俺がその一件の裏事情を知ることができたのは、父がヴァリオリのアニメスタジオで働いていたからだ。
人気投票の結果発表から数日経った頃、父は仕事仲間を連れて家に帰ってきた。
「あ、シューゴさん、フォンさん。いらっしゃい」
「よお、長男」
父はこのように仕事仲間を家に連れてくることがあり、俺は彼らから業界のよもやま話をよく聞いていた。
俺にとってはアニメの内容そのものより、むしろそういう話のほうが性に合ってたんだろう。
部外者に踏み込んだ話をペラペラと喋るわけにもいかないからな。
それでも隙のない人間なんていないし、なければ作ってやればいいんだ。
「お、あんがと」
俺はすすんで父たちの輪に入り、酌をする。
そしてこういうとき、「お客さん用」という名目で“いい値段の酒”を開けるようにしているんだ。
酔わせて吐かせるだけならストロング系の缶チューハイとかでもいいが、良い酒で喉元を潤したほうが口元も滑らかになりやすいからな。
そうして程よく酔わせたところで、父たちが話してくれるように誘導する。
「今日は集まって酒飲み……ということは仕事が一段落を終えたんですか?」
「ん……ああ、まあな。アニメの制作自体はいつも通りだったんだが、予定外の仕事が増えたからキツかったぜ」
「人気投票のことです?」
「そうです、そうです。特に結果発表が控えていたときに、ハプニングが起きましたからね……」
発表の一週間前、父たちは事前に集計結果を確認していた。
人気投票の企画や運営をしていたのはスポンサー側だったが、監修のために立ち会う必要があったからだ。
「キャラクターの順位は概ね予想通りですね。主人公が1位で、それに仲間たちやライバルキャラが続いて、新シーズンのボスが……て感じ」
「仲間でイセカだけはちょっと下がりますけど、キャラデザ的にウケが悪いのは仕方ないので1桁に入れただけ健闘した方でしょう」
「まあ、ネット投票する奴らはそこそこ年齢いってる奴らが多いだろうしな。イセカは子どもにはもっと人気あるだろうから十分だろう」
「イセカというより、イセカの使う武器が人気あるって言ったほうがよさそうですけどね」
「分かりにくい例えだが、何となく分かる」
とはいえ集計は終わり、結果が決まった段階。
「ん?……なんかコレ、おかしくねえか」
しかし、その中で一人、シューゴさんだけはすぐ“違和感”に気づいた。
いま最も人気のあるアニメといえば『ヴァリアブルオリジナル』、通称『ヴァリオリ』だろう。
異世界で生まれ変わった主人公が仲間たちと共に冒険をしつつ暴虐共をぶちのめす、完全オリジナル王道ファンタジーだ。
俺個人は別にファンではないが、それでも知っているのはそれだけヴァリオリが人気だということでもある。
今回は、そんなヴァリオリの人気にまつわる話をしよう。
『ヴァリオリ』が第4シーズンのクライマックスを迎えようとしていた頃だ。
とうとう四天王の一人であるスコロペンドリドを打ち倒したことで、ファンの盛り上がりは最高潮だった。
次のシーズンまで間があるため、その熱を保ちたかったのだろう。
俺にとっても、投票中のファンたちの奮闘ぶりは記憶にも新しい。
身近な観測範囲内でも、弟やバイト仲間、クラスメートなどのファンたちの眼光は鋭かったからな。
まあ、そいつらから聞かされるのはもっぱらロクでもないものだったが。
「いや、ああいうのってファンがやるべきもんだろ。何で俺がそんなことしないといけないんだ」
「一理あるけど、実際のところファンたちの“度合い”なんて誰にも決められないだろ。広い意味では兄貴だってファンとすらいえるし、そうじゃなかったとしても兄貴には投票する権利があるんだ。だったら、やるだけやっても誰も責められない」
そう言われて頑なに断れるほどの理由もないため、仕方なくテキトーに投票した。
そのことを何気なくバイト仲間のオサカに話したら、やたらと詰め寄られた。
「マスダ、そういうのって正直やめてほしい。作品のことを大して好きでもない人間が安易に投票することを容認すれば、そいつらが寄り集まってネタ投票とかする悪ノリにも繋がりやすいわけだから」
まあ、当然といえば当然だ。
だから臨み方も違ってくる。
結果が発表された後もロクでもなかった。
「ランキングの結果だけどさあ、そもそも投票方法がイマイチなんだよなあ。ネット投票しかなくて、しかも1人1キャラ、1エピソードまでってのはなあ」
「そうしないと集計が大変だろう。それに組織票とかが発生するだろうし」
「そんなの対策としては意味ないって、いくらでもズルなんて出来るんだから。もっとシステムレベルで最適化しつつ、フェアなやり方をすべきだよ」
まあ、大した理屈じゃない。
こいつの場合、ランキングの結果に納得できなかったから、過程にケチをつけることで自分の中で帳尻を合わせているだけだ。
もし自分が納得できるような結果だったら、多少の粗があっても同じような主張はしなかっただろうからな。
「他のやり方ってどういうのだ? ことわっておくが、現実問題で十分可能な方法にしてくれよ」
「……もう、その断りを入れたら僕が答えられないの分かって言ってるだろ」
そんな感じで、俺にとっては大した出来事じゃあない。
だが後に、この裏で凄まじい激闘があったことを俺は知ることになる。
「サッカーにおいてファウルのアピールは1つのトリックプレーである。転倒時に大げさな痛がり方をすることを批難する者もいるが、それはその選手が下手くそだからだ」
その言葉を体現するように、転倒時の痛がりっぷりが抜きん出ていたのがイッタ・イマージだった。
彼のサッカー選手としての実力は決して華やかとはいえなかったが、痛がり方だけは圧倒的な存在感を放ち、その様子がカメラに映されることが多かった。
それを見た他の選手たちや観客の中には「見てるこっちまで痛くなる」と、痛みを錯覚する者もいたのだとか。
その割に、彼は現役時代に一度もケガが原因で交代したことがなく、故障もしたことがない恵体。
そうして15年間ずっと現役で居続けた、ある意味ですごい選手だったという。
「……で、引退後は自国の観光大使として隣国を巡り、今に至るというわけっすね」
カジマの説明を話半分で聞いていたが、つまり痛がりのプロってわけだな。
ボーナスチャレンジの話を聞いたときは、ローカル番組にしては大盤振る舞いだなと思ったが、そういうことか。
これを企画したヤツ、どうやら俺たちを勝たせる気は毛頭ないらしい。
いわばプロモーションの一環だ。
「テーマは“フリースタイル”です。お好きな方法で痛がってください。では先攻カジマ選手、どうぞ」
全国を魅了するほどのイタガリアンに、一般人の俺たちが勝てるわけがない。
「えー……どうしよう」
さすがのカジマも、この状況に相当なプレッシャーを感じているようだ。
これ以上、恥をかかせないためにギブアップさせるべきか。
半ば諦めていた、その時。
「兄貴ー!」
弟の声が聞こえたので、その方向に視線を向ける。
すると、俺の目の前に「賞金2倍」の文字が書かれたフリップが目に入った。
諦念の相が出ていた俺を見かねて、どうやら弟が書いてくれたらしい。
……そうだ、つけ入る余地はあるはずだ。
いくら痛がることが上手いといっても、それは元サッカー選手としての副次的な能力であり必須スキルではない。
リアクション芸人みたいに痛がりのプロというわけでも、面白いわけでもないだろう。
「カジマ、これはチャンスだ。痛がりのプロともいえるイッタ・イマージに、お前の痛がりを見てもらえるんだぞ」
カジマの頭の中で、随分と前向きな解釈が行われているようだ。
まあいいや、そっちのほうが都合がいい。
「よし、じゃあ1回戦でやった木の棒、その“応用編”で行くぞ!」
「おっす!」
「じゃあ、行きまーす!」
俺は1回戦と同じように木の棒を構える。
「くたばれ!」
そして、ほぼ同じ動作で木の棒を振りぬいた。
「あ``あ``!?」
脛めがけて振りぬいた木の棒は、誤って狙いより上に当たってしまう。
股間にある“第三の足”にだ。
「ああ~っと! これは痛そうだ~~!」
「~~~~っっっ、ちょっとマスダぁ~!」
カジマは俺に怒りの声をあげるが、その姿と声量は情けない。
「ハハハハハッ!」
そんなハプニングに会場は盛り上がる。
当然、これはワザだ。
同じテーマが出てきた時、二回目はコレで行こうと以前から決めていた。
同じことはやればやるほど退屈になりやすい。
だが変に奇をてらおうとするくらいなら、同じことをやったほうがいいのも確かだ。
期待はそう簡単に裏切れない。
だが予想は裏切れるんだ。
「ははは……さぁ~て、ちょっとしたハプニングはありましたが、気を取り直して後攻イッタ・イマージ氏、どうぞ!」
俺たちのやれることはやった。
後はイッタ・イマージ次第だ。
俺は彼の痛がりを知らないから分からないが、いくらサッカー選手とはいえ先ほどのカジマを超えるのは難しいはず。
イッタ・イマージがつたない日本語で、痛めつけ役のスタッフと喋っている。
今回のために覚えてきたのだろうか。
大げさに痛がるサッカー選手なんてロクなもんじゃないと勝手に思っていたが、意外と真面目な人なのかもしれない。
「じゃあ、行きます!」
どうやら俺たちと同じ木の棒で行くらしい。
カジマのを見た上で、あえての真っ向勝負か。
よほど自信があるとみえるが、さすがに見くびりすぎじゃないか?
「おりゃあああ!」
「~~~~~~っっっ」
しかし、見くびっていたのは俺のほうだった。
それを思い知らせるかのように、その実力を見せ付けてきたんだ。
「お~~! さすがのイッタ・イマージ! 貫禄の痛がりっぷり!」
イッタ・イマージはその場に崩れ落ちると、殴られた足を押さえてもがき苦しむ。
生で見ているせいもあるのかもしれないが、圧倒的な迫力だ。
まるでサッカーのグラウンドがそこにあるかのように錯覚させるほどに迫真の痛がり。
会場の盛り上がりも最高潮を迎える。
エンターテイメント性という意味では、カジマの痛がり方も負けてはいない。
「ねえ、あれって本当に痛いんじゃないの?」
「確かに、そう思えるほどだ」
「いや、そうじゃなくてマジもんの……」
本当にあそこまで痛がるほどなのだと、俺たちまで思ってしまった。
その時点で、自ら敗北を認めているようなものだ。
完敗だ。
俺たちに悔しがる資格はない。
所詮、リアクション芸人の真似事でしかない俺たちでは勝てるはずもなかったんだ。
「いや~、素晴らしいイタガリアンっす」
そう言いながらカジマは、握手目当てにイッタ・イマージに近づく。
だが彼の顔を見た途端、なぜかカジマの動きが止まった。
「ん? どうしたカジマ?」
「イッタ・イマージさん……き、気絶している」
後に知ったことだけど、イッタ・イマージは痛みを感じやすい体質だったらしい。
俺たちがそこまで痛いと思わないレベルでも、イッタにとってはリアルに痛かったんだから。
『あなたたちは痛みに慣れすぎて、鈍感になってるのよ……』
少し前に母が言っていたことを思い出す。
今回の一件で、俺たちは“痛みに鈍感”であることの意味、その危険性を改めなければならなかった。
「ねえ、いまさら気づいたんすけど……」
イッタ・イマージが救急室に運ばれていくのを眺めていると、ふとカジマが呟いた。
「隣国の観光大使をこんな目にあわせるのって国際問題になるんじゃ……」
だが生憎、俺はそれに答えられるようなものを持ち合わせていない。
「……どうだろうな。まあ少なくとも、それが国際問題になると思っている人たちの間では問題になるだろうとは思うが」
「違ぇよ。つまり俺たちが気にしたところで仕方ないってこと」
今回、痛くも痒くもなかった俺では、そう言うのが精一杯だった。
結局、痛みを知らなきゃ本当の意味では学べないのかもしれないな。
まあ、そのためにわざわざ痛みを知りたいとも思わないが。
そんな感じで俺たちは着々と勝利を重ねていく。
そして、あっという間に決勝戦を迎える。
「優勝は……カジマ選手!」
「うおおぉぉっ! やったっすー!」
そして優勝を決めた。
……随分な話の端折り方をしてしまったが、これには理由がある。
まず地元の一般人のみ参加という制約上、レベルがそこまで高くない。
俺の観測範囲内ではあるが、地元でこの番組に参加するような人間でイタガリアンの適正がある奴はほぼいないんだ。
だが、その中でもカジマは適正がそれなりにある人間だったと確信していた。
前も言ったが、こいつは自己顕示欲が強い。
一般人がテレビになんて出たら大抵は緊張してしまい、普段のパフォーマンスを発揮することは難しくなるだろう。
だが、カジマは「目立てる」という感覚を優先させるのでリアクションを躊躇しない。
それでも多少はプレッシャーを感じていると思うが、程よい緊張感はパフォーマンスをむしろ向上させる。
特にこの日のカジマは、プロのアスリートでも珍しいと思えるほどに絶妙なコンディションだった。
更に身も蓋もないことをいうと、カジマは“絵になる容姿”を持っているのが何より大きい。
そんな奴がリアクション芸人さながらの痛がりっぷりを見せるのだからウケるに決まっている。
目立ち方の良し悪しを上手く判断できないのが弱点ではあったが、それは俺が手綱を握ればいい。
そして計算どおり、見事カジマはそれに応えてくれたってわけだ。
「さあ、今回から優勝者にはボーナスチャレンジの権利が与えられます!」
「何だよそれ、聞いてないぞ」
それが自分の落ち度ではなく、あずかり知らぬところで起きたことなら尚更である。
「スペシャルゲストと対戦していただき、買った場合はなんと賞金が倍!」
如何にも番組的な都合で捻じ込まれたような、思いつきの要素だ。
だが俺にとって嬉しい誤算ではあった。
これで山分けしてもかなりの金が手に入るぞ。
「加えて次回のイタガリアンにレジェンド枠として参戦もできます!」
と思ったが、やはりやめたほうがよさそうだ。
賞金が倍になるのは魅力的だが、次回もまた参戦しなきゃいけなくなったら憂鬱だ。
「あの、このボーナスチャレンジって絶対やらないとダメですか?」
「え……ああ、別にここで負けたとしても賞金が没収になったりとかはしませんよ」
「いや、そうじゃなくて、ボーナスチャレンジそのものをやりたくないって意味なんですが」
「……えー」
俺はそう司会者に尋ねるが、あまりにも予想外の質問だったらしくて困った反応をしている。
まあ、そりゃそうだ。
そもそもこの番組に出て優勝するような人間が、このボーナスチャレンジを断る理由はないからだ。
俺の参加動機が不純なのが悪い。
賞金が増えるなら結構なことだし、次回の参戦権は俺だけ辞退すればいいだろう。
「さあ、今回のボーナスチャレンジで戦うスペシャルゲストはこの方でーす!」
司会者がそう告げると、会場の正面にある扉から煙が吹き上がった。
ちゃちな空砲の音と同時に、扉が開かれる。
いや、誰だよ。
ローカル番組にそんな大層な有名人が来るなんて期待していないが、変にハードルを上げておいてこれは……
「まさかイタガリアンに出てくれるなんて、あまりにも予想外!」
しかし会場は彼の登場に大盛り上がり。
まさか、俺が知らないだけなのか。
「マスダ、知らないの? ネットでも一時期ミーム化した人なのに」
正直、カジマのいうネットミームは、かなり限定された範囲での話なことが多いから鵜呑みにできない。
だが、他の人の興奮ぶりを見る限り、実際に有名な人物のようだ。
「そいつは何でそこまで有名なんだ?」
なるほど、サッカー選手だったのか。
しかし、あの国ってサッカーがそんなに強いわけでもないし、そこまで熱狂的なイメージもなかったと思うが。
その国の元サッカー選手が何でそんなに有名なんだ。
いよいよ本番だが、さてどうしたものか。
渡された木の棒は野球バットほどの太さと長さがあるが、持ってみると予想外に軽くて柔い。
これだと殴ってもそこまで痛くないな。
「どこを殴る?」
出来る限り唇を動かさないようにして、カジマにそう尋ねた。
主役は痛がる方だとはいえ、俺も下手なことは出来ない。
攻撃が痛そうでなければ、いくらリアクションが良くても薄っぺらくなる。
カジマはそう言ってニュートラルに立つ。
いきなり直球勝負か。
よし、やってやろう。
カジマを信頼し、小さく頷いて見せた。
「行きまーす!」
そう宣言をして、俺はパワーヒッターのような独特の構えをする。
当然これはハッタリだ。
「くたばれ!」
「がっ……!?」
振りぬかれた木の棒は見事、カジマの脛にクリーンヒットした。
直立だったのもあり、両方の脛に当てることができた。
「あ``あ``あ``あ``~っ」
ダミ声を発しながら、カジマはその場に崩れ落ちる。
「お~っと、これは素晴らしい痛がりです! カジマ選手の悲鳴が、観客たちの笑い声に負けていません!」
痛めつけ役の俺ですら、分かっていたにも関わらず感心するほどだ。
カジマの実力を改めて痛感した。
「いや~、いきなりレベルの高いイタガリアンが出てきましたね。これはシロクロ選手やりにくいでしょうね~」
そしてシロクロの番がまわってくる。
なにせシロクロは性格上、プレッシャーなんてものとは無縁のヤツだ。
多少の無茶は可能だろう。
「シロクロ、どこに攻撃すればいい? 相手と同じ場所だと分が悪そうだけど……」
シロクロはそう言いながらガイドに頭を小突いて見せた。
なるほど頭か。
シロクロにしては考えたな。
カジマのターンで、木の棒の柔さに観客たちは気づいている。
だが頭なら衝撃が伝わることで痛さを演出できるだろう。
「じゃあ、行くよ~……そらっ!」
まるで剣道の面打ちように、ガイドはシロクロの頭に木の棒を当てた。
これはガイドの痛めつけ方が悪い。
そこは大根切りのように振りぬくべきだ。
「……効かぬぅ!」
そんな哀れな攻撃を受けて、シロクロはリアクションを拒否した。
「おーっと、シロクロ選手。どうやら痛くないようです!」
ゲームの趣旨を理解していないシロクロの反応に、ガイドは戸惑う。
「何で痛くないのに痛がらないとダメなんだ?」
それに対しシロクロは、番組の趣旨そのものを否定するようなことを言っている。
この『イタガリアン』ではリアクションが自分の中で納得できなかった場合に、一度だけやり直しが可能となっている。
ガイドの痛めつけ方が半端なのは明らかだったので、ここでの「痛くない」宣言は妥当だ。
だが俺たちが有利であることは何ら変わらない。
先ほどの攻撃を痛くないと言ってしまった以上、ガイドはあれよりも明らかに痛そうな攻撃をしないといけないからだ。
俺が先ほど推奨していた大根切りですら不十分だろう。
「もっとだ! オレを殺すつもりで来い」
「いや、そんなことしたらダメだろ」
「オレは最強の男だ! 殺しても死なない!」
「もう、わかったよ……まずこのアーティファクトで木の棒を堅く。そして次にボクの身体能力を……」
どうやらガイドのやつ、未来のアイテムを使って強化を施しているようだ。
何だかインチキくさいが、物申すのも話がこじれそうなので黙って見ているしかない。
シロクロの肩めがけて棒が振りぬかれた。
バギャッァウ!
俺の知っている、あの柔い木の棒とは思えないほどの音が鳴り響いた。
「うぉっ!」
絵としてのインパクトは抜群だ。
「あ~っと! なんとシロクロ選手が流血! ケガをしてしまうほどの攻撃は失格となります」
「ああ、やりすぎてしまった……シロクロが丈夫すぎるから、加減の仕方が分からないんだよ」
「なぜだ、全然痛くないぞ?」
「オレはまだ倒れていないぞ!」
「……なんか、本気でリアクションしたオイラが馬鹿みたいなんすけど」
こんなことやってる時点で、いずれにしろ馬鹿みたいであることには変わらないから。
第一回戦は早速、俺たちの出番だ。
ウォーミングアップを始める俺たちのもとに、見学に来ていた母は心配の声をかける。
「あなたたち本当にやるつもり?」
「ここまできて『やっぱりやめる』って選択はないよ。だったら最初からやるなって話になるからね」
俺と同じく、母もこの番組を面白いと思っている人間ではなかった。
だが、俺みたいな漠然としたものではなく、一応の“背景”があるから嫌悪感を露にしているのだと思う。
「“痛み”をエンターテイメントにするなんて低俗だし、それを楽しむのは不健全じゃないかしら……」
同じく見学に来ていた弟が母をなだめる。
弟は『イタガリアン』のファンで、俺が参加するとなったときも大層喜んだ。
今回の件で一番盛り上がっているのが、傍観者の弟ってのも妙な話である。
「諦めなって母さん。残念だけど、母さんみたいな繊細な人間相手にこの番組は作られていないし、そんな義務もないんだからさ」
「あなたたちは痛みに慣れすぎて、鈍感になってるのよ……」
母が言うと中々に重みのある言葉だ。
と同時に空虚さも感じる。
昔は人間の体のほうが多く比率を占めていたが、今では脳と心臓のみ。
つまり母は“痛み”に鈍感ですらなく、今では感じることすらできないわけだ。
だからこそ、自分が感じることができないものに対して慎重にモノを考えようとしているのかもしれない。
まあ、実際のところどうかは知らないし、知ったところで俺がどうこうするってわけでもないんだが。
「安心しろって。痛い思いをするのは俺じゃなくて、出場者のカジマのほうだからさ」
「そうそう」
「いや、それはそれでどうかと思うんだけど……」
そして第1回戦が始まる。
地元から参加者を募るから分かってはいたが、いきなり知り合いとの戦いである。
「お前ら、何で出場したの」
「オレはシロクロ! 最強の男!」
シロクロはそう言ってボディビルダーみたいなポージングをした。
どうやら大した理由ではないらしい。
恐らくシロクロの突発的な行動で、ガイドはそれに巻き込まれたってところだろう。
「さて、今回は“木の棒”です」
「出場者の方々は理解しているでしょうが、視聴者の方へ向けてルールを改めて説明をさせていただきます……」
数分かけて、司会者が丁寧すぎる説明を始めるが、ぶっちゃけ大したルールはない。
要はテーマ毎に決められた方法で痛めつけ、出場者はそれにいい感じのリアクションをすればいいだけだ。
こうやってルールを確認してみても、やっぱりこれゲームとして粗末すぎるな。
ルールを複雑化したら大衆ウケが悪くなるとはいえ、これだとテキトーすぎないか。
「オイラとしては出場したい気持ち強いんだけど、参加条件を満たせなくて……」
なるほど、あの優柔不断な態度の裏にはそういう理由があったか。
「参加します」とのたまっておいて「参加できませんでした」では格好つかないからな。
それにしても、あの番組の参加条件ってそんなに厳しかっただろうか。
それなりに健康で、年齢基準さえ満たしていれば参加できたはずだが。
「条件って、何がダメなんだ」
「アシスタント、パートナーがいるんす。出場者を痛めつけるための」
なんだそりゃ。
「今までそんなレギュレーションなんてなかったと思うが」
「番組スタッフが一般人の参加者を痛めつける行為はどうか、ってクレームが出てきたらしくて」
だから痛めつける役も任意の参加者から募る方式にした、ってことか。
ローカル番組でもそういう目配せをしなきゃいけないんだなあ。
……いや待てよ。
パートナーか。
「よし、分かった。俺がお前を痛めつけてやろう」
俺は演技派ではないし、痛いのも好きではないから乗り気じゃなかったが“そっち”ならアリかもしれない。
番組の花形は痛がる方なのだから大してカメラに映らないだろう。
そして俺自身は痛くも痒くもない。
賞金を山分けすることを考慮しても、それならやってもいいと思えた。
「ええ~、マスダがあ?」
カジマが白々しい反応をする。
こういう無駄なやり取りを挟むのは嫌いってわけじゃないが、こっちにその気がない時までしてくるのは癪だ。
「俺がそう切り出すことを期待したから、そんな話をしたんだろう」
「まあ、そうっちゃあ、そうなんすけど……マスダが痛めつけるのかあ……」
こうしてカジマは『イタガリアン』への出場を決め、俺はそのパートナーとして出るってわけだ。
「参加しない」と言っておいて、実質的に参加していることに少し疑問を持たなくもなかったが、それは賞金の前では気にすることではない。
「カウントダウン、3、3、2、2……」
「あー、なんだかんだいって緊張するっすねえ~」
収録が近づく中、カジマが俺にだけ聴こえるようにそう呟く。
しかしそれを言えるってことは、カジマのコンディションは万全であることを意味する。
優勝は貰ったな。
「さあ、今回も人気コーナー『イタガリアン』のお時間が始まりました~」
司会のコールとともに、いよいよ収録が始まった。
俺はカジマの影に立つようにして、カメラに極力映らないように、印象が残らないように努める。
どうせここら辺のくだりはダイジェストで流れるだけだろうとは思うが。
この番組では賞金が出る。
俺の給料およそ1ヵ月分。
破格ではないが、俺にとっては大金だ。
しなかった。
まず、優勝を狙える気がしない。
本職ならともかく、善良な一般市民でしかない俺がそんなことをやるのは無理だ。
更に、そんな姿をテレビで流されるのもキツい。
金は俺にとって優先順位が高いのは確かだが、恥と外聞が天秤に乗っているんじゃあ分が悪すぎる。
後は、さっきも言ったが俺はこの番組をそこまで面白いと思っていない。
優勝を狙える気がしない上、賞金が恥と外聞に対して少なく、更に番組の参加を楽しめないというのなら、もはや俺が参加する理由がない。
数日前に話はさかのぼる。
街中を友人と連れ立っていたのだが、『イタガリアン』の番組ポスターがやたらと目につく。
これは俺が内心では気にしすぎていたせいもあるだろうけど、実際ポスターがいたるところに貼られていた。
まあ、人気番組がくるのだから町おこしにもなるし、、ちょっとした騒ぎになるのは当然だ。
だが、俺みたいな人間にとって、ちょっとした迷惑にもなるのも当然ではある。
この時、俺は既に『イタガリアン』の出場を断念していた。
だが、街中に貼られている番組ポスター(厳密には賞金の額)が視界に入る度に気持ちを燻らせるんだ。
我ながら未練がましい。
もう参加しないことは決めているのだから、俺のこの燻りは無いものねだりでしかないというのに。
「あー、『イタガリアン』の参加どうしようっかなあ」
そう呟いたのは、一緒にいた友人のカジマだ。
まあ、カジマならそう言ってくるだろうとは思った。
こいつは友人の中でも特に自己顕示欲が強く、その欲求を優先して行動しがちなキラいがある。
そして大抵の場合、それは良い結果を生まないことが多い。
「悩むくらいならやめたほうがいいんじゃないか?」
俺はそう返した。
まるで自分に言い聞かせるように。
「でもなあ」
「じゃあ、参加したらどうだ?」
「うーん」
カジマの反応はどっちつかずだ。
これも予想通り。
カジマは大して心にもないことを言ったりやったりすることに快感を覚えたり、更にはそれで他人の反応を窺いたがる悪癖がある。
今のこいつの優柔不断な態度は心から悩んでいるからではなく、ただのコミニケーションの一環ってわけだ。
この程度で、こいつとの友人関係に亀裂は入らない。
さっさと家に帰ろうと考えていた。
「ならこの話はもう終わりだな。暇だからこうやって町を歩いてはいるが、不毛な応酬をするほど持て余してはいない」
俺はそう言って、カジマを引き離すように歩みを速める。
それで焦ったようで、カジマはすぐに俺に追いつくと話を次に進めた。
実際はどうあれ、パブリックな場ではノーと答えるのを俺たちは知っている。
そして、その答えが欺瞞であると反射的に思える程度には容認された、ありふれた光景であることも。
利己的に考えるなら、車にぶつからないと分かりきっている状態でも立ち止まるのは、実質的に時間の無駄だからだ。
だが、その“車にぶつからないと分かりきっている状態”、その認識を俺たちは共有できているのだろうか。
……なんて話をしていると、今回は交通に関する話かと思うかもしれないが、生憎ハズレだ。
“痛み”だ。
如何に簡単なクイズを出題できるかで競うんだが、参加者たちの分析によって攻略法が編み出されていくと内容がマンネリ化。
それを避けるためにルールを複雑にしていくが、そのせいで大半の視聴者はついていけなくなった。
結局『ライト・クイズ』は一年ほどでなくなり、番組側は新たな企画を作る必要に迫られる。
まずは『命の洗濯屋』という企画で、「疲れている人に様々な気晴らし方法を提供する」という趣旨だった。
だが、その実は無名の芸能人と一般人による観光番組の延長でしかなく、明らかな低予算感も相まって打ち切り。
そこで次に出たのが『あえての粗探し』という、賞賛の声が多い作品に対して批判点もあげていこうという企画。
他の番組がほとんど取り上げないようなレビューが見れるとして、これは割と好評だった。
だがある日、作品のファンによる抗議活動が行われ、その番組のファンとの間で争いが発生。
それが刑事事件にまで発展してしまい、番組は「不毛な対立煽りを助長した」として、已む無く打ち切りとなる。
その後は色々と迷走をするが、それを止めたのは『ライト・クイズ』での成功体験だった。
そうして出来たのが『イタガリアン』。
要はリアクション芸人がやっているようなことを、ゲーム形式で一般人もやってみようという企画だ。
これが見事に当たった。
『ライト・クイズ』での反省も踏まえてルールはシンプルにし、審査基準もあえてユルくすることで間口を広げた。
リアクション芸人たちのような体験が出来ることで番組は大盛り上がり。
更には、これがきっかけで俳優デビューする人まで出てきたことで一躍、有名企画となった。
ここまで話しといてナンだが、俺は正直この番組をそこまで面白いとは思っていない。
同級生の一部で盛り上がっているので、情報として知っているだけ。
じゃあ、俺はなんでこんな話をしたのか。
それは今回、その番組がロケ場所として、俺たちの住む町を選んだからだ。
次に俺は片方だけ足を上げ、クルリと回ってみせる。
「な、なんて機敏な!? まるで自分の足のように動いているぞ!」
『鍛錬は心を包み込む』
アノニマンの教訓その6の通りだった。
「弟くんに、あんな特技があっただなんて……」
「いや、練習したんだろうさ……俺たちの知らないところで」
そうして一通り動きを見せていく頃には、俺はすっかり調子を取り戻していた。
今なら大技もできるという確信を持てるほどに。
「よし、次だ!」
俺は目の前にある階段を勢いよく駆け上る。
その勢いを殺さず、次は駆け降りてみせる。
「マジかよ!? 技術だけじゃなくて、勇気がなきゃあんなの出来ないぞ」
「これで最後だ!」
最後の一段、俺は大きく跳んだ。
そしてバランスを崩さず、綺麗に着地する。
当然、ここまでの間、俺の足はカンポックリから一度も離れていない。
完全に一体化していた。
「うおおお!」
「すごいな! いつの間にあんなことが出来るようになったんだ」
みんなが俺のもとに駆け寄ってくる。
カンポックリで感心してくれるか不安だったけど、杞憂だったようだ。
アノニマンの教訓その10、『スゴイことに貴賎はない』ってことなんだろう。
間違いなく俺はここにいる。
「それが今のマスダを形作ったルーツってわけね」
「あれ? でも今はカンポックリやってなくない?」
「そりゃあ学童に行かなくなってからは、わざわざそれをやる理由がなくなったからな。でも、あの時の経験が無駄になったわけじゃない」
俺はそれからも、様々な場所で自分を表現することが自然に出来るようになった。
何かに熱中して、上達する喜びも知ったんだ。
「へえ~、イイ話だねえ」
「いや、それそんなにイイ話じゃねえって」
同じ部屋にいた兄貴が水指すことを言ってくる。
兄貴はこの話を何度も聞かされていたので、ウンザリしていたんだろう。
「野暮ったいこと言うなよ兄貴」
「え、どういうこと?」
兄貴の言うとおり、アノニマンというのは昔の特撮ヒーローが基となっている。
その映像を見たことがあるけど、見た目、言動といい、確かにそっくりだった。
彼はそれに強く影響されていたってことなんだろう。
それは、しばらく後になって分かったことだけど、別にショックじゃなかった。
「そいつはこのアノニマンを真似ていただけ。ただのゴッコ遊びだったんだよ」
「そんなの関係ないね。俺と手を握ったのは“あのアノニマン”なんだ」
アノニマンの教訓その11、『私が尊敬されるような人間かどうかは関係ない、キミが私を尊敬できるかどうかが大事』。
それへの答えは決して変わらない。
「だったら、せめてその話は周りにはするなよ。お前はともかく、そいつにとっては黒歴史っつう可能性もあるんだからな」
「それっぽい理由を盾にしてケチつけんなよ。俺とアノニマンのことについて何も知らなかったくせに」
「……まあ正体なんて誰にも分からないだろうし、大丈夫……か」
どこかで惨めに 泣く人あれば
横槍気味に やってきて
啓発じみた 教訓で
好き嫌いは 分かれるけれど
自愛の心は 本物だ
アノニマンは 誰でしょう
アノニマンは 誰でしょう
うろたえた俺は、あわてて彼を引き止めようとした。
「そ、そうだ、明日も見に来てよ。アノニマンがいないと不安で失敗しちゃうかも……」
「アノニマンの教訓その15! 『頼れるときは頼れ、ただし甘えるな』!」
いつも芝居がかっていた声の調子が崩れるほどに、アノニマンは俺を怒鳴りつけた。
「キミはいつまでも、そうやって誰かに甘えて生きるつもりか? 母親がいなければ父親、父親がいなければ兄か? 次は私か? そうしないと君は何もやらないのか? できないのか!?」
だけど、その声に怒りのような感情はない。
『私はキミの親ではない』と言いながら、まるで親が子供に言って聞かせるように俺を叱りつけたんだ。
「キミには自分で考える頭と、自分で動かせる身体がある。そうしてキミは“ソレ”を選んだ。ならば私がいようがいまいが、やるべきことは変わらないはずだ」
「……うん、今まで、ありがとう」
そう返すしかなかった。
なにより、そこまでして彼を困らせたくなかった。
「さらばだ、少年よ。他にも、どこかで泣いている子供がきっといる。助けを求めていなくても助けなければ!」
アノニマンは、いつものようにマントを翻しつつ俺の前から去っていった。
そう、アノニマンは助けを求めていなくても、助ける必要があると感じれば手を差し伸べる。
逆に言えば、助けを求めていても、その必要はないと思ったら助けないんだ。
アノニマンがそう判断したのなら、俺はそれに応えるないといけない。
そうして翌日。
俺がみんなの前で“成果”を見せる時だ。
「とりあえず広場に来いって言われたから来たけど、何が始まるんだ」
みんなが俺を見ていた。
今まで味わったことがないようなプレッシャーが押し寄せ、体が上手く動かない。
なにせ自分の意志で人を集め、改まってこんなことをするのは始めてだったからだ。
「おい、早くしろよ」
兄貴が急かしてくる。
みんなを呼んでくるよう頼んだから集めてくれたのに、俺は何もしないのだから当たり前だ。
何もしない人間を見ていられるほど、みんなは辛抱強くない。
別の日にしよう、という考えが何度もよぎった。
その度に俺はそれを振りほどく。
この日やらなかったら、一生できない気がしたからだ。
アノニマンの教訓その7、『やり続けた者の挫折こそ、挫折と呼べる』。
俺はまだ挫折の「ざ」の字すら見ていないし、やめる理由がない。
「あれは……カンポックリ!」
「なにそれ?」
「えーと、つまり缶に紐を通して作ったゲタみたいなモンだよ」
「ふーん、それで何をするつもりなんだ、あいつ……」
俺は缶に足を乗せると、手で紐を真上に思いっきり引っ張る。
「よし、いくぞ!」
俺はカンポックリで走り出した。
「うおっ、はやっ!?」
それはまさに“走っている”と表現していいほどの速さだった。
「すごいな、しかも桃缶とかじゃなく、小さい缶コーヒーであそこまで……」
「さて、次のステップはその“頑張れること”を何にするかだ。もちろん好きなものの方が良い。アノニマンの教訓ではないが、『好きこそ物の上手なれ』という名セリフがあるからな」
「それは施設内にないだろう。あそこにある中で、可能なものを選ぶがよい」
そうは言っても、今まで手をつけてこなかったものだ。
興味が湧かないし、やってどうこうできるイメージも湧かなかった。
そこでアノニマンはまたも道を示してくれた。
「ならば、まずは施設内にある遊具を一通り嗜むのだ。そして、その中から“得意なこと”を見つけだせ」
「“得意なこと”……?」
「アノニマンの教訓その4、『得意と努力は家族ではない。しかし隣人ではある』。得意なものほど熱中しやすく、頑張ることは苦になりにくいのだ」
こうして俺は無作為に、色んな遊びに手を出してみた。
最初は気乗りしなかったけど、どれも遊んでみると意外な魅力を感じるものが多い。
アノニマンがいないときも、いつも何かで遊ぶことが増えたんだ。
そんな俺の様子を見て、学童の皆もよく話しかけてくるようになった。
「うん……でも大皿にすら乗せられない」
「ああ、それは持ち方と構えが……」
徐々にだけど、俺も自分の意見を言えるようになり、マトモなコミュニケーションをとれるようになっていく。
その時は気づいてなかったけど、俺は既に自分なりの居場所を手に入れつつあった。
得意なことも頑張れることもまだ分からなかったけど、多分それも考えた上でアノニマンは俺に色々やらせたんだと思う。
そうして一週間後。
俺はその日もアノニマンに成果を報告していた。
「……というわけで、どれもそこそこ出来るようになったけど、やっぱり俺は“コレ”にしようと思う」
「なるほど。“ソレ”は学童内でちゃんとやっている子もいないからな。個性を見せるという点でも良いチョイスだ」
アノニマンも最初の頃のような説教じみたことを言うことが減って、その代わりに俺を褒めてくれることが増えた。
「それに“コレ”で遊んでいる姿は、皆にはまだ見せたことがないんだ。今日はしっかり仕上げて、明日ビックリさせてやる」
俺はその時、かなり充実感があった。
「ふむ……では、もう私の助けも必要なさそうだな」
いや、忘れているフリをして、考えないようにしていたのかも。
アノニマンが何のために道を示したのかを。
「そんな……」
「『道は示す』と言った。そして『通るかはキミ次第』とも言ったはずだ。通れる道が見えているのに、移動まで私にやらせるつもりか?」
分かってはいたんだ。
俺がその道を通れるようになった時点で、アノニマンの仕事は終わる。
それがこの時だった。
そして翌日。
まずアノニマンは、俺にその“道”がどういったものかを教えてくれた。
「アノニマンの教訓その1、“居場所とは社会の縮図”である! その中で自分の居場所を見つけるためには、とどのつまり社会の一員になること。仲間になればいい!」
「どうすれば仲間になれるの?」
「少しは自分で考えろ!……と言いたいところだが、この段階で勿体つけても時間の無駄なので答えてあげよう。せっかちな私に感謝したまえ」
「……ありがとう」
「いいぞ、その調子だ。アノニマンの教訓その2、“感謝とは言動で示したとき、初めて感謝となる”のだ」
「その教訓、いま考えてない?」
アノニマンは偉そうで、強引だった。
だけど、あの頃の俺にとってはそれ位が丁度良かったのかもしれない。
「何度も言おう、私はせっかちだ。だから理屈はクドくとも、答えはシンプルにいく。キミは“一目置かれる”存在になれ!」
「それって……どういうこと?」
「例えばキミと同じ学童のウサク。彼はある日、学校の朝礼にて校長のカツラを剥ぎ取った」
その場には俺もいたのでよく覚えている。
確かにあれは衝撃だった。
「ウサクは後にこう語った。『ありのままの姿を隠すことは、否定することに繋がる。学園の長がそんなことでは教育以上よくない』……と。この主張の是非はともかく、それで彼が一目置かれる存在になったことは間違いない」
「キミは応用力がなさすぎるな。今のはあくまで一例。他人のやり方を形だけ真似ても、ただ悪目立ちするだけだ」
「じゃあ、何のために今の例えを出したの?」
「ほんとキミは疑問系ばかりだな……あの話から学ぶべきこと、それは“個性を認めてもらう”ってことだ」
個性……。
アノニマンの言うことは理解できたけど、どうすればいいかはまだ分からない。
だって自分の個性なんて、ちゃんと考えたことがなかったからだ。
「俺の……」
「みなまで言うな。自分の個性が何なのか分からないのだろう。だが、それは大したことじゃない」
だけどアノニマンはそれを察した上で、その不安を一蹴してくれた。
「アノニマンの教訓その3、“個性とは自称するものではない”。『自分はこういう人間だから』と吹聴する人間はロクでもないからな」
アノニマンも似たようなことやってるような気がしたけど、そこはツッコまないようにした。
「だったら、どうするの? 自分の個性が分からないのに、認めてもらうことって出来るの?」
「先ほどしたウサクの話を思い出してみろ」
確かにそうだ。
「他の人のことも思い浮かべてみろ。そしたら自ずと見えてくるはず」
他の人……。
その時に俺が真っ先に思い出したのは、今日の兄貴のことだった。
「俺の兄貴なんだけど……コマ回しをやってた。難しそうな技が出来て、周りも驚いていた。本人も得意気で……」
「……そうか。どうやら“道”が見えてきたようだな」
「何か頑張れることを見つける……ってのはどう?」
「よかろう! では、次のステップだ!」
俺が自分で答えることができて、たぶん喜んでいたんだと思う。
話がそこまで進展したってわけでもないし、ましてや俺の問題なのに。
それでも自分のことのように喜んでいる様子を見て、俺はこの人に頼って良かったと思った。
「少年よ、なぜこんなところで一人、泣いているのだ。助けは必要か?」
「な、泣いてないよ」
「ふぅん、強がる程度の気概はあるか。結構、血行、雨天決行!」
大げさで意味不明な言い回しで、初対面の子供相手にズカズカと土足で入ってくるイラつく奴だ。
しかも見た目もカッコよくない。
顔に取り付けられた仮面は明らかに紙で出来ていて、声をくぐもらせている。
見た目は手作り感に溢れ安っぽく、飾ってはいるけど飾りきれていない感じ。
体格は俺より大きいけれど、一般的な大人ほどではなかったと思う。
ただ、そのゴッコ遊びの延長みたいな風貌が、俺の警戒心をゆるめたのかもしれない。
俺は人見知りのはずなのに、すぐさま彼と話すことができた。
「よくここが分かったね。今まで誰にも気づかれなかったのに」
「私の超能力が一つ、“アノニマ・センス”だ。キミのように孤独でみじめな人間が近くにいると血が騒ぐのだよ」
「言い方」
いま思えば、俺がああやって話すことができたのも、アノニマンの超能力の一つだったんだろう。
俺は少ないボキャブラリーで、アノニマンに精一杯の思いを吐き出した。
「ふぅむ、キミの悩みは一見すると複雑だ。しかし、その実、答えはシンプル」
アノニマンは最初から答えを用意していたかのように、俺に言い放った。
「キミはその場所を居心地が悪いと思っている。そこに自分の居場所がないのだから当然だが」
もちろん、俺の抱えている問題はそれだけじゃない。
だけど今の状況だけでいえば、解決すべきはそこだったのは確かだ。
「解決方法は主に二つ。一つ目は居場所を“自分で作る”こと。だが、これはキミにはオススメできない」
「なんで?」
「キミの場合、そうして作った居場所は“ココ”みたいになるだろう。一人で閉じこもるためだけの、孤独な避難場所だ。それは最後の砦としてとっておくべきものではあるが、勝つためには進軍しなければならない」
会って間もないのに、既に色々と見透かされているようだった。
「慣れるって……それは分かるけど、どうやればいいか分からないよ」
「なあに、そのために私がいるのだ」
「道は示そう、そこを通るためにどうするかはキミ次第だ」
俺はその手を恐る恐る、弱い力で握った。
「よろしい! 今、キミは自分の意志で、私の手を握ったのだ。その気持ちを忘れるなかれ!」
するとアノニマンは俺の手を強く握り返した。
そう言ってアノニマンはマントを翻し、声だけを置き去りにしてどこかへ消えてしまった。
「忘れるな、アノニマンはキミが必要としなくても駆けつける!」
家の中にある遊び道具も古臭くて、コマやケンダマとかがあった。
普段、俺が室内でやるゲームといえばコンピューターのやつだったけど、ここには旧世代のすらなかったんだ。
そのせいで、俺はいつも手持ち無沙汰だった。
「すごいなマスダ。もうコマを指のせできたのか」
「ああ、つなわたりも出来るぜ」
兄貴は最初の内は戸惑っていたけど、すぐにその環境に慣れたようだった。
俺はというと、一週間たってもまだ馴染めない。
「弟くんも、どう?」
先生が差し出したコマを俺は受け取ることも突き放すこともせず、ただ無言で見つめるだけ。
その頃は俺は人見知りが激しくて、どう反応すればいいか分からなかったんだ。
「弟のことはほっといてやってください。無理してやらせるもんじゃないでしょ」
俺は兄貴にいつも引っ付いてばかりだった。
まだ身内に甘えたい年頃だったけど、親と過ごせる時間はほとんどなかったから尚更だ。
「おい、もう少し離れてろ。俺はこれから新技を開発するんだから」
兄貴の方はというと、あまり積極的に構ってくれるわけじゃない。
長男の立場から気にかけてくれてはいたと思うけど、自分の時間を優先したいときは邪険に扱われることも多かった。
誰も俺に気づかない隠れ場所だ。
そこで一人でいると、大抵ネガティブな感情ばかりが湧き上がるからだ。
現在、未来、親のこと、あることないこと全てが悪いほうへと考えを傾ける。
俺はそうやって、いつも小一時間ほどグズるのが日課になりつつあった。
だけどある日、それは終わりを告げた。
「え……な、なに?」
まあ、おかげで涙も引いたけど。
どこにもいるが どこにもいない
それこそ 彼の個性
奴の目的? 知ったところでどうする
奴はスゴイ? どちらともいえなくない
ただ そこにいるだけ
朝 昼 晩 テキストの海
所詮ただの余興 暇なら君もなれるさ
その時、俺はどちらともとれる表現で返した。
本当にどちらともいえるし、どちらともいえないからだ。
実際はそれらが幅を利かせているせいで、警察に何もさせていないって方が正解だと思うけど。
だからなのか、俺たちの町ではシケイ行為ってのにとてもユルいんだ。
ちょっとした犯罪や揉め事くらいなら、住人たちで勝手に解決しようとする。
自治体や自警団だけじゃなくて、一人で取り締まっている奴までいるんだ。
かくいう俺もこの町で生まれ育ったわけだから、そんな風景を当たり前だと思ってる。
むしろ、そういう状況を楽しむ余裕すらあるくらい。
今日も俺の家で、ミミセンやタオナケ、シロクロ、ドッペルというメンバーたちとシケイキャラ談義に花を咲かせていた。
「私、女だけど『魔法少女』より『サイボーグ少女』とかのほうがカッコよくて好きだわ」
「タオナケ、それはちょっと古くないかなあ? 『サイボーグ少女』が活躍していた頃、僕たちはまだ生まれてないだろ。なあ、マスダ?」
「昔のなんて知らねえよ」
俺はぶっきらぼうに答える。
タオナケの言っていた『サイボーグ少女』ってのは、たぶん母さんの若い頃の呼び名だ。
俺は思春期真っ盛り。
シケイキャラの話で盛り上がりたいのに、身内の話なんて広げられたらたまったもんじゃない。
「確かに昔だけど、最近のなんて語り尽くしているんだもの。今回は趣向を変えてみてもいいんじゃない?」
「ノスタルジー!」
シロクロはそう言って、手を大きく振り上げた。
「んー、それもいいか」
ミミセンもそれに乗った。
ドッペルは何も言わないが、聞き専なのでどっちにしろ関係ない。
まずいな。
俺はそうさせないよう、真っ先に話を切り出した。
「じゃあ、俺から話す……みんな『アノニマン』って知ってる?」
みんな首を傾げる。
「やっぱり知らないか……」
色んな人に『アノニマン』について話したことがあるけど、大体みんな同じ反応だった。
そこまで有名じゃなかったんだろう。
でも俺にとっては、間違いなく最高のヒーローだ。
後日、俺はマンションで起きた怪奇現象を、大家に包み隠さず話す。
大家は疑うわけでもなく、あっさりと話を信じた。
そして、確認のために俺の部屋である104号室を見に行くことになった。
「まあ、同意の上でとはいえ、仕事を紹介したことに負い目はあったからな」
その場には、証人としてタケモトさんと弟も来ていた。
「じゃあ、104号室。入りますね」
大家が104号室の扉をあけようとした、その時ーー
「その前に、103号室を見てもいいですか?」
「え、そっちは空き家ですよ」
だが、驚きはしない。
「ええ、でもそこから内線がかかってきたのが気がかりなので、確認のために」
「はあ、分かりました。でも何もないと思いますけどねえ」
「ほら、何もないでしょ」
当然、そんなことは承知の上だ。
「俺は心霊現象だとか、そういうのを信じないタイプなんですよね。でも案外そうじゃなかった」
俺は唐突にそう語り始める。
「はあ、そうなんですか」
「心のどこかではまだそういうのを信じていたから、そういう考えになってしまった。そんなものに気を取られず、もっと冷静に考えればいいだけだったのに」
勿体つけるように、迂遠な言い回しをしながら室内をグルグルと回る。
「えーと、つまり何が言いたいので?」
「とどのつまり“前提”なんですよ。今まで起きた出来事を“どういう前提”で考えるかが重要なんです。これまでの出来事は“心霊現象という前提”などではなく、“初めから人為的なものによって起きたという前提”で考えるべきだった」
俺がそう言った時、大家の顔が一瞬だけ引きつった。
「例えば、エレベーターの窓から人が見え続けていたのは、そういう形をした、裏表で絵柄の違うステッカーなどを貼っていたからでしょう。その後は見かけなかったので、すぐに剥がされたのでしょうけど」
「103号室から来た内線は何てことはありません。実際にここ103号室からかけてきただけです。この部屋に堂々と入ってね」
その他、俺の身に起きた心霊体験も全て否定することは可能だが、長くなるのでこの辺で本題に入ろう。
揺さぶるなら今だ。
「そんなことが出来る人間、そんなことをしても咎められない立場の人間……そうなると答えは自然と導かれます」
俺は大家の方を強く睨みつける。
「な、何を……なぜわたしがそんなことをしないといけないんですか」
「それはこっちが聞きたい」
「そんな推測で疑われても困りますよ。わたしがここに入った証拠もないのに」
「証拠ならありますよ。この部屋にあった青い布の切れ端。あなたが今着ているのと同じだ。つまり、あなたは最近ここに入ったということ」
「ち、違う! それは自分のじゃない。昨日だって赤い服で……あっ!」
当然、これはブラフだ。
俺が長々と喋っている間に、弟にこっそりと服を切らせた。
「語るに落ちたな」
相手が自白してくれるよう他にも証拠をたくさん作っておいたのに、まさかここまで早く落ちるとは。
こんな間抜けなヤツに今まで踊らされていたかと思うと、我ながら情けない。
「まあ、とりあえず……社会的な制裁は勘弁してやるから、俺の個人的な制裁に付き合ってもらおう」
こうして俺の一人暮らしのバイトは夏休みの終わりと共に終結した。
夏休みボケを治す一環のバイトとしてはビミョーだったが、上等だと思い込もう。
後にタケモトさんから聞いたことだが、どうやら俺の住んでいた部屋はかなり状態が悪かったらしい。
大家はリフォーム代をケチりたかったが、このままだと誰も借りてくれない。
案外そういうところに住みたがる物好きがいるらしい。
その自作自演に、俺は付き合わされたってわけだ。
「このテのパターンだと、怪奇現象の中の一つは本当の幽霊の仕業だったとかいうオチが鉄板だけど、ことごとく大家の仕業だったなあ」
「いや、そのパターンにしても今回のはくだらなさすぎるだろ」
とはいえ、怪奇現象、心霊現象なんて冷静に見れば大体くだらないものなのかもしれない。
「あ、ひょっとして、よくよく考えてみたら怖い話ってパターン?」
「お前は一体なにを期待しているんだ」
俺は部屋の中を注視する。
根拠のない直感をアテにするものではないが、気のせいなら気のせいで構わない。
今の精神状態では安眠が難しい以上、確認しなければ気が収まらない。
そうして調べること数十秒、意外にも早く変化に気づけた。
これは俺にとって珍しいことだった。
連絡する際はもっぱらケータイで、それだって基本はメールとかSNSだからだ。
身内や知り合いもそれを分かっているため通話は滅多にしてこない。
というより、この家の電話番号は誰にも言ってないしな。
そう、つまり珍しい以前に、そもそも電話がかかってくること自体おかしいんだ。
それに気づいた時、更に緊張感が高まった。
103……そんな気はしたが、知らない番号だ。
知り合いの番号を全て正確に記憶しているわけではないが、これは桁が明らかに少ないので違いはすぐに分かる。
なるほど、マンションの内線か。
それなら納得がいく。
内線の番号は、そのまま部屋の番号となっている。
新しく住み始めた俺への挨拶か、或いは何らかのクレームだろうか。
こちらには覚えがないので、もしクレームだったら隣人はかなり厄介な奴ってことになる。
「……」
だが録音内容は無言であり、周りの雑音が拾われているだけ。
まあ、だからといって、自分から進んでトラブルに首を突っ込むつもりはない。
いずれにしろ、どうせあと数日の隣人関係なのだから不干渉に限る。
隣の……そういえば名前すら知らないな。
最低限、それくらいは覚えておくべきだろうか。
俺は部屋から出ると、隣の表札を見に行くことにした。
そうして扉前まで来たはいいが、度肝を抜かれた。
表札がないんだ。
なのに、隣からかかってきた内線。
つまり……。
「いやいや……いやいや、ねーわ」
しかし、ここまでくると俺の中で浮上した“可能性”は、そう簡単に沈んでくれなかった。
その可能性を後押しするかのように、それからもマンション内で奇妙な体験を何度もした。
まあ、いくつかは俺の自意識過剰もあったと思うが、どちらでもいいことだ。
俺のやることは変わらない。
最初の内は得体の知れなさから恐れを感じることもあったが、しばらくするとほぼ慣れてしまった。
本当に心霊現象だったとして、俺が気にしなければいい程度の問題。
それに一応は仕事だし、金はやっぱり欲しいしな。
「いや、兄貴。何を馴染んでんだよ」
遊びに来ていた弟が、そう言うのも無理はない。
確かに、この時の俺はかなり抜けていた。
「よしんば心霊現象だとかがあったとしてさあ。それに遭遇する確率はどれくらいなのさ。兄貴よくバスや電車に乗ってるけど、大きな事故に遭ったのは一回だけだろ。それより低い確率が、今ここで何度も起きてるっておかしくない?」
「うーん……俺もにわかには信じがたいが、そういうのが起きやすい場所なんだろう。俺の利用するバスや電車は運行が基本ちゃんとしているからであって、もし運転手とかが酔っ払いだったら事故は置きやすくなるだろうし」
「兄貴、意味不明な例えを出すなよ。このマンションが酔っ払いの運転手と同じだと思ってるわけ?」
だが、あんな思いをするのは二度と御免だ。
もしも、またあんなことが起きたとして、あの空間では回避しようがないしな。
ただ、階段を使えば安心かといえばそんなわけもなく、登っている間も言い知れぬ不安が頭をもたげた。
あることないことに対して、あることないことを考える、無意味な思考サイクル。
何はともあれ、滞りなく10階までたどり着き、自分の部屋に入ることができた。
「ただいまー……」
その安堵感から、実家に住んでいた頃のクセが思わず出てしまう。
当然、一人暮らしの今は「おかえり」なんて返ってこない。
「……実家なら返ってくるんだけどな」
今の一人暮らしを寂しいとは思わないが、ふと以前の生活を憂いた。
自分でいうのもナンだが、いやはや感傷的かつ無意味な機微である。
「……はは、バカか俺は。もしも今ここで『おかえり』だとかが返ってきたら、むしろ怖いだろうに」
自嘲気味にそう呟くが、その後すぐに自分の言葉にギクリとした。
バカの上塗り。
「……エレベーターのときは忘れていたが、あの構えを使うべきか」
俺は独特の構えをとる。
センセイから教わった、全方位どこから来ても対処できる“モリアミマンゾウの構え”である。
高速移動の超能力者とケンカする羽目になったときに、これで勝負を制したことがある。
その時に観戦していた弟は「テキトーに腕を突き出したら偶然ヒットしただけじゃん」と言っていたが、そういうマグレ当たり込みでこの構えは強いんだ。
強いて問題があるのなら、今の状況は完全に“モリアミマンゾウの構え”の無駄遣いという点だろうか。
結局、部屋の中は俺一人。
“モリアミマンゾウの構え”の反動で、俺は無意味に関節を痛めることになった。
だが、未だ違和感が拭いきれない。
自分の住家のはずなのに、言い知れぬ居心地の悪さが気になって仕方なかった。
俺が知らない間に、親が自分の部屋をこっそり掃除したことがあった。
モノの位置は一切変わっていないため、帰ってきた俺は気づかないのが普通だ。
だが、その部屋に入った瞬間に異変を感じ取った。
部屋の様相はパっと見ほぼ同じ。
細部の違いが分かるほど、俺の記憶力は高くない。
にも関わらず、自分のテリトリーを脅かされたような不快感に襲われた。
後にその不快感の正体を知った時、俺はとても驚いた。
部屋を勝手に掃除されたこともそうだが、何より自分にそんな繊細さがあったということに、だ。
今のこの状況、感覚を、あえて例えるならソレに近い。
なぜオカルトを信じないのか。
そういうことは説明書に任せるべきで、俺がすることじゃない。
真面目に語れる領分じゃないしな。
だが、そういった気持ちは心霊番組やホラーものを観れば観るほど、むしろ薄まっていった。
だって、ああいうので出てくるものは人間か、動物なら犬猫ばかりだ。
キリンだとかゾウだとか、オオアリクイだとかも出てくればいいのに。
そういった話がない時点で作り手の都合がミエミエだし、それらがフィクションだってことも暗に示している。
結局、子供へ恐怖を通じて学ばせたり、嘘だと分かりきった上で大衆が楽しむ、都合のいい存在でしかないってことだ。
とはいえ俺は、今回の件をわざわざこうやって話している。
つまり、オカルトかどうかはともかく“何か”が起きるってことだ。
このマンションのエレベーターは扉にガラスがついており、外の様子が窺えるようになっている。
そこでガラス越しに人が見えた。
“見え続けて”いた。
5階、6階、7階……同じ様相の人間が、そこに佇んでいるのがハッキリと見える。
事態が上手く飲み込めていないが、自分の中で危険信号が鳴っていることだけは確かだ。
俺がエレベーター内で出来ることは、1階にもいるであろう“奴”に備えて身構えることだけだった。
この時、エレベーターは9階まできていた。
俺の部屋がある階は次だ。
拳に力が入る。
……だが、窓の外に“奴”は見えなかった。
扉が開く。
やはり、いない。
その状況に握った拳の力が弱まるが、まだ解かない。
左右はもちろん、念のため上と下も見た。
気になって後を振り向くなんてこともしてみたが、やはり何もない。
ワケが分からない。
だが、もし“奴”がこの階に向かっている最中だとしたら……と頭をよぎる。
俺は逃げるように自分の部屋に滑り込んだ。
今になって思えば、完全な取り越し苦労である。
他の階にはエレベーターに追いつける程のスピードで来ているわけだから、俺の階にだって既に追いつけているはずだからだ。
じゃあ、なぜそうならなかったのか。
この時点で、その不自然さについて考えていれば、もう少し早めに核心に近づけただろう。
あの時に、そんな余裕がなかったのが我ながら恥ずかしい。
するとタケモトさんは容赦なく、露骨にきな臭いバイトを紹介してきた。
「じゃあ、これだな。近くに『スペースハウス』ってマンションあるだろ? そこに一定期間住むだけでいい、簡単な仕事だ」
タケモトさんの言うとおりなら確かに簡単なバイトだが、さすがに鵜呑みにはできない。
人を住まわせた上に賃金まで出すなんて、雇う側にメリットがないからだ。
どう考えても“裏”がある。
「部屋内の不備とか、使い心地とかのアンケートを書く、とかですか?」
俺はあえてバカっぽく質問をして、タケモトさんから答えを引き出そうとする。
「うーん……まあ、そうだな」
歯切れの悪い返答。
この時点で、何か裏があることはほぼ確定だ。
今度はやや強気に出てみよう。
「タケモトさん。俺は多くを要求するつもりはありませんが、説明責任は果たすべきだと思いますよ」
「そうは言ってもなあ、オレが説明できるのはそこまでなんだよ。そこの管理人が具体的な説明をしなくてなあ」
どうやらタケモトさんも、このバイトを怪しんでいたようだ。
だが、それが何かは分からないらしい。
「さすがに、そんなものを紹介するのはどうかと思いますよ……」
「普段はこんなの絶対に紹介しねえよ。お前がテキトーに余ってるもんでいいと言ったから、ダメもとで出してみただけだ」
今後、職業斡旋所で働くことがあったとしても絶対にやめておこう。
俺はタケモトさんを見て、そう思った。
「まあ、いいや。やりますよ、それ」
何はともあれ、俺はそのバイトをやることにした。
それに、このバイトが意味する“裏の目的”、その見当はついていた。
「え!? マジか、お前……」
「おいおい……もしかして、“それ”狙いで請け負ったとか言わないよな?」
「違いますって」
俺が生まれる前からある程度には古いマンションなので警戒していたが、意外にも中は小奇麗だ。
むしろ、実家では兄弟で一部屋を使っている状態だったので広いとすら感じる。
“裏の目的”よりも、住みやすさの方が俺にとっては問題だったので、これで安心だ。
まあ、あからさまに怪しいから、俺じゃなくても勘付いたと思うが。
そこは恐らく「事故物件」ってやつだと俺は見当をつけた。
バイト仲間にオサカってのがいるんだが、そいつから聞いたことがある。
事故物件に住み、そこで何の問題も起きなかった場合には事故物件扱いじゃなくなるらしい。
そうすれば、他の部屋と同じ家賃にできる。
雇う側が仕事の内容について最低限しか説明しなかったのも、雇われた側がウソをつく可能性を恐れたからと考えるなら辻褄は合わなくもない。
というわけで、タケモトさんが言ったとおりこれは簡単な仕事ってわけだ。
俺はオカルトだとか、そういった類のモノは信じちゃいないからな。
俺は適当なアルバイトを見つけるため、近所にある職業斡旋所に来ていた。
入り口近くには掲示板があり、そこに貼り付けられた求人チラシに目を通していく。
夏休みボケを治す一環で働くだけだから、面倒くさそうだったり疲れるようなものは出来れば避けたい。
そうして探していき、最初に目に入ったのはラインのバイトだった。
このご時世、機械化も進んでるだろうに、こういうのも未だあるんだな。
気になったので、そのチラシを読み込む。
「いよいよ分からん……」
馴染みのない固有名詞が出てきて、余計に理解できなくなってしまった。
しかも「スプライン」と「ライン」で言葉が被っててややこしいのが、更に俺を混乱させる。
これは色々と覚えなきゃいけないことが多そうだな。
つーか、また「ライン」被ってる。
そんな風に一度気になり出すと、もうダメだ。
俺は「ライン」と名のつくバイトに謎の拒否感を覚え始めていた。
それにつけても「ライン」が多すぎる。
そういうコンセプトでチラシを並べているのかと思えるくらいだ。
ああ、くそっ……。
ラインがオレにまで伝染し始めている。
このままじゃ夏休みボケどころか、ノイローゼまで併発しそうだ。
俺は相談窓口に行くと、担当のタケモトさんに他にいいものがないか尋ねた。
「マスダよお……オレが近所のよしみで何か都合してくれる、だとか思ってないだろうな? 『頼りにする』のと『アテにする』のはワケが違うぞ」
だが、発せられる言葉には覇気がなく、眉の角度もいつもより低いのがすぐに分かった。
「疲れてますね」
「普段はバイトをしない奴らが、夏休みとかになると駆け込んでくるからな……」
となると、条件のいいものは余ってなさそうだな。
タケモトさんもかなり疲れているようだし、あまり粘るのも忍びない。
「俺が出来そうなのをテキトーに見繕ってくださいよ。余っているのでいいですから」
「……後悔すんなよ?」
タケモトさんはそう言ったのに、俺は二つ返事で承諾してしまった。
こういう場合、最終的には後悔することが多いというのに。
この暑さにしつこさを感じたとき、その頃に妙ちきりんなバイトをしていたのを思い出す。
バイトの内容自体もそうだったが、そこで起きた出来事が特に印象的だった。
今日はそのことについて話そう。
少しだけ怪談っぽい話なので、季節的にも丁度いいだろう。
ただ、本当に“少し”だけなので余計な期待はしないでくれ。
忠告はしたぞ。
有り体に言えば暇だった。
「あー、暇だ」
誰が聞いているわけでもないのに、わざわざ口に出して言うほどだ。
「やることがねえ」
夏休みってのは、俺から言わせれば“やるべきことを減らし、やりたいことに割く期間”のことだと思っている。
学生の俺でいうなら、学校で励む勉学とかが“やるべきこと”になるだろう。
つまり、存分に“やりたいこと”に時間を割ける状態だといえる。
だが、マンネリってやつだろうか。
俺はアンニュイな気分になっており、自分にとって“やりたいこと”が何なのかが漠然としていた。
今までの“やりたいこと”も自分にそう言い聞かせているだけじゃないのか、なんていう実態のない自問自答が頭の中をグルグルと巡る。
「ゲームやったり、どっか遊びにでも行けばいいじゃん」
俺があまりにも暇だ暇だと呟いていたからなのか、同じ部屋にいた弟が鬱陶しそうな顔をしながら提案してきた。
未だ課題を完成できていないことからくる焦燥感からなのか、語気も少し荒々しい。
「暑い中、ノープランで、気持ちが追いつかないまま行っても時間の無駄だ」
この時の俺は堕落しきっていた。
“やりたいこと”の中に多少含まれている“やりたくないこと”が、やたらと悪目立ちしているように感じ、俺から更に気力を奪っていく。
「しょっぱい上に、月並みなことを言うなよ。個人的な暇つぶしに巻き込むなんてマネはしたくない」
それにつけても、この時の俺の態度は酷いもんだ。
個人的かつ迂遠な不平不満を垂れ流し、その解消法を提案されても暖簾に腕押し。
SNSでクダをまいているような輩と同じことを現実でしているわけだ。
弟がイラつくのも無理はない。
だが、そういった身内の機微が理解できないほど、俺は心身ともにダラけきっていた。
「……ったくよ~、兄貴はどうしたいのさ」
「それが分からないから、こうなっている。でも、このままじゃ良くないとは思っているんだ」
夏休みが終わってもこの精神状態が続くようなら、かなりツラい新学期を迎えることになるだろう。
その危機感が、俺を取り留めのない抗いに駆り立てているのだと思う。
「じゃあ、無理やりにでも何かやれば? 俺は課題っていう、“やるべきこと”が残っているんだからさ」
不毛なやり取りが続きかけたその時、俺は弟の言葉からヒントを見つける。
そして打開法を導き出した。
今のこの状態も“やりたいこと”ばかり享受しすぎた弊害、とも解釈できる。
“やるべきこと”を無理やり作り、それで予定を埋めればメリハリもできるかもしれない。
こうして俺たちは、ふてくされているカジマを尻目にサイクルを回していく。
しかし、そのサイクルが数ターン続いた後、タイナイがこんなことを言い出した。
「ねえ、これって結局しょっぱい状況になってるのは変わらなくない?」
みんな薄々そんな気はしていたので、誰も反論しなかった。
トップがカジマからタイナイに変わっただけで、本質的にやっていることは同じ。
ゲームとしては完全に膠着している。
競争ゲームでみんなが手を取り合ったら、それが競争でなくなるのは当然のことだ。
「まあ、確かにしょっぱい状況だが……しょっぱさのベクトルが違う、というか」
「どういうこと?」
「カジマが優勢だったときのしょっぱさは、海水を舐めた感じ。今は塩おにぎりを食べているようなしょっぱさだ」
「マスダ、その例えは益々分からない」
「……まあ、つまり美味しく食べられるしょっぱさなら良いだろってことだ」
何はともあれ、こうして経営ごっこは、タイナイがトップということで幕を閉じたのであった。
「……感動した」
だが、意外にも担任の反応はすこぶる良かった。
「……へ?」
そして、この突然の問いかけ。
俺たちの返答を待たず、担任は話を続けていく。
「ブラック企業の最大の強みは、労働力を安く買い叩ける点にある。つまり大幅な節約だ。そして、その分を他のところに回せるから、商品のクオリティ維持しつつ値段を抑えることも出来る。消費者から見れば嬉しいことだ。つまり正当な対価や労働条件のある会社と、労働力を買い叩く会社がほぼ同じ条件で競争すれば、後者のほうが有利になりやすいのは当然ということ」
俺たちはついていけてないのに、それを無視するかのようにどんどん持論を展開していく。
「時に、『クリーンかつ向上に励めば勝てる』なんてことをいう経営者もいる。だが、それはたまたま経営が上手くいっている人間のポジショントーク。強者の論理でしかなく、それが白か黒かの違いだけ。大事なのはブラックを許さない、絶対に潰そうという強い意志。お前たちは団結し、それをこのゲームを通じて体現したんだ!」
「よし、じゃあ今日はここまで!」
不満足な顔をした俺たちを残して。
「えーと……イイ話、だよね?」
「そうだな。あれを担任がイイ話だと思って語っている点を除けば、だが」
「いや、もう率直に言おうよ。アレはない。白ハゲ漫画やツイッターの創作実話の方が、まだタメになった気になれる」
この担任の語りを聞いて、俺たちは完全に白けていた。
あんなので授業を無理やり締めくくられたら、そうなるに決まっている。
聞こえのいいお題目を唱えつつ、その実はゲームとして破綻しているものを無理やりこじつけているだけなんだから。
「たぶん、オイラたちがどう立ち回っても、ほぼ同じ教訓を語ってた気がするっす」
俺たちはそれに付き合わされただけ、という思いが募っている。
強いて学べることがあるとすれば……「教師のやる茶番は大抵クサいか出来が悪い」ってことぐらいだ。
「じゃあ、どうすればいいんだ。ほぼ詰んでなくないか?」
この時点でかなり厳しい状況だった。
まあ、実を言うと、他の方法がなくはない。
多分、俺以外の奴も何人か思いついている。
「早くしてよ~、悩んでる暇あるならさ~」
カジマが余裕綽々といった具合に急かしてくる。
少し癇に障るが、ゲームで優位に立っている人間は得てして“ああいう風”になりがちだ。
それにカジマの人格を顧みれば、そこまで腹は立たない。
とはいえ、今の態度で確実に俺たちの僅かばかりの良心は消えたが。
「みんな、聞いてくれ。一つ方法がある」
まず俺たちがやったことは、数ターンかけてそれぞれの消費物を売買することだった。
「生憎、今は俺たちのもんだ。どうするかは俺たちが決める」
「オイラんところで働きたくないからって、そんな無意味なことしなくても……」
カジマはまだ気づかないようだが、当然この行為は単なる遅延行為ではない。
まあ、気づいたところで大したことは出来なかっただろうが。
そして、数ターン経過。
一人が買える消費物には制限があるから、随分と“調整”に時間がかかってしまった。
だが、これでひとまずは完了だ。
「……え~」
カジマはうな垂れている。
どうやら、やっと俺たちの作戦に気づいたらしい。
この時点で、俺たちは同じ数の消費物を持っている状態。
ただ、消費物がない人間がいる。
カジマもいるが、そっちじゃないぞ。
タイナイだ。
その代わり、あいつには大量の金があった。
俺たちから掻き集めた金だ。
これが作戦だ。
だったら団結して、カジマ以外に経営が出来る奴を作り出そうってわけだ。
意図的に金を一人のもとへ集めるため、それ以外はトップ争いから外れることを覚悟しないといけない。
実質的にゲームに参加させないことで勝つという、かなりエグいやり方だ。
だが、それでもカジマにやりたい放題させるよりはマシ。
「途中で裏切り者が出ないかとヒヤヒヤしたが、意外と上手くいったな」
後は流れである。
カジマは消費物を持たないため何も出来ない。
経営か、俺たちから買うことによって増やせるが、もちろん俺たちはどちらも拒否する。
良い条件を提示したとしても、だ。
カジマの“やり口”を知っている俺たちは、それが甘言でしかないと思っているからだ。
「みんな、酷くないっすか? 確かにオイラは悪どいやり方をしたけど、あくまでゲームとして戦術的に立ち回っただけなのに……」
カジマがいじけ始めたので、仕方なく俺はフォローに入る。
「尤もな主張だ、カジマ。だが、お前のやったことが戦術的だっていうのなら、俺たちのやったことだって戦術の範疇だって認めるべきだ」
「いや、でも、こんなの面白くないっすよ~!」
そりゃあ、面白くないに決まっている。
得てしてゲームにおける勝負というものは、“相手が面白くならないように立ち回る”ものだからだ。
そして、カジマが面白くないからといって、そこまで気遣う理由は俺たちにはない。