そして3ターン目。
このターンは消費物を買って金が減ったので、カジマのもとで労働だ。
タイナイもその内の一人だった。
タイナイは売りたくても売れない。
経営をしたくても労働者に払える金がないし、そもそも消費物をこれ以上作っても無駄になるのは分かりきっている。
そして、カジマはこれをチャンスと考えて勝負に出た。
この宣言に一同は騒然。
「持ち金が少ないとかならまだしも、僕たち全員に払える分は余裕であるだろ。さっきカジマのところで買い物したんだから」
「そうだよ。なんなら増やして欲しいくらいだ」
だがカジマの態度はふてぶてしいままだった。
「嫌ならオイラのところで働かなくていいっすよ?」
カジマの目線で考えれば当然といえば当然だ。
この時点で経営ができる程度の金を持っているのはカジマのみ。
なら、わざわざ高い金を俺たちに払っても仕方ないんだ。
「どうする……?」
「いや、だが、これは……」
このあたりになると、さすがに皆もゲーム展開をちゃんと考えるようになってくる。
すると、ここでの泣き寝入りは危険だってことはすぐに分かった。
もし、このターンで俺たちがカジマのもとで働いたとしよう。
カジマは少ないコストで大量の消費物を手に入れる。
当然、次のターンで消費物の減った俺たちはそれを買わざるを得ない。
同じく消費物を持っているタイナイから買うことも可能だが、まず間違いなくカジマのほうが安く売る。
労働であまり稼げなかった俺たちは、カジマの方で買うしかないってわけだ。
この頃になると、俺もさすがに本気でゲームに参加する必要があった。
忘れちゃいけないが、これは授業の一環でやっているものだ。
このゲームでトップを取る気も、取れる気もしないが、さすがにこの展開はしょっぱすぎる。
評価点をある程度とっておきたいなら、もう少し盤面を盛り上げないとマズい。
だが、ここでカジマのもとで労働をしようとする人間が出てきた。
タイナイだ。
あいつは大量の消費物が余っているので、それを使えば多く労働することができる。
タイナイからすれば、ここから稼ぎを増やそうと思えば、それしかない。
「待て、タイナイ。お前が行くのが一番マズい」
俺たちは慌ててタイナイを止める。
少ないポイントで多く労働する人間なんて、カジマにとっては最も都合がいいからだ。
ましてや俺たちはタイナイより消費物を持っていない。
そうなれば、後はカジマの一人勝ちはほぼ確定だ。
労働で稼ぐ場合、より金を出してくれる方が得なのは分かりきっている。
だから俺みたいに、今まで様子見をしていた人間も同じようにしていた。
労働者一人につき、作れる消費物の数は決まっている。
だから経営で稼ぎたいならば、労働者は出来る限り欲しいと考えるだろう。
ここは少しでも高めに設定しようとするはず。
「それが嫌ならタイナイの方にいけばいいっしょ?」
にも関わらず、カジマは強気だった。
その理由は察しがつく。
初めにカジマが声かけした時点で、既に一定数の労働者は確保できていたからだ。
消費物を使ってしまった労働者は、もう途中で鞍替えすることができない。
当然、俺はタイナイのほうで稼ぐことにした。
こうして1ターン目は終了。
何となく予想していた通りの流れだし、俺以外の奴らも半分以上はそうだったろう。
2ターン目、この時点では、俺が暫定トップだ。
だが、別に有利という状況ではない。
タイナイのもとで労働を選択した奴らと同率だからってのもあるが、俺たちはこのターンは金を増やせないからだ。
カジマとタイナイもそれは分かっているだろうから、ここは前のターンで得た消費物を売りに出す。
「よし、こっちも売っていこう。1個15ポイントね」
タイナイは消費物の値段はカジマと同じにしたらしい。
カジマよりも労働者に払った分、高めにしないと1つあたりの儲けは少なくなる。
だが、同じ値段じゃないと俺たちは買わないから、この値段設定にせざるを得ない。
とはいえ消費物の数は上なので、その分たくさん売って儲けようという計算なのだろう。
「じゃあ、こっちは14ポイントで売るよ~」
「ちょっ……おい、カジマ!」
だが、タイナイの価格設定を聞いて、カジマは露骨に値下げをしてきた。
当然、労働者的には安い方がいいのでそっちに群がる。
その中には俺もいた。
「ルール上、お一人様三点までっすよ~。はいはい、毎度あり~」
タイナイも値段を下げたいところだったが、そうもいかなかった。
これ以上、値段を下げても儲けはほとんど出ない。
仮に値下げをしても、またカジマはそれより下げてくるだろう。
そしてカジマの方が労働者を安く雇えた分、値下げ合戦で先に音を上げるのはタイナイなんだ。
結果、このターンはカジマが売り切り。
タイナイは多くの消費物と、少ない金を抱えたまま次のターンを迎えることになった。
そして、このゲームはここからどんどん雲行きが怪しくなってくる。
「経営ごっこ」のルールを詳細に説明する意義はないので、ざっくりと語ろう。
断っておくが、あくまで話の雰囲気を最低限は理解できるようにするための説明だ。
まあ人狼並にユルい割には、なぜかゲームとしては盛り上がらなかったので、あまり真面目に読まなくていいと思う。
で、勝負内容は金を一番持っている奴が勝ち。
ただし経営をするためには労働者が必要で、その労働者は消費物をコストにしなければ労働できない。
要は金を稼ぐために働いて、働くためには食わないといけなくて、その食うものを作るために経営をして……ってサイクルを回すわけだな。
そのサイクルの中で上手いこと立ち回り、資金を増やしていけってことなのだろう。
あらかじめ、いくつかのポイントが加算されれている。
金ポイントは、金も消費物もないという詰み防止のために毎ターン少しだけ加算されるらしい。
まずは1ターン目、みんな勝手が分からず、しばらくの間はまごついている。
なにせ「経営」、「労働」、「売買」の3つの行動は同じターン内に両立できない。
なので慎重に動かなければ……と皆は考えていたのかもしれない。
俺もすぐには動かず、様子見をしながら周りに合わせる姿勢をとっていた。
まあ、このゲームに対してやる気が起きなかったというのもあるが。
どうせ、この状況で取るべき行動はほぼ決まっているから、俺が口火を切る必要はない。
まずは誰かが経営しないと金を増やせない状況なのだから、当然そうなるだろう。
そして経営しないで金を増やす場合は労働しかないので、何人かはカジマのもとへ集まっていく。
だが、俺はその中にいない。
「あれ? マスダはこないの?」
「もう少し様子見だ」
出来る限りサボりたいからってのが大きいが、一応それなりの理由はある。
経営者は労働者に金を支払う必要があるが、そうなると消費物も相応の値段にしないと儲けが出ない。
その消費物が労働者は必要なわけだが、当然それを買って、働いて……ということをやっていたらあまり稼げない。
俺は経営をやる気がないので、この時点では何もしないほうがマシってわけ。
とはいえ、ターン毎に必ず何らかの行動はしないといけないので、ずっとこのままってわけにもいかないが。
「よし、こっちは違う経営をやろう!」
このままだと経営をやっている奴が圧倒的に有利。
残りの労働志望の奴らも、そっちに集まっていく。
これ以上、経営をしようって奴は出てこなさそうだな。
じゃあ、俺もそろそろ動くか。
……何か“秘策のありそうな奴”みたいな振る舞いになってしまっているが、別にそんなのはないぞ。
俺の通っている学校は、特に公民のカリキュラムに力を入れている、らしい。
その公民とやらは更に学部とか科目が分かれていて、選択制となっている。
だけど、そもそも「公民」というものを漠然としか在学生は理解していないので、この選択に大して意味はない。
俺はというと意識が低いので、入っているのは……えーと……うんちゃら部の、メディアかんちゃら文化のなんちゃら項……
ドキュメント番組や映画を観たり、漫画や小説を読んだりして、それのテキトーな感想を書けばいいだけ。
だが、半端に真面目な奴や、要領が悪い奴は苦戦するらしい。
そいつらに何度かコツを尋ねられたが、俺が言えることはいつも一つ。
正解のない事柄で正解するには、自分の正解を押し付けることだ。
もちろん「正解でしょ?」という顔をしながらな。
まあ、そんなわけでユルい選択科目なんだが、あくまで“基本的に楽”なんだ。
たまに面倒くさいことをやらされることがある。
しかも面倒くさいだけじゃないってのが、尚更ゲンナリするというか……。
ちょっと愚痴っぽくなるかもしれないが、今回はその時の話をしよう。
「みんな、おはよう!」
そんな室内の冷え込みを中和するかのように、担任は暑苦しい挨拶を響き渡らせた。
「で、今日の授業だが、別のことをやりたいと思う」
続けて飛び出た不穏当な言葉に、室内が冷え込むのを感じた。
その冷え込みのせいなのか、クラスメートのカジマが震えながら担任に尋ねた。
「せ、先生。“別のこと”ってのは何スか?」
まだ概要すらロクに分からない状態だったが、俺たちはこの時点で嫌な気配を感じ取っていた。
帰路の途中、すごい光景が目に映った。
その時間、辺りは暗くなり始めていたのだが、あまりにも暗すぎた。
どうやら停電はあの施設だけじゃなく、町全体の規模でなっていたらしい。
「すっげえ、こんなに真っ暗な町は初めて見た」
ここまで大規模となると俺たちの充電のせいというより、もっと別の理由だな、これは。
実際の所どうかは分からないが、そう思うことにしよう。
「ああ、あそこのスーパー見てよ! あいつら停電に乗じて盗みをするつもりだ!」
そう言って弟が指差す。
その先を見ると、数人が商品らしきものを大量に抱えて店から出て行くのが分かった。
「いや、恐らく店員が商品を避難させてるだけだろ。電気が切れて、冷蔵庫が使えないから……」
「でも、あの人たち店員に見えなかったよ」
「あー、控え室にいた係の人たちとかだろう。まあ仮に盗みだったとして、予備電源とかで監視カメラは動いているだろうからすぐにバレるだろうさ」
「もし予備電源とか、監視カメラがちゃんと動いてなかったら?」
さっき『システム側で対処すべきってのが、この社会での模範解答』と言った手前、俺はそう返さざるを得なかった。
「やっぱり、それって大した理屈じゃないよな。対策する側に落ち度があったとしても、盗みが正当化されるかは別の話だと思うんだけど」
「“盗み”じゃない。“略奪”だ」
俺も内心そう思っているが、マジックワードだと思い込むしかなかった。
「急ぐぞ、父さんと母さんが待ってる」
俺たちは何かを振り切るように、自転車を漕ぐスピードを上げた。
何はともあれ、こうして母は修理され、余った電気で俺たちは暑さをしのぐことができた。
飼っている猫も、いつも通り俺の足元に寄ってくる。
弟も最初のうちは罪悪感に苛まれていたが、クーラーの前では無力だったことを思い知ったらしい。
人はまず自分自身にゆとりがなければ、自分以外を、綺麗事を優先できないんだ。
真夏に汗をダラダラ流しながら、他人に優しくする余裕を持つのは難しい。
もしも無理をして優しくしようとすれば、母のようにブっ倒れてしまうだろう。
そういった優しさをアテにするような社会が、本当に生きやすいかって話だ。
「市長は『資源を大切に』だとか『地球に優しく』だとか言ってたけど、結局クーラーを使わない分、他のエネルギーを大量に使っていたら本末転倒だよ」
「それに、俺たちが地球に優しくしようが、地球は俺たちに優しくないしな」
余談だが、停電事件から察しの通り、今度は隣の市が電気不足に陥っていた。
「我々は資源の再分配について、もっと考えるべきです。飽食の国は、飢えに苦しむ国へ食物を分け与えるように。電気だって余っているなら、足りないところへ送るべきでしょう」
そう言って市長は、テレビを通じて如何にもな理屈を並べていた。
その姿は、綺麗なスーツに覆われており、汗は一滴も流れていない。
「それに余らせるように作るから、使い方も雑になるんです。本当に資源を大切に思っているのなら、それこそ有効に活用すべきです」
普段なら政治家特有のええカッコしいで済ませるのだが、今回は事情が違う。
そもそも分け与えられるだけの電気が、俺たちの町にはないはずなんだ。
どこにそんな余裕が……まあ、あるけど。
俺たちは、そしてこの町の住人は、その理由を何となく分かっている。
俺たちは目ぼしい施設を間借りする。
当然、このテの“お願い”に大した効力があった試しはない。
俺たちは充電に使えそうな電源を見つけると、すぐさまバッテリーに繋いだ。
「なあ、兄貴。こんな方法で手に入れた電気で直ったとして、母さんは喜ぶのかなあ」
心根では、この状況ののっきぴならなさを理解しているはず。
にも関わらず、弟は今更そんなことを言い出した。
弟のこの言葉は「罪悪感を覚える程度の良心が自分にはあると言っておきたい」という習性からきたものだ。
その場その場で物事の是非を問えば善い人間でいられる、少なくとも悪くない人間ではいられるっていう防衛本能がそうさせるのだろう。
「もしそう思うんだったら、こんな方法で手に入れたって言わなきゃいいだけの話だろ。後はお前個人の気持ちの問題だ」
「えー?」
「言わなくていいと思ったのなら、わざわざ言わなくていいんだよ。母さんだって、俺たちが心配すると思ったから冷却装置を使っていたのを黙ってたわけだし。そういう気遣いで社会は回っているんだ」
内心、俺にも多少の罪悪感はあったが、結局やることは変わらなかっただろう。
背伸びをしてまで清廉潔白でなければならない理由を、生憎だが俺は持ち合わせていない。
それに、このためだけに借りたようなものなのだから、むしろ元を取るために必要な行為だとすら考えるようにした。
「道義的によろしくないのは分かりきっている。だが、そういうことをする人間は一定数存在する。その可能性を排除できない以上、システム側で対処すべきってのが、この社会での模範解答だ。つまり、その対処を怠った側の問題って言っとけばいいんだよ」
「でも、俺たちがその理屈を使うのは盗人たけだけしくない?」
「だから盗みじゃない、ただの略奪だ」
「まあ、仮にバレたとしても、母さんは優しく諭してくれるだろうさ。コロンブスに奴隷を送られたときのイザベル女王みたいに」
「その例えもどうかと思う」
そうやって不毛なやり取りをしている内に、電気が十分すぎるくらいに貯まったようだ。
だが、その時である。
「うわ、停電だ!」
どうやらこのバッテリー、よほど大喰らいだったらしい。
或いは、この施設もかなりギリギリの電気で運営していたのだろうか。
まあいい、充電は終わった。
「さっさと引き上げよう」
むしろ好都合だ。
これに乗じて、さっさと逃げてしまおう。
俺たちはバッテリーを自転車に乗っけて、母と父の待つ家へ漕ぎ出した。
連絡をすると父は慌てて帰ってきた。
父にとっても、母がそのような状態になることは初めてだったらしい。
すぐさま工具室で母の検診が始まった。
「うーん……恐らくラジエーターが不調なんだと思う」
父の説明によると、母の体温管理はその装置が担っているらしい。
少なくとも人間が暑いと思うレベルなら、それだけで問題ないのだとか。
「しかし、おかしいな。ラジエーターだけで放熱し切れなかったとしても、緊急冷却装置もあるのに……まてよ、ということはそっちが原因か!」
父の推察通り、母の緊急冷却装置は停止していた。
どうやら、そのせいでラジエーターに負担が行き過ぎていたらしい。
「いや、その程度では壊れない。もっと無茶な使い方をしない限り……まさか」
父がそう呟くと、俺たちはハッとした。
母は自分を冷やすための緊急冷却装置を、周りを涼しくするために常時開放していた。
例えるなら、冷蔵庫の扉をずっと開けっ放しにしている状態なわけだ。
想定されていない用途で使い続けた物が壊れやすい、ってのは大抵のことに言えるからな。
当然、母がそんなことを知らずにやっていたとは考えにくい。
承知の上で母は俺たちのために、少しでも暑さをしのげるならばと思ってやったのだろう。
そのことを、母がこうなるまで気づけなかった自分たちが不甲斐なかった。
「……何はともあれ、これで原因が分かったんだし。後は母さんの冷却装置を修理なり、交換すればいいんだろ?」
「やり方は分かるが……そこまでやるためには電気がいる」
母を父に任せると、俺たちは全速力で自転車を走らせた。
しかし、俺たちの焦燥をあざ笑うかのように、問題がまた立ちはだかった。
どこの店に行っても、俺たちに電気を売ってくれなかったのだ。
「生憎、今はバッテリーや充電の販売はやっていないんですよ。最近、この市の電気が減りすぎているとかで……」
人ってのは悲しいものだ。
大衆の考えることなんて概ね同じなのに、自分たちがその“大衆”に含まれている可能性を甘く見積もる。
そのせいで、この市の電気は減りすぎて結果こうなっている、と。
「こうなったら、そのまた隣の市に行こう!」
「いや、ダメだ。いくらなんでも遠すぎる。これ以上は母さんが耐えられないかも」
「……一つ手がある。“略奪”だ」
「ええ!? 盗むってこと? さすがにそれは……」
「違う、ただの“略奪”だ!」
ない袖は振れない。
ならば袖を引っ張って伸ばすまでだ。
翌日、俺はカン先輩に誘われて、移動販売車でアイスを売っていた。
売り時だからだと、すぐに行動に移せるカン先輩のフットワークの軽さには感心する。
それにしても、この移動販売車。
よく見てみると、アイスを冷やし続けるためのバッテリーが繋がれている。
予備らしきものも近くにあった。
車を動かすのだって電気がいる筈だが、どこからこれだけの量を……。
話題が尽きかけていたこともあり、俺はカン先輩にその疑問をぶつけた。
「よくバッテリーがこれだけありましたね」
「んなもん、別のところから貰ってこればええねん」
ああ、なるほど。
確かに他の市ならバッテリーとかも売ってそうだし、充電も可能だろう。
「でも、そこまでの移動にかかる費用とか考えると、割に合わなくないですか?」
「ああ、そこんとこは大丈夫。ほぼタダやから。特定の施設とか、コンセント使えるところあるやろ? そこから貰ってん」
思いの外ヤバい答えが返ってきた。
「カン先輩、それはさすがに盗みになるんじゃあ……」
「じゃあ、ダメじゃないですか」
「えーと……つまりな、道義的にはダメやけど、必要やからやらざるを得ないってことや」
「ワイ目線から見たらそうやけど、もっと視野を広げーや。こうやってアイスを売れば、それを食べる人たちは暑さを凌げるやろ。ワイのおかげで、何人かは熱中症を防げたかもしれへん」
物は言いようって表現があるが、カン先輩はそれを良く乱用する。
「な、なんやねん。マスダだって学校のコンセント使ってケータイの充電とかようするやろ。それと一緒や」
「そんなことしてませんけど。というか、その例えだとやっぱりダメって結論になるんですが……」
だが本人も自分の言ってることが、その場しのぎの誤魔化しだという自覚がある。
といっても、その内の数%は俺たちが食ってしまったと思うが。
「ただいまー……うわっ」
家に帰ると、ムワっとした熱気が襲ってきた。
「ああ、兄貴……今日は暑いって言ってたからな。部屋の中もすごいよな……」
それにつけても、家の中が暑すぎる。
なぜだろう、昨日とは明らかに違う。
「おかえりなさい……」
母の声が返ってくるが、その声は気だるい。
「サイボーグの母さんでも、あの調子だよ。今日はほんとすごい暑さだ……」
……いや、妙だぞ。
母の身体は、かなりの高温でも耐えられるように出来ている。
不振に思った俺は、母に近づく。
「あつっ……」
近づいただけで分かるほど、熱を帯びているのが感じ取れた。
俺はおもむろに、母の額に手を当ててみる。
「あっっっっっっつ!」
にも関わらず、母の反応は鈍い。
「弟よ、父さんに連絡しろ。俺はひとまず母さんをマシな場所に寝かせる」
弟はというと、涼める場所を求めて仲間たちと各地を行脚していた。
だが、人ってのは悲しいものだ。
大衆の考えることなんて概ね同じなのに、自分たちがその“大衆”に含まれている可能性を甘く見積もる。
弟の行くところはいずれも人だらけだったんだ。
「流れるプールだけど……これ流れの力発生してる? 人の力じゃない?」
そして、その大勢の人によって発生する熱気によって、納涼は焼け石に水と化していた。
「トイレに行くのも一苦労だね……」
「おい、間違ってもプールの中でするんじゃねえぞ」
「僕はそんなことしないよ。まあ、どうせプールの水の3割は人の小便などの体液だけどね。色んな薬剤がプールに入れられているのも、それが理由なわけだし……」
「今の話でちょっと寒気を感じた。ありがとよ」
企業などでは一般家庭より多くの電気を扱えるようになっていたが、それでも全体量が足りないため冷房に割ける余裕はほとんどなかったらしい。
「おい、さすがにこれは崩れすぎじゃないか? 確かに表現手法として、特定のカットをあえてゆらがせることもあるけどさあ」
「シューゴさん……その絵は普通ですよ。というより、この現場の空間自体が揺らいでいる気が……」
「何……言って……んだ、マスダさん」
今までにないスタジオの空気がそうさせたのか、現場のスタッフたちの精神状態は独特になっていた。
意思疎通は困難を極め、監督が熱でダウンしてしまったこともあり、今週は総集編すら作れなかったらしい。
「ただいまー……兄貴すげえ格好だな」
「暑いんだよ……で、お前の方はどうだった?」
反応から察するに聞くまでもなかったが、俺は一応尋ねてみた。
「ダメダメ。兄貴みたいに、家で大人しくしてたほうがまだマシ」
やはりそうか。
「でもホント、俺たちの家は思ったより暑くないな。何でだろ」
「そうかあ? まあ、人や家具が少ないとか、立地的に涼しい場所なのかもな」
俺はテキトーにそう返すが、実際この時の室温は低かった。
その要因が何なのか知るのは、もう少し後になってからだ。
なにせ、その時の俺たちは暑さにばかり気を取られ、頭が回らなかった。
いつもなら気づいたかもしれない、何かしらの“違和感”に気づけなかったんだ。
あらゆるモノの価値は一元的ではない、とセンセイはよく言っていた。
誰かにとっては無価値でも、誰かにとってはとても価値のあるモノだってある。
逆に言えば、そこまで俯瞰して物事を見なければ、モノの価値には大抵ランクがつけられる、とも言っていたが。
特殊な精神状態でもない限り、腹が減っている人には食べ物が、寝たい人には安眠できる場所、服がない人には衣服が上位になるだろう。
つまり、今の俺たちにとっては電気、より具体的には冷房が上位になっているってことだ。
このご時世、「健康で文化的な最低限度の生活」にはクーラーも有力候補になっている。
それを使えない程度の電気しかない中、日々を生活するのは困難だった。
市長はいつものスーツ姿から、くたびれたタンクトップに半パンという、恥や外聞を二の次にした中年のオッサンスタイルになっていた。
「暑いのに、あんなのピッチリ着るのはバカげていますよ。ふさわしい、場所にあった格好だなんて考え方は時代錯誤です。汗ダラダラで、ビショビショのスーツ着たほうがふさわしい格好だとでも?」
「一理ありますが、汗ダラダラ服ビショビショ、かつラフな格好していると説得力に欠けますね」
クールビズ月間を打ち出した者として、「格好は気にするな」ってことをメッセージにしたかったらしいと市長は語る。
自分の政策に率先して乗り出すのは、この市長の数少ない評価点だ。
だが、そもそもの話をするなら、今そんなことをしなければならない原因は市長にあるわけだが。
周りは、その姿に呆れるしかなかった。
市長の今の状態は表面的にではなく、本質的にみっともない姿だからだ。
俺は家の中で比較的暑くない場所に座して、とにかく時間が過ぎるのを待つしかなかった。
団扇を片手に、水の張られたタライに足を浸し、少しでも体温が上がらないようにする。
他にできることなんてない。
現代で、電気を使わず出来る余暇の過ごし方なんて限られている。
それにしても、まさかこのご時世にこんな古臭い納涼をする羽目になるとは思わなかった。
だがこれが、案外バカに出来ないのが癪だ。
フィクションとかでやっているのを見たことがあるから試してみたが、確かに幾分かマシなのである。
だが、それでも都会の夏は暑い。
そして暑さの弊害は熱だけではない。
俺の座っている椅子は皮製品なのだが、自分の体が付箋のように張り付く。
いや、もしかしたら、今の俺は付箋よりも粘着力があるかもしれない。
そういえば、飼っている猫もいつもなら足元に寄ってくるが、今日は来ないな。
まあ、お互い暑苦しくなるだけなのは分かりきっているから当たり前だが。
猫は床に寝そべっているだけだ。
「涼しそうだな……」
俺はおもむろに、猫の真似をして床に寝そべった。
なるほど、かろうじて床がヒンヤリするような気がしないでもない。
しかし今の自分の姿はいくら家の中とはいえ、かなり不恰好だろうな。
だが、そんな体裁を気にしていられる余裕は、今の俺にはなかった。
だけど有限かどうか気にするのは、それが必要なものであることの証明だ。
厳密に言うなら、ここでいう“世界”とは「俺たちの住んでいる市」のことで、“資源”とは「電気」のことだが。
俺たちにとっては誇張表現ではない。
この町の市長は思いつきでロクでもない政策を度々行うのだが、そのせいでいつも予算はカツカツだった。
そこで議題に挙がったのが電気。
この市に使われていない発電所があったことに、市長は気づいた。
あわよくば他に売り込もうという目論見もあったらしい。
なにせ、その発電所は風力。
かなり昔に、原子力に代わるクリーンな発電所というアピールのため、突発的に作られたものだった。
……いや、この例えだと化石に失礼か。
そんなわけで、俺たちの町では電気がまるで足りていなかった。
「我が市は資源、エネルギーを大切に扱う市としてアピールするべきです。『地球に優しく!』……これをテーマにしましょう」
そこで市長が苦肉の策として出したのが、「クールビズ月間」という名の強制的な電気節約案だった。
「ですが、今は夏真っ盛りですよ! クーラーなどの冷房のために、電気は大量に必要です」
当然、周りは反対したが、市長は無理くり理由をつけて強攻するしかなかった。
「いや、クーラーがなかった時代もあるのです。つまりクーラーが必要な今の環境こそが間違っている!」
大した理屈じゃない。
今の環境じゃあクーラーが実質的に必要なのは自明なんだから、もしも解決したいなら環境そのものを変えてからだ。
現状をただ非難したり、今あるものを取っ払っただけでは何も解決しない。
「理解に苦しむよ。どうしてこの機械よりも、自分たちの方が罪の重さを正しく推し量れると思えるんだ」
その溜め息は呆れからくるものじゃなく、どちらかというと諦めに近いものだったように思う。
「やっぱりな。この機械が正しく罪と罰を推し量れることが、全面的に正しいことだって思ってる。それが問題を本質的に解決できる魔法の粉だと信じているわけだ」
「なるほどね……」
「あ、何が?」
「マスダの兄ちゃんにとって、罪罰メーターが実際にちゃんと計測できているかどうかは重要なことじゃなかったんだ。罪罰メーターに対する考え方を通じて、ガイドの無知や無理解、傲慢さを露わにしたかったんだよ」
あー、それなら俺も分かる。
そういう人間を家から追い出すって形の方が、後腐れがなくなるもんな。
そしてミミセンの予想が正解であることは、その後すぐに分かった。
「では、お気をつけてお帰りください」
ガイドは危険を察知して咄嗟にステルス機能を使ったけど、これは悪手だった。
迷いなく振り下ろされた木刀を、ガイドはほぼ無防備な状態で肩から喰らった。
「い、いきなり何するんだよ」
「お前はまるで分かっていなかったようだが、俺にとっては全然“いきなり”じゃないんだよ。むしろ待ってやったほうだ」
スーツの耐久性のおかげか、ガイドはそこまで痛そうなそぶりは見せない。
だけど、それがかえって兄貴が手加減しなくていい理由を与えた。
ガイドは様々なアイテムを使ってこの場を乗り切ろうとするが、それよりも早く兄貴が攻撃するため何もできない。
「生憎、この家では治外法権なんだよ。相手が身元不明の自称未来人なら尚更な」
「どういうこと?」
「今この場においては裁くのは俺で、裁かれるのはあいつだってことだ。それは俺に罪があろうとなかろうと関係ない」
完全にキレてんな。
にじり寄る兄貴に恐怖を覚えたガイドは、たまらずその場から逃げ出す。
「他をあたるんだな。まあ、その罪罰メーターには致命的な“欠陥”があるから、結果は同じだろうがな」
その後もガイドは色んな人に罪罰メーターを使って見せたけど、兄貴の言うとおり誰にも信じてもらえなかった。
「ええ? これで罪が帳消しなんて納得いかない。もっと罰を与えろよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。むしろやりすぎだよ。何でここまでされないといけないんだ」
ある人はそれでは足りないといい、ある人はそれではやりすぎだと意見がバラバラ。
「何で今ので自分の罪メーターが増えるんだよ。悪いのはあいつじゃないか」
結局、ガイドのアイテムがインチキだとして、誰も相手にしなかった。
「なぜだ、なぜ誰も『罪罰メーター』の力を信じない……」
何となく感じていたことだけど、この頃になると俺たちも罪罰メーターに“欠陥”に気づいていた。
ガイドはまだ気づいていないようだけど。
「仮にそのアイテムが本物だとしても、結果は同じだ」
ガイドにそれを伝えたのは、意外にもシロクロだった。
いつものシロクロは言動がユルいけど、たまにやたらと喋り方がガラリと変わることがある。
どういうきっかけでああなるのか、あれが本来のシロクロなのかは分からない。
考えるだけ無駄なので、俺たちは持病の発作みたいなものだと思っている。
「マスダのお兄さんも言っていたけど、一体どういうこと?」
「因果に人が繋がれているならば、罪と罰についての妥当性を判断するのもまた人なのだ。その機械が人の気持ちを理解できない以上、いくら正確に検出できてもポンコツなのだよ」
そう、罪罰メーターの致命的な欠陥。
それは計測が正確であるかどうかを判断できる人間が、ほぼ存在しないってことだ。
「理解できないよ。どうしてこの時代の人間たちは、自分の感情を優先させて是非を語ろうとするんだ。そんなので正しく裁けるわけがない」
「正しく裁けるかってのは、必ずしも重要な事じゃない。時には他の事を優先することもある。そして、そのメーターにそんな判断は出来ないだろう」
シロクロの言うことをガイドは理解できないようだけど、結果が何よりも物語っている。
つまり機械が裁くにしろ、人が裁くにしろ、納得できない結果になるってことなんだろうな。
この時点で俺たちは、ガイドが家から追い出される未来を予見した。
キトゥンもそれを察したのか、兄貴の膝上からそそくさと降りる。
「ん? なにかな?」
「さっき、罰は違う手段でもいいと言っていたが、それは間接的であっても計算されるってことだよな。じゃあ殴られた当事者以外の第三者が殴った場合、それは罰として計算されるのか?」
「状況や性質によるね。その第三者が当事者と何の縁もなく、別のシチュエーションで殴った場合、それは本件とは関係ない。ただ、一見すると関係がないようでも、因果的に関係があった場合ちゃんと計算されるんだ」
「んー? じゃあ個人的な、第三者による私刑行為はOKってことか? それって司法国家的にどうなんだ」
どうやら兄貴は質問にかこつけて、ダメ出しをするつもりのようだ。
ガイドの持ってきた罪罰メーターを扱き下ろしてから、お帰りいただくつもりらしい。
ガイドが兄貴を不機嫌にさせたせいで、より容赦がなくなってる気がする。
キレた兄貴の怖さを知っている俺たちは間に入ることができず、ただその質疑応答を見ているしかなかった。
「もちろん、そういった私刑を行った人物は独善的な行為だとして罪メーターが別途貯まるけど、対象者への罰としても成立はするね」
「成立しちまうのかよ」
俺たちでは上手く言葉にできなかった罪罰メーターの欠点を、兄貴はどんどん指摘していく。
ガイドは坦々と返していくけど、その答えは何か“大事なもの”を削ぎ落としている気がした。
「他にも気になるところがあるんだが、そういった罰は合算なのか?」
「そりゃそうだよ。もし被害者から同じくらい殴られて、その上で部外者にまで殴られたら、罰としては重くなっちゃう」
「ということは、被害者が加害者に何の罰も与えず、部外者の罰だけでメーターが減るってこともあるのか。その場合、被害者は納得するのか?」
「当事者が納得するかどうかと、罪に対しての罰が適切かどうかは別の話だろ。罪と罰において重要なのは“意図”ではなく“行動”なんだから。当事者が『殴った罰として、あいつを死刑にしてくれ。じゃなきゃ納得しない』って言われても、それは無茶な話になるだろう」
そうしたやり取りに飽きてきたのか、ミミセンが俺に耳打ちをする。
キレ気味とはいえ、確かに今回の兄貴はちょっとしつこい気がする。
結局この状況は、最終的に兄貴がガイドを追い出したら、それでおしまいだ。
それを先送りにして、まだ問い詰める理由があるのだろうか。
ガイドが罪罰メーターの説明をしている間、兄貴は何も言わず話を聞いている。
時おり何かを言いたそうに口がもごもごしていたが、ある程度は話を聞いてからにするようだ。
「このメーターの素晴らしい点は、罪と罰の性質やベクトルが違っても計算してくれることなんだ。暴力という罪に対して、罰金や、社会的制裁でもいいわけ」
ガイドが一通り話を終えた。
兄貴は罪罰メーターの効果に驚くわけでもなく、ただ静かにキトゥンを撫でているだけだった。
「ふーん、つまり罪と罰を正確に測るための装置ってわけか。ならキトゥンには使えないな。こいつの躾くらいには、使えなくもないと思ったが」
「え、測れないの?」
俺は兄貴がなぜそう思ったのか分からなかったので、理由を聞いてみた。
「そりゃあ、罪だとか罰だとかってのは人間の尺度で決められたものだろ。それを動物を測れるわけがない」
うーん、そうなのか。
言われてみればそんな気もする。
「いや、動物も測れるよ」
何だか雲行きが怪しくなってきたぞ。
「このメーターは目的こそ罪と罰の計測だけど、その原理は因果の計測なんだよ。これまでの行動と結果を多側面的に記号化しているんだ。だから他種の生物だって計測することは可能さ」
「いや、測れたらマズいだろ。それってつまり、人間たちの尺度で動物を裁くことを良しとするってことだぞ」
「何を当たり前のことを言っているんだ。ボクのような未来の人間だけではなく、この時代の人たちもそうしているじゃないか。キミ達も外来種が原生生物を脅かしていたら、その外来種の方を殺すだろう? それって、つまり人間たちの尺度で他種を裁くのを認めているってことじゃないか」
表情が歪んだことを隠すため、咄嗟にやってしまう兄貴のクセだ。
だけど兄貴の眉の角度は明らかに上がっているのが分かるし、その理由も明らかだった。
兄貴の飼っている猫、キトゥンはジパングキャットという外来種だ。
ジパングキャットは、この国では絶滅危惧種である魚が好物なため、駆除対象に入っている。
数年前、俺や兄貴のいた学童の仲間たちの間で、このジパングキャットをめぐって一悶着あった。
または人間の勝手な感情を押し付けて、猫を優先して守ることは良いことなのか。
兄貴は最初の内は飼うのに反対で、俺が駄々をこねてもそれは変わらなかった。
そんな兄貴がどういう理由で心変わりしたのか、尋ねたことがある。
返ってきた答えはこうだった。
「猫を生かそうが殺そうが人間のエゴだというなら、自分の心に従ってより良いエゴを選ぶまでさ」
そんな兄貴にとって、ガイドの言うことは十分に理解できるものだった。
だけど、いや、だからこそ。
こうしてガイドは罪罰メーターを片手に、当初の目的である協力者探しを始めた。
暇なので、断る理由はないけど。
「キミたち、邪魔だけはしないでくれよ」
あっちからついてくるよう頼んできたくせに、この言い草はイラっとくるが、俺たちはテキトーに相槌を打つ。
この「大丈夫」っていうのは「邪魔をしない」っていう意味と、「どうせ失敗するから」って意味がある。
俺たちは今回も失敗するだろうな、と何となく感じていた。
上手く言葉にはできないけど、この罪罰メーターのプロモーションには、何か欠点があると思ったんだ。
ガイドが訪れたのは、俺の家。
「……また、お前かよ」
ガイドが着ている服にはステルス機能があるらしく、これで俺たちに紛れて家に侵入した。
俺たちがいて、かつ家の中に入ってしまえば、兄貴も無理やり追い出したりはしないだろうと考えてのことだ。
だけど兄貴は木刀を携え、いつでも追い出せるよう準備をし始めていた。
「他にも候補がいるだろうに、何で俺んところに真っ先に来るんだ?」
兄貴の口調が荒くなり、木刀を握る力が強くなっているのが分かる。
兄貴は感情があまり表に出てこなくて、出ようとしても隠したがる人間だ。
そんな兄貴が感情を前面に出しているってことは、ガイドに対して取り繕う気すらないほどにイラついているってことだ。
このままだとキレるかもしれない。
そう思った俺たちは、慌てて間に入った。
キレた兄貴は、俺たちが束になっても止められるか怪しいからな。
「まあまあ、兄貴。こんなに一生懸命なんだから、話だけでも聞いてあげなよ」
「頼むよ。マスダの兄ちゃん」
「私、どっちでもいいけど、ここまできたら聞く位はしてあげたら?」
「……マスダの、に、兄ちゃんが、ど、どうしても嫌だって言うなら仕方ないけど……」
「はあ……全く。セールスマンが絶滅した時代になってから、お前らみたいな良い子が生まれてきて本当に安心した」
すると、飼い猫のキトゥンが近づいて、兄貴の膝元にうずくまってくる。
まだちょっと刺々しいが、かなり落ち着いてきているようだ。
「シロクロ、マスダくんを殴ってみて」
「あぁん? なして?」
さすがのシロクロも困惑している。
というか、ガイド以外も皆そうだ。
たぶん罪罰メーターの効果を実証したいんだろうけど人選がおかしい。
この中で一番力のあるシロクロにやらせるとか、ふざけてんのか。
やられる相手にしても、俺じゃなくてガイド自身がやればいいだろ。
「……いいよ、シロクロ。やってくれ」
だけど、ここでグダグダと文句を言うのもカッコ悪い気がして、俺は渋々とシロクロに促した。
「オーケー! 歯ァ食いしばれ!」
そう言ってシロクロは、間を置かずに掌底を浴びせてきた。
これでは問答無用と大して変わらない。
声すら上げることができず俺は盛大に吹っ飛び、壁に激突した。
「マ、マスダ!?」
「ちょっと、シロクロ! 確かにマスダは了承したけど、全力でやる必要はないでしょ!」
「正直スマンかった。半分くらいの力でやったつもりなんだが」
もしも「全力でこい」で言ってたら、俺は死んでたかもな。
「とはいえ、計測はちゃんと出来ているよ。ほら、シロクロのメーターが貯まってる」
まだ意識が朦朧としているので良く見えないが、粛々と話を進めるガイドに対して俺の怒りメーターが確実に貯まっていくのだけは分かった。
「うおおおお、俺は罪人だー……」
罪罰メーターを見てシロクロがうな垂れている。
罪は罪ってことなんだろうけど。
「で、この罪メーターが貯まった人間に、相応の罰を与えれば減っていくんだ」
「げほっ……“相応の罰”って?」
「うーん、じゃあ今回は分かりやすく行こう。マスダくんがシロクロを殴ればいい。自分がやられたのと同じ方法、威力で」
確かに、同じ手段でやり返せばチャラっていうのは分かりやすいな。
「だけど同じ威力ってなると、難しいぞ」
「ああ、一発でプラマイゼロにする必要はないよ。個別に計算してくれるから」
なるほど、合計でもいいってわけね。
「じゃあ、行くぞ。シロクロ」
俺はシロクロに掌底の連打を浴びせる。
さっきシロクロにやられた場所を狙った。
数発打ち込んだあたりで、ガイドが止めてきた。
だけどシロクロは平然としている。
「ええ? 本当にこれでチャラなのか?」
俺みたいに吹っ飛んだり、壁に激突したり、息が数秒間できなくなったわけでもないぞ。
「罪ってのは一面的なものではないからね。シロクロはボクらに『やれ』と言われたからやったわけで、それが罪メーターの計算に含まれているんだ」
なるほど、意外と色々計算してるんだなあ。
なんだか納得いかないけど。
ミミセンが何かに気づいたようだ。
「そう、ボクもシロクロに暴力をするよう煽ったので、罪メーターが貯まっている」
メーターを見てみると、シロクロとは別の項目にも貯まっているのが確認できる。
そういうのも測ってくれるのか。
「案外ちゃんとしているんだな」
「そうだよ、すごいアイテムだぶふェっ!」
俺は罪罰メーターの効果に感心しながら、ガイドの頬を引っ叩く。
「いてて……あ、まだ罪メーターが残ってるね。さっきの6割くらいの力で、もう一回叩いて」
俺たちはこれ見よがしにガッカリした。
「つまんねえデザインだな」
「キミたちが未来にどういう期待をしているか分からないけれども、こういうアイテムは装飾を気にする意味がないんだ」
にしても、数ある候補の中から“それ”なのかって気持ちはあるけど。
「他にもっと良いのあるんじゃねえの?」
「制約がなければ確かにそうだけど、効果の強すぎるアイテムだと未来に大きな悪影響を与えやすいから……」
また“これ”だ。
未来に悪影響を与えすぎるって言って、こいつはいつも地味なアイテムしか出してこない。
「あ、でも効果は素晴らしいものだよ。これのおかげで、ボクたちの未来は社会がかなり最適化されたんだから」
俺たちの反応の鈍さを察したのか、焦ったガイドはアイテムの説明をして挽回しようとしている。
「そうか……うーん、どこまで噛み砕けば、この時代の子供には伝わるかな……」
こいつ、ちょいちょい俺たちのことを見下している気がする。
言葉の端々に、そういうのがにじみ出ているというか。
兄貴がガイドを嫌うのも、多分そういうところが鼻に付いたからなんだろうな。
「かな~り大雑把な説明をするなら、要は悪いことをすれば報いを受けるべきって考え方だね」
ああ、その考え方は俺たちの時代にもあるな。
「でも、この考え方には欠点があるよね。漠然としすぎている。悪事に対して、その報いが適切なものかってのは正確には分からない」
仲間のミミセンがそう返すと、ガイドは溜め息を吐いた。
なんか、イラっとくる。
「もちろん、ボクたちの時代でも法律やルールといったものはあるさ。でも、キミたちの時代は、まだそれが洗練されていない。使い方もいい加減だ。しかも犯罪者への刑罰が適切かどうかを数人だけで意見を交し、それにやたらと時間をかけるなんて非効率すぎるよ」
また俺たちの時代をバカにしているのがムカつくが、ガイドの言いたいことは何となく分かってきた。
「つまり、それを効率的にするのが、その『罪罰メーター』ってこと?」
「そういうことだね。長年の研究によって、因果を可視化、数値化することができたんだ」
確かに、今まで不可能だと思われていたものが、可能になったという点では未来のアイテムっぽいな。
やっぱり地味だが。
「これは画期的な発明なんだよ。裁判の効率化はもちろん、民間の些細なトラブルですら、これがあれば正確に判断することができるんだから」
それに胡散臭い。
「疑っているようだね……。じゃあ、試しに使ってみせるよ」
これといった名所がなく、交通は不便。
実際に低所得者ばかりが住んでいるかは知らないけど、そこの人たちは「物価が高いだけ」とよく言っている。
その呼び名を不服に思っているのは間違いないようだ。
そこに歳の離れた友達が住んでいる。
白黒のツートンカラーの服を好んで着ているから、俺や仲間たちはシロクロと呼んでいる。
俺や仲間たちは、学校の帰りにシロクロの家に集まって時間を潰している。
「ウェルカム、ようこそヨーコ」
シロクロはユルい奴だから、俺たちがいきなり来ても快く受け入れてくれるんだ。
「なんだキミたち、また着たのか。友達だからといって、そんなに頻繁に訪ねてくるのはどうかと思うよ」
それに対して、いつも眉をひそめているのが同居人のガイドとかいう奴だ。
「一理あるけど、居候のあなたが言うのは説得力に欠けると思うの」
仲間のタオナケがそう返すと、ガイドはあっさりと黙ってしまった。
自分は未来からやってきたと言って、変なアイテムをよく見せびらかす。
実際、どれもすごいアイテムなんだけど、周りの反応は冷たかった。
俺の兄貴はこう語る。
「変な格好して、変な道具を持っていれば未来人ってことにはならない。仮に未来人だとしても、あいつを信頼に足る人物だって誰が保証できるんだ。あれはソシオパス、ソシオだ、ソシオ」
未来から来た証明だと言って、俺たちの家の庭を焼け野原にしたことを兄貴は根に持っているらしい。
まあ、確かにガイドは変人だと思うけど、この町には変人が多いから今更って気もする。
それにやっぱり、ガイドの部屋の“未来感”は暇つぶしには丁度いい。
「で、今日は何の道具を見せてくれるんだ?」
だけど俺みたいなガキや、シロクロみたいに頭のユルい人間ではリスクが高すぎるらしく、その使命が何なのかは教えてくれない。
基準はよく分からないが、適性のある人間が協力してくれないとダメだという。
その人たちに未来のアイテムを使ってみせて信頼を得ようとしているけど、上手くいった試しがない。
「今回はこの『罪罰メーター』でいこうかと」
オサカ「ほら、どうだマスダ。これが、いま一部の界隈で密かに話題の『ナントカさんはカントカしたい』だ」
オサカは意気揚々とススメてくるが、何が面白いか俺にはよく分からなかった。
“カントカ”というものについて講釈を垂れて、後は登場人物の中身がない掛け合いで目が滑る。
もしかしたら読み込みが足りないのかもしれないが、俺はそもそもこの漫画の中身になんて興味ない。
「……カントカに興味がない読者にとっては長々と説明されても困るし、興味のある人間にとっては基礎的すぎて退屈な内容だと思うんだが。キャラクターも、物語のテーマと必然性を感じないというか……」
「マスダは相変わらず表面的な感想というか、粗探しばっかりするなあ」
そう言われても、この作品そのものに関心がないから、感想を言語化しようとしたらその程度しか出てこない。
「こういった作品はそんな細かいことを気にするんじゃなくて、キャラクターの関係性とかも加味して、もっと全体的な空気感を楽しむものなんだよ」
「じゃあ、そういう楽しみ方ができない俺がダメってことで、この話は終わりだな」
「いやいや、マスダ。もっと、こう……あるだろ?」
いや、ない。
今ですら、内心では「興味ない」の一言で済ませたいんだ。
だが、「興味ない」では済ましてくれないから、どうにか搾り出している。
「マスダ。もっと実質的な感想を言ってくれよ。魚だって大事なのは味であって、小骨の数じゃないだろ」
「それ大した理屈じゃないよな。小骨が多かったら味わえないだろ」
かといって、正直な感想を言ったところで、こちらの数倍の言葉を用いて反論してくる。
挙句、それを理解できない俺が愚か者だという前提で罵ってくるのがオチだ。
上辺こそ取り繕ってはいるが、本質的な精神構造は極めて単純であることを俺は知っている。
その状態のオサカの相手をすることが、時間の無駄だということも。
こいつから言わせれば、そういった意見のぶつかり合いこそ醍醐味なのかもしれないが、違う意見を持つ相手に対して自分の感情をコントロールできない人間がやることじゃない。
「まあ……面白いと思っている人がいて、お前も面白いと思っているなら、それでいいんじゃないか?」
「なんだよ、それ。僕はマスダの意見を聞きたいんだよ。好きか、嫌いか、そんな単純な感想から始めていいんだ」
どうもこいつの中では、前提として「好き」か「嫌い」かの二択しかないらしい。
だが、俺の中にそんな二択は存在しない。
「いや、どっちでもない」
「どっちでもない、ってどういうことだ?」
オサカの中にはその二択しかないようだが、好きだとか嫌いだとかっていうのは、その対象をどうあれ評価しているからこそ出てくる気持ちだ。
自分にとって評価に値しないものに対して、そういった感情は湧かない。
作品を賞賛するにしろ批判するにしろ、それは評価している人間にある選択肢なんだ。
「……例えば七ならべをする。お前は都合のいいカードが手持ちにたくさんある。そして俺は手持ちに都合のいいカードがない……というレベルですらなく、何のカードも持っていない。七ならべに参加していないからだ」
「その例え意味不明」
その後も、俺は穏便に済ませようと遠まわしに表現するが、オサカは首を傾げるばかりだ。
「あ、そうだ、『ウチュウノススメ』の話しようぜ。あれ好きだろ?」
「いや、最近の『ウチュウノススメ』は宇宙の説明ばっかりで、漫画としては退屈だから話したくない」
「ちょっと前まで熱く語っていたくせに、何なんだそれ」
俺が結局のところは時間を無駄にしていると気づいたのは、その問答を繰り返してしばらくのことだった。
マスダ:オサカにススメられ、『ナントカさんはカントカしたい』を読むことに。もとから興味のなかったものをススメられたので読むこと自体が乗り気じゃない。結局、カントカが何なのかは未だよく分かっていないし、分かる気もない。話題に挙げた『ウチュウノススメ』もかろうじて話についていけるだけで、別段ファンというわけでもない。
オサカ:マスダに『ナントカさんはカントカしたい』をススメた。読んだあとのマスダの感想が気になっていたが、まさかの無関心に肩透かしを食らっている。「どんな意見でもいいから」と言っているが、批判的な意見に寛容というわけではない。『ウチュウノススメ』のファンではあるが、最近は熱が冷めているきているのか『どたキャン×』に浮気気味。
工場案内人「こちらではカントカのシアマル部分を作っています」
ヤイノちゃん「あんた部員なのにそんなことも知らないの? シアマルはアブダンするために不可欠な部分、いわば骨組みよ」
ブラーくん「まあ、仮入部だし……ヤイノちゃんは逆に詳しいね」
ヤイノちゃん「こ、これくらい誰でも知ってるわよ! あんたが無知無学なだけ!」
工場案内人「まず、素材のシワイを下処理します。足が早いので手早く皮を剥ぎ、60度ほどの油で芯まで熱が通らない程度に。その後にじっくり燻製しながらハダン樹脂を流し込めば、シアマル部分の完成です」
ナントカさん「近年では技術開発が進み、カントカの製造もほとんど自動化となっていますが、このシアマル部分だけは人の判断と手がなければ不可能なんですよ」
ナントカさん「いやー、それほどでも」
係の人がいるのに、ナントカさんは相変わらず講釈を垂れたくて仕方ないらしい。
むしろ、カントカの製造で、その熱は上がっているようにすら見える。
ブラーくん「えー、そうなんですか。なんだか簡単そうな作業に見えるけど……」
ナントカさん「いいんですか!? やります、絶対にやります!」
ナントカさんは食い気味に返事をした。
ヤイノちゃん「ここをこうして……あれ? 何だか泡みたいなのが……」
ナントカさん「ほら、だから言ったじゃない。そうなると商品としては使い物にならないの。マサシサダがあると、カンダイをアブダンするときに危ないでしょう」
ナントカさん「……当たり前です。このシアマル部分を任されるのは、経験を積んだ選ばれた技術者だけなの!」
ブラーくん「ええ? ナントカさんでもダメだったのに、僕がやるなんて無理ですよ。これ以上、素材が無駄になったら申し訳ないですし」
ヤイノちゃん「私への当てつけかしら」
工場案内人「ああ、大丈夫ですよ。20年ほど前は確かに貴重な素材ばかりだったんですが、現代は火山から代用品がいくらでも取れるので」
ナントカさん「代用できる素材のシワイが発見されたことで、今はカントカを50円で買える。いーい時代です」
ブラーくん「自分の生まれる前の出来事なのに、何をノスタルジーに浸ってるんですか」
ヤイノちゃん「いいから、あんたもやりなさいよ! そうして恥をかいたら、さっさと次の工程を見に行くわよ!」
ブラーくん「なんでヤイノちゃんが仕切るんだ……まあ、いいや、やってみます」
工場案内人「……おお! すごく手際がいいですね。本当に初めてですか?」
ブラーくん「いやあ、でもやっぱり、意外と難しいですね。これ」
ブラーくん「何で失敗させなきゃダメみたいな前提の物言いなのか」
ナントカさん「ギギギ……」
ブラーくん「……ナントカさんまで。そんな露骨に嫉まなくても」
ナントカさん「ち、違いますぅ。ちょっとブラーくんが羨ましくて悔しいって思っているだけですぅ」
ブラーくん「嫉みじゃねーか」
ヤイノちゃん「ふん、案外悪くなかったわ」
ブラーくん「ちょっとだけ、本当にカントカのことが好きになったよ」
ナントカさん「……“本当に”? 今までは好きじゃなかったってこと?」
ブラーくん「あ、口が滑った」
ナントカさん「どうやらブラーくんには、もっとカントカの魅力を知ってもらう必要があるようですね……」
ブラーくん「か、堪忍して~」
ブラーくんも、毎度ナントカさんに振り回されつつも、そのノリに慣れてきた……どころか心地よくなりつつあった。
???「たのもー!」
そんな二人の間に、今日は珍客の来訪。
その髪の色に見合ったドギツい声色で有名な同級生で、みんな親しみをこめて「ヤイノちゃん」と呼んでいる。
しかし、この国の、この学校の文化に馴染めていないブラーくんは、彼女を頭のおかしい人と認識していた。
ブラーくん「仮入部ですけど……」
ヤイノちゃん「え、まさかカントカ部に入ったの!? 頭おかしいんじゃないの」
ブラーくん「仮入部ですって。それに頭おかしい人に、『頭おかしい』って言われたくない」
ヤイノちゃん「失礼なヤツね……ふん、でも一人増えたところで事態は変わらないわ。さっさと教室を明け渡しなさい。部員の少ないクラブに、勝手に空いた教室を使わせるわけにはいかないのよ」
ナントカさん「だから、ヤイノちゃんにそんな権限ないでしょ。先生にも許可は貰っているし、空いた教室を他に使う予定もないのだから、やいのやいの言われる筋合いはありません」
理由は分からないが、ヤイノちゃんはナントカさんを目の敵にしているらしく、時たまこうやって部室に押しかけてくるらしい。
ナントカさん「はあ、小学生の頃はあんなに大人しくて可愛らしかったのに、どうして今はこんな風になっちゃんでしょう」
二人の関係は数年以上前から続いており、いわゆる幼馴染ってやつだ。
きっと浅くて深い因縁があるのだろう。
ナントカさん「残念ながら、今日はヤイノちゃんと遊んでいる暇はないんです。なんてたって今日は、カントカ製造工場の見学に行くんですから!」
ブラーくん「え、初耳なんだけど」
ヤイノちゃん「そういって逃げるつもりなんでしょ。そうは問屋が卸さないわ!」
ブラーくん「まさかジャポンの、しかもこんな都会のド真ん中にあるなんて……」
工場案内人「今回、工場を案内させていただくサスタと申します」
ヤイノちゃん「本日は急な見学に応じていただき、まことにありがとうございます」
ブラーくん「さっきあんなこと言っておいて、よくそんな対応が出来るなあ」
ヤイノちゃんは外面だけは良かった。
ヤイノちゃん:ピンクツインテールがキマッている。ナントカさんの幼馴染。最近は疎遠になっていたが、ブラーくんを巻き込むナントカさんを止めるという名目で、ことある事にやいのやいの言う。だが、最終的にはカントカに満更でもない感情を抱く。一応はツンデレ属性ということになっている。
ナントカさん「カントカが、カンダイをアブダンすることは説明しましたよね?」
ブラーくん「うん、まあ。でも実際問題どうするの? カントカでどうにかなるイメージが湧かないんだけど」
ナントカさん「そうですねえ、色々なスタイルがありますが、今回は基本的な方法でやってみましょうか」
ブラーくんは内心興味がなかったが、熱心に実演する彼女に気を使って言い出せなかった。
ナントカさん「まずカントカの表と裏を把握すること。これを間違えたまま使ってしまうのが初心者あるあるです」
ブラーくん「どこで見分けるの?」
ナントカさん「ここについている、ビクレの皆無で見分けます。ビクレのあるほうが裏です」
ブラーくん「ああ、分かりやすい。つまりビクレのないほうが表か」
露骨なおべっかに、よほど勧誘に必死なんだとブラーくんは思った。
ナントカさん「最初はゆっくりやりますね。裏側に利き手の指の第一関節を軽く引っ掛けるようにしたら、カンダイのルブカ部分をもう片方の手で持つ。そして捻りを加えながら、カントカを表と裏の両側から交互に引っ張りあげる」
ブラーくん「うわ、そうなるんだ。でも、まだアブダンされてはいないね」
ナントカさん「ここからはゆっくりやると失敗するので、よく目を凝らしてくださいね。ルブカ部分を持った手を離すと同時に、カントカを回転させて……アブダン!」
ブラーくん「おおっ!」
ブラーくんが感嘆の声をあげたのは、カンダイをアブダンした光景に対してではない。
彼女がカントカを使ってカンダイをアブダンする姿が、妙にセクシュアリティであったためだ。
ブラーくん「え、まあ、blah blah blah……」
ナントカさん「気のない返事。じゃあ、実際にブラーくんもやってみましょ!」
ブラーくん「えぇ……と、まずはビクレのある裏側に指を軽く引っ掛けて……カンダイのルブカ部分をもう片方の手で……」
ナントカさん「あ、違う違う! カンダイのルブカ部分はこっち」
ブラーくんは酷く取り乱した。
ブラーくん「ちょっ、近い近い! さっきも思ったけどパーソナルスペース! 個人のパーソナルスペースをもっと尊重して!」
ムッツリスケベのブラーくんだが、過度な肌接触は刺激が強いのでノーサンキューだった。
ナントカさん「……ほら、これでアブダン。ね、カントカって面白いでしょ?」
ブラーくん「と、とりあえず……仮入部ってことで」
結局、狼狽したブラーくんは、なしくずし的に入部を承諾してしまった。
なあなあに、正式に入部した扱いにされてしまうのだろう、というのを感じつつも……。
ナントカさん「そこから更にカンダイをアブダンしてもいいし、ラミサやパロニをアブダンしてもいいけど初心者向けじゃないから、また今度」
ブラーくん:留学生。どこの国出身かは作中で明言されないが、見た目はハーフ&ハーフっぽい。学校案内の際にナントカさんに目をつけられ、半ば強制的にカントカについて関わっていく。ナントカさんの強引なカントカ講釈のせいで、よく面倒くさいことに巻き込まれる。ラッキースケベにも良く合うが、当人は不本意らしい。ややムッツリスケベ。
彼の国では最も人気のスポーツであるゲートボールが、なんとこの学校にはなかったのだ。
ブラーくん「まいったなあ。僕の特技をみんなに見せて、一気に打ち解けようという目論見が瓦解しちゃったよ」
だからといって、帰宅部という消極的判断は彼の選択肢に存在しない。
このままだと自らの青春時代は、何とも言えない感じの思い出ばかりになってしまうからだ。
だが、それから大人になったとき、そのイケてない出来事を何度も思い出すことになる。
それは耐え難いものであった。
ブラーくん「とはいっても、野球とかは熱血臭くてちょっとなあ。サッカーも、現実世界で優勝できないからって、フィクションの世界で勝たせるような国だしなあ」
ブラーくんの各スポーツに対するイメージは、もっぱら日本製のアニメや漫画から得たものだった。
そうして、ピンとくるような部活に出会えないまま、学校中をウロチョロしていた、その時である。
???「危なーい!」
ブラーくん「うっ」
ブラーくんの頭部に何かが直撃する。
しかし衝撃も痛みもほとんどなく、本当に当たったのか疑うほどであった。
???「ごめんなさーい! 大丈夫ですか?」
先ほどの声の主が駆け寄ってきて、ブラーくんの頭を撫でる。
黒の長髪、凛とした出で立ち。
それが錯覚だとすぐに気づいたのは、彼女が持っていた馴染みのない物体のおかげだ。
ブラーくん「こ、これ何?」
???「あ、『カントカ』に興味あるんですか?」
ナントカさん「そう、そして私は『カントカ』をこよなく愛するナントカ。よしなに」
これがブラーくんと、『カントカ』をこよなく愛する「ナントカさん」の出会いだ。
ナントカさん「そう、ブラーくん。我が『カントカ研究クラブ』に興味はない? と言っても、今は私一人ですけど……」
ナントカさん「カントカってのはね。カンダイをアブダンするために出来たものなんです」
ナントカさん「ちなみにカントカの名前の由来は、居間にいるカント夫人のお尻に蚊が止まったことが由来とされています。それまでは“ミシダ”って呼ばれていたんです」
ブラーくん「へえー」
聞いてもいないのに豆知識をねじ込んでくるナントカさんに、ブラーくんは生返事するしかなかった。
ナントカさん「嘆かわしい。カントカのことを知っているようで知らない人たちが、ここにもいるなんて……」
ブラーくん「つまり、そのカントカを普及を兼ねて研究しているクラブってこと?」
ナントカさん「察しが良い。カントカの素質がある。是非、入部の検討を!」
ブラーくん「えぇ……?」
ブラーくんは戸惑った。
部活に迷っていたとはいえ、まるで知らないものに対して自分の青春時代を一部でも捧げてよいのかと悩んだからだ。
ナントカさんの見目麗しさはブラーくんの美的感覚をくすぐったが、だからといって入部については慎重にならなければならない。
ナントカさん「見学、見学だけでもして! カントカの魅力がきっと分かるから」
ブラーくん「こっちの話を聞いてくれない……」
ブラーくんはナントカさんの押しの強さにやられ、無理やり開いている教室に連れて行かれた。
ナントカさん:黒髪ロングがキマッている白光美人。初見では大和撫子のような印象を周りに与えるが、実態はカントカのことになるとキモヲタばりにテンションがあがって饒舌になる残念美人。カントカが絡むとやや非常識になりやすく、ブラーくんは巻き添えを食らう。
何はともあれ、これで俺たち兄弟が熱中したパズルゲームは終わりだ。
ということで、今回の話もこれで終わり
俺と弟はそれで良くても、ムカイさんの十数年かけたパズルゲームはまだ終わっていないのだから。
「最初は経過を観察することにした。そしてオマエを知る者、近しい者たちから情報を得ようと」
ムカイさんにそんなつもりはないのかもしれないが、何だかストーカーみたいだな。
「分かったのは、オマエも現在は戦っていないということだった」
「オマエと戦ったワレには分かる。お前は一時的ではあっても、戦いに生きる存在となっていた。『理由がない』というのは、戦いをやめる条件としては不十分だ」
「……生憎、その条件が何なのかは、あなた自身じゃなきゃ導き出せない。“協力”ならしてもいいけど」
嫌な予感がしてきたぞ。
「ワレに答えを委ねることが、どういうことになるか分かっているのか?」
「場所を移しましょうか。結局は“慣れた方法”が、答えにたどり着くには近道だもの」
ああ、やっぱり、そういう展開が来るのか。
ムカイさんにとって、わずかに残された“戦う理由”は、俺の母との決着だ。
母とムカイさんの、十数年越しの決着をつける戦いが、いま始まった。
ムカイさんは戦闘用のプログラムとAIが切り離されていたため動きが鈍い。
母は長年のブランクと、体が昔と違って戦闘用ではないため、ムカイさんに決定打を与えることができない。
そして……俺は真面目に解説するのが馬鹿らしくなってきていた。
勝負の内容はフワフワしていて、どっちが有利か不利か、漠然とした説明で進んでいく。
雰囲気で話は進んでいると感じたが、それを悪いことだとは思わない。
将棋にそこまで詳しくない人間はついていけないし、詳しい人間ならもっと実用的な指南書を求めるはずだ。
つまり、俺が言いたいのは、そういうことだ。
この戦いを、詳細に捉える意義はない。
「随分と弱くなったな。昔のオマエ相手なら、既にワレは戦闘不能になっていただろう」
「今の私は、日々の生活を家族と過ごせることが何より大事なの。あなたと戦うための武装は必要ない。それだと、子供たちを抱き締められないもの」
母とムカイさんのセリフの応酬が、傍から見ているとむず痒くて、マトモに聞いていられない。
弟はガキだから現実離れしたバトル展開に興奮しており、父はまあ一応は当事者の一人ってことになっているので真剣に見守っている。
「あなたも当時より随分と弱くなったじゃない。戦闘用じゃないパーツがいくつかあるようだけど」
「……色々な場所で、色々なことをした。当然、あの頃のパーツもガタがくる。現地の自称メカニックどもに、その度にパーツを変えられた。いつ使うのか、よく分からない機能もつけやがる」
「でも、あなたは今もそれを捨てていない。なぜだと思う?」
「AIを改造されたのかもな……そんなことができるほど、腕のいい奴はいなかったと記憶しているが」
「あなたのAIが元から優秀なら、特別な技術はいらないの。“心”ってのは、そういうもの。あなたがこうやって律儀に周りを巻き込まないよう戦っていることも、これまで旅をして培ってきたことも、そして今こうして私と話をしていることも、ね」
「“心”……? 機械のワレがか?」
話は見えてこないが、なんだかまとめに入っているってのは分かる。
ムカイさんのAIが、求めていた答えを導きだしたようだ。
「……もういい、降参だ。ワレには“戦わない理由”がある」
どうやら、戦いはムカイさんの負けで終わったようだ。
だが、そこに敗北感も、不完全燃焼感も漂っていなかった。
戦うために生まれたムカイさんにとって、「戦う理由がない」という条件は、戦いをやめる理由としては不十分だった。
だからムカイさんに必要だったのは“戦う理由”ではなく、“戦わない理由”だった。
それが具体的に何なのかは俺にはうかがい知れない。
だが、いずれにしろムカイさんにとって、戦うことよりも大事な理由だったのだろう。
今でもムカイさんは向かいに住んでいて、まあそれなりに仲良くやっている。
俺と弟はというと、母のよもやま話を以前より少しだけ真面目に聞くようになった。
今でも俺は、家族だからといって全てを知りたいとも、知るべきだとも思っていない。
それでも、理解しようとする程度の信頼はあった方がいいとは思ったんだ。。
ムカイさんの開発者は、戦闘力を上げるためにAIも発達させていた。
そこで、ムカイさんに「倒す」という優先プログラムをつけ、それをAIと紐付けるために「戦う理由」を付与した。
しかし開発者は、その「戦う理由」が消滅した後のことまで考えていなかった。
いや、考える必要がなかったのだろう。
秘密結社の野望が成就されるにしろ、潰えるにしろ、最終的にムカイさんが“辿る道”は同じだったはずだから。
しかし、秘密結社が壊滅したとき、ムカイさんは未だピンピンとしていた。
「自分は何のために戦っているのか」と思ったらしい。
優先プログラムは「倒す」という命令を出すのだが、AIに紐付けられた「戦う理由」が消滅したため実行できない。
最もシンプルな方法は、新しい「戦う理由」を作ってAIと紐付けることだ。
だが、勝手に動かれては困るから、その手段は自発的にできないよう作られていた。
それは人間でいうならば、“ジレンマ”というものに近いものかもしれない。
解決策が見つからないまま、問題解消のためにどんどん容量を割いていく。
結果、何とか出てきた案が「新たな解決策を導き出すため、今よりも自分のAIを発達させる」というものだった。
ムカイさんは、そのために人間の真似事をすることにした。
アテのない旅を繰り返し、自分の存在意義とは、自分は何をすべきなのか答えを探す。
しかし、答えは出てこない。
その時、偶然出会ったのが俺たちの叔母だ。
冒険家の叔母から、姉の(つまり俺たちの母の)話を聞くうち、ムカイさんの中で答えへのナビゲーションが表示されたらしい。
そう考え、接触を試みたわけだ。
「ねえ、ムカイさんの言ってることって、現実問題として科学的にありえるの?」
「そんなこと分かるわけないだろ」
話の途中、弟は俺にそう尋ねてきたが、そう返すことしかできない。
俺は、自分が普段慣れ親しんでいる日常とかけ離れた世界観の話に、事情を上手く飲み込めないでいた。
それでも話をまとめるなら、俺たちがパズルに苦戦した理由は、こうだ。
ムカイさんは度重なる改造によって、今と昔で姿形が違っていた。
母のムカイさんに対する記憶が曖昧だったのは、それが理由だろう。
そして何より、母の語っていた秘密結社の話を、俺たちが信じていなかったことが問題だった。
その話を信じてさえいれば、ムカイさんとの関連性を推理することができたかもしれない。
俺たちは母を信頼していたが、その信頼性はどうも歪んでいたってことなのだろう。
とどのつまり、俺たちは自分たちにとって信じやすい情報だけを信じ、その結果パズルゲームに失敗したんだ。
「調べたいことを検索したらピンとくる内容のものが出てこなかったが、実はトップページの記事をよく読めば書いてあった、みたいな話だな」
「兄貴、その例え分かりにくい」