はてなキーワード: ももちとは
やったー!
婚約した!
婚活サイトで知り合った人ととりあえずお茶でも、とお話してみたり、
で、結果、ずっと地元グループで仲の良かった男友達から結婚を前提にしたお付き合いの申し込みをされて
(私が、結婚しない人とはお付き合いしたくないとずっとブーブー吹聴してたので)、
OKしたのが去年の夏。
最初は男友達と恋愛関係にあるというのが自分の仲で不思議な感覚で、
いちゃいちゃすることに抵抗があったり、なんやかんやあった。
お互いの友人関係はほぼ繋がっているので、大勢で遊ぶ時も一緒だった。
婚約するに至りました。
婚活婚活行っていたときは、多少なりとも稼いでいる人を!と分相応にもギラついていたし、
スーツを着る仕事の人がいい!とかちょっとおしゃれで色々な遊びを知ってる人!とかお前何様だよという条件があったように思う。
彼は、顔も体も全然好みではない。
お金もそんなにない。
でも人のために泣けて、共感能力が高くて、意見が食い違ったらお互いに譲り合って妥協点を見つけられるし、
仕事には真面目だし、ゲームや漫画ももちろん同い年なのでネタが通じるから会話も楽しいし。
元々友達の時は、「いい子だなあ。いい女の子見つけてあげたいなあ」とお見合いおばちゃんよろしく思ったりしていた。
それが何を間違ったのか私に結婚前提でお付き合いを申し込んできた。
付き合って、今まで知らない部分や拘りも見えてきたけど、
こんなことばかり言ってるけど、ちゃんと彼のことは好きですよ。
女って、メロメロになってるときでもその自分を俯瞰してる自分が「条件に見合ってるか?」とか何とか言ってたりするものだと思う。
ただ、夢見るばかりじゃいられないので、きちんと判断しないと、と思って出てきた、以下彼の結婚に向いているいいところ。
・共有できる趣味がある。
・読んできたものや観てきたものが年代的に同じなので、ネタが通じる。(これまでかなり年齢の離れている人とばかりお付き合いしていたので)
・男の人と行く買い物はつまらないもの(男の人がつまらなそうにしてる経験ばかりだった)だと思っていたが、何かすごい楽しい。
・素直なので、この服着てほしいなというと着る。
・お互いの両親の感じが似ていて、経済的・家の格的にも同じくらいなこと。(下の中くらい)
(縁起を気にするだけで、拝んだりとかはしない。そもそも仏壇がない。私の周りは学会二世がとても多いが、うちも彼実家もただの仏教。)
・安いものでも楽しめる。贅沢や見栄を張ることが苦手。
・私はすぐパニックになる質であるのに対して。彼はいつも冷静を心がけてる。
ローンは彼の名義らしく、頭金も大分払ったらしい。家賃も入れている。
で、最近、新居をどこにしようかと悩んでいたところ、(私の家を立てなおしてマスオさんでもいいかという話も出ていた)
そのマンションを新居にしてもいいかな?とあちらのお母さんに話したらしい。
お父さんお母さんは市営住宅だか県営住宅だかに空きを探してもらって…と。
あちらのお母さんは二つ返事でいーよーと答え、なんか、とりあえず新居が決定した。
すごい。よく言った。
とりあえずあのマンションは立地が良い。
駅まで徒歩五分だし、近くに24時間営業のスーパーがあるし、その中に百均もあるし、
大きめの公園が真横にあるし、バス停も郵便局も銀行も通っている病院も近い。
マンションのすぐ下には内科小児科が入っているから、この先子どもが出来ても公園に連れて行ったり病院に行ったりが凄く楽だ。
何より私の実家まで車で五分って、すごい。
実家でも猫を飼っていて、離れるのが寂しい気持ちが一気に新猫とったどー!とウキウキに変わった。
遊びに行っている現在、かなり噛まれているが実家の猫にも殺すか?な勢いで噛まれているので全然余裕だ。
なあに、かえって免疫がつく。
あと、彼は私が初めての彼女なので、誰とも比べられない。
元カノの方が良かったなあなんて比べられたらやっぱり悲しい。
ずっと在宅の仕事をしたかったのだが、とりあえず社会経験を積まねばと入った会社も、
辞めて専業主婦になってくれていいと言ってくれた。
稼ぎが少ないと詰られることがなければいいよ、と笑っていた。
(貧乏でも、好きなことを在宅でさせてもらえるって本当にありがたい。
ちょっと話は飛ぶが、私の母も専業主婦で、もちろん父への労いは欠かさない。いつでも一歩ひいて、父をうまくヨイショしている。
サラリーマン川柳などで、妻と娘がお父さんを蔑ろにする句が多くあった。
うちの家では絶対にありえないことだ。
たぶん私は自分の実家をモデルに、彼をヨイショして快く働いてもらう。
もし子どもが生まれたら、私はその子らに、父親を尊敬できるように育てるだろう。)
たまたま好きになってもらえて、そしたらまるで誂えたかのように結婚に向いていた。
フィットしてた。
何を言いたいかって言うと…
しあわせはとっても身近に転がっていたのだねー、ということ。
私は婚活市場から降りて、私ってこんなもんだよな、と思っていたら、
鴨がネギしょってやってきた。
ただのしあわせ自慢でした。
2、3週間で見た目には現れてないけど
数字には現れてきており、
2.5kgくらい体重が増えて手応えが出てる。
通い始めたら結果出てきた。
そこで考えたこと、気づいたこと
【その1】
気づかせてくれる先生がいたほうがいいということ
成長とはプラスの方向の変化で、
変化するにはしばしば今までの
自分を否定することがカギになる
通い始めて自分の今までのやり方が
間違っていることに気づいたが
本を読んで気づくこともあるけど
自分より先に行っている人と接していると
もちろん前提として
そういうことに気づける自分
求められる
読んだりして気づくしかない
【その2】
モチベーションが湧いた時がやるべき時だということ
もう32歳だが、モチベーションが湧いた時がやるべき時で
やるべきだと判断したなら大抵の場合、
遅すぎることはない
やっておけば良かった、あの時勉強しておけば良かった
は負け組の発言で
だったら今からやればいい
いつやるのかと言われれば、今やればいい(笑)
そしてちょっと無理をしてでも
結果を出して次のモチベーションを手に入れる
モチベーションは必ず枯渇する
ことを念頭に置きながら
モチベーションが湧いた時に結果を作って
次のモチベーションを手に入れるようにする
これによって何事も発展すると思う
鉄は熱い内に打て
初心は必ず忘れる
モチベーションの補給が鍵
【その3】
飽食の時代に生きる我々は
生きるために食うという、「食」への謙虚さと切実さが
薄れているということ
筋肉をつけるために
意図的に肉とか卵とかを多めに食べて
ちょっと苦しくても口の中に突っ込んでいる感じだが
そこでちょっと気づいたことがあった
食うために生きているのではなく
生きるために食っているということ
そして食べることは快楽だが、
快楽は方便であって生きるためには
無理やり食べる、無理やり食べないことも必要
割と体格がしっかりしている
俺らはやはり飽食の時代に生まれてきて
食べるといえば味、楽しみ、快楽
そのような考えになりがちな
この飽食の時代には
生きるために食うという
忘れてはいけない
そんで、どうしたらいいのかよくわかんないというお話。
投票率がこんなにどんどん下がっている理由って何なんだろう?まず社会人は長時間労働や不安定な雇用でヘトヘトなので他のことをする余裕があまりなさそうだ。そもそも職がない人もいる。余裕がある人であってもそもそも政治に関心が低いとか、どこに入れたって変わらないという意識なのかも。でも支持率も低いから信用してないんだよね、ということはお前には任せておけないから!って言って投票率は上がりそうな気もするけど、前者の2つの影響のほうが大きいのかな。不思議。
ただ普通に「選挙に行きましょう」といくら呼びかけても大局的には変わらないように見える。がんばって呼びかけている人には申し訳ないけども。努力や能力は使い道を誤ることもあるよね。自分にももちろんあるし。それに注意や呼びかけというものは、往々にして、最も届いて欲しいような人物には最も届かないものだ。「駆け込み乗車はおやめ下さい」とかね。
閑話休題。公職選挙法の範囲内で一番票集めの効果が高くて期待値が高いのが票集めパンダ議員の擁立なんだろう。政治に興味がなくても、信用してるとか有名人になら力になりたい、という動機によって投票に結びつくわけだ。ほかにはマスコミのプロパガンダ放送も大きい影響がある。印象操作とか捏造や偏向は日常的に行われている。
ただそれらはどちらも、本来の国民の投票にあるべき動機とは関係がない動機を煽り利用するものだ。いわば有権者の選挙権乱用の教唆行為といえる。しかし、憲法は権力を縛ることが基本なので、仮に選挙権乱用だとしてもそれに対して罪も罰もなく、誰がどこに投票しようが秘密は守られるし勝手でしょというスタンス。なのでそれら乱用や教唆を咎めるものが何もないので、悪気もなければ反省にも繋がらないのだ。ビジネスで言うところのPDCAサイクルが回らない状態。なにもカイゼンや是正がされないのだ。
自分は、投票率が66%とか50%を切っている時点で、「多数決が原則」のポリシーに照らし合わせて解釈をすると破綻していると思う。憲法は、投票率がこんな下がることを想定して作られてないんじゃないだろうか。仕様漏れである。それなら、その状況を鑑みて憲法システムの仕様を見直すのが自然だと思うんだけど。18歳から選挙権与えるとか、小選挙区で1票の格差があるとか、そんな細かいことじゃなくてもっと根本的なレベルの話が必要じゃね?常識的に考えて。でも全然なおす気無いみたいだよね政治家たちは。だから、もはや本来あるべき投票への動機そっちのけで別次元での票集め戦争をこれからも続けて行く所存ということみたいだよね。
それでもあくまで、形式上は「国民の本来あるべき動機によって私が選ばれました」といった旨の当選の挨拶をする。こういうのを茶番って言うんじゃないの?微妙に違う感じもするけど近いものがある。民主主義でもなんでもない名ばかりだよね。有権者の半分も投票してないんだもの。
衆愚が悪いというよりは、憲法さんに言わせてみれば「国民を信じた俺が馬鹿だった」といったところか?
冒頭に書いた、長時間労働や不安定雇用が解決されていけば、有権者に余裕も増えて行って投票率が上がるという期待もあるかも知れない。なんか雇用対策もいろいろやるみたいだけど、どうなるんだろう。まあ投票とか以前に人生の幸福度という、もっと直接的で重要な問題の解決にもつながることだし。
なんか国民が選挙権乱用したりマスコミに左右されたりそうこうしているうちに、独裁制移行へのカウントダウンのカウントダウン、みたいなものがはじまった。
独裁制ってこわい感じがするけど、政治家が衆愚の票に左右されずに済むから無駄な労力が不要になって議決もスムーズに行くからテンポは早くなりそうだ。石原都政みたいな感じ。その点は変化の早い時代には良いかも知れない。
独裁と表現規制はセットなのだろうか。表現を作り出したり、表現を消費したりすることをしない人にとっては関心が低そうだ。自分はどちらもするので大変だ。ポイズン。独裁制になっても、べつに権力者が賢い判断をするのなら、不満の総量は少なくなって幸せになるかも知れない。独裁制で頭悪い判断するのが最もタチが悪そうだ。日本はこれだけ表現の分野で世界的影響を与えているのに、その表現を規制するのって賢い判断に思えないんだけど、どうなんだろう?自分のほうが賢くないだけなのだろうか。独裁と表現の自由って両立できないものなのだろうか?
そもそも、独裁制における権力者って、どういったモチベーションで行動を起こすものなのだろうか?遠隔操作とか赤い国とかみたいにメンツにかかれば時代錯誤であっても躊躇わない行動に出る気まぐれにオレンジロードを突き進むのだろうか。
衆愚を抜けたら、そこには暴君が待っていました。的な
かまってちゃんと言われてもいいから少し吐き出させてもらいます…
叩かれるのは嫌だけど、ここも匿名だから叩かれんのかなあ…と思いつつ。
自分なりに頑張っているつもりでも、うまくいかないことばかりで疲れました。
何よりも産みの親に愛してもらえなかったこと、捨てられて祖父母に預けられて育ったはいいがひどいことを言われ続けてきたのがトラウマで…
見返してやろうと思って仕事に精を出し、自立したまではいいが過労によるストレスで鬱発症、結果実家に逆戻り。
鬱は甘えかもしれないし別にそう言われること自体は構わないのですけど、働けないという事実、家にいると祖母に嫌味を言われる(どころか祖母は考えの古い人で鬱病を理解してくれない)
褒められることがなくてもせめて人間並みの扱いはしてほしかったなあ、とか。
顔は不細工だし他の人から見ると挙動もおかしいらしく笑い物にされたり直近の職場の上司にも無視され続けたり。
卑屈すぎるのはわかってるんですが(外見も努力次第でカバーできることも)いわゆる勘違いブスにもなりたくないです
さてこれからどうしよう。
死ぬことは散々考えたし実行もしたものの未遂に終わって今日に至ります。
自分と向き合って病気を治して、それから可能なら働くというのが最善なのでしょうけど、つい最近までこんな考え方もできないほど衰弱していました。
ここに書き込んだことももちろんすべてではないし、嘘は書いていないが結局主観でしかないし…
LINE 最近いれたんだが、俺アドレス帳完全に空っぽなんだ。
お互いアドレス登録してないのに、相手に友達として表示されるってありえるのか?
教員をやってるんだが、先生私の番号何でしってるんですかって詰め寄られたんだ。
iPad に LINE いれただけだからアドレス帳空っぽだし、全然知らないんだけど、って言ったんだけど。
変態教師扱いされてるのか?
唯一の心当たりは共通の知人がいるということだが。
その共通の知人のアドレスも番号ももちろん iPad には入ってないし、LINE でもいれてはいないのだが。
Facebook みたいに、共通の知り合いがいる人が表示されてるだけなんか?
俺の番号を入れてる人が LINE してたら、その人の友人みんなに俺が表示されてるってことなのか?
なんなんだこれ?
ますだでは感情にまかせて書こうと思っているので文章がぐちゃぐちゃなのは許してください。
わかってはいてもすぐに溌剌とはなれない自分がいます。すみません。
他にもコンプレックスは持っていますが、もちろん誰しもがなにがしか持っていると思いますが
一般的になりやすい割には、はげはかなりつらい部類だと自分では思っています。
もちろん大変な怪我や病気をされてもっとつらい思いをしている方はたくさんおられて、
手も脚もあってよかったとは思います。
それはそう思うのですが、だからといってはげていることを世の中でネタにされているのを平気になれるわけではないです。
何歳なら、というのは結局何歳になっても気にはするでしょうが
とはいっても若いうちにはげるのはつらいです。まわりはみんなはげてないです。
楽しそうです。
パチンコ店に朝から並んでいる人を見ても、はげてなくていいな、
うらやましい、とおもいます。
すみません、パチンコが好きな方の気持ちを害したらごめんなさい。
成人以上の男性なら、どこかで自分もなるかもしれないという恐怖があって
その上でネタにしたりするので(もちろん人によりますが)限度があります。
女性はなんでしょう、お肌の加齢は笑いの対象になりませんよね。
「一般的におもしろい、わらえる」対象としてはげを扱いませんよね。
あべひろしやわたなべけんがかっこいいからっていうのは
正直年齢が違います。僕もわたなべけんくらいの年齢であれば開き直ってダンディ路線で生きて行けたかもしれません。
以前僕がまだ、自分では気にしているしお風呂などに入ると明らかにきてるとわかっている
僕ははげを気にしていると知らず、「あの人ははげてるから云々・・・」とねたに会話でされたりしていて
自分もそういう風にいわれる対象になるんだなとおもってつらいおもいをしたこともよくあります。
女性は残酷だな、自分の美しさに無自覚だというのは残酷なことだなと思いました。
イケメンだとは言われないですし自分でももちろん思っていないですが
身だしなみなどは、おそらくコンプレックスが強いがゆえに
多少ほめられることも多かったです。
でもほめられたくはなかったです。ほんとははげてるから。
ほめられるほどにつらかった。可もなく不可もなくほめられもせずけなされもせずにいきたいんです。
ぼくをほめた人は、同じ口で、はげてる人をけなしてました。
はげた後に会ったら、僕にどんな態度をとるんだろう。こわいです。そういう気持ちになります。
期待して、失望されるのはつらいです。やめてください。と思います。
ネガティブですみません。反応してもらってとてもうれしかったです。ありがとうございます。
人間は生物である以上、子孫を残そうとすることはまったくもって自然な事である。しかしながら最近は、子供を産むことがまるで馬鹿げたことであるかのような論調を少なからず目にする。そこにはどんな理由があるのだろうか、8つに分類してみた。
1. 子供を作るより他に成し遂げるべき大義がある
世界で自分にしか出来ない重大な仕事があり、そのためには子供を作ることで失われる僅かな時間すら無駄には出来ない人達。ご苦労な話だが、こういう優秀な人にこそ子孫を残して欲しいものである。
2. 勘違い野郎
自分を1に分類されると勘違いしている人達。実は代わりなんていくらでもいるくだらない仕事をしていたりする。本人には気の毒だが、せいぜい頑張って社会の役に立ってもらおう。
3. 自己中
子供を育てるなんて大変すぎる!と言って、孫を待ちわびる父母や祖父祖母の気持ち、衰退する社会の事など考えもしない。そんなだから老後は誰にも看取られず孤独死する運命。こんなのが増えても困るだけなので、お家断絶させて正解。
今は元気でもやがて肉体も精神も衰え、ただ社会に寄生してきた過去を嘆く虚しい老後を送ることになること、自分の命がここにあるのは、先祖が何千年、何万年と命をつないできた結果であり、自分が子供を作らなければそれがここで終わること、子供は未来そのものであることなどが理解できない。要するにバカ。彼らにもまた清く死に絶えていただきたい。
5. 自分自身が失敗作
頭や見た目が悪い、社会に必要とされていないなどのコンプレックスがあったり、兄弟親戚に障がい者がいるなど、遺伝的に欠陥がある可能性が高いなど、自分の遺伝子を残すことは賢明でないと判断しているケース。ただし遺伝的欠陥は将来の医療で克服可能になる可能性も高く、こういった人達が子供を作らないと言うのはやや勿体無い気もする。
6. 甘えん坊
今の世の中で子供を作るなんて無理!お金がない!などといつも人のせいにしてる人達。運命を自分で切り拓く能力が欠如してる人達とも言える。まあ3-5に分類される奴らが、自尊心を守るため6になっている可能性もあるとすればかわいそうな話。
7. 迎合主義
何で子供作らないの?周りが作るのは馬鹿だって言ってるから。要は自分の意見無し。子供を産まないのも人生の選択肢なんて言うのは、基本子供が欲しくても出来ない人達への慰めでしかかない事にももちろん気付かない。
でも正直にそう言うと、周りに気を使わせてしまう。だから要らない、作らないという人達。悲しい話である。上記2-7に属するようなバカどもは放っておいて、彼らこそ医療や社会で救っていくべきではないだろうか。
他にもあれば追加して欲しい。
今日彼女が作った弁当食べて、ああ幸せだなあと思ったら泣けてきた。
未来とか見えないし。これって私がレズだから見えないのか、それともゆとりだからなのか。
衝動的に生きて、他人の事なんか知らねえし、好き放題いきて
あと3、4年で死ねばいいかな、みたいな。死ぬ方法考えとこー、みたいな。
ちゅうに臭いんだけれど、こう書くと。でも、ほんと、さくっと死ねばいいか、みたいな感じだった。
でも、なんか初めて、長く生きてもいいかなと思った。今日さ、卵やき食べたときに。
あー死ねないなと思った。
すごいね、愛って。これがいわゆる愛ってやつなんだとしたらの話なんだけど。
誰かを愛するって、世界も愛せるようになるってことなんだよ。すげー。
世界がいち早く滅びる事をお祈り申し上げてた私としては、すげーなーって思った。
まあ、相変わらずいきづらいなあとか思うんだけど。
親兄弟にもカムアウトしてない、友達(てきな人)にもカムアウトしてない。同僚にももちろん。
誰にもカムアウトしてない。
女子ってのは、ほんとびっくりするくらい恋愛系の話ばっかりなんだ。
この年になれば生々しい話題が一番盛り上がるから、中途半端にごまかせない。
人と会わなくなっていって、視野が狭くなって、仕事にも影響する。
やっぱり、常にいろんな人にあって情報交換してしゃべって、っていうのじゃないと
アイディアもうまれづらいし、リフレッシュもなかなかできないからね。
最近人としゃべったりお出かけしないから、ファッションとかもどーでもよくなってくる。
ダサ子確定で、また人がよりつかなくなる。もともとイカツイ見た目してるのも災いして。
いきづれーわー
まじいきづれーわー
いやなんだっけ、違う、彼女の話。
本当に大好きだ。結婚したい。
ていうかもう100回くらい結婚してっていってるけど。
一緒に住んでるし、私の脳内ではもう結婚してる感じなんだけど。
だって、愛してる人と自分の遺伝子半分ずつ受け継いでる子供だよ。
すげー。泣きたくなるくらいうらやましい。ノンケの皆様
本当にうらやましい。だってすげーことだよ。この世の宝じゃん。奇跡じゃん。
そんなもん産めたら死んでもいい。いや、いきる!
すげー。いいなあ。それが手に入るなら、全部捨てちゃうよ。
養子が欲しい。
でも今の日本だとむりかねー。
子供のこと考えるとね。
なんていうか死ねばいいって思うようになる
ターミナルが来たらもう助からないからどうでもいいだろって思ってしまう.家族がまだ助かる見込みがあるとか言ってるのを見るともう無理だよって絶望させたくなる.未告知に告知したくなる衝動と戦う.
重症患者はどうでもよくなるし,入院処理とか面倒だからこの場で死ねよっていいたくなる.面倒なのでメロペンを使いそうになるけど書類とか面倒なのでゾシンにする.腎機能とか考えるのもだるい.死ねよ
なんか週末にいきなり情報が出てきた鉄拳レボリューションですが、なんだかシステムの情報見てると
基本無料でゲームを始められるのはすごくいいと思うんですが、プレイを継続することにより
キャラが育成できてパラメータを成長させられる、っていうのが引っかかるんです。
初心者って、途中からももちろん入ってきてくれないと駄目なんですけど、このシステムだと
後から参入した初心者はプレイスキルの壁に加えてパラメータの壁にも新たに道を阻まれることになります。
そこで、ゴルフのハンディキャップみたいなシステムはどうでしょうか?
要は初めてキャラを選んだときはパラメータがブーストされた状態からスタートして、
プレイヤーのランク(鉄拳は段位でしたっけ?)が上がるにつれパラメータを削って
最終的には素体のステータスでガチ勝負するようにしたらどうでしょう?
そうすれば格闘ゲームで初心者を遠ざける元凶である「初狩り」をある程度阻止できないでしょうか?
カードを買ってキャラを新たに選択したときだけブーストキャラが選択出来て、
カードなしだと素体のまま、って状態にすれば安易な「初狩り」は抑制できます。
カードを買いまくってブーストキャラ作りまくって「初狩り」するクズはどうにもなりませんが
今よりよほどマシな状態になりませんかね?
また、初心者プレイヤーからしてみても、ハンディキャップが徐々に減っていくというのは
システムに自分が徐々に実力を認められていく感じがして、パラメータを削る際のイベントの見せ方によっては
ゲーム会社がやっと本格的にプレイヤー層拡大に向けて重い腰を上げた点については
非常に素晴らしいことだと思うんですが、格ゲーで「初狩り」の撲滅って
渡邉美樹の考え方にも割と賛同して著作も何冊か読んだ。
社員が一ヶ月で休みが数日あればいい方という感じで明らかにキツそうなので敬遠した。
ワタミは確かにきつい仕事でブラックと言われてもしかたがないと思うが、
特に「渡邉美樹は社員を奴隷としか思ってない守銭奴」「社員に劣悪な環境を提供するぐらいならまずは自分で働いてみろ」みたいな批判。
違うんだ、渡邉美樹は腹黒い経営者とかではなく、本気で自分の理想を語ってるんだ。
社員が24時間365日働けるような環境を提供してお客様のためになることが
ほんとうに素晴らしいことだ本気で信じてる。
現に渡邉美樹自身が最初は居酒屋の店長としてがむしゃらに働いて会社を大きくしてきた。
そして本当にお客様の事を考えれば誰でも自分のように働けると心の底から思ってる。
だから厄介なんだけどな。。。
先月くらいにこんな記事がsnsでかなり拡散されてて、思ったことがいくつかあったので誰も読まないと思うけど。
http://irorio.jp/sousuke/20130509/57662/
SNSで食べ物に関する内容ばかりアップしている人は心理的な問題を抱えている可能性あり
もしかしたら自分のことなのかなっていう心当たりしかなかったので書いてみます。
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私は23歳で、高校生の頃に不登校になったりしたけど結果的に大学を卒業して
今は普通に働いてる。
幼い頃から、父親の返ってくる時間がかなり遅く、母もストレスが多い職場に勤務していたために、
食事の場所は母親のストレスのはけ口になっていたこと、ご飯を食べながらテレビを見て、
あまり会話することもなくて、小学校の頃からご飯時間が嫌いだった
家族とご飯を食べる時間が揃わず、冷えたご飯を電子レンジで温めて誰とも会話をすることもなく
ごはんを食べる生活をして「孤食」っていうと、まさにこの事みたい。
学校で弁当を食べるときも、1人で食べて、誰かと一緒に食べた思い出も辛い記憶しかない。
家でも学校でも外食しても、次第に自分の中からはおいしいっていう感覚はなくなって、
ご飯なんて流動食的に、短時間で安くお腹と適当に栄養だけとれればいいんじゃないかと感じた。
ご飯を作ることは美味しく作るということは、考えたこともあったかもしれないけど
適当に作れば食べれるし何も苦労しなくなり
マグカップが8つとか集まったり、体重が2ヶ月で10キロ増えたり、
その後ご飯を全然食べられなくなって、1ヶ月で15キロ減った。
学校に行ったら先生が「だだだだだ大丈夫?」って声をかけられた。
薬の副作用でもあったみたいだけど、
過食と拒食の摂食障害があるくらい普通でした。(今はだいぶ治ってきてます)
そして、
「何を食べても、美味しいと思わない」
ずっと、おいしいって言ってるのが偽りだったり、お世辞だったり、みんなそう言っているから
と合わせてたことの方が多かった。
ご飯を食べられない人がたくさんいるということももちろん知っているけど、
私は何を食べても美味しいって思わないし、
人並みの生活もできていた。
って言われた。
おいしいっていう喜びを感じてるのかもしれないし、
誰かと一緒に食べることで、話す能力が上がったりするのかもしれないし、
お互いをわかってあげたりするのかもしれない。
きっと世の中は、私みたいな人が少数で
ほとんどの人は美味しいと感じているのかもしれない。
でも、その女の子はすごいご飯を食べてる時、
笑っていたし幸せそうだった。
世界には松茸とか、フォアグラとか色々高い食べ物があるみたいだけど、
きっと、世の中にこういう人が溢れてくるのかもしれない。
でも、こんな風になる人を1人でも減らせたらいいのにと思う。
そうなんだよな。
この春から教員になって授業持つようになったから、学生が案外幼くて戸惑っているのも正直なところ。
いままでポスドクだったし、まわりの学生って院生しかいなかったからね。
関わり方が難しいなと思う。
俺自身の生い立ちを考えると、苦しんで失敗しても、自力で考えて答えを探すことに価値があった、と思うし、
結局、自分でいろいろ考えていける子になってもらうしかしょうがないんじゃないかなと思うんだが、
いや、実際関わり方が難しいよね。
これを防いでやるべきなのか、それを経験させることが学びなのか。
俺のすべきことは教えることなのか、学ばせることなのか…
難しい。
相手にももちろんよるんだろうな。
なぜKindleではないかというと、常時PCからネットに接続できる環境にあるため、わざわざ専用端末を
用意してまで電子書籍を読む必要性がゼロだったため。電車やバスでの通勤がないせいもある。
Kindleもちょっと込み入ったやりかたならPCで利用できるらしいが、そこまでの手間はかけたくなかった。
自分の読書のスタイルだが、趣味的に人文系の新書や、学問の成果を一般向けにわかりやすく書いたような
本を多く読む。それも体系的に読むというよりは、興味の赴くまま気の向くままといった感じで、
で、興味のあることについては、とりあえずはネットを調べてみるのだが、ネットというのは、
「ここから先」についてはどうにもわからないことが多い。そこから先は書籍の世界だ。
それを「知りたい」と思った瞬間に本を買える、というのは想像以上のメリットだった。
別にアマゾンで紙の本を買っても同じかもしれないが、自分のように「趣味でしかない」読書の場合だと、
調べ物というのは一種の情熱のなせる業であって、ひとつづきの情熱のなかで調べたい。
そういうときに検索からのひとつながりとしてそのままシームレスに本を買えるというのは、ありがたい。
電子書籍を利用しはじめてから、本を買う数は爆発的に増えた。1日から2日で1冊といったところだ。
その「ちょっと考える」感じが、購入をためらわせる。物理的にかさばるという問題ももちろんある。
特に新書なんかだと、知識を仕入れて自分なりにまとめれば、それで本そのものは読み返さないことが多い。
結果、たまる。
ひとつひとつは小さいことだが、トータルで考えるときに「紙の本を買う」というのは、ややストレスがある。
それがないことによって、本を買うようになった、という感じだ。
デメリットとしては、品揃えが悪い。これに尽きる。
Kindleのことはよく知らないので、ひょっとしたら状況は違うかもしれないが、
電子書籍を買うにあたって、どうやら自分は無自覚に「品揃えがよい」という信頼を抱いていたらしい。
それはおそらく「探せば何かはある」というネットに対する信頼の延長線上に電子書籍というものを
品揃えが悪いという事実に気がついたときに自分が考えたことは「図書館に通う習慣を復活させたほうがいいのでは」
ということだった。
自分の感覚では「品揃えが悪い」ということは、電子書籍のメリットそのものをみずから殺しているのに等しい。
品揃えのことでは「学術寄りの本の品揃えはもうちょっとよくならないのか」ということもある。
ああした本が高いのは、小部数では相対的に出版コストが高くなってしまうからだろうが、
電子書籍ならそうはならないはずだ。
まあ論文についてはすでに閲覧のシステムが完成しているということもあるのかもしれないが、
それにしても3000円や4000円クラスの「ちょっと噛み砕いた」学術書を読みたいと思いながらも、
価格の問題で手を出しかねている人は決して少なくないと思われる。
そういうものを期待したい。
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その後、空っぽになった僕は地元に連れ戻され、予備校の寮に叩き込まれて今に至る。休憩時間にこつこつと書き続け、ようやく回想が終わった。
結局、どこで間違えたのか。学校を選び間違えたのだろうか。何かのイベントや団体を組織しなかったのがいけなかったのか。そもそも東京に行ったこと自体が間違いだったのか。
皮肉にも夢破れて地元に帰り、死人のように予備校で勉強しているうちに、今更ながらわかったことがある。
「何事も基礎が大事」ということだ。W塾の先生が言ってた「前提」がそれだ。
勉強も、基礎がわかっていないのに発展問題をやろうとしてもそれは無理があるのと同じで、一高校生の身分で大学生や社会人の真似事をやろうにも所詮限界というものがあるのだ。
ここまで読んでもまだ、「いや、コイツは残念に終わったけれどオレはビッグな高校生になれるはずだ!」とか、「何言ってんだ、マークザッカーバーグやスティーブジョブスを見ろ。彼らは皆学校を蹴って新しく起業したんだ」とかいまだに思い過ごしている学生がいるかもしれない。
断言する。お前には無理だ。
「何を言う!まだわからないだろう!」と、画面の向こうから叫びが聞こえてくるが、言い分としてはよく分かる。かつての僕も同じだったから。
だがな、じゃあ何でそんなに崇高な志を持っているのに呑気にPCしてこのダイアリー見てるんだ?
本当の意味で「突き抜けている」学生は、たいていの場合自分が突き抜けていることにさえ気がついていない天才肌なのだ。確かに、「これこれこうで、こうしたいから自分はこうする」と、自らの情熱を制御して結果的に周りから見て突き抜けている学生も、いるにはいる。片手で数えられるほどには。
それ以外は、「気がついたら自分は周りから持ち上げられていて、テレビや雑誌からも取材を受けて、なんか大学にも推薦で合格していた」ってタイプだ。
これは起業とかにもいえるだろうが、どちらにしろ、本気で高校生時代に才能を開花させ、抜きん出ることのできる学生はほんの一握りだということを肝に銘じておいたほうがいい。あくまで僕の予測だが、そんな人は興味を示し集まってきた中で一万、いや十万人に一人いるかいないかだろう。
それでも自己顕示欲、フロンティア・スピリットとやらを押さえつけられないのならば、それは仕方ない。どうぞ自己責任でご存分に持ち前の力を発揮してくださいとしか言いようが無い。
今更になるかもしれないが、僕はそのとてつもないエネルギー自体は否定していない。成功して世の中のためになることもあるからだ。だけど、たいていの場合よく分からない方向へ向けられて、結局エネルギー切れになって方向性もうやむやになり没落する、それをもう見ていられないのだ。そもそもそれは今やるべきことなのか。
W塾でのあの一件以来なんとなく考えていて、地元に帰ってくる羽目になってようやく気がついたことがある。
何事もやはり学力が大事・・・なことももちろんそうなのだが、どうやら僕がそれに気づかない「空気」の中に3年間ずっと浸り続けてきたのだ。
例えば、脳科学者の茂木健一郎氏が、自身のblog上でこんなことを言っている。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2013/03/post-cfd5.html
然るに、「偏差値という縛りから日本の大学は早く抜け出すべきだ」とでも言いたいのだろうか。
しかし、その茂木氏のWikipediaを見てみると何だ。出身校に日本の最難関大学の名前が出てきているじゃないか。
これはどういうことなのか。
もし茂木氏が偏差値30の大学を出て、「僕もこんな大学出たけれど、それなりにつつましく生きています。日本は偏差値教育をやめるべきだ。」というのなら、まだ話は分かる。
茂木氏のほかにも、日本のオピニオン・リーダーと言われてる言論人や政治家、経営者のほとんどが難関大に入っていた。例外としてとらえるべき人は、GMOグループの社長で、放送大学卒の熊谷氏ぐらいだろう。
そんな偏差値70もあるような人が、「偏差値教育は悪い」と言う。抜けているんだよ、「前提」が。そりゃ彼ら自身は一流校を出て、そしておそらくその後も努力して今のポストにいるんだから、それは注目されてしかるべきだろう。そこは当たり前だ。
だが、その言葉を真に受けて結果BF大にしか通らず、企業の学歴フィルターに引っかかって無職やブラック企業、フリーターにしかなれなかった人たちには、どう説明するつもりなのだろうか。
そして、この僕も数々の講演会で彼ら言論人の言うことを純粋に真に受けて今の身分にまで堕ちた人間だ。責任をとれとは言わない。勉強を全然して来なかったのは僕自身の怠慢だからだ。
でも、「学生よ、もっと海外に出ろ」とか、「いい大学に入って、いい会社に入って、それで終わるつもりか?」とか、「安定を求めるな」とか言う前に、「当たり前だけど、勉強は大事だよ」という「前提」ぐらいは、講演会や学生向けの集会なんかでも言って欲しかったな、と。
これでは、自分のポジションを守るためにわざと偏差値にとらわれるべきではないと吹聴していると感じとってしまう人がいても文句は言えないだろう。僕は騙されてしまったのかもしれない。彼等だけでなく、自分自身にも。勉強もすればよかったのだから。
僕も、偏差値は人間性とか社会性とかは含まれていないのだから、偏差値至上主義にはもちろん反対だ。けれど、高い偏差値というのはしっかりと努力して勉学に励んだ証拠でもあるということも、決して忘れてはいけないと思うのである。
同じ事は、読書にも言える。よく読書週間などで読書が世間でも勧められている。書店に行けば「もっと本を読もう!」とあるし、大抵の大人も読書を勧めてくる。
しかし本来は、「自分のやるべきこと(僕の場合は勉強)もした上で、本を読みましょう」と言うべきではないのか。
僕のように新書などを何十冊何百冊と自らの興味のあるままに書籍を読んだって、大学に入れなければ先はないのだ。恐らく、就活とやらにも同じことが言えるだろう。
こんな所にも「前提」が抜けているのである。
最も、「こんな本を脇目もふらず何千冊も読みました。でも勉強はできませんが入れさせてください」「はい合格」という大学や企業があれば話は別であろうが。今のところ、聞いたことはない。
本を否定はしないが、本に逃げたり本に溺れたりして他に何もしないのもいけないのだ。
結局、この約3年間の時間は何だったのだろうか。
それも綺麗事を言って。これが世間でもある程度は通用するからよほどたちが悪い。
こんなんだったら、授業中は寝ててもいいから毎日学校に行くべきだった。その分、今償わされているのだろう。
だが、3年という長い期間のハンデは、そう簡単に取り返せる代物ではない。それでも、地道にやるしか僕の前に道は残されていないのだ。
おまけに先週、風のうわさでかつて僕が通っていた高校、つまりこの地元の高校から同じ学年の生徒が自己推薦でとある大学に入学していた事実まで耳にした。いよいよ、僕のこの3年間にわたる行いの無意味さが証明されたのであった。
さて、長らくに渡った懺悔の文も以上で終了である。本当に、多くの方々に迷惑をかけた。
ここを読んでいる方には、間違っても僕のような判断ミスを犯してほしくはない。
そしてもし中学生や高校生がこのエントリーを見ていたら、直ぐにPCや携帯電話から離れて、一心不乱に勉強して貰いたい(最も僕が言える立場ではないかもしれないが)。
なぜなら、権利には義務が伴うからだ…なんて言うと怒られそうだけど、実際「図々しい」ことに間違いは無いと思う。
だって、「私のある権利を認めさせる」ということは、「(私がその権利を行使できるように、)他人に何らかの義務を負わせる」ということでもあるわけだから。
そういう意味で、全く図々しくない権利の主張というのはあり得ない。
だから権利を主張するな、ただただ謙虚であれ…なんていうつもりはもちろん無い。
むしろ、もっと「図々しく」なってもいいんじゃないか、(特に弱者は)完全に「謙虚に」生きることなんて不可能なんだから、と言いたい。
他人に全く迷惑をかけずに、社会で生きていくことはまず不可能だ。もし一切他人に迷惑をかけたくないなら、死ぬしかない。(死なれても迷惑だ、とか言われそうだが)
特に弱者は、謙虚になり過ぎると生きていけなくなる。実際、「心苦しさ」から生活保護を辞退し、母と心中しようとしたというニュースも最近あった。
権利を主張することは図々しいことだ。しかし、それよりも更にずっと図々しいのは、「自制せよ、謙虚であれと他人に求め、権利の主張をさせない」ことだ。
もちろん、権利を主張していいんだったら、その主張を認めないということもあっていい。
しかし、主張の却下はあくまで、「主張をよく聞き、それが妥当か否か議論した上で」行われるべきだ。
同じ社会に生きる他人の主張を封じ込め、一切聞く耳を持たない。そんなのは対話の放棄であり、それこそ「社会人」として、最も恥ずべき態度ではないだろうか。
他人に過度に謙虚さを求める人は、それが如何に厚かましい行いか、得てして無自覚であったりする。弱者が弱者に謙虚さを押しつける場合は、特にそうだろう。
ただ、強者が弱者に謙虚さを押しつける場合は、その厚かましさを承知の上でやっているかもしれない。もちろん、厚かましく見えないよう偽装して、だけれど。
謙虚さは確かに美徳だ。ただし、謙虚であれと求められるべきなのは、声を上げて権利を主張する人ではなく、他人の口を塞ごうと躍起になっている厚顔無恥な連中に対して、であろう。
なんだかんだ書いてきたけれど、それでもやっぱり図々しくはなれないという人の気持ちは分かる。(つもりだ)
実際、自分もなかなか図々しくなれないし、無理になるものでもないと思う。(そんなこと言ってると、「お前は飼いならされている! もっと声を上げろ!」とか怒られそうだ)
それに、声を上げても無駄なんじゃないか、という無力感・閉塞感に日本社会全体が支配されている現状もある。
図々しくなれというのも、実は無理な話なのかもしれない。
だったらせめて、皆図々しくはならなくとも、厚かましくはならないでほしいなと、私は思う。
自らは特に主張はせずとも、数少ない声を上げている人の主張には耳を傾けてみてほしい。
その人の主張に賛同するなら、この閉塞感を少しでも打破するためにも、ぜひ応援してあげてほしい。(社会運動は起こすには、最初のフォロワーが大事だと聞く)
もちろん、聞いてみた結果その主張が嫌だと思ったら、「あなたの権利のために、そんな義務を負わされるのは御免だ」と言ってももちろん構わない。
とにかく間違っても、他人の口を塞ぐような真似だけはしないでほしい、そう思う。
最後に。
僕が電動オナホA10ピストンを実際に使用してみた率直な感想はとにかく感動ですよ!(笑)
まるで他人にやってもらっているかのような感覚がたまらないですwww
そしてそんな電動オナホはM男の気質がある方にピッタリではないでしょうか。
こんな機械でこんなことしてる.....という背徳感が一種の興奮材料になるのです。
A10ピストンで自動でシコられている間、頭の中では好みのあの娘にされているのを想像しましょう。
う〜ん、コーフン♡♡♡
またAVを見ながら使うのももちろんいいですが、シーンとした部屋の中でA10ピストンをウィンウィン鳴らして使っているのも何とも卑猥でゾクゾクします。
こんなものでイカされる自分.....そのシチュエーションに興奮するのです。
ドクドクと波打つ射精.....そう!いつもより何億倍もの快感を味わうことができますw
イク瞬間にはあまりの気持ちよさにこの電動オナホA10ピストンを両手でギュッと握りしめてます(笑)
それはまるでフェラをしてくれている女の子の頭を押さえつけるようにね...
フェラをしてもらっていざ口に出そうとする時、相手の女の子の頭をグッと寄せて思いっきりチ◯コをのどの奥まで差し込んで射精するあの気持ちよさ。
まさにあの感覚ですよ!
でも低速で奥まで差し込むと、トルク不足で止まるからそういう時は高速バージョンでw
はい。ということで、あの感覚を電動オナホA10ピストンを両手でグッと掴むことにより味わえるわけですよ!
この快感をぜひ。
経済効果ってのは、分配した金が単に消費に回るだけだと効果は薄くて、その金を基点にしてなんらかの成長をしてくれるのが理想なわけですよ。
たとえば年収200万のやつに30万配ったら、その金で職業訓練受けるとかして、年収300万になってほしいんだ。あるいはトラック3台もってる運送業者に1000万配ったら、もう1台増やしてもう1人運転手雇って、事業を拡大してほしい。
でもこれが実際のところは、本当の貧困層に直接金を回すと、増田の言うように全部消費に使われちゃって、結局ずっと同じだけ金を投下しなくちゃいけないことになる。
「とりあえず今のままでいい」と、「将来心変わりするかもしれないけど、今のままでいい」は全然違う。
マツコが覚悟しなさいって言ってるのは前者に対して。
心変わりすることもある、という可能性も踏まえつつ、いつか心変わりした時のために信頼できる彼氏くらい作っておこうと考えておくのか。
それとも、何の対策もしないまま年をとるのか。
っていう話だ。
しかも、彼氏くらいつくる、っていうのは、いつか子供が欲しくなったときに速やかに子づくりに取り組めるくらいの彼氏または旦那を作って
いろいろな可能性を話し合っておく、ってことだよ。
生涯こども作らない可能性も、不妊治療する可能性もふくめてね。
全然なにも考えてこなくて、急に気持ちがかわって、「やっぱりこども欲しいわ → 翌年出産」
ができるんならなんも考えなくていいんだよ。
でも、35超えて、未婚で、子づくりも考えたことなくて、体力も落ちてて、人生観もいまさらいろいろ変えにくくて、
そこからやっぱり気持ちが変わったから出産したい、って簡単なことじゃないよ。
ってマツコは言ってんの。
だから、まじめに人生を考えて、気持ちが変わったら子づくりに向かえる可能性も残した環境の準備もしておくのか、
とりあえず今は考えられないから別にいい、ってするのかでは、えらく変わってくるよ、って話。
あ、考えた結果、絶対にいらないって結論でももちろんいい。
俺の昔付き合ってた彼女なんて、2日先の予定すら考えられなかったからなあ。
会うときは、「これから会える?」って向こうからの電話だけだった。
ああいう女が増えてるんだろな。
要はあれだ。
自分の人生が、いつ誰とどういう生活をしてるだろうか、していたいだろうか、ってビジョンを、考えたこともない女が問題だ、って話だ。
ライター(笑)の古田ラジオさんの作品を仕方なく「読んであげた」。 - とある青二才の斜方前進
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20130505/1367758802
より。
アニメで言うと「凄腕の原画マン」だけでアニメは作れない感じ。作れるんだけど、背景が雑になったり、(全部一人で書かない限り)絵柄が崩れて醜い感じ。典型的なのが「松本憲生」さんというNARUTOや鉄腕バーディーなどのアニメに携わっている人のアクションシーンの作画。「アニメとしての疾走感」が話題になるが、彼が1パート丸々担当したシーンは背景もキャラの顔、モノの質感も崩れる。演出で「崩してる」のだが、20分間のうち彼の担当するパートだけ別のアニメのようになってしまう。
あのね。ふつうアニメーターが描いた背景は絵として画面に出ないの。
逆に言うと背動しないとこで見られることはめったにない。
何か勘違いしてるんじゃない?
それとNARUTOやバーディーはそもそものデザインが簡素なの。
少ない線で立体を表現することを美としている人たちなのよ。
あと逮捕しちゃうぞの2話は見てる??
あれ見ててもこんなこと言えるの?????
そのデザインをうつのみや立体の描ける憲生が作監することによって至高の人体になってるの。
アゴを見ろ首を見ろ指を見ろ。わかるか?
濡れたあとのタオルで拭いた髪をこんなにエロく描けるやつ他にいる?
ずっとワイシャツ着てるアニメだからシワも贅沢に楽しめるようになってる。
Fate/Zeroみたいな棒立ち糞アクションならあんまり変わらないんだけどね。
有名なのはNARUTOの「ナルトVSペイン」の作画シーン(一応、松本さんがしたことになってるけど、後半はちょっとだけ違う人のパートも出てきます)
むしろ後半が全て松本憲生だ。その動画だと8分過ぎからラストまでがそう。
当時話題になった5分過ぎまでは山下清悟パートで、作画オタクの誰もが彼の仕事だと最初からわかっている。
わりとうまいのでバーディーでも松本憲生と間違えられたことがある。
ネット作画論壇以前、フリクリやアニメスタイルがきっかけの現行世代の古株。
グレンやコイルから入った未だにニワカと呼ばれるかわいそうなやつら。
その中でも一番厄介なのがNARUTOの松本憲生で目覚めた人間。
30話や133話を見て作画オタクになったやつは憲生狂信者と言ってもいい。
…作画オタクから「こっちがむしろスタンダードで、予算がないから制作枚数を制限してる。日常シーンだってヌルヌル動きまくるアニメ(例:『涼宮ハルヒの消失』『劇場版けいおん!』など)も予算と時間さえあれば、作れないわけじゃない」と言われそうだけど…ここで言いたいのは、そんな話じゃありません。
私たちはヌルヌルという言葉を肯定的な意味で使うことはありません。
かんなぎ2話のような無駄に枚数のかかった気味の悪いアニメを批判するときにのみ使います。
あとヌルヌルしていることと動いていることは直接関係ないからね?
ヌルヌルを褒め言葉、動いている様を指す言葉として使うことは絶対にやめてください。
これはid:TM2501さんだけでなくみんなへのお願いだよ。
id:TM2501さん、パートチェックすら怠るあなたはまだニワカにすらなれていません。
それで何も感じなければ才能がありません。
潔く諦めて今後一切作画に言及しないでください。
①
>これはそういうゲームなのです。
ゲームは現実を基礎として可能性や実現度に関して人間の知覚において擬似的に体験させることで快楽を得る嗜好の形態です。
現実がゲームに似ているのではなく、ゲームは現実を基礎として現実の世界において存在できるように作成された商品です。
ゲームが現実の下位クラスであることを認識するには大人になって感覚による知識などを得ることが必要ではないかと想像されます。
現実のルールを基盤にしていないゲームがなにかひとつでもありますか。
たとえば「夢」は現実にはいまのところ存在していませんが、夢と似た構成のゲームがありましたか。
「Aさんに声をかけたらBさんだった。Bさんはカエルで、私は橋を渡ろうとしたら足元が崩れてちがう商店街に移動して、お店で飲み物を買おうとしたらそこは実家だった。実家は農家でまわりに民家はなく。」
みたいなストーリーを自分自身がたった一人体験したという以外の話を、夢という記憶に近い情報を共有できていない現在の段階で聞いたことがありますか。
現実のルールを基にしてはいますがそれをゲームという感覚で共有しようとしている行動自体が「夢みたいなもの」ではないですか。
あなたの夢見た世界を現実にする手段としてはゲームがあると思いますが、世界はオーナーもメーカーもユーザーも無いですよね。
世界を支配しているのは特定個人だ、という「夢」も抱くのは自由です。それをおしゃべりして受け入れられる友達は、社会に出たら数が少なくなっていくのではないでしょうか。
②
>これから数十年後、日本の子供達は公務員の家族の子供がメインになります。
匿名掲示板で自由を謳歌されているようですが、匿名なので個人について意味はありません。どれが僕の文章ですと開示いただいた分だけをまとめとして情報を総合的に得ますがさらに他にも文章があったりまたは他人の文章を項目に加えても判りようがありません。
それを踏まえて匿名の方が特定個人や団体を指摘しても「フィクション作品にでてくる団体が実在しているか、またはそれらを具体的に指摘しているものか」という価値観には疑問を匿名である私個人は抱きます。
もちろん今後それが発生するか、その市場規模はと思い図ることができる情報でないことではあります。歴史上成功例があるから効果があるだろうというのは意味の無い発言ということになります。
では転じて意味のある発言と考える候補とすると「歴史上成功した例を私が実際に取り組み始めます。この結果がでることは自分は確信しております。」ということになります。
実行すること自体にのみ「意味」という他人の評価を得る結果を生成します。
行動すれば結果はでる、だがしないまたは行動しても結果は目に見えているという情報そのものはその時点で情報としての役割を終えている末端消費商材ですので、情報を得た時点で取引が終了しているものと同等の価値、転売時にどれほどの価値になるであろうかと考えます。
特定の業界を席捲した成功者がいかにして市場の全てを掌握できたかという伝記本を情報として販売したとしても、その業界にはもう他者の立ち入る隙は無いという裏づけ情報を手に入れてもその市場に入るための手段に自身の研究として使う以外、転売したりするときに本の値段以上の価値が発生するものでしょうか。
これからの時代、これがメインになる、これが大多数になるであろう、こういう流れになる、はどの業界のどの部分がどういう方向になるのか、ただ大きなタイトルをもってきて「こうなる」というのでは「大きな船は遠くまで旅ができる、しかし小さな港につけることはできない」といったなにやらすごい発言のようですが実際の船を所有するオーナーはそんな名言を教えていただかなくてもわかっている話で実際そういった条件を前提に行動をされていくことと思います。
この文章をはじめ、なにがどうなるというのを行動もせず発言すること批評すること、批評について賛同者に実行者を含めない場合または評論自体が感覚として自身が認識したことを羅列するだけでは「自分の感覚を自己紹介しているだけ」ということになります。
自己紹介自体には自己という存在を相手に知らしめることとして十分な意味がありますが、匿名である状態での自己紹介にはなんら意味はありません。
②が文章の大半を占めるので、お伝えしたい内容のほとんどになりますが最後に
日本、世代、現実、経験、理論などはご感想に述べられていることについてご自身と、お話をされていることとに一切関係がありません。
世界のなにがどうなっても、いつもどおりの仕事をしていつもどおりのお給料をもらって、いつもの買い物にいったらいつもと違っていてショック、ということになるかと思いますがご自身には変化が一切なく供給されるものについての変化にご自身が感想を抱くだけで、それはご自身単体の感想です。
「世界が変わったのにみんな何にも思わないのかよ俺だけが世界の異変に気付いているのかよ」とかフィクション作品にまみれているという雰囲気がまた未成熟さを感じさせるのだと思いますが、大人になればそこまでピュアな心を維持できません。
他の方がとくに顔色を変えずに消費税が割り増しされた商品を買っていく様子をみて「社会がおかしい」とかよりも自分の家計と会社の残業時間を鑑みることなどを一例にしたいと思います。
自分の残業時間で生産された商品が流通市場の何割り増しになってコストをいくら下げて売上がどれほどあがってそこからの納税分で社会サービスがいくら向上して社会がよくなるとか、考えなくても日々の業務を懸命にすることで成果はでるはずなので考慮する必要も意味もありません。
そのうえで労働と対価と社会性についてご自身の環境を疑問に思うことがあれば、発言の方向性はまたちがったものになるのではないかとおもうところから「社会生活が充分ではないのではないか」という感想を受けることになるのではないでしょうか。
総理がバカで右翼で経済が滞って日本人の意識が低くて戦犯で商品のレベルが下がった、とそういう見識をお持ちだとお話をされてなにがどうなるのですか。
だれが、どうするのですか。
ご自身が満足する以外に、ご自身が満足するためだけに自分のストーリーを人に「そうだね」といわせしめんとしている以外が、なにか文中に存在していましたか?
教育現場では「うんそうだね」とは言われなくても実際に今後行動する指針や論理の基盤としての知識をできるだけ記憶の引き出し上部にもってこようと繰り返し伝達したり、行政は「うんそうだね」という書き込みだけではなく実際に生産、消費、成長を促すことを紙切れに書いた文字や電子の塵にしないように印紙をはりつけて価値のある物質として約束を物質化したり発言を物質化したりしていますが、末端で消費する個人は自身の時間や身体能力などを消費して自分自身を切り売りしなくてもよい備蓄を得て、それを交換に他人の生産物と交換していますが、ご自身は消費するだけで他人から金銭を必要とするような生産、再利用性や価値を文中のどこに含まれていたかを考えて、「無料で匿名なのに再利用価値がある情報だ」という評価を一人の対話者から得ていることで「一人からは義務教育以下の消費行動である」と認識されている可能性があります。
世界に問題があふれているなら、解決してください
それをしている大人がわるい、というならだれが悪いのか、だれと話をしてどういう方向にすすめれば問題は解決するのか、個人名または団体に発言者ご自身が依頼できる数の案件を挙げてみてください。
たとえば、日本は最低でなんの価値もなくて失敗ばかり、なら日本以外の成功している国に移住してください。
移住できない理由について、移住を許可しない人間の名前と、移住を許可するための条件を教えてください。
移住先が見つけられないのであれば、日本よりよい国の条件を挙げてみてください。
また日本をよくするのであれば、誰がどうするかという意見はもちろん重要ですが、その人たちを動かすための方法とコスト回収方法を教えてください。
それらを解決しましょう。
移住したいがお金がない、とかあるかもしれませんがそれならお金を稼いでください。
どうやったらお金がかせげるか、それをご自身で考えるのは大人であれば必要だと思いますし、しろといわれたことをするのであればご自身の生活を24時間ソーシャルメディアで流せばいいのではないかと私は意見します。人にいわれたことに隷属しねぇ、とか言われるのでしたらご自身で考えてください。ご自身でお金の稼ぎ方が思いつかないのであれば、それがご自身の「国内での価値」なのだと思います。
「そういうのはわかんないんだけど、雰囲気として自由じゃないなーってゆうか、なんかもっとでかいことしたいし。俺を満足させられない世間って、俺さえも満足させられるようにするってことが社会じゃない?」
とか、権利は主張して責任、責任といっても「なにかしろ」という命令ではなく「自身に対する入金先の明示と、交換する有価物の項目を明示する」ことを責任と称しその責任を放棄している状態を「中学生みたい」と言われているのではないでしょうか。
買えもしない車の乗り心地を評論したり、いやなら出て行ける店に居続けて文句をいったり、こうするともっとよくなるという意見について実行内容に一切加担する要素がない状態のことを「きみのその行動をもし実際に行うとしたら、君ではできないので他に代理として行う人がいるのか」という状態を保護者つきという状態と表しているのではないでしょうか。
大人さんの方でしたら「税金、おさめてるし」以外の社会参画とご自身で取り組める改革についてご意見を発してみてはどうでしょう。
子供の方でも税金は納めてらっしゃいます。もちろん保護者の方のお財布から。
保護者の管轄化にあることが「子供」と評価される基準で年齢や容姿ももちろん含みますが「親に生活を維持してもらっている状態」を何歳になっても「子供」だと評価されることもあると思います。
子供である場合は「保護者の生活がよくなりますように」といった意見の出し方が理想的という基準からも「子供」と揶揄するにあたって、評価者の見解から小学生やら中学生などといった表現をすることがあるかもしれません。
仕事もお金もなくても、デモには参加するとかいう人も、いると思います。
行動だけじゃない、言葉にも意味がある、というのであれば公証人役場にいって印紙を貼るべきです。
有料サービスのWebメディアを使うことでも、それなりに価値はあるのではないかとも、思います。
この「私個人」という匿名の相手に対して一言一句、ご自身の感想を述べるのはご勘弁いただければと思います。匿名の私とあなたがなにをどう交流してもお互いにも閲覧される状態にも何も意味がありません。
私自身も、匿名のアノニマスダイアリーという日記をつかって自分の文字を自分のために書いただけであって、お返事を全文引用されて書かれても拝見できませんしお返事も差し上げることができないと思います。
もし返事をされても匿名ですので、返事を「送った相手からの反応」という事実としてお返しすることができません。
もちろん「私はこの文章があなたのものだと確証しているので、こう書いた」と「日記」に「自分の思い」を書かれるのはご自由です。
重ねて「そんなことはない、俺は大人だ。」という主張をする方法として挙げたいのは「ご自身の社会参画と憂思する案件に対するご自身の取り組みの紹介」を用いるで、指摘された「存在理由をビーコンのように発するのは出席簿に返事をする学生みたいなもの、哲学的にハイと返事しようが理化学的にハイと返事しようが大人は子供の夢想をにっこりわらって処理するだけ」を回避できるのではないかと、私は思います。
人に見せたりしない日記に、誰かや何かに対して、どうしたほうがいいとか、書いたりしたこと、ありますか。
匿名の日記が「日記」であることは、ご自身のためだけに記録する媒体であることを意味するにちょうどよいタイトルなのではないかと感じています。
アノニマスダイアリー自体に閲覧数が多いからそこに便乗して自己を個人として紹介していっても、だれにも見せない日記に本当の俺はちがうんだといくら書いてもというそれに似ていませんか。
世界を変えるにはまず自分から、その自分のために自分以外の書き込みもある日記という存在はなんだか有効に活用できそうではないかと、私は感想を持っています。
ファッション的な感覚で居たからそれがファッションとして機能しなくなって離れる、
っていう層ももちろんそれなりにいるんだろうけど、やっぱり方向性の変化っていうのがでかい気がする。
普段性欲は余りない自分が、柄にもなく「ちょっと一発抜きたいな」なんてふと思った。
着替えて、財布と携帯だけ持って外に出た。
お店に当てはあった。近くの、いつか友人と入ったことのあるとても小さなヘルス。
薄暗くて、カーテンで区切られた個室5室と順番待ちのソファ席が2つ。
勇気を出して中に入ると客はおらず、ちょっと金髪交じりの愛想のいい店長が一人退屈そうにしていた。
X号室一名様入ります!そう言うと仕切られた個室に促してくれ、おしぼりをすっと置いてくれた。
適当にウーロン茶を頼んで、目の前の虚空を見つめながら黙り込んでいると、
個室に二人なので少々気まずくもあり、そこは向こうもプロ。GWは長いんですか?なんて話しかけてくれた。
話題はGWの過ごし方、いま住んでいるところや地元のこと、仕事のこと、好きなプレイのこと。
あと、自分は初心者ながらにアナルを開発していて、偶然にもお互い開発済みの人だったので盛り上がった。
一通り義務的な日常会話を終えたところで、そろそろはじめますか、と聞いてみたら、先にシャワー浴びましょう、と。
女の子の背中にタトゥーがでてきた。タトゥーの女とか強そうでそんなのやったこともないよ。。けど意外といけた。イった。
女の子はいろいろな常連客のことも絡めて話してくれるので、話題はなかなか尽きない。
ちょっと話に詰まっても、ほとんど向こうから何かを振ってくれる。どこか客観的な自分がそれに感心しながら、
こちらもできるだけ会話をつなげようと頑張った。普段は無口なんだけど、その場の雰囲気を保とう、とか
そういうのがうまくやっていくのに大切なんじゃないかな、なんて最近思うところもあって。
話してて印象に残ったのは、人と人との情報交換やコンビニの夕刊によって次の店を決めるのもいいもんだよって。
ネットで女の子の出勤状況を調べてお店に飛び込んでいくのももちろんいいけど、夕刊見て指名フリーってのもありだよねって。
就職して上京してきた自分にとっては、仕事以外の女の子と接する機会もないから、そんなつながりが欲しかった。
気づいたら2時。
明日は昼から割引も兼ねてやってるからまたおいでよ、昼の部はもっと綺麗なお姉さんが出勤してんだ、とのこと。
これをきっかけに、少しずつ自分の人生に彩りが出てきたらな、と股間が膨らんだ非日常でした。
初めて一人でバーに行ってきた
普段お酒を飲まない自分が、柄にもなく「ちょっと一杯飲みたいな」なんてふと思った。
着替えて、財布と携帯だけ持って外に出た。
お店に当てはあった。近くの、いつか友人と入ったことのあるとても小さなバー。
勇気を出して中に入ると客はおらず、ちょっと白髪交じりの物静かなマスターが一人退屈そうにしていた。
いらっしゃい。そう言うとカウンターに促してくれ、メニューをすっと置いてくれた。
適当なカクテルを頼んで、目の前の虚空を見つめながら黙り込んでいた。
店に二人なので少々気まずくもあり、そこは向こうもプロ。GWは長いんですか?なんて話しかけてくれた。
話題はGWの過ごし方、いま住んでいるところや地元のこと、仕事のこと、これからの人生のこと。
あと、自分は初心者ながらにバンドをやっていて、偶然にもお互いドラムの人だったので盛り上がった。
1杯目を飲み終えたところで、おすすめのないですか、と聞いてみたら、すっきりめとかどうでしょう、と。
ジントニックがでてきた。ジンとか強そうでそんなの飲んだこともないよ。。けど意外といけた。酔った。
マスターはいろいろな常連客のことも絡めて話してくれるので、話題はなかなか尽きない。
ちょっと話に詰まっても、ほとんど向こうから何かを振ってくれる。どこか客観的な自分がそれに感心しながら、
こちらもできるだけ会話をつなげようと頑張った。普段は無口なんだけど、その場の雰囲気を保とう、とか
そういうのがうまくやっていくのに大切なんじゃないかな、なんて最近思うところもあって。
話してて印象に残ったのは、人と人とのつながりや縁によってその先の人生を歩んでいくのもいいもんだよって。
ネットで調べて正面からいろんなことに飛び込んでいくのももちろんいいけど、人づてってのもありだよねって。
就職して上京してきた自分にとっては、仕事以外の人と接する機会もないから、そんなつながりが欲しかった。
気づいたら2時。