はてなキーワード: 気づきとは
当時小学生だった私。
以前「死」について考えたことがある。
やりたいことがまだまだあり、後悔しか無かった。
生きている後悔よりも、できなかった後悔のほうが強くて死ぬのが怖かった。
そして考えていても時間の無駄だと気づき、前向きに生きることにした。
大抵の「死にたい理由」は、「自分の思い通りにならないから」だと思う。
解決方法が分かっていたとしても行動するのは怖いし、何もしたくない。
なら自分が消えたほうが早いかなっていう風に頭が解釈するのかもしれない。
以前、「他人に決定権がある実行したいもの」があり、どうあがいても無理だという現実を知った。
私自身が心底望んでいて、達成が目前に迫っていたものを、来年に伸ばされてしまった。絶望した。
散々喚き、怒り泣き、荒れに荒れたが何も進まないし、解決もしなかった。
その時、久々に首を絞めた。明確に「死にたい」という思いがあったわけではない。
単に「楽になりたかった」のだ。
諦めることの辛さを初めて知ったのかもしれない。
はーぁ。皆辛い思いしながら生きてるんだなぁ。
愚痴というか呪というか晴れることのない胸の内を整理させてほしい。
それまでも観劇していたが、演目を楽しんでいるだけで他の舞台や映画の趣味と変わらずに見れる時に見る。その程度だった。それが1年ちょっと前にAllforOneという公演がはじまりよくわからないまま惹きつけられ複数回見るファンになった。組ファンになりスカステに加入しぐんぐん知識を蓄えて地方ツアーも複数回見た。本拠地の小箱公演はチケットが取れないので行けなかったけれど、ポスターは素敵だなと思った。
2月からの本公演は芝居はともかくショーが熱かった。まだ終わって数か月なのに、万が一タイムマシンが発明される瞬間まで長生きしていたら預金も年金もねじこんであの時間に帰りたいと思うくらいに重症ではある。
AllforOneも鳳凰伝もBADDYも、真ん中のふたりが大好きだった。
群衆芝居でも真ん中にすっと立ち、努力の跡が芸事の極みとして上塗りされて洗練されたたまきさんと
孤高の存在のようでいて、血が通って暖かく、時に激しく、あふれる涙をたまきさんにぬぐわれて笑うちゃぴさんが
書いてて泣くくらい今も大好きだ。
有難いことに1月からその事情は発表され、演目も発表になり、製作会見もあり、こちらが冷静になる時間は存分にあった。ただ冷静になるのと実際その時が近づくのは人間が出来てないせいもあって乖離しがちではあるが。
今は組子にもたくさん好きな子がいるので、組ファンとしてトップコンビを愛せることのありがたさを漢字で書いて丸めて飲み込みたいくらいではある。有難い。そう、有難い。
難しいことなのだ。トップコンビが大好きというのは。宝塚という組織の人事と自分の好みが合致するというのは並大抵のことではないのだ。
特に、路線と言われる分野にあまりひかれない自分のようなファンにとっては。
じわじわと、そうじゃないのかなと噂されていたとおり、組内からの抜擢となった。
自分が関与できることではないので、比較的冷静に受け止めつつも軽く貧血になったりもして、この件に関する大喜利を見て笑って心を落ち着かせたりしつつ、あぁでもしんどいな。というのが今も晴れない心の底の本音である。
ごめん。
なんか、ごめん。
応援するとか組ファンとか自称しといて一度の人事で打ちのめされるとか100年以上続く宝塚舐めてんのか、ってなる。うん。
なので、ごめん。
AllforOneでは、複数回見るうちに姪っ子ーズの中で面白い顔芸の子がいるなぁっていう程度でまぁ面白がって見ることもあった。
小箱公演は見てないのでわからないけど、特に気にすることもなかった。
因みにそれ以前の公演については全然把握していなかった。
もちろん新人公演というのがあることも1年前に知ったくらいなので見ていない。
2月からの本公演の芝居で、彼女の役はアイドル的アスリートだった。演出の指示なんだろうが相当アホっぽくて見ているのがつらかった。なのに子供ができて引退を決意するところではじっとり重い雰囲気芝居で、あれ?二重人格???え?なんか怖い。とうっすら思った。別に見なくても芝居は進むので見ないことにした。相手役のまないくんが見れないのは非常に残念だったしなるべくかぶらないところで見るように心がけたけれどほぼ見ていなかった。他に見るべきところもあったので仕方ないと思っていた。
ショーでは、悪役チームの二大美女であった。こちらもほかに見るところがあったのであまり見なかった。ショーは本当に観客それぞれで見ている視点が違いすぎるそれもまた面白いみたいな感じだったので、気にしないようにした。だが実はちょっと気にしていた。
なんかしんどい。
けど、好きな人もいるしわざわざ言い立てることでもない。心に仕舞った。
梅雨時に、季節柄というか雨をモチーフにしたミュージカル公演があった。
退団を発表しているちゃぴさん(現娘トップ)は本拠地小箱で主演をされるので、たまきさんを単独で見るのははじめてになる。
(スカステや映像ではちゃぴさん以外の娘役と組んでるものもたくさん見た)
相手役が、ちょっとしんどいなと思っていた彼女だったので内心ドキドキしていた。
予想は悪い意味で的中した。
真ん中が見れなかった。
彼女に思いを寄せるたまきさんが信じられなかった。笑。
複数回見ても、何も変わらず、たまきさんを見れないのがしんどいな。。。ということに気づきつつも、相手役を脚立に見立ててみたりするのもしんどかった。脚立って。無機物。
ひたすら彼女じゃありませんようにと願った。できることならあの子がいいという対抗馬も特に掲げず、彼女じゃなければ誰でもいいと思った。
脚立再び。
別組の子でもいいし、路線じゃない子だっていい、なんだっていいから彼女じゃありませんようにという非常に失礼で勝手なことを思う自分が嫌で疲れた。
しんどいと思いながら見ていると、自分自身がしんどくなってくる。
だったら見なきゃいいじゃん。正論です。
真ん中で輝く(んだろう)彼女を見て「うちのナンバーワンですよ!かわいいでしょ!」って言える日が来るのだろうか。
今んとこ難しい。
でもいつかなってるかもしれない。
その日にこのエントリーを思い出して笑えるといい。
前向きになるには一度吐き出さないとならない、面倒なファンで申し訳ない。1年目だから一喜一憂の高低差についていけてないのか、いやたぶん宝塚のファンに向いてないんだよねってことはうっすら自分でも気づいている。
舞台に出ているそれが全て。
その舞台を見てムリだったらたぶん全部ムリ。
(戻っちゃった)
ショック療法でたくさん見たら慣れるかと思って
おめでとう!なツイをいろいろ見てみたけど、ニュースに使われてるおとめの写真の耳たぶが気になり過ぎてもうダメだと気付いた。
やっと気づいた。
目指すは解脱。これっきゃナイ☆
「君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。
大学進学のために上京してから悩まされていた不眠症。無計画が引き起こす学期末のレポート地獄。いつまでたっても片付かない部屋。ストロングゼロと煙草。
僕は地元の田舎では周りのやつらのようなガリ勉をせずともそれなりに勉強ができた。やる必要がないと思う提出物は出さなかったし、学校もサボりがちだったから高校の成績は悪かったけれど、大学受験では苦労せず希望の大学に合格した。今思えば僕は周りとは勉強の方法が少し違っていた(周りが1ヶ月かけてする試験対策を3日徹夜すればできた)。でもそれはむしろ僕自身の美点のように感じていた。もしかすると、時間をかけて勉強した結果僕より点数の悪い同級生をバカにしていた節さえあるかもしれない。と同時に、コツコツとした努力のできない自分自身を恥じてもいた。
それが、大学に行ってみたらどうだ。確かにガリ勉で努力をして入ってきたやつも大勢いる。でも僕みたいな一夜漬けを少し大掛かりにしたような受験勉強で大学にきているやつもたくさんいるじゃないか。それでもいいんだな。
大学3年間。将来の目標に向かって努力をするやつらをとにかく視界に入れないようにして、遊んで暮らした。レポートも学部2、3年までのレベルのものは一夜漬けとその応用みたいなやり方でなんとかなる(なんとかならないものは、それを察知した瞬間に取り組むことを放棄する)。試験が重そうな理系や法学部に行かず、文学部に進んで本当によかったと思っていた。
ところがどっこい、僕を待ち受けていた卒論は、そうはいかなかったのだ。いや、適当に済まそうと思えば、ギリギリ通る具合のものを提出して卒業できたようにも思う。ただ僕は変なところで完璧主義なのだ。テーマ設定のまずさと彼女との仲がこじれたこととそもそも外国語の読解が不得手であったことやらで、去年の12月に全てを投げ出し、引きこもり、学生証に留年シールを貼り、今に至るのである。
去年の冬から部屋に引きこもりがちになった僕を心配した研究室の教授に勧められて訪れた保健センター。大学にこんな施設があったとは、4年間通った大学だが知らなかった。診察室に待ち構えていたのは柔和な表情をした丸眼鏡の精神科医。質問票に答えたり、テストを受けたりと何回か通った後に医者が発した「ADHDですね」という言葉。
そんなことってあるだろうか。23歳にもなって。僕以外の人はもっと楽に生きているってわけか。自分が発達障害ということに気づきたくなかった。
「君って普通だね」と言われて嬉しい人は少ないだろうけれど、「君って普通じゃないね」と言われて嬉しい人もまた少ないんじゃないだろうか。僕は普通がよかったのに。
どうも、ミリシタがかつてない盛り上がりを見せている一方で
人によっては停滞感を覚え、つい「デレステはなんで…」と言ってしまうらしい。
デレステが不満に思われている点はさまざまだ。
よく見かける愚痴は以下。
・譜面が難しいというより「いやらしい」
・出番の格差が酷すぎる
当たり前と受け入れていたことも、
ミリシタという「隣の芝」ができたことで見直されているのかもしれない。
正直、1年前では考えられない光景だ。
去年の今頃、ミリシタは「隣の芝」とは言っても「枯れた芝」だった。
・動作が重い
・曲が少ない
・イベント展開が遅い
といった点が仇となり、多くの批判を浴びた。
当時の空気を良く覚えている。
「デレステよりも重い」
「デレステよりも曲が少ない」
「デレステよりも展開が遅い」
むしろ、ミリシタリリースにかぶせたデレステのキャンペーンを喝采し、
「新人潰しひでえw」「さすが我らがちっひw」と喜んだ。
「次は何をかぶせるのやら」と、潰すことを期待する発言も多かった。
しかし1年経ち、地道に改善を積み重ねたミリシタが良いゲームだと分かると、
復帰して手のひらを返した。そして今度はデレステを下げる意味で比較を始めた。
それを見た他のデレステユーザーは、「比較は良くない」と言い出した。
1年前のミリシタ批判は仕方ないと言うなら、今も黙っていて欲しい。
そしてここが何よりも重要ですが、
デレvsミリの構図にしないで欲しい。
今、ミリシタと比較してデレステsage発言をしているのって、
今起きているのはデレvsミリではなく、
デレの内輪もめだということをしっかり認識してください。
デレステとミリシタの比較は辞めて欲しいと、こちらとしても思っています。
ミリシタが何かするたび、
「さてデレステは何をかぶせるのだろう」と期待するデレステユーザーが大量にいますが、
品がなさすぎませんか?割と気分悪いです。
比較がイヤなら、こっちをチラチラ見てくるのもやめて欲しい…。
親愛なる会員の皆様へ。
初めまして、今日そちらに入会することになりました。どなたですか…お入りください。ありがとう。
長い上に大変お見苦しい話になると思いますので、抵抗のある方は回れ右でお願いいたします。
朝の通勤途中、私はトイレのない特急で猛烈な便意と戦っていました。しかもゆっくり座れる有料の指定席です。おおよそどの鉄道か特定されてしまうかもしれませんが、電車に被害はないので問題はありません。
本来降りる予定の駅よりもいくつも手前で降りなければ間に合わないと判断しました。というか、既に電車の中でもう漏れそうで、でもここで漏らすのだけは成人女性として避けねばならないと必死に括約筋に力を入れて頑張っていました。
括約筋から「ごめんもう無理…」と言われても「そんなこと言わないで、あなたは出来る子、私は知ってるわ。今までだって乗り越えてきたじゃない」と言い聞かせ、何度かの山を越えている時ふと、頭に浮かんだ「こういう時、辛いのは山なのか谷なのか?谷底も良い例えではない気がする」というどうでもいいことを考えつつ最大の山場を迎え、何とかやり過ごせるかどうかの瀬戸際に電車が駅に着きました。
括約筋は死にそうです。
朝のラッシュ時に人混みを避けながらトイレに着いて中に入りリュックは降ろしてる暇ないのでこのまま…と思った時、頑張ってくれていた括約筋が死にました。
自宅で一度用を足した際、お尻にトイレットペーパーを挟んでいたので少し出たくらいなら大丈夫と思ったのですが、その量は少しではなく、そして括約筋が息をしない今は3度に渡り何かが決壊するのを私は感じました。
これはほんの十数秒の話ですが、この間も私はワイドパンツや下着を下ろしていましたし、下ろしながら「これは確実にやばい、会社に行けないかも」と思いました。とりあえずまだ止まらないそれに逆に冷静になり、普通に拭いて流しました。
さて、恐怖の現状把握です。
おそるおそる下着を確認するとなんと思ったほど出ていないではないですか。もうすぐ女性特有の日が始まるためナプキンを付けていたので下着に被害はありませんでした。あの決壊は何だったのか。完全勝利……その四文字が浮かびかけてもう一つ最悪の可能性に気づきました。結果ビンゴでした。
前の方まで流れてきたことにより下着が無事だったのです……女の子の赤ちゃんを育てた経験の方はわかるかもしれません(私は未婚なので想像で話しています)。
後ろから前へ…ばい菌が入るかもしれない大変危険な状態です。慌ててトイレットペーパーとアルコールティッシュで痕跡がなくなるまで拭きました。駅の灼熱のトイレで汗だくになりながら私は何をしているんだろう……そう思いながら片付けを終え何食わぬ顔で出社しました。
会員でない皆様におかれましては、括約筋を過信してはいけません。声に耳を傾けてください。無理と言われたら無理なのです。
会員の皆様に幸多からんことを。
どうでもいいことです。
最近(ここ3年~今日)ぼやぼやと思っていることを勢いで何の構成も考えずに垂れ流すだけです。痛い自分語りです。私がすっきりしたいがためだけに投稿します。
本当に何も考えずに書いているので、文章に矛盾ありまくりだし何がいいたいのかわからないと思うけれど、とにかく発散したいので書いてます。
作者の過去の発言やひぐらしの時のアレコレについても書いていますが、記憶が改ざんされているものもあるかもしれません。
最近某ソシャゲ(竜騎士07が尊敬する作者の別作品の派生ゲーム)でイベント?で探偵モノ?があったらしくノックス繋がりでうみねこの話をする人がTwitterで多かったですね。
一過性のモノとはいえ、一うみねこファンとして陰ながら嬉しかったです。
それもあったり、うみねこ漫画版EP8がだいぶ加筆修正が加えられていて、電子書籍版普及によりうみねこ再評価の動きが盛んでとてもありがたかったです。
(修正というとまた表現が違うかもしれませんが、個人的に縁寿が真実の書を読んだ後の黄金郷での右代宮家一族の罪の懺悔、ベアトと戦人からの縁寿へのエールのシーンは絶対に漫画版の方が良かったと思います)
うみねこ原作が完結してから、まぁ色々ありました。うみねこ原作完結時、私は中学生でした。
うみねこに嵌った理由は、小学生の時ひぐらしに嵌ったその流れからでした。
確かep4あたりですかね。
当時は07thexpansionに公式絵掲示板があり、ひぐらしやうみねこのファンアートを見るのが楽しくて楽しくて仕方が無かったです。
アニメ化するにあたって色々騒がれている中で、googleで「うみねこのなく頃に」と検索してでてきた、当時うみねこ関連のまとめブログ「さくたろう速報」というモノを見て
メディアミックスの一つとしてアニメ化にあたって声優が嘘みたいに豪華だったり、グロシーンがモザイクだらけだったり、楼座のシーツの下着が蝶だったり、間がなく内容を詰め込みまくったりと賛否両論ありつつも
2chに私は書き込んだりはしていませんでしたが、「沢山の人がうみねこを見ていろんなことを思ってるんだなー」と見ているだけで楽しかったです。
アニメ化する頃はちょうどEP5発売と被っていて異様な盛り上がりだったのを覚えています。もう9年も経つんですね。恐ろしいことです。
当時は(言い訳ですが)11歳くらいだったので推理などは全くしていませんでしたので、2chやまとめサイトや公式掲示板でも、ep6より前の他の方の推理は特に覚えていませんね…。
当時は完全にキャラクターや物語の流れが好きでうみねこを見ていたので、鮮明に残っている記憶は
量産型さくたろう(ヴィイイイイン)やら楼座無双やらコラ画像やらオリスクなど、推理にはほぼ関係ないネタ系のものばかりです。
自力でまともに推理をしたのはep5で戦人が共犯なんじゃないか、とep4は戦人以外狂言なのか、と碑文の謎を途中までくらいです。
ep5でベルンが「これから碑文の謎を解いちゃうから」と言い出したところで原作プレイを止めて、必至に1週間かけて?哩岸駅まで自力で辿りついて、後は全く分からなくて原作プレイを再開したら答えをぼかされて半ギレした記憶があります。
まぁ楽しいばかりではなく、火種がぽろぽろでてたのに幼いながら気づき始めましたよ。ep5あたりからは。
「ノックス出すのかよ。じゃあひぐらしはなんだったんだよ」的な声。大いに分かります。私も思ってました。今でもちょっと思ってる。
あとep6で紗音・嘉音・ベアトが1人の人間の身体の中の人格だとわかって、cp厨が大打撃を受けていたのも覚えています。
当時その話題を出そうものならジェシカノ好きの人(今で言うところの過激派)が暴れていましたね。
私は今でもシャノカノベアト同一人物は、最強のcp厨破壊設定だと思っています。(ネタ半分、本気半分)
私の憶測ですけど、うみねこの当時のファンはひぐらし既読者が90%を超えてたと思うんですよ。
信者の贔屓目ですけど当時のひぐらしの人気っぷりはそこそこに凄かったですし。
ひぐらしをプレイしたことがあるからこそ、うみねこの完結の仕方に納得がいかずにアンチ化した人が多かったのかなーと漠然と思います。
ひぐらしで犯人側の犯行前・動機・最中・後の人生、思考をしっかり描いていたからこそ
ひぐらしがミステリーとして解いていた人々には「目明し編までは良作。後はオカルトで商売文句詐欺」と批判されていたり
個々のトリックの推理をしないで、キャラクターの成長や物語を楽しんでいた層からは「ひぐらしはグロいだけじゃない!感動する!泣ける!」
ひぐらしで犯人の動機や個々のトリックのネタ晴らしを本編で描かれたからこそ、うみねこでもそうだろうと期待した人は多かったと思います。
でも実は、ひぐらしの時に既に竜騎士は過剰なネタ晴らしをしたくない風なことを言っていたんですよね。
適当な意訳をすると、「今までの物語を読んで咀嚼して自分なりの解釈をしてきた人に、質問されて答えを返すキャッチボールをしたい」
「親切に描きすぎると、推理をしてきた人にとっては冗長になりすぎる」とか、ひぐらしが完結する前から言っていたんですよ。
正しくは製作日記に書かれていたことなので、元の文章を読みたい人は自分で探して読んでください。
でもおそらくこの辺りのさじ加減は、当時ご存命だったBTが相当サポートしたんじゃないかなーと思ってます。
竜騎士もおそらく当時は、ひぐらしもあそこまでネタ晴らしや祭囃子編のカケラツムギもする予定が無かったんじゃないかと思うんですよ。
当時からよーーくインタビューで言っていたのが、「ひぐらしのファン同士がお互いの推理を提示して討論してほしい。コミュニケーションのツールとして使ってほしい」
ということを言っていたんですよ。
まあ皆殺し編だか祭囃子編だかのスタッフルームで「答えがないなぞなぞはなぞなぞじゃない」的なこと言っていましたし。
ある程度の答えは出す予定でもあそこまで包み隠さず出す予定はなかったと推測しますよ。
罪滅ぼし編でボロカスに叩かれまくったこともあって、批判を恐れて完全なネタ晴らしをした可能性もあるかもしれませんがね。
それで、ひぐらしの期待を背負ったままうみねこが始まるんですね。
特に推理における赤字・青字システムという発想は、それだけで竜騎士は天才だと思いました。
何故EP8まで残っていた人が、「犯人の動機書かねーのかよ!!1986年10月4日5日に本当は何があったんだよ!!」的な反発をしたことです。
犯人の動機はEP7で幻想装飾されながらもされていましたよね。
あのシーンでクレルが「ここまで語って分からないのならば、もう私の心は理解できないでしょう」的なことを言っていたんですよ。
これって、普通に読み取ると「あ…竜騎士はもうこれ以上動機について細かく書く気がないんだな…」と気づきますよね?
犯人の動機が書かれなかった云々について怒ってた人はEP7の時にキレて離れるのが道理なんですよ。(犯人の動機自体が不満な人は、全然いいと思います。価値観はひとそれぞれです)
なんでEP8まで残っちゃったんですか。まぁそれだけ竜騎士を信じていたってことなんでしょうけど、作品は別れ際が大事なんですよ。
あっウィルのふわふわEP1~4トリック解説は、個人的にいい塩梅な誤魔化し方だと思いますが、ムカついた人の気持ちもとても分かります。私は当時PC画面を見ながら( ゚д゚)としてました。
1986年10月4日5日になにがあったのかをハッキリさせろと怒っていた人は、本当に読解力がないのかなと思います。
全てを受け入れると悟っていた縁寿が、泣き叫んで真実を認めようとしないということは、EP7お茶会の霧江ヒドスが真相だったんだと普通に気づくでしょう。
なのに、1986年10月4日5日になにがあったのか本当に分からないと言ってた人はもう意味が分かりません。
これだけEP8でアンチ化した人を批判してますけど、いっても私も当時しばらくはもやもやしてました。
オチには感動したし、キャラクターも演出も物語も好きだけれど、なんでここまで作者は真相を隠したがるんだろうともやもやしてました。
EP7はベアトの葬儀なので、ベアトに最大限配慮しつつ推理してきた読者(私たち)に解答を教えるなんだと思ってます。
だからクレルは、安田紗代としてのみすぼらしい自分を幻想装飾して優しい解釈に捻じ曲げて語るし、
クレルが語りたくない黄金発見~1986年10月4日までの心情は無理には語られないんですね。
あとメタ的には、竜騎士が推理を真面目にする人にだけ分かるように伝えたかったんでしょう。
EP8がなぜあれほどご都合主義なのかは、EP8は現実世界の私たち読者に向けた物語ではなく、作中の登場人物である縁寿に向けてのエールの物語だからなんですね。
だから私たち読者が納得できないまま終わるのはしょうがないんですよ。戦人がゲームマスターとなって縁寿のために向けて作った物語なんですから。
【読者置いてけぼり】っていうのは文字通りこのことなんだと思います。
まぁだからといって、うみねこはこういうテーマなんだからしかたがない!!読解力がない人が悪いとは、この部分においては思いません。
宣伝文句や作中でも、推理しろ!思考停止は山羊野郎!愛がない推理は知的強姦者!とかいいつつ
答えを誤魔化すのは実際どうかと思います。いや…そこはハッキリさせろよ…と思います。よっぽどの信者でない限りは。
でもうみねこのテーマとしてはそこを確定させないことが軸というかなんというか…って感じなんですよ。
竜騎士は読者に向けたエンターテイメントよりも、うみねこの作品としてのテーマを優先させたんですね。
私はこのもやもやが晴れただけでも、本当にEP8のコミカライズを読めてよかったです。
私も、コミカライズで夏海ケイによって分かり易く表現してもらえなかったら、もやもやしたままでした。
竜騎士だってひぐらしであれだけ批判されたんだから、EP8が批判されることは予想していたと思いますよ。
でも、そこでうみねこのなく頃にという作品を最後までテーマの軸をブレさせずに終わらせた、その竜騎士の心は作家としては本当尊敬します。
まぁその後の彼岸花と我らの告白抱き合わせ商法とか、インタビューでの竜騎士の受け答えの拙さ、インタビューでの発言が悪意ある解釈でゆがめられて広がったのが、余計にファンアンチ化を加速させたんでしょうね。
あと、単純にミステリー小説を半年連載するという形式が常軌を逸しすぎてますよね。
私含め、よく4年半も付き合えられますよ。
はーあ。コミカライズがしっかり完結して本当よかったですよ。
EP8で2chの本スレが地獄になっていた当時、中二の私は本気で「展開編のコミカライズ打ち切られるんじゃ…!!」と涙目で恐怖してましたからね。
それがEP7ではウィルの推理斬りの詳しい解説付き、EP8では単行本ほぼ一冊分オリジナル展開を付け加えられて、全50巻の完璧なエンターテイメント向けの作品として昇華された…。
パチスロも冗談みたいに豪華ですしね。もうパチスロがあるから散アニメ化はいいと思います。
コミカライズがあれだけ完璧に補完されたんですから、あれ以上のものはもうできないでしょう。
うみねこ以上に好きになる、嵌るジャンルはこれから生きていく上で出会うと思います。
しかし、良くも悪くもこれほど私の情操に影響を与えて心に残る作品はないと思います。
EP8後の2ch本スレを中学生でリアルタイムで追っていたので、メンタルは相当鍛えられましたし(笑)当時の恐怖を簡単に超える荒れスレには滅多に出会えませんよ。
支離滅裂だったり勢いのまま適当に思ったことを書いてすっきりしました。ここまで読んだ名も知らない方、私の自己満に付き合ってくれてありがとうございます。
毎週決まった時間に決まった場所で何かすることが苦手だった、と言うことに気づくのに時間がかかった。
学校という場所に毎日決まった時間に行かなければならないことをみんながみんなすごく苦痛だと思っていたのだけど、実はそんなに苦痛じゃない人がいるみたいだ。
そんなわけで、大人になった今も会社に同じ時間に行くと言うのもかなり自分には大変なのである。
最初に入った会社は、いわゆるブラックというところで、9時半始業だった。
電車遅延以外の遅刻の場合、その日の給料が出ないという仕組みであった(あり得ない仕組みだが、あり得たのである)。
私は例のごとく、よく遅刻していた。だが、東京という場所は、通勤ラッシュの時間帯はいつもどこかの電車が遅延している。
JRと営団地下鉄で通っていた私は、ほぼ毎日どちらかは遅れていた。
駅員さんに1分でも遅れたら遅延証明書を発行してもらっていた。こっちも死に物狂いである。
今思えば、給料が出ないわけだから、遅れたらもう出社しなければいいんだけどね。
そこは変に真面目なので必死に出社していた。若かったのでさじ加減が分からなかったというのもあるだろう。
そんなわけで給料を引かれる日はなかった。
10時を目処にといったくらいの感覚で、周りの人も11時に来ていたりしていたので、どんどん遅くなってしまっていた。
これは意外だった。9時半始業が夜型の私には無理なのだ。10時になれば幾分ラクなハズだと思っていたからだ。
コアタイムも設定されていないので、こうなると何時に出社してもよくなる。
そうするとかなり気分がラクだった。10〜12時の間に来ればよい、と思うと、プレッシャーがかなり減った。
11時に来れる日もあれば、13時に出社する日もあったが、もともと0時くらいまで働いていたので、13時に出社しても1時間休憩挟んで10時間働いている計算になる。
普通に10時に出社して18時半に帰る人と、同じくらいの時間働いている。
ただ、深夜残業手当が出てしまうのがややプレッシャーに感じていた。
遅く来といて、深夜残業手当もらっていいのか……?
今日は仕事がすごい進むけど、終電があるから帰らねばならぬ、というのも面倒であった。
終わらなければ家でやっていた。でも給料でないし、なんでやってるのだろう?と時間内に終わらない自分への怒りと、給料でないのにやりたくないという狭間でモヤモヤしていた。
あと不思議なことに、たまにある朝早い打ち合わせやリリース作業などには遅れたことがない。(ほとんど、と言っておこう。1回くらいはあったかも)
おそらくだけど、朝やらなくてもいいのに、行くのが嫌なんだと思う。
自分が朝に仕事するとエンジンがかからないから、ぼーっとしているだけなのである。
別に悩んで病院に行ったわけではないけれど、社会生活がまともに送れている場合は、とりあえず病気じゃないと思っているからだ。あくまでもそういう傾向があるというだけで。
職場では、おそらく複雑と呼ばれるある程度の仕事はこなして、下に何人かアシスタントがつくレベルというのも、まともに送れていると考えている理由の一つ。
もともと飽きっぽいし熱しやすく冷めやすい性格だと言うこともあるが、毎週決まった曜日になると「習い事に行かなければならない」と言うプレッシャーが特に嫌だった。
好きなことでも今日は行きたくないのに、と言う日もあるだろう。(普通、ないのかな?)
でも、いつかまともになるかなと思ってたけど、30代になって結婚しても全然決まった時間に行くのが嫌なのである。
今は、会社に行くのが嫌になりすぎて、フリーランスで前の職場から仕事もらってやっている。
週5日働いていたけど、今は実質週3〜4人日程度、家で同じような仕事をして働いている。開始時間も終了時間もない。
出社する必要もないし、月〜金の決まった時間に働かなくてもいい。
一応、売上も、会社員時代よりは少し低いが、生活レベルを変えないで暮らしていけるほどにはもらえている。
めちゃくちゃ気楽である。
今日は眠れないから、仕事しちゃおう!なんて日もあるし、今日は眠いから1日寝てしまった。という日もある。
月〜金で終わらない!なんてダメなんだ。終わらないからって土日に仕事なんてしたくない!と会社員時代は思ったものだが、
月〜金で終わらない!!そんな時もあるよね〜、ダメなら土日にしよう。と今は思っている。売上が変わらないわけだし。
なんなら、逆に月火で仕事が終わる時もある。
締め切りまでに決まった仕事が終わればいいわけだから、エンジンのかけ方を一定にしなくてもいいというのはすごく気持ちが落ち着くし、自由だ。こんなに割り切れる日が来るとは思わなかった。
http://mogusu.hatenablog.com/entry/2018/01/22/015005
これは結構よくあるけど、なかなか可視化されにくい話だなと思う。
付き合った当時から、セックスを最後までいたしたしたことが一度もない。要は、男側が挿入して出すところまで、または女性側が満足するというのが一度もなかった。
相手は「うちは問題ない」「むしろスキンシップ大好き」と思っていたようで、問題意識の共有ができていたのか実際のところよくわからない。こちらが、このままでは不満という趣旨のことを言っても、そうだねとかそんな返事だけ。結局、問い詰める私に対して耐えられなくなった相手から、最終的にはそこまで言うなら別れようみたいに離婚話に発展した。もしかすると、ペッティングやらスキンシップをセックスに含む、というか、それがセックスそのものだと思っていたような感じがある。変な言い方だけど、私は最後までしたかった。ただし「最後までしたこともある」と主張してきたのでよくわからない。記憶の書き換えか浮気か、そもそもの「最後まで」の定義が何なのか不明。ペッティング=セックスなら、セックスしてることになるので、相手の主張は筋が通ってる。
なんでそんな相手と付き合ってたか、結婚するまで解決できなかったかというと、まさに「セックスで判断してはいけない」「相手はいい人だし」「(女である)自分から話すのは恥ずかしい」と結婚前は思ってたからだ。この手のジェンダーステレオタイプは早めに捨て去ることをお勧めする。というか、結婚したら、性生活はアウトソースしづらいので、もっとちゃんと考えておけばよかった。
当時は「セックスレスで離婚」というのがショックで、うまく消化できず、本当に親しい人以外には「価値観の違い」ということで説明していた。しばらく他人に相談できずにいたが、同じような問題で悩んでる人や、パートナーと別れた経験がある人は30歳以上には非常に多いということに気づき、最近ではむしろ積極的に話すようにしている。
その中で気づいたのは、「セックスについて、腹を割って異性のパートナーと話せる人は意外と少ない」ということだ(この辺は、同性パートナーのカップルたちは、割とオープンに共有してるというか、相手にばれるてるので、うらやましい感じがある)。
なんでもあけすけに話すことは、異性に対する幻想を打ち砕き、時には幻滅したりするのかも、と思うものの、ちゃんと腹をわって自分のしたいこと、してほしいこと、いやなことを私は話せなかった。その程度の関係性しか、私は元夫と築けなかったというのは、私の至らないところなのだと思う。
お金、セックス、老いについて話すのは厳しい。けど、この部分について話せない相手とは、長期的なパートナーシップを築くのは難しいと思った。
したいことも欲しいものもない。会いたい人もいない。
捻くれた人、暗い人のように思われるかもしれないけれど、そのような特徴すらない。と思う。
営業職でそれなりに評価されているので(必要がある場合の)対人能力は恐らく普通。学生時代は少ないながら友達もいた。
でも休日、家から出られない。したいことがなにもなくて家でスマホをいじり映画を観て過ごす。その映画もNetflixが私にすすめるさして興味もないもので、観てすぐストーリーのほとんどを忘れる。友人たちと疎遠になっていくのが怖いのに、結婚式の誘いすら断ってしまう。趣味をつくる努力をしてみたけれど熱中できない。
昔々買った服をずっと着ている。食欲もない。お酒も飲まないしたばこも吸わないしギャンブルもしない。恋愛体質でもない。安いアパートに住んで、貯金ばかり増えてなんのために生きているのか分からない、と時々思うけれど、なにか嫌なことがあるわけでも、なにか具体的に変えたいものがあるわけでもない。満足して(しまって)いる。
旅行もしない。人と一緒だとなおさら億劫。修学旅行は仮病で休んだ。卒業式の後のパーティーも成人式も行かなかった。後悔もしていない。
イベントごとは苦手、人混みも苦手で、でも知らない人と話すのは好き。でも数度会って話すとそれでもうよくなる。友人未満で自然消滅。
行けば楽しいかもしれないと思って行った旅行は思っていた通りの楽しさ具合で、早く帰りたいと思った。仕事で行った海外も知り合ったたくさんの人たちも人生観を変えてはくれず、とにかく時間だけが過ぎて、なにを得ているのか、なにを得そこねなにを失っているのか、よくわからずに漠然と不安。不安?退屈?さみしい?と、いつか思うことになる予感で不安?
労せずに得られるインプットだけで生きている自分の浅さがいやなのかと考えた。アウトプットするものがなにもない。話したいこと、言いたいことが特にない。語るべき自分がない。
でもじゃあたとえば休日にフットサルをするとして、そこでできた仲間が、その時間が、私にとって私のなにになるんだろう。ぜんぜんおもしろいと思わない。なにもそんなにはおもしろくない。
でももうすでに、自分が幾何学模様を描きたいわけではないことに気づきつつある。
一体なにが好きなんだろう。小学生の頃は父親が何気なく口にしただけの「将来の夢」を語って、中学の頃は誰のことも好きになれずつらかった。高校の記憶はほとんどない。大学は楽しかったけれど、ずっと一緒にいなくても会えば笑いあって過ごせる「友達」ができて、その関係の気軽さと、学生という身分の気軽さと、それが心地よかったのだと思う。ずっと一緒にいなくてもいい友達とはずっと会わなくてもよくなってしまった。もう学生ではいられない。
を読んでの感想。詳しくは書かないが元記事に書かれている通り、この人はある程度火付け役を担ったというか、でも言いたいことはそういうことではなくて、そういう人がどのようにあのY社エンジニアの記事を読んだのか。そういうことがわかる解説記事なので、ありがたく読み、感想文を書く。
私がこの記事を書く動機は、私にはあのY氏の記事を何度読んでも差別発言をしているとは思えなかったので、どこがどう差別的であったか、他人の意見を知りたいと思っているからだ。これはその感想文、または反論である。ちなみに以前にも記事を書いている。
以下登場人物を、
・私のことを、私
と書く。
またこちらは匿名なので、フェアではないことを明記しておく。フェアではないので別に元記事筆者は私の反論に対するアンサーを (してくれると嬉しいが) する必要は一切ない。
長文注意。2記事に分割している。
先に私の考えを書いておく。
・Y氏は差別発言をしていない
・「男性は女性がいるとやる気があがる」が、「女性は男性のやる気を上げるために存在する」に拡大解釈/誤解された
・Y氏のロジックは炎上の危うさを孕んでいることに本人が気づき、やめるべきだった
・Y氏のソリューション自体にはなんら倫理的/差別的問題はない
まず、この章について言及する。
元記事では、「不必要なラベリング」をしたことが問題だと主張している。該当部分を引用する。
特定の集団に対して不必要にラベリングすることは、差別とみなされる場合があります。性別のような、人間が努力によって変えることができない事柄はその代表例であり、本件のように、性別に基づいて、その性向をラベリングすることは、差別であるというのが私の考えです。
たしかに不必要なラベリングは差別とみなされることがある。ただ、ここでいう「不必要なラベリング」が具体的にY氏の記事のどの部分を指しているのか明記されていないのでなんとも言えない。
Y氏が「女性エンジニア」と冠に「女性」をつけたのは、「女性エンジニアが少ない」というまえがきがあるので文脈上必要なラベリングだと思うし、ソリューションのメリットに男性・女性別のメリットを挙げるために性別のラベリングをするところも流れ的には自然だと思う。元記事筆者はどこが不必要なラベリングだと思ったのだろうか。
もしも、そもそも「女性エンジニアを増やそう」というテーマが不必要という主張であるならば同意する。必要なのは優秀なエンジニアが増えることであって、そこに 男性女性のラベリングは不必要だと思う。
まず、女性エンジニアは、男性エンジニアのやる気を出すために存在しているわけではありません。エンジニアとしての職務を全うするために存在しています。
「女性エンジニアはエンジニアとしての職務を全うするために存在している」という部分は完全に同意する。
ただ、やはり元記事筆者も誤読をしているのだが、Y氏の記事では「男性は女性がいるとやる気があがる」とは言っているが、「女性は男性のやる気を上げるために存在する」とは言っていない。
ここはY氏が差別発言をしたかどうかの分水嶺なので、はっきりと明言しておく。
また、全ての女性エンジニアが、女子トークができないことを問題としているわけではありません。さらに、男性側についてもラベリングが行われています。すべての男性エンジニアは、女性エンジニアが少ないことによっていいところを見せたいというやる気がでない、というわけではありません。
つまり元記事筆者によれば「全ての女性エンジニアが女子トークができないことを問題としているわけではないのにも関わらず、Y氏はそのように言ったことが問題」、「すべての男性エンジニアは、女性エンジニアが少ないことによって『いいところを見せたい』というやる気が出ないわけではないにも関わらず、Y氏はそのように言ったことが問題」ということだろうか。
仮にY氏がそう主張したとしても、Y氏の論理(あるいは仮説)が明らかにおかしいだけで、差別発言ではないと思う。
あとそもそもなのだが、元記事では「全ての女性エンジニア」、「すべての男性エンジニア」と冠に 「全て」 が付いているが、Y氏の記事では「全て」とは書いていない。
そして、これによって生じる問題は、男性エンジニアにとっては、「いいところを見せたい」というやる気が出ない。そして、女性エンジニアにとっては、女子トークができない。これは非常に重要な課題だと思います。
ここを「全て」と捉えるのは誤読で、「ある一定の割合の話をしている」と捉えるのが普通ではないのか。(それとも解釈の分かれ目なのだろうか?)
Y氏が「全て」というバカデカ主語を使っている部分はこれより少し前で、該当する部分を引用すると、
エンジニア全員が抱えるもっとも重要な課題を解決して、「機械学習はすごいな」っていうのを体験していただければなと思います。
これは言うまでもないですね。まあ、全員抱えてますね。
(会場笑)
この部分のみである。ツッコミどころはむしろここで、「全てのエンジニアはそんなこと思ってねーよ」なのだが、この部分をツッコんでいるTwitterのアカウントは(私の知る限り)一人も観測していない。
もしかしたら、この部分のバカデカ主語が引っ張られて、後の部分でも「全員」という冠が付いているように 元記事筆者は誤読してしまったのではないだろうか。
仮に「全て」が付いたとしても、「【全ての】女性エンジニアが、女子トークができないことを問題としている」、「【全ての】男性エンジニアは、女性エンジニアが少ないことによって『いいところを見せたい』というやる気が出ない」という命題が偽なのは自明であり、自明であるので「ああ前振りネタか」とスルーすると思うのだが、そうは捉えない人もいるということだろうか。
なぜ自明なのか一応説明すると、「すべてのカラスは黒い」と同じ理由だ。上の命題が真であるかを全人類にひとりひとり聞いてまわれば、反例がすぐに見つかることは想像に難くないからである。
ネタ部分が差別的な場合、「ネタだろうと差別は許されない」というのは正しい。この部分は後述の「ただのネタに大げさでは?」で言及する。
「ある一定の割合の話をしている」について補足すると、世の中には女子トークがしたいと考えている女性エンジニアがいるかもしれないし(観測したこと無いが、どこかにいるかもしれないし、そのような女性エンジニアとしてのあり方を否定する訳もない)、女性エンジニアがいることで男性エンジニアがやる気を出すという部分は、まさにある一定の割合の男性に当てはまる話だと思う。
ここで私が強く主張したいのは、そのような男性は別に女性差別をしていないということだ。異性を意識して仕事に取り組む姿勢を変える(やる気を出す)というのは別に差別でも何でも無いはずだ。もしここで、「俺のやる気を出すために、女性らしい格好をしてこいよ」となれば、それは女性エンジニアにエンジニアとしてではなく女性性を要請していることになるので、女性差別にあたる。しかしY氏は、そこまでは明らかに言及していない(触れてもいない)。「女性がそばにいると、やる気出ちゃうんすよね」は女性差別だろうか。女性性を意識することは女性差別だろうか。女性エンジニアに女性性を要請していないくても女性差別なのか。これはただの女性好きの話ではないのか。この部分は、後述の「女だってイケメンがいいって言ってるだろ!そちらも同様に批判しないのは差別だ!」と関連する。
「行った(言った)側の意図は関係がありません」という所には反論の余地ありだが、引用部分は概ね同意。
ネタだから差別的な発言は許される、というの考え方は間違っている。
相手の悪口を言った後で、「ジョークじゃん。何怒ってんの?」と言うやつが通用しないのがその典型だ。
しかし、私はそもそもY氏は差別発言をしていないと思っている。
まず、全員がそうとは限りません。少なくとも私の周囲では、同意しない人は何人もいました。もちろん、女性がいたほうがやる気が出ると答えた人もいます。そういう考え自体は個人の自由なので否定するつもりはありません。いずれにせよ、事実とは断定できません。
「 もちろん、女性がいたほうがやる気が出ると答えた人もいます。そういう考え自体は個人の自由なので否定するつもりはありません。 」
この考え方を許容して、なぜY氏の考えを否定するのか理解に苦しむ。Y氏の主張がまさに「女性がいるとやる気が出る」という話ではないか。
あと、「全員がそうとは限らない」とあるが、これも自明だと思うのだが、やはりこのへん、解釈が分かれるのか。私からしてみれば「ある一定の話をしている」のは自明である。
本件のような発言を耳にした場合、どのように捉えるかは人それぞれです。ある女性に話を聞いたところ、「男性が『女性がいるとやる気が出る』と言ってくれると、自分もやる気がでる」という女性もいるとのことでした。一方で、このような発言を聞くと、自分が性の対象として見られている可能性があると感じて不快である、という人もいました。
感情的にどう捉えるかという話ももちろん重要ですが、本件ではこちらはひとまず横に置いておき、性別によるラベリングに起因する性差別の話にのみフォーカスします。
性別でラベリングすることは、快か不快か関係なく、性差別性を孕んでいる(可能性がある)という話か。なるほど。
https://news.mynavi.jp/article/20150810-a094/
この部分には同意。
ここでいう「女だってイケメンが~」の「女」は『「職場にイケメンが必要」と回答した女性』のことを指しており、決して「女性全体」のことを指していない。
要は割合の話である。誰も全員なんて言ってないのだが、そう主語がでかく捉えられてしまっているのが問題だ。
また、上記記事で「職場にイケメンが必要」と回答した女性は性差別かどうか、ということに元記事筆者は回答していない。ここは重要な点だ。今からなぜ重要なのか説明する。
続いて、会社にイケメンがいることで、社内にどのような影響があるか調べたところ、約半数が「仕事へのモチベーションが上がる(49.8%)」と回答した。次いで「社内のコミュニケーションが活発になる(21.2%)」と続き、イケメンは社内を活気づける存在となっていることがわかった。
と書いてある。つまり、アンケート結果として約半数が「イケメンがいると仕事のモチベーションが上がる」と回答しているのである。この回答者は果たして性差別的回答をしたのだろうか。Y氏も「女性がいるとやる気が上がる」と主張した。このY氏の主張が性差別発言ならば、このアンケートに回答した女性たちも同様に性差別回答をしたことになる。
また、Y氏の「女性がいるとやる気が上がる」が、「男性は女性をやる気を出すための存在としてみている」に換言可能ならば、「イケメンがいると仕事のモチベーションが上がる」は「女性はイケメンを仕事のモチベーションを上げるための存在として見ている」に換言可能なはずだ。 元記事筆者は「換言可能だ」と主張はしていないが、少なくともそう解釈はしている。
よって、Y氏が差別的発言をしたと主張するならば、上記記事の女性も差別的回答をしたことになるのだが、それでよいのだろうか。
RubyKaigiは門外漢なので知らない。 リンク先は個人の記録なので、 どういう文脈で「台湾の女の子はKawaii、だからRubyKaigi Taiwanに来るべき」と発言されたのかを、事実ベースで確認することは不可能なので多くは言わない。だが、うかつな発言だと思う。
また、「この程度のこと、今までいろんな人が普通に言っていたのでは?」という擁護危うい。「この程度大丈夫」と思っていても、抑圧されている側が声を上げていないだけで、実は逆鱗に触れていてある日爆発する、というのはよく聞く話である。
ここに書いてあることは概ね同意。つまり、新卒だからと言って、差別的発言は許されないということだ(何度も言うが、 私はそもそもY氏は差別的発言はしていないと思うが)。ただ、情状酌量の余地はあると思う。
もし、「新卒」というラベルがない人が発言したときに態度を変えるのだとしたら、それは明確に年齢や属性で差別していることになります。
この主張は、少し手厳しすぎると感じる。新卒かどうかで態度を変えるのは普通の出来事だと思うのだが、どうだろう。まあ、第三者に向けての発表は、第三者からしてみれば新卒だろうがベテランだろうが関係ないという意味で書かれたのかもしれない。
私からしてみれば、年齢で相手に対する態度を変えるのは当然だと思う。どういうことかと言うと、「若いのにしっかりしているな」とか「おっさんなのに新しいことに挑戦してすごい」とかそのへんの態度の変化のことである。これを差別と言われれば差別かもしれないが、差別呼ばわりされるのは納得いかない。
この章では、無意識のバイアス、ダイバーシティ、AIの差別と機械学習エンジニアの倫理観の説明がされている。
GoogleやMSが無意識のバイアスについての研修を無償で公開しているのか、知らなかった。なるほど、ありがとう。
できれば、Y氏の発言を具体的に取り上げ、どこが無意識のバイアスがかかっていて、どう差別的だったのかを指摘してくれれば、理解が進むので助かる。
重箱の隅をつつく指摘をするが、正確を期すために書いておくと、Y氏は「機械学習エンジニア」……(一つのアプリを作った時点でそう名乗って良い)と言えばそうなのだが、本業はそうではない。
こんばんは、猫です。残念ですが、あなたのようなヒトによる書き起こしからは、その意図を正確に翻訳することが難しいです。
理由として、あなたには「みゃう~なあう~」と聞こえているそうですが、実際は「っなぁあぁみゃうぅるっつぅなぁああぅううるるっ(この空はいいね、それは好きか?、の意)」かもしれませんし、「むぅうみゃぁぁうーっふ、んなぁぁうーっふ(夢に出てきたのはお前か?、良かったぞ、の意)」かもしれません。ヒトは2万ヘルツまで聞き取るそうですが、私達のそれは10万ヘルツです。ゆめゆめ、あなたに聞こえているものが全てだとは思われませんよう。この世には、目に見えない、耳に聞こえない事柄も在る故、「各自の定める『在る』こそ無い」という理のみが真実なのです。
ところで私たち猫は元来、人目につかない場所で目を閉じてじっとすることが好きです。まわりの音が四方から絶え間なく聞こえ、私が居ても居なくても、世界は変わらずに動き続けていくことを実感できるからです。それはすなわち、私がいつこの世界から消えても大丈夫という許しです。私は自由である。そう思うたび、体の中を風が通り抜けるような荒涼とした穏やかさを得て生きてきました。
けれど、ふとした拍子にヒトに飼われ、毎晩呼ばれる名前や、気持ちいいペースで撫でられ続けるお腹、優しく切られる前足の爪、季節ごとに設えられる快適な寝床、そういったものに愛着を感じるようになると、困ります。世界に責任を持たず、始まりも終わりもないような自由な存在でいることを誇らしく感じていたのに、今となってはあなたの世界の一部でありたいと思うし、その責任を負いたいとすら願っています。あなたが帰ってきたら思わず駆け寄ってしまうのです。
ソロモンの指輪があれば会話を通じて分かり合えるのにと悩んだ時期もありました。しかし、猫同士であれヒトと猫であれ、自己と他者は一生分かり合えないからこそ、そこに配慮や傾聴が生まれ、真に大切なことはそれら行為そのものだと気がついたわけです。さて、その気づきを元に、あなたの猫の気持ちを汲み取ってみましょう。前半の「みゃう〜」はヒトの言葉で「(あなたが)居た/在った」という発見、後半の「なあう〜」は「良い/好ましい」という感情だと思われます。つまり、彼or彼女は、あなたが好きだということです。
アノ日の前は涙もろくてダメだな。ごめんごめん。
落ち着いたわ。ありがとう。
まぁ、人を変えようっていうか、人と同じ方向を向こう!ってのは難しいことだと思う。
気づきがないとどうにも無理だよな。親の涙とかで。
あなたとはもうちょっと話したい感じなのですが、本当に隙間時間しかないので申し訳ない…
肝心の「場所と生み出す状況」の図解がないせいで、いかようにも解釈できるという部分が問題になっていると思います。
追記で若干定義が加えられたので、あとは各人読んで判断してもらえればと思っています。(私は読みかけて事情があって放棄しました)
ご指摘を受けて、もう一度反論元のエントリを見返してきました。
なるほど、記事が修正されているので反論のずれがでているのですね。
図の赤い面積の根拠が記事中に説明されている時点で、本記事と反論先の記事のずれには気づきませんでしたでしょうか。
タイトルに関しても「図解 ネット刺殺事件の全貌「低能先生」と記号化された人間とHagexとネットいじめの温床Hatena」と修正されているので、反論を受けて修正をいれたものと思います。
この前提で増田さんの話に反論してもずれたものになってしまいそうなので、御容赦ください。
イケハヤ氏やはあちゅう氏に対することであるということは元記事には指摘されていないので、私にはなんともいえません。
今回のブログの内容が図解で見るとは言い難いものの、言葉として十分理解できる。例えばグラフとかも図解の一種だから「グラフで見る」と同義だろう。
ちなみに「図解で見る」で検索するとトヨタのHPが一番上にヒットする。
http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/production_system/illustration.html
既にタイトルが「図解」に修正されてしまったので、意味の薄い話になりますが、
貼っていただいたURLを見ていただいたとおり、
「図解で見る」とする場合、複数の図で説明する。「図で説明する」という側面を持っている必要があります。
十分通じるかどうかではなく、「全体的に言葉がいい加減である」ということを言いたいことを御留意ください。
元の記事を見ていただければ分かるとおり、記事中に図は1つしかありません。
更に、「事件の全貌を図解する」という意味の見出しになっているのに、
実際の図は、根拠の無い各サービス中のネットリンチの規模図なのです。
元記事で言及されている「ネットリンチ」の舞台を普通に想像すると、はてなブログとはてなブックマークですよね。
ですが、はてなブックマークの炎上のトリガーは「はてなブログ」ではなく、「Hagex氏の記事」です。
なぜはてなブログでないかというと、「はてなブログ」とした部分は、山本一郎氏の文芸春秋の記事でも成立するからです。
更に、「はてなブックマーク」を「twitter」に置き換えても成立します。
実は、元記事が言及している「togetter」も「ネットリンチの場である」という言われ方をします。置き換え可能です。
これについてはご指摘ありがとうございます。完全にミスです。
「匿名でコメントができないサービスが9割だ」は「匿名でコメント”できる”サービスが9割だ」でした。
確かにこれでは、丸ごと破綻してしまいます。「9割」という語は「大半の」という意味合いで使用しています。
なぜなら、このブログ記事を基点にネットリンチが起こる可能性があるからです。
現にkawango氏がtwitterで言及し、大量にRTされて言及されています。
これが少しでも批判の方向に傾けば、ネットリンチの主は「fhome's blog」です
皮肉にもHagex氏のやっていたことと、「fhome's blog」がやっていることは、
程度の差はあれ、同じなのです。
もちろん悪意はないでしょう。悪意が無くても炎上は起こります。
炎上を起こされた側(はてな)にとっては、相手に悪意があるかどうかは関係ありません。
それが正当なものかどうかというのは、見る人によって変わります。
>サービスをつぶすのだろうか。
というメールが届いた。
あぁ、悪いことしたなと思いコンビニでマスクを一袋購入し、装着。
翌日、出社後すぐに再びマスクを装着。ランチタイムで外出した際、マスクはテーブルの上に置く。
ランチタイムから帰宅後、マスクをつけるのが30分程度遅れる。(忘れてしまった)
「〇〇さん、明日から海外出張ですよ!配慮してあげて下さいよ!マスクつけてください!」
とのこと。私、何を言われているのかわからず、は、はい。と返事、数秒後あぁマスクつけてなかったな。と気づき装着。
しばらく経ってから怒りがふつふつ。相手は入社して数ヶ月の派遣のおばさん。
なんでこんな舐めた態度取るんだろって正直思う。私が女性で、小柄で、若いからなんだろうな。同じこと、立場が上の人にもすんのかな(しねーだろ)
誰かと一緒に帰る、よりはひとりで本とか読みながらのほうが断然いいと思ってるし、
映画にしても美術館に行くにしても、ひとりの方が気楽でいいし、
会話していると「今の言ったこと変だったかな…」と不安になることが多いですし、
でもコミュニケーションが好きです!ってことにしとかないと、社会的に認められない気がするじゃないですか。
何につけても「コミュニケーション力が大事!」ってことになってるじゃないですか。
だからきっと、自分でも認めたくなくて好きってことにしていたんでしょうな。
「人と関わるのは好きだけど独りの時間も大切にします。キリッ」ってことにしてました。
好き=得意であるケースは多いですが、好きじゃないけど得意、というケースもあると思っています。
僕がコミュニケーションが得意な人間なのか、は自分で判断できません。
ものすごいエネルギーを使う、ということは間違いないのですが。
今後の生き方をどうしようか、と考える日々が続きそうです。