はてなキーワード: 法則とは
元増田です。スルーされるだろうなって思ったら思わぬ反響で、かまってちゃんな自分は内心キャッキャしております。
冗談はさておき、何人かに言われた「引退宣言した人はまた戻ってくるの法則」。
うん、めっちゃ怖い。
退会前は提督Lv100超え、艦娘は大和を除いて全員所持。これ取り返すのしんどいとかそういうレベルじゃない。
課金もリセットされるのでまたドック開放・母港拡張しないといけない。合計11000円。高い。
書き込んだ日と比べて禁断症状は収まってきた感じだけど、油断はできません・・・。
微量な未練ですら再スタートの引き金になりかねないので、上記の点を常に頭に入れて、仕事や昔の趣味・活動に専念したいと思います。
ちなみに退会した時も「引退宣言は絶対にするなよ」って自分に言い聞かせたつもりだったのに、結局我慢できなくて増田に書きなぐってしまって、自分の意志力の弱さに愕然としております、ハイ。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
ところで論証はどこに書いてありましたでしょうか?
ここでいう論理とは、思考の形式及び法則である。これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す。よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということである。
論理学は、伝統的には哲学の一分野である。数学的演算の導入により、数理論理学(記号論理学)という分野ができた。現在では、数理論理学は数学と論理学のどちらであるとも(時にどちらでないとも)される。現在の論理学は、(それを論理学であるとするなら)数理論理学と、数理論理学をふまえた論理学、数理論理学でない論理学に分化している。
弁証法なども、「論理」なのであるが、論理学における論理とは異なる。これらは、論理というよりむしろ理論 (Theory)である。
しかし、実は知り合いの社長から1200万借金していて家計は火の車だ。
そんなカツカツの暮らしをしている最中に気がついた法則を、ここ増田で共有しよう。
まあ一概には言えないけど俺の統計上では、
「ヘンな話し○○」という言葉を多く使うやつ程ばか。
使う頻度と馬鹿さ加減は奇麗に比例している気がする。
http://blogs.yahoo.co.jp/edy2milage/16635438.html
■ 2-6-2の法則
1.上位2割 … 実績・生産性が高く積極性に優れた優秀なグループ
3.下位2割 … 実績・生産性が低く積極的に行動しないグループ
つまり、「優秀な人2割」「普通の人6割」「パッとしない人2割」。
人々が集団やグループを構成した場合、自然発生的にこのような内訳に
なるという法則。
■ パレートの法則
パレートの法則とは、一般に経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成する内の
一部の要素が生み出しているという、イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見した
時代物のフィクションをヒットさせる秘訣は登場人物に現代的な感覚を持たせること
ってのがある。
いくら舞台が昔であっても、そのフィクションを楽しむのは現代人なわけで
登場人物にその時代そのまんまの言動をさせてしまうと現代人が理解・共感出来ずウケないんだよ。
朝ドラ見てないので「女は家事さえ出来ればいい、結婚するのに勉強は邪魔にしかならない」と言う台詞がどういう文脈の元でなされたのか、
それにおかしいと唱えた女性というのがドラマの登場人物なのか視聴者なのか知らんが
自分はアスペルガーです。社会に挫折して鬱になって自殺一歩手前までいったんだけど、何とか復活して生きているのでアスペルガーとして生きていくための中高生向けTIPSを書きます。目的は情報のシェアーと備忘録です。
世の中はテレビやマンガの世界のように正義など存在しません。正義感を元に行動していると厄介者扱いされたり、つまはじき物になります。かといって悪い事ばかりすると犯罪者としてさばかれる事になります。世の中はちょっとだけ悪い奴がうまく行くように出来ています。子供の頃に得た倫理観は中学校で捨てましょう。
人間関係も物理や数学と同じように、それなりの法則があります。色々試したり、考えたりしながら法則を発見しましょう。陥りやすい失敗ですが人間関係の本を読んで学習しようとする事です。多くのアスペルガーは人間関係の重要さに気がついた時、本を読んで学習しようとします。これをしてしまうと人間関係の維持のために無理をしているような変な奴になってしまいます。周りの人間関係が旨い奴を観察してまねていくのが一番です。人間関係が旨い奴が、どのように考えてどういった行動を取っているのかを観察するように心がけましょう。アスペルガーだからといって人間関係が苦手だとは限りません、中には人間関係に興味を持ち人間関係が得意なアスペルガーもいます。多くのアスペルガーが人間関係が苦手な理由の一つは若年時に置いてその重要性にきづかず、スキル取得を放棄するからです。
3.生きていく上では仮面を被る
社会と言うのは複雑です。ありのままの自分と言うものは絶対受け入れてもらえません。従って偽りの自分を演じるために仮面を作り、仮面を被りましょう。大人になれば誰もがする事です。迷う必要はありません。ただし、本当の自分と相性のいい仮面を作るように心がけましょう。あわない仮面は負担になりますし、操りきれません。
人は基本コントロールできません。コントロールできるのは自分です。ただし、心を無理にコントロールしようとすると鬱病になります。どこまでが制御可能な範囲かテストしましょう。ときどき自分の心を観察し、怒っているのか、悲しいのか、楽しいのかと言った自分の感情の動きの観察を心がけましょう。人を無理にコントロールしようと思うのはいざこざの元です。距離の取り方を覚えてあわない人には近寄らないようにし、あまりにも近寄ってこられたら撃退するようにしましょう。
また、非常にむかついたら「ぶっ殺すぞ」と思うのは健全です。怒りは自然な感情です。無理に押さえると、感情の制御は非常に負担がかかるケースもあります。出来るだけ自然な感情は制御せず行動を制御した方が楽です。従って心の中では怒りまくってもいいですが、安易に復讐するような行動をとったりするのは止めましょう。あくまで冷静にどういった行動をとるのが自分の利益につながるか考えましょう。
6.基本誰にでも礼儀正しくする。ただし、礼儀正しさを強要してはいけない。
基本礼儀正しくしましょう。なぜか?それは礼儀正しさを強要してくる奴がどこの組織にも数%はいるからです。これらの人間は大抵人格的に問題があるので接触を避けるためにも礼儀正しくしましょう。ただし、他人に礼儀正しさを強要しても何の意味もありません。あまりに失礼な奴は他の場所で必ず報いを受けるのであなたがわざわざ相手にする必要もありません。
世の中にはいろいろな人間がいます。世の中の人と旨く付き合っていくには人を3ランクぐらいに分けた方が良いです。1.通常の付き合いが出来る人 特に付き合う上で問題がない人です。ある程度素の自分を出しても問題ないでしょう。2.付き合いに注意を払った方が良い人 あまり失礼のない行動を心がけましょう。普通の人でも一度敵にまわすと厄介です。 3.出来るだけ付き合うべきでない人 基本は礼儀正しくすべきですが、下手に出ると付け上がります。しつこいようなら対決も考えるべきでしょう。
8.英語力を身につける。
基本アスペルガーは文化的な観点から日本での就業は向いていません。日本の労働は宗教活動的な意味が大きいからです。日本での労働は自分の労務以外にも、会社行事への参加、複雑な言語規制、服装規制、行動規制等の儒教の流れを汲んだ宗教活動を強制されます。この宗教儀式は意味のない物も多く、従わない物に対する罰則が組織内で暗に認められているためアスペルガーとの相性は最低になります。また宗教儀式の習得にかかる時間と維持にかかるコストを考えた場合、英語を取得し海外で就職する方がアスペルガーに取って簡単だと思われます。
海外においては理系の就職率は高く、給与も高くなります。特別な才能がない限りは理系を選択する事をお勧めします。
ちなみにアスペルガーを選別する一つの方法は中高時代に運動系クラブに入ってみるのも一つです。いざこざを起こしたり、不快を感じて続かない場合はアスペルガーの可能性がけっこう高いと思います。
ということが出ていた。とても悲しくなったのと同時に怒りを覚えた。
クジラは減っている種もあるが逆に増えている種もある。
だ、この理由には本当に自分は怒りを覚える。
これもやっぱり批判の的にされたこともあった。
理由はやっぱりかわいそうだから。だ。
絶滅種を守るという1点においては自分は納得できるし、それに対して
大切なことだと考える。
しかし、かわいそうだからという理由においてはまったくもって納得できない。
頭わいてんのか?と思う。
だが、これはかわいそうだからヤメロ!とは言わない。
この違いはなんだろうと思う。
菜食主義者も肉は食べないが植物は食べる。植物だって生きている。
動物を食べるのが可哀そうだという理由で食べない人はアホかと思う。
獣のにおいや色が駄目で純粋に嫌いで食べない人もいる。
そういう人はいい。好きに食べればいいと思う。
なぜ?公然と命を差別している行為なのに誰も何も言わないのだろう?
クジラが可哀そうだから殺すな?増やせる家畜はかわいそうではないと?
同じ生きている命なのに?
これは自然の摂理であり地球に生まれた以上絶対の法則だ。原理原則と言ってもいい。
もうお前は何も食わずに死ねと思う。かわいそうだと思うならもう何も食べるな。
この地球に生まれた時からおよそ生き物は他の命を食らって生きるという罪を背負う。
仏教では業というし、たしかキリスト教でもあったと思う。人は罪深い存在だと。
ただ、祈ることで救われるとかだったか?
きっと人は無意識的にこの業を背負っていることを意識していて、だから祈るのだと思う。
こういうのを聞くと金のにおいしかしない。きっとなぜ犬の肉を食う中国には何も言わず、
クジラなら声高に正義感たっぷりにクソみたいな命の差別をする発言をするのか?
理由は簡単だ。
こういうNGO団体とかがどういう資金で動いているかはわからないけど、きっとこんなバカな
ことをすることで、お金が儲かるのだろうね。
ほんと、クソみたいな人たちだ。
「明日太陽が登りますか?」と質問されたらほぼ全員「はい」と答えるでしょう。
「なぜ?」と聞かれたら、「それは天候に関係なくずーっと昔から登り続けたから。登らなかった日はないから。」と答えるでしょう。
話は少し変わるけど、上司に「明日も遅刻しないで来れる?」と聞かれたらなんて答えますか?
もしも自分がたまーに遅刻するような人間ならば「・・・頑張ります。」と答えるかもしれませんね。
しかし、毎日出社時間の30分~1時間も前に到着している人に同じような質問をしたら「当然じゃないですか。毎日遅刻せずに来るのは当たり前でしょ?」と言うと思います。
つまり自分の中のプラスの信念を蓄える事。自分が決めた事をずっとやり続ける事でプラスの信念というものを蓄えていく事。
今日も出来た。3日出来た。1周間出来た。1ヶ月出来た。半年出来た。そんな自分なら次も絶対に出来るだろう。
今日も出来なかった。また出来なかった。またまた出来なかった。。あぁ、俺ってなんてダメな人間なんだろう。
マイナスの信念を蓄え続けていったら自信がなくなるのも無理はない。
徐々に徐々に基準を上げていく事。
できる・できないを考えるのではなく、本当はどうしたいのかを考える事。
そのビジョンに向かって行動する事。
失敗しても良い。失敗は成功の果実。
経験が大事。魅力的じゃない人は知識を語り、魅力的な人は経験を語る。
あなたなら出来る。
出来ない人間なんていない。
応援してます!
http://anond.hatelabo.jp/20140321033339
元増田だけど、どうやら「絶対優位」というのがあって、
デザイナーとしてもプログラマーとしても劣っているBがいる場合、
Aさんは絶対優位になるらしい。
自分が聞いた話だと、この絶対優位がある状況でも、
比較優位が成り立つらしい。
Bさんがデザイナーとしての劣り具合がプログラマーとしての劣り具合より
比較的にマシだった場合、Bさんをデザイナーとして使って分担したほうが、
Aさんをプログラマーとして専任させたら全体として効率的ですよ、って事らしい。
自分はその経済学者の話に納得ができなくて、元増田の文章を書いたって経緯。
しかも、輸入コストなどが上がるとこの法則が成り立たなくなることもあるらしい。
仕事の例だと、コミュニケーションロスが輸入コストにあたるのかな。
絶対優位がある場合の比較優位の例が「成果物のクオリティ」を考えていないので、
机上の空論ってやつだとわかったよ。
特にコンテンツは「スピード」より「クオリティ」が大事な場合も多いので。
低レベルなものでも、別に100%何かが確実、なんてものは存在しない。
そもそも、物理法則の基礎が不確定なもの、と少なくとも考えられてるわけで、
なので、別に100%成功する方法を確実に確立しろ、なんて言ってない。
さらに物理でも化学でも、ある程度経験則から立ててる理論がいくらでもある、というかほとんどがそれ。
言ってるのは、たまたまできちゃった、でも、再現できないね、なんてのは科学じゃない、って話。
別に原理原則を全部理解してなくても、このような手順でこの様にすれば、このくらいの確率でできる、ということが分かればそれは科学。
実験系の場合には、どれだけの不定性があって、どれだけの確率で出来てということが「定量的」に議論されてる必要がある、そうでなければ科学ではない。
早大理工で教員(任期付き)と学生(学部から博士まで)の両方の経験がある者です。今は早稲田にはいません。男性です。
小保方博士の博士論文に関する一連の話と早稲田大学の学位に関する批判、
そしてこちらのお話を読んでわりと感情的になってしまい筆をとった次第です。
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
基本的にはこの日記での話は早稲田に絞ります。他大学のことは人づてに噂を聞く程度なので詳細な話はわかりません。
元記事、いいたいことは凄い良くわかります。大方の早稲田の学生のノリはこれでしょう。
ただ、全員がそうだとは思ってほしくない。
レポート・研究を汗水たらしてやっている学生もいる、学生の為を思い指導する教員もいる。
2-6-2の法則じゃないですか?そりゃ、やる気のない人もいますよ。
このような批判は普通は気にしませんが、なぜか理性的に考えられず感情的になってしまうのが研究と博士号に関する話。
「早稲田はコピペでも博士取れるんでしょ」とか言われると腹が立ちます。
客観的に見るとそんなこと気にしなくていいのでは?と思うでしょう。けど困ったことに本当に腹が立つんですよ。
それはおそらく博士号取得の過程が私の研究者としての原点で、自分が本当に頑張ったと恥ずかしげもなく言えるほど頑張ったからです。
「はいはい、頑張った自慢ですか?」という批判も気になりません。
そもそも博士課程は修士取得後3年間と言われていますが、基本的には何年いたかではなく成果が全てです。
産学連携プロジェクトで企業ともに数年かけて研究・開発を行いやっと出た成果。
論文を書くと先生に原稿が真っ黒になるほど直される、後輩にグチを言いながらも頑張って修正した論文は審査に落ちる(リジェクトされる)。
けど這いつくばってまた直して、審査に通り(アクセプトされる)、新たなテーマで似たようなことを繰り返す。
やっと博士論文をかけると思ったらは先生を殴りたくなるほど色々な議論があり(先生ごめんなさい)。ようやく学位授与式でガウンを着るのを許される。
そこには「あなたは4年間で130単位とったので学部卒業ですね」とは全く違う達成感・誇りがあります。
だって、宇宙の様に広い科学の研究分野の中の非常に狭い範囲を2ミリだけ、いや2ミリも広げたんですもの!
実際小保方博士がどのようなプロセスで博士号を取得されたのは今の段階ではわかりません。
コピペの件があるのでなんとも言えませんが、おそらく似たような経験をしてきたのではないかと思います。いや、思いたいです。
数ある疑惑はあるものの、根幹の部分ではウソをついてると思いたくないわけで、少なくとも今の段階ではSTAPの存在を信じたいのです。
最悪の場合、小保方さんとその指導教員が2-6-2の下の2になってしまう可能性はありますが...
はてブやTwitter等でコメント頂いた様で有難うございます。共感されるとの方もいて嬉しいです。いくつか補足です。
[補足]
「博士号=オメガの勲章説」は正しいです。よく言われるのが博士号は「足の裏の米粒」と言います。その心は「取りたくて気になって仕方がないが、取っても食えない」
「130単位とったらハイ卒業」は言い過ぎました。気を悪くした方ごめんなさい。ちなみに早稲田でも学部、修士でそれぞれ卒論・修論審査があります。
博士審査と大学について。この日記の話はたまっていた感情を吐き出した様なお話です。
「博士はコピペでOK何でしょ」に対して博士取得者として言われっぱなしは嫌だったので「博士号とるのはホント大変なんですよ」ということが言いたかったのです。
ただ、今回の問題で早稲田大学という学位を授与する機構への信用が揺らいでいることは間違いありません。
まずは真相を究明し、問題再発がないようにするべきです。
[補足2]
博士号をとる条件は分野により大きく異なります。基本的には学科ごとに規定があります。
私の所属していた学科のルールは論文に関しては「筆頭著者で国外の主要な国際会議(カンファレンス)1本+国内外のジャーナル1本」でした。
このルールに学科や指導教員の暗黙のルール(国際会議もう1本欲しいよね等)が加わることもあります。
そして、この条件を満たすと指導教員から「そろそろ博士論文書いて卒業するか?」というお達しが来るわけです。
この時は嬉しいことは嬉しいのですがとても複雑な心情です。その後教授会の議題に上がり、主に業績のチェックが行われ、承認されると博士論文の執筆を開始します。
論文完成後、公聴会(いわゆるPh.D Defense)で審査を受け、様々な会議体にかけられた後最終的に合否が決まります。
詳細なフローに興味がある方は以下をご覧ください。
http://www.sci.waseda.ac.jp/students/doctoralthesis/process/
当初私が小保方博士と早稲田を擁護するような記述をしたのこのようになチェック体制があるからなのです。
つまり、責任転嫁するわけではありませんが博士論文の審査を開始する前に利害関係にない第三者による審査(ジャーナルやカンファレンスの論文)があるわけです。
今回の件はずさんな論文でもNatureの査読が通ってしまったという話なのでもはや説得力がないかもしれませんが、
国際会議やジャーナルに筆頭著者で通しているということはその人の実力を客観的に示しているはずなんですよね..
ただ、本人が博士論文取り下げと言っている現状では、私も意見を変えざるを得ないかもしれません。
話は変わりますが、博士学生のあるあるネタが漫画になっているPh.D Comicsというのが有ります。良かったらみなさんも読んでみてください。
http://phdcomics.com/comics.php
「あの人は○○だから、頭が良い」という言説は果たして成り立つのか。例えば、「あの人は東大卒だから、頭が良い」というのは一般的にかなり思われている様だが、これはどこまで正しいのか。一般に、大学は入るのが難しく、卒業するときはそれほど難しくないという。(もちろん、入学に要する労力に比べてという話であって、卒業研究等、大変な困難を伴うのは当然である。)すると、「東大卒だから頭が良い」という言説は正確でないように思われ、東大入学試験時(当日)に、東大入試相当の問題(国、数、英、理、社)を解ける知識を有していた、ということが少なくとも言える程度だと思う。けして、東大卒業したからといって未来永劫の頭脳を持ち続けるわけではない。仮に、年老いて東大の問題が解けたとしても、京大の問題は解けないかもしれない。(極端な話)
ここで起こっていることは、一種の逆転である。別に、東大でも頭の悪い奴がいるとか、僻んでいるとか、そんな類の話がしたいわけではない。ラベルと中身の倒錯を問題にしたいのである。
科学が進展して、今まで分からなかった事が種々の法則で解析して説明できるようになってきた。でも時々、解析結果と実際の現象が一致しないことがある。法則が上手く現象を説明しない時、人は現象に問題があると考える。実験系が法則の様な理想的な条件にないのだと。本来は反対で、まず現象が先にあって、解析結果がそれに一致しないのは、我々の持っている法則が完全でないためである。そこで、法則は特殊な結果を説明できる様、書き換えられ、さらに普遍的な理論(統一理論)へと近づいていく。それが科学分野において真のあるべき姿だと思う。
話を戻すと、「東大卒だから、頭が良い」のではなく、「頭が良いから、東大に入れた」のである。更に言えば、東大入試でテストされる知性(頭の働き)を持っていたから東大に入れたのである。短い時間で幅広い分野の知識を試され、どれが落としてはいけない大問で、どれが捨てから見極める。応用よりは基本を押さえた問題設計。集中力、判断力、記憶力に特化した知性を東大は求め、それに応えた人々が赤門をくぐっていく。それ以上でも以下でもないのではないのだろうか。
社会に出ると東大は使えない。高学歴ほど仕事ができない。こういった言説は前述の倒錯に憑りつかれている。知性とは、もっと伸びやかでフレキシブルなものである。アメーバの様にその形を変えながら、様々な知的能力に特化しているものである。それが人々に多様な個性を与えている。画一的な試験で評価、定量化できるのは知性の一部に過ぎない。
知性に対するラベリングという状況は大変残念だが、人間の認識の限界もあって致し方ないという向きもある。そこで、知性からのささやかな「反撃」というのはどうだろう。つまり、東大卒くらい頭が良くなるのではなく、あなたの頭脳(知性)ならばどうすれば東大に受かるかを考えるのである。東大入試で求められているもの、集中力、記憶力、判断力…。今あるポテンシャルを活かして、アメーバの触手をどう伸ばしていくか、それを考えてみる。「頭の悪い」あなたは、似たような作業で単純なミスばかりするのではない。あなたの知性がその作業を苦手としているので、「頭が悪い」というラベリングをされているだけである。あなたの知性を使って、次のミスをどう防ぐか、その時こそ知性が試されている。
理想主義的な、ある意味で原理主義的な科学観に支配されたナイーブな文系諸子(意外なことに、他分野の理系の方々にもいるようであるが)には想像もつかないことかも知れないが、理系という世界には、未だに共有不可能な個人の資質に依存した「職人肌」の世界が存在する。
宇宙やら地球やら、読んで字のごとく天地開闢から存在する”自然界”を観察して研究するだけが自然科学ではない。”自然界”には今まで存在しなかったモノを「作ってナンボ」の世界があるのだ。
誰も成功させたことのない難しい外科手術に果敢に挑んで成功させるスーパードクター、デバイスやソフトウェアを生み出し世界を革新的に変えてしまうスーパーハッカー、複雑な現象を説明するシンプルな物理法則をある日突然思いついてしまう理論物理学者。本当の意味での科学の”前進”は、地道な積み重ねもさることながら、こういう人たちの仕事があってこそのものである。
昨年のノーベル賞を受賞したヒッグス粒子の逸話をもう忘れてしまっただろうか。ヒッグス博士だけではない。ノーベル賞を受賞するような実績と言うものはおしなべてこの種の、天才の”奇想天外な思いつき”、”職人的な仕事”の賜物である。
無論「作ってナンボ」はなんでもかんでも思いつきで作ればそれで良いというわけではない。作った”モノ”が訳に立たねばならぬ。具体的に言えば、その”モノ”を叩き台にして、実用、研究、下世話な話では商売が将来的に渡って発展するかどうかにその評価はかかっている。
叩き台になるのは”モノ”である。もちろん知識の共有には言語化は欠かせない。しかし、結局使える”モノ”がなければ、論文だけいくら取り繕っても役には立たないし、逆に”モノ”さえあるなら、論文などと言うものはオマケの説明書のごときものにすぎない……それが、「作ってナンボ」の世界である。
原理原則で言えば、論文の誠実な執筆、厳密な論理によった世界観の構築は科学を支えるひとつの柱である。しかしながら、「”モノ”があるんだから、理屈がどうであろうとあるものはあるんだよ」と言う楽観的な自然体もまた、”自然”科学という理念の欠かせない骨子なのである。
その点で言って、現在のところSTAP細胞に関連して「将来的な展望」を本当の意味で否定するような話は、今のところ何も出ていない。もちろん”モノ”自体がやはり使えない代物である可能性は0ではないが、「論文が」「コピペが」などと言うような議論はまさに薮の周りを叩いているだけに過ぎない。
現在本当の意味で冷静に事態を見守っている人々の大半は、このような科学と言うものの素朴な実態を知っている。かといって「論文なんか屁の突っ張り」などと言うのもいささか乱暴に過ぎるので、今はあまり声も上げずに温和な進展を期待している。これこそが、実はナイーブな文系(一部理系)諸子の読めていない科学界の空気の実態である。
「ハッカーと画家」のポール・グレアムはハッカーに論文を書かせることの愚を語った。ついこの間(今さら、何故か)ネットの文系知識人界隈で流行っていた様に見えるこの著者のメッセージは、残念ながら、読者には伝わっていなかったようだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/nakajimakei/20140310-00033411/
どこが反日? 上海の大型書店には日本の本が平積みされていた(中島恵)
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1229870800/
◆アメリカが叩かれる◆
( ´_ゝ`)フーン
◆イギリスが叩かれる◆
(´・∀・`)ヘー
◆朝鮮が叩かれる◆
こういうやつなんだけど、はてブでもそうだなと思った。
上のブクマに当てはめて言うと、アメリカ批判を嫌米とか反米とかいうカテゴライズはせず正義の意見とでも思ってるんだろうかね。
嫌中韓がダメとと嘆いてるわりには、こういった意見はないんだよね。
この都合のいい立場ってどういう思考なんだろうか
いちど聞いてみたい。
やっぱ思うのは、ほんと右も左も韓国と中国利用した自己表現に過ぎないってことなんだよね
あほらしい
見事に吸い寄せの法則が発動してるな
http://anond.hatelabo.jp/20140306104852
『自分で自分が認められる』ようになれ、そのために頑張って努力する。
かなり核心をついた意見だと思うのですが『自分で自分が認められる』ようになるには、
実は『他人に自分が認められる』ことが必要になると思っています。
エリクソンという有名な心理学者が提唱した「青年期の課題」でも同じことが述べられています。
社会との関係のなかで自分がどう言う人間か定義できなければ、心理的に不安定な状態になってしまう。
新しい自我同一性(ego identity) ―― 自分がどんな人間かということ ―― を確立することが課題となり、
これに失敗すると役割混乱が起こって同一性拡散(identity diffusion)という病理が生ずる。
ごちゃ、ごちゃ書いてしまいましたが、
自分にしかできない仕事をして周りの人から感謝されると、とっても人生充実している様な感じがするのではないか、ということです。
文章を見る限り、十分努力もした。
じゃあ、どうすればいいの?というのがここでの問題。
(そこで元増田の次の増田は、神様が欲しい!と言った訳です。神様僕のことを認めてください!とね。)
二人の元増田がどういう状況にいるかわからないから、何とも言えないのですが、基本的な方針としては、
「元増田のことを求めている人たちを探すことじゃないかな」と思う訳です。
十分頑張ったって言ったのにできなかったんだってば!と言いたくなるかと思いますが、
努力の仕方を変えてみるのも一策ではないかということです。
それはどんな些細なことでも、ボランティア活動などでも構わないと思うのです。
もちろんそれをするゆとりが無いんじゃないかと言うのは気になるのですが。
(余談)
他のやり方としては、
①増田の取ったキリスト教的なアプローチ、つまり神様を定義するやり方、
③右翼的な活動に参加して、社会との結びつきを得て、一時的な安息間を得るやり方、
があるかと思います。