はてなキーワード: 槍玉とは
テレビでRKBやNHKで眠育だとか眠学だとか言うのをやり始めたけど、内容的にゲームやスマホを槍玉にあげている時点で、どう考えても香川で強硬したゲーム障害が世間的にも大非難を受けた上にその権威の後ろ盾であったWHOもPlayApartTogetherキャンペーンを行い、事実上の掌返しを起こり、座礁したから、大方地方はまたこれを利用して規制推進しようとしているのが見え見えだよね。
しかもこの眠育とやらは相も変わらずゲームやネットを槍玉にあげたりして、子供の睡眠時間が削られているだのと言っているし、それは何時もの事だとしても不登校だとか言いながら、例のコロナ禍の休校と普段の登校時間を比べて遅くなっているとか言い出している時点で、不登校と休校の区別がこれを言い出しいる当人達こそついていない点等があり、そこそこ突っ込み所も多かったりするのよね。
(最もそのコロナ禍の休校もポーズであった事は今や当時より全国的に増え学校でも出始めたにも関わらず、登校させている時点でも良く判るけど。)
それと普通にこの辺の睡眠時間の問題は当人と親の教育の問題であって、外野がどうこう言う問題ではないでしょ。
しかしこの手の人達はこう言うあくどい理由のこじつけだけは次々と思いつくし、平然と子供を規制の理由のダシにいつも悪用するよねと思う。
更にコロナ禍すらも自身の思惑の為に悪用しようとしているのだから、呆れ果てるよね。
この様な人達にしろ、フェミニストにしろ、宗教右翼にしろ、普段から声だけが大きくて、何でも規制や厳罰化をしたがる人達ほどこの様な時期ですら空気を読まないし、その世界規模の病禍すらも単に自身の思想に悪用するための材料程度にしか思っていないのはこう言う事を見ても良く判るしね。
しかしまぁ、国政は国政で本来やるべきはずのコロナ禍対策や経済対策を蔑ろにして、またはケチ臭い対応をしているのに少年法改正とか言って、それこそ未成年を罪人扱いするのに熱心だし、マスコミや地方の方々はこの様な事に熱心なのだから呆れるしかないよね。
まず対処すべきであるコロナと言う一番の問題を棚に上げて、これ等のコロナ禍に関係ない事ばかり熱心なのだから。
https://news.goo.ne.jp/article/jmedj/nation/jmedj-20200805101859184.html
その眠育とやらに関連するのかは知らんけど、調べていたらこんな記事を見つけたので、読んでみたら、相も変わらず、ゲーム障害の時と同じ様に薬物療法とか言っている時点であっ…(察し)となった。
おっさんと若い女の恋愛云々の話が出ると必ず槍玉にあげられる「恋は雨上がりのように」。
(追記 女子高生は子供であり、若い女ではないという指摘があった。完全にその通りなので、記述を改めた。
ただ、指摘されるまでの自分と同じく18歳以上の若い女と女子高生を混同している人間が、おっさんと若い女の子恋愛の話の延長でこの作品に言及することはあるため、一文目については変更しない。)
あれが映画化したときは読んだこともないフェミからは叩かれ、同じように読んだこともないおっさんが俺たちにもまだ希望はある!と歓喜した。
原作を読めばわかるが、「恋は雨上がりのように」は確かにおっさんと女子高生の恋愛を描いている。それは間違いない。女子高生の美少女が、おっさんを好きになる。
しかし、ここで注意してほしいのは、恋雨はおっさんと女子高生の恋愛を描きつつ、それを結論として否定している作品であるということだ。「おっさんと女子高生が交際をすることは、真剣に考えれば考えるほど難しいものになる」というのがこの作品の二人の恋愛についての結論であると思う。
そして、真剣に考えた上で女子高生からの好意を断ったようなおっさんであるからこそ、女子高生はそのおっさんに好意を持ち、女の読者からも人気が出たのだ。
軽率に女子高生と真剣交際ができると思っているおっさんは、そもそも女子高生から好かれない。
女子高生から好かれるようなおっさんは、女子高生と付き合おうと思わない。
自分が「恋は雨上がりのように」を読んで得た知見だ。
mori99 自分が高校生の頃は中年と高校生の恋愛に特に感想はなかったが、自分が年を取って中年から見た高校生がいかに無防備で子供かがわかると、子供相手に恋愛が成立すると考える同年代はサイコパスか変態に思える
サイコパス・変態とまでは思わないが、「女子高生と一発ヤリてぇ〜」と思っているおっさんより「女子高生と真剣交際がしたい」と思っているおっさんの方が怖いのは確かだ。
memorystock あれは二人がくっつかない話なのは最初からわかるもんだが伝わっておらず最終話あたりで作者にマジギレクレームする読者が(おっさんに限らず)たくさんいたらしい。常に読解力絶滅者向けのプルーフが必要な世の中。
自分は、最初はくっつくのか!?と思って読んでいたので、読解力については何も言えない。ただ、個人的にあの作品のテーマが「恋愛」ではなく「夢」だと気がついた時点で、あの二人がくっつくのはテーマ的にもあり得ないかと思っていた。
lightly 高校生を「おっさんと若い女の恋愛」の文脈に乗せるのはキツいな。18歳以下は「若い女」ではなく「まだ子供」なので、会社の新人や後輩のケースとは分けて考えてほしい。問題点が変わってきてしまう
その通りだ。完全にその通りだ。女子高生と働いている若い女はまったく別種だった。記述を改めます。
それをキモいとか、何かしらのシンパシーを感じてる人がチー牛って煽りを使ってる訳で
元増田にも書いてるとおり「チー牛」って煽り使ってる時点でお里が知れるね、ってことなんだよ
そりゃ、自分達にとってキモい面と同じ扱いされてるって感じたらムカムカもするだろうけど
正直言えば槍玉にあげられた絵師もプロゲーマーも然程気にしてないし、
ツラのいい女がチー牛のサムネの真似してた時はふざけるなと思ったけど
そしてそれを脅威として武器のように扱ってる器の小さな小さな人達がすき家の大きな手のひらの上で追っかけっこしてるだけなんだよね
だから
そして絵師の画力によってルッキズムを擽られた人達が好んで使う言葉がチーズ牛丼食ってそうな顔って言葉
それを罵倒や差別的表現として使う人間は人を見た目でしか判断出来ない哀れで狭量な子供じみた差別主義者
そう見做されても文句が言えないし、言葉にはされないけどそう見做されてる
俺自身は自分をチー牛顔とは別のタイプのキモい顔だと認識してるけどチーズ牛丼美味しいから食べてるし、カロリーもクソ高いからそれこそピザデブよ。ピザもおいしいね。あんだけチーズ使ってるしな。
だけどチー牛顔がチー牛顔を煽ってたりアレルギーや宗教上の理由からチー牛食べられない奴でもチー牛顔だからチー牛食えよみたいな、どこでも何度でも見た状況をより限定的なアイテムでするのかよとは思う
これがすき家の広告戦略だとしたら随分と気の長い戦略でいらはるなぁ(京都弁)と思うけど
どちらにしろすき家から「ふざけるなよSEGA、お前のゲームに出てくる牛丼全てにチーズ入れてないと許さんからな」という声明でもない限りはチーズ牛丼のサジェストに関してはすき家が得するならそれでいいと思う
上記の通り、すき家の手のひらの上で行ってる追いかけっこなので、三種のとろーりチーズ牛丼を提供してるすき家が今のところOKなら多く言うことはないし、火消しとは思えないかなって感じ
東京都の感染者数が400人を越えた日、『夜の街』に行ってきた。
名指しで非難されている新宿は歌舞伎町にある、いわゆる『接待を伴う飲食店』だ。
日々のニュースなどで『夜の街』が槍玉にあげらけ、それに対して賛否あれこれ意見をぶつけあう人たちがたくさんいるけど、その中でいったいどのくらいの人が実際に『夜の街』に行ったことがあるんだろう。実態を知らないで想像だけであれこれ勝手なことを言ってる人たちがほとんどなんじゃないだろうか。
その夜は、2軒の店に行った。
1軒目は従業員も客も店内でのマスク着用は必須。酒を飲むときは、マスクをずらして飲む。
基本、ひとり客が多く店も広めで、正直この感じなら普通にオフィスで働いてるとのそう変わんないのではと思った。
当日の400人越えの報道に多少びびってはいたけど、実際に行ってみれば、こんなものかという感じ。
危険というなら、普通に昼のファミレスなんかの方がよっぽと危険だと思った。
アルコールと会話だけならマスク着用で大丈夫だけど、そこに食がともなうとどうしてもマスクつけっぱなしは難しい。
きちんとした対策がなされていれば、むしろ普通の飲食店よりもバーの方が安全なのではと思った。
まあ、『接待をともなう飲食店』でマスクして酒飲んでどこが楽しいのかといえば、そのあたりの感覚は人それぞれだとは思うけど。
でも、そこまでしても行かないと辛くて孤独な人たちのためにもそういう店はある。
2軒目はカウンターに透明のパネルが設置されてはいたが、従業員も客もマスクは着用していなかった。
マスクがない分、自分も含めてこれはもし店内の誰かが無症状の感染者だったらクラスター発生するかもなパターンだなと思った。
その夜は入念にうがいしてシャワーを浴びて寝た。
全ての店がどうだかはわからない。
店の方針にもよるだろうし客層にもよるだろう。
でも、それは昼のファミレス、普通の飲食やカフェなど全ての飲食店、なんなら普通のオフィスも含め、全ての職場に言えることではないか。
今回特に1軒目の店は、店内の様子からすごく『職場感』を感じた。
店の従業員にとってはまさしく『職場』だし、客だって普通の職場に置き換えれば、外部の取引業者だったり顧客だったりするわけで、関係性は一緒だ。
普通の職場でもある程度の割合で存在するリモートでは成立しない仕事。
そこで生きていくために働き、そして、その場所が必要な人がそこに足を運ぶ。
ガールズバー的なとこで働いてて昨今の夜の街への国や世間の冷たさをひしひしと感じてる。
コロナ感染者多数の新宿ホスト店オーナーを直撃!「悪いのは保健所。若いから重篤化しない」https://bunshun.jp/articles/-/38834?summary=show
id: itacchy-z 全く同情されないのはこれまでに「世間からどう見られようが関係無い」と、奔放に低俗な事を継続して来たからでしょう。普段世間を馬鹿にしてた報い。そこが普通の飲食店との違い。困ったら同情しろとは虫が良すぎる
https://b.hatena.ne.jp/entry/4688061077193278658/comment/itacchy-z
80個もスターがついてる。
法律遵守してる店でも?もしかしてこの人やスターつけてる人はそういう事例を見たのかもしれないけど、全部ひっくるめて語るのはきつすぎない?普通に差別でしょ。
しかもなんも知らんくせに同情されない前提で語り出すとか本当に卑怯。
国や都は緊急事態終わって経済活動再開して増えましたとは言えないから、とりあえず世間が叩いてくれそうな夜の街を槍玉にあげてるように思うんだけど、まんまと乗っかる人がいてほんときつい。
野垂れ死ねばいいんですか。この職業を選んだ私が悪いんですか。世間を馬鹿にしたホストがいたからしょうがないのですか。意味不明。
未経験者が変な夢見るといけないので書きました。
ここで話題にするのは運用や保守・監視でよく行われるSES派遣に関する事になります。
SES派遣がなんなのかとザックリ言うと、派遣元から成果物を要求されない時給労働者です。
巷でよく見る「未経験者募集!」とか募集内容が「初級SE募集!」とか「webプログラマ募集!」とか抽象的な募集内容が書かれているパターンが
SES派遣をメイン事業にしている派遣会社です。この派遣形態は散々、槍玉に上げられているので今更どうこう言うものではないのですが
ちょっと違うなと思うこと最近がありました。それは何かと言うと「未経験でも少し勉強すれば実践経験を積める」という点です。
最近は人手不足と同時に有識者不足でもあります。これに加えてOJTをする余裕もない現場が出てきました・・・その傾向が続いて
「未経験者はやめてくれ」と言う派遣元が増えたので、スキルになる実践経験が積めるような現場からは未経験者や業務経歴1年以下の
派遣を排除し既存の労働者で少数精鋭化させる現場が増えました。そこで派遣会社は代わりとなる派遣先を探し辿り着いたのが運用や保守・監視の現場です。
運用や保守・監視を馬鹿にするなと言われそうですが、実際に派遣会社からSES派遣で飛ばされる未経験者のほとんどが
そもそも、運用や保守・監視が何故そんな事になっているかと言うと死にスキルになることを嫌って人が寄り付かず
「とりあえず日本語を話せて蒸発しないような人であれば歓迎する」と言う状態になるぐらい人手不足が深刻化しているためです。
あとは、どこかしら致命的な欠点(低賃金重労働・お客様は神様思考の客・パワハラ上司など)がある現場がほとんどで
それに適応できない労働者は死んだり蒸発したり鬱になったりするためです。ごくまれに良い現場もあるんですけどね。
なので勉強した未経験者が実戦を積む目的や勉強する目的でSES派遣をメインとする派遣会社に入ると
90%ぐらいの確率で運用や保守・監視に飛ばされるので、辛い思いをします。
たかが派遣とは言っても未経験者で放り込まれる場所はどこも一緒なので
推しに会えなくなって5ヶ月が経つ。
緊急事態宣言も解除されて、事務所もできる範囲でやろうとソーシャルディスタンス仕様の公演を発表してくれた。
喜びにくれたのもつかの間、ここ数日東京の感染者数は3桁を超えた。都知事も県をまたいだ都民の移動自粛を呼びかけた。
自分は都に近接する県に住んでいる。
ここ数週間のノーガード戦法を鑑みるに、これから感染者数は増えていくだろう。
そんな中で公演をする。もし自分が感染者になってしまい、その公演が槍玉にあげられて、推しや事務所にバッシングが集中したら。
もしも自分が感染していて、参加することで推しが感染してしまったら。
空席を作ることは本当に心苦しいけれど、いま推しに会いにいくことはリスクしかないと思ってしまった。決して安くないチケット代は事務所へのお布施と考える。推しには会いたくて仕方ないけど。会いたすぎて震えるけど。
増田だったらどうする?
それはない。
維新が政権とったらまた適当なやつに石を投げて仕事やったふりってのが再開するとおもう。
コロナが落ち着いて、コロナ対策が要らなくなってきたときの吉村知事の西浦教授たたきは忘れない。
1億歩譲って、経済再開は、感染を抑えるソーシャルディスタンスなどの社会環境と、患者数が増えても耐えられる医療容量と、発熱者一通りと検査をさかのぼり調査で疑いがあったところ必要なところに多くしての隔離と、何よりワクチン、治療薬の開発が必要。
金と時間をかけることが必要。その上で再開できるかもねという話だ。全部の体制が整ってない以上、まずは緊急事態宣言で各種自粛したのは正しい。そして感染者を増やさず、現感染者を一通り退院させて、時間を稼いだ。
次に、上記の対策をして第二波以降に備えることであって、自粛が間違っていてあいつは敵だと叩くことじゃない。
おそらく詭弁強弁渦巻く環境になれてないこの教授なら敵にしても反抗してこないだろうと槍玉に挙げようとしたのは本当に許せん。
そもそも新自由主義は「敵がいてそいつを叩いたら問題解決」って側面もあるからなぁ。
だから吉村知事はコロナが落ち着いて「敵」がいなくなった。敵がいないと自分の存在意義がなくなる。東京都知事選で暴れようとしたられいわ山本が出て来たった。維新の候補では宇都宮には勝てたかもしれないがれいわ山本には勝てない。
だから、接触を減らせっていう西浦教授をとにかく槍玉に挙げようとした。
ああいう詭弁強弁叩き合いの世界になれてない専門家であれば「敵」として仕立て上げても反抗はしてこないだろうにと。
かわいそうにねぇ。
いろいろ混じってるし線引きしたって悪はのがれるんだよ
本人に自覚があるかないかは分からないが、どちらにせよ果てしなくめんどくさい。
「この人なら理解してくれそう」と思わせることが何度もあった。
知り合ってからそんな間もないころから距離感もぐいぐい詰めてきていた。
1体1での関係を築くことを好み、よくDMで話していた記憶がある。
本人からすれば仲良く話しているつもりなんだろう。
ただ、仲良しと話しているだけでそう感じることが何度もあるか?
不気味なほど居心地がよく、つい気を許して信頼してしまいそうになる。
トラブルメーカーであることを察知する前からそこに恐怖を感じていた。
私は警戒心がまだある方だから運よく気づけただけで、
距離感が近いことに違和感を抱かない人や甘やかされたい女なんかは即堕ちだと思う。
実際に今思えばそういうヤツをいたし、今はわたしの身内が一週間足らずで堕ちてる。
チョロくて笑えない。
自分かわいいアピの頻度が異様に増えたし、語尾にハートマークつけるようになったり、もう最近は毎日深夜通話していて、通話できない日があると寂しいとか言ってたり。マジで変わっちゃった。
かまってメンヘラ姫かよ。ふつうの友達は毎日寝落ち通話なんかしない。
そいつは以降姫女と呼ぶ。
それだけならただのたらし男なのだが、その男は短期間に同界隈で何度かトラブルを起こしている。
1件目は仕方なかった。でも後の案件は努力次第で大揉めにならずにすんだ案件なのだ。
だがアイツは加害者と断定した者のことを把握しようとも理解しようとも譲歩しようともしない。
そこはお互い不満に思うところあるかもしれないけど、表面だけでも互いに謝りあって終わりとか
そういう器用なことはできねえのかよ。
そこに垂れ込ませた姫女を携えるのだからさあ大変。
今回の案件は、私は中立者として見守っていたのだが、今被害者たる姫女が泣き腫らすものだから訳が分からなかった。
その子は時間に何度か遅れたくらいで泣くような子ではなかった。怒ったりはするが、
当の姫女も時間にルーズなため、まあそういうこともあるね、で流せる子だった。
それが何度か遅れた程度で泣き腫らすのだ。少し泣くとかじゃない。
翌日に目が腫れるほどの大号泣。正直引いた。
そして姫女は、例の案件を毎日毎日あの男に通話で聞いてもらっていたと語っている…………。理解してもらった気にさせるのが上手いあの男に…
そしてこの時ついに気づいた。
これ絶対あの男問題しかないなと。あの男は女を依存させ堕落させると。
なので勇気をだして問題点を薄めのオブラートに包み本人に語ったのだが、人の話を聞かないのだ。
私の問題点を棚に上げ、姫子はもっとしんどいから〜などと論点ズレたキレ方されて終わり。他にもあいつの味方は俺しかいない王子様みたいなこと言ってたな。
あれ?前も加害者の事情を把握してくれないか?とやんわり打診した際にこんなことあった気が…
揉め事はもちろん、日常会話でも人の話を聞いていないということが何度もあった。
その時にもう救えないと思った。だから今はどう距離を置くか考えているのだが、二人とも自分の価値観に近い相手とべたべたする事が当たり前になっていて、他人の意見や価値観を受け入れる器量と譲り合いの精神が皆無になっている。
だから私がブロ解やミュートで分かりやすく動けば、悪者に仕立て上げ槍玉に上げられる可能性があり動くに動けない。
今だから言えることだが、彼は初対面の時から言葉に表せない違和感を感じていた。問題がハッキリした今になってやっと言葉に表せる。
SNSをやっていて学んだのだが、初対面〜知り合いになる過程で違和感を抱いたやつに大体ろくな奴はいない。
皆は違和感を大事にして生きてほしい。まあいい所もあるし…などと思っていればあなたも姫女のように餌食にされる日が来るかもしれない。
最近急にタイムラインで読書感想文に対するツイートをよく見るようになって
なんでだろうと思ってたら、ついさっきこれがおそらく話題の大元になったツイートを見つけた。
https://twitter.com/nanngin/status/1276943146639749121
たまーーーーに国語の授業の「作者の気持ちを考えましょう」の無意味さを皮肉った話とかバズってるし
定期的に小学校の国語教育の話は出てくるけど、読書感想文、よっぽどヘイト買ってるんだね。
私は小学生のころ読書感想文が大好きなこどもだった。だからちょっと不思議だ。
他の教科はてんで駄目な中で、人以上に好きなことが作文を書くことだった。
これは今この文章を見ている人ならわかると思うけど、私は特別文を書くのがうまかったわけでもない。
国語の点数も……私は漢字の形を覚えるのがとにかく苦手なこどもで、今考えれば私はディスレクシアなんだけど
何度事前に予習や復習をしても授業で習った範囲の二割くらいしか覚えられなかった(今でも得意ではない)
じゃあそんな中でなぜ好きになれたのかというと、
単純に私を受け持った先生や小学校の教育方針が徹底的に「褒めて伸ばす」方針をとっていたからだ。
ただ、空想や自分の気持ちについて突き詰めて考えることは好きだった。
読書感想文においてもそれは同じで、本を読むこと以上に本を読んだあと、
「自分はどう思ったか、読む前と読んだ後でどのような心情の変化があったか」考えるのが好きだった。
私が作文や読書感想文を嫌いにならなかったのは、先生が誰も作文での自己表現を一度だって咎めたことがなかったことが大きいように思う。
添削やアドバイスをくれた先生はいたような気がするけれど……それでもあくまで私の文章をもっと伝わりやすく、もっと良いものにしようという意思のものばかりで、最終的に私の伝えたいことや表現しているものが曲げられたりするような添削をする先生は一人だっていなかった。
先生の求めるようなことを器用に書けていたこどもだった記憶もない。題材や思想や内容に対するお咎めや修正もなかった。
どんな作文や読書感想文を書いても、先生はみんな私の書いた文章をちゃんと読んでから褒めてくれた。
元ツイを見るとどうもそうでない?学校や先生が多いのかもしれない印象を受ける。
実際のところそういうものなんでしょか。
読書感想文についても同じで、普段私が本を読むのはもっぱらマンガや図鑑、絵本や辞典の方が圧倒的に多かったので
「物語」が他者の手によって選書されているのが新鮮でこういう機会でもないと読まないこどもだったので大変ありがたかったと、それについて生徒が三者三様の自分の意見を書く、という部分が楽しくて好きだった。
その本を自分が選んでいないのに読書感想文全国コンクールの文章読むのも好きだったな。
映画や本のレビューサイトに書いたことがある人ならわかると思うんだけど、同じものを見た人でも全然意見が違うことへの面白さって確実にある。そしてその面白さは、まず自分がその作品を見て自分自身の意見を持っていないと感じることが難しい。
その楽しさを身につけられたのは今思えば読書感想文のおかげかもしれない。
(元ツイにあった「感想文集の売上が図書館担当の先生たちの研究会の出張費用になってる」ことは知らなかったけど、その研究会がこどもたちの図書館教育や国語教育に有用に使われているのなら、私は別に……というかそこに何の問題があるのかわからない。生徒に直接売上が行く方がいいということなら大賛成です)
ただ、みんな同じ教育を受けていたのならみんな私のように文章を書くのが好きだったり読書感想文に嫌悪感を抱かずに済むように思えるけれど実際そうではなかった。
私がそう強く記憶してるのは、学校の何かの催しの時に、作文とそれをスピーチする生徒が必要で、立候補制だったがなかなか手が上がらず、その時私が引き受けた思い出があるからだ。
この時は作文を書くのと全校生徒の前でその内容をスピーチするのがセットだったので後者の部分が重荷になって誰も手をあげなかったのかもしれないけど、とにかく進んで誰も作文を書きたがらなかった。
「作文を書けば先生に褒めてもらえる(しかもテストと違ってここは間違ってるとか言われたり減点されることがない)」という
文章を書くことに対しては全方向ハッピーな考え方をしていた当時の私は多少不思議だったけれど、いくら学校方針でツイートに挙げられたような堅苦しい自己表現としての作文を許さないような教育を受けていなくたって、
そもそも大半のこどもは「できることなら作文なんか書きたくない」のかもしれない。
だから教育方法をいくら変えたところで作文や読書感想文が苦手な子供は一定数は減らないかもしれない、と少し思っている。
こどもはそもそも面倒なことなんて進んでやりたがらない。好きでもない限り。
作文書くのは好きだったけど、そんな私でも原稿用紙何枚も書き上げると腕が疲れてじんじんした。それでも私は好きだった。
私は学校でも家庭でも褒められることが少ないこどもだったのと、たまたま書くことに対するハードルが低かったので
「書けば無条件に褒められる」作文や読書感想文がとにかく好きだったしそれに救われていた。
元のツイートにあった、
「原稿用紙はこう使いなさい」「作文はこう書きなさい」という形式的指導が子供を読書感想文嫌いにさせてる?
っていう部分について、私はかつてのこどもとしてこれは必ずしも正しくないのではないかと思ってしまった。
本当に何度も言うけど私は特別文章を書くのが得意だったわけではない。
けれど、この「原稿用紙の使い方」や「作文の書き方」を小学校のうちに教わっていなければ、
教え方に問題がある(それに従わなかった生徒に厳しく指導する)だけで、内容自体はとても重要なことなんじゃないか。
これは教育としては非常に重要なことなのではと思ってしまうので、現役国語の先生からこの言葉が出ることに
私はちょっと驚いている。
原稿用紙の使い方や作文の書き方というのは「そう書かなくちゃいけない」というものよりも
「ある程度のルールに沿って書いた方が、見る人は見やすいし、書き手の伝えたいこともより伝わりやすくなる」という
学校教育の中でいうと採点側のためにあるのではなく、生徒のためにあるものだと思っていたからだ。
これは私の小学校時代の先生の、私の文章を見てくれるときの態度がずっとずっとこうだったから、という影響が大きいと思う。
でもこのツイ主の先生の辟易した書き方からするに、きっと現場ではそうではないんでしょうね。
「自由な自己表現をする」ことと「文章表現としてある程度の形式を学びそれに従った作文をつくる」ことは矛盾しないと思うんだけど、この矛盾しない教育がきっと難しいんだろう。
私の小学校でできていたことがそんなに特殊だったようには思えないから、その学校の方針や先生個人の考え方にも左右されるとは思うんだけど……。
あと私が小学校を卒業してからもう十年以上が経っているので今の学校教育ではなかなか同じようには出来ないかもしれない。
ただ、私みたいに作文や読書感想文で救われたこどももいるにはいるのだ。
「みんな嫌いになる」ものとして普遍的に槍玉に挙げられてるのを見ると、偶然私が幸福なこどもだったのか、それとも異常だったのか、よくわからなくなってくる。できるなら前者であってほしい。
始めは楽しかった。
熱が覚めてきたからかな。
子育てや性の問題のツイートを引用RTして呪詛を吐く人、陰口たたくグループDM、ファンと表明しながらアンチ発言するツイッターアカウント
そんなのばっか目につくようになった
ジャンル内で学級会が開かれることも度々
学級会が起きると立派な意見を言ってた人が、仲良しさんがやらかして槍玉に上がると無茶苦茶な擁護をする
この時ようやく違和感を感じるようになった
私自身もダウン系の話題のツイートをRTしてすぐ死ぬ方向に繋げて文句言うようになってた
ラーメン頼んだらプリン出てくるようなものとか意味のわからない例え話に同調して意味なく怒ってた。
こんなんじゃなかったのになあ。
気付いたら文句ばっかり言うようになってたよ
目の付け所は素晴らしいと思う。
宗教は人間が人生を幸福に過ごすために「たいへん緻密に設計されたシステム」である。
これまでの人類の歴史の上で宗教が大きな役割を果たしてきたのは、過去の人々が宗教家を名乗る詐欺師どもにいいように騙される無知蒙昧ぞろいだったから、だけではない。
宗教は個人が幸福に過ごすうえで、また集団が協力して社会を営んでいく上で少なくない利益をもたらすがゆえに、広く人類の文化圏に受け入れられ、成長してきたのだ。
宗教が軽んじられがちな現代において、その有用性に着目した元増田の視点は鋭い。
ただ、悲しいことに元増田の認識は甘い、と言わざるを得ない。特に次の一文が元増田に認識の甘さをよく表している:
おそらく、元増田のいう「あやうさ」と「搾取性」というのは以下のような定義で表せるものだと推察する (違っていたら教えてくれ)
これらは宗教の「非科学的」で「非合理的」な活動を批判する上でよく槍玉にあがるトピックだが、宗教団体の中核をなすものであり、決して欠くことのできないものだ。
なぜなら、これらは宗教団体が団体として活動を継続する動機であり目的となるものだからだ。
元増田も言及しているように、宗教団体に所属することの現実的なメリットの一つは相互扶助活動だ。お互いがお互いの張り合いとなり、物理的また精神的に支えあうことだ。
当たり前だが、相互扶助活動を継続するためには「団体」が「団体」であり続けなければならない。
「あやうさ」も「搾取性」もない宗教団体はただの仲良しクラブに過ぎず、簡単に瓦解する。元増田が理想とするような団体が維持できるのは、「たまたま」メンバー間の相性がよく、「たまたま」定期的なコミュニケーションが継続できていて、「たまたま」外部からの圧力にさらされていない間だけに過ぎない。
よく「子供のため」と言って、一般の大人が楽しむある特定の分野の娯楽を禁止しようとする別な大人(親など)が居るが、それが、大人(親など)のエゴイズムであって、「子供のため」にならないことになぜ気づかないのか。つまり、その子供にサービスを提供する一般の大人が、その娯楽を奪われることによって生き甲斐をなくし、だんだん減ってしまって、結果的にその「子供」が将来的に不利益を被る可能性をどうして考えないのだろう。
そのわかりやすい例が少子化だし、自殺者の多さだろう。皆が子供を育てないのは、金がないからじゃなく、大人(親など)が、この世をそもそも楽しくないものにしてしまったからだ。行政が補助金として、いくら金を積んだってダメなのだ。あらゆる娯楽を許容して初めて、子供を産み育てる苦痛が贖われうる社会になるのだ。
それなのに、大人(親など)が「子供のため」だと、大人の娯楽を規制したがために、それが生きづらさからの少子化につながり、その「子供」の世代に、「子供」にサービスを提供する人間がほとんど居なくなってしまうという先送りした因果応報。それは、「子供のため」を理由にして、自分の気に入らないものを潰そうとするエゴイズムを通す大人(親など)から「子供」への素敵なプレゼントなのだろう。まさに「素晴らしき新世界」。ある意味での環境破壊だとも言える。その「子供」自身だって、大人になったらいつかその生きづらさに困り果ててしまうだろう。その頃にはその大人(親など)は居なくなっているから、「子供」が嘆き悲しもうがもう関係ないのかもしれないが。
そして、そもそもその子供を出産した行為自体だって、大人(親など)の娯楽の一つの結果だろう。なに御立派なこと言ってるんだか。子供には出産に至る行為をさせない気なのだろうか。それでいて、子供が成人年齢になって孫を求めてたら満点大笑い。お前(親など)が大人の娯楽を規制するよう努力したせいで、出産につながる行為のやり方がわからないし、相手も尻込みしてんだよ、っていう。
というか、子供を出産することこそ、子供に対する最初にして最大の虐待ではないのか。ここは大人(親など)がまず直視すべき問題。この世に産んだから、子供はあらゆる苦難を乗り越えなくてはいけなくなったのだ。大人の娯楽を社会に対して抑圧するより、出産という自分自身の最大の虐待行為をまず反省すべきではないのか。つまり、怒りの矛先は、社会でなく自分自身に向けるべきである。それこそ、愛すべき自分の「子供」のためにだ。娯楽の反省は社会に対してでなく、子供に面と向かって謝るべきではないのか。
つまりは、「子供のため」と言って、大人の娯楽を抑圧することで生きづらさからの少子化を招き、子供自身の未来を制約するよりも、まずはその出産を子供に「ごめんね」って謝れば許されると思う。それが二重に子供のためだと思う。
ということを書いたのは、最近、分割統治により、他人の趣味や娯楽を抑圧する趣味の人間が増えてきて、怖くなってきたからだ。
一般論として、法的理由も無しに不快感だけで他人の趣味や娯楽を抑圧してはいけない、という事実には皆同意するのに、具体論になると、自らの不快感を唯一の正義として、嬉々として他人の趣味や娯楽を抑圧して楽しむ人々が増えてきたように思う。その一例が「子供のため」というものだ。
いつか同じようにして、自分の趣味や娯楽が不快感だけで抑圧される可能性は考えないのだろうか。自分の趣味や娯楽は不快感が無いと信じているのだろうか。その子育てだって、単なる趣味や娯楽の一つでしかないのに。それとも、自分の趣味や娯楽に矛先が向かないように、他人の趣味や娯楽を槍玉に挙げているのだろうか。みんながもっと趣味や娯楽や自由を限りなく追及するようになればいいのに。
ツイステに対するお気持ち文「大好きなディズニーの世界が~」という増田を読んでから、ずっとその事について考えていて頭から離れないので自分も書いてみる事にした。
前提として、自分自身はディズニーオタクな訳でもなく、ツイステもストーリーを追ってはいるけどハマったり二次創作する立場でもない。
その上で、何であんなにあの文章が引っかかるんだろうなあ~と思ったので整理がてら。真面目に読むもんじゃないので適当に読んでくれ。
まず「お気持ち表明」というと揶揄される傾向にあるけど、別にお気持ち表明自体は否定されるもんでも無いと思う。
嫌なもんは嫌だし、吐き出したい、と思うのは悪くない。「私はこういう意見です」と表明する事自体はいいんじゃないかな。
だからあの増田を消せとか、「ディズニーも同じような事やってんだから文句言うな」なんて事は別に思わない。
自分が好きだったジャンルに今までいなかった層のファンがズカズカ入ってくるのは嫌だよね。
昔っから好きだったのに、突然入ってきて、大きい顔されたらモヤモヤするのはわかる。
「新規のファン層獲得の為だから」とか言われても納得行かんよね。行かんからお気持ち書いてんだもんね。
だからまあその感覚はわかるし別にいいと思う。というかその感覚がわからなくても、それを書くのは構わんと思う。
ただ単純に、文章中に色々気になる事があるんだよな。
「ツイステのせいで」「ディズニーの世界が曇る」って言うけど、曇らせたのは「ツイステを公式にしたディズニー本体」じゃね???っていう
ディズニーの精神が~ってめちゃめちゃ言いまくってるけど、ディズニーの精神が大事だったらそもそもディズニーが公式認可しちゃ駄目じゃん。
公式認可してるってことはツイステは「ディズニーの精神に反してない」って事にならないか?
あと「性欲視点」とか「性的搾取」とかめっちゃ書いてるけど、ツイステの性的要素、どこ…………………。
いや、確かにツイステをプレイする側は性欲視点だったり性的消費したりするでしょうね。
例えば「登場する男女数が平等で、キャラクター同士の関係性や葛藤を楽しむゲーム」だったら満足するのか?
でも、男女比が同じゲーム出したとして結局オタクがそのゲームの腐なり夢なり男女カプなりの二次創作を
めちゃめちゃやり始めたらあの増田書いた人は結局発狂するんじゃないのか?
ディズニーの精神がとか性的搾取が云々じゃなくて単純に萌え豚キモいってだけの話だと思うんだけどどうなんですかね。
というかそもそも性的搾取って誰が搾取されてんのこれ???何かもう性的搾取の定義がわからなくなってきたな。
あとそもそも「男性だけが登場するゲームを作る事が悪なのか」ってところもすごい疑問で。
「男女比は同じに!美形・普通・不細工もまんべんなく!男女の恋愛だけ描くとマイノリティに配慮してないから同性のカップルも描こう!」
なんてこと考えて作品作ってたらクッソつまらない世界にならない?
多様性っていうのは、例えば「美形ばかりの男性が集まったゲームを好む人がいる世界」も許容するのが多様性なんだと思う。
逆に「美人なお姉さんばかりが集まったゲームを好む人がいる世界」とかもそうだし、
「ラブロマンスが好きな人がいる世界」「殺伐とした世界が好きな人がいる世界」とか。
ディズニーが多様性を大事にする世界観なのだとしたら「そういう世界を好きな人の為のゲーム」を作るのは、ある意味ディズニーの精神に則っているのでは?
ツイステが「ディズニーの世界の全て」な訳じゃないんだからさ。
あとこれはあの増田に書いてある訳じゃないけど、
あの世界観でアズールが「太っている事を気にしてダイエットした」事をよく槍玉に挙げられる事に関して、自分はあれも別にいいんじゃないかと思う。
いや、だって、美観ってそれぞれじゃん。アズールは「細くてシュッとした自分になりたい」と思ってそうしてる訳でしょ。
周りからいじめられてたから見返したくてそうしたのかも知れないけど、別に「本人がそうしたくてした」ならいいじゃない。駄目なのか?
それが美形賛歌だとか言われても知らんよ。「そのキャラクターはそう思ってそうした」ってだけで、君の考えまで捻じ曲げようとしてる訳じゃないよ。
現実の世界で太ってるのは嫌だ!痩せたい!って言ってる人に「君はそのままで美しいよ!」って言ってその人をそのままでいさせる権利なんて誰にもないでしょ。
というかこの一個の創作物だけでそんなに自分の考えを書き換えられるような人間はちょっと自分を見つめ直した方がいいよ。
「このキャラはそういう考えなのね」で終わりだよそんなもん。
何かもっと書きたい事あった気がしたけど忘れたわ。
とりあえずあのお気持ち文は「腐萌え豚消えてくれや~~~」って内容を正当化しようと性的搾取が~ディズニーの精神が~っていうので包んでる印象だったな~って感じ。
最近小児型ラブドールの是非についてはてぶで話題になっている。はてぶではラブドール愛好者である増田の反論と、規制推進派のツイッターとがホッテントリ入りしていた。はてぶ以外で議論がどのように展開されているかは確認もしていないので知らないが、そもそも糾弾されている我々小児性愛者のが置き去りにされている気がしたので意見を述べる。
ただし我々小児性愛者と書いたが、私自身小児性愛者を自称することには抵抗がある。DSM-5で定義される"The individual has acted out these sexual desires, or is experiencing significant distress or difficulty as a result of these desires."は自分には当てはまらないので。それでも子供に対し性欲を掻き立てられるし、その手のイラストを描いてもいるため他から見たら小児性愛者と断じられても仕方がない。
さて、ラブドールについてだが、以前欲しいと思ったことがあり購入を検討したが結局買わなかったし、買わないで正解だったと思う。高額であることのみならず、部屋の容量や引っ越しの可能性も考えたらおいそれとは手が出せなかった。ラブドールそのものが極めて上級の趣味なので、槍玉にあげられている小児性愛者の一人としても今回の運動には今一つぴんと来ないのである。実際はてぶを見て知っただけで、増田が記事を書かなければ恐らく知ることも無かった。change.orgにはたびたび署名しているが、自分のところには周ってこなかったし。それもあって本来のターゲットである小児性愛者ではなく人形愛好家に弾が当たったのではなかろうか。
もちろん将来そこそこの広さのある終の棲家を得られたなら、そしてそのときに小児型ラブドールが今よりも精巧であったなら購入したいとは思っているので、規制には当然反対である。反対するのが至極当然である。
一方で規制推進派をただ否定すればいいかというとそうでもなく、規制したがる人たちの危惧も無碍にはできまい。規制に賛成の立場のブクマで星を集めているのは「それをきっかけに欲望が芽生えるか、あるいは加速するのでは」というものだ。ご丁寧に実例を紹介してくれる人もいた。
こうした意見に対して、どう対応すればいいのか正直分からない。とりあえず私自身は自分こそがその反例だと思うので自分について少し述べることとする。
まず私の小児性愛の目覚めは幼児期のナルシシズムと同年代の少女へのコンプレックスのためだと思う。小学生ごろまでは綺麗な服を着られる姉がひたすらに羨ましく、その結果として女装癖があった。女の子の自分がどんな形ででも注目されたいという欲望があった。その後自分は女の子にはなれないと諦めたことで、自分の中で理想形が小学生までの少女に固定されたのだと思う。近年中学時代の友人と再会する機会があったのだが、彼の第一声は「今でもロリコンなん?」であり、つまり私は「生粋のロリコン」であると自他ともに認められる(ちなみにロリコンという呼称は大嫌いだ)。
その後長じるに及んでその手のイベントがあったかというとけしてそんなことはなく。単純所持禁止前までにその手の動画を見たこともあるが自分でも、とはならなかったし。姉や親族に子供ができて、私がしばしばお世話をしたけれど別段何もしなかったし、そもそも今の仕事が子供と関わる仕事だがこれまで悪いことは何もしていない。
しかしこんなこと言ったところで、「情欲をいだいて子供を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」とまではいかなくとも、意識していなくてもセクシャルなことをしているに違いないとか、自己申告乙とか、今後どうなるか分からないとか、よしんば認めてくれたところで反例1だとか言われるだけでしょう。
ただそれでも私が強く主張したいのは、「欲望」と「実際の行動」の間には深い溝があり、その溝を乗り越えられるのは限られた人間だけだ、ということです。私が初めて彼女とセックスすることになったとき勃起できずに気まずい空気が流れた原因は、私自身の性癖もあるが、人間という情報量の多さに気圧されたからだ。子供とこれまで幾度も接してきたが、彼らそれぞれの「個」に圧倒されて、個性を剥奪された単なる「性的対象」としてなどけして見ることができなかった。
結局犯罪ができる人間というのはとことん相手を見下せるか相手との共感性が皆無な人間なのだと思う。だからこそラスコーリニコフも殺人と超人思想を結びつけたわけで、肯定的な表現をするなら「乗り越えられる人間」ということになる。
そして犯罪者が乗り越えてしまっているものは、他にもあるがまさに「社会における自分の立ち位置」であろう。家族、親類、職場、友人のことなど考えたらけっして悪いことなどできないはずだ。それでも犯罪ができてしまう人というのは、尊重しうる他者がいない人なのではないだろうか。
最初に小児性愛者と断じられても仕方がないと言ったが、やはり私が自分には当てはまらないと述べたところの定義こそ重要だと思う。何人か医者の友人がいるのだが、精神科医の友人(娘がいる)は「イラストを描いて欲求を昇華できているのはとてもいいことで、全く問題がない」と言ってくれた。また別の友人は、私のことを彼女に紹介する際「凄いロリコンだ」と言ったら、彼女は「その人を治療できるのはあなただけなのよ」とかなんとか言ってきたので「理性で制御できてる以上単に個人の趣味」と諭したという。理解ある友人がいて幸せだし、だからこそ裏切れないとも思う。
小児性愛者に危惧を覚える、その感情は理解できるのだが、小児性愛癖を持つものが実際の行動を伴うわけでもないし、罪を犯せる人間というのは特別なのだということは一考してほしい。私としてはラブドールの規制なんかよりも、人権教育を通じてお互いを尊重できる社会を気づくことが大切だと思う。
運転士になったら乗れるぞ、みたいな話じゃなく、貨物の間に乗りたい
必ずしも貨物がある必要はないかもな 要はオープンカーの列車バージョンに乗りたいってことだ でもそんなもんはない…いや、あるにはあるっぽいんだけどトロトロ走る子供騙しの雑魚ばっかりだ だから貨物列車が槍玉に上がる
絶対気持ちいいと思うんだよ すげえ速さじゃん 周りも結構見応えがある 船なんかもオープンだけど、ありゃ基本的に海しか見えん 車は景色は選び放題だけどしょっちゅう止まらないといかんくてストレスがたまる
その点貨物列車はいい まっすぐな道をすげえスピードでガンガン飛ばす そうそう止まらない 車体がデカくて、エネルギーがある
高校に行くために使っていた駅はときどき貨物列車が猛スピードで通っていく区間で、間近で見るたびに新鮮な衝撃を受けたものだった 何百トン何千トンとある金属の塊がすげえ速度で目の前を通っていくんだからそりゃすごい迫力だ
一歩踏み出したらバラバラになって死ぬんだろうなと思わせる濃厚な死の気配が…いや、死の気配なんてものはなかった 通り過ぎていく猛スピードの大質量はそんな陰気臭いものなんて纏っていなくて、何か感じ取れるとしたらむしろ荒々しい生気のようなものだった
通り過ぎたあともちょっと見送ってしまうくらいに存在感があった 通ってる間は何も聞こえなくなるくらいの轟音を立ててるのに、過ぎてしまうと一気に静まるのもカッコよかった 潔かった
お前らさ、ネットだけでわいわい騒ぐのは良いんだよ
黒川や憲法改正をその罵詈雑言のお囃子で止めたのも良いんだけどさ
関係ない種苗法をストップさせた上で二つも改正案通してるの本当になんなの?
この二つの方が明らかに種苗法なんかよりも大事だったんですけど?
お前らは魚かよ、ネットで目についたことばかり槍玉にあげて思考停止で批判して
それで一番大事なものを見失ってるんだからザマないって気付かないんか
ああ気づく頭もないもんな
現場でマスコミと協力して情報を得てその上で国会前や都内で毎日デモしてんだ
それをなんだお前、有名人の声でころっと騙されやがって
本当にがっかりするわ
頑張って声あげていきましょう!とか言うけど、スルー/ストップくらい見てから選べよ本当
あのな、もうお前らのせいで2失点してんの、分かる?
現場の人数だけじゃ多勢に無勢だからお前らに期待してたのに2失点だよ この重さが分かんねぇのか
ゴミスポーツの野球や欠陥スポーツのバスケットみたいに最後に得点多けりゃよしじゃないの
烏合の衆に成り果てつつあるネットの皆さんはかつて味方だと思いました
ですがここで「無能な味方では?」という懸念が出てきたわけですよ
だからお前らはそこら辺見定めてアベや大きな声の著名人に踊らされるバカにならないで下さい(といっても無理な人が多そうですけどね……はぁ)
頼むからネットだけじゃなくて一緒に国会議事堂前で声を張り上げてください
ネットなんて架空の気持ち悪い世界で声を上げるより数百倍マシです
自分で考える力もつきます コネもできるしいざとなったら突っ込むこともできる
頼むからもう少し私たち現場で抗議し反駁の急先鋒にいるいる人を自覚してください
そして私たち現場の後ろ盾になる様動いてください これ以上失望させないで下さい
それでは、弾くべき法案を全て弾いて一緒にアベにとどめを刺しましょう
長々と長文、失礼いたしました
内容的にここで言われるほど、プログラミングスクールのカリキュラムや講師が悪いとは思えない
(あくまで20新卒、まとめサイトの運営とかAtCoderをちょっと触ってた程度の初学者の視点で見て)
劣化版メルカリを作るみたいな、新卒のプログラミング研修あるあるな課題だし
講師も総合職と一緒にやった研修会社のIT研修(ITパスポートくらいの知識)よりはかなりいい気がする
講座の内容についてRuby on RailsなんかはRailsチュートリアルとそこまで大きな差があるとは思えないし
細かいミスだったりは他人に見てもらったほうがすぐ直せたりするし、つまづいた部分を質問できるのはいいのでは・・・?
問題は入社してからほとんどPerlらしいのに、Rubyをやることくらいだと思う(人事の人に聞くとPerlを扱ってる研修会社がほとんど無いらしい)
自腹でやるならudemyとかだろうけど、新卒でこういう研修を受ける機会がなかった人がやる分にはいいと思うし
採用側が入社後に研修やらせる体制が無いから、スクールで研修っぽいことやった人を
未経験枠で採用するか・・・みたいなパターンはあると思うので、