2014-03-13

それでも小保方晴子氏が、いまだ未来ノーベル賞候補である理由

理想主義的な、ある意味原理主義的な科学観に支配されたナイーブ文系諸子(意外なことに、他分野の理系の方々にもいるようであるが)には想像もつかないことかも知れないが、理系という世界には、未だに共有不可能な個人の資質依存した「職人肌」の世界存在する。

宇宙やら地球やら、読んで字のごとく天地開闢から存在する”自然界”を観察して研究するだけが自然科学ではない。”自然界”には今まで存在しなかったモノを「作ってナンボ」の世界があるのだ。

誰も成功させたことのない難しい外科手術に果敢に挑んで成功させるスーパードクターデバイスソフトウェアを生み出し世界革新的に変えてしまスーパーハッカー、複雑な現象を説明するシンプル物理法則をある日突然思いついてしま理論物理学者。本当の意味での科学の”前進”は、地道な積み重ねもさることながら、こういう人たちの仕事があってこそのものである

昨年のノーベル賞を受賞したヒッグス粒子逸話をもう忘れてしまっただろうか。ヒッグス博士だけではない。ノーベル賞を受賞するような実績と言うものはおしなべてこの種の、天才の”奇想天外な思いつき”、”職人的な仕事”の賜物である

無論「作ってナンボ」はなんでもかんでも思いつきで作ればそれで良いというわけではない。作った”モノ”が訳に立たねばならぬ。具体的に言えば、その”モノ”を叩き台にして、実用研究、下世話な話では商売が将来的に渡って発展するかどうかにその評価はかかっている。

叩き台になるのは”モノ”である。もちろん知識の共有には言語化は欠かせない。しかし、結局使える”モノ”がなければ、論文だけいくら取り繕っても役には立たないし、逆に”モノ”さえあるなら、論文などと言うものはオマケの説明書のごときものにすぎない……それが、「作ってナンボ」の世界である

原理原則で言えば、論文の誠実な執筆、厳密な論理によった世界観の構築は科学を支えるひとつの柱であるしかしながら、「”モノ”があるんだから理屈がどうであろうとあるものはあるんだよ」と言う楽観的な自然体もまた、”自然科学という理念の欠かせない骨子なのである

その点で言って、現在のところSTAP細胞に関連して「将来的な展望」を本当の意味で否定するような話は、今のところ何も出ていない。もちろん”モノ”自体がやはり使えない代物である可能性は0ではないが、「論文が」「コピペが」などと言うような議論はまさに薮の周りを叩いているだけに過ぎない。

現在本当の意味で冷静に事態を見守っている人々の大半は、このような科学と言うものの素朴な実態を知っている。かといって「論文なんか屁の突っ張り」などと言うのもいささか乱暴に過ぎるので、今はあまり声も上げずに温和な進展を期待している。これこそが、実はナイーブ文系(一部理系)諸子の読めていない科学界の空気実態である

ハッカー画家」のポール・グレアムハッカー論文を書かせることの愚を語った。ついこの間(今さら、何故か)ネット文系知識人界隈で流行っていた様に見えるこの著者のメッセージは、残念ながら、読者には伝わっていなかったようだ。

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