私は自死遺族だ。
三浦春馬が抱いていた心情について、彼とは何の縁もない私が思索をめぐらせ言及すること自体が無意味で、そして罪深いことは重々承知である。取るに足らない下世話な憶測だ。
彼や彼の身内にとっては迷惑千万だろうが、それでも遺された大多数の人間のうちのひとりとしては、考えても無意味なことを、無意味だとわかっていても、あれやこれや考えてしまうことを止められないのだ。
私は自死に賛成も反対もしないし、これから自死する人、既に自死した人を責めもしない。
だから、できるだけ自分が、そして自分以外の誰かが自発的な死に向かわないようにするにはどうすればいいのか、少しでも手がかりを得たくて、考えてしまうのだと思う。
三浦春馬の場合、「順風満帆な実力派人気俳優」としてのパブリックイメージと、起きてしまった事件との落差が人々に強い混乱を与えている。
理屈をつけて納得しようにも、傍目には原因が見当たらず、どうにも事件へと結びつかないのだ。
一般視聴者も、親しい共演者でさえも、彼以外の誰もが「どうして彼が?」と首を傾げている。
彼は仕事に対して真面目に繊細に取り組み、関係者からの評判も非常に良く、子役から始まったキャリアには一切の不祥事がないそうだ。
前日まで自分の仕事を淀みなく全うし、死してもなお彼を悪く言う者は一人もいない。
命尽きるほど衰弱していたはずなのに、誰にも弱さを悟られることなく、彼は彼を演じ切ったまま終わってしまった、そんな印象すらある。
憶測の域を出ないが、彼は「三浦春馬」を維持することに疲れてしまったのではないだろうか。
周囲が彼の機微に気付けなかったのではなく、彼が周囲に心を許していなかったわけでもなく、ただ彼が、彼自身の最奥部に、誰ひとりとして立ち入らせるつもりがなく、そのまま生涯を終えてしまったのではないか。
立ち入らせることをしない、あるいはしたくてもどう頑張ってもできない、そういう人物だったように思えてならないのだ。
遺書があるという。遺書に何が書かれているのか現時点では知らない。けれどおそらく知ってもあまり意味はない。
遺書にある内容も、公表されても構わないと彼が判断した一部の心情に留まっており、きっと本音のすべてが曝け出されてはいないのだろう。
彼が何に苦しんでいたのか?
彼が何を求めていたのか?
真実は彼の中に閉ざされ、二度と開かれることはない。
それは永遠の謎として、遺された者の前に立ちはだかる。
親を喪って数年が経ったある日、遺された私にできることは「永遠の謎と、無意味に向き合い続ける」ただそれだけだと悟った。
別に向き合いたくはない。正直やめたい。向き合い続けたところで得られるものは何もない。
ただただ、寝ても覚めても死ぬまで自動的に謎解きを強制され続ける、これが自死遺族の宿命なのだと感じている。
過去に戻って何度やり直しても、心中を明かされることはおそらくないだろう。明かせるような人ならそもそも死を選ばなかった。自死は必然だったと認める他ない。
しかしそれは特別なことではなく、相手と死に別れた原因が何であろうと、仮に相手と生き別れていようとも、内面すべてが明らかになる機会などなく、結局他人の考えていることなんて本当のところわからないのだ。
どれだけ言葉を交わしても解消できない圧倒的な断絶、それが可視化されたものが自死なのだろう。
彼が表現者として遺した素晴らしい創作物への称賛を送りつつ、遺された人たちの哀しみを憂いつつ、これ以上の憶測は野暮だと反省しつつ、私は自分に課せられた謎解きに戻りたいと思う。
生きているときは助けないくせに 死んだら自分の利益のために政治利用する
私も自死遺族だ。あなたの文章をみて泣けてしまった。 >ただただ、寝ても覚めても死ぬまで自動的に謎解きを強制され続ける、これが自死遺族の宿命なのだと感じている。 永遠の呪...