つい数年前まで、おててつないで全員でゴールする徒競走、個性重視採用、ナンバーワンにならなくてもいい等の甘言が踊っていたような気がするが
社会の生産性の低下と景気悪化、コピーの横行と物量作戦によってオンリーワンは破綻した。
AKBはメンバーを揃えて各々の個性の幅を広げ、各メンバーが客をつかむことで人気と金を得る。と、思いがちだが、総選挙というイベントで全てのオンリーワンが否定される。
順位付けと金儲けをつなぎあわせたことでソーシャルでは格差が顕著化し、個性>順位の図式は覆ることはない。圧倒的に魅力的な個性は、順位の下位カテゴリに成り下がった。
説明する必要もないほどのコピーゲームの中で、イベントと称して順位付け+金儲けの定式が顔を出すことでキャラクターの個性は否定される。
順位=金が全てで、お前の大好きなキャラクターに見せかけた小さなデータは、ソーシャル上の話題で消費されるためにある。これを否定するにはソーシャルを否定しなければならない。
そうすれば、そのキャラクターは消滅するパラドクスを内包するため、プレイヤーには絶対に否定出来ない歪な存在だ。
・SNS
SNSとしての規模が大きくなればなるほど、ユーザーの個性は死ぬ。多数の同調圧力と罵詈雑言によって、個性は簡単に屈する。そんな炎上が今もどこかで起きている。
広がりつながることを目的としているSNSは、広げなくていいことを誰かに教える場として有用だ。
では使用しなければよいのではないか?しかし現実はそれを認めない。「同調しない者には死を」これはリアルに起こった複数の事件を的確に表している。
ソーシャル要素は人間ボーリング装置であり、地ならしだ。全世界を海抜ゼロメートル以下へコモディティ化しようとしている。堤防は各々のリテラシーと理性だが、ゆっくりと小さな穴が開き始めている。
ここから逃れるには、早々にコンテンツの価値基準を上げるか、金の価値を落とすしかない。
ソーシャルを賑わすだけに与えられる射幸心を捨て、己の中に確固たる判定基準を持て。その基準を培う経験と好奇心を求めろ。
オタクになれ。今のヘラヘラ笑ってコンテンツを食いつぶし、話題の奴隷である情けない人間ではない。論と経験と様々なコンテンツを受け止める度量を持つ人間になれ。
教養という言葉が死語になり、誰かの言葉が無いと自我を保てない人間が大勢いる。
それを良とせず、自分がオンリーワンであるという意識を、「アイデンティティ」を確立したいのであれば、1つ意識を変えて見るのも悪くないだろう