はてなキーワード: 小学校とは
実家は貧乏だった。姉が小学校に上がったとき、学習机が買えずに父親の使っていた古くてボロいデスクを姉の学習机とした。弟である自分が小学校に上がったとき、たまたまイトコが就職して家を出るので学習机が不要になって、子ども向けの本棚や引き出しがたくさんついてる、機能的な学習机を譲ってもらい自分の机になった。イトコは机をあまり使っていなかったのか、ラクガキはあったが姉の年季の入ったデスクに比べたらきれいで機能的で、何よりデカかった。
姉はもう30を過ぎているが、今もそのことを恨めしく思っているようだ。鬱病で、ネガティブな感情が出てきやすいというのもあるのかもしれないが、学習机がボロかったから死にたいとかSNSで言っていて、俺としてはどうしたらいいのかわからない。親はもうどっちもなくなってるし。俺がフォローしてるSNSでそう言うのだから姉なりの復讐なのかもしれんが、俺に言われてもなあ……と思うところはある
【参考】
twitter https://twitter.com/z4mibyc8fyl06mb
Note https://note.com/hima_kuuhaku
空白雑記https://kuuhaku2.hatenablog.com/
空白日記https://ameblo.jp/kuuhaku-bura3/
雑記と日記は一通り読んだけど、twitterとnoteはまだちゃんと見れてない
あと見逃しも多いと思うのでなんかあったら教えて
【本名について】
https://i.imgur.com/RFQXJAO.jpeg
名前はちょっと調べたら出てくるし書類とかでも特に隠されてないんだけど
清晃の読みはキヨテルなのかセイコウなのか…とか考えてたら、noteの「暇な空白/Kiyoteru Mizuhara」でセルフ開示されてた。
近所のお寺のお坊さんに付けてもらったらしい。(シン・ネトゲ戦記第二話 https://note.com/hima_kuuhaku/n/n596e76196ea7)
【年齢について】
「たしか日航機の事故をTVで見て、心底恐怖し、家族旅行で飛行機に乗るぞといった空港で日航機に乗ると告げられ、まだ死にたくないと死にものぐるいで椅子や植木鉢にしがみついて叫び倒し、日航機じゃない飛行機に変更させたのは覚えている。3,4歳だったかな」(シン・ネトゲ戦記 第二話)
「思うところがあって、エヴァ(旧TV、劇場版)を見直した。当時まさに直撃した14歳で見た時と、今当時の監督達と同じ30すぎになって見た時と、やはり感じるところは全然違う。」(暇空雑記2016年10月4日)
エヴァ放送が1995-1996のため、1982年生まれとすると1996年に14歳のため一致する。2016年では34歳、今年40歳か。
【学歴について】
東大寺学園高等学校附属中学校入学(高校で中退)、近畿大学卒とのこと
「俺なんて偏差値60以上に行くのが俺が創立以来初とかいう底辺田舎公立小学校から東大寺いきましたけど」(https://twitter.com/Z4mibyc8FYL06mB/status/1523675898821885952)
「そもそも僕はオスなので、環境のせいとか言い訳せずに小学校がクソでも東大寺いきましたッピ」(https://twitter.com/Z4mibyc8FYL06mB/status/1523710506972094465)
【後編】
ミレニアル世代の私は年甲斐もなくコナングレイの出現に狂喜乱舞した。
希望を探し求めているのに自身のことに対しては常に悲観的(極度の恋愛恐怖症というやつ?)、デートを何度重ねていようが「恋愛」はしたことが無いと歌う彼、それでも恋愛をしていない登場人物が「恋愛について」を語る詩は二十数年生きてきた中で出会えた最も自分ごとなラブソングに思えた。こんな話はManiacのMVコメント欄に溢れかえっていそうだ。「コナン、不思議な話だけど私貴方が本当に私の親友のように思えるの、これはまさしく私が考えていたことだ」って。
インターネット人間関係全盛期に思春期を過ごしTinderで大人になった私や私の仲間達は勿論、恋愛や友情を謳歌する者も数多いがそれと同じくらいクローズドなコミュニティの中で出会いの無さを嘆く人々に溢れている。テキストで地球の裏側にいる人間にすらすぐ繋がれる世界は案外と半径5mくらいの宇宙を狭めているのではないかと思う。
求めた数だけ出会いは増えるが、心の底から求めるような着てみたら案外ピタッと形がハマる白Tシャツのようなメイトを探すことは非常に困難で、会う人数を増やせば辿り着けるというわけでもないユートピアであり幻想なのだ、そういう人間は。
私はそういう人間と恋愛的パートナーになった。約10年もの間身体の関係どころかプラトニックラブすら育んでこなかった、正真正銘の友人、よもや親友と言えるであろう相手だった。彼との友人関係を説明するのに打ってつけな状況は小学校の放課後くらいかもしれない、「後で公園に集合な!」そう声をかけ合い、ランドセルを置くため一度は帰路に着くが落ち合う時間を正確に決めたわけでもないのに集い気が済むまで遊ぶ、喧嘩でもない限りは毎日。本当にそんな関係性だった(実際週に何度も会うというのが毎週、小学校を余裕で卒業できる年数分も続いた)。小学生の頃仲が良かった友人で大人になっても付き合いがあるような人は殆ど居ないのが一般的だろうが、当時小学生であった我々はこの友情が終わりなく続くもののように感じられていたのではないだろうか。少なくとも私はそうだ、終わりという概念が頭をよぎったことすらなかった。
そんな彼と10年越しに付き合うことになった、そこに至る理由やイベントについての記述は省く、問題はそれだけの、小学校の親友のように過ごしてきた相手に対してですら、こと恋愛という人間関係の箱に入れられればひとたび、その関係の終わりを匂ってしまうということだ。
初めて恋のフィルターを通して私を見た彼はそれはそれは浮かれていた、恋愛初期段階を楽しむ人間が往々にしてそうなるように。選り好みが激しく友人の少ない彼は数年ぶりのステディな相手ができたこと自体が非日常で、楽しかったのかもしれない。
私はというと戸惑っていた、そして戸惑いの中で愛着を育てながら、精神力は段々と骨粗鬆症が進行していく様で。いつか来る別れに対して一撃で粉々に砕かれるように、脆く柔らかく心を解いていってしまった。いつか来る別れへの悲しみを深める準備、これこそが愛が育てるということらしい。
信じられないくらい身体にピタリとハマる白Tシャツを見つけたのなら先ずは買わないことが賢明だと思う。汎用性が高く絶対に一着は持っておきたい必需品なのにどんなに大事にしようがお構いなく着れば着るほど劣化し、摩耗する消え物なのに、「コレという一着」を見つけてしまえばそれがダメになった時は捨てるに捨てられず箪笥の肥やしが増えるばかりか、そこから先新しいシャツを何万着と探そうが満足がいかなくなってしまう。
何故友人であった頃は微塵も心配していなかった感情の賞味期限を恐れなければいけないのか。恋情はいっ時の劇薬で、いつかコレを愛情に変える為の努力として結婚や出産と言ったライフステージの変化をもたらす必要があるのかもしれないとか、インターネット耳年増で蓄えた知識のせいで不安になっているだけかもしれない。そう思うと何故友情には飽きも明確な終わりも来ないのだろう。
それでも何も考えずにずっと楽しく過ごせる関係を捨ててしまった自分の軽薄さに身震いしながら後何度週末を待つのだろうか。
絶賛円満に恋愛関係を進行中の彼はマカロニえんぴつの「なんでもないよ、」を聴き、私はコナン・グレイの「Disaster」を聴いている。
私が山上容疑者なら普通に彼女作って家庭築いて幸せになるけどな。
統一教会? 母親? ぜんぶ忘れて、自分たちの幸福だけを考えて生きる。
いわゆる「次行け次」だよ。
誰だってそうなんじゃないの。
復讐は何も生まないっていうじゃん。
私も小学校、中学校でイジメを受けてたけど復讐したい気持ちなんてとっくに消えてしまった。
イジメっこ連中は反省なんて何一つなく無垢な笑顔をフェイスブックに載せて幸せになってる。
知ったことか。
まずクラスにいる数少ない中学受験組は最初から担任にめちゃくちゃ敵視されてて
→正解を答える
→「授業でまだやってないのにどーして正解できるの?ねぇなんでー?」とその場でガン詰めされる
これが当たり前だったわ。
練習問題をみんなに解かせて教室が静まり返ってるさなか、担任が前ぶれなく
「塾でやってるから勉強できるんだと思って。フザケロォっ!!!ったく(笑)」
「これから当てられた時どうしよう……」
と話し合いしてた。
結果、以後の彼らは例によって授業中に教師から当てられた時は脅えながら三文芝居丸出しの誤答を連発するようになっていた。
当時も違和感ハンパなかったけど今考えたら正真正銘のキチガイだわ。
(掃除の時間に突然後ろから男子生徒にガバって抱きついてズボンの上からチンコを手のひらで押さえながら
「悪いことするとオチンチンちょんぎっちゃうんだからな!?わかってんのー!?(笑)」とかやってる教師いたし)。
教師がそんなんばっかだから生徒も大体情緒不安定になってガチのイジメと密告合戦が横行してたし。
障害者にゴキブリ食わそうと追っかけ回すゲームがクラスで流行ってたよ。
「自分の担任の先生は物凄く優しくて良い人で学校凄い楽しかった」
と揃って同じような振り返りをしているのを聞くに、こういうのは地域の所得が関係してんのかなとも思った。
横浜市は旭区や瀬谷区を境に南のほうは貧乏と不良ばっかりのエリアだったし。
上述の狂ってる文化に加えて
&
「少年院上等。スポーツ以外の目標に向かって頑張ってる同級生は自殺寸前まで追い込んで妨害する」という使命感に燃えた不良が跋扈する地上の地獄が待ち受けていた模様。
途中で転校してきた震災被害者が新聞載るだろこれってレベルのイジメにあって人生詰まされてたしな。
地域にまつわる体験があまりに苦々しすぎて故郷なのに横浜大っ嫌いだわ。
それに伴って
みたいな偏見もできた(でも地元が柏とか相模原とかの奴の公立小中学体験もビックリするほど似てたからあながち間違いじゃないかも)。
一軒家に住んでいる誰がうるさいのかと言ったら、全員がうるさいのである。
窓を開けた状態でひどく騒いでいるので、中の様子も丸見えで、なんとなく家族構成が分かった。
4人家族のようで、
~~ 娘(6歳-8歳くらい)
との構成。
娘はおそらく小学校低学年以下なのに、夜に日付が変わるまで起きて甲高い声でわぁわぁわめき騒ぎ散らかしている。
最近は、深夜23:00に「この前わたしがつかまえたダンゴムシどこへやったの?」と叫んでいた。
息子は、任天堂Switchをしている最中は我を忘れているらしく、「おぅおー---!」と何度も何度も発狂している。
多分、対戦ゲームかマリオみたいなゲームでゲームオーバーしたんだろう。
だとしたら、3分に一回くらい大声で発狂している君はゲーマーとしての才能なしだ。Switchをゲオで売りなさい。
母親は騒がないが、なぜか窓を全開にして、そこにふとんをかけて干している。
めちゃくちゃ虫とかが入ってきそうなのだが、なぜか窓を全開にしている。
そのせいで元から騒がしい人たちの声が増幅されて私の耳に届いてくるわけだ。
子供や母親に対して「おい!XXXXXX」と、何事をいうにも頭に「おい!」と叫んでから話し始めるのだ。
最近は、「おい!この焼き魚、塩辛っ。居酒屋でもこんなに塩辛くねぇよ」と叫んでいた。
一軒家に住んでいる誰がうるさいのかと言ったら、全員がうるさいのである。
窓を開けた状態でひどく騒いでいるので、中の様子も丸見えで、なんとなく家族構成が分かった。
4人家族のようで、
との構成。
娘はおそらく小学校低学年以下なのに、夜に日付が変わるまで起きて甲高い声でわぁわぁわめき騒ぎ散らかしている。
最近は、深夜23:00に「この前わたしがつかまえたダンゴムシどこへやったの?」と叫んでいた。
息子は、任天堂Switchをしている最中は我を忘れているらしく、「おぅおー---!」と何度も何度も発狂している。
多分、対戦ゲームかマリオみたいなゲームでゲームオーバーしたんだろう。
だとしたら、3分に一回くらい大声で発狂している君はゲーマーとしての才能なしだ。Switchをゲオで売りなさい。
母親は騒がないが、なぜか窓を全開にして、そこにふとんをかけて干している。
めちゃくちゃ虫とかが入ってきそうなのだが、なぜか窓を全開にしている。
そのせいで元から騒がしい人たちの声が増幅されて私の耳に届いてくるわけだ。
子供や母親に対して「おい!XXXXXX」と、何事をいうにも頭に「おい!」と叫んでから話し始めるのだ。
最近は、「おい!この焼き魚、塩辛っ。居酒屋でもこんなに塩辛くねぇよ」と叫んでいた。
「ワイは努力して10キロダイエットした」は全然良いよ。頑張ったね。偉いね。
問題はそこから派生して「誰でも努力すれば10キロダイエットできる」「10キロダイエットできないのは怠け者だからだ」みたいな考え方になること。
運動する時間がない、ジムに行ったりヘルシーな食事をとる金がない、仕事に気力を奪われて工夫する気力も起きない、脳に器質的な問題があって自制心を持つことができない。
いろんな理由がある。収入が少ない仕事に就くのは努力が足りない?じゃあどうしてそんな仕事に就くことになったのか。なんでそんな学歴なのか?
どんどん元を辿っていけば結局生まれや遺伝や何かの事故が原因であったり集団での人間関係ガチャであったり、もう運としか言いようがない。
恵まれている、というのも塾に行けた、という単一の事実だけではない。
親のことだけで言っても子供を塾に行かせる、という常識があったり、学歴に意味があるという価値観を持っていたり、収入であったり人格であったり、今のあなたを作るためにあった全てのものは運としか言いようがない。
たとえば親がそこそこ知的な会話ができる人間か否かだけで幼稚園以前に知識量に大きな差がつくんよ。
小学校に上がった段階で教科書も授業もちんぷんかんぷんだったら学年で上位になろうという努力すらする気になるだろうか。する気になったとして、何ができるというのだろうか。
反論とかじゃなくて、事実だからくれぐれも忘れるなよ。ってことなんだよ。
特に恵まれて成功している人ほど運だなんて思いたくないのが普通の人間心理だし、だからこそ口酸っぱく言わないといけない。じゃないと福祉の話とか全く噛み合わないからね。
https://anond.hatelabo.jp/20220924090557
また、この言及を最後に、本増田記事についてはこれ以降一切の言及を致しませんのでご留意ください
言い逃げみたいになって申し訳ありませんが、いろんな方がいろんなご意見を持っていらっしゃって、それに対して私自身も「そうだよね~」って思うところがたくさんあるので、これ以上の言及の必要は無いと考えたためです
結論から言うと、結局のところ旦那さんの人間性に因るところなので、別れる別れないはハッキリさせた方が良いと考えます
結局のところ、ほかの方が言及されている通り「旦那さんの人間性の問題」だったり、(文章をみる限りは多分違うとは思うのですが、)
あるいは「あなた自身が旦那さんを抑圧している可能性がある」ので、我慢できるなら我慢してみる、できないなら別れるのほうが精神的には幾分かマシになられると思います
「婚姻関係を継続しがたい事由になるか」や「離婚した場合、慰謝料及び養育費を請求できるか」は相談できる窓口が昔よりは増えていますし、
「弁護士ドットコム」のような法律相談が行えるサービスもありますので、よろしければこちらを頼られるのをおすすめしますね
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また、「SNSを監視可能状態(意図としては女装用アカウントを元増田さんもログインできるようにして、監視できる状態のつもりでした)にして承認欲求を満たす」については、
ほかの方からも「別の男と直結してしまうからやめておいた方がいい」ってご指摘がありましたことから、愚策だったかもしれません
ごめんなさい
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あとは…夫婦でのカウンセリングは、少なくとも婚姻関係を継続するのであれば、行かれた方が良いと思います!
(こちらについては私自身がカウンセリングを受けてきた身のはずなのに、失念しておりました、ごめんなさい…)
いろいろなご意見ありがとうございます
一応は全部拝見させていただいているつもりで、ある程度そこから回答させていただきますね
また、私はすべての意見について否定する意図は一切ありませんし、全部基本的には「うんうん、そういう考え方もあるよね~わかる~私は違うけど~」みたいな感覚でおります
そういう人もいらっしゃるかもしれませんし、私もそういう側面はあると思います
結局のところ、日本の家族/血統文化には「家督を継ぐもの」といった、いわば「家系のリーダー」を選出する仕組みがあり、そこから逃げているのではないか?と言われると、私は完全に否定できません
これらの要素によって、最終的に社会的女性として生きることを選択した経緯がありました
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ただ、一方で「親の面倒を見ないといけないよね」っていう話はその通りだと思っていて、それは最近よく考えます
でも、それって本来性別なんて関係ない事項ですし、なんなら可愛がってもらっていた(、そして嫁いで実家から離れた)姉妹にやってもらう方が筋が通っていませんか…?
どのみち、それについてはちょっと考えています…私の親は貧乏ですので、どうしたものでしょうね…
なんかこの言及については消えてるっぽいんですけど、ちょっと心の中で引っかかったので、一応言及しますね
あくまでも、「私が持っている感覚」でしかなく、一般化はできないのでご注意くださいね
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正直に言うと、私もよくわかっていないです
あくまで「私は私」でしかなく、性欲はともかく、(自身の男性性に嫌悪することはあれど)性別についてどーのこーのって考えたことがあまりありませんでした
ですので、私自身は特に対応を変えたりすることもなく、子供の頃とさほど変わらない感覚で生活を送っています
服もカッコいいものを着たり、可愛いのを着たり、髪もロングにしたりショートにしたり、メッシュ入れたり、メガネの時もあればコンタクト入れてる時もありますし…本当に好きなようにやっています
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あくまで私に於いてはですが、「性自認」ってワードそのものが、既存の人たちにトランスのことを分かってもらうための方便でしかないと思っています
いや…ないが…?
男でも女でも、高額納税者さんでもGAFA勤務さんでも土木作業員さんでも性的労働者さんでも、チヤホヤされる人はチヤホヤされてるでしょうから
ただ、その「チヤホヤ」が「可視化されやすい」現代に於いて、そういう感覚でやる方もいらっしゃったりするのでしょうね
あとは、日本人はもっと他人を褒めた方がいいよね、とは思っています
そりゃ否定ばっかされてたら生きるのもしんどいでしょうよ、少なくとも私はそうでした
うーん、そうかもしれませんね
ただ、女装子さんもご自身の女装のクオリティが上がれば、きっとうれしいんじゃないかなぁ…とは思いましたので、このようなアドバイスとなりました
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こんなところですかね
ここまでの長文を読んでくださってありがとうございました
元増田さんについては幸せな生活を送ることができることを願っております
また、私の意見が読んでくださった皆さんの心のどこかで反響したのなら、(結論として「自分に合わない」となったとしても、)それはとても良かったと思います