はてなキーワード: 小学校とは
その割には「由来とか言われても困る」ってクレーム入って小学校で名前の由来を親に聞く授業無くなったな
願いがたくさん込めてるなら待ってましたとばかりに喜びそうなのに
声をかけられ、話を聞く
あの課題はどうなったの?
課題?ああそうだ、歴史の課題について手伝ってもらったんだった、彼の仕事なら詳しいだろうと
自分の頭の中にはすっかり過ぎた話だった
とても助かった、ありがとう!まだやってる最中だけどあなたの協力のおかげでうまく行きそうだよ
彼の功績を殊更に持ち上げるように返した
彼は課題の話を続ける
自分も興味深そうに話を聞く、内心はもう片付いた問題だと興味を無くしているがそうと思われないように
食事の場で課題の話題にこだわって話しかけてくる彼の意図を想像しながら
なぜ彼なんだろうと思いながら検索すると、作って放置されているばかりのFacebookアカウントが見つかった
元々、私自身が弱者男性気味であり「ここでこの人と一緒になったらきっと幸せになれる」と当時は信じていた。外見は割りと可愛い、普通なら俺とは釣り合わないレベルだったのもあって「多少のワガママは許容するべきだろう」とか考えてた。なので生活では割りと我慢してた
例を挙げると
・×1子持ちを関係を持った後に自白されたがなら尚更生活面で支えなくてはと決心
・連れ子は当時保育園通いくらいの年齢なので「共働きはムリ!」と言われた為主婦をお願いしたが、兎に角家事をやりたがらない
1. 朝は私が自分の弁当をこさえ、朝ご飯を用意。それが済んだら元嫁を起こして食事を済ませて家を出る
2. 仕事帰りには食事の買い物をして帰る。残業3時間とかでも代わりに行ってくれない。なまじ0時まで開いてるスーパーが最寄り駅に有るため断れない
3. 炊事掃除洗濯も基本やってくれない。しかし残業がある日は夕飯の時間には間に合わない為、普段から冷食を切らさないようにするか、店屋物を取るよう勧める(尚丁寧に薦めないとキレる)
4. うっかり洗濯を忘れると「着る物が無い!」とキレる。朝、洗濯機を回すから干すだけでも頼めない?と言うと「洗濯機回すなら干すまでやってよ」と本当に一ミリも妥協してくれない
→ここまで「甘やかし過ぎじゃね?」って思われるかもだが、遠回しでも「私が出来ない時はお願いできないかな?」と言うと超キレる
「私は育児があるから子供から目が離せない!」をベースに兎に角やらない理由を並べ立てつつキレ散らかす。
若い頃は対応してこっちもキレた(怒鳴る程度)ものの、本当に引かない・媚びない・省みない。おまえはラオウかな?
尚、子供が小学校に上がろうが基本姿勢は変わらず。仕事で疲れて帰って来た後に当たり散らされるのと天秤にかけ、私が家事もやる事で生活を維持してた
その後子供が小学校高学年になり、常に目を配らなくても良くなった代わりに私の安月給では生活が良くならない為、一緒に働きに出てくれないか頼む
・元嫁は学生結婚で大学中退し社会人生活未経験だった為、せめて何か資格を取らなくては割の良い仕事に就けない為、本人からのヒアリングの結果当時勢いの有ったWeb関連の資格等をとる事に
・私はIT土方でWebは畑違いだった為、講習会等を薦め技能取得のサポートに努めた。講習会が有る日は子供と留守番、平日に勉強会があれば頼み込んで定時で上がり…等
※フェイク入れようが無い日常生活は割愛してますが、大体似たような態度だった事は付け加えておきます
…今思うと元嫁もPMSだったんだろうな。ヒステリー(若年性更年期障害)だとは思っていたが、薦めても元嫁も病院も薬も拒否られた。「私は正常」で大体突っぱねられたな
>どうやって説得して行かせればよいのか。何か良い案があればご教授いただきたい。
>精神病んだ家族を精神科・心療内科に通院させるのに似てる気がする。手法があるかね?
嫁さん、対外的には取り繕うタイプかな?もしそうなら本人より本人の周り(影響力がある人が居れば一番なんだが)に相談すると良いと思う
私の元嫁、私が何言っても聞かない癖に自分の友人や敬意に値する人の話しは割りと聞いてた印象。(つまり、夫とかってなんか下に見られる)
子供への影響を心配してるみたいだけど、家庭内でヒスる母が居る場合悪影響は避けられない
子供(の年齢にもよるけど)とも一対一で話し合って(別居・離婚の)理解を求めるのが良いと思う。子供にも当たる母なら児童相談所に相談。親権取るとき有利になるよ
何が悲しくて子どもをわざわざ弱者男性に育てなきゃならんのだ。
だからこの増田は思考実験だよ。そもそも当たり前に俺自身にパートナーはいないしね。家族は増え得ないしね。
女の子の、誰かの、笑顔をみたいと思っているのに、迷惑なんて絶対に掛けたくないと思っているのに、それでも積極的な思い入れが、逆に、相手を傷つけてしまうこと。
負のフィードバックループを理解したときに、女性への自己効力感は完全に消滅する。
無力感となる。
優しい心を持っていないと、女性に復讐するミソジニーになったり、粗雑に扱ってイキる強さを得て黒イケメンに育ったりする。弱者男性としての無力感を維持できない。
でも大学なんだから高卒よりはいい、専門学校よりいい。そう自分に言い聞かせてる。
だって大学は義務教育じゃないんだから誰でも入れるわけじゃないから。
成績の話じゃない。たとえFラン大学でもお金と時間がなければ行けないから。
高校も同じだと思う。義務教育じゃないからどんなに偏差値が低くても中卒よりは高卒のほうがいい。
物心ついた時から勉強ばかりしていた記憶しかない。勉強する理由は私立中学に入るためだった。
それなのに全然理解できない塾の授業を聞かされて、さらに塾の宿題までできるわけがない。
小学校の先生にはどうして宿題をやらないのかと何度も言われたけど、塾と小学校の宿題の両方はとても無理とは言えなかった。
5年生位までは「私立中学に行く理由は有名大学に行くため」と言い聞かされた。
でも6年生になる頃には「私立中学に行くのは公立中学がダメだから」とか「私立中学は設備がいいから」に変わっていた。
親がそう言うからそうなんだろう、くらいにしか思わなかったし相変わらず勉強は嫌いで、ただ塾でも模試でも時間が過ぎるを待っているだけだった。
でもなぜか私立中学には入れた。
地元の公立中学に比べて通学時間が長くて辛いと言うと親に「公立中学は荒れていて大変だから」とか「私立中学は公立中学より有利だから」当たり前だと言われた。
いつ頃、私立中学だからといって公立中学より頭がいいわけではないと気づいたのかわからない。
小学校の友達に「中学は荒れてて大変?」と聞いて「そんなことない、楽しいよ」と返されるととても悲しかった。
地元の公立中学に行っててもFラン大学って結果は同じだったと思う。Fランならお金と時間さえあれば誰でも入れるし親は絶対に大学、専門学校や高卒はダメって感じだったから。
タイトル通り。
彼女いない歴=人生かつ女の子と手を繋いだこともデートした事もない純粋童貞だ。最近では特に珍しくない普通の人間です。
そんな純粋童貞を代表して問わせてもらうと、恋愛の何が素晴らしいかが不明ということです。
違和感は小学校の教科書で説明を読んだときからあった。説明を読んでも実感としてピンと来ないんだ。恋愛もひょっとして自己啓発本を売るための口実なんじゃないかってくらい、感覚的に理解できない。
ちなオタクでもあるので、より一層の解らなさが募る。
だって、本当にそれが素晴らしい趣味なら、誰かが布教活動するハズじゃないですか。
こちとらVtuber もアニメもSFもmacOSも自作キーボードも、それぞれで沼ったジャンルを推してきたんですよ。
カタギの人にも良さみが理解できるように、解説記事を書いたり宣伝活動をしてきた。
はてな匿名ダイアリーでも、推し増田、お馴染みでしょ?
なのに、恋愛のススメ、という内容の記事は一切見たことがないよね。
これって恋愛が特に人生において重要ではない、“客観的証拠” だと思う。
お気持ちの非難・対人論法の罵倒では破壊不能な “客観的証拠” がここにある。
タバコやパチンコ、ソシャゲ、お酒にも縁遠い人生を送ってきた。
付き合いで酒くらいは飲むけれど、一人で飲んでもドーパミンは放出されない。
同じように、恋愛もしない。今までは人生の欠損のように思っていたけど、よく考えると逆だ。
恋愛をしない事で他のよりコスパのいい趣味に可処分時間を注げるんだ。
僕らって実は——…恵まれてる。
あるあるネタで「こちら側のどこからでも切れます。」が嘘だ、意外と切れないぞ、という話があると思う。
お笑い芸人か誰かもテレビで言っていたりして、子供のころ小学校でもネタとして話題になった。
たしかに実際に手で切ろうとした時、こうした文言があるにも拘らず失敗することがある。
だから小学校時代の俺もそれでわいわい騒いでいたのだが、一人だけこれに異を唱える女子がいた。
確かに切れないこともあるのだが、それはギザギザの時も変わらないのではないか、ということなのだ。
よく聞いていくと、そもそも「こちら側のどこからでも切れます」以外の、例えばギザギザカットの包装小袋でも失敗してうまく切れないことがある。
「こちら側のどこからでも切れます」は、どこからでも切れることを説明しているだけであって、その失敗の可能性はまだギザギザカット包装小袋など他小袋の場合と等しく含まれているのではないか。
だから「こちら側のどこからでも切れます」で切れないことはそんなにおかしいものではない、笑い物にするべきではない。そんなことをたどたどしくだが一生懸命に説明していた。
つまり、プラスチックの小袋を開ける際に失敗する可能性が形態を問わず存在しているのであって、その可能性をちゃんとさっ引いて「こちら側のどこからでも切れます」を評価するべきだ、ということなのだ。
言を重ねるが、確かに「こちら側のどこからでも切れ」るのだ。ただし失敗する可能性があるということ。そんなことを頑張って説明してた。
女子だったから男子はからかうような流れになったと記憶している。でも俺は、家に帰ってからその腑分けの仕方、発想のあり方、そしてその女の子のことをずっと考えていた。
これが私の初恋だったのだろうと思う。
朝起きたら直ってるかなと思ったが、まだ断水中。
まあすぐ直るかと。
川の水汲んできてとりあえずトイレを流す。
近所の小学校に給水所があるというので
ポリタンク1つ持っていく。
自衛隊の給水車かと思いきや、小さいステンレスタンクを積んだ給水車。
あのクルマのサイズで好き放題やってたらそりゃそうだろ、と思う。
帰り際に、民家に井戸水で飲料水ではないですがお使いくださいと
張り紙がある。
数人並んでいたので、ありがたく頂くことに。
入れ終わったくらいで家主も水を汲みに出てこられたので
お礼を言って帰る。
帰ってテレビをつけたら、テレビは通常通りワイドショーやってて
なんだか訳がわからない。
SBSとかテレシズとか一体何しとんねん
ちなみに静岡市のページはクソわかりにくい。
清水区民の水はどうでも良いのだろうな。
そして市長も何も出てこない。
どうなる!静岡!
もちろん本人の人生なんだから、彼女の意思を尊重するのは前提。
だけど幼い頃からピアノを習わせたり、将棋を教えたり、野球チームをそれとなく紹介したり。
親の自由ってあるでしょ。
私は、娘をフェミニストにしたい。
できればプロの活動家になってやっていってほしい。まあそれは目標というか夢だけれど。
問題は、小学校低学年に教えられるフェミニストの教本的なものがないってこと。
入門用の書籍やブログは基本的に大人向けのものだ。幼い子向けのフェミニスト養成本のようなものは存在しない。
オンラインでもいいから習い事的に、ライトにフェミニズムを教える講座があればなあ。
…と、ぼんやり考えていたんだけど、個人的な家庭教師を募集するって手を思いついた。
カスタムの家庭教師って面白い! うまく需要と供給が一致すれば、今までは想像もつかなかったカテゴリの知識を教えてもらえる。私もなにか習ってみようかな… BL を教えてもらうとかどうだろ? どんなコースになるのか?? 逆に教える方になるのも楽しそう。ワクワクする。
https://nordot.app/946406963063783424?c=938999857585799168
・清水区内の小学校17カ所 (高部小、有度第一小、袖師小、庵原小を除いた区内全校)
https://twitter.com/JCG_koho/status/1573672231565070336
5日間の活動予定と言っているし、水道局職員も支援するようだ。見捨てられていない、大丈夫。
https://www.fnn.jp/articles/-/422001
https://www.big-s.info/shimizu/event/Event12122.html
うちの地元も今夏、結構な被害を受けたけど、道路の人たちが頑張って、1日2日で陸の孤島から救ってくれた。(報道は少なかった)
他市(富士宮市など)からの支援情報もいくつかあったよ。見捨てられてない、大丈夫。
1つ1つ問題をクリアして乗り越えていこう。きっと状況は良くなる。
ブコメにも書いたけど
まずニュースにならない。
興津川水系と言って興津川という清流の表水から上水道を取ってるんだが取水口が流木と土砂で埋まった。つまり取り込めないわけ。流石にライフラインなだけあってもう少し上流に予備的取水口があるんだがこいつの送水管が橋ごと折れた。これで万事休す。復旧させるには重機が必要だが水が引かない。道も細い山道であらゆるところが崩落土砂崩れしかかってる。ある程度水が引いて人海戦術で突貫工事しても濁水処理がかなりかかり早くてこの先数日確定、最悪一週間ダメだそうだ。
かなり昔元々この興津川の渇水で計画断水的なことが必要になったことがあって静岡市の安倍川水系ってところから水を引っ張れるシステムをかなりの予算をかけて完成させてるはずなんだが機能せず。ナント海上保安部が巡視船おきつから給水支援に乗り出すほどの大事になってる。給水車も出てくれているが3時に行って4時間待ち宣告をされた人もいる。たった9地点でしか展開できなかったためだ。小学校の非常水開放して長蛇の列ができたり、民家が自前の井戸水開放したり、ビッグ・エスみたいな民間企業が施設開放して助け合ってる。役所に問い合わせたが明日は多少増えるようだが復旧の目処は立たないという。
つーか、これがニュースにならない。なっても一部で断水が起きています。の一言。
おい!静岡市の半分を占める清水区の7〜8割が断水して、コンビニに食べ物も水もなくドラッグストアの棚も空っぽになって給水所に行けない高齢者妊婦乳児を抱える若い夫婦が死活問題で喘いでいるのにツイッタランドで情報発信してる市議さんは一人、情報は市のHPのみ、アクセス集中で開かない。市長も知事も完全放置。超やばい。
巴川系が越堤して街中泥だらけなのにそれを洗い流す水が来ないので台風一過の晴天高温で粉塵になって舞い上がってる。ガラスも釘も転がる道路脇に故障停止した車が放置され水や泥がはけない道には警官が泥だらけになって交通整理や進入停止にしてる。地獄。
なんで報道で流して救いの手を送ってくれないんだ。棄てられた地なのか清水は。気になる人は「清水区 断水」でツイッタランドを検索してください。
一週間断水とか死人が出るんじゃね?助けてください。
うちの祖父は30年近く前に死んだ。
まだ小学校低学年の頃だったので記憶も曖昧で、覚えているのはただただ優しかったことくらいだ。
よく軽トラの荷台に乗せてもらって山の中にある田んぼに行った。
年端も行かぬ孫からみた祖父、母親からみた父親、父親からみた義父、祖母からみた配偶者、第三者からみた老人、祖父の人物像は凡そ私の記憶の祖父とは違うだろう。
ところで私は祖父の一番下の孫だ。
年齢順に仏になったとして、この世で最後に祖父のことを知る人間は、恐らく私だ。
もし私が忘れたら大好きだった祖父のことを誰も知らなくなる、自分の記憶すらあやふやなのに。
たまにそんなことを思い出しては何とも言えない恐怖に胸を掴まれる。
「日本には醤油の一気飲みという方法があるぞ」みたいなネタを見かける。
どうしても学校を休みたい事情があり、小学校の頃に聞いた「醤油をどんぶりで三杯飲んで熱を出して徴兵を免れた」という話を頼りに
口に含む。えっ、醤油ってこんな酒臭くて酷い味だったっけ? ふだんの食事で使うぶんには美味しいのに。
ようやく汁椀一杯分を飲み干した。これをあと二杯やらなきゃいけないのか……
と思ったところで、突如胃が逆流した。
「オエエエエエッ!?」
吐いた。全部吐いた。
それ以来「醤油を飲んで徴兵を逃れた」という話は本当だろうかと思っている。
本当だとしたらよく吐かずに大量に飲めたよなぁ。
次女の誕生日のあと、長女の誕生日があって、その直近の祝日、二人に誕生日プレゼントと服を買ってやるために買い物に出た。トータルで三万円くらいかかった。はぁ。
服を買う時に、ついでに長女に今のうちに生理用品とかブラを買っとこうぜ、と言うと、長女は思いの外喜んだ。
長女は11歳になったのだが、最近爆速で身長が伸びると共に体型も大人に近づきつつある。彼女は小さい頃から今に至るまで安定の痩せ体型だ。身長に合わせてズボンを買うとウエストがブカブカだったのが、今は150のズボンを履いてもずり落ちなくなった。痩せているなりに身体の厚みは増しているのだ。
最近の長女は胸が急に育って来ているのが悩みらしい。そういう事をぽつぽつ言うのだが、ブラが欲しいと自ら言う事がないので、親であるこちらから提案した方がいいんだろうなあと思った。
長女を子供の下着売り場に連れて行くと、彼女は種類の多さに圧倒されていたが、ぼくが
「ステップ1とか2とか3とかタグがついてるな。まずはステップ1でいいんじゃないか?」
と言うと、それらを物色しはじめた。
「すごーい、いっぱいあるー。こんなのが欲しかったの!」
などと言うから、可愛い色のやつを買うのかな? と背後で見ていたら、スタンダードな感じの、キャミソールと一体型の白いのを二枚選んだ。黒や紫もあるし、ブラだけ独立していて、同色のショーツとセットになったものもあるよとぼくが言っても、「絶対これがいい!」と長女は譲らなかった。まあ、白無地はアウターに響かなくていいよな。もし、ぼくがユニクロの白のエアリズムばかり着てることに影響されたのだとしたら、なんかすまないなと思うけれど。
今時の小学生女子は、他の子がどんな下着を着けているのか、気になりはしないのだろうか? ぼくが子供の頃は、女子はそういう事についてはかなり煩かった。白い「初めてのブラ」なんか着けていると、露骨に馬鹿にされたものだ。
ぼくが子供の頃、ぼくの母親はどういう訳か我が子の二次性徴について捻れた考えを持っていた。だからぼくはなかなかブラを買ってもらえなくて、確か中学に上がってしばらくはノーブラで過ごしていた。部活の時以外は胸が目立たないよう猫背で下を向いて歩きがちだったように思う。
当時はぼくの母親だけでなく、世の母親達の考えは大抵いい加減かつバラバラだったので、胸が既にかなり大きいのに「子供だから」という理由でノーブラな女子というのはしばしばいた。ぼくはそれが好きじゃなくて、自分はそうはなりたくないと思ったのだが、無駄に性に対して厳格な家庭でしかも鈍感な母親にブラが欲しいなんて強請るのはあり得ないと思って我慢していた。ただ、ぼくの場合は胸が発育しかけだとしても限りなく俎板に近い胸をしていたので、ブラを着けていないことを誤魔化すのはそんなに難しいことではなかった。
だが、体育の授業や部活の授業の前後に更衣室で着替える際だけは誤魔化しなどは利かない。
体育の時の着替えはまさに針の莚に座るような心地だったが、部活の時はそうでもなかった。更衣室では先輩達が下着姿で悪ふざけをしていたし、彼女達の下着はみなカラフルでまるで見せるためのもののようだった。たった一、二学年違うだけでどうしてこんなにも文化が違うのか不思議だった。ぼく達の学年はいつまで経っても白いペラペラの下着で、誰が一番先に「色気づいて」大人のようなブラを使い始めるのか、監視し合い足を引っ張り合っているのに。
先輩の一人が日曜日に買ったばかりだというグリーンのチェックのブラを見せびらかしている時、ぼくはホワイトボードの下にレイジと二人で潜り込んでぴったりと身を寄せ合って先輩達の馬鹿騒ぎを眺めたり、今週のジャンプの話したりしていた。ブラの自慢をしていた先輩がぼくらの所にやってきて、
「今日も二人、異様に仲がいいよね」
といい、ぼくはそこに含みがある事に素で気づかず、
と答えた。
レイジとは中学に上がってすぐの部活見学期間のある日に出会った。レイジは武道館の片隅に一人で体育座りをして、先輩達の稽古の様子を眺めるでもなく膝の上に顔を伏せていた。最初にレイジがぼくを見たが、話しかけたのはぼくの方からだ。当時のぼくは既にはみ出者気質を全開にしていたが、今よりは社交性があったのかもしれない。
レイジの第一印象は、大人しそうな男子、といった感じだった。目が合って、一言二言交わしただけですぐに気が合いそうだと思ったのと、ぼくと同性である事に気づいたのとは、どっちが先だったろうか。立ち上がれば性別を間違いようはない。レイジはぼくよりずっと背が高く、正面から相対すると迫力のある胸が視界を圧倒してくる。まるでモデルのように手足が長く、メリハリのある体型をしていた。
そんなレイジだが、ほとんど大人同然の背格好をしていたにも拘わらず、ぼくと同じくまだ「子供」というカテゴリーに押し込められていた。つまり中学に上がってもしばらくはノーブラで過ごした。その点でぼくにとっては類友でもあった。
いつだったか、先輩の一人がそんなぼくらを見かねて声をかけてきた。ブラをしないと恥ずかしいとか乳が垂れるぞとか、そんなことを言われ、ぼくらは「はーい」と返事をしたが、すぐに他愛ない雑談に戻った。レイジは先輩に言われたことなど全く意に介していないようだったけれど、ぼくは内心かなり気にしていて、やはり母親にブラが欲しいとお願いしなくてはならないのだろうか? と考え、まだ何も行動しないうちから屈辱に打ち負かされたような気になっていた。
記憶に間違いがなければ、ぼくらは少なくとも一年の夏休みまでは「子供」カテゴリーのままでい続け、それぞれ親の方針通りに子供の肌着を制服の下に着続けていたと思う。そのことによってレイジがどんなデメリットを被ったかはぼくは知らないが、ぼくの方には人には言えないようなデメリットがあった。
ある日、竹刀を振った瞬間に身体の内側から「ぶちっ」と音がした。腕のつけ根辺りがヒリヒリと痛くなった。家に帰ってから服を脱いで見てみると、鎖骨のすぐ下辺りに赤い皹が入っていた。まるで鋭利な刃物でひと突きしたような傷は薄い表皮で繋がっていて、出血はない。どうやら急に大きくなった胸の重さに皮下の肉が負けて裂けてしまったようだった。奇妙な傷はその後いくつも増えていき、白い痕になって残った。
肌にいくつもの傷が残るほどに、ぼくの胸はお荷物になりかけていたのだが、だからといって目立って大きいのかというと全くそんな事はなく、服を着ている限りは相変わらずの俎板に見えるほどだった。なのに、ただ普通に生活していくだけで服の下に隠れた部分が傷だらけになっていく。その原因がさして膨らんでいるようには見えない胸であるなど、親に相談出来る訳もなく、ぼくはひた隠しにした。
その件はレイジにも話した事はない。そもそもぼくとレイジは「親友」だと言い合っていたのにも拘わらず、お互いに相手の内面には踏み込もうとしなかった。ぼくらは校舎の内外を、ひとの目も気にせず手を繋いで歩き、座る時にはスズメのきょうだいのように身体をくっつけた。部活の合間の休憩時間には互いの背中を背もたれにしたり、膝枕をしあったりした。
ぼくがレイジの太ももを枕にしている時、ぼくの鼻先にはレイジの胸があるのに、そのぼくの胸の何倍も大きな肉の塊はレイジにどんなダメージを与えたのか与えなかったのかなんて知らなかったし、レイジはレイジで、ふざけて指でつついたぼくの貧相な胸がぼくにとってはけっこうな凶器だった事など知らないままだった。
レイジに対してのぼくの隠し事なんて大した数はないが、ぼくにとってレイジは謎の多い奴であり続けた。真面目そうに見えてちゃらんぽらんで、部活だって、ぼくとレイジとはたった二人だけの新入部員なのに、レイジはよくサボり、ぼくを一人にした。夏休みの部活に、レイジは半分も顔を出さなかった。なのに試合に出ればそれなりに勝つのが不思議だ。何故レイジはそんなに休むのか、ぼくはしばしば先輩達から聞かれたが、わかりませんと首を振るしかない。
親友の癖にぼくはレイジの個人的な事をほとんど知らない。そのことが気にならない訳ではなかったのだが、いざレイジと顔を合わせると、数々の謎の解明などどうでもよくなってしまう。レイジとする話は好きな漫画やアニメの話ばかりで、端からみればそれは終始うわべだけの話をしつづけているだけで、それのどこが親友なのか不思議だったかもしれない。
ぼくとレイジは心が遠くにあるのを補うかのようにスキンシップだけは過剰に行った。一日の中で最初に会ったときは、相手の存在を視認したらどんなに遠く離れたところからも全力で駆け寄り、
「カーラミーア!」
「モンシェ!」
と叫ぶとひっしと抱擁し合う。隙あらば、学校内のどのカップルよりも密着して過ごした。
夏の間、ぼくはろくに飲食をせずに部活でしごかれていた。これ以上身体に無駄な肉がつくのを止めたかったし、生理の出血をなんとか止めたいと思って行った無謀なダイエットだったが、消耗したわりに効果はいまいちだった。ひと夏で顔だけげっそりしたぼくだったが、片やレイジは夏休み前と少しも変わらず飄々としており、健康そのものに見えた。実際、心ない男子がぼくらに対して目障りだ死ねと罵倒を浴びせるやそいつを蹴り倒しプロレス技をかけて泣かせるなどワイルドに暴れることもあった。
ぼくは安心した。実はぼくの母親がぼくとレイジが仲良くなったのを知り、ぼくの同級生の母親達の情報網を使ってレイジの個人情報を仕入れており、聞いてもいないのにぼくにそれを話したのだ。ママ友ネットワークをもってしてもレイジの事で確かな情報は得られず、噂程度のことしか仕入れられなかったようだ。それによれば、レイジは何らかの病気で定期的に通院しているという。だがその病気が何であるのかは誰も知らないらしい。
ぼくが知っているレイジの個人的なことといえば、レイジには兄が一人いて両親も健在で、四人家族で仲良く暮らしているということくらいだった。
「レイジのジは二番目のジってこと?」
「そそ」
「納得した」
きょうだいの二番目だから「レイジ」と名乗るレイジとぼくとは部活つながりの親友。クラスと出身小学校が違うせいでお互い相手の事で知らないことが多いかもしれないが、そんな事は関係なく、ぼくらはとても仲がいい。
秋になった。ある日、学校から帰るとぼくの部屋に大きな買い物袋が置かれていた。母親が開けてみろというので中身を見たら、「はじめてのブラ」と書かれた厚紙つきの白いブラが三着ほどと、その他下着類が入っていた。母親によれば、「ぼくに必要だから買った」というより「みんなが必要だと言うから買った」ようだ。母親は他人の言う事になにかと流される。
しかし、断られる可能性が高いと思いつつこちらから羞恥心を堪えつつ頭を下げてお願いすることもなしに、必要なものが手に入ったのは良いことだ。ぼくは「はじめてのブラ」を着けてみた。ところがサイズが全然合っていなかった。それはAカップだがアンダーが85cmもあって、上半身だけは骨の浮くほどガリガリだったぼくにはユルかった。
翌日から「はじめてのブラ」を着けて登校したが、いざ日常生活を送ってみると、ユルすぎるブラはぼくの助けになるどころか邪魔で邪魔で仕方のないものだとわかった。ちょっと身体を動かしただけで背中のホックが外れる。これまでの習慣通りに猫背にしていると外れるし、かといって背筋を伸ばしてもまた外れる。走るとどんどんブラが浮いてきて胸の上までずり上がってくる。それを狼狽しながらも誰にも気づかないよう適正な位置に引き下ろさなければならない。
なんなんだこれ……。母親に苦情を言うべきではないかと思わなくもなかったが、母親がぼくにブラを買い与えた時、牽制するように「デブで胸のないお前にはサイズがそれしかない」と言ったから、解決策は何もないとぼくは思い込んだ。デブは言いがかりだ。ぼくはチビの癖に肩幅と腰幅があり、脚も太かったから、セーラー服を着るとずんぐりむっくりに見えたが、上半身はガリガリに痩せていたのだ。
何でぼくだけこんな事に……と思いつつ、部活の際に先輩達がふざけながら着替えている間は、いつもの様にぼくは部室の隅っこにレイジとぴったりくっついて体育座りで待っていた。先輩達は相変わらず可愛いブラを着けていて、それらはぼくの「はじめてのブラ」のようにズレたりホックが外れたりはしない。どうしてぼくの「はじめてのブラ」はこんなにも役に立たないのか、すぐそこに何事にもあけすけな先輩達がいるにも拘わらず、ぼくは誰にも打ち明けられない気がして、勝手に孤独に浸っていた。隣のレイジは、元からそういう話をすべき相手ではない。
その時、ツンツンと脇腹をつつかれた。隣を見れば、レイジが膝の上に半分顔を埋めたまま、いやーな顔で笑っていた。
「お前、これなんなの?」
レイジはニヤニヤしながら、ぼくのTシャツの上からブラのバックベルトを引っ張った。
「何でもいいだろ!」
ぼくは小声で身をよじりながら言った。その反応がレイジには面白かったらしく、レイジは「なんなの、なんなの」と言いながらぼくのブラのあちこちを引っ張り、脇を擽ってきた。そんなぼくらの攻防戦を先輩達はいつものじゃれ合いだと思ったらしく、「今日も二人は仲良いよねー」と言った。
その日以来、レイジはぼくがブラを着けているのを面白がり、やがて服の上からブラのホックを外すという技を会得した。レイジが通りすがりにぼくの背中を叩くと、ホックが外れる。とんでもない悪戯だが、ぼくのホックは悪戯をされなくてもしばしば外れるし、ぼくとレイジはクラスが違うので、被害を受けたところで大した事にはならない。それでぼくとレイジの仲が決裂するという事もなかった。
ただ、レイジがぼくをブラのことでイジッてくるのは意外だと思った。同級生女子の中には、他の女子が「色気づく」のを嫌って意地悪をしたり他人の足を引っ張るような事をする奴が何人もいたが、レイジはそんな陰湿な女子どもとは最も遠い存在のような気がしていた。でも、その頃レイジはまだ「子供」カテゴリーの内にいて、それをぼくなんかみたいな貧乳の方がイチ抜けしたのだから、変に執着されるのはおかしい事ではないような気もした。
人の心理としてレイジの反応は特におかしいものではない。が、ぼくらの関係性の絶妙なバランスをレイジの方から崩して来ようとするのは……逆にぼくの方から壊しにかかるなら自業自得なのでまだしも……どうしていいのかわからない。わからなさすぎたので、ぼくは何事もなかったかのように過ごす事を選んだ。
二年からはぼくとレイジは同じクラスになった。一緒に過ごす時間は益々増えた。レイジが休み時間の教室ですれ違いざまにぼくのブラを外して遊ぶ事もあったが、ぼくは責任を取ってホックを元に戻せとレイジに要求し、レイジは「はいはい」と言ってぼくの制服の背中に手を突っ込んでホックを掛け直した。
その頃にはレイジは既に「子供」カテゴリーを脱していたのだと思うが、ぼくにはその件については全然記憶がない。少なくとも、ぼくはレイジからされたようにレイジがブラを着け始めた事をからかうことはなかった。
教室が一緒だと、友達同士なら休み時間ごとにお互いの机のところを行来するものだ。ぼくは授業が終わってもすぐに教科書をしまって離席することがないから、レイジの方からぼくの席にやって来がちだった。ふとぼくが顔を上げると、視界の全面をレイジの胸が塞いでいる。よく、胸の大きな女性が「(男は)私じゃなくて私の胸に挨拶をする」と言うが、レイジの場合はぼくに胸から挨拶して来るようなものだ。ぼくはレイジに知られないよう視線を外した。だからレイジの胸がしょっちゅうぼくの目と鼻の先にあったのに、ぼくはレイジのブラ事情など全く知らない。一方レイジはといえば、ぼくをからかえるだけからかって恥ずかしい思いをさせたのに。
レイジは狡いと思ったが、他の女子といがみ合うようにレイジと争うのは嫌だった。レイジと喧嘩する事があるとしたら、それとは全く関係のない、取るに足らない事が原因だ。そしてベッタリと仲がいい分喧嘩するのもわりとしょっちゅうだった。大体はぼくの方から吹っ掛ける。そこにレイジは狡いという思いがなかったとは言えないと、当時を振り返って思う。
レイジは胸が大きくて手足が長くてモデルのような体型をしていたが、女としてはある意味で無敵だった。ぼくはといえば、自分の身体がなにかとコンプレックスで、わざと身体に合わないダボダボな格好ばかりしているから、本当はガリガリに痩せていたのにすんぐりむっくりのデブだと思われがちだったうえに、貧相な体つきのわりにはきっちりと女であることのデメリットを受けた。すなわち生理が異常に重くて一月のうち絶好調なのは三日ほどしかなく、あとは瀕死。
レイジは不調知らずで常に元気いっぱい走り回っていた。何かの病気で通院しているという噂はデマに過ぎないのではないかとぼくには思われた。だがレイジはよく部活をサボった。同じクラスで親友のぼくにも何も言わず、放課後になるといつの間にか姿を消している。ぼくは既にレイジはそんなものだと思っていた。部活の顧問から、来年の女子部部長は消去法でぼくに決まりだと聞いて軽く絶望した。レイジの方がぼくよりもずっと強いのに、部長は実力よりも真面目さが大事だと顧問は言う。だがぼくは顧問が思うほど真面目ではない。絶不調ながら毎日律儀に部活に出ているのはほとんど、稽古でカロリーを消費しつくせば生理にかけるエネルギーが少なくなり、来月こそは体調がましになるのでは? と期待していただけに過ぎない。
そんな馬鹿な事をしていたせいで、ぼくはある日、体育の授業中に具合が悪くなった。その日のメニューは1000メートル走だったが、ぼくは運動神経がない癖に中距離を走るのが大好きで得意だったので、生理中だというのに無理をした。酷い目眩がして手足が冷たくなり、震えが止まらなくなった。爪が真っ青になり、顔色も青を通り越して真っ白だと、ぼくを見た体育教師が言った。体育教師は厳しい人で滅多な事では生徒を休ませないのだが、ぼくが芝生に座っても一向に回復しないので、保健室に行って休めと言った。ぼくは保健委員に付き添われて保健室へ行った。ベッドに寝かされた途端に意識が落ちた。
気がついたらベッドの側にレイジがいた。
「おはよー。今どんな気分?」
「どんなって、最悪だけど。でもさっきよりはましな気がする」
「ははっ、体育の時はヤバかったな。こいつマジで死ぬんじゃね? って感じの顔してて、先生がさすがに焦ってた」
そう言うとレイジはぼくのほっぺたをつまんで引っ張った。
「ほっぺぷにぷにー。すべすべで真っ白ー。でもさっきよりはましー」
レイジはぼくの肌をすべすべで真っ白だとよく言う。小学校時代は徒歩通学で、中学に上がってからは自転車通学で、それなりに日に焼けていたから、ぼくの肌も黒くて荒れているはずだと自分では思い込んでいたが、レイジに指摘されてはじめて、ぼくは色白で肌質がいいのだと知った。少なくともレイジのほっぺたよりはぼくのほっぺたの方がすべすべで白い。
「今どんな気分?」
「君が血色が戻ったというなら、思ったよりもいいんじゃないだろうか。確かに吐き気はしないし、頭痛もしない」
「ふーん。俺にはそういうのが無いからわからないけど、まあ無理すんなよ」
レイジはいいな。ぼくと性別が同じでもぼくのような思いはしないんだ。でもぼくみたいにひ弱なのはレイジには似合わないから、それでよいのだと思った。
トラバに続く。
痴漢というと朝の満員電車、というイメージがありそれは間違いではないが、実際には空いてる電車にも出るし路上にも出る。いつどこにどんな状況で出やすいか適当にまとめた。
朝夕の通学通勤時間帯。朝は6時頃〜8時半頃によく出る。路上は露出狂や盗撮。一人、または少人数で通学通勤中の女性子供が狙われやすい。
昼間もそれなりに車通りや人通りのある午後2時半から出る。これは小学校低学年狙い。そこから午後6時頃までは路上は性犯罪者が出る。露出、声掛け、ストーキング、走って追いかけてくる、稀に拉致、強姦もある。
朝の通学通勤時間帯は必ず出る。混んでいるのとみな急いでいるから捕まりにくい。手も動かせないような満員電車でも痴漢の手だけは何故か動く、と被害者になった知人が言っていた。こちらは身動きできないのに痴漢はこっちのブラウスのボタン全部外していったと。なんなんですかね。
しかし痴漢は空いている電車でも出る。空いているのにわざわざ女性の隣に座る。べったりくっついて、寝たふりして触る。冬場だとコートを膝の上にかけ、コートの下から手を伸ばしてくる
。そういう痴漢は被害者が他の車輌に逃げても追いかけてくる。電車降りても追いかけてくる。
空いてる電車で被害者の向かい側に座って露出してくるやつもいる。大胆というかあたおかというか。
未だに痴漢や性犯罪者は満員電車か夜遅くに出るものだと思っている人は多そうだが、実際には明るい時間帯にも空いてる電車にもよく出る。
冷静に考えれば、ターゲットとなる被害者が多くいる時間帯に出るのは当たり前なんだよね。
だから子どもたちや学生、女性が通勤通学・帰宅してる時間帯が多くなる。明るいのに、顔見られるのに、と思うだろうけど案外捕まらんからね、性犯罪者。警察がやる気無いのかなんかしらんけど。
大学共通テストの日にネットで受験生狙った痴漢犯罪予告がネットに相次いだけど、警察は「受験生は各自勝手に気をつけて自衛しといてね」で済ませてた。
※思いつくままに書いてるので読みづらいと思います。
なんだかんだふんわり触ったりたまにログインしたりしてたけど
イベントやストーリーに盛り上がるより愚痴ばっか出てくるようになっちゃって
自分が辛くなるばかりなので思い切ってやめた。
運営が想定してるユーザーに当てはまってないんだろうな〜〜〜〜〜ってのは
何となく感じてはいたしそもそもゲーム下手くそでメインストーリー進めるのにも
一苦労だったし、難しい戦闘突破しても「やっと一つ終わったよ」っていう
育成も大変だし戦闘にもストーリーにも魅力感じなくなってきちゃって
でも悪いゲームでもなかったと思う。
元々好きだったFateのこともっといっぱい好きになれたし、新しい推しにも出会えたし、
知らない英霊のこと知れたし、1.5部のアガルタぐらいまではワクワクしながらストーリー読めたし。
オケアノスとかアガルタみたいな冒険してる感じがすごく大好きだった〜
アガルタとかね。小学校の頃読んだ冒険物語思い出して凄く楽しかったもんね。
2部からはなんか…あんまりこう…色々と合わないし難易度も高いと言うか
これからもサービスは続いてくだろうし、いっぱい遊んでる人たちいるだろうし、
遊べたら良いなと願っています。
文句ばっかり言ってたけどやっぱり好きなゲームだったので遊んでる人たちは楽しんで欲しいよ。
謎目線だけど。
■息子と、飲む。
いつかプリキュアのキュアレモネードが変身した日にパニエを履いていた話を思い出す。
栄町のコンビニは華やかはあれど、明治の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、よっちゃんいかのような。甘酢の強さが強調された力強い雰囲気がある。私が過ごした40年前と大して変わらない空気。
するめいかが持つ甘さは、そこに一切存在しない。うまい棒コンポタの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。お菓子売り場に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
カップ麺売り場の棚が、かつて持っていた世界初の乾麺の威厳が薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは袋麺なのだろうか。
私と息子は行きつけの総菜コーナーに向かう最中に味は変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
どの味も変わらないと。
目印的存在であった切り身魚の真空パックが売り切れてしまっても、私らは何喰っても変わらないと口にする。
おにぎりコーナーを抜けて、すぐの総菜パンとデザートの棚は永遠と広がる夢のファンタジーである。
今では5段重ねの立派なミルフィーユに生まれ変わっていたチーズケーキ。されど、心の中は小学校当時のままだという。
あぁ、中学一年生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す私は立派な犯罪者だった。
それでも紅潮する息子の顔はとても粋だ。私は新装の日にホットスナックを頼んで、仲良くなった店員が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す私は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の私も、今日ばかりはトップガン・マーヴェリックのトム・クルーズよりもはるかにカッコよく見えることだろう。
普段は、近くにいたくもないと思える私も、なんだかきっと息子の憧れだろう。
息子が私に連れられたレジは、ホットスナックの棚に何が残っているのかもよくわからない場所だった。
入店から歩いて8分程度。大型冷凍庫の横にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
私と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が中学進学してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、私は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親に自分がマザコンであることを突き付けられたと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、私は母さんを俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ決して母さんの悪口を私は一切言ったことがない」
その言葉を受け止める息子の瞳は、普段とは違った熱がこもっていて、80年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない息子の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないよね。カッコつけられて、かっこいいと思わされちゃったかな。
そんな私が、私はなぜだか愛おしかった。
幻覚と言っていいかどうかわからないが、小学校に入る前の頃には、自分は他人に笑われている、という感覚があった。私のことを笑っているのは、制服を着ている「お兄ちゃんお姉ちゃん」なので、中学生高校生だったと思う。中学生高校生自体が幻覚というわけではなく、笑われているという感覚が幻覚だったのではないかと今になって思っている。
笑われている、というのは具体的には、二人連れ三人連れの学生が少し離れたところから私の方を見て伏目がちに嘲笑する、という感じであった。特定の誰かに笑われている、という感じではなく、中学生高校生ぐらいの年頃の人間になぜか笑われる、という感覚であった。事実ではなく幻覚だったのだろう、と思うのは、中学生高校生ぐらいでは、自分の年下の子供たちに対して概して興味がないはずで、彼らにとって他人の私がいつも嘲笑されるということが考えづらいからである。
見知らぬ中学生高校生に笑われているという感覚は私をそれなりに苦しめていたようで、記憶にある限りで一度、母親に対してそのことを告げたことがある。そのときは、彼女は、笑われてなんかいないから心配するな、というような反応をしたと記憶している(当たり前である)。
他人に笑われているという感覚は統合失調症の症状の一つであり、幼児期に私は軽症のものを発症していたのかもしれない。笑われているという感覚はいつしか消えてしまい、特に今に至るまで、統合失調症として医者にかかることもなかった。ただ、あの頃の、何となく他人に笑われているという感覚は今も覚えていて、時折思い出して嫌な気分になる。
今から25年前の1997年ののこと。当時小学生だった自分の1歳年上の従兄が、夏休みにお婆ちゃんの家にこのゲームを持ってきていたのが全ての始まりだった。
「タクティクスオウガっていうゲームがあるんだ。すげーから一緒にやろうぜ。」
従兄に勧められるままゲームを始めたのだが、タクティクスオウガが『すげー』ことはすぐに分かった。
中世ヨーロッパ風の権謀術数渦巻く世界観。重厚なBGMの中で敵味方がターン関係なく立体的なマップで繰り広げるリアルな戦闘。
背中に翼の生えたキャラクターが民家の屋根の上に移動して弓を射ると放物線上に矢が飛んでいくわ、ふわふわと宙に浮かぶ幽霊が魔法を唱え敵が炎に包まれると足元の草が焼けるわと細部までこだわったビジュアル。
とにかく衝撃的なゲームだった。いてもたってもいられなくなり、従兄がお婆ちゃんの家から帰った直後にお小遣いを握りしめて町のゲーム屋さんに走った。
お店のレジで商品を買うときにすごくドキドキしたのを今でも覚えている。スーパーファミコン版のタクティクスオウガの商品パッケージは英語でタイトルが書かれており、フォントが英語の旧字体みたいな形だったので、読み方があっているかな、間違って別のソフト買っちゃうんじゃないかなとすごく緊張したのだ。ぜんぜん自信が無かったが、店員さんにタイトル合ってるか確認して無事に買うことができた。
ワクワクしながら商品を持ち帰り、ゲームを始めたが小学生にとっては、難易度が高く難しいゲームだった。初回プレイ時にはキャラクターの強さを表すパラメータが多すぎてさっぱり分からなかった。
だけど作りこまれたチュートリアルとオンラインヘルプ等の親切な機能がたくさんついていたおかげで何とかゲームを進めることができた。一番助かったのは戦闘中の中断セーブ機能だ。小学生の時には、1日ゲームは30分までというルールがあったので非常に助かった。
さて、ゲームを買ってから2週間くらいの時のこと。難しいながらも俺はどうにかChapter1の終わりまでシナリオを進めていた。このゲームはプレーヤーが会話中の選択肢を選ぶことでシナリオが分岐するんだけど、途中で出てきた選択肢が衝撃的だったのは今でも忘れられない。ネタバレになるので詳細は伏せるが小学生には重たすぎる内容だった。無茶苦茶悩ましい選択だったが、片方を選んでゲームを先に進めてみた。だが、すぐにゲームに行き詰った。キャラクター育成をよくわからずに進めていたので自軍のユニットが弱く戦闘で勝てなくなったのだ。このまま先に進めないのも悔しかったので攻略本を買うことにした。
ここで話は少々脱線するのだが、俺の生まれ育ったのは日本海側の田舎町だ。町の本屋さんはあまり大きくない。なので、地元の本屋さんの攻略本コーナーにはメジャーな作品のものしか置いてないわけだ。ゼルダの伝説とか、ドラクエとかFFとかまあそれくらい。それらに比べるとタクティクスオウガはマイナーだった。苦労を重ねて隣町の古本屋さんで偶然攻略本を見つけて手に入れるまで1か月かかった。その後は攻略本を熟読してゲームシステムの理解を深めて1から再挑戦したのだが、家の方針で1日のゲーム時間が30分に制限されていたので、クリアするまでにはさらに2ヶ月ほどの時間を要した。だけどその分クリアしたときの達成感は大きかった。興奮冷めやらぬ俺は、小学校の同級生たちにタクティクスオウガのすごさを布教したが上手くいかなかった。俺がタクティクスオウガに出会った1997年当時、家庭用ゲーム機の主役はスーパーファミコンからプレイステーションに移行しつつあり、同級生たちはファイナルファンタジー7やファイナルファンタジータクティクスといったスクウェアの大作ゲームに夢中になっていたのだ。
同級生のN君に、「タクティクスオウガってファイナルファンタジータクティクスのパクリでしょ?」と言われたのは傷ついたなあ。なんていうか、自分がイケてると思ったゲームをディスられるという経験がなかったので。残念ながら、うちの地元では最初にタクティクスオウガを紹介してくれた従兄以外に周りでタクティクスオウガファンを見つけることができなかった。
それから2年後の1999年。俺は中学生になり、田舎町の我が家でもインターネットが使えるようになった。ネットが使えるようになってすぐに、以前はまっていたゲームのタクティクスオウガの攻略情報を調べてみた。地元の田舎町にはいなかったタクティクスオウガファンは、ネットの向こうにはたくさんいるようだった。ファンの集めた情報は膨大で、攻略情報にとどまらずゲームの舞台背景の考察やクリエイターの音楽の趣味までカバーしていて、中学生の俺の知的好奇心はガンガン刺激された。ディレクターの松野氏の名前もこの時に知った。余談だが、「タクティクスオウガとファイナルファンタジータクティクスは主要な開発スタッフが同じ」というのも同時期に知ったので、小学生の時にパクリ呼ばわりしてきたN君に対して「両方同じ人が作ってんだよ、適当言うなざまあ」という気持ちが芽生えたのはここだけの話である。
ネットの情報から刺激を受けた俺はゲームの世界観をもっと味わいたくなって、前作の「伝説のオウガバトル」もプレイしてみた。ディレクターの松野氏が好んでいたらしいQueenの楽曲を聞いてみたくなり、生まれてはじめて洋楽のCDを買いにも行った。コーヒーを飲めるようになった時のように、背伸びして少し大人になった気分がした。
そのうち自分でも似たゲームを作りたくなって、おこづかいでVisual Basicを購入したりもした。プログラミングの入門書片手にそれらしい画面までは作ったが、しょせんは中学生。体系だったプログラミング言語の知識がないためサンプルコードのコピペに終始し、1年くらいかかって紙芝居のようなものが出来て終わった。その後は、高校入試・大学入試で忙しくなったのでしばらくゲームから遠ざかっていた。
そこからさらに時が流れて俺は社会人になった。中学生の時のゲーム作りの経験から、ソフトウェアエンジニアの適性は無いなと思ったのでハード系のエンジニアとして就職した。タクティクスオウガから受けた影響は俺の人生を変えたのである。ゲームから遠ざかっていた俺だが、2010年にタクティクスオウガの1度目のリメイクのニュースを聞いて再び情報を集めだした。そこでたまたま開発者の松野氏のプロフィールを見つけたのだが、なかなかの衝撃だった。
まずはスーパーファミコン版のタクティクスオウガ開発時の年齢。発売日の時点で29歳なのである。ゲームの開発期間が2年くらいだとすると、開発開始時は27歳くらいだろうか。その若さであの革新的なゲームの開発指揮を執ってたのかよ!松野氏と面識のあるゲームクリエイターがインタビュー記事で天才という理由が分かった気がする。次に出身地。新潟県の妙高市となっている。地方出身であのゲームの重厚なシナリオを描くだけの知識を身に着けたのか!というのがもう一つの驚きだ。
先に俺の出身地が日本海側の田舎町だと書いた。地方で育ったからわかるのだが、地方はゲームの攻略本に限らずあらゆる情報が都会に比べて乏しい世界だ。タクティクスオウガの世界観を形成している中世ヨーロッパの歴史や文学の知識を松野氏はどこで得たのだろう?世代的にインターネットが無い時代なので、俺が田舎で育った時よりもさらに情報は手に入れにくいはずである。これは今でも気になっているので、今度出る予定のリメイク版の開発者インタビューでだれか聞いてみてほしいところである。
最後になったが、今回出る2回目のリメイク版もすごく楽しみにしている。なんていうか2回もリメイクが出るだけでもすごいのに、2回ともオリジナルの開発メンバーがかかわっているのがまた驚きなのだ。
発売元のスクウェア・エニックスはFF・ドラクエ等の過去の作品をよくリメイクしているけど、オリジナルのスタッフが何度もかかわるケースは珍しくないだろうか?しかも開発者の松野氏はリメイク前にスクウェアを退社しているのだ。それでも声がかかるのだから、本人のカリスマ性がメチャクチャ高いのだろう。過去に会社を辞めた人が2回も開発現場に呼ばれるって相当なことだと思うんよね。