はてなキーワード: 身分とは
ごく一部でおなじみ久保田学氏(現在、立川市議。藤井聡太棋士と同じ、愛知県瀬戸市出身。元AV男優)
十年以上前から、人気生主横山緑としてニコ生に君臨してきた彼は、女を数々食いまくった挙句、ニコ生で出会った元カノを二回堕胎させたり、遊びのつもりの女が妊娠してしまい逃げきれずに不承不承結婚せざるを得なかった、その妻が二人目妊娠中に、ニコニコ公式番組で知り合った若い女の子と不倫して泥沼離婚したあとDVを告発されたり、外配信ではなにかとエロ目線で見ず知らずの女を盗撮したりと、話題に事欠かない男である。
そんな久保田に数年前転機が訪れた。
N国党の立花氏にスカウトされた彼は、江戸川区に住んでいながら、一度も住んでいない何の思い入れもない立川市の市議にネタとして立候補して、まんまと当選してしまったのである。
この辺りの不可能を可能にするデタラメ加減が、上はヒカキンからシバター、コレコレ、かとじゅんなど数々の人気ユーチューバーを輩出してきたニコ生の中で、レジェンドであり続けた横山緑のデタラメなパワーと言えるかもしれない。
そして、横山緑から素顔の久保田学に戻ったスダレ髪の彼は、サイコパス特有の人あたりの良さで、いい人風をよそおい、なんとか議員生活をしのいでいくのだった。
(もちろん、その議員生活中にも、横山緑のファンであった女子が高校を中退して生主をやっているのだが、その女子に彼氏ができたとき、欲情を発したのか、彼氏のいないうちに寝取った、という事件を起こしている。が、立川市議という身分はこれではビクともしなかった。
また、心臓に病気を持つ生主の爺さんを放送のネタに出演させて、障害者どおし喧嘩させて見せ物にした挙句、数日後容体が急変して死亡してしまう、という痛ましい事件も過去に起こしたことがある。当然、横山緑は、最後によい思い出になった、と、俺は悪くないアピールをしていたが。この死亡の十日後、横山緑こと久保田学立川市議が爆誕してしまう)
だが、ここに来て、コロナ禍の最中の2020〜21年末年始に、アンチが喜ぶようなやらかしを、立て続けに起こし始めた。
そう、一部与党議員の気の緩み同様、彼も油断し始めたのである。
冬に入り、もともとウィルスの流行が予想されていたが、それが現実となってしまったのだ。
立川市議久保田学は、あいもかわらずニコ生に執着していたが、いまは不要不急の外配信をしない、と宣言した。
しかし、突然、彼は大阪に遊びに行った。飲み会に参加するためである。彼は昔から女と金を恵んでくれる四国や大阪のスポンサーに逆らえないのだった。
時あたかも、大阪でコロナ感染が拡大し、吉村知事が批判されていたころ。
不要不急に他県に行くことに、なんの罪悪感も無い彼は、東京に戻ると、自分の立場を忘れ、雀荘に入り浸り、さらにリスナーを集めて毎年恒例の競馬大会を強行する。
視聴者から一口もらって集金し、3連単を全通り買い、万馬券になったらリターンが返ってくる、という企画だ。
アホなユーザー十数人が集まった。
その中には難病の後縦靱帯骨化症であり、糖尿病を患う者もいた。
こういう自分より不幸な人間を横に置いて安心したい、という気持ちが、立川市議久保田学には昔からあった。
いまの立川市議には、ガジェット通信がニコ生で企画配信している「旅部」という番組中に出演したとき寝た女が愛人なのだが、その愛人が夜10時過ぎに、わざわざ彼らの集まりがメシを食っている映像を配信し炎上した。
立川市議の立場を考えれば、この映像流出は致命的であるはずだった。
だが、当然のことながら、マスコミはニュースにする価値も無い、ということで、彼は生きながらえた。地方にはこのようなトンデモ議員がキラ星のようにいるのかもしれない。
まさに、東京には、こういう奴らがたくさんいて、今のコロナの惨状なのだろう、と思えるようなアホな行動だ。
その期間だけ、彼は妙に大人しくなった。
リスナーからPCR検査を受けろ、と焚き付けられるが家に籠城し配信もせず、なんとか逃げ切った。
回復した彼は、次なる行動に出た。
表向きは、元嫁が育てている息子が小学校に入学するため、入学準備を手伝うという名目である。
リスナーは、この時期に他県へ向かうな、と抗議するが、彼は、スケジュール的に空いてる時は今だけ、子供のためだから、とかいう屁理屈をつけた。
年末、あれだけ遊び呆けていた男が言うかな。
そして、子供相手にコロナ疑惑の分際でシャボン玉遊びをしながら、一週間、東京での緊急事態宣言を横目に見ながら、ぬくぬくと北海道を満喫した。
それをなだめるために、この立川市議、またニコ生の放送をしばらく休止した。
今度はその愛人を連れ鹿児島旅行に出かけた、という噂が飛び交った。
おそらく機嫌取りに、どこかの温泉にでも行ったのだろう。
愛人がいるのも、なかなか大変だ。
東京に舞い戻った彼。
ハメ撮りAV男優時代から、映像作品を作ることに人一倍情熱を注いできた。
そんな彼が、人を集めて映画を撮ると言い始めた。
一月二十五日、撮影が始まった。
出演者の中には、数日後、心臓の弁を人工弁に手術するため入院が予定されている者もいた。
このような出演者の構成も、自分より下の人間がいてこその彼が持つ王様気質である。
当然、映画を撮って、いい汗流した後は、歌舞伎町で打ち上げである。
ここでも、事件は起こった。
出演者の一部が歌舞伎町で喧嘩を始めた。手下は、立川市議の連れだぞ、とうそぶいて、逃げきっていた。
ちなみに、やりがい搾取で、この映画企画の出演者はノーギャラである。
後日。
立川市議久保田学が、映画の小道具を全て自販機の裏に不法投棄していたというのである。
持ち帰るのが面倒くさくなったのであろう。
懲役五年以下、または1000万以下の罰金、または併刑のやつである
立川市議の愛人は、この告発者の女性を罵倒してツイ消ししたがキャプられるなど、事件は拡大していった。
久保田は逃げきれないと悟ったのか、申し訳ついでに路上のゴミ拾いの奉仕活動を放送のネタにしたが、放送終了後、雀荘に向かったという衝撃のリークがあった。
当然、アンチは立川市に通報したが、立川市議会も人の子。議員が簡単に辞職勧告される前例を作れば、自分の身分も危うくなる。
これまでも数々の問題が起こるごとにアンチは立川市に抗議したが、今回もいつものように、揉み消しになるであろう。
報道されない以上、立川市民に久保田学の悪事は聞こえることは無い。
それが現状であり続ける限り、彼はあと任期2年を全うすることであろう。
週末の話だが、外出中急に糞意が襲ってきた。
慌ててトイレを探したものの、2つ続けてGENTLEMANと書かれたトイレだった。
GENTLEMANで無い私は入ることを許されなかった。
私は卑しい人間だ。
高校卒業後上京し、平均年収にも及ばないが何とか人生を歩んでいる。
そんな私でも人として最低限の尊厳は持って生きてきたつもりだ。
仮に漏らすような事があれば、やっぱりあいつは卑しい人間だ、と笑われるだろう。
嘘偽りの心を持ち、GENTLEMANであると周りを欺くほうがよっぽど卑しいと思ったからだ。
どんなに厳しい状況でも決して心まで卑しくなってはならない。
そう強く心に誓って、次のトイレを探しに私は歩き始めた。
するとやがて、身分や性別に囚われず誰もが自由に利用可能なトイレに辿り着く事ができた。間一髪だった。
13人の客、その13人目は関係者だ。
「私は関係者」
「関係者……とは、このビデオ屋の関係者ってことでしょうか?」
「そうともいえる」
「ああ、そうだったんですか。ご用件は何なんでしょうか」
「全体的に」
“全体的に”って何だ?
俺は不審に思った。
「関係者って、一体どういう……」
「“何らか”というのは?」
「私の関わるもの全て」
そのくせ何に関係している人なのかが全く分からないし、何の目的でここに来たのかも不明だ。
「全て?」
「ありとあらゆる事柄に対し、時代や場所を問わず、その全てにおいて関係者であるということ」
幾度か尋ねてみたが、抽象的な回答ばかりしてくる。
“全てにおいて関係者”って、一体どういうことだ。
このままじゃ埒が明かないので、不躾だが証明書の提示を願い出た。
「身分を証明できるものはお持ちでしょうか? マイナンバーや、車の免許など……」
「そんなものはない。より正確に言えば必要がない。なぜなら私は関係者だからだ。関係者とは証明そのものであり、その者が発する言葉の担保そのものである」
いや、必要がないってことはないだろう。
俺はあんたが何の関係者で、実際にそうなのかも分かってないんだから証明にも担保にもなってない。
“関係者”という肩書きに対する、その絶対的な自信はどこからくるんだ。
どうやら、この客が言っている“関係者”っていう概念は、俺が知っているものと違うらしい。
「あの、もう少し噛み砕いて説明してくれませんか。せめて具体例を挙げるなどしていただかないと」
「ふむ……例えばだが、私が教職に就く身であり、学校について何らかの言及をするとしよう。この場合、重要なのは私が教職に就いているかどうかではない」
「え?」
「重要なのは、学校について言及した、その内容なのだ。その内容に耳を傾けても大した支障がないのであれば、それは実質的に私が関係者であることを認めているのと同義ではないか」
何を言ってるんだ、こいつは。
「そんなことしても、専門的だったり現場の話とかでボロが出るでしょう」
「分からなければネットで調べたり、様々な新書を読めば取り繕える。多少のことは個人の感想なんだから誤差の範疇だ」
それってつまり“実際は大して関係ない立場で、事態を把握しているわけでもないのに首を突っ込んで、ただそれっぽいことを言っているだけの人”ってことなのでは?
それを関係者と言ってしまっていいのなら、この世の人間はほとんど関係者だぞ。
そう思い至ったところで、俺の中で何か“違和感”が込み上がってくるのを感じた。
https://anond.hatelabo.jp/20210130154542
まったくもぉー。
「何この傷は! あんたはこれで他人の同情が引けると思っていい気になって見せびらかして歩いているんでしょうけど穢らわしい! こんなもん見せられたら皆言わないだけで気持ち悪いって思うのよ! 人の善意につけこんでいい思いをしようと思うんじゃないよこのクズ! アバズレ! こんな汚いもの見せつけるなんて人に対して失礼だから、大金払って綺麗に治すのが義務でしょ!」
みなさん、騙されないでください。
みなさんもご存知の通り、アポマトックス・コートハウスの戦いで追い詰められたロバート・E・リー将軍麾下2万の南軍兵はアパッチ族の呪術師によって1600年の日本の関ヶ原に飛ばされました。
ちょうど松尾山の小早川軍とそのふもとの大谷軍のあいだに忽然と現れたリー軍は東西の両者から敵と誤認され、挟撃を受けましたが、260年の文明差に物を言わせて大谷・小早川軍を押し返し、一気呵成に戦場を席巻。石田三成と徳川家康はリー将軍に降伏し、将軍は豊臣秀頼の後見人として日の本の新たな支配者となったのです。
さまざまな調査の末、ようやく自らの置かれた状況を把握した将軍は衝撃を受けるとともに、彼の故国がまだ建国どころかピルグリム・ファーザーズすら入植していないことをむしろ好機と捉え、再び偉大な合衆国を造ろうと決意します。リンカーン的でもディヴィス的でもない、彼の理想のアメリカを作ろうと。
たとえば、Hatena 社が作ったこの AnonymousDiary というウェッブサーヴィスでは、匿名でブログの記事が執筆できるのです!
こうしたサーヴィスは西軍の勝った世界線のアメリカでも、東軍の勝った世界線のアメリカでも考えられないことです。
>結婚して子孫を残すというのはどちらかいえば身分や階層の高い者に限られていて、本家ではない傍系の親族や使用人などの隷属農民たちは生涯未婚で過ごした人が多かったのだとか。たとえば、1675年の信濃国湯舟沢村の記録によれば、男の未婚率は全体で46%であるのに対して、傍系親族は62%、隷属農民は67%が未婚でした。
それ要は資本主義以前のお上の許可を得た業者が身分のある人間を相手に商売するような話やろ。
◎はじめに※必読
① これから後ダラダラとまとまりなく続く話は隙自語のチラシの裏も裏のクソもクソみたいなものなので、本当に暇な人以外は読まない方がいい。
② この話の中で先日賞を受賞したとある小説家の方を取り上げるが、これを書いている増田はその方のことが嫌いなわけではない。今回賞を受賞した本はまだ読めていないが、デビュー作は読んでいる。とても面白かった。オススメ。
あくまで『〇〇出身』という表記についての増田が持ったくだらない感情を吐き出したいだけです。以上、よろしくお願いします。
◎今回書こうと思った事の発端
今朝L〇NEを開いて飛び込んで来た地元の新聞社のトークの見出しの文字が『〇〇出身の小説家、賞を受賞』だった。
記事を確認する。確かに〇〇出身。しかし、〇〇出身とは言っても育った場所は他の場所のようだ。→別に〇〇出身を大きく取り上げる必要はなくないか?
1 その土地・身分などの生まれであること。その学校・団体などから出ていること。「九州の出身」「民間出身の閣僚」「出身校」
2 官に挙げ用いられること。出世すること。
「名利を志し―を宗として」〈沙石集・一〇〉
コトバンクより。今回の場合は1の方。辞書を引いたりもしたが、大体こんな感じ。見出しに間違いはない。
小説家のプロフィールからしても〇〇で生まれたのも間違いはない。
◎じゃあなんでもやっとしたんだ?ここからは増田感情の話なので本当に読まなくていい。
これは確実に増田のコンプレックスが起因している。多分調べれば増田が上げている小説家もその出身地も分かると思うが、増田はその〇〇に近い半島の出身。(近いとは言っても険しい山に隔てられた陸の孤島ともいえる、なので田舎の人間の言う距離が近い、だと捉えてほしい)
まず隣!県!!育ちは隣県だってわかってるのか?
記事を書いてるような県庁所在地(じゃないかもしれないが)の人間にとっては隣県(明確な場所はわからないが〇〇や半島と比べたら確実に都会)と県庁所在地にたいして違いはないのかもしれないが、増田からすれば違いは大有り。隣県なら半島のように新幹線の通る駅にたどり着くまで二時間半なんてことはまずないだろう。
いかにもその小説家が出身地で育ったような書き方をしないでほしい。
絶対に、ほらやっぱりこの土地は素晴らしいじゃないか!みたいなのがよく調べも記事を読みもしないで言うのが出る。出てしまう。恥ずかしすぎる。
これは明確な情報かはわからないが、その小説家は中高一貫の出身だという。
仮に小学校の間は〇〇で過ごしていたとしても、都会の中高一貫がどんなものなのか増田にはわからないが、近隣にある過疎化と少子化の進む地域の中で人員削減の為につくってみた公立の小中学校で合体してみて一貫教育です!や、エスカレーター式でその大学へと大半が進むニッコマのニの方の学校や前総理夫人の出身校と同じ母体の女子校とは、まず違うだろう。
動物園のような小中高が地方にはあるし、それが当然で大学名なんてたいして問題にもならなくて地元のどこの高校を出たかだけが重要視されているような世界が外にも同じように広がっているとでも思っていると、その小説家もそうだと思ってしまうのだろうか。恥ずかしいを通り越して悲しい。(Twitterを見ていたら多分記事も読まずにそう言っている人がいたので余計悲しくなってきた)
◎結論、何が言いたいの?
その見出しさあ、なんか恥ずかしいのよ。ってだけの話(それなのにめちゃくちゃ長くお気持ち書いちゃったな……)
田舎者の地元愛の塊みたいなのをその見出しに感じたからだと思われる。そして所詮自分もその田舎者の一部ということを願書の住所を書いていたら改めて感じて悲しかったのかもしれない。
以上、自意識過剰の増田が地方と都会の差を勝手に見出しから感じて恥ずかしがったり悲しがったり妬んだりしただけの話。受験生なのに何必死になってこんなの書いちゃったんだろうね?
*~~はじめに※必読
① これから後ダラダラとまとまりなく続く話は隙自語のチラシの裏も裏のクソもクソみたいなものなので、本当に暇な人以外は読まない方がいい。
② この話の中で先日賞を受賞したとある小説家の方を取り上げるが、これを書いている増田はその方のことが嫌いなわけではない。今回賞を受賞した本はまだ読めていないが、デビュー作は読んでいる。とても面白かった。オススメ。
あくまで『〇〇出身』という表記についての増田が持ったくだらない感情を吐き出したいだけです。以上、よろしくお願いします。
**~~今回書こうと思った事の発端
今朝L〇NEを開いて飛び込んで来た地元の新聞社のトークの見出しの文字が『〇〇出身の小説家、賞を受賞』だった。
記事を確認する。確かに〇〇出身。しかし、〇〇出身とは言っても育った場所は他の場所のようだ。→別に〇〇出身を大きく取り上げる必要はなくないか?
1 その土地・身分などの生まれであること。その学校・団体などから出ていること。「九州の出身」「民間出身の閣僚」「出身校」
2 官に挙げ用いられること。出世すること。
「名利を志し―を宗として」〈沙石集・一〇〉
コトバンクより。今回の場合は1の方。辞書を引いたりもしたが、大体こんな感じ。見出しに間違いはない。
小説家のプロフィールからしても〇〇で生まれたのも間違いはない。
**~~じゃあなんでもやっとしたんだ?ここからは増田感情の話なので本当に読まなくていい。
これは確実に増田のコンプレックスが起因している。多分調べれば増田が上げている小説家もその出身地も分かると思うが、増田はその〇〇に近い半島の出身。(近いとは言っても険しい山に隔てられた陸の孤島ともいえる、なので田舎の人間の言う距離が近い、だと捉えてほしい)
まず隣!県!!育ちは隣県だってわかってるのか?
記事を書いてるような県庁所在地(じゃないかもしれないが)の人間にとっては隣県(明確な場所はわからないが〇〇や半島と比べたら確実に都会)と県庁所在地にたいして違いはないのかもしれないが、増田からすれば違いは大有り。隣県なら半島のように新幹線の通る駅にたどり着くまで二時間半なんてことはまずないだろう。
いかにもその小説家が出身地で育ったような書き方をしないでほしい。
絶対に、ほらやっぱりこの土地は素晴らしいじゃないか!みたいなのがよく調べも記事を読みもしないで言うのが出る。出てしまう。恥ずかしすぎる。
これは明確な情報かはわからないが、その小説家は中高一貫の出身だという。
仮に小学校の間は〇〇で過ごしていたとしても、都会の中高一貫がどんなものなのか増田にはわからないが、近隣にある過疎化と少子化の進む地域の中で人員削減の為につくってみた公立の小中学校で合体してみて一貫教育です!や、エスカレーター式でその大学へと大半が進むニッコマのニの方の学校や前総理夫人の出身校と同じ母体の女子校とは、まず違うだろう。
動物園のような小中高が地方にはあるし、それが当然で大学名なんてたいして問題にもならなくて地元のどこの高校を出たかだけが重要視されているような世界が外にも同じように広がっているとでも思っていると、その小説家もそうだと思ってしまうのだろうか。恥ずかしいを通り越して悲しい。(Twitterを見ていたら多分記事も読まずにそう言っている人がいたので余計悲しくなってきた)
ただ、田舎者の地元愛の塊みたいなのをその見出しに感じたからだと思われる。そして所詮自分もその田舎者の一部ということを願書の住所を書いていたら改めて感じて悲しかったのかもしれない。
以上、自意識過剰の増田が地方と都会の差を勝手に見出しから感じて恥ずかしがったり悲しがったり妬んだりしただけの話。受験生なのに何必死になってこんなの書いちゃったんだろうね?
いい年こいて、だっこされたい
一番ナイスなのは、こう、私が横向きに寝て、んで背中から優しく包んでもらう感じ そしてただそのまま、それだけが悠久に続く 良いな~
いつもそればかり考えている 自分がキモいと思いつつも、どうすることもできない
私は今大学生で、同学年にお付き合いしている男性がいる お互い就活中の身分である
その男性は地元への熱い使命感に燃えそちらで就職(そのために帰省中)、私は自らの上昇志向に振り回され東京での就職を検討している
表向きまずまずで、勉学はまあ、そこそこ、体育会系部活で主戦力張るなどしてクールにキめてきたつもりだ が、中身はだっこがないと死んでしまうウサギチャンであった
私の外面を支えていたのは、言うまでもなく、だっこだった (ま、パッとしない大学なんすけどね)
これからはもう、だっこしてくれる人がいないのである 困った 飼育放棄されたウサギチャンみたいになっちゃっている
今だって寂しさでトチ狂っちゃっているのにこれから就職すれば当然離れて暮らすんだよな、 直視できない、漠然とした絶望
毎日うわ~ん寂しいよう寂しいようとひとりで泣いている 最悪である やっぱりキモい
多分誰彼かまわずだっこしてくださいみたいなのを頼み込んでまわればしてもらえるんだろうな、でもそれは違うとわかる
こうみえても事情があって自分には夜職の経験があるので、人の持ち合わせる欲望というか、下心というか(しょうがないので責めるつもりはない)、そういったものに当てられて若干スレちゃっている節がある
根幹的な弱みを見せればつけあがられるという経験則も得た
そんなこんなで私は傲慢にも人を選ばさせていただく。強欲だな。でもみんなそんなもんだよね。
お付き合いしている男性は、紆余曲折を乗り越えた関係性、財産、言わば私が育てた専属だっこマイスターである ここは当然譲れない
困った…
だっこを強く熱望し、だっこ不足で精神を崩す機能不全の成人女性 完全にモンスターだ これって依存!?そんなの弱者のすること…!
そして最悪なことは重なるもので、それが就職活動をするのである
今は履歴書で、3月からは面接で、自分は有能ですよもらってくださいよと吹いて回る 嘘でしょ 冗談じゃないよ
こんなサイズだけでかくなった赤ちゃん、どこが拾ってくれるんだよ
社会のみなさんごめんなさい、甘ったれカス女です、みたいな気持ちを抱えたままプロの人事の面接を捌けるわけがない
だっこが足りないことへの不安、就活の不安がダブルパンチで襲う
自分の弱さダメさに耐えかねて、ああこれ私おかしいのかな、病気かな、そう思って " だっこされたい 大人" とか調べたりする
そうすると、家庭環境がツラい方とか、両親からの愛情がもらえなかったためにそういった状況に陥ってしまった方のエピソードをたくさん目にする マジで涙なしには見られない
凄絶すぎる オイオイ、みんな頑張りすぎだぜ
かくいう私は、全くそんなことはない
普通の一般家庭に育ち 父も母もいて、年の離れたかわいい妹がいて、習い事を受けさせてもらったり、私立の大学にまで行かせてもらったりして、まあ愛情たっぷりで育っている 無問題 というかパーフェクトに近いんじゃないの。余計に申し訳ないです 愛情をお返ししていく立場ですよ
そんなに愛情もらっておいてまだ甘えるんですか?ちょっと情けなくないですか?おこがましいです ズルいですね
検索結果にすら、遠回しに怒られている気がする
明日も(もう今日や)朝から就職活動です 今年は感染症のこともあって余計に厳しい つらいな
就職活動って今、自己分析みたいなのが流行りなんですよ 自らと修行僧がごとく毎日毎日向き合って、結果自分はクソだというところに毎回毎回行き着く。
だっこか。本当にだっこが原因なのかな。こんなに弱いならばどこかに欠陥があんじゃないの。だっこがあったって、いつかどこかでぶっ壊れるんじゃないの。いつか誰でも、どうでも良くなっちゃうんじゃないの。そういうことばかり考えて気が滅入る。
みんなはだっこなくても生きていけるんですよね、多分。なんか思考のコツとかあるんですか?もういっそ猫ちゃんになっちゃいたいな。撫でられて過ごす。
なぜネットユーザーは絶対正義であるかのように転売を叩けるのか?
少しでも考えれば転売を叩ける理屈などどこにもないと分かるはずだ。
このまま順当にいけば日本の格差社会はますます加速していくに違いない。
国民年金は年間80万円だが、厚生年金は一般的に国民年金の2倍以上の金額を受け取ることができる。
なお年間80万円という値は現時点のもので将来はもっと少なくなるだろうと予想されている。
年間80万円という金額でどのようにして生活していけばいいのか?
素直に考えれば年間80万円という金額で生活していくことは難しいだろう。
ではお年寄りは老後どのようにして生活費を稼いでいけばいいのか?
当たり前だが老後の体力の衰えによって体力を必要とする仕事は難しいだろう。
そうでなくとも雇用側の年齢制限によって採用される仕事の幅は狭められている。
「仕事の選り好み」以前の段階で雇用側の都合によって生活費を稼ぐことは難しいのだ。
膝の軟骨がすり減って、ちょっと動くだけでも激痛が走る。しかも膝の軟骨は修復しない。
ネットユーザーがいくらキーボードをカチャカチャしても、お年寄りの膝の軟骨は修復しない。
気持ちよくテンバイヤーを叩いているネット論客に膝の軟骨のすり減ったお年寄りを救うことはできない。
iPS細胞による再生医療が実用化でもされない限りお年寄りの膝の軟骨は修復しないだろう。
その点で転売は体力の都合や面接の必要のないという点でお年寄りが生活費を得るのには最適だと言える。
一日中ネットに張り付いているようなネットユーザーならテンバイヤーがホームレスを動員していることは当然ご存知だろう。
ネットユーザーはきっとそれを「ホームレスのような社会的弱者の足元を見る、悪のテンバイヤー」とでも思っているのだろう?
はたしてそうだろうか?たとえつまらない仕事でもホームレスにとっては貴重な収入源に違いない。
君らの職場にホームレスが「働かせてくれ」と頼み込んでも君らは「自己責任」と魔除けの呪文を唱えながら無碍に断るのだろう?
ネットユーザーは「年金で生活できないのなら、生活保護を受給すればいいじゃないか」などと安易に発想するかもしれない。
生活保護バッシングや水際作戦の厳しい現状では生活保護を受給できずに餓死するパターンもあるのだという。
生活保護を受給するにはノーガードであることが求められ持ち家を手放すだけでなく保険をも解約することが求められる。
生活保護と転売についてだが生活保護を受給する際には贅沢品は手放さざるを得ない。
転売可能なグッズはケースワーカーによってことごとく強制的に二束三文で転売されるのだ。
いくら口では転売を憎んでいると言っても社会的なパワーによって有無を言わさず転売することを強いられる。
転売を叩いているものは、恐らくは富裕層で将来は十分過ぎるほどの年金を貰えるに違いない。
まさか、将来年金が年間80万円しか貰えないフリーターが転売を叩いているなどということはあり得ないだろう。
富裕層は自分自身の安定した生活を確保した上で「最後は大好きなグッズに囲まれて大往生したいなぁ」などと企てているのだ。
転売によって大好きなグッズが手に入らないくなるから転売は悪なのだ。
いや、あるいはすべてを見通した上で「下々の者達の生活など知ったことか!」とまで考えているのかもしれない。
だが現実には純粋に悪意なく「転売は悪いことだから悪いんだ」などとトートロジーを浮かべて悦に入っているのだ。
ところでグッズを欲しがっているのが将来になんの不安もない富裕層だけなのかというと、どうやらそうでもなさそうである。
実際には富裕層よりも年間80万円勢が後先考えずに刹那的にグッズに浪費しているのだろう。
マジレスすると年間80万円勢はグッズをゲットしようとテンバイヤーとバトってるような場合ではない。
年間80万円勢が身の丈を考えて将来のために貯金するようになれば民草は転売に怯える日々を過ごす必要もなくなる。
一般的には90年台にフリーターというライフスタイルが登場したとされる。
あと、20年もすればこれらフリーター世代が年金受給者となるだろう。
そうなれば年金格差という「現実」が重くのしかかってくるわけだ。
お年寄りの賢いライフハックとして転売が今まで以上に盛り上がることはまず間違いない。
年金格差が解消されていれば話は別だが、それは希望的観測でしかない。
今、街を歩いている老人はなんだかんだで正社員で終身雇用だったから十分な額の年金をもらっているのだ。
本当の年金格差時代、ひいては本当の転売時代はまだ訪れてはいない。
転売(TENBAI)が世界語として通用する日もそう遠くはないだろう。
世界中の人々に日本が誇るTENBAIの名を知らしめてやるのだ。
今、転売を痛烈批判しているもの(アンチ・テンバイヤー)も、いざ自分自身が経済困窮に陥ったら、まず真っ先に転売という発想が脳裏をよぎるのではないか?
今は良くとも、70代、80代になったらどうか?
まさかせっせとかき集めていた大切なグッズを転売するなどということはあるまいな?
どうせ、いざという段になったらマッハで手のひらを返すに決まっている。
いや、それどころかアンチ・テンバイヤーほどテンバイヤーとなる素質を備えているのだ。
人々の想像するであろうテンバイヤーVSアンチ・テンバイヤーという構図は誤りであると言える。
テンバイヤーになる素質のない人々は、テンバイヤーを敵視してはいない。
テンバイヤーへの敵意には少なからず嫉妬も含まれているのだろう。
ちなみに「仮想通貨で老後資金を得ればいい」などという甘言を囁くものもいるかもしれない。
だが、考えなしにこのような甘言に乗ってしまえば待っているのはより一層悲惨な末路だ。
仮想通貨では税金が発生することに気づかずに高額な税金を支払えず自己破産するパターンがあるのだ。
さらに自己破産した場合でも税金は非免責債権なのでチャラにはならない。
読者のみなさんは紀元前の哲学者ディオゲネスをご存知だろうか?
貨幣偽造の罪で奴隷の身分とされてしまった、あのディオゲネスだ。
自己破産でも取り消せない負債を負ったものはさながら現代のディオゲネスとでも言うべきだろう。
下手に仮想通貨になど手を出してしまえば国家の威信をかけて嫌がらせされてしまう。
よほど知識に自身があるのなら話は別だが素人が触れるべきものではない。
インターネットで甘言を囁くものは、ただ情弱を養分に還元したいだけなのだ。
それで「君らは転売しないつもりなのか?」というところに話を戻そう。
転売行為を批判しているものも「金に困ったときはグッズを金に換えよう」そして「それは転売ではない」とでも考えているのだろう。
表向きは転売を批判しているようで内心では手持ちのグッズにプレミア価格がつくことは満更でもないのだ。
つまり「誰も手放さないからめったに市場に出てこない伝説のコレクターズアイテム」となることを期待している。
さも社会正義のような体を装っているが、やれやれ結局は損得勘定でしかない。
自分が「転売脳」でものを考えていることすら自覚していないのだ。
しかも未練がましく後生大事に抱えて長年に渡って死蔵した上での転売だ。
金目当てでさっさと手放す転売よりも、よほどたちが悪い転売ではないか?
しかも!そういうやつらに限って自分が手放すときはテンバイヤーによる市場価格を参考にするのだ。
いや「思い入れが深い」「手放すのは惜しい」などと言いながら値段を釣り上げるまである。
「(金目当てで愛のないテンバイヤーと違って)大事に使ってました」などと悪のテンバイヤーにマウントを取りながらいけしゃあしゃあと値段を釣り上げるのだ。
常識的に考えて商品に無関心でノータッチで倉庫に眠っていたテンバイヤーの品のほうがコンディションはいいのでは?
ところで「グッズを手に入れたい」という一点だけを重視するなら、テンバイヤーのいない状況は理想的ではない。
テンバイヤーさえいれば、金に糸目をつけない覚悟を持てばとりあえずグッズは手に入る。
「本当のファンなら周辺情報を常にチェックしてるから、限定グッズなどを見逃して買い逃すことはありえない」とでも反論されるかもしれない。
その分野にテンバイヤーは一人もいないというような状況は果たして本当に理想的だろうか?
金目当てで手放すものがいるから、新人がその分野に新規参入することができるのだ。
逆説的ではあるがテンバイヤーのいない分野はおのずと新規参入のない閉じコン(閉じたコンテンツ)となる。
テンバイヤーの有無でそれが決まる。
ここまでで普通に生きていれば転売は避けられない定めだと分かったはずだ。
そこで「俺は上位1%の上級国民だから転売などとは無縁の人生だ」という人々もいるかもしれない。
よしんば鉄の掟によって一生転売しないですんだとしよう。
金持ちほどマンションなど転売していそうなものだが、この際それもないものとする。
グッズの持ち主が死んだあとは、どうする?
死後の世界にグッズは持ち込めない。
遺族によって転売されるか?あるいは遺品整理業者によって転売されるか?
ただし価値があることに気づかれずに捨てられるということはありうる。
勝手に転売されることを防ぐには転売に追い込まれる前に捨てるか、無償で贈与するかしかない。
なお贈与する場合は贈与税を支払わなければならない点に注意しなければならない。
その点、グッズと違ってチケットは消耗品だから気楽で気ままではある。
ただ転売が悪という前提がそもそも間違っているのであってチケットは文字通り無駄金だ。
そして貧困層ほどチケットのような後に残らない刹那的な用途に金を使うという負の連鎖がある。
いままで「転売」と大雑把に扱ってきたが、転売にも種類がある。
転売の話題がこじれるのは転売と聞いてイメージするものに差がある側面が大きい
ネット上で話題となるのは大きく分けて「せどり」「ダフ屋行為」だろう。
他にも「プレゼントとして受け取ったものを転売する」行為の善悪が問われることもなくはない。
まず少なくともせどりに関しては「可」としていいのではないか?
せどりは中古販売なのだから古物商営業許可が必要だという議論になることもある。
しかし古物商営業許可の意味合いを考えるに「盗品販売を防止する」という意味合いが強いのではないか?
さて転売の中でもチケット転売に限ってはダフ屋行為であり犯罪であるとされる。
「ダフ屋行為が反社会勢力の資金源となる」というのがよく聞く決まり文句だ。
しかし「芸能界はそれほどクリーンなのか」という疑問が新たに湧く。
「反社会勢力の資金源となる」というまったく同じ理屈でショービジネス自体の正当性が危うくなるのだ。
反社会勢力云々という言い分はそれほど有無を言わさず通用するような絶対的なものか?
それにやろうと思えば適当な分野と反社会勢力を結びつけることはさほど難しくはない。
例えば「仮想通貨は反社会勢力のマネーローンダリングに利用される恐れがあるから全面禁止とすべきだ」と言うことができる。
でもショービジネスは文化だから保護しなくちゃならないというわけだ。転売とて同じこと。
転売ヘイターはこれら文章を読んで、何か思うところはあるだろうか?
否。おそらくは逆ギレして「じゃあ転売を法律にて完全禁止すればいいじゃん」などと言い出すに違いない。
よしんば法律にて転売を完全撲滅できても背景が変わらない限り待っているのはより悲惨な世界だ。
転売はあくまで金目当てであって悪意があるわけでも嫌がらせでしているわけでもない。
そこで全面的に転売を一律禁止としたところで転売or死という図式は微塵も揺るがない。
転売ヘイターは「転売するくらいなら潔く死ね」とでも思っているのだろうが。
なぜ転売ごときのことがまるで大罪であるかのように扱われ禁止されねばならぬのだ?
転売文化によって人々の目利きのセンスが磨かれるという側面もある。
人の心を持たない冷たい機械による仮想通貨のマイニングによって地球温暖化はますます加速する。
転売か?仮想通貨か?良心ある人々ならどちらを選ぶべきかあえて言うまでもない。
インターネットでは転売は絶対悪であるかのように扱われているが擁護しようと思えばこのようにいくらでも擁護できる!というお話でした。
投げ銭ってのは投げ銭された奴がリアルタイムでリアクションしてくれるから楽しいのであって
アイドルでもなんでもない上に崇高な目標もない増田に投げ銭する意味がないし、フリゲだフリゲだって言ってたらそらプレイする側も「お、この作者は金儲けしなくていいご身分なんだな、遠慮なくタダで遊ばせてもらおう」としかならないじゃない
そこまで金が欲しいならそれこそsteamで自分で価値を付けて売ればいいし、広告付けまくって課金要素を付けて広告を消させるなりして小銭稼ぎに奔走すれば良いだろうよ。
そこなんだよ増田、もう最近のオタクは「ゲームの作者なんだからこれぐらいの金稼ぎの仕方ぐらい心得てるでしょ」って思ってるんだよ。
VTuberが宣伝したという格好の機会に儲けられない増田が悪いのよ。
フリゲだから金出さなくて良いは旧世代の考え方だけど、その旧世代の考え方にどこまでも甘えてしまうのが人間なのよ。
その人間達に「ここまで広告入れたりしてコジキしてくるとか、そんなに金がいるなら数百円ぐらいくれてやるよ」って思わせなきゃ増田のピンチに誰も気付いてくれないの。
その数百円からVTuber共が貰ってる数万円の赤スパチャに繋がるの。
数百円ありがとうございます○○さんからコジキを始めなきゃいけないの、そういうコンテンツを作り上げた上で「いつでも投げ銭してくださいね」なの
そういうのしたくないなら大人しく広告やら課金要素やらを付けなよ。今時のアプリゲームでも最強武器やらガチャやらで課金させられる要素作れてるだろうよ。わかる?どこかで見たようなピョンピョン飛ぶゲームでもアバターの着せ替えにガチャ要素付けたら課金されるのよ。
VTuberのオタクなんかにゲームの作者に投げ銭することなんか見える訳ないよ、VTuberのことしか見えてないんだから
そのVTuberが作者の貧困っぷりをネタにして初めて増田の投げ銭に繋がるんだから
その投げ銭に繋がるまでの導線を作れてないの
VTuberなんかに飛ぶ端金なんかに目が眩んで自分がやってないことを棚にあげてちゃダメだよ
あんなんに飛んでるの一つの配信で行っても十数万とかだよ、でも増田は常に面白いゲームを提供できてるんだから十数万の売り上げでは終わらんのよ
でも数千人通り抜けて何の売り上げにもなってないのはもう増田が悪いとしか言えないの
どういう流れで投げ銭に導けると思った?
というかVTuberが宣伝するまでアクセス数はどんなもんだった?
そこら辺棚に上げてVTuberだけが悪いみたいに話するから俺みたいなやつに適当な理由ぶち抜かれて否定されるのよ
今時アホみたいに広告つけてどっかで似たゲームさせて広告費せしめるようなアプリゲームなんてアホ程あるから言ってるの
でもVTuberがプレイするってことはそのVTuberの客層全部がそのゲームを見るのよ
それに見られても大丈夫なぐらい優良ではあると思われてる訳
でも優良なだけじゃ金はついてこないからいくつもゲーム会社は潰れてる訳
ずっと不安だ。
感染対策をしっかりして、不織布のマスクで人と距離を取り、手洗いうがいをこまめにして消毒ができるところでは毎回して、無駄に外出せず買い物も人が少ない時間を選んで…
やれることを全部やってると思う。だけどいつでも不安が尽きない。見えないウイルスへの不安と、人への恐怖だ。
こんなご時世だから安易に遠出するのは駄目だとしても、大学なんて大きな選択まで制限されることはない、と思う。受験は現地に飛行機で行く。だからこそ、変なものを持ち込まないように、できる限りの対策を神経をとがらせてしている。
それでも、いや多分そうだから体調が崩れる。元々体は弱い方だから、偏頭痛も、定期的にやってくる腹痛も、乾燥してたらすぐイガイガする喉もずっと昔から付き合ってきた。だけど、そんな自分にとってはよくある症状が恐ろしい感染症の症状かもしれないというのが今の世界。大丈夫な保証などどこにもなく、ちょっとした体調不良でも気になってしまって、それがさらに受験でナイーブなメンタルをすり減らしている。メンタルが弱って、体も弱る。
コロナに感染しているかも、というのが怖いのもある。だけど、もっと怖いのは感染していた時に自分がいった全ての場所でウイルスをばらまいているかもしれない可能性があるということ。
去年の10月まではアルバイトをしていた。一人暮らしなので、生活費は親に援助して貰えるけどその他の自分が自由に使えるお金は稼がないと勿論ない。働いていたのはコンビニで、緊急事態宣言下でも休業はしなかった。飲食店が尽く閉じる中で遅くまで働いてマスクの下でヘトヘトの顔をした人が夜遅くにおにぎりを買いに来ていた。
コンビニの土日のシフト以外家の外にほぼ出ていなかったけど、もし自分が感染していたらこのコンビニすら閉じるのだろうと思うだけでお腹が痛くなった。
8月を過ぎた頃にはマスクをつけない人、電車で離れた大きな商業施設に行った話をしてる人、レジで咳をばらまく人、そんな人が沢山来るようになった。ここに何も持ち込まないように対策を徹底してる私にマスクをつけずにでかい声で飛沫を飛ばしてくる人はなんなの?と思った。
今も外出する機会はある。学校は電車通学なので電車に乗るし、そこそこ大きな商業施設が併設されてる駅を使うから沢山の人と会う。毎日登校しなくてもいいという形ではあるけど、それでも1度学校に行くだけでかなりの人と会うことになる。
受験予定日が、生理予定日とぶつかるかもしれないから、婦人科に行ってピルを処方してもらうことになった。
怖い。今日だってお腹が痛い。もし私がウイルスを持っていて、婦人科に妊婦さんがいたら?だけどピルは初めてだし、他にも服用している薬がいくつかあるので来院なしで処方してもらうことはできないという。
飛行機に乗って遠くの大学に受けに行って、その時私が機内に、離れた土地に、大学に、ホテルに、新幹線に、ウイルスを持ち込んだら?
クラスターの原因は明確になるべきだ。どれほど責められるのが怖くても、隠すのが1番悪だと思う。私が原因になってしまったとしたら、私に接触した人を特定しないといけない。
受験は人生の大きな節目だ。万全の体制で臨みたい。年々生理痛が酷くなっているから、生理がぶつかったら全力を出せないことは分かってる。ちょうど模試がどんぴしゃで、本当に辛いというのを身をもって知った。婦人科にいかない、という選択肢はない。正当な外出だ。こうやって言い訳を自分に言い聞かせている。だけど本当に怖い。もし私が原因で婦人科で患者が出てしまったら、不用意な外出をした若者が原因と叩かれるのではないか?発生源が若いだけで叩く人がどれほどいるかなんてネットを見てたらわかる。私がどれほど普段気をつけて心をすり減らして対策をして、そんなこと知ったこっちゃないと叩く人がきっと大勢いる。そんな国だしそんな生き物だ。
なぜ私がこんなに苦しい思いをしないといけないのだろう。私が元々メンタル激弱人間だからというのは大きな要因だけど、そういう生き方しか知らないのだから仕方ない。だけど、時々腹が立つ。私が苦しい気持ちをどうしようもなく抱えている間も、心臓に毛が生えたバカが会食をして騒いでいるという。人を殺してしまうかもしれないのに、省みず自分は重症化のリスクが低いからと宣う奴がいる。オリンピックを何としても開催することが使命だと寝言のようなことを真顔で言う老人が大きな権限を持っている。こんなご時世でも会食を出来るようなご身分の人はもし重症化したら病床を金でこじ開けられるとでも思っているのかもしれない。実際、金持ちの老人への医療は大変充実した国だし、そうならないなんて言いきれない。バカバカしい。こんな暴言を吐いてしまうほど心が荒んでいる。そんな自分もバカバカしい。愚かな人に振り回されている現実がバカバカしい。
幸い私はそこそこ健康で、そこそこの経済的余裕がある家に生まれ、正しいとされる情操教育、義務教育元でそこそこ素直に育った。選挙権を得たのでその時が来れば投票に必ず行くと決めているし、バカバカしいといいつつもヤケになってこれまでの対策をかなぐり捨てて騒ぐような愚かなこともしない。自分の良心に従って、正しい人であろうと生きている。くだらない人間だとしても、綺麗事と誰に言われてもそれでいい。正しい判断をして生きていると思えて生きているから。
私からすればバカバカしいと思えるような人達も自分の良心に従って正しい行動選択をしていると思えてそんな自分を愛して生きているのかもしれない。
だとしても、利他的になれない政治家は民主主義という概念に相応しくないと思う。
みんなの意見をできるだけ掬って、みんなの希望をできるだけ叶える。みんなの声で国を動かす。その舵取りをする人達こそ利他的に人の声を聞かねばならないはずなのに、この国の民主主義は歪んでいる。
この文章は、ストレスのはけ口だ。冷静に議論できるような余裕のない人間が、一方的な主張を吐き出しているに過ぎない。決して冷静ではない。だから、結論もまとまらない。こんな思いをしている若者がいることをわかって欲しい。そして、それぞれに苦心して生きている人達も、こうやって吐き出して欲しい。こんな時代に、こんな国に生まれてしまったけれど、私にはこの国に生きる理由があって、幸いな事に明るい話をする場がある。だからこそ、そこがずっと明るい場所であるためにこんな黒いものを吐き溜める場所が必要だと思う。
私の長い長い愚痴を最後まで読んでくれた人がいたら、本当にありがとう。同情してくれる人がいるとしたら、それも本当にありがとう。同じような気持ちを抱えている人、私と同じように不器用な生き方しかできない人かもしれない。でも、生きようね。