夜子どもの隣で寝てて、寝返りをうった子どもの目が開く時があるんだけど、自分と目が合うとにこーって笑うんだよね。
母親が隣にいるというただそれだけでこんなに幸せな顔してくれるの、って毎回新鮮に驚く。
半分寝てるわけだから子どもが笑おうとして笑ってるわけじゃないと思うんだけど、母親が視界に入ると笑うってプログラミングされてるのかってくらい自然に笑うんだよ。
すごい。子ども育ててるだけで承認欲求なんてガンガン満たされる。
夫とも相思相愛で結婚した訳だけど、それとはまた違った部分で満たされるものがある。
私がかける以上に、好意的な言葉がじゃんじゃん子どもの口から発せられる訳ですよ。
お母さん大好き、お母さん大好きって。
自分も子どもの頃は親から●●ちゃん大好きだよって育てて貰ったはずだけれど、大人になると人から好きって言われる機会も減るからね。これまで付き合ってきた人からも夫からも好意は口にして貰っているけれど、子どもほど溢れるようには発言しないからね。
そんなんだから、子どもが世界の全てになってしまう人がいるのも分かる。
だって成長過程の一時期でしかないとはいえ1人の人間にとっての世界の全てになってしまえるんだよ。
その感覚が忘れられず、子どもの世界が広がったことに気がつかず、自分だけずっと子どもを見てしまうんだろうね。
子どもの幸せを望む余りにそれが本人との幸せと乖離してしまうこともままあるだろうし、見ていたものがいつの間にか見えなくなるなんて陥りやすい罠ではあるなと思う。
常々、今だけ、今だけだからね、こんな手放しで親の全てを好きでいてくれるのは今だけだからね、と戒めるようにしている。現状に胡座かいてアップデートを忘れるとすぐ親子関係崩れるからねって。
自分だって子どもの頃は母親大好きだったし、ちょっと役員の用事とかで母親が幼稚園に顔を出した日にはニッコニコで飛びついてた。毎日同じ家で会ってるし、数時間後にはまた会うし、というか数時間前まで同じ家にいただろ、って今なら思うんだけど、私のお母さん!って喜びがあるんだよね。
でもそんな子ども時代があった自分も、今では年に数回会えば充分だし、お互い自分の人生を歩みましょうねくらいに思ってるし、相手するのが面倒だなというのが正直な気持ちだから、自分自身の気持ちの変遷を自覚して子どもに対しても冷静な視点を忘れないようにしたい。
願わくば嫌われたくないし、何かあったら悩み相談とかしてもらえる程度には信頼してもらいたいし、良好な関係を築いたまま成人を迎えてその先もやっていきたいし、その為に努力しようとは思ってる。
でもね、ほんと"私が居る"というただそれだけのことに、子どもが心から嬉しそうに笑うんだよ。
子ども生まれてから1人旅行とかしてないから、生まれてからこのかた母親に会わなかった日なんてないのに、何がそんなに嬉しいのか不思議なんだけれど。
産んだだけでこんなに愛してもらえるなんて凄い。
そりゃ毎日育ててる訳だし、育児は体力も気力も更に言えば金銭的にも負担は大きいのだけど、返ってくる愛情が大きすぎてなんだかお得感すらある。
ありがたい。頑張って産んどいて良かったわ。