2013-07-01

筋トレで気づいたこと

スポーツジムに通い始めて

2、3週間で見た目には現れてないけど

数字には現れてきており、

2.5kgくらい体重が増えて手応えが出てる。

今まで自己流でやっていて全然結果出なかったけど、

通い始めたら結果出てきた。

そこで考えたこと、気づいたこと

【その1】

自分のやり方の特に間違っている部分を

気づかせてくれる先生がいたほうがいいということ

成長とはプラスの方向の変化で、

変化するにはしばしば今までの

自分を否定することがカギになる

通い始めて自分の今までのやり方が

間違っていることに気づいたが

このように間違いを気づかせてくれる人やモノ、事象必要

本を読んで気づくこともあるけど

自分より先に行っている人と接していると

気づきやすいし気づかれやす

もちろん前提として

そういうことに気づける自分

否定を受け入れる向上心と柔軟性がある自分であることが

求められる

仕事でも上司ができる人で

良好な関係を結べたらラッキー

そうでない場合は周りを見たり、本やネットでの有識者意見

読んだりして気づくしかない

【その2】

モチベーションが湧いた時がやるべき時だということ

もう32歳だが、モチベーションが湧いた時がやるべき時で

やるべきだと判断したなら大抵の場合

遅すぎることはない

もちろん10代や20代でやっておけば効率が良かったのだが、

やっておけば良かった、あの時勉強しておけば良かった

負け組の発言で

だったら今からやればいい

過去出来なかったからこそ、今やればいい

いつやるのかと言われれば、今やればいい(笑)

そしてちょっと無理をしてでも

結果を出して次のモチベーションを手に入れる

モチベーションは実はコントロールするのが難しい

モチベーションは必ず枯渇する

ことを念頭に置きながら

モチベーションが湧いた時に結果を作って

次のモチベーションを手に入れるようにする

これによって何事も発展すると思う

鉄は熱い内に打て

初心は必ず忘れる

モチベーションの補給が鍵

【その3】

飽食の時代に生きる我々は

生きるために食うという、「食」への謙虚さと切実さが

薄れているということ

筋肉をつけるために

意図的に肉とか卵とかを多めに食べて

ちょっと苦しくても口の中に突っ込んでいる感じだが

そこでちょっと気づいたことがあった

人間原初的には当たり前だが

食うために生きているのではなく

生きるために食っているということ

そして食べることは快楽だが、

快楽は方便であって生きるためには

無理やり食べる、無理やり食べないことも必要

しろ今までの世界では食べないと死ぬので

(もちろん現代でも貧困地域はそう)

人類にとって無理やり食うことはデフォルト

味がどうとか、そういった快楽二の次だったはず

戦後日本も食糧難で食べないと死ぬ時代があった

その時代日本人は食べることに切実なので

割と体格がしっかりしている

俺らはやはり飽食の時代に生まれてきて

食べるといえば味、楽しみ、快楽

みたいに偏ってしまっているのではないか

そのような考えになりがちな

この飽食の時代には

健康に関する情報は多いけど

それ以上に不健康・不摂生に陥る落とし穴が沢山ある

快楽ももちろん方便として必要だけど

生きるために食うという

食べ物に対するへの謙虚さや切実さも

忘れてはいけない

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