はてなキーワード: 流入とは
詐欺事件につきまして
新品交換でリフレッシュ品を送ってきた。
新品交換と嘘をついて、携帯電話、取得(送付させた)。
です。
KDDI は組織的に新品交換と偽って、保証サービスの契約及び交換対応の可能性。
交換対応時、新品交換と偽るか、リフレッシュ品と交換と説明するかの違いです。
KDDI 新品購入or新品交換
他社 新品購入orリフレッシュ品と交換
違い
リフレッシュ品と交換であれば、新品に買い替える。
現キャリアで新品購入or他社で新品購入
リフレッシュ品と説明する企業は、一定数、他社流出。(他社で新品購入)
他社への乗り換え(流出)
KDDIはドコモ、ソフトバンクの2倍(2社から)+αで流入。1度、KDDIが確保すれば、それ以降は流出阻止。
ドコモ、ahamo発表時の若者世代、20代が弱点の旨の発言につきまして、これが原因の可能性。
あくまで組織的犯行であればの話。組織的かどうかはわからない。
明るみに出していただければ幸いです。
宜しくお願いします。
元増田です。
元自の方が反応してくれてうれしいです。
うまく言語化できなくて元記事にはちゃんと書けなかったんですが、私も同じように思います。
つまり「自衛隊内での風通し」をできる限り良くすることが挙げられるんじゃないかと思う。
同じ人をずーっと一つの場所に固定させないのがいいのかなと思いますが
特性上難しいのかなぁと。ほかの部隊と人事交流させるとか可能だと思いますか。
たまに人の出入りはあったけど、新隊員以外で人がはいってくることってめったになかったように思います。
問題起こして飛ばされるとかはあったけれど。
なんにせよ、直接的な被害もさることながら、他ならぬ自衛官の仕事に直接触れることでそれに憧れ、ずっと自衛官でやっていこうと志高く入隊したはずが、クソ野郎どもに幻滅させられて道半ばでの退職になってしまったというのは、本当に辛いことだと思う。
↑の元増田。
一回長々と書いたんだけど、なんか言い訳臭くなったので書き直す。
そのインタビューとかコメントを個別に見ないとなんとも言えないところ。
とはいえ確かに、やべえ奴がいないわけではない。ていうか今思い返してみると、俺の観測範囲でもたくさんいた。
でもそれが民間(「自衛隊の外」という意味で使われている言葉)と比べて有意な差があるかというと、あまりそういう感じはしない。日本のどこにでもいるやべえ奴が、普通に自衛隊にもいるという印象。
で、やべえ奴らの吹き溜まりがあの中隊だったんじゃないかというのが、件のニュースを追った「今の」俺の感想になる。
正直防衛省に限らず、官僚の隠蔽体質と内外からの訴えをなかなか認めない頑なさは今に始まった話ではないので、自衛隊が自身でやるべきこととしては、ああいう吐き気を催すような吹き溜まりを作らないようにすること、つまり「自衛隊内での風通し」をできる限り良くすることが挙げられるんじゃないかと思う。
やべえ奴らの流入は、たぶん社会情勢と組織の性質を鑑みるに防ぎようがない。
被害者の方は1等陸士で辞めている。恐らく入隊の仕方としては自衛官候補生じゃないかと思われる。任期制自衛官とも呼ばれていて、任期満了であれば士長で辞めるはずだ。任期満了はメリットがそれなりにあり、目前にありながら手放したことになる。恐らくそれも損害賠償の対象になるだろう。
なんにせよ、直接的な被害もさることながら、他ならぬ自衛官の仕事に直接触れることでそれに憧れ、ずっと自衛官でやっていこうと志高く入隊したはずが、クソ野郎どもに幻滅させられて道半ばでの退職になってしまったというのは、本当に辛いことだと思う。
自衛隊でなくてもどんな犯罪でもそうだけど、被害が出た時点でもう取り返しはつかない。
防犯ブザーみたいな、手っ取り早く一定の犯罪を未然に防ぐ仕組みがあれば良いんだけど。
心配はもっともだ。俺はやべえ奴のうち上官と呼べる奴が大隊長と2曹にいたけど、まああんま関わらねえしいざとなったらiPhoneで録音でもして週刊誌に持ってきゃいいやとか思ってた。
でもそれは生存バイアスで、立場的に弱い人が被害に遭ってからじゃ遅いんだよな。
俺から言えるのは、所詮どいつもこいつも人間なんで、自衛官だろうが政治家だろうが評論家だろうが作家だろうが医者だろうが宣教師だろうが先生だろうが警察官だろうがやべえ奴はいる。だから、どこに身を置くにしても自衛の手段を持っておいて損はない。
もちろんこれは、被害者を悪く言ってるわけじゃない。
安全神話を標榜していた新幹線がその実、工事中に大量の殉職者を出しているように、人の在るところに理想はない。けれども、それでも理想を追求しようとする人たちがいる。
その一助になればと思ってる。
なんかすげえ共感性羞恥呼び起こしそうな文章になった。マジレスしようとするとどうしてもこうなっちゃうんだよ。
恥を忍んで投稿する。
棘は棘で偏りあるってのは分かるんよ。はてブでも極端なまとめがホッテントリに入ってて遭遇したら自分も「うわっ、きも!」ってなるしな
この前、アプリ版だけだけどフィルター実装しましたって話題で槍玉に上げられてたのも感慨深かった
でもサイト内で過ごす分には案外、快適なんだよね。トップ、ランキングあたり見回しても日常ネタだったりアニメ・ゲームネタを中心に馴れ合ったりしてるだけでさ。平穏にさえ感じる
あれ、あの炎上案件って何処でやってるっけ?って探すんだが、注目か新着を2,3ページ遡ると漸く出てくる始末だったりして。まぁ、あとはそういうまとめ主をフォローするかだな
積極的にPV稼がないのかな?と一瞬、思ったけど、そういうのは内部に燻ってるアレな奴とか外部から流入してくる(それこそ、はてブとかの)お祭り層を中心にやって貰うと割り切って、あくまでサイト内を巡回する自社ユーザーはストレスフリーに過ごして貰うような設計にしてるんじゃないかと思い至った
コンテンツフィルターって言うの?話題やタイトルによって、ある程度は人為的に操作していると感じた(でなきゃ単純にPV数だけは多い炎上案件でランキング上位が占められてる筈だし)
翻って、はてブは機械的にブクマ数だけで動いてる印象。一応アルゴリズムはあると謳っているとはいえ、相変わらず新着は非公開3ブクマで入るしブクマ数が多ければホッテントリでしょ?
そりゃ耳目を集める極端な主張がユーザーの目に入るわけで、それを目にしたブクマカ間はギスギスするわな。そういう空気が最近、蔓延ってるように思った
とまぁ、ここまで書いてきたけど根拠のない想像なので悪しからず。実際にはサービスの性質とか扱うコンテンツの種類なんか両社それぞれ違うわけだから比較してもしゃーないんだけどさ
「なんとなく棘の居心地いいな」「なんとなくはてブの居心地悪いな」と漠然と感じてて、それって何でだろうって考察しただけのアレでした
はてなブックマークはtogetterを人気記事一覧に入れるのをやめてほしいです。
はてなブックマークからの流入は質が低い上に場を荒らすのでただただ迷惑です。
PVの恩恵はほとんどないくせになぜか態度がでかいやつしかいないので空気が悪くなるんです。
不思議なんですけど、はてなブックマークコメントでひどいコメントをする人はtogetterを見たくないとか言ってるんです。
じゃあミュート機能使えばいいじゃんと思うんですがなぜか使わないんです。
https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2022/09/20/130734
togetterのコメント欄でネガティブなコメントをする人って本当は好きなんですよ。
口では嫌嫌言ってるけど身体は正直という言葉がありますがそんな感じです。
本当は他人をけなして気持ちよくなりたいのに取り繕ってる人です。
会社では理不尽な上司にペコペコして、そのうっぷんを晴らそうにも風俗に行くお金すらないんです。
なんだかそう思うととってもかわいそうだなって思います。
可愛そうだけどよそでやってほしいです。
もちろん、海の妖怪が人間の王子に恋をするという悲劇的な恋愛物語であるが、実はフリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』という、水の精霊と人間の騎士との恋愛物語を描いた先行作品が存在する。そういう意味ではアンデルセン作品は、あまりオリジナリティが無いとも言えるかもしれない。
フーケの作品『ウンディーネ』には無くて、アンデルセンの『人魚姫』には有る要素として、我々がよく知っているのが、主人公の人魚姫が人間になることの代償として「声」を失うという筋書きである。
この「人間になることで声を失う/奪われる」という描写の元ネタと考えられているものの一つに、アイルランドの海浜に近い場所に存在する某村に関する民間伝承がある。
周辺の他村の住民たちは、某村の住民たちのことを「人魚の子孫」と見なし、彼らと会話することを忌避していたというのである。
この話から直ぐに連想するのが、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する、妖怪セイレーンのことである。これは、航行する船を操る船乗りたちを、美しい歌声で惑わして誘き寄せ、船を難破させて殺害し、その人肉を喰らったとされる、半人半魚の妖怪である。ここでも「声」が禁忌とされている。しかし、どうしてもセイレーンの歌声を聞きたいと願った知恵者オデュッセウスは、部下の船乗りたちの耳を蜜蝋で塞がせて、歌声を聞こえないようにさせてから、セイレーンたちの居る岩礁の傍を通過するように船を航行させた。オデュッセウス自身は、己の身体を帆柱に縄で縛り付けさせ、決して海に落ちることの無いように万全の防止策を施してから、その耳で彼女たちの歌声を聞いたという。
日本においては、人魚との「会話」が禁じられていたというわけでは無いものの、やはり不吉な影が付き纏う。『吾妻鏡』や『北条五代記』等には、人魚らしき妖怪の発見事例が記されており、これを何かの前触れとした陰陽博士などの占術職能者によって、兵革の兆し、奥州藤原氏の滅亡の前兆などと見なされたといった例が見出される。
ただし、これらの国文学的な文献に記された人魚は、アンデルセンの『人魚姫』のような美しく可愛らしい姿とは、かなり異なる。例えば、頭部だけが人間の人面魚タイプであったり、四脚らしきものが生えていたりと、なかなか奇怪な姿をしていたようである。中には、頸部に鶏冠の如きヒラヒラしたものが付属していたという事例もある。また、発見される場所も水辺だけではなく、時には、山肌で起きた土砂崩れの現場で発見されたことも有るようである。
してみると、人魚にとって魚身であることは、我々現代人が思う程、重要ではないのであろうか。実は、先に挙げた『オデュッセイア』に登場するセイレーンにしても、元々は半人半魚ではなく半人半鳥であったとする説が有る。その鳥の怪が、もしも水鳥の怪であったとすれば、後に、半魚の怪との交雑を起こしても、それほど不思議では無いと考えてもよいのかもしれない。重要なのは、半人半怪という混合性である。
さて、アイルランドの某村に関する民間伝承と比較するために振り返ると、日本においても「妖怪の子孫」と見なされた人々が存在しなかった訳では無い。例えば、江戸時代の南町奉行、根岸鎮衛(ねぎしやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収められた「河童の難を遁るゝ歌之事」という文章を参照してみよう。そこでは、菅丞相(かんしょうじょう)すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)の作として伝えられる、次のようなまじない歌を紹介している。
「ひよふすべよ 約束せしを 忘るゝな 川だち男 うぢはすがはら」
根岸鎮衛は、菅丞相の作は疑わしいとしつつも「ひよふすべ(ヒョウスベ)と云ふは川童(カッパ)の事の由」と記しているが、これは、長崎県諫早市周辺でのカッパに該当する水怪に対する方言的な呼称である。しかし、カッパ避けの歌が伝えられていたのは、現在で言うところの千葉県(アメリカで言えばノースダコタ州)である。随分と遠くの地までヒョウスベの名が伝えられていたことになる。
岩波文庫版では「川だち」には「水泳の上手い者」との注釈が付けられている。これは遊戯としての水泳のことを言うのではなく、職業的な必要性から河川で泳ぐことをしていた者たち、職能者たちと考えるのが妥当である。その川だち男が「我々は菅原氏の関係者なのだ、約束を忘れるな」と、歌を通じてヒョウスベ≒カッパに向かって呼び掛けているのである。一体、何を約束したというのか?
菅原道真の家系である菅原氏は、遡れば土師氏(はじし)に連なるとされる。土師氏の祖は、野見宿禰(のみのすくね)とされ、当麻蹴速(たいまのけはや)との角力すなわち相撲(すまひ)による決闘を行ったことでも知られる。現代では十把一絡げに河童(カッパ)と総称されるようになった水の妖怪が、相撲を好むことは昔話などを通じて広く知られているが、その起源には、土師氏=菅原氏との関わりが存在するということである。
この土師氏は、埴輪を作ることを能くしたが、埴輪といえば赤土であるが、この赤い色は、酸化鉄を多く含むためである。このような粘土の採掘は、鉄分を含む土の採掘であり、これは時代が下れば、鉄を初めとした金属鉱脈の採掘にも関連・発展したことであろう。
鉄に限らず金属は、採掘されるだけでなく精錬されるので、山の掘削、森林の樹木伐採という環境変化を伴う。これは、山に水源を発する河川にも影響を及ぼしたと考えられ、そうなると、粘土の採掘や金属の採掘・精錬を行う山の民と、漁業・水運などによって河川で生業を立てる川の民との間で、何らかの紛争を招いたのは想像に難くない。本来の「カッパによる水難」とは、元々は「山にいるカッパ」による山林環境の変化によって引き起こされた、河川災害や環境破壊のことを指したのではないのか。なお、カッパといえば河川などの水辺だけにいると現代人は思いがちだが、カッパが河川から山、山林から河川へと、季節の変化ごとに移動するという伝承が見られるのである。
山林の環境破壊が火種となって紛争が発生し、これを停止するための平和条約のようなものが「約束」であり、それが川の民と土師氏=菅原氏との間に結ばれたことにより河川災害の発生件数が減少したこと、それが「カッパ避け」の実態だったのではないか。川の民に害を及ぼさないと、かつてカッパの親分であったであろう土師氏=菅原氏が約束したことが変化して、川だち男が「我々は菅原氏=土師氏の裔であるぞ、だからカッパよ、我々には害を及ぼすな」と呼び掛けるようになったのではないか。
ヒョウスベには「兵主部」の漢字が当てられる。このうち「部」は物部や斎部などと同じであるが、では「兵主」は何なのかと言えば、これは大陸から渡来した蚩尤(しゆう)のことではないかと言われている。というのも『史記』では、蚩尤は金属製の戦用武具を生み出した「兵主神」とされており、しかも角力(相撲のようなもの)を能くするのである。その上、石や鉄を喰らうとされるので、これは金属の精錬を象徴するのではないかと考えられる。ここから、兵主部とは元々は「兵主神を祀り、それに関連する金属の職能に携わる部民」であろうと考えられる。
脇道に逸れた話の部分が予想外に長くなってしまったが、土師氏=菅原氏という職能集団的な氏族がカッパの裔であると考えられていたということ、そして、カッパに対する民の恐れの根源には、職能活動による影響が存在した可能性のことを言いたかったのである。
本筋に戻ると、アイルランドの海浜そばの某村に住むという「人魚の子孫たち」が、周辺他村の人々から会話をすることを忌避されたのは何故か。それは、彼らが「予言する能力」を持っていたからではないのかと私は推測する。ただし、予言と言っても、超常の能力ではない。彼らが漁業や水運業など海の船仕事に携わっていた職能集団だったとしたら、どうだろうか。そのような仕事に携わることで、海路における岩礁や難所の存在場所についての知識も蓄積されたであろう。また、船仕事に影響するような天候の変化を読む(予測する)観望天気の知識も蓄積されたであろう。そのような、いわば専門知識や能力を身につけた彼らが、もしも「海路のあそこには岩礁が有るぞ」「嵐が来るぞ」と予測して教えてくれたとしたら、何の知識も持たなかった他村の人々は「某村の住民が不吉な予言をする。彼らが予言を行うせいで不吉な出来事が起こる」と逆転した考え方をして、誤解したのではないだろうか。それが「会話を忌避する」ことに繋がったのではないだろうか。
上で粘土採掘や金属の採掘・精錬を行う職能集団とカッパの関連を述べたが、こういった専門的な仕事は、その仕組みを外部からは理解しにくい。自分たちには出来ない仕事をする能力を持ち、影響力が大きい者のことを、人間は尊敬するだけでなく同時に差別もするという例は、古今東西を問わず広く見られる現象である。例えば、西アフリカの伝統的な音楽・歌唱の職能者グリオ(griot、フランス語。現地のウォロフ語でgewelギュウェル、トゥクロール語でgauloガウロ、マンディング語でdjeliジャリなどと呼ばれるのが語源)たちは、歌の言霊を駆使することで、人を幸せな気持ちにしたり、戦の前に闘争心を鼓舞したり、逆に人々の間の争い事の調停役を担ったりといった役目を果たすことから、非常に尊敬を受ける反面、亡くなると普通の墓に埋葬されずにバオバブの木の虚穴に遺体を遺棄されるという。そこでは、尊敬と差別の心理がアンビバレントに同居している。
日本の人魚が不吉の前兆と見なされた話は既に述べたが、その中には、人魚自身が言葉を口にしたという例も見られる。それも、もしかしたら海の民などの姿を人魚に反映していて、やはり海の民による予言とそれに対する恐れの感情の名残なのかもしれない。
西洋人が日本に渡来するようになると、剥製・ミイラ製造の技術も伝えられ、魚や動物のパーツを組み合わせることにより、カッパや人魚のミイラが製造されたことは、現在も日本の各地に残るミイラの実物とともに知られている。したがって日本における人魚の形態傾向が、人面魚タイプや四脚タイプから、現代人にも親しみのある上半身人間・下半身魚タイプへと変化した原因として、西洋人の影響が有るという可能性は、もっと大きく見積もっても許されるであろう。しかし、日本よりも先に西洋人との接触を果たしていた中国を通じて、もっと早い時代にミイラ製造の技術が日本に伝えられていたという可能性は無いのだろうか。その時に、西洋人が抱く人魚のイメージも一緒に、早期から日本に流入したという可能性は無いのだろうか。大陸や西洋からの人魚伝承の流入によって、前触れや予言というイメージが形成された可能性は、今後より丁寧に調べる必要が有るだろう。
まだまだ考察すべきことは多く残る。
人頭獣身の妖怪、しかも不吉の前兆や予言を伴うといえば、人頭牛身の妖怪「件(くだん)」が思い浮かぶ。上で半人半怪の混合性が重要と述べたが、この混合性の故に、人間の住まう現実の世界と、非日常・非現実の世界との結節点となる役目が、人魚や件のような半人半獣の妖怪には与えられたのであろう。そして、その役目を具現化したものが、前触れや予言なのであろう。
また古来、予言や神託の役目を担う者の多くが、巫女という女性であった。これは、女性には生理があり妊娠・出産が可能であることから、男性に比べて、より自然というカミの領域に近い存在であり、現実・日常の世界との仲立ち・結節点の役目を果たすことが出来ると信じられていたからである。セイレーンや人魚に限らず妖怪や怪物たち(例えば、エデンの園でアダムとイブを誘惑した蛇など)に女性性が付与されているのは、ユダヤ教・キリスト教・仏教などが地位を確立する以前の世界において、カミの領域との仲立ちを務める職能を担っていた女性たちに対する、尊敬と差別というアンビバレントな感情が反映された名残であろう。
最初に『人魚姫』は何の物語か?と掲げ、長々と文を書き連ねたが、正直に言えば、それを確定することは実は難しいと思っている。ただし、少なくとも、異なる世界の住人が出会った物語、それに伴って起こったコンフリクトの悲劇の物語とは言えるのかもしれない。
乱文も長くなり過ぎたので、ここまでとしよう。
参戦遅れたわ、悔しい。
元増田の主張にフォローする形に話を持っていくなら、一定数のブクマカたちの言っている「明石花火大会歩道橋事故」が、元増田の言う
元増田の主張全体を通して読むと、引用文の「こんな事」が「雑踏事故自体」に係るか「催涙弾の使用」のみに係るかが不明瞭ではあるけども、いずれにせよ1本事故の原因をちゃんと検証して反証たりうるか調べて、ブクマカたちに反論するなり補足するなりってのが建設的議論ってやつだと思うんだけど、そうやって煽り合ってなにが解決するんだ。
そこは「そうしないと読んでくれない」って思いがあったかもしれないにせよ、タイトルを煽り気味にした元増田も良くない。
当然それに乗っかった一部のブクマカも良くない。
あと、
よく言われることだけど、「分かりやすさ」はすなわち「事実」じゃないから気をつけた方がいい。
当然これから俺が主張することも、出典が出典だけに事実じゃない可能性がある。元増田の主張を支持して俺の主張の穴を突きたいなら自分で徹底して調べて俺に教えてくれ。単なる煽りには絶対に乗ってやらないんだからね。
本題に移る。
2001年7月21日に起きた「明石花火大会歩道橋事故」についてはWikipediaに記事があったので、以下これを元に話を進める。
原因については、以下の様になっている。太字は俺が強調した。
会場の大蔵海岸と朝霧駅との間には国道2号が通っており、歩道橋以外の連絡がなかったことが大きな原因の一つであった。この歩道橋以外のアクセス経路としては、朝霧駅東側の踏切や西側の跨線橋があったが遠回りになり、山陽電気鉄道本線の大蔵谷駅や西舞子駅があるものの会場から遠いという難点があった。加えて暴走族との衝突が発生しても警備がしやすいという理由から、歩道橋から続く市道に180店の夜店を配置していた。
この結果、事故現場の歩道橋がボトルネックとなり、歩道橋上で駅から会場に向かう人の流れと会場から駅に向かう人の流れが衝突して滞留が発生した。主催者側も迂回手段についてのアナウンスを行わず、さらに当日は蒸し暑く、歩道橋が透明なプラスチックの側壁に覆われた構造のため蒸し風呂状態となり、心理的に焦りが発生したことも事故発生の要因の一つとなっている。
とある。
と言っている。
そして周知の通り、元増田は本事故を「日本の雑踏警備に影響を与えたいくつかの事故」として挙げなかった。
これらのことから読み手側には、いくつかの事故を教訓に「一方通行」と「ボトルネックを無くす」という雑踏警備の鉄則に則り警備が行われたはずだったが、にもかかわらずそのどちらもが機能せず、結果として本事故は起きてしまった。少なくともそれが何故なのかを説明しないと、元増田の言う「日本の警察であればこんな事はまず起きない」は信用できないと解釈する余地が生じる。
なので、繰り返しにはなるけれども、元増田を「批判を気にしなくていい」と擁護する立場であるこの増田がやるべきことは、元増田に対するそんな慰めとか、煽りに対する煽り返しに対する煽り返し返しではない。そんなことしても煽り返し返し返しが来るだけでなんの解決にもならない。
この増田は、支持者としてただただ努めて冷静に、元増田の主張の不足している部分を補えば良いのである。
というわけで、やさしいこの俺が、この増田の代わりに当事故の起こった根本原因は何かをWikipediaから引用しながら説明してみる。
事故後、兵庫県警察の対応や警備計画の問題点が次々と浮き彫りになった。
この花火大会にあたり、明石市と兵庫県警察本部(明石警察署)、警備会社のニシカン(現ジェイ・エス・エス)との間で事前の警備計画の協議が不十分だったことや、7か月前の2000年12月31日に行われた「世紀越えカウントダウン花火大会」の警備計画書をほとんど丸写しにしていたことが判明した。さらにその計画書もコンサートなどのイベント用に設計されたものを流用しており、「世紀越えカウントダウン花火大会」の開催時(約5万5000人が参加)にも同様の滞留が起きて軽傷者が出ていた。約15万人から20万人の参加者が予想されていた本大会には、この問題点が生かされていなかった。
また兵庫県警察が暴走族対策を重視して夜店の配置を集中させ、暴走族対策の警備要員を292名配備していた一方で、雑踏警備対策には36名しか配備されず、雑踏対策が軽視されていた。
太字に注目するに、本事故が起こった根本原因は、警察の警備計画策定業務に対する怠慢である。
実際に、Wikipediaには複数の民事・刑事訴訟について書かれていて、うち2件は最高裁まで行って、1件が有罪となっている。以下裁判要旨。
花火大会が実施された公園と最寄り駅とを結ぶ歩道橋で多数の参集者が折り重なって転倒して死傷者が発生した事故について、雑踏警備に関し現場で警察官を指揮する立場にあった警察署地域官及び現場で警備員を統括する立場にあった警備会社支社長の両名において、いずれも上記のような事故の発生を容易に予見でき、かつ、機動隊による流入規制等を実現して本件事故を回避することが可能であった本件事実関係の下では,両名には上記事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠った過失があり、それぞれ業務上過失致死傷罪が成立する。
他にも色々と裁判になってめっちゃ尾を引いてるので気になる人は各々調べてね。
元増田の主張には重要なことが説明されていない、と俺は感じる。
警備対象を人間扱いするのは重要だ。流体扱いするのも重要なんだろう。
でもそう標榜するだけじゃ事故は防げないことは、本事故が証明している。
人間が警備をする限り、本事故のようなことは今後も起こり得る2。
このような、人間が人間であるがゆえに起こす事故を「人災」と呼ぶ人もいるかもしれない。
その観点では、少なくとも俺にとっては本事故もインドネシアの事故も等しく「人災」であり、人間の失敗であり、未来のために学ぶ意義があるものだ。
この時点で俺的には満足したんで、以下細々と。
2005年(平成17年)11月、この死亡事故を教訓として警備業法と国家公安委員会規則が改正され、警備業務検定に従来の常駐警備、交通誘導警備等に加え、雑踏警備が新設された。
元増田がこの記述以降の体制について話しているのであれば、余計に「本事故に触れないのはなんでだろう?」とは思う。
これ、「誰が」「どこに」提出するかが分からんかった。
本事故の時点では警察自らが策定してたみたいだけど、今は違うの?それとも警察のものとは別に策定されるの?
おわり。
書きました↓
https://anond.hatelabo.jp/20221004181228
https://anond.hatelabo.jp/20221005143828
https://anond.hatelabo.jp/20221006154025
https://anond.hatelabo.jp/20221006200623
本筋に関わる変更に関しては、記事最下部参照。
てかトラバ元消されてるやん。
「茶髪の青年たちが歩道橋の天井によじ登って騒ぎ不安を煽り立てた」
と証言して責任逃れを図ろうとし、マスメディアの報道ではこの証言を元とした評論も見受けられた。
ところが後日の調査によれば、実際はその茶髪の青年たちは歩道橋中央での惨事を通報するため、
歩道橋のプラスチック壁を破壊して屋根に登り、歩道橋への群衆流入を阻止しようと惨事を皆に伝え、119番で救急車を要請していたことが判明した。
茶髪の青年が歩道橋のプラスチック壁を破壊して屋根に登り騒いだせいで、死者がでた
⇒被害を減らすために頑張っていた
火災現場にいくと、いつも赤い車が居る。あの赤い車が放火しているに違いない!
⇒赤い車は消火のために集まっていた
来年2023年の前期(4月から9月)朝ドラ「らんまん」も舞台の1つは練馬区である。
実際に練馬区が登場するかは分からないが、某区議会議員が自分のチラシにそう書いていた。
また、2022年9月に確認したが練馬区の保健所には「らんまん」のポスターが貼られていた。
「らんまん」の主人公のモデルは植物学者の牧野富太郎だが、1926年から1957年に逝去するまで練馬区に住んでいる。
そこは現在練馬区の施設「牧野記念庭園」になっていて一般開放されている。
当初は練馬区出身者として「らんまん」楽しみにしていたが、まだ放送が始まっていないのにも関わらず観ないことに決めた。
理由は「最近の朝ドラ視聴者は『反省会タグ』を付けて放送中の朝ドラをTwitterで叩く人、主演や脚本家などのキャストやスタッフを誹謗中傷する人が多いから」である。
木村隆志さんが「東洋経済オンライン」に書いた記事「沸騰する「#ちむどんどん反省会」批判かイジメか」にその実態が詳しく書かれている。
詳しい説明は省くので是非木村さんの記事を読んでいただきたい。
現在放送中の朝ドラをTwitterで批判あるいは誹謗中傷するとき、「○○反省会」(○○には作品名が入る)というハッシュタグを付ける視聴者が多い。
元々2chで「○○反省会」というアンチスレがよく立ち上がっていたらしい。
最初のうちは最終回まで終了した作品の悪かったところを批判するスレだったらしいが、やがて現在放送中の作品の反省会スレ、つまりアンチスレも立ち上がるようになったという。
この前(2022年9月末)に終了した朝ドラ『ちむどんどん』は不満を覚えた大勢の視聴者が「ちむどんどん反省会」などのアンチタグにドラマへの批判、キャストやスタッフへの誹謗中傷を書き込んだ。
私は『ちむどんどん』を全く見ていなかったが、偶然見てしまった誹謗中傷の数々は目に余るものだった。
上述の木村隆志さんが私の言いたいことを代弁してくれた。
私は、作品への批判がキャストやスタッフへの誹謗中傷に発展してしまうのはまずいと思っている。
絶対にやめてほしい。
放送中の朝ドラを気に入らない視聴者が同じタグに集まり批判や不満を言い合っているとすぐに陰口で盛り上がるようになるし、それが誹謗中傷に発展するのは想像に難くない。
リアルの仲間内なら嫌いな朝ドラの陰口で盛り上がるのもいいかもしれない。
しかしTwitterの公開垢でやる以上キャストやスタッフ本人達も見るものだ
(もしかしたらキャストは見ないようにしてるかもしれないが、NHK職員は朝ドラの反響を調べるために見ていると思われる)。
アンチタグが作られ、利用者も増えると発言がより攻撃的になるし、嫌いなドラマの感想を同じような顔ぶれで毎回毎回言い合うのはまるでイジメみたいだ。
嫌ならドラマを観なければいいと思うが、どうしても観てしまうならせめて反省会タグも公式タグもつけずにツィートしてほしい。
こういうことを言うと反省会民は「だったら反省会タグをキーワードミュートしろ」と反論するが、私はキーワードミュートしてもTLや「その他のツィート」に表示されることがあったし同様の報告をしているユーザーもいる。
反省会タグがトレンド入りしたときは「有害であるかスパム」の報告もしたが、それでもトレンドに入ってきた事もある。
放送中の朝ドラのアンチがTwitterに集まり攻撃的なコメントを繰り返すようになると作品のファンはTwitterを見なくなっていくだろう。
実際には野放しになっているとはいえ、Twitterもヘイトスピーチや差別発言を禁止している。
「ちむどんどん」では沖縄出身の主人公一家が非難された事で沖縄出身者へのヘイトスピーチを行う視聴者もいた。
他のユーザーがTwitter社に違反報告するので従業員が報告通りのツィートかどうか判断しなければならないのだ。
「ちむどんどん」は一度も見たことがないが、アンチタグで誹謗中傷が行われている事については直接、NHKのお問い合わせ窓口あてに「何か対策を取ってほしい」と意見を言った。
もちろんアンチタグはNHKが作ったものではない事は分かっている。
しかし過去の朝ドラ(名前出すけど『なつぞら』がそうだった)では主演女優が誹謗中傷されたというのにNHKがこのまま傍観しているのはおかしいと思った。
このままだとリアリティ番組の「テラスハウス」で出演者の木村花さんが番組内での言動を理由に視聴者から誹謗中傷され、自殺してしまったあの事件と同様の事件が起きかねない。
俳優や脚本家に仕事を依頼したNHKとして、視聴者の目に見える形で何らかの対策をしてほしかった。
私の提案は
だったが、どちらも行われる事はなかった。
「視聴者ではない人間に分かるか」と突っ込まれるがあったら絶対にネットニュースになりTwitterでも話題になっている。
私が言っても説得力がないが、ある視聴者が「ちむどんどん」を炎上商法ではないかと指摘していた。
イライラする展開が立て続けに起きTwitterが度々炎上するからそう思ったらしい。
本当にNHKが炎上商法を狙っているのか分からないが、仮にそうだとしたら誹謗中傷される関係者がいるにも関わらず、沖縄出身者への差別意識を持ちヘイトスピーチをする視聴者が現れたにも関わらず、NHKは何の対策もせず傍観していたどころか炎上商法が成功したことを喜んでいるようにも見える。
2022年9月21日のNHKのメディア総局長定例会見では、「ちむどんどん」への厳しい意見について「どの番組にもいろいろなご意見が寄せられます。そのご意見の全てがエールだと思って、ありがたく思っています」とコメントしている。
NHK職員ではないキャストや脚本家への誹謗中傷に対して何もコメントしていない。
見て見ぬふりをしているように思えた。
「撮影現場に行きたくないと思う朝は一度も無くて、毎日ここに来て作品を作ることがとても楽しかった」
「これを聞いてありがたくうれしく思いました。俳優陣の皆さまやさまざまな形でこの作品に携わってくださった方々のおかげで、無事クランクアップまで走り抜くことができた。制作スタッフともども御礼申し上げます」
私は黒島さんが「ちむどんどん反省会」を見ていたかどうか知らない。けれども仮に見ていたとしたら、傷ついた心を隠して気丈なコメントをしたのかもしれない。
それなのに黒島さんが「ちむどんどん」放送中にTwitterで誹謗中傷されてきた事に一切触れなかった事に不信感を覚えた。
黒島さんのこのコメントを「ありがたくうれしく」思ったなら視聴者の誹謗中傷を止めようとするコメントをしてほしかった。
NHKはアンチタグに対応する気も、キャストやスタッフや沖縄出身者を守るつもりもなく、視聴率を得るために炎上商法を狙ったのかと失望した。
私が来年前期の朝ドラ『らんまん』を観ないことに決めた理由は上に書いたとおりだ。
朝ドラに関わってもらった事で誹謗中傷されるようになった関係者のことも、ドラマ内で描いたマイノリティのこともを守ろうとしない。
そんなNHKの姿勢に抗議するために私は出身地でもある練馬区も舞台になる「らんまん」を観ないことに決めた。
私のような一般視聴者がいくら抗議しようとNHKが態度を改めることはしないだろう。
私にできる事で最もNHKにとって困る事は「朝ドラを観ない」ことである。
第一、私には朝ドラを観るメリットも時計代わりにするメリットもない。
気に入らない朝ドラをわざわざ観続けTwitterで誹謗中傷を繰り返したり、そこまでいかなくても嫌味を言い続けるような視聴者はリアルでも似たような事をしているんだろう。
誹謗中傷をしなければそういう視聴者は性格が悪いとは思わない。
そうはいってもリアルの友人知人との会話でそういう、的を射た朝ドラ批判を聞きたいとは思わない。
大好きとまではいかなくても自分が不満なく見ている朝ドラを『ちむどんどん』みたいに酷評されたらモヤモヤする。
「私は面白いと思う」と素直に自分の意見を言っただけで、アンチは私を嫌う。
そもそもドラマ批評(しかも評論家でも有名人でもない人の)に興味はない。
少しでも朝ドラの展開や登場人物に不満を言おうものなら反省会民と誤解されてしまいそうだから、朝ドラ視聴を趣味や習慣にするのはリスクしか感じられない。
反省会民には朝ドラという枠に愛や思い入れが強いあまり、現在放送中の作品が気に入らない人が多いようだ。
そんな「ファン」が将来的に朝ドラ枠を滅ぼすことになるんだろう。
最後になりましたが、「らんまん」主演の神木隆之介さん、脚本家の長田育恵先生には申し訳ありません。
決してあなた方のせいではないんです。
上記を始めとして最近いくつかのまとめサイトでジャンプがバトルアニメには力を入れる一方でラブコメアニメには手を抜いているようなことをまとめていた。
挙げられている画像を見ると確かにラブコメアニメとそれ以外のアニメでは力の入れ具合が異なるように見えるが、果たして本当にそうなのか。
気になったのでまとめてみた。
ぼくたちは勉強ができない
キービジュアル https://www.shonenjump.com/j/img/_news/190408bokuben_1.jpg
……確かに手放しに素晴らしいとは言いづらい。(特にあしゅみーの目が隠れてるのなんなの?)
制作会社も実績豊富なわけではなく、特別酷い作品はないが評価の高い作品があるとも言い難い。
評判
アニメになっても原作売上はほとんど伸びなかったので新規ファンの流入はほぼなかったと思われるが、既存のファンからの評判は悪くはない。
あやかしトライアングル
キービジュアル https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2022/0901/ayakashitriangle_teaser.jpg
確かに最近流行りの塗り方と比べると全体的に重たい印象が拭えず、髪の光らせ方など一昔前の趣を感じさせる。
ライトノベル原作を多く手掛けるシルバーリンクの子会社であり実績は豊富。ただ一線級の作品があるとは言い難い。
評判 未放映のため省略
チェンソーマン
キービジュアル https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2022/0729/chainsawman_visual.jpg
壮観の一言。これが動くのであれば約束された成功といっていいだろう。
てーきゅうで名を挙げユーリ!!! on ICE、ゾンビランドサガなどの名作を世に送り出し、呪術廻戦を大ヒットさせた立役者。期待のほどが伺える。
評判 未放映のため省略
呪術廻戦
キービジュアル https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2022/0821/jujutsu_newvisual04.jpg
確かにスタイリッシュなセンスの良さは感じられるがこれで力の入れ具合わかる……? アニメを見れば一目瞭然ではあるが。
同上。
評判 未放映のため省略
このように確かに挙げられていたものだけを見れば、バトルアニメと比べてラブコメアニメには力を入れていないように見える。
呪術廻戦のような圧倒的な売上を誇る作品や、チェンソーマンのように描く作品全てが注目を浴びるようなカリスマ作家の作品であれば力を入れるのは当然のことで、単にチェリーピッキングをしているだけではないか。
僕とロボコ
キービジュアル https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2022/0925/ROBOCO_key.jpg
マッシュル
キービジュアル https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2022/0703/mashle_teaser.jpg
めちゃくちゃ良くない?
アンデッドアンラック
キービジュアル https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2022/0828/UDUL_tsr_0725_ol.jpg
売上によって決めているのではないかという仮説だったんだけど、マッシュルとかオリコンで9万部くらいだし、アンデッドアンラックとかオリコンで2万部くらい。
ぼく勉がアニメ化当時マッシュルと同じくらいでアンデッドアンラックよりは全然上。
あやかしトライアングルは4万5千部くらいでアンデッドアンラック以上マッシュル未満。
ぼく勉は鬼滅前だから仕方ないとしても、あやトラとアンデラを比べてみても売上に力の入れ具合が比例しているとは言い難い。なんならA-1とdavid productionもリコリスリコイルがなかったらと考えるとなあ。
まあもちろんキービジュアルだけを見て力の入れ具合をどうこう言うのは不毛なんだけど、制作会社とか見ると力を抜いているとか言うのは論外にしても、あまり重視していないような感じはする。
かぐや様はラブコメでも凄かったんだけどな。特別に売れてたからなんだろうか。
なんとなく調べてみたら意外な結末だったので書いてみた。
「保育園落ちた日本死ね」ははてなが変わった原因ではなくて変わった結果なんじゃないかと思っている。
2014年頃から従来のはてサとは毛色の違う新手のはてサが流入してきて、その雰囲気の中で2016年冬に「保育園落ちた日本死ね」エントリが投稿された。
その1年半後の2017年夏を賑わいのピークにそこから5年継続しているユーザー減少期に突入する。ブクマしなくなったユーザーは主に政治に首を突っ込まないタイプのユーザーだった。
という感じなのではないかな。
右派アカはどうなんだろう。2010年前後、何でもすぐ在日認定するはてブの雰囲気にうんざりしていた記憶はある。近頃のはてウは何とか認定しないからこれもどこかの時点で入れ替わったのかもな。
彡(゚)(゚)「ちょっと今日は皆にお願いしたいことがあって来たんや」
彡(;)(;)「なんJ民は『なんG』って板に活動の場を移したんやけど 昨日からスレを建てども建てどもスクリプトが湧いてきて実況もままらない状況なんや」
彡()()「しかもそのスクリプトは絵文字を連発するスクリプトで、容量を圧迫してしゃーない…」
彡(●)(●) 「このままではワイら存続の危機や…絶滅してしまうかもしれん」
彡(^)(^)「せやからちょっとの間ここをなんJ民に間借りさせて欲しいんや」
彡(゚)(^)「あんさんら人口減に悩まされとるんやろ?血気盛んななんJ民が流入すれば賑やかになってよりよいSNSになるで!」
彡(^)(^)「そういうことで ええ返信待っとるで!ほな!!」
東京オリンピックは大成功だったが唯一中国と同レベルなところを晒してしまったと思ったのはやはりこのニュースかな。
五輪会場・お台場の海 「トイレのようなにおい」解消も、海水の濁りは消えず
オープンウオーター男子10キロで給水する選手=お台場海浜公園特設コース
オープンウオーター男子10キロで給水する選手=お台場海浜公園特設コース
お台場海浜公園の海辺の水質が問題視されたトライアスロンとオープンウオーターの2競技が終わった。好天に加え、汚水の流入を防ぐ「水中スクリーン」の対策が実り、計5日間の日程は水質基準をクリア。ただ海水の濁りや、汚水排出の問題そのものは解決していない。(原田遼)
海辺の周回コースで10キロ泳ぐオープンウオーター。選手が水をかく度に茶色いしぶきが上がった。5日の男子13位の南出大伸選手はレース後、「(水中に)入ると全然前が見えない汚れだった。海外では底が見えるくらい、きれいな海でやることもある。それで今回順位や気分が下がったりということはないけど」と苦笑いで振りかえった。
会場が一躍注目されたのは2019年8月。両競技のテスト大会が行われ、パラトライアスロンでは大腸菌の量が実施基準の2倍を超え、スイムが中止に。オープンウオーターの出場選手からも「トイレのようなにおい」とやゆされた。
埋め立て地が入り組む水域はもともと水質は悪い。さらに大雨が降ると、汚水が処理場を経ずに直接川に放出され、海まで流れるという下水事情も重なった。
そこで都と組織委員会は、通常は海洋の掘削工事に用いられるポリエステルのシートを代用。ブイでシートをカーテンのようにつるしてコースを囲った。「水中スクリーン」と名付けられた、このシートを今大会三重にして張り、コースを汚水の流入から守った。
晴天に恵まれたこともあり、大腸菌の量は全日程で基準内に収まったが、数値は非公開。においについても、南出選手は「テスト大会に比べれれば、全然気にならなかった」と話し、トライアスロンや海外の選手からも目立った不満は聞かれなかった。
都は招致時、競技会場が集まる臨海部を「水と緑、生物多様性の拠点として開発される場所であり、東京の未来を感じさせる」とアピールしていた。お台場はその象徴だった。
◆「ここで泳いだ選手はかわいそう」
しかし濁りは解決できず、大会後は「水中スクリーン」も撤去される。招致時に描いた「東京の未来」はどうなるのか。周辺を愛犬と歩いていた女性会社員(48)は「夏は犬がこの海で泳ぐけど、上がると泥でベタベタになって洗い流すのに1時間かかる。ここで泳いだ選手はかわいそう」。
やっぱ納豆菌とかのバイオ工業でキレイにして立派な環境技術を世界に見せてほしかったところだ。
感染者の情報登録がボトルネックとなってそこかしこが破綻するのは全くもって好ましくなく、全感染者の詳細な情報登録を取りやめるのは妥当だろう。一方で、感染者数の把握を引き続き行うことにしたことは評価できる。陽性率が異常に高くなっている現在、捕捉感染者数が実感染者数から相当乖離していると推測されるが、それでもなお、感染者数は感染状況の把握や統計学的検証に有用であると考えている。特に波の真っ只中で数の基準を変えることは、そのような検証を無為にしかねず、数の把握を維持したのは妥当だ。
今回の全数把握の緩和は妥当であると考えているものの、これはやむを得ずそうせざるを得なくなったという前提での妥当であって、そこに至った経緯は全く評価できない。まず、この変更が、状況がいよいよまずくなってきてから議論され実行されていることだ。こういうのは落ち着いているときに話をすべきであって、逼迫してから急いで変えると無駄な過ちを犯しかねない。現に、都道府県への「丸投げ」が問題とされているが、これは結局、何のために情報登録をしていたのか、そして何故今やめることができるのか、そこが曖昧なまま、ただ逼迫しているからやめたという短絡的な対応をしていることの現れだろう。
また、同じように全数把握を行っている韓国は、日本よりもはるかに多くの感染者数を出しながら破綻していない。マイナンバーや医療機関のデジタル化など広範に渡る政治的問題だが、なぜ韓国のようにできなかったかは省みられるべきだろう。
リスク低減の観点からは水際対策を続行するのが好ましいが、諸外国とのバランスや、日本国内で感染拡大している現状を考えれば、この施策の合理性を見出すのがいよいよ難しくなってきており、やむを得ないだろう。ただし、今後も変異株の可能性は消えず、どういった条件でどのように水際対策を復活させるかはあらかじめ決めておくべきだろう。
ウイルスの流入を防ぐという目的に立てば、検査免除の対象をワクチン3回目(以上)接種者に限定しているのは意味不明である。オミクロン株に対して、現在使用されているワクチンの感染予防効果は数か月で急速に低減する。2回目以降のワクチン接種後の期間を指定するのであればまだしも、3回目以上とするのは合理的ではない。一気に緩和したくないので、クッションを設けたかったのかもしれないが、理由が立たない規制はすべきではない。これもまた全数把握と同じく、施策の目的が曖昧になってしまっている。
これはまだ決まった話ではないが、感染者の隔離期間短縮が検討されている。現在の10日間という期間は感染者の感染性(発症後ウイルス量)の検証結果から決められた値で、これを短縮するのは明確にリスクを増加させるものである。またもや同じような話になるが、「社会が成り立たないので、短くします」という短絡的な判断があってはならない。短縮するのであれば、リスクを評価した上で国民に提示し、明確な目的を持った上で実行すべきだ。