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私も特典目当てで3回めの視聴をしてきたんだけど、3回目くらいだと普通に映画楽しめる。
でも横に座ったお姉さんは特典の内容みて直ぐに席を立って出て行っちゃった。
逆側に座ってたお兄さんは一日中映画見てたのか、特典でもらった色紙を何枚もアルバムみたいなのに挟んでた。その後映画が始まるとイビキかいて寝始めた。
私も特典が欲しくて行ったというのが半分あるんだけど、これだけ毎週限定特典とか出すことに少し疑問を覚える。
元々特典って映画を見てくれる人に『おまけ』で、『好意』で出してくれているものだと思うんだけど、今は明らかに少しでもお金を出させるためにやってるよね…
よく、(私を含めた)アニオタがAKB商法を馬鹿にする(※)けど、全く同じことだなぁとね。
あれは握手券とか投票券?を求めて同じCDをたくさん買うけど、ラブライブも特典を求めて同じ映画の券をたくさん買うっていう。
メインは映画の券なんだけど、でもそれにお金を払っているというよりは特典にお金を払ってるっていうね。
それなら普通に特典を商品として売ってくれたほうが良くない?ってすごく思うんですけど、わざわざ映画のチケットを買ってもらわないといけない何かがあるんだろうか。
特典を商品として売ってしまうと単価が下がるとかなんだろうか。
特典にして数を限定するから転売もアホみたいなことになるし、これってすごい不健全だしお客さんからするとすごく不幸な状況だと思う。
売る側も普通に商品として売ればちゃんと売上が立つと思うんだけどどうなんだろう。
なんかこういう商売の方法がこれ以上はやらないでほしいなぁッって思ったんだけどみんなどう考えてんのかな。
※これについては私見かも知れません。
実際、音楽業界がそうだった。
CDにしてもAKBが握手券を付けて漸く人並みの売れ行きを見せたけど、握手券さえ獲得出来れば廃棄されたり古本屋に売られてるわけで、
何らかの特典もつけずに出されたCDが全然売れもしてないから、供給過多気味だったアーティストもどんどん休業に追い込まれてる。
CD購買層の絶対数は横ばいのままと仮定した時、違法ダウンロード分を摘発したとして、それによって購買層の絶対数を増やす事になるのかというとならなかったじゃないか?
同じ様に動画サイトを摘発した所で、違法ダウンロードそのものはなくならいし、BD/DVDの購買層が必ずしも増える訳ではない。
要するにいたちごっこ、あるいはトカゲの尻尾切りにしかならないだろう。
CDというメディアは既に飽きられているし、BDなどのメディアはやたら容量が大きく縮小効率化が市場になっている中で
内容が同じ北米版と異なりやたらと高い値段で売り付けるため、余計購買意欲を失わせ、違法ダウンロードに手を染めがちだ。
容量を少なく安く売る事にこそ購買意欲を持たせるのであって、件のAKB商法なんかをしてしまうと一定数の購買層の獲得は出来るものの、
絶対数としての購買層は激減するだろう。
あの手の商売方法というのは結局、売上げ至上主義が齎した弊害であって、購買層を取り戻す方法ではないので、売上げが減ってるから規制だというのは誤りだ。
もっと安価でかつ確実に売れる商品作りをしていく必要があるのではないか。
ゲームでは無双シリーズやパワプロ、FF、テイルズなどの人気シリーズを課金システム(いわゆるDLC商法)の導入によって獲得したが結果はどうだっただろう。
当然ながらそのアコギな方法は敬遠されやすく、たとえ一時的に売上げ増に繋がったとしてもひとつバグが見つかると途端にアンチが急増してしまった。
その結果、幾ら新しい課金システムを導入してもそのたびにユーザー評価は減少し続けて行くリスクもある。
エンコードが市場になりつつある昨今、H265の導入も近いとされており、BDではより多くのメディアを獲得してコストカットしていけば、今後安価にてBDを発売する事が出来、
売上増に繋がるだろう。
それでなくても誰が聴くねん!と言えるドラマCDや手抜きのピクチャードラマこと紙芝居アニメを特典映像に据えて据え置き価格1万円弱で毎度売り続ける汚いやり方では
誰も買いたいとは思わないし、俺ツイのように後で修正すればええんや!と放送中はゴミ作画アニメを見せられてBD買うか!という気分にだって成りえない。
一番の問題点は制作側が諦めてる姿勢であって、購買層が問題ではないと言いたい。
怠慢が続いたからこそBD/DVDの売上が落ちてるのであって、動画サイトなどは放送中アニメを配信しているだけであるし、それを言うならニコニコ動画の配信も売上げ減に拍車を掛けているとも考えられる。
つい数年前まで、おててつないで全員でゴールする徒競走、個性重視採用、ナンバーワンにならなくてもいい等の甘言が踊っていたような気がするが
社会の生産性の低下と景気悪化、コピーの横行と物量作戦によってオンリーワンは破綻した。
AKBはメンバーを揃えて各々の個性の幅を広げ、各メンバーが客をつかむことで人気と金を得る。と、思いがちだが、総選挙というイベントで全てのオンリーワンが否定される。
順位付けと金儲けをつなぎあわせたことでソーシャルでは格差が顕著化し、個性>順位の図式は覆ることはない。圧倒的に魅力的な個性は、順位の下位カテゴリに成り下がった。
説明する必要もないほどのコピーゲームの中で、イベントと称して順位付け+金儲けの定式が顔を出すことでキャラクターの個性は否定される。
順位=金が全てで、お前の大好きなキャラクターに見せかけた小さなデータは、ソーシャル上の話題で消費されるためにある。これを否定するにはソーシャルを否定しなければならない。
そうすれば、そのキャラクターは消滅するパラドクスを内包するため、プレイヤーには絶対に否定出来ない歪な存在だ。
・SNS
SNSとしての規模が大きくなればなるほど、ユーザーの個性は死ぬ。多数の同調圧力と罵詈雑言によって、個性は簡単に屈する。そんな炎上が今もどこかで起きている。
広がりつながることを目的としているSNSは、広げなくていいことを誰かに教える場として有用だ。
では使用しなければよいのではないか?しかし現実はそれを認めない。「同調しない者には死を」これはリアルに起こった複数の事件を的確に表している。
ソーシャル要素は人間ボーリング装置であり、地ならしだ。全世界を海抜ゼロメートル以下へコモディティ化しようとしている。堤防は各々のリテラシーと理性だが、ゆっくりと小さな穴が開き始めている。
ここから逃れるには、早々にコンテンツの価値基準を上げるか、金の価値を落とすしかない。
ソーシャルを賑わすだけに与えられる射幸心を捨て、己の中に確固たる判定基準を持て。その基準を培う経験と好奇心を求めろ。
オタクになれ。今のヘラヘラ笑ってコンテンツを食いつぶし、話題の奴隷である情けない人間ではない。論と経験と様々なコンテンツを受け止める度量を持つ人間になれ。
教養という言葉が死語になり、誰かの言葉が無いと自我を保てない人間が大勢いる。
それを良とせず、自分がオンリーワンであるという意識を、「アイデンティティ」を確立したいのであれば、1つ意識を変えて見るのも悪くないだろう
547 名前:名無しさん@恐縮です@転載禁止[sage] 投稿日:2014/05/29(木) 18:27:06.59 ID:4F2nanUz0 [1/7]
ピンサロが他の風俗と一番違うところはシャワーなしでフェラ、アナル舐め
まあAKB商法の延長線上と考えると納得だけど
566 名前:名無しさん@恐縮です@転載禁止[sage] 投稿日:2014/05/29(木) 18:57:38.05 ID:4F2nanUz0 [2/7]
ピンサロの勧誘は街角のティッシュ配りで「ガールズバーみたいなお店です」
そこで断れなくて流されちゃうような、押しに弱い子、判断能力ない子、Mな子、奉仕しちゃう子が残る
そんな子だからデリよりハードなサービスを言われるがまましてしまう
そして箱ヘル、デリじゃハードル高くて引っかからないような普通の可愛いJDがいたりする
我に返ってすぐ辞めちゃう子も多いが
587 名前:名無しさん@恐縮です@転載禁止[sage] 投稿日:2014/05/29(木) 19:11:18.01 ID:4F2nanUz0 [3/7]
「日払いで5万いくよ」
「デリヘルだと本番されるよ」
「キャバ、ガールズバーと違って営業、女同士の人間関係がないから気楽だよ」
勧誘文句はいろいろあるわな
596 名前:名無しさん@恐縮です@転載禁止[sage] 投稿日:2014/05/29(木) 19:19:46.93 ID:4F2nanUz0 [4/7]
某人気ピンサロにはライター型盗撮カメラ、時計型盗撮カメラを例示して
こんなので盗撮しようとしてもボーイが監視してるからな!ってポスター貼ってあるね
606 名前:名無しさん@恐縮です@転載禁止[sage] 投稿日:2014/05/29(木) 19:24:04.47 ID:4F2nanUz0 [5/7]
店のボーイたちは本人が乳、あそこ丸出しでフェラしたりドリルアナル舐めしたり
クンニであえいだり塩吹かされておしぼりで拭いてる姿ジロジロ眺めてたんだろな
634 名前:名無しさん@恐縮です@転載禁止[sage] 投稿日:2014/05/29(木) 20:02:10.13 ID:4F2nanUz0 [6/7]
この子は判断能力なくて、押しに弱くて、誰にでも愛嬌振りまいちゃう
男関係派手になってクビ
655 名前:名無しさん@恐縮です@転載禁止[sage] 投稿日:2014/05/29(木) 20:35:13.43 ID:4F2nanUz0 [7/7]
本人の気質だろね
以前は仲良く行動していたのに、裏切られたと思った瞬間があった。
共通の趣味で知り合って仲良くしたいと思っていた。
仲良くなれて嬉しかった。
当方は女で、先方も女。追っかける先は、男なのであった。
「裏切られた」という内容も、些細なことなんだろう。
約束をしていたわけではなかったが、以前相談事をしたことがあって
「私はこうしますよ」と言われたことがあった。
「じゃぁ私もそうします」という会話を、何度かした。
一度だけではではない。
なかなかに信用していたから、そう言った。
しかし、後日、取り返しはきかない時点で「私はこうしますよ」の
まったく逆をされたのである。
信じられなかった。開いた口が塞がらなかった。
何も言えなかった。
今思えば、あの時はっきり「なんで教えてくれなかったんですか?ショックです」と
言えばよかったんだろう。私の開いた口が塞がらないのを見て、
でも、言えなかった。かなりのチキンだ。
その後、家に帰って玄関で泣き崩れた。
相当信用していた?好きだった?………のだろう。
裏切られた気持ちでいっぱいだった。
二度と味わいたくないと昔思ったことがある。
今では良くなって、人見知りもマシになったと思っていた。
…………のに。要するにそれの再発だ。
私も追っかけ先の彼のことは大好きである。
でなければ、行ったこともない土地に、
乗ったこともない電車に乗って行く訳がない。
しかし、違うのである。女子の中でよくある「私が一番」が見えた。
私も好きなのは好きだが、「私が一番」の意味がわからなかった。
それは、なまじ追っかけ先との物理的距離が近いからというのもあるだろう。
要するに、AKB商法をしているわけだ。昨今では珍しくもないだろう。
手法は様々だが、DVDを数枚買えば本人とチェキが撮れたり、次のイベントの抽選券がもらえたりする。
だから熱心なファンは何枚、何十枚も購入している。
不思議な世界である。別世界。別の精神・感覚持ち主たちが居る空間だった。
追っかけが始まって、ちょうどその頃仲良くなった。
初心者だった私は、一緒に楽しめる人が出来てとても嬉しかった。
イベントには一緒に行ったり、終わった後は飲みに行ったりした。楽しかった。
いろんなことを教えてもらったりもした。追っかけのファンとは、私が追っかけ先を好きになる前の
イベントの内容やら、追っかけファンの怖いところなどなど・・・。
もちろん追っかけ先が好きだから、でもあるのだが、一番は「楽しいから」やっているのである。
去年、ちょうど私は自分の人生をもっと楽しもう、と思うようになった。
今まで卑屈に生きてきた自分が居て、そんなのは勿体ない!もっと楽しんでいいはずだ!と
初めて見た彼は輝いて見えた。容姿も完璧だった。私に持っていないものを持っている。
しかし、頭のネジが何個か抜けていたり、思考がどこかズレているところがあった。
そんなギャップもあり、好きになったのだと思う。
さて、「追っかけ」をしているわけなので、そのイベントやらで
正直、会いたくない。話したくない。見たくない。
怖い。
怖いのである。恐怖だ。一個人に対してのみの対人恐怖症なのだろうか。
何をされるわけではないが、話す度に出るあのピリピリした空気感は、
イベントが発表される度に吐き気をもよおす程度には苦痛なのである。
話そうとしたこともある。しかし、やはり言えなかった。かなり悩んだのだが無理だった。
もう、会話をしなくていいようにしようと、離れようと思った。イベントに行くことも黙っている。
そして、当日会うのだ。以前は、前々から連絡を取り合って一緒にイベントに行っていたのに。
あちらは、常連なので行けば仲間がいる。私は一人だ。一人なんか大嫌いな人間なんだが。
それでいいと思った。大人しく彼を見守れればそれでいいと。
ファンは全員女だ。対象の追っかけ先は男なので当たり前だ。
そこに、「女同士の戦い」が生まれることも多々・・・ある。
そう聞いていた。くだらないと思った。どうでもいいと思った。
そして、そんなくだらないことに巻き込まれたくないと思った。
しかし、巻き込まれた・・・と言うより、一方的に投げつけられた。
信用していた・・・と言うより、他人の言った意見で自分の行動を決めたことが
そもそもの間違いだったのだろうとは思うのだが、やはり裏切られた感は否めない。
それが、女の面倒くさいところなのだ。おそらく、私含め。
私が彼女から遠ざかったことも、認めてしまうと自分の非を認めることになるだろうし、
「私が一番」の争いに私も参加していると思っていはずなので
遠ざかった私相手ですら、優位に立ちたいのだろう。
または、以前のように「凄いですね!」とチヤホヤされたいのか・・・。
そんなことはどうでもよかった。あちらは常連として顔も名前も覚えられているだろう。
チケットも良番で、いつもステージから近いだろう。ファン同士でのチケ争いについて聞いて、
遅い番号だと本当に悔しいそうだ。確かに近いほうが楽しい。それはわかる。
しかし、私はそんなのはもうどうでもよかった。ただ、彼のことが楽しめればそれで。
私が彼に関して言っていることが、自慢に聞こえるのかもしれないと思った。
そんなつもりはない。楽しいから話すのである。しかし、わかってもらえないだろう。
ここで「私が一番」という女子のめんどくささが出る。
彼に会いに行けば必ず彼女もそこにいるという恐怖があるということである。
私は楽しみたい。彼に会うことを、彼のパフォーマンスを。それだけなのに。
次のイベントが決まっている。
ただ、楽しみたいだけなのに。彼のことを。生きることを。
楽しんでいるだけなのに。
こんな苦痛、いつまで続けるのだろう。
彼に会えなくなることは、正直したくない。
今後また、苦痛を味わってくることになりそうなので、
でも、総選挙の順位が全く気にならないかと言うとそうでもなく、結局テレビで観てしまった。
指原を嫌いな理由は発言が白々しくてウソくさいからだ(実際ウソだったし)
知り合いでもそういう奴がいる。妙に自虐的な構ってちゃん。
自虐も度が過ぎるとウザくて「本当はそんなこと思ってないだろ」と感じ、ただ疲れる。
指原が一位になった時、マジでウザいと思った。
恋愛を我慢してマジメに頑張っている人が報われないと感じたからだ。
ただ、間をおいて考えてみると、AKBの総選挙的には指原1位で正解だったのかなと思うようになった。
そうなると、1位は大島で2位は渡辺で「なんだよ、結局前回と変わらずかよ」みたいな感じで冷めた感想になっていたからだ。
先の増田が書いていた通り「で、これいつまでやるの?」という感じになっていたはずだ。
そもそも総選挙なんてファンが金投じてるだけで、本人たちは当日ただ座ってるだけでなんも頑張ってねーだろという、元々の不満が噴出することとなっていたはずだ。
ところが、指原1位の衝撃で「ふざけんなよ」という感情が、すべてを吹き飛ばした。
本来発生するべきだったAKB商法に対する不満や批判は、指原1位による納得感のなさに呑み込まれてしまった。
毒を持って毒を制された形になったのが、おれにとっての今回の総選挙だった。
丸刈りのあれ。
あれは何に対する謝罪なのだろうか?と疑問に思った。
ファンはそんな姿は見たくなかっただろう(多分)からファンに対する謝罪ではないのではないか?
恋愛は禁止で、それを破ったら絶対脱退しなければならないというグループに所属しているなら最初から恋愛をしないか、完璧に隠し通せば(=完璧なんてそんなのは多分無理で、運が悪ければバレる覚悟を決めて恋愛をすれば)よかったじゃないか。
その是非はひとまず置いといて、
そういうルールがある仕事でそれを破ってしまった(上手くやれなかった、運が悪かった)謝罪で、丸刈りに走る発想がわからなかった。
なんというか、もう、何のために恋愛禁止というルールがあるのかわからないのだ。
私は、そのルールがある理由はファンの夢のためだと解釈していた。
もしそうであるとして、それなのにファンの夢を壊すスキャンダルを起こしてしまったとして、それでもそのルールがある仕事をまだ続けたいと思うのなら、そのルールの意味を理解し破ったことを謝ろうとするならば、その謝罪はファンに向けてになるのではないか?
夢を壊したことを謝りこれからも夢を生み出したいと伝えたいならば、今まで以上に、髪の長くてきれいなかわいい女の子という夢を纏うのがアイドルであってほしかった。
少なくとも私には、ファンが絶対に見たくないだろうものを見せつけるという行為にプライドが感じられない。
これは恋愛禁止の是非とかそういう問題じゃない。
そもそもあれは誰に対する謝罪なのか?
ファンはそんなものは望んではなかった、と思う。結局あれは、脱退処分を下す立場の人間への謝罪に過ぎない。(それをわざわざ世界に公開しようという神経も恐ろしい)
残りたいので丸刈りで許してくださいってその行為自体が、そのグループの存在(ひいては運営側)に対しても、もちろんファンに対しても失礼な、全く敬意を感じられない行為に見えた。
残りたいからという自分の気持ちのために衆目を集める立場であんなショッキングな映像を晒すのは正気の沙汰じゃない。
グループ自体も、丸刈りで許すのなら何故恋愛禁止というルールを設けているのか?
恋愛がどうこう以前に、破ったら脱退か、丸刈り残留か、他の、よりショッキングな方法で残留するかしかないルールがあるというのがものすごい。
ところが思考を進めていると、たぶん私が思うこれは全く検討外れなことばかりだ、とも思い始めた。
つまりは、女の子が“何もかも”捨てて、与えられたり勝ち取った地位を守りつつもできる限り上位を狙う姿がAKB48の“夢”なのだろうと思いついた。
恋愛なんてものは捨てて頑張っている女の子の姿を見せるべきで、それを破ったなら泣いて後悔しながら何か別の大切なものを捨てて頑張り続ける姿を見せてくれる、という“夢”。
丸刈りに追い込んだ運営側が叩かれてるけれど、運営側にとってはそれでいい。世間にとって悪であった方がいい。一般的に見て悪であっても恩人である秋元さんに感謝をし、精一杯頑張る女の子たち、というのがAKB48が見せる“夢”だから。
身を削り傷付きながら頑張り続ける女の子にショックを受けたり同情しつつも強く心を打たれて熱心に応援を捧げ、身を削り傷付きながら頑張り続けていても支持を得られないと上れない彼女たちのためにCDを買い票を投じるのがAKBファンの在り方なんだろう。
私はAKB48に対して別段興味を抱いたことはなかった。
好きな人がたくさんいるらしいこと、握手券などを封入することで同じCDをたくさん買う人々がいるらしいこと、音楽チャート上位を獲得していること、AKB商法というものはえげつないところがあるらしい、というイメージを抱いている程度で、無関心と軽い好意と軽い嫌悪感を感じていた。それは今でもほとんど変わっていない。
私は、好む人、嫌う人が存在しているのなら、それはそれだけの価値を持っているものだと考える。
音楽は好きだけども、アイドルがチャートを独占している状況にも特に強い異議を感じない。……これはまた別の話だからそこに抱く感情をここに書き連ねたりはしないけども。
ここまで書いておいてなんだけども、無関心と軽い好意と軽い嫌悪感というそれはたぶんこれからも然程変わらない。今後あのグループをテレビや音楽チャートで見かけても、これまでとほぼ同じように特に感慨は湧かないと思う。
それらを支持する人々がいることを否定する気にはなれないから。
まあそれでも、今回の件に関してはこれ位の感想を抱いてしまった。
私個人は、今後確実にあのグループに対してお金を落とさない。応援もしない。
元々無関心と軽い好意と軽い嫌悪感の立場の人間で、当然お金を落としたこともないのだから、そんなことは特に影響は及ばさないだろうなと思いつつ。
これに関して様々な議論が興り、賛否両論様々な意見が出されています。
だけど、違法ダウンロードの実に30%、ダントツ一位の割合を占める中高生からの意見というのはほとんど、というか全くありません。
そこで、高校生から見たダウンロード刑事罰化に突いて書いてみようと思って、今回初めてはてな匿名ダイアリーに投稿させて頂きます。
文章は下手かもしれませんが、ご容赦下さい。
実は僕も、興味あってずっと昔(と言っても5年ぐらい前からですがw)から状況の推移を見てきた一人なんです。
そんな中こんな記事を見つけたました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120506-00000067-san-soci
>また、「違法ダウンロードは未成年者が多いが、彼らの摘発で抑止効果を狙うのは青少年健全育成の面で問題がある」と批判している。
そうなんですよね。冒頭にもいいましたが違法ダウンロードは中高生が一番多いんです。これが余り知られていない。
ソースはこちらです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120506-00000566-san-soci
そう思えば確かに、YouTubeに少年ジャンプをアップロードして中学生が逮捕されたり、ゲームのダウンロードをブログで自慢して炎上したりもしてましたね。
潜在的な未成年ダウンローダーを測るととても多い数になるわけです。
じゃあ、一体なぜ、中高生はこんなにも違法ダウンロードをする人が多いのでしょうか?
同じ高校生として、そして自分も少し前までダウンロードを頻繁にしていた者としてその原因を考えて見ることにしました。
僕は現在高校3年生で、前述のとおり元ダウンローダー、いわゆる割れ厨です。
中学生の頃本当にあれこれ落としていたので、リアル割れ中坊、ということなのでしょうかw
僕がダウンロードに目覚めたきっかけは、偶然訪れたコンビニに置いてあったこれです。まだAmazonにありましたw
最強ツール×最凶サイト!! ダウンロード虎の穴 (100%ムックシリーズ) [ムック]
今では絶対に出版できないムックです。2009年4月ですから、違法化(2010年)一年前ですね。中学3年生の頃です。
それを特に後押ししたのが、ネット上に散らばるありとあらゆるダウンロード紹介サイトと、「Windows100%」「iP!」です。
HDDを買い、ムックや雑誌を見て、あらゆる物を落としまくりました。
そしてwin100やiPにはダウンロード以外にもゲームハックやDVDコピー(ちなみにこれはコピーコントロールではなくアクセスコントロールを回避するという仕組みなので現在も違法ではありません)も紹介されていたので、それに従うようにPSPやWii、DSなどをハックしていきました。
まさに芋づる式です。
そもそも規制するならこのようなムックから規制すれば、僕のような人も生まれなかったんじゃないかとおもうんですけどねぇ。
というか、Googleを規制して違法コンテンツが検索結果に出ないようにすれば一気に解決すると思うんですが。
だって例えば音楽でも、曲名+mp3で簡単にファイルが出てくるんだし・・・
下手するとmp3とかを付けなくても検索上位に出てきたりしますよ。。。
ま、無理でしょうけど、それは置いといて。
その時の僕の心情はどのようなものだったのでしょうか。これを見ればなぜ中高生に違法ダウンロードが多いのかが理解できるかもしれません。
一つ目は、「悪いことやってるオレってカッケー!」です。
これは説明不要でしょう。さっきも例に出した違法ダウンロードをブログで自慢して、炎上パターンです。
僕の場合2009年で違法化前でしたが、モラルとしての問題は少しですが感じていました。
これも現実的な理由でしょう。大金持ちの家でないでもないかぎり、お金というのはできるだけ節約したい。
お小遣いをできるだけ使いたくない。でも音楽は欲しい。アニメも観たい。
ダウンロードに走るわけです。
これはおそらく大人の方がダウンロードをする理由でもあるので、ここで終了となります。
ですが中高生の場合には、ここから更に先、強烈な第三段階まで進むのです。
考えてみてください。そのお小遣いというのは誰からもらうのでしょうか?
大抵親、家族です。
こっちは何も出来てないのにお金だけもらって、音楽やDVDやゲームを買っていく。
この心境に達すると、もう無敵です。
自分の家族に負担をかけたくない。なんとかして自分に掛けるお金を減らして欲しい。
なら、CDやゲームを買うのは止めて、ダウンロードで済ましてしまおう。
これはなかなか止められません。
ダウンロードを辞めることはすなわち家族に負担をかけること、そんなのは嫌だという、いわゆる自己犠牲の心から来るものだからです。
もちろん先にも出た「これは他人に迷惑をかける行為である」というモラルの問題は感じているかもしれません。
しかし、何せ製作する人間も、そもそもコンテンツ自体に目に見える実態がないので、そこまでは想像できずに自ら(の家族)のことが優先されてしまうのです。
つまり、いわゆる自分(の家族)ためなら他人をも犠牲にする、しかしダウンロードしている当人は逆に自分が犠牲になって家族のために尽くしているという感覚に陥るわけなのですね。
そりゃそうです。大抵の場合、自分の大切な人とそうでない人を二者択一しなければいけない時、ただ音楽を作っているだけの基本無関係な、しかも会ったことのない人のほうを選ぶでしょうか?
そういうことなのです。
こういう「・・・が不快に思うから自重しよう」とか「・・・はこう思うだろうな」と考えて他人に憑依したような気分で語る他者依存な人は多いと思いますね。特に震災においてその例が自粛という形で顕著に現れました。
そんなことを考えながら今佐々木俊尚さんの「当事者の時代」を読んだりしています。ステマじゃないよ。
だから、どうしても違法ダウンロードを無くしたいなら、今以上にライブを重視し、そこでの商品販売を強化するとともにサイン会や握手会を頻繁に行ってコアなファンを増やしていくのがいいかもしれませんね。
そうした結果がAKB商法だったりするのかもしれませんw。
話がずれました。
そういう僕がダウンロードを基本止めたのは高校入ってしばらくした頃。
2010年ですから丁度ダウンロード違法化が始まった辺りですね。でもこれが原因ではありません。
ネットがあれば無料で何時間も楽しめます。僕だってニコニコ動画のヘビーユーザーです。
そこではアニメの公式配信もあれば、音楽の公式配信だってあります。が、それもたまに見る程度でほとんどユーザーが投稿した動画を見て楽しんでます。あとニコニコの言論系公式生放送とみゃうネットの羅針盤とか。
でも、最近の音楽で一番聞いているのは実際初音ミクだったりします。それほどに音楽は堕ちてしまっているとも言えてしまうんです。テレビをつけたらAKBと韓流のゴリ押し。
製作者側にとっては死活問題でしょう。それを結局違法ダウンロードのせいにして、刑事罰化を通そうとしている。
僕の予想では例え刑事罰になったとしても売上は上がらず、非親告罪化、スリーストライク化となるでしょう。
それでも売上は上がりません。ネットの発達によって娯楽が何倍もの規模で多様化したからです。
インターネットを止めない限り、元の売上に戻すことはできないかもしれません。不可能ですが。
(そもそもその刑事罰化だって動画を見たあとにローカルに残るキャッシュを取り出せば誰にも見つかることもなくファイルが手に入るので意味ないと思うのですがね。。観るだけなら違法に投稿された動画であろうが合法ですし。まさか将来に「観るのも禁止」になってしまうのでしょうか・・・)
しかし、もしかしたら今の中学生たちはそんなことすら考えずに、そもそもコンテンツがただで手に入ると思っているのではないでしょうか。
ネットが世に出てから生まれた今の中高生世代は、ゆとり・・・じゃなくてデジタルネイティブ世代とも言われてます。
ちなみに僕の場合95年生まれですから、ちょうどインターネットが日本で普及するころ、すなわちwindows95が発売された年に生まれたことになります。ちょっと感動的ですw
そもそもネットというのはFreeが原理原則です。すなわち「自由」、そして「無料」なのです。
オープンソース化はその最たる例だし、ネット上にはフリーソフト(フリーウェア)もいっぱいあります。
お金を払ってコンテンツを買うコンテンツ業界のビジネスモデルは、ネットには不向きなのです。たぶん。
そんなFreeなネット文化に触れながら育った中高生。果たしてコンテンツにお金を払ってまで楽しもうとするでしょうか。
ネットには、無料でしかもとても楽しいコンテンツであふれているのに。
僕的には、真に製作者側、出版社さんやコンテンツレーベルのお偉い様方達が考えるのはここだと思うんですけどね。
刑事罰か云々ではなくて。
おそらく「それでもここまで完成度の高い作品を作れるのは我々(の会社と契約しているクリエイターたち←ココ重要)しかいない!」と胸を張っているのでしょうけども。
最近どんどんネットから有名アーティストになっていく人もいるんですけどねぇ。
まあ、僕にだって5年先10年先のことは分かりません。10年前、ほとんど誰も今を予想できなかったように。これがネット上の事になるともう不可能といえるかもしれません。
もしかしたら音楽業界がV字回復する可能性だって、一応無いわけではないのですw
僕はないと思ってますがね。
とりあえず今回は僕の思っていることをただなんとなしに書いたわけですが、もしこれを読んだ人がなにか思うことがあったらとても嬉しいです。
ここまで読んで下さり、本当にありがとうございました。
昨今騒がしい風営法である。昨日は大友良英さんが話題にして http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20120516 、ちょっとした議論になっている。
ただし、すでに高橋健太郎さんが指摘しているけど、大友さんが言うように「単に古い法律が今でも自分たちを縛っている」というのはちょっと素朴すぎる議論だ。趣旨も新聞の記事そのもので、この点では大友さんが踊らされていると言っても良い。
実際、今までクラブの周辺で悪いことは行われてきた。既に指摘のあるディスコ殺人事件 http://www2.atwiki.jp/onthecorner/pages/183.html もそうだし、たとえば悪名高きスーパーフリーもダンスイベントを開催して悪事を行った口だ。自分はクラブにそこそこ行ったことある(渋谷のオルガン・バー、Womb、代官山Air、六本木の小さいヤツ、新宿にあった頃のリッキッドルームなど)し、たいていは悪事なんかやる場所もないくらいのところだけど、数回黒いスーツの兄ちゃんの集団を見たこともある。売春や麻薬だって取引されてきただろう。だから、「クラブは悪いところではない」というのは「道路は悪いところではない」くらいのものだと理解している。じゃあ、これが、「野球場で人が死んだ」とか「テニスコートで殺人事件があった」のと何が違うのか。
ここで箱としてのクラブの特徴を考えてみる。
要するに、一般の店舗の営業形態と違うことが多く、理解を得にくいのだ。
一方で、 http://1st.geocities.jp/metelgiar/dance_law.html のページにあるように、本来対象だったはずの社交ダンスが「理解を得て」対象外になったことがある。だから、今クラブを支えるには、「どうしたら一般に理解を得られるか」に尽きる。
そこで思うことが、パフュームである。パフュームは今や武道館が瞬殺と言われるほどの人気グループである。そしてその音楽を支える中田ヤスタカも、プロデューサーとしては非常に高い知名度を誇る。ところが、その中田がどこでDJしているかといえば代官山や渋谷の小さなクラブだ。多くても1000人も入らないような場所だ。あれだけ有名ながら、知名度と動員が連動していないのだ(中田にとってはそっちの方が良いだろうけど)。そうでなくても、一般にクラブっぽい音楽はあふれているのに、いまだにその演奏場所が理解を得られてないというのは、不思議なことだ。
さすがにAKB商法が参考になるとは思わないけど、音楽の販売とクラブの動員はもっと積極的に結びつけられていい。なんのお咎めもないものを違法にするのは簡単だけど、一度違法になったものを合法にするのは大変だ。上に挙げた社交ダンスの例だって、90年代まで風営法の適用内だったことが、今となっては笑い話のようだが、事実でもあるのだ。
ガチンコのドキュメントストーリーに思えるものを見せて隆盛を極めたのがモーニング娘。
だから、秋元康に対してやいのやいのブーイングを飛ばしてしたり顔になっているのは、完全に運営側の思う壺。
本当に嫌いなら、何も言わない方がいいし、AKB商法を非難する=AKB48のファンであると何も変わらない。
AKB48が恋愛禁止っていうのは、「プロレスは真剣勝負」と同じものだと考えるべき。
AKB48のファンには二種類ある。本気でAKB48のメンバーは彼氏を作っていないと思っているのと、そのルールが本当にあるという前提で乗っているのがいるわけだ。
米沢、平嶋がやったことって言うのは、つまりプロレスラーが「試合の結果は決まっています」ってカミングアウトしちゃう行為で、他でもないメンバー自身が明かしちゃいけないのよ。
作ってもいいけど、彼氏がいることは墓場まで持っていかなきゃいけない。
なお、Perfumeは総合格闘技。いろいろなものが決まっているはずのアイドルに、本当にシュートを持ちこんじゃったから革命だし、後にも先にもこういうアイドルは出てこないだろう。
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
ももクロは今より売れる可能性はあっても、アイドルにおいて覇権を握る、今で言うAKBのポジションに着くことは到底有り得ない。その理由を記述する。
(1)ファンが批評系
もう、これでここで言いたいことの8割は言ったのだが、今のところ”ファン”を自称する人間のその多くが批評的な人間であるということだ。
AKBもかつてはサブカルだった。どサブカルだった。秋葉原に劇場を持ち毎日公演を行い、謎の選挙システムを有する。いかにもである。しかし、このAKBの流れを汲み取り切れなかったのが2000年代後半のサブカルチャー批評だった。かつて文芸批評家の宇野常寛氏は、ニコ生の番組において「2011年に入るまでAKBに注目できなかったのは失態」と語ったことがある。
AKBは上記にあるように、サブカルを代表させるにはうってつけのシステムを持っていた。これを批評的に分析できたとしたら、どれだけ楽しかったことか。そして今の流行を先見の明を持って解き明かせたら、どれだけどや顔できたことか。しかし、その間もなくAKBはサブカルとは呼べないレベルの現象になってしまった。
今更AKBを語るのは、サブカル的には”カッコ悪い”。(前述の宇野氏は、現在ではAKBの批評的分析を、同じく批評家の濱野智史氏と共に行なっている。このあたりは、ポップカルチャーを批評対象とする宇野氏のスタンスに適っている。)
しかし、AKBには一個弱点がある。それはデカくなりすぎたことだ。デカくなればそれの粗探しも容易である。後は、「じゃあ何だったらいいんだよ」と返されたときに持ちだしてこれるモノがあれば良い。
ももクロ以外のモノではダメな理由がある。それは、現在ももクロ以外の各レーベルが売り出すアイドルグループは、方法論やコンセプトがあまりに凡庸、古典的なのだ。
「◯万人の中から選ばれた◯名」「毎日長時間のレッスンを重ね、△△より上手い、歌とダンス」
こんな売り文句に飛びつけるわけがない。
そして、ももクロでなければならない理由もある。
そもそも、AKBのコンセプトとは何だったか。それは「会いに行けるアイドル」である。
対してももクロのコンセプトは。そう、「いま、会いに行けるアイドル」である。
ももクロの結成は2008年。この時、既にAKBは前年に紅白出場を達成、またCDの販売方法が独禁法に触れる恐れがあるとして販売中止、回収騒ぎになった年でもある。
当然ももクロ側にも、メジャー化して「会いに行ける」というコンセプトの維持が難しくなったAKBへの対抗意識があったことは間違いない。
この、売り出し側の「アンチ・AKB」的方法と、買い手側の「アンチ・AKB」的精神の癒着により、現在のももクロ人気は成立している。
そして、この一点のみで自称ももクロ”ファン”は、ももクロ”ファン”を公言している。AKBによって市場規模の大きくなった「アイドル業界」において、敢えての選択としてAKBではないグループを応援するという、サブカル的精神にとって心地よい味を提供してくれるのがももクロというわけである。
そして、この手の”ファン”は、小規模な経済活動である間は良いが、規模の拡大に寄与しない(大量購入などのオタク的消費は行わず、あくまで必要最低限のモノしか買わない)うえに、そもそも規模が拡大していくことを嫌う。
小規模の間は、勝手に”ファン”がももクロのいちいちの行為について言説的補強を行なってくれるので、界隈の巻き込み力がある。しかし、その界隈も一定数を超えると限界が出る。しかもオタク的消費を好まないから、数の飽和イコール売上の飽和ともなる。(ここでは、大量に購入させるような商法(いわゆるAKB商法)が倫理的にどうであるかとの問については答えない。簡単に私見を述べれば、独禁法に触れるようなもの、つまり付録のバリエーションを増やし購買意欲を煽るようなものは問題であると思うが、握手券や投票権を求める購買行動については売り手側の責任は無いと思われる。)
以上が、批評系”ファン”が多数を占めることによる弊害と言える。
(2)可愛くもないし、一生懸命でもない
というのは流石に言いすぎだが、他と比べてそこが際立つわけではないということである。
よく、”ファン”はこの2点を強調する。そして、「だからこそAKBより良いのだ」という。
ただ、言いたいことはわかる。
例えばAKBのファンも「◯◯が可愛い」と言う。この◯◯には、例えば高橋みなみとかが入るわけだが、はっきり言って可愛くはない。「前田敦子が1位である意味が分からない」という声もある。
こういう場合、その対象がAKBであろうとももクロだろうとなんだろうと、ファンたち何も容姿の美しさ単体で「可愛い」という形容詞を付けているわけではない。そこには、それぞれ固有の物語、コンテクストを見出して「可愛い」と言っている。それがAKBで言えば、「エケペディア」に象徴されるデータベースから個人個人のエピソードを上手く消費するという行為であって、そしてそのパブリックなコンテクストに加えて握手会というプライベートなコンテクストを加えることで、ファンのメンバーに対する<愛>は蓄積される。
だから、オタク層以外には「AKBで前田敦子が1位である理由」なんて分かるはずがない。というか必要がない。そのコンテクストを共有していない人間に理解される必要などないからだ。
貴方達は皆、ミス・ユニバースの選考に100%納得しているのか。ミス・ユニバースは、ミス・ユニバース内部のコンセプトに基づいてミス・ユニバースを決定するのである。そこにおいて、容姿というのは評価の1項目に過ぎない。その点を理解している人間がどれだけいるか。
この理解で言えば、「ももクロのメンバーが可愛い」というのも同じ文脈で捉えることは可能である。しかし、ここに一点だけ差異がある。
前田敦子が可愛くないとみんなは言う。なるほど、確かに私もそう思う。(ただ、たまに奇跡的な瞬間があることも知っている)
では、テレビでそれを言ったらどうなるだろうか。本人の目の前で「可愛くないねー」と前田敦子に言ったらどうなるだろうか。Mステでタモさんが前田敦子に「顔のパーツ中心に寄ってるよね」と言った時のスタジオの空気を知らないのか。
著名人のAKBに関する批判的コメントは多数ある。ただし当人がいない所で、である。このことが結構大事であって、それは「そんなに可愛くなくても可愛いものとして扱われること」が究極的なアイドル性だと考えるからだ。
前田敦子はその点で究極的である。一方でコンテクストを持つオタク達による支持を受けAKBのトップとして君臨し、もう一方ではそのコンテクストを持たない一般メディアにおいて「AKBのトップ」であるということを理由に支持される。この時、両者は同じように前田敦子に接しているように見えるが、その内実は異なる。
前者は本当に可愛いと思っており(何故ならコンテクストがあるから)、後者は可愛いことになってるから可愛いとしているだけである。(何故ならコンテクストがないから)
そしてその内に、そのコンテクストを持たない者の間にも「可愛い」という意識は一部に伝染する。あくまでも一部ではある。板野友美が女子高生に人気があるというのが都市伝説かどうかは、私には接点が無い存在である故確認できないが、そういう可能性がありうるのがこのような状況である。
可愛い人に可愛いというのは当たり前だし、ブスにブスというのも当然である。そこを転倒させることができてこそ、真のアイドルではないのか。(筒井康隆「薬菜飯店」収録の「イチゴの日」という短編を見よ)
翻ってももクロを鑑みるに、この点が厳しい。コンテクストを共有する者の間で「可愛い」は流通するかもしれないが、コンテクスト外のメディアにおいては厳しい。(「ゴッドタン」をはじめとするバラエティ番組での扱いが顕著である。ただし自らの冠番組においてMCの芸人にどう弄られようと、それはファンにのみ流通するパブリックなコンテクストを補強するイベントに過ぎないので全く問題はない。)
つまり、ももクロはアイドル性を保つのが困難なほどバラエティ性を現時点で持ってしまっているので、コンテクストを持たない者に「可愛い」が流通しにくい状態となっている。
だから「可愛い」と認識させるためにはコンテクストを持たなければならないわけだが、ここでももクロ”ファン”が批評系であることが弊害になる。
彼らは口うるさい。見る前からあれがいい、これがいいとこれ見よがしに自らの批評眼をアピールする。そしておそらく、この手のももクロ”ファン”はAKBオタクなどよりも、音楽偏差値(というものがあれば)は高いし、現代思想にも詳しく普通の意味での偏差値も平均すると高い。
皮肉にも、このことがももクロを好きと公言するのに、もしくは積極的に見ようとする心に障害となる。
彼らは知りすぎている。目が肥えている。そんな彼らが「良い」と言うのだから、「良い」に違いない。しかし見てもよくわからない。可愛いような気はしないし、踊りもなんだか凄いがとりあえず可愛くはない。けど「良い」らしい。なぜ僕はわからないのか。
対してAKBはどうか。オタクはキモい。なんかオタ芸してるし、CDはめっちゃ買うし。だからあんなものを理解しなくて構わない。仮に少しでも引っかかることがあれば、とりあえずそのままその波に飲まれてしまえばいい。どうせ彼らオタクは周りに新しいファンが増えようがどうでもいい。どうせならもっと売れなくなればチケットも取りやすいのにくらい思ってる。
私は、このコントラストが大雑把にはあると思われる。そしてこのことが、「可愛い」というお札が流通しない/する要因となっている。
もう一つ、「一生懸命」について言えば、この言葉はかなり頻繁にももクロを持ち上げるものとして使われるが、端的に言おう。
そんなのみんな頑張っている。ただそれだけだ。
ダンスや歌のレッスンは、皆どのアイドルグループも一生懸命やっているのだ。所詮、「アイドルなのに顔芸をやる」という点においてのみ「一生懸命の差異」を見出してるにすぎない。
私がここで「自称」とか「ファン」を” ”で括るのは、彼らが本心からの好意ではなく、「AKBというサブカルの隆盛を見抜くことができなかったコンプレックスの解消手段」としてももクロを利用しているように見えるからである。
結局のところ、ももクロを今以上に流行らせ、AKBに取って代わりたいのであれば、自称ももクロ”ファン”達がそれを名乗るのを辞める他ない。
早見あかり頑張れ。
東方はライトヲタ層多そうだから、AKB商法みたいな、競争煽る方向自体は成立するかもね。
ただ、ライト&低年齢なファン層で、客単価上げる方向はどうなんだ、って気もするけど。
まあ、そもそも商売っ気の薄そうなZUN氏がそんなことするはずないけど・・・
FDとかDLCとかいっぱい出て「搾取だー!」と騒ぐけど、それが喜びの声なのが、コアヲタだよなw
AKBでCD数百枚購入なんかが話題になってるけど、コアヲタ界隈じゃアイマスあたりなら百万突っ込んでるファンとか元々ざらなわけで。
ヲタ向けにAKB商法はどう? っていう提起への回答は「ヲタ向けビジネスではAKB商法なんてとっくにやってる」という方が実態に近いんじゃ?
確かにヲタはクオリティにうるさいから、元増田の言うような「限りなく原価を下げた」タイプの商品は作りにくいから、そっちの方向では
なんかしらの可能性はまだ残ってるのかもしれないけど。
特典が本当に手間のかかった素晴らしいものなら、たとえ商売っ気たっぷりでもオタクは怒らないよ。
むしろ嬉々として乗ってくるよ。
オタクが嫌うのは「商売っ気たっぷり」かつ「手間がかかっていない」もの。
既存絵を適当にあしらったグッズを大量に売り出すとかは怒るね。
えーと、それとキャラクター消費か。またどっかで聞きかじったようなことを。
AKB商法の肝は、少数でもそういうオタクがいれば成立する点で、
そして実際に一人のキャラクターに大金を払うオタクは少なからず存在する。
というわけで問題はない。
AKB商法をなぞるなら対象はキャラヲタだから「作品」のコアファンである必要は無いでしょ。
いやあ厳しいだろ。
何が厳しいって、特定キャラ専門のファンって、どっちかというと少数派な上、アニヲタ、ゲーヲタの客層で
それをやると多数派の「みんな仲良く派」が離れちゃうリスクがあること。
アイマスのキャラソンでそれをやろうとして猛反発くらったのってそういうことだろ?
投票券商法自体はキャラヲタに通用したとしても、他のタイプのファンの反発食らって基盤なくしちゃ駄目だろ。
そもそも特にテレビアニメのビジネスモデルなんて数千人のコアなファンが1人当たり万円単位のBD・DVDを
買うことで成立してるわけで、現状でも充分客単価高いでしょ。今更投票権商売なんていらないんじゃないの?
「作品自体はどうでもいいけどキャラだけが好き」と言うヲタも多いんだし。漫画でキャラの人気投票があると雑誌何冊も買って好きなキャラに投票するヲタは居るよね。
確かにそういうファンもいるだろうけど、それって金ばんばん出すヲタのコア層とは違うんじゃない?
例えば、ジャンプだと人気投票での大量投票って腐女子層だし、アニメ紙とかだと確かにコアヲタの大量投票はあるんだろうけど、