はてなキーワード: ピザデブとは
それをキモいとか、何かしらのシンパシーを感じてる人がチー牛って煽りを使ってる訳で
元増田にも書いてるとおり「チー牛」って煽り使ってる時点でお里が知れるね、ってことなんだよ
そりゃ、自分達にとってキモい面と同じ扱いされてるって感じたらムカムカもするだろうけど
正直言えば槍玉にあげられた絵師もプロゲーマーも然程気にしてないし、
ツラのいい女がチー牛のサムネの真似してた時はふざけるなと思ったけど
そしてそれを脅威として武器のように扱ってる器の小さな小さな人達がすき家の大きな手のひらの上で追っかけっこしてるだけなんだよね
だから
そして絵師の画力によってルッキズムを擽られた人達が好んで使う言葉がチーズ牛丼食ってそうな顔って言葉
それを罵倒や差別的表現として使う人間は人を見た目でしか判断出来ない哀れで狭量な子供じみた差別主義者
そう見做されても文句が言えないし、言葉にはされないけどそう見做されてる
俺自身は自分をチー牛顔とは別のタイプのキモい顔だと認識してるけどチーズ牛丼美味しいから食べてるし、カロリーもクソ高いからそれこそピザデブよ。ピザもおいしいね。あんだけチーズ使ってるしな。
だけどチー牛顔がチー牛顔を煽ってたりアレルギーや宗教上の理由からチー牛食べられない奴でもチー牛顔だからチー牛食えよみたいな、どこでも何度でも見た状況をより限定的なアイテムでするのかよとは思う
これがすき家の広告戦略だとしたら随分と気の長い戦略でいらはるなぁ(京都弁)と思うけど
どちらにしろすき家から「ふざけるなよSEGA、お前のゲームに出てくる牛丼全てにチーズ入れてないと許さんからな」という声明でもない限りはチーズ牛丼のサジェストに関してはすき家が得するならそれでいいと思う
上記の通り、すき家の手のひらの上で行ってる追いかけっこなので、三種のとろーりチーズ牛丼を提供してるすき家が今のところOKなら多く言うことはないし、火消しとは思えないかなって感じ
中学時代、ある程度仲が良かった男子がいて、見た目も地味でそもそも肥満だったり、ルックス的には全然恵まれていない人なんだけど、とにかく勉強ができた。
で、勉強ができる子らしく立派にオタクだった。カードゲームとかオンラインゲームとかも中毒レベルでハマっていた。あと(ラノベではない)小説が好きで、中学生なのに作家の(大人だらけの)ファンミーティングなんかにも顔を出す社交的な人だった。
でも、外見は完全にオシャレでもない単なる肥満児で、恋愛とかモテとは無関係に思えた。
ところが、その男子が中学2年のある日、これまた勉強のできるクラスでも指折りのメガネ美人(と評価されていた)の子と付き合い始めた。正直、ショックだった。いつもありえないほど原色のスウェットに太ももがピチピチのチノパンを履いてるようなヲタ丸出しの子だったのに、突然異次元か別世界の人になったかのようだった。いや、あいかわらず外見はピザデプのヲタであることには変わりなかったのだが。
自分がその交際をからかったことから、その男子との関係は悪くなり、私達の縁はほぼ切れてしまった。その後も同じ高校に進学したものの、その男子は青白い顔をした文化系ヲタ丸出しだったにも関わらず、なんとラグビー部に入部。部活漬けの青春を送った後、現役で首都圏の名門私大に進学した(もちろんスポーツ推薦ではなく実力)。
大学進学の際、私は地元に残った。それ以来、あの男子とはまったく接点がなくなっていたのだが、先日、ふとFacebookで彼の名前を検索してみたところ、たいぶ体型はスリムになったものの、オタクっぽいメガネをかけ、センスの欠片もないファッションに身を包んだ彼が小さな子どもと写っている写真を目にした。
あの男子は既に結婚していた。彼が好きだった小説家がよく本を出版していた大手出版社に勤めていた。相手女性は(オタク系の専門校卒ではあったが)美人で知的そうな顔をした女性で、彼女との間に子どもすらもうけていたのだ。典型的な幸せな家庭を築いているように見えた。
別に私があの男子に恋していたわけではない。どちらかといえば軽いイジメの対象にしていたような気さえする。正直言って、彼のルックスは(現在写真に写っている姿もふくめ)底辺クラスといっていいし、とてもではないけど恋愛対象にはならない。
けれど、彼のような全く恋愛と縁がなさそうな男子でも、できる人は思春期になり初めの頃から恋愛を楽しめているわけで、逆に私の周囲にいる(外見も中身も悪く無い)草食系男子は学生時代からろくに恋愛には恵まれていない。
そう思うと世の中の人が言うような、恋愛に縁がない男性は「努力が足りない」とか「勇気がない」というより、どうも生まれついての何かが違うのではないかと思えなくもない。
あのビザデブ男子は少なくとも外見では(現在にいたるまで)モテのための努力はほとんどしていないことは明らか。たしかに痩せた努力は認めるけど、清潔感もろくにないルックスは相変わらず。でも、彼は恋愛相手に恵まれているし、私の周りのわりと雰囲気イケメンな男たちはなかなか相手に恵まれない。
この差はなんなんだろうね。婚活もふくめ世の中の人が色んな「モテるための努力」に勤しんでいて、私もその一人ではあるのだけど、正直本当に人として魅力的でありさえすれば、もしかしたらモテるための努力なんて必要ないのかもしれない。
結局、私たちはそもそも人として大して魅力的でもないので、せめて外見やモテるワザをつかって相手の気を引くしかなかった、というのが現実なのかもね。
リアルタイムでは見ていないが、2004年ごろにDVD借りてハマり、2008年ごろにまたハマり、今頃になってアニソン三昧のgroovin!から見直し始まった程度のオタクだが、久しぶりにアニメを見直して(まだ途中だが)感想を書かずにいられなかったのでここに書く。
序盤十数話を見返すと、相当丁寧かつカットの使いまわしで上手くクオリティ維持をしていたんだろうと分かる。
登校風景の木々のカット、飴を渡すカット、今見ると使いまわしだが初見ではあんまり気にならなかった。
そしてなぜこれだけはやったのか、今なら分かる気がする。
突っ込みどころが相応にあり、かつ絵柄が安定して可愛く、知世というオタク視点(一部)があり、そしてオタクにとって『身近にいそうでいないが、いてほしい願望』の具現化だったんだろう。
最初はまあ女児向け漫画原作のアニメからすると仕方がない。なぜ不思議なことがあるとすべてクロウカードのせいになるのか。いや、まあそうしないと話が進まないが、短絡すぎるだろう!と今だとツッコんでしまう。
絵柄に関してはオタクにとっては多分言わずもがな。俺の不徳で申し訳ないことに、制作時の事情はよく知らないという点はあるのだが、NHK援助とはいえあのクオリティで70話+劇場2作は驚嘆に値する。よくこれだけ作ったもんだ。さすがマッドハウス(とその下請け)というべきなのだろうか。
知世の存在と存在意義についても、原作漫画よりもパパラッチ的なほうに触れたのが幸か不幸か、良くも悪くもオタク目線(かわいい女の子にかわいい服を着せて頑張っているところを楽しむ)なせいで見ていて面白い。倫理は放り投げた上での意見だが。
最後は、まあ今のピザデブな俺からすると、ものすごく偶像化された『多分(特にそれまでの)フィクション上実在してほしい妹・妹分の理想像』をうまく脚本・アニメ化したことだと思う。
多分ほとんど誰も異論は唱えないと思うけど、木之本桜は理想的すぎる小4であることは間違いない。一部で大好きな性的なことは置いておいて、小4で家族がスーパーマンだらけの中で主人公もスーパーマンであり、加えて謎の使命を背負って2年間を戦い抜く。小学生ならではの破綻した論理を振りかざしながらも、時には周りとかみ合わずいろいろ空回り的に頑張っているといえども、『こんな素直で頑張り屋の小学生』というのがすでに理想化されすぎた小学生である。
まあ、フィクションなのだからしょうがないとはいえ、ご都合だったりいろいろ流れが不自然なのはもう仕方がないだろう。
しかし、間違いなく当時の俺、そして今の俺にとっては、さくらは天使である、しかし小狼がいる以上恋愛がらみはしょうがない、といったん実在性を信じながらもあきらめざるを得ないほどに、不完全なりに完成された物語であったんだろうと思った。
ツバサ・クロニクル…?何のことかな…
なんか非モテ自慢をしている増田を見かけたので、この機に乗じて自慢話してみようと思う。
私は人とまともに話せない人間でした。小中と地味人間の部類にいたけど高校ではクラスの女子にシカト、男子には笑いの種にされる人間でした。でも部活の友達と、仲良しの姉がいたのでなんとか乗りきれた。
異性との出会いもなく、同じ類友と固まって大学を卒業し、社会に投げ出されて気づいたのは
私は気の利かない、頭がオカシイレベルの困ったちゃんで世間知らずの自己中だということ。
あれですよ。「素直に人の言うこと聞く=自己中心的ではない」って方程式は偽だったんですよ。知らなかった。
むしろ「他の人の事を深く考えない=自己中」なんですよ。しらんかった!
それで、自己中な上司に「もっと人の事を考えろ!」と言われながら無茶な仕事を押し付けられて
いろんな嫌なことを経験して鍛えられた結果、それなりに人を気遣うことが出来るようになりました。
それから、凄く良い友だちができました。
今までの「どっか行こう~」って話すと「え~めんどい」って返してきた友達と違って
「一緒にあそぼっ♪」とか「彼氏いるの? いい人紹介するよ~」とかとか、やたら積極的な人たちです。
今まで寄ってきたそういう人達は大抵宗教勧誘の人だったので、最初は警戒してたんですが、全くそんな事はなく
そして、その友人たちは私が二十代半ばだというのに彼氏の一人もいない事を心配し
友人たちのお母様も「早く結婚したほうがいいんじゃないかしら」と世代のズレた心配をし
いろんな人を紹介してもらいました。
一部上場企業の会社員から町工場社員、警察官、底辺高校卒だったり大卒だったり
酒タバコパチンコする人しない人、ちょ~イケメンからピザデブまで。
まず顔で分けると
イケメンの人達はあまり自分から誘ってきたりしなかったので、大抵一回食事して終わり。
そうでもない人達はかなり一生懸命に誘ってきてくれて、何回か遊びに行く事が多かった。
学歴で分けると
大卒は草食でおとなしめ。(きっと積極的な人はとっくの昔に結婚しているからだと思う)
酒タバコパチは、リア充系の人はやって、オタ系の人はしてないことが多い。
そんな感じで、個人の経験に基づく偏見ができつつあった頃に今の彼を紹介されました。
彼は人当たりが良くて気が利いて、顔は普通。でも積極的に食事のお誘いをしてくれて、しかも酒タバコをしないという素晴らしい人。私が大卒な事を気にしていなかったので、彼が高卒だと話されるまで全くわかりませんでした。
紹介されてから、何回も食事に誘われました。
案外あっさりしてました。もしかしたら自分は彼に恋はしていないかもしれません。
でも、離れていると会いたくなるし、一緒にいて楽しいです。
未だ生娘な私ですが、彼なら嫌じゃないな、と思っています。
彼は学歴は無いし、顔もブサではないにしろイケメンではありません。(給料は知りません)
けど、会う度に「あいしてる」と言ってくれる彼がほんとうに好きです。
彼が私と出会えたのも、周りの人に分け隔てなく親切にしていたから。(紹介してくれた人の動機の伝聞)
あと、異性に対しての知識を持つこと。同性と同じに扱うと上手くいきません。
(ステマっぽいけど、ジョン・グレイ博士の本は参考になりました。)
そんな感じで、二十代半ばを過ぎるまで彼氏いない歴=年齢だった私にも、彼氏ができたよ!!
私をいじめてた奴らざまああああああああああああああ!!
一理ある
>社畜でピザデブ → 仕事も高カロリー食もホドホドに。
仕事場は人員不足で休めない、責任感強いから大晦日や年始も休みの人の代わりに出てた
ゆっくりと昼食も取れない仕事なので、マックやコンビニ食ばかり
>はやく病院行って欲しいな → 一緒に行きましょう!放っておくと自分では行かないかも。
一緒にいく時間がない、でもそれいいな今度提案してみる
休日は疲労が極限まで達していて寝溜めに使われてしまうのでデート自体難しい
>痩せて欲しいな → 休日は一緒に散歩、サイクリング、テニスなど、有酸素運動をしましょう。
二人で始められる方が始めたり、継続させる垣根が低くなります。
>好きだけどもうお泊まりしたくない → 鼻呼吸の習慣を練習して身に付けてもらいましょう。
一緒に住んで全てを改善してあげたいけど付き合いたてだから無理だ
いびきのことは本人に言ったけど気づいてないみたいだった
増田も寄付は大好きだよ! 施すほうじゃなくて、受け取る方としてならね!
なんだか一億総ポトラッチ化が進んできました昨今、増田が由緒正しきネトウヨであったら「ゲヒヒ、次は国を隣国に寄付ですか?」と揶揄の一つも売ってやるところだけどはてサは恐いし、増田はそもそも右翼じゃない。ただの逆張りが好きな女子中学生だ。そう考えて読むと気分いいよ?
流行ものをとりあえずdisとくのはウェブに生きる天邪鬼としてのたしなみだよ! みんなも若いうちは、無闇やたらに反発するといいんじゃないかな?
でも実際twitterとかでこの手の逆張りやってんのは三十代のピザデブハゲ女子中学生たちなので、きみたちの健康と精神に大ダメージを与えるよ! 貧弱な想像力は時にみずからの命を助けるね!
ところでなんでぼくらはタイガーマスクきどりどもが嫌いなのかな?
不思議? ふしぎだよね!? だって、寄付ってすごいいいことなんだよ? ただの偽善じゃない。誰も傷ついてない。与えるほうも貰うほうも、みんな得してる。死んだビジネス用語でいうところのwin-winってやつだね。そうそう、未だに会議でwin-winなんていう単語出してくる上司をみかけたら、さっさとその会社の四階から飛び降りたほうがいい。
なぜか。
まあそんなことは上でさんざん申し述べてきたように、ぼくらが「どうしようもない天邪鬼だから」で済むんだけど、世間はそれじゃあ納得しない。反対するなら説明すべし。感情論は排してな。
と、ぶっちゃけバカに理論的な説明求めるなんてバカなんじゃねえのと思うむねがあるかもしれない。けれど、ココは天下の往来はてな匿名ダイアリー。またの名を皆殺しの増田。
説明責任逃れは問屋がおろさない。せめて嫌悪感の根源くらいはつきとめないといけない。
とはいうものの、「なぜ私は寄付ブームが嫌いなのか」を論理的に説明するのは、おそらくアジを三枚におろすより難しい。
この手の喧嘩でよく使われる殺法は「だって被寄付者が迷惑がってるじゃないかやめてあげなよ白豚野郎」と「親切の押し売り、大きなお世話」を強調するやりかただ。
ここでぼくら天邪鬼は施す物-施される物、という図式を瞬時にして加害者-被害者という関係に塗り替えることでスペクタクルとカタルシスをおぼえるんだけど、それで非難される無辜の大学生ボランティアとかはいい迷惑だよね! いい気味ですね!
そう、善意の悪人は悪意を自覚している悪人よりも罪が重い。なんだかよくわからないけど、ぼくらはそう信じちゃってる。漫画か何かの影響ですよね。あるいはお母さんについて、何かトラウマがあるのか。
まあ、ともかくしかし、タイガーマスクについてはなかなか「迷惑してる」という話は聞かない。少なくともビル・ゲイツより広くておーつねさんより狭い増田の観測範囲では、見当たらない。被害者は存在しない。まあ「あの手の寄附行為ばっかり報道されて恒常的に寄付を行なっている人たちが無視されてる」って声もあるけど、そんなもん、もともと無視されてたわ。
「みんなが得した」ここが、今回の件でやっかいなところだ。火のない所に煙は立たないし、煙が高いところにのぼらなければバカもまた踊れない。
さて、実はここに今回のぼくらが抱えるフラストレーションの一端が隠されている。
つまり、「いつもとおなじように偽善者を叩けると思ったら、おあずけくらってしまった」ってわけ。これってとってもストレスフルな状況じゃない? 犬みたい? 哺乳類と比べられるだけマシさ。
偽善ってなんだろうね? 寄附行為に限定して考えてみよう。広辞苑の定義を持ってくるのは、頭の悪い学生にやらせておけばいい。ぼくらには集合知の究極体、wikipediaさんがいるのだから。
「寄付(きふ、本来の用字は寄附。寄付は代用字)とは、金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること」
「無償」とはつまり、見返りをもとめないということだ。税金控除される時点で見返りもクソもないだって? まあ、それはここでは関係ないから頭から弾いてくれ。
この議論は彼らが「見返りを得ているか」の一点に集約される。
もちろん、違うよね? 物質的な恩恵はもちろん、名誉すら得られない。だって、匿名だもの。キャラクターだもの。「タイガーマスクはえらいですね」っていくら古舘さんがつばはいてコメントしても、それは神奈川県在住の庭師・津田大介さん(48)を褒めたことにはならない。まあ、2chでアンカもらえたときみたいに「存在すること」の承認を貰える快感はあるかもしれないけど、自己承認欲求そのものが満たされることはない。ランドセルは一個9000円。六つで54000円。あなたは2chでアンカもらうためだけにこれだけの金額を払おうと思う?
でも、実際金髪……津田さん(仮名)は「いいこと」やったじゃん。子どもたちの反応はともかく、施設は受け入れてるじゃん。全然ひとりよがりな自己満足ちゃうやん。
自己満足っていうのは充足してるってことです。いわゆるリア充。
はいみんな思い出してー。
っていうか、今回に限らず「ボランティアフォビア」だの「NGO死ね」だの「人権団体とか環境団体とかバカヤロウ」だのを表層だけで叩いてるとか、
っていうか、ぼくらが何者かを叩くときの原動力は、たぶんだいたい、コレ。
だって妬ましいじゃないですか。嫉ましいじゃないですか? 死ねばいいじゃないですか?
自分が善人だって自覚するのはなにより強烈なうぬぼれですよ? ましてや、ヒーローに自分をかさねて? 「悪ふざけだもん」ってみんなにバレバレな形で照れ隠ししてたりして?
ハンッ!
そんな綺麗事、罪じゃないわけないじゃないですか。
彼らはまごう事無き「善人」であるからこそ、叩かれるに値するのです。
それがイヤならアラを探すんだ。マスクどものアラを。徹底的にひとりひとりの素性を洗いだして、瑕疵を探しだせ。これだけいるんだ、ひとりふたり後ろめたいのやら奇抜なのやらは混じってるだろう?
特殊な例を普遍化しろ。延焼させろ。大火がみたい。燃やし尽くせ。
でも今回はそれが通じるかしら? しょせんは匿名が個人を葬るための技術。
匿名が匿名を殺す、新しい時代の戦争に対して、ぼくらはあまりに無知でありすぎる。