最近、自分の考えが駄目な方向へ突き進んでいるので、吐き出す事にした。
まどかマギカ、ソードアートオンライン、幻影ヲ駆ケル太陽、ダンガンロンパ、進撃の巨人、BTOOOM!、神姫絶唱シンフォギア、ヴァルヴレイヴ
・なんで死んだのか不明(現在進行中)
・主人公たちが置かれた状況がリアルだということを証明するために死ぬ
・戦争がリアルだということを証明するために死ぬ(実は死んでない)
この、冒頭にキャラを殺して精神的な、あるいはストーリーのトリガーにする手法(厳密に確立しているのかどうかはわからない)に、少々うんざりしている。
気に入らないのは、キャラクターが死ぬために存在しているのではないかとも取れるような、後に何も残さない死に方をするところだ。
マミという個人ではなく、魔法少女の先輩として死ぬ、仲良くなったみんなが軽はずみな行動で死ぬ、友達が死ぬ(何故死んだかはわからない)、同じ環境の子が死ぬ、母が死ぬ、同じゲームの参加者が死ぬ、相方が死ぬ、好きだった彼女が死ぬ(実は死んでない)
このやり方が増えると、アニメに没頭できない。「そういう」雰囲気の作品があると、どうせ死ぬんだろうという先入観が生まれてくる。
シリアス路線でも「死ぬ以外に何かないのか」という不満が生まれるし、それ以外だと「茶番」の匂いがしてくる。
リアリティを突きつけるには、作品の内容がお粗末なのも気にいらない。
こういうだまし討ちのような事をされると、その後の見る目が厳しくなる。粗を探そうというわけでは決して無い。楽しもうとしても、前例のあるだまし討ちに対して予防線を張ろうと、細部まで目を光らせるのではないだろうか。私はそうだ。
そうやっ楽しんでいるうちに、作品の粗が見つかる。やれポッと出てきた女キャラが唐突に二人の関係に踏み込んできたり、やれ推理前に「死んだ奴は犯人じゃない」と主催者が宣言したり、めちゃくちゃなのを逆に作品の売りにしたりする。
騙しに来ていたくせに、あっさりと馬脚を現し、こんなものに騙された覚えのある自分が腹ただしくなる。心証が悪くなる。
■何度も繰り返せば陳腐になる
この日記の冒頭で記載した、「何かを証明する」死であるにもかかわらず、死ぬ事自体が陳腐化してファンタジー要素を強くする。
このやり方を批判しているのではなく、陳腐化するまで繰り返し同じ事をやった後の本末転倒であるから、余計にもやもやする。
「起こらないから奇跡っていうんですよ」からの「奇跡も、魔法も、あるんだよ」
そういえば、前にもエロゲギャルゲ界隈でおんなじような「殺しとけば感動するんだろ?」という批判の言葉があったのを覚えている。
が、死にもしないと「中身がない」「ご都合主義」「リアルじゃない」だの言われてしまう現実。 死にはしないにしても例えば萌えキャラ辺りを何かと酷い目に遭わせたりしておけば、...
起伏のないものを好む人も少なくないし市場として存在するけどよくdisられるよねw 作品だけでなくそういうものを好む人も。