はてなキーワード: 寝ても覚めてもとは
確かに災害で家や家族を失ったり、普通に働いてただけなのに放火魔に職場を燃やされ仕事や命を奪われた人たちに比べれば私は「幸せ」かもしれないですね。でもその人たちってそのような「理不尽」に襲われるまで幸せだったかもしれませんよ?京〇ニの社員の方の中には輝かしい業績を残した方もいたそうですね。大変不謹慎だと自覚して敢えて言いますがそうした人生の絶頂期で死ねて、業績が再評価されて、多くのアニメファンに死を悼んでもらって英雄視されて正直羨ましいです。
私の人生はどうしようもないくらい大きな不幸にはまだ襲われてはいませんが、生まれてからずっと緩やかな下り坂です。生き続ければ続けるほど人生は悪くなるだけです。生きてる分ハッピー?葉っぱの下りからして昔のコミックソングにかなり影響を受けてらっしゃるようですが、あの歌詞よく読めばかなり自暴自棄で無責任なことしか言ってませんよ。この葉っぱって実は「ヤバい」葉っぱのことなんじゃないんですかね、知らんけど。意地悪されて布団に入って寝ても、意地悪された事実は無くなりませんし、ストレス抱えすぎて悪夢しか見れなくなりました。寝ても覚めても私の人生に「ハッピー」はどこにもありません。
とにかく他人の幸不幸を自分のデタラメな尺度で測らないでください。あなたの言ってることは、いじめられて不登校になった子供に「アフリカの子供達は学校に行きたくても行けないんだぞ!」と言ってるのと同じだと理解してください。
鬼滅の刃が連日ニュースに上がっているが、俺も連載当初からかなりのファンでコミックスもグッズもかなり集めるくらいである。
というのは置いておいて、だ。
コミックランキングで鬼滅の刃はランキングを総嘗め状態だが、正直な所そこまで面白いってほどではなかろう。
いや、たしかに面白い作品だ。それは間違いない。だからといって、鬼滅現象?っていうくらいにどいつもこいつも鬼滅の話題を出しているが、そこまでか?ってなっている。
なんというか、一種の宗教にハマっているかのように鬼滅をべた褒めする人があちこちにいる。面白くとも、その姿に少し異常な感じがする。
そんなにか?そんなに面白いのか?寝ても覚めても鬼滅が良いって感じの人ばっかりなのか。
テレビの鬼滅に対する担ぎかたも不思議な違和感を感じるし、映画館でも観客に違和感を感じた。
そこまで面白いって感じるかー?
「理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。
オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞が情報伝達を行う際、シナプスは行為を理解しない。ひとつの作業を行うのみであり、結果のための行為を連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為が目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。
つまり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為の副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要な事実である。
本来「理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。
これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。
この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学は哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。
あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)
はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで
本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から「青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。
だからなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である。世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)
・〈ぼく〉という特別さの有無について
さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在の特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたしの感想を書いておく。結果から述べると永井均の認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。
まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたしの意見である。つまり、意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。
「特別さの証明」からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論的観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識(アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。
まあ結局、「確認(認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆の認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである。他者を認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理は他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学〉である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである。
ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。
(余談だが99p9lの永井の解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)
ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタインが友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題(命題)に「言語」があったというのは興味深い。
わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそも、わたしが最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら)結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。
しかし言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事の表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会(面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである。言語をどのように理解し、駆使するか(論理的思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから、抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないか。わたしは今の本業は言語(ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者を自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。
なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像でしかないが、哲学をやろうとアカデミーのなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込み」から逃れることはできないのではないか。(数学者の望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)
〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事な作業である。
さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。
1箇所目(17p,9l)
あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観を他者に阿るのは心臓を他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者は自己の存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。
その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである。世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。
2箇所目(111p,11l)
この人は政治と政治的議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれてしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分が政治、または政治的議論をしたことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治的議論の方法についてである。
「自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本の左派は無様なんだ)
はっきり言っておくが、政治的議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間(政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話である。タイムリーに話題にしたことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間を擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。
5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。
正確には不老不死ではない。
しかし、確実に、今までより遥か未来を経験することが出来る可能性が高まっていた。
アメリカのとある研究施設が、20名の成人男女の、10日間の冷凍保存に成功した。
このニュースは世界中の注目の的となり、世界中、寝ても覚めてもそのニュース一色だった。
研究施設には「私も」「俺も」という冷凍体験希望者の声が殺到し、研究施設側も更なるサンプルを収集する為、定期的に世界中から20名ずつの「体験者」を募る様になった。
世界中の物好き達がその企画に飛びつき、応募し、倍率は宝くじに当たるよりも高くなっていた。
「まさか当たるわけないだろうけど」
そんな軽い好奇心から、私は、共にノリノリだった妹を同行者として、その企画に応募した。
数日経ったある日、ぼんやりと見覚えのあるアドレスから、一通の英語のメールが届いた。
「うそ…いたずらよね??」
世界中で同様のメール詐欺が多発していたし、まさか自分が当選するなんて。
オフィシャルサイトを開き、慎重に送信元アドレスをチェックした後、本文を開いた。
本文サイトにあるリンクのドメインも、オフィシャルサイトにある記述も、念入りに確認した。
「本物だ……」
google翻訳を駆使しながら、血眼になって内容を確認した。
内容は至ってシンプルだった。
2021年11月〇日~2021年11月〇日までの10日間、あなた方は冷凍保存体験を受ける権利を獲得しました。
・当施設で体験した事に関し、一切の口外を禁じます。違反した場合、1億ドルの違反金を頂きます。
・当体験で発生した事象について、当研究施設は一切の責任を負いかねます。全て自己責任でご参加ください。
なお、当体験の必要最低人数を確保する為、本案内は余裕を持った人数へ送信しております。
「今日、話がある」
それが妹の第一声だった。
「まぁ、準備とか色々あるだろし」
そう答える私の言葉を遮って、妹が畳みかける。
「返事した?」
「や、まだ」
「はよせいや!他の人に取られるじゃん!」
「まじか」
「そうだね。『いつでも放棄できる』て書いてあるし、とりあえず確保しとこ」
心配性の母は間違いなく泣きながら(そしてブチ切れながら)反対するので、絶対に言えない。
10日間、いや、飛行機での往復を考えるともう少し、仕事も休まなければならない。
飛行機の往復チケットも取らなければならないし、聞いたこともない田舎にある研究施設までのルートも確認しなければならない。
「せっかくアメリカ行くんなら観光とかしたかったよね。でも休み取るの限界だしな」
「まぁ、それ以上のすごい体験をする訳だし!」
「てかさ、アメリカまで行って寝てるだけって、冷静に考えたらうけない?」
「まじそれ」
「職場に何て言う?」
「げー、姉ちゃんの会社ユルくていいな。どうしよ。どんな手を使ってでも休むけど」
「お母さんになんて言う?」
「なんて言おうか…」
「…………」
あれこれ画策しているうちに、一年ちょっとはあっと言う間に過ぎた。
なので、私達は一泊旅行程度の、冗談みたいに少ない手荷物を持って飛行機に乗った。
「結局お母さんに言えなかったね。どうする?」
「たった10日だし。『LINEの調子悪かった』とかで乗り切ろ」
「うん…無理あるけど、どんだけ考えてもいい言い訳みつからなかったしね」
妹はとにかく世紀の体験を楽しみそうにしていて、
心配性の私は、どんどん余計な事を考える様になっていた。
「当研究施設は一切の責任を負いかねますって、でもまぁバンジーでもこういうのあるしな」
「生還した、ってだけで、体験者全員健康だとは言ってないよな…いやでも何かヤバイ事があったらこんな実験続いてないでしょ」
「口外したら1億ドル…でもまぁ、うちの会社もコンプラ厳しいし普通かな…」
疑惑と正当化をうろうろしているうちに、飛行機はアメリカに到着した。
事前に入念に調べていたので、乗り継ぎを重ね、研究施設へはスムーズに到着した。
集合時間は午前7時。
研究者の方々からの挨拶、改めて体験内容と契約内容の確認、体調チェック。
体験前には栄養を蓄える為の豪華な食事でも与えられるのかと思いきや、排泄の関係もあるらしく、この日は何も食べさせてもらえなかった。
妹と「クッソ、出る前ちゃんと食べておけばよかった!」「クマが冬眠前に食べ込むのは一体何なの」と軽口をたたき合った。
「では皆様、防護服に着替えてください」
研究員の指示通り、なんだかよくわからない服に着替え、そのままついて行った。
道中、妹はずっとテンション高めにキャッキャとはしゃいでいた。
私は緊張で震えていた。
「ここが先ほどご説明した冷凍室です。皆様は、この中で専用のカプセルに入って眠って頂きます」
みなさまは、ねむっていただきますかー。
色々考えていると、冷凍室の扉が轟音と共に開いた。
中から、顔を真っ青にした大人達が、ガタガタ震えながら、研究員らしき人々に支えられ、ゾロゾロと出て来た。
これから体験する参加者の人達も、英雄を見る様な目で見つめ、共に拍手を送っていた。
え、おかしいでしょ。
こわい、どうしよう、こわい。
こんな貴重な体験が出来るんだから、余計なことは考えたらだめだ。
現に、あの人たちは生きて還って来てたし!
「では皆様、中へご案内致します」
「承知致しました。ではあなたはここで。お気をつけてお帰りください」
もっと怒られるかと思ったのに、研究員は驚く程スムーズに、笑顔で私を解放してくれた。
というか、切り捨てた。
妹も引き戻そうと中に向かって妹の名前を叫んだ。
すると、先ほどの笑顔のまま、研究員は私の前に立ちはだかり、同じ台詞を繰り返した。
「あなたはここで。お気をつけてお帰りください」
冷凍室の扉は、閉じた。
何もない。ここがどこかもよく分かっていない。おなかもすいたし、ひどく疲れた。
何より、妹をどうしよう。お母さんに何て言おう。
妹は無事に出て来てくれるよね?
10日間、どうしよう。
着替えもほとんどない。とにかくきつい。
妹は大丈夫だよね?
10日間どうすれば…
夢で本当に良かった。
汗びっしょりだった。服脱いだ。
妹冷凍されてなかった。よかった。
昨日だか一昨日だか匿名ダイアリーで自分の子供に障害があったことに絶望してる記事があった。
俺も生まれてきた子に障害があったけど、増田のようには絶望しなかった。
べつに俺が強いとか増田が弱いとかいう話じゃない。授かったときの年齢や健康状態精神状態、環境やパートナーとの子に対する温度差や収入や職業や居住地域やきょうだい児の有無や本人(親、子両方)の性質など諸々条件が違うので、絶望するもしないもサイコロの目でしかない。
うちの子の話。
妊娠初期に胎児の首のうしろの浮腫が気になるといわれ、クアトロテストを受けた。
結果は90%以上の確率で異常なし。
出産日。
看護師に言われた「エレベーターの前でカメラ構えて待っててくださいねー、たくさん撮ってあげてね」。
カメラを持って待っていた俺の前に現れた保育器に入れられた我が子。
猫のような口。
一瞬のうちに保育器はエレベーターに乗せられて連れていかれる。一枚も撮れなかった写真。
とっさに頭に浮かんだ言葉。
「会社になんて報告しようか…」。
医者に呼ばれて口唇裂について説明をうける。説明の最後、染色体検査を勧められる。口唇裂の原因を調べるのかな程度に考え、その場でお願いする。
その足でNICUに通され、保育器のなかにいる我が子とちゃんと対面する。
途中、さきの看護師にばったり会い言われる。「大変ですね」。ハハ、まァと返す。
子が持ってこれなかったものは創ってやればいい、いまの医療ならなんの問題もない。
二、三日後、めずらしく眼を開けている子を妻と二人で見てて、俺と妻に同じ違和感。
あれ、なんか、この顔つきって。
そんな顔で笑うなってって。
あぁ。
そこから結果が出るまでの数週間、あの特徴は違う、いややっぱりそうだ、けどこっちは当てはまらない、けど出ないパターンもあるのか、口唇裂との併発の確率は、口唇裂との併発の関係は、クアトロテストの信頼性は、首の浮腫との関係性は、考えて答えの出ないことを寝ても覚めても考えた。
無いものは創れる。
けど、設計図が違っていた。
どうしようもない。
確定したことで腹が決まった。
治ることはない。元々が違うんだから治るとか、ない。
この子はこれで正しい。
それから八年、口唇裂の手術跡はほとんど目立たなくなった。ダンスが大好きで元気に毎日踊っている。頼れる肉親は近くにいないし妻と二人で決して丈夫ではない身体の子を育てていくことはキツいっちゃキツいがまぁそんなもんだろう。
大変なのは俺じゃない。妻でもない。
大変なのは子だ。
俺や妻は子といっときでも離れてしまえば障害と離れられるけど、子はずっと障害と一緒にいなきゃなんだから。
俺はそんな子供がなるべく楽に生きれるようにサポートしてやりたい。まぁそれも俺がやりたいからやるだけだけど。子育てになった途端、犠牲とかなんだよこっちは好きで課金してんだよっていうのはわりと思う。子育てってわりと面白い趣味だと思うんだけどな。
「そんなのは親のエゴ」?そうだと思う。まぁ趣味なんて他人からみれば理解出来ないことも多いからしょうがないか。
保育器に入って眠っていた我が子が全うして安心して寝入るのを見れたらそれがゴール。
>ただただ、寝ても覚めても死ぬまで自動的に謎解きを強制され続ける、これが自死遺族の宿命なのだと感じている。
>どれだけ言葉を交わしても解消できない圧倒的な断絶、それが可視化されたものが自死なのだろう。
私は自分から放棄し、突き放してしまったので後悔だけが残る。なぜ私は父を突き放してしまったのだろうか
最後まで寄り添ったことがなかったように思う、自分で精一杯なことを理由にずっと父から逃げていた。
でもきっと死ぬまで後悔し続け、父のことを考え思い続けて生きていくと思う。
三浦春馬は少なからずファンで、初舞台といくつかの舞台を観ている。
去年の罪と罰は、震えた。あのナイーブな青年は、あの時の三浦春馬だからできたのだろう。
本当にありがとう。また、別の形で戻れたら見せて欲しい。
私は自死遺族だ。
三浦春馬が抱いていた心情について、彼とは何の縁もない私が思索をめぐらせ言及すること自体が無意味で、そして罪深いことは重々承知である。取るに足らない下世話な憶測だ。
彼や彼の身内にとっては迷惑千万だろうが、それでも遺された大多数の人間のうちのひとりとしては、考えても無意味なことを、無意味だとわかっていても、あれやこれや考えてしまうことを止められないのだ。
私は自死に賛成も反対もしないし、これから自死する人、既に自死した人を責めもしない。
だから、できるだけ自分が、そして自分以外の誰かが自発的な死に向かわないようにするにはどうすればいいのか、少しでも手がかりを得たくて、考えてしまうのだと思う。
三浦春馬の場合、「順風満帆な実力派人気俳優」としてのパブリックイメージと、起きてしまった事件との落差が人々に強い混乱を与えている。
理屈をつけて納得しようにも、傍目には原因が見当たらず、どうにも事件へと結びつかないのだ。
一般視聴者も、親しい共演者でさえも、彼以外の誰もが「どうして彼が?」と首を傾げている。
彼は仕事に対して真面目に繊細に取り組み、関係者からの評判も非常に良く、子役から始まったキャリアには一切の不祥事がないそうだ。
前日まで自分の仕事を淀みなく全うし、死してもなお彼を悪く言う者は一人もいない。
命尽きるほど衰弱していたはずなのに、誰にも弱さを悟られることなく、彼は彼を演じ切ったまま終わってしまった、そんな印象すらある。
憶測の域を出ないが、彼は「三浦春馬」を維持することに疲れてしまったのではないだろうか。
周囲が彼の機微に気付けなかったのではなく、彼が周囲に心を許していなかったわけでもなく、ただ彼が、彼自身の最奥部に、誰ひとりとして立ち入らせるつもりがなく、そのまま生涯を終えてしまったのではないか。
立ち入らせることをしない、あるいはしたくてもどう頑張ってもできない、そういう人物だったように思えてならないのだ。
遺書があるという。遺書に何が書かれているのか現時点では知らない。けれどおそらく知ってもあまり意味はない。
遺書にある内容も、公表されても構わないと彼が判断した一部の心情に留まっており、きっと本音のすべてが曝け出されてはいないのだろう。
彼が何に苦しんでいたのか?
彼が何を求めていたのか?
真実は彼の中に閉ざされ、二度と開かれることはない。
それは永遠の謎として、遺された者の前に立ちはだかる。
親を喪って数年が経ったある日、遺された私にできることは「永遠の謎と、無意味に向き合い続ける」ただそれだけだと悟った。
別に向き合いたくはない。正直やめたい。向き合い続けたところで得られるものは何もない。
ただただ、寝ても覚めても死ぬまで自動的に謎解きを強制され続ける、これが自死遺族の宿命なのだと感じている。
過去に戻って何度やり直しても、心中を明かされることはおそらくないだろう。明かせるような人ならそもそも死を選ばなかった。自死は必然だったと認める他ない。
しかしそれは特別なことではなく、相手と死に別れた原因が何であろうと、仮に相手と生き別れていようとも、内面すべてが明らかになる機会などなく、結局他人の考えていることなんて本当のところわからないのだ。
どれだけ言葉を交わしても解消できない圧倒的な断絶、それが可視化されたものが自死なのだろう。
彼が表現者として遺した素晴らしい創作物への称賛を送りつつ、遺された人たちの哀しみを憂いつつ、これ以上の憶測は野暮だと反省しつつ、私は自分に課せられた謎解きに戻りたいと思う。
そういうわけで、1975年生まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。
それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。
俺にとっては、ヴィデオゲームの魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。
結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。
今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。
『カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク風大学生たち)でひしめきあい、
当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。
忍び込むようにして入ったこのゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。
『パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。
キャラクター、BGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。
消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。
それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。
もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、
「ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、
中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。
推理小説よりもゲームブックよりも面白い「推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。
シナリオ・堀井雄二/制作・チュンソフト。ゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。
本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。
けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である。
子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。
初プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。
作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体とUIがポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。
そういえば、ここに挙げたゲームは殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。
それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲームの凄さによるものだったのかは知らん。
ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。
「RPG」というジャンル/概念を意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。
「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか?
もろ鳥山明なドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター(末弥純デザイン)たちに慄いた。
寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。
ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。
おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。
あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、
バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律は羽田氏ならでは。
タイトル画面、カント寺院、キャンプBGMは永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。
当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。
当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードをファミマでバイトして購入した。
膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。
トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。
インターネットなき時代に本作を自力でクリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。
ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGやウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。
ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。
つい最近まで「自分はローグライクなゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。
当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず、文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。
タクティクスオウガもドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、
朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲームは自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。
後期SFCらしい完璧なドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作とUIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、
ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。
手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。
「フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。
中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜
「昨年ついにSwitchで配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから、絶対やっとけ!!!」
それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。
数多の熱狂的ファンや批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。
俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である。
あるいはクラブカルチャー、サブカル、世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM。
本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。
人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物。
もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。
世代的にゼルダはディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。
『神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。
正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。
あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからもクローズドワールドで結構。
なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームだから。
BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。
エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。
夕暮れ時、ロンロン牧場でマロンちゃんとオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。
『moon』ディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。
『moon』が作り出したうずたかい第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。
エンディングではいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後のゲーム)。
坂本教授がBGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。
内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。
(ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)
おまけにリメイクもアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。
だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲームの趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。
とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。
しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。
本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。
本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。
それまでスタンドアローンでしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘でしか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。
その体験は視界を塗り替え、時間感覚を刷新し、現実を異化した。
これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMS』しか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。
『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。
汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。
※※※※※※※※※※
俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝。
何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。
※※※※※※※※※※
【追記】
ブコメ全部読みました。
こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事なゲームの思い出とか括りでは語れない気持ちを排除するみたいで、
あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、
週明けに学校再開予定の某県の養護教諭です。新年度に向け、緊急対応や生活を送る上での注意点などのマニュアルを作成したり、保護者向けのお願い文書やメール連絡網の文面を考えたり、必要な衛生物品の在庫を整備したり、健診の日程や持ち方を検討したりしています。
もう限界です。
消毒液やそれを入れる霧吹き、液体石けん、ディスポーザブル手袋やマスク、すべての衛生物品が足りない。手に入らない。文科省からは「マスクがない場合は養護教諭や家庭科教員などが作れ」などという通知も出ています。何を考えているのですか。今回の対応のために、厚労省や文科省の出している通知を読みました。3月24日の大臣会見の内容も読みました。この状況下で、なぜ学校再開という決断に至ったのか気になったからです。「一斉臨時休業を始めたときよりも状況が改善しているわけではなく、むしろ感染者が増えている地域もある中で、なぜ学校を再開するのかというと、国民の皆様の感染拡大防止に関する意識が高まっているという認識があるからであります」と仰っていました。全身の力が抜けました。意識があっても、消毒薬や石鹸やマスクがないのです。どう感染予防をするのですか。意識があれば、確実にひとり1メートルなどという距離を取ることは到底困難な教室で授業をしても感染拡大しないのですか。小学校低学年は、正直、身の回りの清潔を保つこともままなっていないような子もいます。指しゃぶりや爪噛みをしたり、鼻を触ったり、床に寝そべったり、平気でします。ましてや新年度です。今日から小学生になりたての子供たちです。在校生も、1ヶ月以上休んだ後、久しぶりに学校に来ています。教員の指導や対応でどうにかなるレベルは越えています。
今わたしの頭の中にあるのは、万が一本校で感染拡大が起こった場合、たとえ十分なエビデンスが担保できていないような対応策であっても、報道やSNSで批判されないような「十分な対応を取りました」というポーズを取るための対応策を考えねば、ということと、もし自分が感染者となった場合、動向調査や報道で明らかになって批判されるような行動を絶対にしてはならないな、ということだけです。感染拡大防止は正直、無理です。いずれどこかの教育機関で起こります。起こらなかったとしたら、それはただの偶然です。
感染拡大が起こるなら、わたしの勤務地以外の場所であって欲しい。寧ろ政府が危機感を持ち、再度の一斉休校と、学童等の可能な限りの閉鎖の判断をしてくれるなら、早くどこかの学校で感染拡大が起こって欲しい、とすら思ってしまいます。心労からか毎日胃が痛く、寝ても覚めても辛いです。帰るころにはスーパーも閉まっており、外食なんてこの状況下でもってのほかですし、家事をする気力もないので、毎日カロリーメイトなどを食べて、痛みを紛らわせるためにお酒を飲んで寝ています。養護教諭ですから、このままでは体を壊してしまうなという自覚はあります。しかし、コロナウィルスに感染し、専門職としての信頼を失い、メディアで報道されるくらいなら、コロナの為に身を粉にして働き、結果体を壊した・命を失ったほうが人間として清いのではないかと思うのです。最近、自分が何か行動を起こすたびに「養護教諭から感染拡大 教育機関のずさんな感染予防体制」「感染者発生市で外食か 市内養護教諭コロナ陽性」「趣味は「バンド演奏」 養護教諭からコロナ感染拡大」など、ありもしないニュースの見出しが頭に浮かびます。
好奇心でやったが、寝ても覚めても食いもんのこと。Youtubeで大食い動画ばかり見て胃液ダバダバ。水飲み続けても胃が痛え。
体軽くなるって言ってたけど、そりゃ4キロ減ったら体重減るんだから軽くなる。
ろれつが回らねえ、約束の日間違える、仕事の凡ミス、発疹、耳鳴り。
確かに寝付き、寝起きは良くなった。でも寝付き良いのは夜遅くまで起きとくだけの体力無くなっただけじゃね?寝起き良いのは腹減ってるからじゃね?
五感は研ぎ澄まされる。餌を探すために。
背後の音を認知出来るようになった。そして目が良くなった。視力は変わらんが物体を認知するスピードが早まった。匂いはもともと敏感だったが、感度が2倍に。街に出るたび油、ガソリン、洗濯物、香水、下水の匂いがランダムに押し寄せて、情報過多で吐き気が止まらなかった。森林に逃げたいと思った。
五感で認知しても思考には結びつかない。思考を通さずただ感じるだけ。
いつも思い出すのは、俺が作った飯だった。(ラーメン以外)
作って、食って、幸せを感じて、この苦労を喜ぶ。
報道されている内容は、不倫があったという事実を裏付けるのに証拠不十分ではないのか、という投稿です。
今件に対して報道された内容は、主に以下の通りです。
基本的にこの投稿内では、画像の存在するものを、証拠として取り上げて考察します。
東出・唐田が共演していた映画「寝ても覚めても」の収録内で撮影されていたものとのこと。
唐田は撮影中、オフショット撮影をフィルムカメラで行っていました。のちにそのオフショットは、映画の企画として写真展が行われました。今回文春がリークした写真は写真展の中では利用されていませんでしたが、撮影後仲間内に配ったものであるという報道からも、先述の写真展向けに撮られたスナップの内の一枚であることが考えられます。
背後の空き缶などの本数、また、撮影構図から見ても、二人きりの状態ではないと考えられます。
唐田のインスタグラム上で、ベッドの上でくつろぐなどプライベートな様子の東出の写真が公開されていました。
これも一部で匂わせなどと報じられていたようですが、これは映画の企画として行われた写真展内でも展示されたものです。
https://natalie.mu/eiga/news/296224
ちなみに映画の原作小説内で、唐田演じたヒロインは、写真が趣味という設定がありました。映画内ではその設定は採用されませんでしたが、唐田演じたヒロインが美術館に写真展を見に行く場面があるなど、「写真」は作品そのものに関わる小道具でもありました。
これをプライベートな「匂わせ」であるとは言い切るのはナンセンスです。
声明は、報道された内容はほぼ事実であると、認めるものでした。
ですが私はこれに対し、いわゆる「強要された自白」程度の証拠能力であると考えています。
なぜならば、この状況下で報道内容を否定したほうが印象や状況は悪化します。両事務所からの声明は、この時点での最善の振舞いとして選ばれたものでしょう。
よって、不倫関係が存在したことを裏付けるには、証拠能力不十分です。
唐田から東出に対する好意は感じられる投稿でしたが、具体的にどういった関係であるかを示す内容はありませんでした。
また、2ショットすら公開されていません。
あくまでも大学時代の写真・エピソードであり、今現在の状況を直接証拠づけるものではありません。
具体的に何をどうしたのかという自白はありませんでした。
主に題材として取り上げられていたのは以下3点。
それ以外での新規取材や新規内容は殆どなかったように記憶しています。
1年半以上前からネット上に公開されていた内容に対して今更であり、内容はどれも憶測レベルのコメントでした。
唐田のインスタグラムについては、先述の写真展の件もあり、完全にプライベートなものであると扱うのは不自然です。
自称関係者は殆ど名や立場も明かされておらず、証拠写真の一つも添えられていません。
そもそも東出側関係者からの、唐田との関係を示すような内容は、殆ど見かけられませんでした。
東出の翌週に文春が掴んだ鈴木杏樹の件は、2ショット現場が二度に渡って押さえられており、ラブホテルに入っていく写真もありました。
一方で東出の件では、上記のとおり、文春以外のメディアは碌に取材もしておらず、文春であっても、はっきりと裏付けるような証拠を出していません。
すっかり安心して、深く眠ってしまったみたい。前回はまるで寝れなかったのに。
早朝に目が覚めた時も君はまだこちらを向いて眠っていた。ちょっと話しかけたら起きてるみたいだった。かわいい顔にたくさん、キスの雨を降らせる。あなたの寝顔が好き。世界で一番きれい。匂いが好き。あたたかい、春の日差しの匂いがする。もう世界は終わるんじゃないかって思った。
ウィルスで人が人を遠ざけているこの時代に、わたしは何度もキスをして、だいすきなあなたとHする。自虐的な君のツイートを思い出した。ああこのキスってわたしのことじゃん、かわいいな、とか思った。別にあなたがそれなりに知られてるひとじゃなくてもきっと好きだけど、まわりのみんなはなんも知らないんだろうな。不思議な気持ち。わたしも二人で会ってるときの君以外、何も知らない。知りたくもない。「誰にでもしてるんでしょう」「そんなことないよ」嘘でも否定してくれてありがとうね。会ってるときだけは一番に好きだよ。本当に綺麗な人だと思う。あたたかさに落ち着く。頭の中であなたの歌と、あなたに捧げた私の歌が交互に鳴っていた。
夜子どもの隣で寝てて、寝返りをうった子どもの目が開く時があるんだけど、自分と目が合うとにこーって笑うんだよね。
母親が隣にいるというただそれだけでこんなに幸せな顔してくれるの、って毎回新鮮に驚く。
半分寝てるわけだから子どもが笑おうとして笑ってるわけじゃないと思うんだけど、母親が視界に入ると笑うってプログラミングされてるのかってくらい自然に笑うんだよ。
すごい。子ども育ててるだけで承認欲求なんてガンガン満たされる。
夫とも相思相愛で結婚した訳だけど、それとはまた違った部分で満たされるものがある。
私がかける以上に、好意的な言葉がじゃんじゃん子どもの口から発せられる訳ですよ。
お母さん大好き、お母さん大好きって。
自分も子どもの頃は親から●●ちゃん大好きだよって育てて貰ったはずだけれど、大人になると人から好きって言われる機会も減るからね。これまで付き合ってきた人からも夫からも好意は口にして貰っているけれど、子どもほど溢れるようには発言しないからね。
そんなんだから、子どもが世界の全てになってしまう人がいるのも分かる。
だって成長過程の一時期でしかないとはいえ1人の人間にとっての世界の全てになってしまえるんだよ。
その感覚が忘れられず、子どもの世界が広がったことに気がつかず、自分だけずっと子どもを見てしまうんだろうね。
子どもの幸せを望む余りにそれが本人との幸せと乖離してしまうこともままあるだろうし、見ていたものがいつの間にか見えなくなるなんて陥りやすい罠ではあるなと思う。
常々、今だけ、今だけだからね、こんな手放しで親の全てを好きでいてくれるのは今だけだからね、と戒めるようにしている。現状に胡座かいてアップデートを忘れるとすぐ親子関係崩れるからねって。
自分だって子どもの頃は母親大好きだったし、ちょっと役員の用事とかで母親が幼稚園に顔を出した日にはニッコニコで飛びついてた。毎日同じ家で会ってるし、数時間後にはまた会うし、というか数時間前まで同じ家にいただろ、って今なら思うんだけど、私のお母さん!って喜びがあるんだよね。
でもそんな子ども時代があった自分も、今では年に数回会えば充分だし、お互い自分の人生を歩みましょうねくらいに思ってるし、相手するのが面倒だなというのが正直な気持ちだから、自分自身の気持ちの変遷を自覚して子どもに対しても冷静な視点を忘れないようにしたい。
願わくば嫌われたくないし、何かあったら悩み相談とかしてもらえる程度には信頼してもらいたいし、良好な関係を築いたまま成人を迎えてその先もやっていきたいし、その為に努力しようとは思ってる。
でもね、ほんと"私が居る"というただそれだけのことに、子どもが心から嬉しそうに笑うんだよ。
子ども生まれてから1人旅行とかしてないから、生まれてからこのかた母親に会わなかった日なんてないのに、何がそんなに嬉しいのか不思議なんだけれど。
産んだだけでこんなに愛してもらえるなんて凄い。
そりゃ毎日育ててる訳だし、育児は体力も気力も更に言えば金銭的にも負担は大きいのだけど、返ってくる愛情が大きすぎてなんだかお得感すらある。
ありがたい。頑張って産んどいて良かったわ。