2020-06-12

子供のため」と言って、子供に窮屈な未来を与えて喜ぶ大人たち

よく「子供のため」と言って、一般大人が楽しむある特定の分野の娯楽を禁止しようとする別な大人(親など)が居るが、それが、大人(親など)のエゴイズムであって、「子供のため」にならないことになぜ気づかないのか。つまり、その子供にサービス提供する一般大人が、その娯楽を奪われることによって生き甲斐をなくし、だんだん減ってしまって、結果的にその「子供」が将来的に不利益を被る可能性をどうして考えないのだろう。

そのわかりやすい例が少子化だし、自殺者の多さだろう。皆が子供を育てないのは、金がないからじゃなく、大人(親など)が、この世をそもそも楽しくないものにしてしまたからだ。行政補助金として、いくら金を積んだってダメなのだ。あらゆる娯楽を許容して初めて、子供を産み育てる苦痛が贖われうる社会になるのだ。

それなのに、大人(親など)が「子供のため」だと、大人の娯楽を規制したがために、それが生きづらさから少子化につながり、その「子供」の世代に、「子供」にサービス提供する人間ほとんど居なくなってしまうという先送りした因果応報。それは、「子供のため」を理由にして、自分の気に入らないものを潰そうとするエゴイズムを通す大人(親など)から子供」への素敵なプレゼントなのだろう。まさに「素晴らしき新世界」。ある意味での環境破壊だとも言える。その「子供自身だって大人になったらいつかその生きづらさに困り果ててしまうだろう。その頃にはその大人(親など)は居なくなっているから、「子供」が嘆き悲しもうがもう関係ないのかもしれないが。

そして、そもそもの子供を出産した行為自体だって大人(親など)の娯楽の一つの結果だろう。なに御立派なこと言ってるんだか。子供には出産に至る行為をさせない気なのだろうか。それでいて、子供成人年齢になって孫を求めてたら満点大笑い。お前(親など)が大人の娯楽を規制するよう努力したせいで、出産につながる行為のやり方がわからないし、相手も尻込みしてんだよ、っていう。

というか、子供出産することこそ、子供に対する最初にして最大の虐待ではないのか。ここは大人(親など)がまず直視すべき問題。この世に産んだから子供はあらゆる苦難を乗り越えなくてはいけなくなったのだ。大人の娯楽を社会に対して抑圧するより、出産という自分自身の最大の虐待行為をまず反省すべきではないのか。つまり、怒りの矛先は、社会でなく自分自身に向けるべきである。それこそ、愛すべき自分の「子供」のためにだ。娯楽の反省社会に対してでなく、子供に面と向かって謝るべきではないのか。

まりは、「子供のため」と言って、大人の娯楽を抑圧することで生きづらさから少子化を招き、子供自身未来を制約するよりも、まずはその出産子供に「ごめんね」って謝れば許されると思う。それが二重に子供のためだと思う。

ということを書いたのは、最近分割統治により、他人趣味や娯楽を抑圧する趣味人間が増えてきて、怖くなってきたからだ。

一般論として、法的理由も無しに不快感だけで他人趣味や娯楽を抑圧してはいけない、という事実には皆同意するのに、具体論になると、自らの不快感を唯一の正義として、嬉々として他人趣味や娯楽を抑圧して楽しむ人々が増えてきたように思う。その一例が「子供のため」というものだ。

いつか同じようにして、自分趣味や娯楽が不快感だけで抑圧される可能性は考えないのだろうか。自分趣味や娯楽は不快感が無いと信じているのだろうか。その子育てだって、単なる趣味や娯楽の一つでしかないのに。それとも、自分趣味や娯楽に矛先が向かないように、他人趣味や娯楽を槍玉に挙げているのだろうか。みんながもっと趣味や娯楽や自由を限りなく追及するようになればいいのに。

  • ゲーム規制のもともとの原因は課金ガチャ。 1アカウントにつきデフォルトでは月3000円上限にしておいて、年齢確認した成人のみリミッタ外せるようにすればいいだけ。 ソシャゲ屋の...

  • なんだフリカケの話かー

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