジションに異動になったと聞いた。

けれど、上司に恵まれずとも、同期との行き違いがあったとしても、辞めることはなかったのではないか。

孤立無援ではなかったはずだ。味方になってくれる人もたくさんいたではないか。

そういう人たちとの関係を、わたしはやはり、大切にできていなかったのだと思う。

はてなーには、こういう情緒的なつながりを過度に重視するところが日本企業問題点だと考える人もいるのだろうと思う。

しか現実問題、わたしのように、海外に出ていけるほどのスキルも度胸もないクズには日本会社しか勤め先がないのだから適応するしか選択肢はないのだ。

と考える一方で、結局ここまでつらつらと書いてきたこれもすべて「努力がすべてを解決する」「努力しなかった自分が悪い」「もっと努力していればよかったはずだ」という努力至上主義と自己責任論に基づいた考え方で、やはりわたしはまだそこから抜け出すことができていないのかもしれない。

自分に対してそのように分不相応に高いハードルを課すことが、他者への理不尽な厳しさや冷たさにつながる。

当時の自分としては精いっぱい努力はしたつもりで、それでもこういう結果になったということはやはり、不運やタイミングの悪さも重なったということも要因に挙げてよいのかもしれない。わからないのだけれど。

新しい職場でも似たようなトラブルに遭遇した。ここでは悪質なセクハラを受け、加えて同棲していた彼氏リストラされてネトゲ廃人になったりとか、外的な要因も重なってうつ病になった。半年何もせずにいた。

この、一社目の退職から二社目に就職うつ病、という流れの中で、わたしは両親から何度も罵倒された。

「そんなに死にたいなら死ね!」

公衆の面前で怒鳴られたりした。

気持ちはわからなくはないが、社会人になり、家を離れてから我が家の異常さに気づき始めていた自分としては、ああ、この人達ならこんなこともそりゃ言うだろうなあ、と我ながら実に冷静に受け止めていた。

要するに彼らの中では、うつ病になったのも「努力不足」なのである

自分の弱さと向き合う努力をしてこなかったという意味では確かに、やるべき努力を避けてきたと言える。

努力の方向が間違っていたのだ。

「どんなことでも努力で何とかなる」という思考停止状態に身をゆだね、客観的自己とそのまわりの環境について観察し、思索することをしなかった。

しかし彼らの言う「努力」とはそういうことですらなく、単に「朝起きられないのは根性が足りない」とか「気合を入れればうつ病なんてどこかへ行く」とかそういうことだった。

朝起きられないのも、割れるような頭痛も、吐き気も、そしてあの思い出したくもない深い絶望感と不安感、全身の倦怠感、そういったものはすべて気合でどうにかせよ、とのお達しであった。

正常な判断力が下がっている中でも「これは大変だ」というのは理解し、実家に戻るようしつこく言われるのを頑なに拒み、投薬と認知療法でなんとか生活できる程度には戻った。

その後就いた仕事では、即戦力として早い段階で部下をつけられた。

この部下には本当に恵まれていたと思う。

また、うつ病から立ち直ったばかりなのもあり、自分でも同じ失敗を繰り返さないように、早まったことをしてしまわないように、よくよく考えながら慎重にことを進めたのもよかったのかもしれない。

わたしより年上の人もいたし、その人とは何度か本気でやりあったこともあったが、結果的和解できた。

これは錯覚ではなく、本当にうちの担当仕事はうまくいっていた。

業績も上がり、会社から表彰されたりもした。

そんで今、燃え尽きかけている。

こないだ、業績が認められたのかなんかしらんが配属が変わり、見事にダメ人間ばかりの部署を仕切ることになった。

平均年齢はわたしより一回りほど上だけど、まず電話が取れない、来客の応対ができない、マニュアルに沿わず自己流でやろうとして当たり前のように失敗して尻拭いをこちらに頼ろうとする、などなど、胃痛病院に通うことが増えた。

比較的まともそうなのから少しずつ教育して、なんとか電話応対と来客応対が全員できるようにはなった。

前の部署は、本当に「打てば響く」人材ばかりだった。

わたしの力量と言うより、人材に恵まれていたのだ。

当然、同じように教育しても彼らには必要なことが入っていかない。

丁寧に10教えて、ようやく1入る、という感じで、その1を大切にしてくれるのならそれで十分なのだけどこれがまた抜ける。

また10教える。1入ったと思ったら次の日には抜けている。

この繰り返しだ。

もうなんか、わからない。

今まで他人にきつくあたって、たくさんの人間関係を壊してきた。

この人たちも、厳しく叱れば明日にはもう来ないかもしれない。

でも、この人たちは厳しく言われないとわからないのじゃないだろうか。

いや、一度だけ言ったことがある。

マニュアルに従わない人に対して

「それでうまくいくなら別にいいのだけど現にこれこれこうして失敗しているのだから改めてください」

という内容のことを言った。

彼女の返答は

「今まではこれでうまくいっていたんです」

だった。

その

「うまくいっている」

というのがあくまで社内的に一見すると波風立てずにすんでいるけれども対外的にはクレームの遠因になっていることで、つまりそれは実は

「うまくいっていない」

のです、という説明が、彼女にはもう理解できなかった。

結局、さらに上の人間を呼んで直々に話をしてもらった。

それ以降彼女は、マニュアル通りのことしかしなくなった。

自分で考えて発展的に動くことを意識的にしなくなったのだ。

それで十分だと思う。

彼女も、今までのやり方を否定されていい気持ちはしないはずだ。

それでもまずは基本に忠実に動いてもらえるようになっただけでありがたいと思うし、そのほうがこちらも上司としてずっと安心できる。


わたしには、奥さんの気持ちがわかるような気がする。

こんなに頭も悪く仕事もできない(さらに言うなら、自分より年上の)人間が、のうのうと生活していることが、妬ましくて仕方ないのだ。

わたしの場合、年下なら、まだ許せる。

年上で自分よりできない人間、というのが、どうしたって、許せないのだ。

奥さんの部署の人たちがどんな人たちなのかは知らない。

うちよりはマシなのかもしれないし、もっとひどいのかもしれないし、それはわからないけど。


「目の前の人が自分に見せている姿でその人のすべてを判断すべきではない」と思う。

仕事ができないからと言って、その人を全否定してはいけない」とも思う。


でも、あんなに痛い思いをしてきたのに、わたしはまだ、それらをやめることができない。

わたしは常に「役割」の中で自分を評価してきた。

学生のころも、社会人になってからも、「役割」がどれだけ果たせているか

それがわたしの自己評価だった。

からおのずと、他人もそのように評価する癖がついた。

役割」を一心不乱に果たせている人はすごいと思うし、わたしもそのようになりたいと感じてきた。

反対に、「役割」に忠実でない人間を強く軽蔑してきた。

学生時代なら、学業部活動

社会人なら仕事だ。

そしてプライベートでも、わたしは「娘」「姉」「彼女」という「役割」に依存してきた。

役割」に沿う振る舞いができないと、自分を強く責める。


それしか、わたしのよりどころはなかったからなんだと思う。

自分自分でいられているというアイデンティティ自己同一感?とかいうやつが、内面に乏しい。

自己評価を外部に依拠するしかないのが今の自分だ。


今付き合っている彼氏は愛すべきバカで、わたしは彼のバカなところを愛しつつも同時に強く軽蔑していることをもはや自分の中で無視できなくなってしまっている。

彼とは結婚の話が少しずつではあるが進んでいて、でも彼はバカゆえに職が不安定で収入が少ないということを自分で気に病んでいて、わたしは自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げているから、いざとなったらなんとか助け合いながらやればいいじゃない、と話していたのだが、今日みたいに生理前で神経過敏になっていてしかもこんな身につまされるエントリを読んでしまったものから、もう今の頭の中は「どうやって別れるべきか」ということばかりである

叩かれるのはわかっている。こんな偏った価値観他人を判断するなど何様だ、という話だ。わかっているのだ。その不毛さは誰よりわたし自身が一番よくわかっているのに、まだわたしはそこから逃れられないのだ。彼を軽蔑する自分が大嫌いだ。こんな人間と一緒になれば、彼はきっと不幸になる。そして、子どもが生まれたなら、まあ間違いなくわたしはわたしの両親がわたしにしたことと同じことをするだろうと思う。「あんな親にはならない」と決意するのは簡単だ。それで変われるなら、世の中の虐待ほとんどはなくなっているはずだ。わたしは彼や子どもに「役割」を強いるだろう。今だって、そうなりそうになるのを必死に抑えているのだから。彼に求めすぎてはいけない。適度な甘えは大切だと思うが、その加減もわたしにはわからない。あくま事務的淡々と接するか、べったり依存しまくるか、放っておくとわたしはどちらかになってしまう。


やはりこんな人間は異性と付き合うべきじゃないんだろうな、と書きながら改めて思った。

少なくとも子どもは産むべきではない。

今日帰ったら、彼に話そう。

なんとなく迷っていたことに決心がついた。

2014-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20140222203553

鉄道だとか通信だとか重要で寡占状態のインフラを「不利益だと思う人が使えない状態」は移動や通信の自由の侵害から駄目ですね。あと監視カメラ有効に使おうなんて勢力とか。SuicaとTカードはそれでもよいと思いますSuica炎上だまし討ちみたいな手続きの問題かと。

2013-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20131021172902

どこをどう観測したら「気になるのは「こういう作品」なのに、まるで万人に喜ばれてるように、手放しに評価されている」と思えるのか謎だな。それを言うなら氷菓EDみたいに作品のイメージと全く無関係エロ映像を入れちゃう作品の方がだまし討ち的で悪質。

2013-09-26

日経新聞小学校ネット教育に関する記事」に対する疑義

どうも、お久しぶりです。

今月はじめに、「日経新聞で紹介された小学校のネット教育」について、「このネット授業に賛成する人の意見が聞きたい。」という増田記事でみなさんにコメントを求め、基本全レスしてた元増田です。

あの記事中にも書いたけど、このネット教育について件の小学校に問合せた。するとなんと、この授業を行い、なおかつ教材の開発者でもある、岐阜聖徳学園大学石原教授ご本人より、返信のメールをいただいた。

はてな匿名ダイアリーへお名前を出して掲載する旨も了承を得ているので、ここでそのメールを紹介する。

このメールは9/5にいただいたが、ひとえに私の怠慢により3週間後のこのタイミングとなったことを石原教授にお詫びします。きっと少なからず気をもんでおられたと思います。申し訳ありませんでした。

《問題となった日経記事》

まずは日経記事の問題になった箇所を以下に引用する。

岐阜聖徳学園大学付属小学校岐阜市)の6年生の授業をのぞくと、児童たちがタブレット(多機能携帯端末)のチャット機能コメントをやりとりしていた。匿名なので書き込みは徐々にエスカレート。5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた。そこで教師が手元のボタンを1つ押す。するとチャット画面上に実名が表示され、楽しそうに騒いでいた声がやんで気まずい空気が流れた――。

なお、URLタイトル9月上旬に私が初めて見た時から変更されているので参考までに載せておく。引用部分については変更されていない。



ネット上の反応》

この授業のやり方に対して、2ちゃん2ちゃんまとめサイトはてブツイッターなどで散々な批判が浴びせられた。まとめサイトは400以上のブックマーク、2000のツイート、800のFacebook「いいね」を集め、私の増田投稿も100以上のブクマがついた。Google検索結果を見ても日経記事を発端に、この授業が批判混じりに面白おかしく取り上げられている様子がわかる。

主な論調は「匿名と言ってチャットさせて後から実名さらすのは酷い」といったものだ。私も記事を読み、そう思った。

思っただけでなく、「どうなのこの授業?」という主旨で増田投稿し、授業に賛成する人(・・・も約半数みられた)の意見を聞かせてもらった。冒頭で「全レス」したと書いたのはこのときの話だ。

その中で、やはりどうしてもこの授業について当事者の話を聞いてみたいという思いにかられ、問合せをしたところ返ってきたのが、これから紹介する返信ということになる。

とにもかくにもメールをご紹介します。メールの改行されてしまったところの調整等をのぞき、そのまま貼り付けています

ネット授業の当事者からの返信》

岐阜聖徳学園大学教育学部に勤務しま石原一彦と申します。

岐阜聖徳学園大学附属小学校情報モラルの授業に関して、多くの関心が寄せられておりますが、スレッドを拝見しますとその中にはいくつか誤解も含まれているようですので、教材の開発者として、また今回話題になっている授業を行った授業者として実際の話をさせていただきます

実はこのスレッドの元になった日経新聞の記事は実際の授業の様子を正確には伝えておりません。

記事を書かれた記者の方は、実際に授業をご覧になったわけではないからです。

記事では実際にご覧になったような臨場感を感じられますが、教材の開発に関わった企業広報や授業の一部のビデオ映像などを取材されて書かれたものです。

そして記事の内容は、私が授業で意図したものと全く異なります。この点について説明させてください。

記事では「5分ほどで相手を誹謗中傷する言葉が増え始めた。」とありますがこれは事実に反しています

実際の授業でも実名匿名でそれぞれ5分間書き込みをさせたのですが、匿名チャットでは一部の児童意味不明の文字を連打したり、少し乱暴な言葉を使ったりしただけで、相手を名指しして中傷したり、誹謗するような書き込みをした児童は一人もおりませんでした。「・・楽しそうに騒いでいた声がやんで気まずい空気が流れたーー。」も実際の授業を見られたわけではないので記者想像して書かれたものです。気まずい空気が流れたわけではありません。

実際の授業を想像してください。担任が見守る中でクラス全員でチャットを行って、わずか5分で相手を誹謗中傷する書き込みをする児童が現れることは常識的にあり得ないことです。

もしそのような状態であれば、情報モラル以前のクラスだといえるでしょう。

端的に言えば、私の行った授業は、「児童にわざと誹謗中傷の書き込みをさせたうえで、見せしめのために実名さらす」というものではなく、実名匿名の違いを理解させ、匿名でも実際には本人を特定できることを体験的に知らせることがねらいです。

児童人権に関わることなので、チャットを始める前に「相手を傷つけること」、「意味の分からないこと」、「乱暴な言葉遣い」、「汚い言葉を使うこと」はやめようと、それぞれ実例を示して指導しました。また、匿名の書き込みを実名に変換する前に、児童に「実名に書き換えてもかまわないか」と確認を取り、もしひとりでも「いやだ」と言う児童がいれば実名には書き換えないつもりで授業に臨んでいます

日経新聞の記事が一人歩きして、教師による児童へのだまし討ちの授業のような印象を与えてしまって多くの方に心配をおかけしましたが、実際にはそのようなことはありません。この授業のせいで学級内でいじめが起きたり、人間不信が生まれたりするようなこともありません。附属小学校スタッフの皆様や何より子どもたちや保護者の皆様の名誉のために、あえてこのような場で実名で発言させていただきました。

読んでいただくとわかるように、2ちゃんまとめサイト、私の増田などを大いに騒がせたような「事実」はほぼ無かったと、日経記事での報道内容をほぼ全面的に否定している。具体的に、記事と異なる点をあげると下記のとおりだ。

石原教授の回答と日経記事の食い違いの整理》

記事の引用箇所たった185文字の中に、当事者の話と異なる点がこれだけあることが驚きだ。

このお返事をいただいてすぐ記事の内容について日経に問合せたが「新聞社の原則として、特定の記事に関して個別に見解を表明するというようなことは致しかます」ということで、返事は得られなかった。

ここまでが一連の流れである。よければもう少しお付き合いください。

そしてもし気が向けば、この増田ブクマしていただけると嬉しいです。

《本授業について現状での自分の考え》

ここで「日経記事は間違いだった!」と短絡するつもりはない。

しかしながら、石原教授の主張には、名前を出して掲載することを許可いただいた時点で一定の信頼性が担保されていると考えてよいだろう。

もし主張に間違いがあれば、もっとダメージを受けるのは石原教授からだ。

元増田で「日経記事をうけてJ-CAST小学校教頭インタビューした記事がある」ことをブコメ示唆してくれた人がいた。

そのとき私はJ-CASTの記事は、授業の具体的内容や日経記事の誤りについて指摘していなかったし、学校代表して教頭が当たり障りのないコメントをしているのかな?程度の印象しかもたず、判断保留としながらも、日経記事に重きをおきたい旨を書いた。

しかし上のような状況で、明確に日経記事を否定された今となっては、まったく逆の心証を抱いている。

仮に記事中に事実と異なる記述がなかったとしても、それでもまだ問題がある。つまりチャット児童実名を出す前に確認をとったことを書かず、事前に説明や指導がなされたことも書かず、私も含め多くの人に授業方法に問題があるかのように錯覚させる記事となった。

まとめるとこうだ。日経はこの授業を実際に記者が見て取材することをせず、事実ではないことを書いた可能性がある。また、授業の説明として必要と思われることを書いていない。その結果、岐阜聖徳学園大学附属小学校指導者児童はじめ、関係者名誉を損ねたおそれがある。

石原教授には、上に紹介したメールはもちろんのこと、その前後のやりとりにおいても真摯対応していただき、大変感謝しています。にも関わらず、この投稿が遅くなってしまったことをあらためて、お詫びします。

なお、この増田記事自体が「石原教授」自身が自演で書いているのではないかという勘ぐりもあろうが、冒頭の元増田にこの記事へのリンクを貼ることでその可能性は排除できると考えている。

《あの記事が出た時点でなにができたのか?どうすべきだったのか?》

例によって長くなったがここまでで書くべきことは書いた。

ここからはおまけみたいなものだが、自分にとって必要ことなので書いてみる。

まずは結果として事実でないかもしれない記事を元に増田投稿したことについて。

一般的に、新聞記事を元にネットであれこれ議論するのは、それが匿名増田のような場所であっても、それほど不当なことではないだろう。

もちろん誹謗中傷が含まれるのは論外だが、そうでなければ一次情報に当たらなかったからといって非難されることはないように思う。

その上で書くが、もうすこし慎重になることはできた。

実は投稿する前に、記事の真偽について吟味する手間を省いたことを認めないといけない。

俺はあの日経記事には、そのまま鵜呑みにしてはいけないサインがあったと思ってて、俺はそのサインに気づかないふりをして増田を書いた。そこを今反省している。

サインというのは石原教授も触れている「5分で誹謗中傷が増え始めた」というくだり。ここはブコメで指摘している人もいたが不自然だ。普通に考えると5分で誹謗中傷が「増え始めた」と表現できるような状態になるとは想像しづらくて、記事の表現に無理があるように思える。

からといって他の部分まで「嘘」はいえないが、記事の信憑性に疑問を持つことはできたかもしれない。そして増田への投稿をやめようかとブレーキをかけるくらいのことはできたかもしれない(ただそうすると小学校に問い合わせることもしなかっただろうし、結果としてこの記事の信憑性についてより深く疑問をいだくこともできなかった)。

日経というかマスコミの取材について》

次に、やはり避けて通れない日経の取材について。これはちょっとからないところがあるので、もし知っていたら教えて下さい。

  • 実際に見てないものを見たかのように書いていいものなのか?
  • 業界では常識なのか、常識ではないが黙認されてるだけなのか、黙認もされておらずバレれば社内でもそれなりに問題となることなのか、いったいどの辺の位置づけなんでしょう?
  • 100歩ゆずって「そんなのギョーカイではジョーシキ」だとしても業界の外で通用する常識ではない、よね。
  • 1000歩ゆずって業界の外でも常識だったとして(そんなことはないが)、だからといって嘘書いたらいけない。

石原教授言葉事実だとした場合、今回の記事がこの記者の個人的な失策で、かつ、普通ならまず起こりえない失策あることを願います

子どもネット教育について》

さらに余談を重ねる。

事実ではないかもしれない記事をベースに騒いでしまったという反省はありつつも、今回の件を通して自分なりに子どもネット教育について考えを深めることができた。俺自身は教育者ではないが、親としての意見だ。書いてあることはたぶん色々なところで言われていることの焼き直しみたいな内容になっていると思うのであしからず・・・自分の考えを整理するために書いています

このような状況下で「失敗を通して学ばせる」というのは少々乱暴な話で、失敗の程度は大人が積極的コントロールすべきだろう。いくら野球が大好きでも、小学生メジャーリーグ試合に出場させたら命の危険さらされる。成長度合いに応じてステップアップさせるのが最善なのは言うまでもないことだが、なぜかネットの話になると「とりあえず放り込んどけ」みたいな論がまかり通る。それは大人が責任放棄していることだと気が付かないといけない。

などなど、個々の家庭レベルでもやれることはたくさんある。

ちなみに中学生高校生大学生)になるまではスマホケータイPCも触れさせないという選択もありそうだし、実際やっている家庭もあるだろうが、それだと子どもネットとのつきあい方を教える機会を持てないし、やっぱりネットを正しく使って欲しいという気持ちがあるので、小学生のうちでもどんどん使えばいいと思っている。

日本経済新聞社へ》

返事ください。

2013-07-18

参議院議員選挙についての雑感――自民党ブラック企業

若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミ渡邊美樹候補を自民党擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業であるかどうかは問いません)。

ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法抜け道をつかい若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。

ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要コストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコスト人件費、つまり労働者賃金です。

そんなひどい低賃金長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないかもっといい会社転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。

しかし、現代就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者恫喝します。だから労働者労働環境改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまます

まり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者自分の自由を犠牲にしてでも、ブラック労働環境で働きつづけることを余儀なくされます

さて、一部からブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354

この演説のなかで彼はこう言っています

日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もありますしかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」

国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。

ワタミ渡邊美樹候補は、会社経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。

社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要費用です。すこし前に、生活保護不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年データ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。

このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。

からワタミ渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります

しかし、そのような立場は本当に正しいのでしょうか?

国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党精神と同じであるように私には思えます

いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業労働者解雇やすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張していますしかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。

そのほかにも、自民党憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています

しかし、それでもなお、自民党経済政策に期待する声があります

そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?

―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分利益にもつながるのだ」、と。

しかし、この考えは、「うちの会社ブラックだけど、自分サビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。

ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラック労働環境ネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。

社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。

無理やりの原発再稼働、ブラック企業正当化国防軍必要だという声。これらに共通するのは、恫喝ものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済ダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。

このように、危機に乗じて威圧的論理をつかい政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。

もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。

こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境正当化されるでしょうか。たとえ経済ダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。

その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。

少しうがった見方をすると、ワタミ渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。

まり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミ渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。

要するに、「ブラック企業」といわれるワタミ情報インターネットから得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。

しかし、そのような「自由」は本当の意味での自由でしょうか?

この参議院選挙のあと、自民党憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。

その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されていますしかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまます政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。

もちろん、批判する必要のないほど完璧政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。

それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?

こういう逸話があります

ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われますふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びますしかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。

経済政策武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。

実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。

http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113

世界歴史の至るところで、私たち私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史証明しています

すでに長くなってしまいました。

しかし、もう少し伝えたいことがあります

ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。

ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります中国韓国北朝鮮といった東アジア外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます

しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います

なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。

この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。

http://anond.hatelabo.jp/20130705113110

若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTV週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実情報」として受け取っていますしかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。

多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たち提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。

しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?

少し、個人的な話をさせてください。

私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います

2ch最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています

作家筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります

しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。

文学価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会おいて消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモア指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間人間倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄サイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。

(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)


初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思いますしかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別ブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています

こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?


最後に、映画監督想田和弘さんと、哲学者木田元さんが今回の参院選について語った言葉引用しておきます

マジでおかしいよ、自民党マジでブラック化している。 」

「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPP公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議検討したり生活保護切り崩したりワタミ会長公認したりとあまり最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」

時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前日本孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」

http://

2013-07-14

物語冒頭でキャラクター死ぬ視聴者は喜ぶ。のか?

最近自分の考えが駄目な方向へ突き進んでいるので、吐き出す事にした。

まどかマギカソードアートオンライン幻影ヲ駆ケル太陽ダンガンロンパ進撃の巨人BTOOOM!神姫絶唱シンフォギアヴァルヴレイヴ

魔法少女リアルだということを証明するために死ぬ

ゲームリアルだということを証明するために死ぬ

・なんで死んだのか不明(現在進行中)

主人公たちが置かれた状況がリアルだということを証明するために死ぬ

平和じゃないと証明するために死ぬ

ゲームリアルだということを証明するために死ぬ

・敵の脅威を証明するために死ぬ

戦争リアルだということを証明するために死ぬ(実は死んでない)

この、冒頭にキャラを殺して精神的な、あるいはストーリートリガーにする手法(厳密に確立しているのかどうかはわからない)に、少々うんざりしている。

役割として死ぬキャラクター

とにかくキャラクター死ぬ

気に入らないのは、キャラクター死ぬために存在しているのではないかとも取れるような、後に何も残さない死に方をするところだ。

マミという個人ではなく、魔法少女の先輩として死ぬ、仲良くなったみんなが軽はずみな行動で死ぬ友達死ぬ(何故死んだかはわからない)、同じ環境の子死ぬ、母が死ぬ、同じゲーム参加者死ぬ相方死ぬ、好きだった彼女死ぬ(実は死んでない)

親しい間柄であったのに、個人を確立する前に役割として死ぬ

このやり方が増えると、アニメに没頭できない。「そういう」雰囲気の作品があると、どうせ死ぬんだろうという先入観が生まれてくる。

シリアス路線でも「死ぬ以外に何かないのか」という不満が生まれるし、それ以外だと「茶番」の匂いがしてくる。

■人死にの重要性に対して、ついてこないその他の要素

リアリティを突きつけるには、作品の内容がお粗末なのも気にいらない。

こういうだまし討ちのような事をされると、その後の見る目が厳しくなる。粗を探そうというわけでは決して無い。楽しもうとしても、前例のあるだまし討ちに対して予防線を張ろうと、細部まで目を光らせるのではないだろうか。私はそうだ。

そうやっ楽しんでいるうちに、作品の粗が見つかる。やれポッと出てきた女キャラ唐突に二人の関係に踏み込んできたり、やれ推理前に「死んだ奴は犯人じゃない」と主催者が宣言したり、めちゃくちゃなのを逆に作品の売りにしたりする。

騙しに来ていたくせに、あっさりと馬脚を現し、こんなものに騙された覚えのある自分が腹ただしくなる。心証が悪くなる。

■何度も繰り返せば陳腐になる

この日記の冒頭で記載した、「何かを証明する」死であるにもかかわらず、死ぬ事自体が陳腐化してファンタジー要素を強くする。

このやり方を批判しているのではなく、陳腐化するまで繰り返し同じ事をやった後の本末転倒であるから、余計にもやもやする。

「起こらないか奇跡っていうんですよ」からの「奇跡も、魔法も、あるんだよ」

そういえば、前にもエロゲギャルゲ界隈でおんなじような「殺しとけば感動するんだろ?」という批判の言葉があったのを覚えている。

物語冒頭でキャラクター死ぬ視聴者は喜ぶ。のか?

最近自分の考えが駄目な方向へ突き進んでいるので、吐き出す事にした。

まどかマギカソードアートオンライン幻影ヲ駆ケル太陽ダンガンロンパ進撃の巨人BTOOOM!神姫絶唱シンフォギアヴァルヴレイヴ

魔法少女リアルだということを証明するために死ぬ

ゲームリアルだということを証明するために死ぬ

・なんで死んだのか不明(現在進行中)

主人公たちが置かれた状況がリアルだということを証明するために死ぬ

平和じゃないと証明するために死ぬ

ゲームリアルだということを証明するために死ぬ

・敵の脅威を証明するために死ぬ

戦争リアルだということを証明するために死ぬ(実は死んでない)

この、冒頭にキャラを殺して精神的な、あるいはストーリートリガーにする手法(厳密に確立しているのかどうかはわからない)に、少々うんざりしている。

役割として死ぬキャラクター

とにかくキャラクター死ぬ

気に入らないのは、キャラクター死ぬために存在しているのではないかとも取れるような、後に何も残さない死に方をするところだ。

マミという個人ではなく、魔法少女の先輩として死ぬ、仲良くなったみんなが軽はずみな行動で死ぬ友達死ぬ(何故死んだかはわからない)、同じ環境の子死ぬ、母が死ぬ、同じゲーム参加者死ぬ相方死ぬ、好きだった彼女死ぬ(実は死んでない)

親しい間柄であったのに、個人を確立する前に役割として死ぬ

このやり方が増えると、アニメに没頭できない。「そういう」雰囲気の作品があると、どうせ死ぬんだろうという先入観が生まれてくる。

シリアス路線でも「死ぬ以外に何かないのか」という不満が生まれるし、それ以外だと「茶番」の匂いがしてくる。

■人死にの重要性に対して、ついてこないその他の要素

リアリティを突きつけるには、作品の内容がお粗末なのも気にいらない。

こういうだまし討ちのような事をされると、その後の見る目が厳しくなる。粗を探そうというわけでは決して無い。楽しもうとしても、前例のあるだまし討ちに対して予防線を張ろうと、細部まで目を光らせるのではないだろうか。私はそうだ。

そうやっ楽しんでいるうちに、作品の粗が見つかる。やれポッと出てきた女キャラ唐突に二人の関係に踏み込んできたり、やれ推理前に「死んだ奴は犯人じゃない」と主催者が宣言したり、めちゃくちゃなのを逆に作品の売りにしたりする。

騙しに来ていたくせに、あっさりと馬脚を現し、こんなものに騙された覚えのある自分が腹ただしくなる。心証が悪くなる。

■何度も繰り返せば陳腐になる

この日記の冒頭で記載した、「何かを証明する」死であるにもかかわらず、死ぬ事自体が陳腐化してファンタジー要素を強くする。

このやり方を批判しているのではなく、陳腐化するまで繰り返し同じ事をやった後の本末転倒であるから、余計にもやもやする。

「起こらないか奇跡っていうんですよ」からの「奇跡も、魔法も、あるんだよ」

そういえば、前にもエロゲギャルゲ界隈でおんなじような「殺しとけば感動するんだろ?」という批判の言葉があったのを覚えている。

2012-05-21

咎められることの少ない社会でありたい

お気楽女子大生Webお金を集めたっていいじゃないか

あなたお金が減ったわけではない。

だまし討ちをして搾取したわけでもない。

成績が悪くて旅行に行きまくってお金がなくなったってのは責められる要素だけど

過去にはコミケ猥褻同人誌を出してお金がなくなって募金を始めた大学生だっているんだ

http://lunaticprophet.org/archives/5333

そんなに人を咎めるな。

2012-03-18

はてぶ

トラッキングが問題になったけど

あれが世の中に役立つことってないのかなあ

いや自分も気味悪かったし、だまし討ちだろって意見には禿げ上がるほど同意なんだけどさ

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