はてなキーワード: 自覚的とは
変わり者(婉曲)の自覚がある人間って、割と自分が思ってるのとは別な部分に他人とのズレがあるような気がする。変なのは分かってるけど、具体的に変な部分がどこなのか分かってない。そういう所がズレてるんだと思う。
例えば男子校から大学に上がって、「男子校のノリ」としてある種自覚的に振る舞っていたような態度を自虐的に語ってみたり、恥じるポーズを示してみる。社会性、エクスキューズとして。
奇をてらったような部分が薄ら寒く思われそうだという程度の考えは持てる。でも実際は一定以上裕福、かなり勉強が得意、男子だけという画一的な環境で醸成された部分にこそ、本人が自覚なく妥当だと思っていた部分こそが実は煙たがられているような、そんな感じの。
相撲の面白さによる魅力なのか、ピンポン的な青春スポ根の面白さなのか。体格の圧倒的なアドバンテージ=才能の話で染谷将太に説得される所はまんまアクマのアレじゃんって思った。稽古パートのフルメタル・ジャケット的な面白さもあり。キャバ嬢とかトレーダーのくだりはあんまりかな。相撲の動機にまつわる話として必要なのかもしれんけど。静内のサスペンス要素もそこまでかな。松尾スズキとピエール瀧のバチバチは割と好き。
でもやっぱ早ければ一瞬で終わるスピード感は相撲特有の面白さだよな。立ち合い(?)の瞬間の静寂も好きだ。
頭突きもアリなの知らんかった。殴る蹴る寝技がダメならほとんどダメやんけと思ってたけど、鍛えまくった重量級の男をしてそれ以外はほとんどOKという恐ろしさを改めて知った。中継で涼しい顔してる力士はすげえや。
角界の因習については主人公がカス過ぎて先輩達の対応も割と妥当に見えるというか、何なら優しい方じゃね?ってすら思う。
帰国子女設定の記者もかなりカリカチュアされてるというか、現状にいきなり突っかかっていく所があまりスマートな感じがしないし、その辺で相対的にマシに見えてしまう辺りは意図的にやってるんだろうか。そういう事があるから相撲がより魅力的に見えてしまうんだろうか。「ああ異常だよ。ただな、その以上の先に〜」みたいな台詞もあったし、やっぱり自覚的なのかな。
主人公が相撲に目覚めるのと並行して社会性を身に着けていくかと思ったら、別にそんな事はなくて田舎ヤンキー(実物を知らないのでおれの想像上の)しぐさをかましまくるのがなんかウケる。それが痛快な時もあるし、「冗談や〜ん笑」みたいな言い草がクラスにいたイヤなタイプのカスを思わせる事もある。
高校の頃部活で腹式呼吸がどうのって言われたけど、ついぞ肌感覚で理解する事はなかった。それでも別にトランペット吹くのに難儀するとかはなかったし、無自覚にやってはいたのかもしれない。
そもそもいわゆる腹式呼吸もそうでない呼吸も横隔膜で肺を伸び縮みさせる事自体は同じで、それをいかに意識的、自覚的にやる事でいかに効率化するか的な話だった気がする。自覚的に出来てないのならそれは出来ていないと言うのかもしれない。
イメージの問題とはいえ、カラオケ行った時にあ、今なんか喉の辺りじゃなくて腹から声が来てるなって感覚が明らかにある時もある。
腹をへっこますのも出来るんだけど、それはやっぱり「腹を凹ます時の感覚」でしかなくて、ネットの解剖図見ながら横隔膜の存在を探ってみてもいまいちピンと来ない。
腹の中で上がったり下がったりしているものの存在を漠然とはイメージ出来るけど、それを効率的な呼吸に繋げる感覚がさっぱり分からない。
指の中に筋肉は詰まってなくて手の甲の筋で引っ張ってるのを理屈としても肌感覚としてもある程度わかるけど、長年馴染んでた指そのものを動かすイメージは手放せないような感じ。
>特に発達障害で高学歴の人からしたら、弱みをなんとか学歴でカバーしてこれたのに
つまり、別に転職しなきゃそもそもこれ露呈するタイミングすらないわけで
ハイキャリア転職なら今更適性審査ないとこも多いし、(まぁ隠そうと思えば多少はごまかせるし)実績でねじ伏せられるからそこまで困るとは思えない
学歴だけ高くても複数回の転職を繰り返してて自覚的なレベルの人は、別にこれまでもそんなに変わらんのよね、落ちるし、入っても苦労する
学歴だけじゃあごまかしきれないよ、クローズ就労続けて疲弊して潰れてオープンに変えた人、むしろ時代的にオープン就労枠がなかったから苦労してた人、色々見てきた
「強みを武器にして弱さを補う」を完璧に実現できてる人はそもそもこの程度の網にはかからないレベルにちゃんと到達してる
……ん? ああ、新卒の話だったらそれは確かに苦労することもあるっちゃあるか
そういう話か? まぁ隠し方を覚えることになるのかね、数こなしてると見えてくる気はするけれど(そもそも適性審査ってそこまで厳格でもないし)
つか、普通に考えれば、誰にでも分かること
その物語に何なりか自分の中のナニカを見つけるから楽しい・感動・怖いのだから
そう【絶対に】これは人々の◯◯を満たしたのだといえる
それが言えなければ語られる訳がない
①当たった▲▲の構造を見てみるとこれこれこういうパーツを見つけることが出来る
③このパーツが作用したということは、ナニナニに違いない
それ自体は構わない
結果について先に規定して、そうなるように類推する行為は危うさが増すが
その集団が気づかない(見ないふりをしている)醜さ・愚かさの発見という態度をとる
そして、凄いことに気付いてしまったという体で、【それを世に出した創作側が上手い】という発表をする
言ってしまえば、需要を掘り起こしたのがすごいですねーというだけの話
可燃性を増しているのは
フリーレンが当たる前に、「アニメ漫画に金払える高齢独身者層の願望を拾う作品だ、スゴイ」と言うやつは出てこない
でも効果は劇的だ
なにしろ事後諸葛亮なのだから、その一定度の事実性については確定されていて否定ができない
「フリーレンは人気などない」と切って捨てられない
旬の事象だから人の目に触れやすく、そして相手を下げているから反応をもらいやすい
ある程度頭はいいが飛び抜けて優れているわけでもなく、でも自分を認めてあげたい人にはうってつけのコンテンツなのだ
面白いのは
自分の態度や内面を勝手に規定されて嗤われると怒り出すんだよね
で、決まって、「頭の悪い反応が集まってきた」みたいに斜に構えだす
本当に、面白いように同じ
反応しちゃったら、それが何らか効果を持ってしまったことを相手に知らせてしまうのにねぇ
哀しい生き物だよね
うちはコーダーがデザイナーの1/3もいないので外注コーダーさんに頼らないと回していけず、常に募集していい人を探している状態です。
フリーランスのコーダーという存在は、数だけなら結構います。ひとたび募集をかければどしどし応募がくるくらいいます。ただ1度仕事をしたら2度目がないことがほとんどです。
理由は
・実際の構築経験がないので全体の流れが分かっていない人が多い(実装部分は業務に入らないにしろ全体図を把握しているのといないのとではコーディングの質が全然違います)
・引き受けてから納期を何度も引き延ばす(初稿を最終納品日に出して来たりする)
などです。
納期についてはいろんな都合があるので前倒しも後ろ倒しも相談次第では、という感じ(正直webデザイン界隈じゃ日程通りにいくことのほうが少ないし)なんですが、「●日間でこのページ分いけますか?」って確認に「いけます!」って自信満々に答えるくせに初稿提出日にも音沙汰なくて「どんな具合ですか?」って聞くとようやく「ちょっと終わらないかもしれないんで納期伸ばしてもらっていいですか…」って言う人が多すぎる。んなもん最初にデザイン渡した時点である程度分かるだろ。ていうかこっちが聞く前に相談してくれ。自分の力量把握できてない人多すぎ。
結局シンプルに一点にかえってくるんですが「経験値が浅い」、これに尽きます。そういう人達を切っていったってまともなコーダーは育たないので経歴の浅さはある程度目をつぶって3回くらいまでは仕事していきたいな、と思うんですが、一度納品すると何を勘違いしたのか次回から値上げ交渉に入るんですよね。これ本当にみんなそう。大体経歴浅い人です。教本とか講座でこういう教えでもあるんですかね?このまえ次から時給6000円で、とか言われてどうしようかと思いました。そんなら残業して自分がやるわ。ここで値上げを断るともう仕事してくれなくなっちゃうんですよね。これはこちらもむこうも選べる立場ということなんでしょう。ある意味健全なことですが、コーダーが星の数だけいるのはweb制作会社もそれだけたくさんあるってことですからね。もちろんそれだけの技術を持った方には相応の額をお支払いしたいと思ってます。ただどこも、そんな自社の技術以上のことを求められて外注に任せること前提で引き受けたりはしないので…。
ちなみにポートフォリオで出してくる架空サイトは大体みんな同じ題材、大体みんな同じクラス名の付け方、大体みんな同じアニメーションの設定なのでア、同じ教本(講座かな)使ってるんだァ~となります。この時点で比較してもしょうがないので(間違い探ししろってくらい本当にみんな同じ書き方なのでどこまで理解して書いてきてるのか分からない)、実際の業務経歴以外は正直アテにしてません。結局は先方の制作要件に沿ってやってもらうしかないので、まずは1本作ってもらうことでしか相手を測ることはできません。うちの制作分を参考として一式渡してこれ通りに作ってください、って言っても自分スタイルで記述してくる強者もいるんですけど、もしかして教本以外の書き方ができないんですかね?うちに限らずどこもある程度の記述ルールはあって、それに倣って書いてもらう必要があるので、コピペした構文の応用もきかないようなうちは外注引き受けてる場合じゃないと思いますよ。実在する適当なサイト見つけて、どう組み立てているかとか、縦長のランディングページでもいいんですけど、画像コーディングでもどういう造りになっているのかとか、知識として知っておいた方がいいです。自分が始めたてのころは好きなゲームのティザーサイトを模倣してました。意外とスライダーとかライトボックスとか入ってるんですよねあれ。動画の埋め込み方は会社ごとにけっこう違うし。もちろん今の時代レスポンシブは必須です。ハンバーガーメニューは教本で必須科目みたいなので問題ないでしょう。はじめはその程度でいいので、まずコードをもっと身近なものにしましょう。コピペせずにまっさらな状態から書けるようになると一番いいですが、まあ長い構文もあるし普通に非効率なので自分が理解していればそれでOKです。「この記述は何に必要なのか」、最低限そのくらいは分かっていてほしいです。
今だと応募してくる方、20代半ば~30代前半くらいの方か、それ以上で脱サラの方が多いですね。きっとみんな毎日会社行って業務してっていう通勤スタイルに疲れちゃったんですかね。知らんけど。前職が全然関係ない人たちばかりです。むしろ前職もweb系だった方って見たことないです。まあ入り口として入りやすいんですかね?これも知らんけど。自分も前職web系じゃないんで分かります。
ただこれだけは言いたいんですが、フリーランスで食っていくということは、自分の腕一つで食っていくということです。入り口としては簡単なhtmlやcssだって日々進化しています。知らん間にcssアニメーションめちゃ増えてます。対応ブラウザも変わってます。iOSの仕様のせいで死んだプロパティもあります。毎日最新の情報を追って、自分のコーディング力を磨いてください。そうでなければ情報科の高校生の方がよっぽどいい仕事をしてくれます。家にいながら!空き時間に♪なんて簡単な仕事ではないです、残念ながら。ていうかそんなんで人ひとり食っていけるような仕事は世の中に存在しません。多少時間がかかっても、意欲があって自分の技術不足に自覚的な人の方が仕事がしやすいです。こっちもそのレベルに揃えて仕事を発注しますし、向上のチャンスがあるからです。そういう人とは長く付き合っていきたいと思います。うちで長くお世話になっている外注さんも、最初は初めて数か月とかそんな感じの人たちが多いです。”いま”経験値が浅いことは不利でもなんでもないです。大体みんなそうなので。そこからどう自分の価値を高めていくか、もう少し真剣に考えてもらいたいです。
結論としては、分からないことは分からないと言っていいし、出来ないことは出来ないと言っていい。今の自分にできるのがどのくらいなのか、きちんと客観的に分かってほしい。こっちもいきなり即戦力!とかを期待しているわけではないので、一緒にできることを考えていけたらいいなと思います。完。
いわゆる「若い女の子」に対してものすごい苦手意識がある。目どころかまともに顔を合わせることも気合を入れないとできないくらい苦手だ。
これは私が小さな女の子だったころからそうで、同じ空間に「若い女の子」がいるとキュッと肩に力が入る。
アラサーから片足放しだした今でも、美容院で若い女性が担当になると変に緊張する。それくらい苦手だ。
この苦手意識の正体は、彼女たちの「己が最強の生き物」である自負というか根拠のない自信からくる圧倒的パワーに対する恐れであることを最近自覚した。自覚したというか、言語化できた。
何せ私は自信がないので。「若い女の子」たちを見ているとなんか「生きててすみません」って気持ちになるのだ。
「若い女の子」は自覚的でも無自覚でも、己が最強の生き物だと思ってる。
自身は迫害されることがないどころか優先されるべき存在だと当たり前のように信じているし、それによる驕りがある。
実際彼女らは若さとか生命力とかによる爆発的エネルギーで光り輝いているので、大抵のことが許される。粗があっても「まあ致し方なし」で許される。
でも、それは全然悪いことではないのだ。むしろそうあるべきなんだとさえ思う。
私はソレになれなかったという卑屈があるから苦手なだけで、むしろそれは自然なことで、そうあるのが当然だと思っている。
いや、ただの卑屈だとわかってるからより落ち込むんだよな……苦手に思ってごめん。
男女問わず、若いうちは大抵のことが許されるんだよ、それが社会として当然なんだよ、というのを受け入れられないまま、強い自責を持って生きてきてしまった人間は、たぶん「若い女の子」が総じて苦手なのではと勝手に思ってる。
別にシスヘテロ女性だって理系進学してもいいし、スポーツをやってもいいし、「男性的」なスーツを着てもいいし、バリバリ働いてもいいし、異性と結婚しなくてもいい。そこにLGBTは関係ない。
しかし、「女性というのは生まれつき~~」と突っかかってくる人に対しては、「でもLGBTっていますよね?生まれつきの性差って自明な前提じゃないですよね?」とスマート「論破」できる。フェミニストがLGBTsに連帯するメリットはそこにある。
別に対人性愛者のオタクだってアニメや漫画ゲームを楽しんでいいし、二次元キャラクターでオナニーしてもいい。そこにフィクトセクシュアルは関係ない。
しかし、「創作とはいえ現実と混同して~~」と突っかかってくる人に対しては「でもフィクトセクシュアルっていますよね?創作と現実の結びつきって自明な前提じゃないですよね?」とスマートに「論破」できる。オタクがフィクトセクシュアルに連帯するメリットはそこにある。
しかしまあ、連帯するからには、フェミニストはシスヘテロの特権性にも自覚的であって欲しいし、オタクは対人性愛の特権性にも自覚的であって欲しい。
好きと嫌いを分けるのは自己肯定力だ
自己愛と言っても良い
自分を愛し肯定的に捉える者は、関心を持つ人や物事へも素直に好意を抱きやすい
逆に自覚的であれ無自覚的であれ、劣等感を抱えるものは、恨み妬み嫉みといったネガティブ感情を他人にも向けて嫌悪へと着地しやすい
なぜ男性は炊事場に立たないのか、みたいな常識を問うことは割と良しとされても、人権とは何なのか、そもそもそれは存在するのか、みたいな疑問については混ぜっ返し、拗らせ、人類の叡智の否定、野生への回帰、歴史の勉強不足、愚行と断じられるのってなんか茶番っぽさを感じる。
もちろん人間の半分を占めてる女性を抑圧しかねない規範を疑問視するのと、ごく一部の強者の欲求を抑圧して大多数の弱者に恩恵をもたらしてる(と少なからずの人が思っている)規範とでは話が違うんですけど。
自然法則は神様が決めた絶対のルールであって、誰が何を思おうがリンゴが地面から枝に戻っていく事にはならない。でも規範は誰が何を思うかそれ次第、というかそれが全て。時間が流れて考えが変われば常識も変わって法律だって変わる。正しさを見出したのか単に考えが変わったのか、それは答え合わせのしようがない。その口からは絶対の真理が告げられる神様でも連れてこなければ、どちらの捉え方が間違っているとも正しいとも、断言のしようはないと思う。
なんて言おうものなら烈火の如く怒り出す。人権はお気持ちなどではなく絶対です。異を唱えるのは勉強不足でバカなネトウヨか冷笑系です。
誓約書を書いた覚えも、同意しますと言った覚えもないんですけど。それとも世間一般の人はそういうのやってるんですか?
そんな事を言ってるオマエだって人権の利益を享受してるだろって?
それは話がすり替わってますよね?私が人権の利益にあやかっているのと、人権が本当に合意であるかどうか、絶対的な価値であるかとは論理的に繋がらない。
いくら人権がもたらす利益を並べ立てたところで、人権思想を広める有用さを示すには十分だけれど、人権が絶対かという問いからはズレてる。
疑問を挟む奴は人権剥奪のような言いようではまるで異端審問会ではありませんか。
他人を無闇に害してはならない。ムカつく奴を殺したい。これは根拠を辿れば等しく快不快の問題になる。どちらも論理だけでその考えの正当性を示す事はできない。論理と言うより、どちらかと言えば共感の問題だ。
意見とは価値観や感情を土台にしてそこから論理を積み重ねていくものだけれど。人権思想は根源的な感情に論理を乗せたというよりは、感情の多数決そのものではなかろうか。
とは言っても人権思想が多くの人にとって都合が良いというのはまあ確かなのだろうし、多くの人は「多くの人」に包括されるのだから別にそれでいい。論拠などよりも肝心なのは得られる結果なのだし。
別に論拠なんかなくても快不快の多数決で良いじゃんというか、そうする以外にないと思うのだけれど。
人権の「真実」に目覚めたバカ共と違ってこちらは論理的な話をしているが?みたいな感じで、その実さしたる論拠はない所が、なんというか不誠実だよねって思う。ナイーブといえばそれまでだけど。
人権の何たるかについて厳密に議論する事と人権が相対化され果ては軽視される危惧とを秤にかけて、後者を選び取った上で自覚的に絶対的なものだと喧伝しているのかもしれないけどね。
まあ絶対的なものではないけれど、いやないからこそ、不断の努力によって維持せねばならない。高校の現文の魯迅だかの評論でそんなような事を言ってた気がする。当時は理屈レベルでしか今はまあ肌感覚でそうかもねって思う部分もある。
……人権を相対化したからにはこうやって結ばないといけない感じなのもなんか茶番っぽいよなって思う。まあ実際、普通ならそういう結論になると思うけど。
「普通」ではなくて、別にそう思わない人がいた所でそれは単に価値観の相違だろうし、それを否定するには「や、まあ……一応世の中そういう事になってるらしいんでどうぞここは一つ……」って多数決で突っぱねるしか無いんじゃねって思う。というか実際そうされてるだろうし。
・フェイブルマンズ 青春ジュブナイルものとして内容はごく普遍的だけど、おれの大好物。エンタメとしてもとても面白かったと思う。大好きな『桐島、〜』の神木隆之介にフォーカスを当てきったジェネリック版って感じ。趣味人間として刺さっただけに、他人との関わりとかもうちょっと考えてもいいかなって思った。
・シン・仮面ライダー 良くも悪く仮面ライダーに思い入れがないので普通に面白かった。「大人向けライダー」っぽいバイレンスも露悪趣味じゃなくてちゃんと後半にかけての変化のコントラストになってていいなって思った。バディものはいいね。
・エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 別の世界線の自分を呼び出すのはコミカルな描写としても良いし、アクションとしてもメリハリのあるマトリックスみたいで面白かった。観た後はそんくらいの感想。他人の感想の受け売りだけど、税務署のババアと分かり合うのは指がソーセージの荒唐無稽な世界くらいにあり得ない事だった、みたいな見方に気付いてからは、ああそういうことか、なんかイイねって思った。
・グリッドマン ユニバース 直前にダイナゼノンを詰め込みで予習したから、時間が育む思い入れは少なめだったかもしれない。シンエヴァがずっとチラつきつつ、虚構を肯定する作品って良いよなって思った。グリッドマンから続くフィクションの肯定、ダイナゼノンから続く過去を清算して未来を勝ち取るってテーマについて非常に力強く語りかけてくれた感じがした。
・インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 印象的なカットはあんまりなかった気がする。ここぞという所であのニヒルな笑みを浮かべてバシッとキメるカットを期待していたけれど、特にそういう箇所は無かったか。聖杯を諦めて今を選んだインディも今回は若人にブン殴られる番になったけど、でも冒険劇ってこういうのでいいんだよなみたいな所は抑えてた気がする。
・ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 続きもんとして割と良い区切りのつき方だったと思う。次も楽しみ。列車の上に乗っかってトンネル突っ込むアクションはやっぱ手に汗握ってイイ。FIAT500のとことか、ちょくちょくフフってなる所もあった。合理的、冷徹にと言いつつ最後はヌクモリティで助かるのがいいね。今回宙釣りあったっけ。
・バービー 映画を観ながらああだこうだと語ってしまいたくなるのはもう性なのかもしれないけれど、それでも教えたがりにはならんよう気を付けんとなって思った。バービーについてよく知らんけど、アランの立ち位置をもっと活かせたんとちゃうんかって思った。アウトサイダーを安易に聖人化するのもアレなのかもしれないけど。
パラレルとか時間移動とかごっちゃごちゃだし、予習不足で知らんキャラ出てくるし、後半は完全に雰囲気で観てた。異空間をただ走り回る時間が体感3割くらいあった気がする。でも怪異の点と点が繋がって秘密に迫り始めて、面白くなり始めた時のコワすぎみたいな感じが凝縮されてて良かった。
・君たちはどう生きるか メッセージ的なものを汲み取ろうとすると、抽象的でよく分からんかった。エヴァのせいで「虚構と現実の話」みたいな匂いが少しでもすると感度3000倍で反応してしまうから、おれはそういう方面の受け止め方になってしまった。単にエンタメのとしては、「下の世界」が千と千尋みたいというか、夢(寝てる時見る方のやつ)の世界みたいで面白かった。
・アリスとテレスのまぼろし工場 メタフィクションとして受け取るのが適切かどうかは分からないけど、その辺に大分自覚的な気がした。閉じ込められた世界、田舎の閉塞感、まぼろしの世界、そしてフィクションの世界。その辺の繋げ方が上手いなって思った。そこを出なければ無限大の可能性が広がる現実を手に入れられない。まぼろしの世界は痛みも感じないし匂いもしないけれど、それでもそこにある愛は本物。みたいな。フェティッシュな描写も邪魔にならない程度に印象的だった。セカイ系初対面アンニュイ女の笑顔良すぎ。
・ジョン・ウィック:コンセクエンス アクションに遊びが増えた気がする。コミカルな動きが割と印象にあった。上からの俯瞰の画角もMGSみたいで面白かった。どうせここでは死なないしな……みたいな緊張感のなさと引き換えに一騎当千の爽快感があって、マンネリ感はあまり感じなかった。グラサンの人も拳銃持った座頭市を放り込んだみたいでかっこよかった。刀と弓使ってたのは、一応防弾スーツ対策みたいな理由付けがあったのかな。新しい事をやるのに加えて話を畳むという事を考えたら分割するような内容でもなかった気がするし、あの長さで良かったんじゃないかと思う。
荻窪・西荻・吉祥寺を紹介した以下のインタビュー記事。紹介されているエリアについて、そもそもお金がないと住めない場所、お金のある人はよろしおすな~といったシニカルな論調のコメントが集まっている。ようするに荻窪・西荻・吉祥寺で「『お金と物質』以外の価値観」について語ること自体が金持ちの道楽であることについて、批判的なコメントが寄せられているらしい。
https://suumo.jp/town/entry/kichijoji-homurahiroshi/
コメントをひととおり読んでみて、まあそうだよな、という感想を私は持った。それと同時に、そんなに目くじらを立てることかな、とも思った。というのも、このインタビューで体現されているのは、バブル時代の典型的な価値観だからだ。それを発信する個人についてどうこういってもしょうがないだろう。まだこういう話題を出す向きがあるのかとは思うが、それは別の話だ。
インタビューを受けているご本人もカウンターカルチャーに触れているとおり、バブル時代はカネ一辺倒の時代ではなくて、ヒッピー的なカルチャーの余波がずっと続いていた時代だ。1980年代から90年代の前半くらいに小中学校で国語のテストをうけた人は覚えているかもしれないが、「日本人は物質的には豊かになったが、心は貧しい」みたいな論調のエッセイばかりが現代文の問題文に使われていた。荻窪・西荻・吉祥寺を紹介したインタビューの倫理的な立ち位置はそういうエッセイと地続きのものだ。だからこそ、なんかずれていると現代の人には感じられるのだと思う。
氷河期世代で長く非正規として働いていた私は、「日本人は物質的には豊かになったが、心は貧しい」とか学校では習ったが、自分は物質的にも精神的にも貧しいままなんだが、いったいどうなっているんだと、ずっと思っていた。それはいまもさほど変わらない。だから荻窪・西荻・吉祥寺エリアの中産階級的な視点から、「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方の多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」的な語りをされると、「よかったですね!」と言い返したくはなる。
この記事に微妙ないらつきを感じるポイントは次のようなところだと思った。サブカルについて、あるいはカウンターカルチャーについて語っている人の立ち位置が、高等遊民的な、スノビッシュなものに見えて、語っている人はそれを隠そうともしていないし、自己のそういう立ち位置についてあまり自覚的でないように見える。
バブル時代には敗者のものだったカウンターカルチャー的、サブカル的な生き方が、じつはそこそこお金がないとできないことに人々が気づいたのが、この30-40年間くらいの展開ではなかったか。人々の生活感あるいは貧しさの感覚にもとづいたそのへんの気づきをすっ飛ばして「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方の多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」とやってしまうことへのいらだちが現れていたのが、今回の記事への反応だろうと思っている。
そういう語りをする人が時代に抗って高踏的であるのか、時代に取り残された感覚の持ち主であるのか、インタビューの対象者となっている方のことを私はよく知らないので、判断する根拠がない。だがなんとなく、人々が感じているいらだちの原因を自分なりに言語化しておきたいと思った。
ガチで痩せたいんだがどうすればいい?
https://anond.hatelabo.jp/20230926120623
12:00 昼飯 コンビニのちっちゃい惣菜2個(煮物と油淋鶏とか 野菜系と肉系の組み合わせ)
21:00 夕飯 だいたい炒めもののおかずと米
マジ腹立つ。
なんでかわかる?
量や個数を書いてねえからだよ。
なんも意味ねーじゃんそれじゃ。
お前がどれぐらい食って飲んでるのかさっぱりわからねーじゃん。
これでどうやって相談に乗るの?
でさあ、おまえさあ、これ本当にわからなかった?
「量を書かなきゃ意味ねえな」ってわかんなかった?
ほんとにわかんなかっただけならごめん。
ちょっと頭悪いとかちょっとウッカリした程度のことをガン詰めするのは正しくない。
でもこれはちげーよな?
わかってたよな?
お前は目を逸らすためにここぼやかしたんだよな?
全部それでそれが全てなんだよ。
聞いといてなんだけど結局つよい心で食う量を減らすしか無いんだろうな
ほんと笑うわ
お前のどこにつよい心があるの?
こんな誤魔化しやってるやつに。
だいたい心が弱いからいま太ってんじゃん。
「つよい心で食う量減らす」って不可能じゃん。
深夜のスナック菓子は毎日ではないが、細かい作業してるとながら食いしてしまう
これは真っ先にやめるべきだな
あと家では白米を大盛りで食ってしまうので、これも少し減らしたほうが良さそう
何なら夜は米抜きでも良いのかも知れない
でもこれも満足感が得られずストレスになりそう
こういうのもさあ
こうやってふわふわふわーってあれやめるべきだなこれやめなきゃつったって
やめないじゃん?心が弱いんだから。
むしろ未解決・解決不能タスク積んで鈍い頭がますます鈍くなるだけじゃん。
お前の脳や体にはそんな無駄なことやってるほどの余裕あるの?
あるとも言えるしないとも言える。
現実的に言えば筋トレはもっとも減量に確実な効果あるんだけど、
なんでかっていうと自分の体型に自覚的になるからなんだよね。ボディコンシャスになる。
その点筋トレは筋肉をプラスする、盛る作業だから、人によっては凄く楽しい。
そうやって筋肉がついてきたらもっともっと体型をコントロールしたくなって、
結構苦しい思いや集中を通してトレーニングして筋肉つけてきたときに
(筋トレで基礎代謝が増えるから痩せられる、って言うのは現実的には嘘。
怠惰なデブの心のままでは基礎代謝増えるレベルまで筋肉付かないし、
逆に基礎代謝が増えるほど筋肉付いてる時は既に心がデブじゃないので
一日1500kcalはくだらない消費カロリーだろう。
(日本語おかしくて行き返り合計で25キロの意でも一般人としては滅多にない運動量だ)
それでぶくぶく太るってどんだけ食ってるんだよって話で、
そのだらしない食事量を書くのが恥ずかしいという今更な羞恥心で量を隠したわけだけど、
食事はもうなんでも食えるっていうぐらいの総消費カロリーになり、その上で太るのは難しい。
それでも太ろうとしたらまともな食事では相当な量と出費になる。
12:00 昼飯 コンビニのちっちゃい惣菜2個(煮物と油淋鶏とか 野菜系と肉系の組み合わせ)
21:00 夕飯 だいたい炒めもののおかずと米
俺はこれを一番言いたかったんだが、
食事傾向はどう見ても糖尿一直線。
あと家では白米を大盛りで食ってしまう
発言の感じから言っても典型的な糖質馬鹿食いするタイプの食習慣が身に沁みついたブタなので
家を出てから食習慣が劇的に変わったというケースでなければ
ここまではそれほどおかしくない食事なので(量も伏せられていないところに注目)
21:00 夕飯 だいたい炒めもののおかずと米
このエンプティカロリー&ほぼ全部糖質の所で馬鹿食いしている。
むしろ体質は丈夫なのかもしれないが、食文化がこれでは健康が維持できるのは30代までだろう。
親や親せきの病気や死因を見ていけば自分の末路も想像できるはずで、
それがより早い時期に降りかかってくると考えていい。
正直お前の助け方がわからない。
既に糖尿が始まっている可能性すらあるのに
当人は「ガチで痩せたい」「流石に身体が重いので減らしたい」などと暢気なことを言っている。
いまだに食ってる量から目を背けようとしている。
こんな人間を救うのは不可能だから、好きなだけ食ってとっとと死ぬオプションも真面目なお勧めとしてある。
その道を邁進すれば5年ぐらいだと思う。
もしジムでウエイトトレーニングをするなら小さな筋肉やっても仕方ないので
脚が強いからいきなり重いウエイトが上がってちょっと自尊心が出たりして楽しくなるかもしれない。
ベンチプレスは別に必要ないが、やりたいならやればやればこれもいきなり重いウエイトが上がって楽しいと思う。
普通の初心者のBIG3の重量と比べてウオーこんなに上がった、俺スゲー
とか楽しくなれるなら筋トレにはまって体型にポジティブになるかもしれない。
その場合は人に言われなくても食べる量や食べ物の種類を自分で調べてコントロールできるようになる。
そのジムで一番筋肉がでかいトレーナーにパーソナルを頼んでおだてたりキレたりしてもらえば
トレーニング自体への慣れや上達は早まるだろうし、人に管理されることが嫌いでなければ食事も見てもらえばいい。
これはまあ好き好き。
増田よりもう少し世代上だけど、ネットがコロナからすっかりノリが変わってしまったのはわかる
特に増田はある程度綺麗になったネット空間で遊んでたから余計にきついと思う
自分は電車男くらいからネットやってたし、ニコニコはあまり見ずに2ちゃんの悪意に満ちた空間に入り浸ってたから今の悪意に満ち溢れた空間にも少しは耐性があるが、それでもキツい
ちょっとした相談とか愚痴とかにつくコメントがめちゃくちゃ辛辣になった
後は他人傷つけるのがはストレス発散になる、楽しいということに気づいて自覚的に行動してる人が結構増えた
「アリスとテレスのまぼろし工場」だけど、本作は言うに及ばず、過去作もフェミニズム、女性の政治的権利にはつながらない人だよねと、いつも見てる人には当たり前の感想を思った。
それもあり、当然ながらヒロイズム喝采な盛り上がり方もできないし、一方でポリティカルテンプレの誉め方で持ち上げようがないし、日本的な意味でも海外的な意味でも売れ筋から背を向けてて、正しく古いオタク向けの人ですよね岡田監督。この人を女性監督という取り上げ方をするのも大概バカみたいだけど、そういう戦略性も含めてオジサンにウケる人。
「少年少女」じゃない。おそらく10年以上なんなら20年近く「中学生として振る舞い続けること」をやってきた、周囲の監視の目もあって童貞処女のままの30代半ば。キモイ。似てる設定というと「スカイ・クロラ」だけど、あちらほど精神状態が終わってないのがまた煮え切らなくてキモイ。
ここで既に物語テンプレのロールや社会的ロールに沿った理解を当てはめようとする人が全員振り落とされる。「十代のドラマなら十代のドラマらしい話にしろよ」も「30代の擦れた男女のドラマならもっとそれっぽく作れよ」も適用されない。イラついて「設定がちゃんとしてないんだよ」と毒づく。
まあね、でも実際そんなだったじゃん90年前半バブル崩壊で取り残された団塊ジュニアども。
保守的な伝統社会はぶっ壊されてたし、理念先行の社会主義なんて信じてないし、経済成長に従ってれば会社が人生のレールを敷いてくれるって幻想も一瞬で消え、2、3学年上の先輩たちの話はまるで参考にならない。稼ぎがないので結婚しないし、景気が悪い上に自分たちの世代が一番人口が多いせいもあって職場に後輩も少ないなんなら後輩いない、なんなら終身雇用と派遣の狭間で企業側もフラフラと方針定まらないまま。いつまで経ってもマンガアニメから卒業しない「子供のまま」だったのが、気が付けば世間の方がマンガアニメに迎合しだしちゃって。
設定らしい設定がないので、子どもなのか親なのか、先輩なのか後輩なのか、若者なのか中年なのか、どういうロールが正しいのかわからん連中が日本の人口のマス層として取り残された。
こういう停滞感、今までも色々と表現されてきたけど、比喩としては一番ダイレクトで何のひねりもなく、分かりやすい。現実に設定がしっかりしてないから、設定ではっきりするほうが噓でしょ、って明け透けな見せ方。これが今回いちばん岡田麿里らしいとこじゃないですかね。
いわゆる岡田監督らしさについては、本人が自覚的に自分の過去作を振り返って他人から言われる評価を参照しつつ作ったってパンフで言ってるし、そこまで評価するとこでも突っかかるとこでもない気がした。上手いですけどね。女と母親とどちらでもある自己っていう振れ幅を一つの台詞に同時に込めるとか、うわーえぐーい。オジサンはこういうのやられると負けるわ。
ただまあ、今回は前よりかすっきり整理してて分かりやすいし、監督そのもの、監督らしさ、岡田マリー節炸裂、とは思わなかった。70%マリーぐらい。200%って言ってる残りの130%は作画スタッフとか役者とか視聴者の思い込みとかだと思う。
ただ、その70%で、ファンタジー世界を作り上げた神たる老人の「俺はこう生きた、君たちはどう生きるか」に対し、ファンタジー世界に囚われた住人の立場から「中年のあたしたち俺たちはこう生きてきたし、こう生きていきますが、それで、何かご質問が?」と打ち返してるのが、マリー持ってんなと。このタイミングでこのカウンターを見逃すのはホント勿体ないので見たほうがいいと思う。
その他。
なんか「あの花」とか最近作しか出てこないので、老害的に付け足し。
この人はファンタジー作家です。現実世界のリアリズムとかの人じゃない。のでリアリズムは求めないほうがいい。
ファンタジー作家としての気質は「砂沙美魔法少女クラブ」で100%発揮されてる。以降もだいたいこんな感じ。
「スカイ・クロラ」を引き合いに出したので繋がりでいうと「シムーン」の後半。シムーンは押井守と仲良しな西村純二監督が「スカイ・クロラ」とほぼ同時期にやった「モラトリアムな人たちの出てくる戦闘機乗りの話」で、シムーンの企画原作やってた人たちの手を離れて後半はマリー西村コンビへ。このコンビの流れで「true tears」に繋がり、そこから「花咲くいろは」へと。
煮詰まって先に進まない男女関係だと「とらドラ!」。原作あるけど、まったく前に進まなくてどうすんだこれ、って澱みっぷりは岡田脚本の本領発揮だと思う。秩父三部作だと長井龍雲監督の調整がけっこう入って長井節になってるので、あんま澱まない。
個人的にマリー100%だと思ってるのは「ブラックロックシューター」。ファンタジーで少女バトルでバイオレンス。別に下ネタじゃなくても100%だと思う。気に入ってしまって円盤買って家族に強制的に見せたのは、ちょっと反省している。
まあ脚本家のキャリア長いし、原作ものも当然のように多いし、普通に現場の調整の中で仕事してる人なので、なんもかんもマリーってこたない。