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2020-03-06

世界の終わりで

すっかり安心して、深く眠ってしまったみたい。前回はまるで寝れなかったのに。

早朝に目が覚めた時も君はまだこちらを向いて眠っていた。ちょっとしかけたら起きてるみたいだった。かわいい顔にたくさん、キスの雨を降らせる。あなたの寝顔が好き。世界で一番きれい匂いが好き。あたたかい、春の日差し匂いがする。もう世界は終わるんじゃないかって思った。

ウィルスで人が人を遠ざけているこの時代に、わたしは何度もキスをして、だいすきなあなたとHする。自虐的な君のツイートを思い出した。ああこのキスってわたしのことじゃん、かわいいな、とか思った。別にあなたがそれなりに知られてるひとじゃなくてもきっと好きだけど、まわりのみんなはなんも知らないんだろうな。不思議気持ちわたしも二人で会ってるときの君以外、何も知らない。知りたくもない。「誰にでもしてるんでしょう」「そんなことないよ」嘘でも否定してくれてありがとうね。会ってるときだけは一番に好きだよ。本当に綺麗な人だと思う。あたたかさに落ち着く。頭の中であなたの歌と、あなたに捧げた私の歌が交互に鳴っていた。

こんな終りみたいな関係は、本当に、胸が苦しくなるほど美しくて、せつない。最悪で最低で、どこか邦画くさい。

寝ても覚めても」を観に行って泣いたとき、私はこれを予感していたんだろうか。

2020-03-01

無償の愛を感じる

無償の愛ってあるんだな、って子ども育てながら感じてる。

から子へ、じゃないよ。子から親にだよ。

子どもの、あの無条件で親が好きな感情凄いよね。

子どもの隣で寝てて、寝返りをうった子どもの目が開く時があるんだけど、自分と目が合うとにこーって笑うんだよね。

母親が隣にいるというただそれだけでこんなに幸せな顔してくれるの、って毎回新鮮に驚く。

半分寝てるわけだから子どもが笑おうとして笑ってるわけじゃないと思うんだけど、母親が視界に入ると笑うってプログラミングされてるのかってくらい自然に笑うんだよ。

すごい。子ども育ててるだけで承認欲求なんてガンガン満たされる。

夫とも相思相愛結婚した訳だけど、それとはまた違った部分で満たされるものがある。

私がかける以上に、好意的言葉がじゃんじゃん子どもの口から発せられる訳ですよ。

お母さん大好き、お母さん大好きって。

自分子どもの頃は親から●●ちゃん大好きだよって育てて貰ったはずだけれど、大人になると人から好きって言われる機会も減るからね。これまで付き合ってきた人からも夫から好意は口にして貰っているけれど、子どもほど溢れるようには発言しないからね。

そんなんだから子ども世界の全てになってしまう人がいるのも分かる。

だって成長過程の一時期でしかないとはいえ1人の人間にとっての世界の全てになってしまえるんだよ。

その感覚が忘れられず、子ども世界が広がったことに気がつかず、自分だけずっと子どもを見てしまうんだろうね。

子ども幸せを望む余りにそれが本人との幸せ乖離してしまうこともままあるだろうし、見ていたものがいつの間にか見えなくなるなんて陥りやすい罠ではあるなと思う。

からと言って毒親擁護する気持ちは全くないけれど。

常々、今だけ、今だけだからね、こんな手放しで親の全てを好きでいてくれるのは今だけだからね、と戒めるようにしている。現状に胡座かいアップデートを忘れるとすぐ親子関係崩れるからねって。

自分だって子どもの頃は母親大好きだったし、ちょっと役員用事とかで母親幼稚園に顔を出した日にはニッコニコで飛びついてた。毎日同じ家で会ってるし、数時間後にはまた会うし、というか数時間前まで同じ家にいただろ、って今なら思うんだけど、私のお母さん!って喜びがあるんだよね。

でもそんな子ども時代があった自分も、今では年に数回会えば充分だし、お互い自分人生を歩みましょうねくらいに思ってるし、相手するのが面倒だなというのが正直な気持ちから自分自身の気持ちの変遷を自覚して子どもに対しても冷静な視点を忘れないようにしたい。

母親子ども関係は難しいね

願わくば嫌われたくないし、何かあったら悩み相談とかしてもらえる程度には信頼してもらいたいし、良好な関係を築いたまま成人を迎えてその先もやっていきたいし、その為に努力しようとは思ってる。

でもね、ほんと"私が居る"というただそれだけのことに、子どもが心から嬉しそうに笑うんだよ。

毎日毎日寝ても覚めても喜ぶんだよ。

子どもまれから1人旅行とかしてないから、生まれからこのかた母親に会わなかった日なんてないのに、何がそんなに嬉しいのか不思議なんだけれど。

産んだだけでこんなに愛してもらえるなんて凄い。

そりゃ毎日育ててる訳だし、育児は体力も気力も更に言えば金銭的にも負担は大きいのだけど、返ってくる愛情が大きすぎてなんだかお得感すらある。

ありがたい。頑張って産んどいて良かったわ。

2020-01-31

 砂掛けじゃないけど

うたの☆プリンスさまっ♪が好きだった。

19歳の夏にドはまりして、もうすぐ8年目を迎えようとしている。計算が合っとるかは知らん。

別に後悔は無いけれど、楽しい楽しい大学生活の大半をうたプリのために費やした。

それはそれで最高に楽しかった。

初めて東京に行った。寝ても覚めてもうたプリだった。

うたプリを通じて友だちができた。今でもプライベートで遊ぶ人たちもいる。ただ、もううたプリの話はしないけれど。

リライに落ちて泣いた。当選して泣いた。

シャイニング事務所実在、と念じていた。プリツイがそれを高めてくれた。

イチオシアイドル自担と呼んで、同担拒否だった。ファンレターも書いた。

こんなに2次元(当時は3次元だと思い込みたくて、そう振舞っていたけれど)にはまったのは初めてだった。

一人暮らしをいいことに、部屋にもポスターを貼ったりフィギュアを飾ったり、腕枕クッションを買ったりした。

突然訪問してきた親にもバレた。心配された。

痛チョコを作った。ケーキも焼いた。自担の喜びそうな料理を覚えて、自炊を頑張るようになった。

自担がプリツイで紹介したものと同じものを買っては自己満足に浸っていた。

アイドルたちの誕生日を迎えるたびに、お祝いした。

みんなの生まれ年を考察したツイートに感化されて、みんなはサザエさん方式ではなく毎年一緒に年齢を重ねていってくれているのだと信じていた。

自担誕生日特に豪勢にお祝いした。いろいろ作りました。いろいろやりました。

完全に黒歴史だけれど、コスプレもした。いやあれはダメです。見返すことのできない黒歴史

どこに行くにもくまプリを連れて行った。写真もいっぱい撮った。自分写真の数倍、くまの写真がある。

自担の白い衣装は汚れやすくて、何度も一緒にお風呂に入った。洗濯ネットに入って吊るされる姿は何とも言えずかわいかった。

汚れも落ちなくなってきて、くま本体ボロボロになってきて、今は部屋でゆっくり眠ってもらっている。お疲れさまでした。今まで、本当にありがとうございました

自担担当!って感じの服、イメージカラーとかモチーフとか、自分には似合わんのにいっぱい買ったな。

イベントがあれば頭の先から靴まで一式「それっぽい」のを探し回って揃えるのも楽しかった。

月並み言葉だけれど、いっぱい泣いていっぱい笑ったと思う。

しかった。

最高だった。

ただ、公式に対して不満に思うことが多すぎた。

自担は、アイドルのみんなは悪くないのに、と葛藤することが日課だった。

公式アプローチが下手すぎた。

なんだよあのアニメ。揃えた円盤、一度も見返していません。

プリツイでのキャラ崩壊もやめてほしかった。誰ですか。誰だったんですか、あれは。

何かと対応杜撰

話題作りのためか、完売祭り。すぐ炎上

飛行機距離茶の間なりにたくさんのイベントにも行ったつもりだけど、物販何も無くてすごすご退散することも一回二回じゃなかったよ。

どんどん、公式距離を感じるようになった。

それは私が大人になったのかもしれない。

大人になったから、運営に対して「社会人としてこれは無いわ」とますます思うようになったのかもしれない。

大人になったから、周りの若い子たちの勢いについていけなくなったのかもしれない。

大人になったから、猫なんて抱えて持ち歩けないと思った。別にねこママたちをディスっているわけではないけれど、自分には無理だった。

ただ、大人になったから、「彼らのために割く時間もったいない」とは一度も思ったことがない。




7thプリライが取れなかった。

まだ最速先行しか当落出てないけれど。

マジLOVEキングダムは、とてもよかった。最高だった。あれが見たかったのだ、私は。

から、7thも行きたかった。過去形じゃないですね。行きたい。

なんならもう交通宿泊も押さえてる。地方の民だから馬鹿高いんだわ。それでもキャンセルしたくないんだよね、ハハ。

けれど、私は4thの雪がドサドサ降り積もる中立ち続けた前日物販地獄や、

5thの寒空の下7時間立ち続けて何も買えなかった物販地獄や、

カルライ1stの始発で行って並んでもやっぱり買えなかった物販地獄や、

6thの入場本人確認リストバンド地獄経験している。退場も地獄だったけれど。

タリファンミも入退場はそれなりに地獄だったけれど、熱が落ち着いていたのでそこまで何も思わなかった。

それらを思っても、行きたいと思ってた。

ただ、あの頃のような熱はもうないのだと気がついた。

チケット売買サイトでいくつもの転売チケットを見つけた。

昔なら、はらわたが煮えくり返るほどに怒っていた。

4万出したって行きたい、と思ってた。買わなかったけど。

だけど、最低3万5千くらいのそれらのチケットを見て、私は何も思わなかった。

この値段を出して行きたいな、と思えなかった。

いや行きたいんですけど。

ただ、あの値段を出してまで、高額転売から買ってまで、行きたいと思えなかった。

転売に対する怒りも、あの頃ほど湧かなかった。無だった。どうでもいい、と思った。

私の熱はそんなもんになっちゃったけど、今が楽しくて燃えてる人はたくさんいるんだと思う。

チケット取れなかったのもその証拠だと思っておきたいし。

それはそれでいいと思います楽しいもんね、うたプリ。楽しかったです。



うたプリ、今まで本当にありがとうね。たくさん感謝しています

これからよろしくって言いたいけれど、今の心境だとちょっと難しい。

でも7thは行きたいです。両日。

へりくつかもしれんけど、マジLOVEキングダムを経てのプリライ7thなので、このライブ個人的に「これまで」なので。

別にジャンルを完全に離れるつもりはないし離れられるとも思えないので、これは砂掛けじゃないです。


何が書きたかったのか自分でもわからない。

別にいいけど。


ひとまず以上。

2020-01-28

anond:20200128122923

恋愛モードはいると、寝ても覚めても相手のことが気になってしまうんだよ。

そんなのは知らない方がイイと思うゾ。

2020-01-21

anond:20200121133126

朝晩10回音読、毎週10回写経

覚えられないと言う人の大半は、覚える努力が足りない。

寝ても覚めても商材のことだけを考えて、ひたすら暗記のために時間を使うしかない。

2019-11-23

子供囲碁をやっている。

私が「囲碁クエスト」で遊んでたのを見た子供囲碁やりたいと言い出したので、囲碁教室に入れた。

私がルールを教えようとしたら、やりたいと言う割りに説明右から左へ受け流すので、同じ年頃の子供達の集まる教室で教わった方がいいのかなと思ったのだ。

子供教室でも先生の教えを右から左へ受け流しているので、19路で打つようになった今も基本ルールさえ覚束無いが、それでも楽しそうに通っている。

我が子が囲碁を始めるまで知らなかったが、この地域子供囲碁が盛んで、こども大会も年に複数回開催されるために、近隣他県から囲碁キッズがやってくるくらいだ。

大会を見てて思うが、囲碁は男女対等に勝負できる協議と毎度大会主催者が強調するわりに、優勝者男子ばかりなのが謎だ。しかし、囲碁教室の成績上位者の三、四人に一人は女子がいたりするので、スポーツよりは確かに男女差は少ないと思う。けどやっぱり優勝は男子ばっかりなんだよなぁ。

競技人口は、囲碁教室場合は半々か男子ちょい多めかな。入門時点では女子の方が多いかもしれない。

ある物凄く強い男子二人のお母さんに、お子さんは普段どういう勉強をしているんですか、と聞いたことがあるけど、勉強っていうか、囲碁が大好きだから暇さえあれば兄弟で打ってる。親から口を出したことは一切ない。囲碁やってる間は静かだから楽でいいわー、とのことだった。

女子にも強い姉妹がいるので、その三人のお母さんにも同じ質問をしてみた。ずっと姉妹で碁を打っている、と言っていた。

なお、下手な子供のお母さんにもまた同じ質問したことがあるが、家では全く碁を打たない、とのことだった。

結局、子供達の棋力の差の要因は経験値によるということだ。

そして保護者に聞いた話からすると、強い子供の中でも特に男子時間があればずっと碁をやっていられるのだ。女子の強い子もよく碁を打つにしても、寝ても覚めても囲碁、という感じではない。

囲碁大会の昼休み、子の付き添いで来た私が暇なので囲碁クエストをしていると群がってくる子供達も、男子が多い。

2019-11-21

寝ても覚めても政治の話してる人、なんで政治家にならなかったの?

2019-09-11

後輩たちに軽々と立場を抜かされた話

きっと当たり前のように誰だって経験したことのある話なのだろうけど、後輩や周囲に対する感情落ち着け方がわからなくて困っている。

人によっては嫌味に聞こえそうなので、誰にも相談ができず、同じような境遇の人がいたら聞いてもらいたい。

自分のことを、天才とは言わずとも、それに似たような人間だと思って生きてきた。

中学生の頃は、200人ほどいた学年でそこそこの勉強をすれば20-30位程度は取れたし、一言もやりたいと言った覚えはないのに気が付いたら部活動主将やら、学年代表やらをやらされていたことがある。

また特待生で行った高校(大抵が滑り止めで受けるような学校だ)では、入試では学年1位、以後の定期テスト100人10位くらいにはいたし、生徒会なんかもやっていた。友達も多くて、週末には遊びたい人が多すぎて困るとか考えていたくらいだ。

環境に恵まれていたし、自分天才だと思い込むには最適な18年間だったように思う。

後悔が始まったのは、大学に進学して以降のことだ。

高校卒業後、親の勧めでアメリカ大学留学することになった。海外に強い興味があったわけではなかったけど、留学とかかっこいいし、英語ペラペラとかかっこいいっていうミーハー留学理由だ。

しかしいざ留学して、何年たっても英語が上手くならないこと、そして勉強をしてもしてもついていけない現実に、絶望した。まあそりゃ母国語じゃないんだし、それを選んできたのは自分なんだし、甘えがあったのだろう。卒業単位を取るために寝ても覚めても勉強して、しかしそれじゃ足りなくて、せめてもと藁にもすがる思いで必死教授に取り入ったりもした。

その頃から、大した努力もせずに簡単に点数を取れるクラスメイトの姿が目につくようになった。必死教科書を隅から隅まで読んでも授業に追いつけないのに、適当に遊んでるはずのクラスメイトのが圧倒的にテストの点数が良い。見栄を張って良い大学行ったっていうのもこんなことになった原因のひとつだろう。

追いつけない自分が悲しくて、高校生までのリーダーシップみたいなやる気はどんどん失われて。2人しかいない友達と時々遊んで、勉強して、あとはひたすらネットしている4年間だった。

まあ変に頑固だったので、結局ちゃん卒業したのは偉かったと思うけれど、あのとき感じた絶望はいつまで経っても消えていない。

大学卒業して、外資系コンサル企業日本支部入社した。そこには、例えば中途採用日本大学卒業している新卒のような英語が得意ではないような人もいた。

しか社員ほとんどがいわゆる英語ペラペラの人たちで、かつ、頭の回転が速く、自分じゃ見えないような未来を見据えている人たちばかりだった。

持ち前のコミュニケーション能力最初の1年間はわりと成績は良かった。同僚にも恵まれていた。

一年後、後輩が入ってきて、自分の中に焦りが産まれるようになった。自分と同じ日本語という母国語世界で生きる彼らの英語力は、発想力は、頭のキレは、1年も2年も前に入社している自分の数段も上だった。

自分のような大して頭が良くない、ちょっとコミュニケーション能力が高いだけの空っぽ人間じゃ、そりゃ人事評価なんてあっという間に彼らに抜かされてしまうだろう。未来を見据えることなんて自分にはできないし、人事から評価自分自身たしかによく理解できる結果だった。

だけど、だけどだ。

同僚が新卒向けの説明会に駆り出されることになった。今回で行くのは2回目とのことだったが、自分に声がかかったことは一度もない。

昇格をして、昇格者向けの研修が入ることになった。しかしその研修予定名簿の中に自分名前はなかったし、代わりに後輩の名前が書かれていた。

周囲の才能には憧れているし、同僚に、後輩に勝てたことなんて一度もない。

だけど自分なりのプライドってものがあって、自分無能なんだって、きっと信じたくはなかった。

中高生の頃のように、自分の実力より低い場所にいたら、もしかしたら今頃周りにちやほやしてもらえていたのかもしれない。

しか大学生のあたりから、実力より高い場所でもうずっと背伸びをし続けている。

仕事を辞めるために転職活動を始めて、何がやりたいのかわからなくなった。しかし結局条件ばっかり見ていた自分は、転職先ですら背伸びしていることに気が付いてしまう。背伸びしないと生きられないはずなんかないのに、背伸びし続けることをやめられない。それはまあ、もう少し真面目に自分と向き合った転職活動をすれば良いだけの話なので、今回は置いておきたい。

まり言いたかったのは、自分より優秀な後輩たちと、自分より優秀な同僚と、どんな気持ちで接すればいいのかわからないってことだ。

多分、変に負けず嫌いなところと、変にプライドが高いところが、彼らに負けたのだと理解することを拒んでいるのだと思う。(というか負けを認めれば済む話のようにも思う)

後輩のことを、同僚のことを、すごいな、敵わないな、と思うし、一方自分にもそんな頭があったらなと妬ましく思いもする。

また自分への人事評価を、妥当だ、悪い評価じゃないしって思う自分と、どうして後輩より劣っているのだろう、どうして自分には声がかからないのだろう、と考えている自分もいる。

たぶん全部ひどいわがままで、自分客観的に見られていないだけなのだろう。

ただ、自分と同じような境遇の人たちは、後輩たちに軽々と抜かされた自分を、後輩や同僚への気持ちを、どうやって処理してるんだろうって、少し気になった。

同じような境遇だった人がいたら、教えてほしい。

2019-07-25

anond:20190725181054

男はホルモン作用によって女のことしか考えられないように出来てるんだよ。

寝ても覚めても女に欲情してるの。

から自分に都合のいい女を求めてやまない。

都合の悪い女がでてきたら、徹底的に叩く。

それは昔から一貫してるわけ。

2019-06-10

月50万と30万

月100万ぐらい貰ってるけど生きがいなんてないよ。寝ても覚めても仕事

全然楽しい仕事じゃない。毎日キツい。

休みの日は寝てる。友達はいない。ゲーム映画旅行もする気がおきない。次の仕事の準備したほうが明日自分有効だし。

別にそんな裕福な生活はしてないし月100万程度じゃ大したとこにも住めないよ。残高は減る。日々焦って稼いでる。

20万の手取り趣味なんやらを楽しんでる人がマジで理解できない。妬ましい。

月50万あったら何ができる?とか言うけど何もできないよ。

どっちもただの生活するための金でしかない。

そういう点であの広告にはすごい心打たれたんだけどなー。皆変な事言ってて悲しくなっちゃった20代だけど。

2019-05-03

anond:20190503085623

美しさでしか評価されないから、寝ても覚めても気にすることは美容のことばかり。

テレビ雑誌もあらゆるメディアが、「おんなは美しくあるべし」とメッセージを送り続ける。

こんな社会暮らしていたら、女がバカになるのは仕方ない気がするよ。

2019-05-01

オーガ・ズム・ダ・イクン

ジイン皇国にシコシコあれー


追記最近寝ても覚めても疲れが取れません。どうすればいいでしょうか。なお私の年収は300万円です。

2019-04-27

総選挙担当をまた好きになる話

やぁ同僚諸君、元気か。

俺はそこそこだ。

会社忙殺されながらもなんとかオタクしてる。

だがデレマスから見れば全然元気じゃない。

隠居というかすでに他界してるといっても過言じゃないくらいに離れてしまったよ。

ちょっと前までは寝ても覚めてもデレマスのことばっか考えてたよ。

担当だけじゃなく、その周りも、琴線に触れそうなアイドルなら軒並み触れて回ってた。

絵書いてたーとか企画打ち立てたーとかは全くしなかったけどあの時確かに生活の中心はデレマスにあった。

でも熱って冷めるものでさ、一回くすぶっちまった熱はそう簡単燃え上がらなくなっちまってた。

デレマスというコンテンツは目まぐるしい。ちょっと目を離すだけで見たこともない展開が続々と出てきて目が回っちまう。

まず曲とかを追えなくなって、ゲーム自体からも離れ始めて、気がついたら担当が新しく出た時ですら追えなくなってた。

あぁ全く、悲しい話だ。

あんなにも熱中してた担当に対して向き合うことすらできなくなってる。

担当に興味がなくなったのか?

答えはNOだ。即答できる。

今でも担当が好きだ。大好きだ。

今まで生きてきてここまで惚れ込んだ相手はいないほどに。

でもなぁ、コンテンツから距離が離れるほどに担当との距離も離れる気がして、それが申し訳なくてより向き合えなくて、また距離が離れて。

テンプレみたいなキモータムーブだ。

そうやってグズグズして完全に消え去るんだろうなって漠然と思ってた。



今日、第8回シンデレラガールズ総選挙中間発表があった。

総選挙中間2位、北条加蓮

俺の担当はそこにいた。

すげえな。

なんでそんなところにいるんだよ。

去年の総選挙が終わってからずっと加蓮P界隈が盛り上がってたのは知ってた。

TLは逐一追ってたし、加蓮Pじゃないところから加蓮Pの情報が回ってくることもあって今年こそはって気持ちが全体からひしひしと伝わってたよ。

それがちゃんと実ってるんだなって思う。同担として精力的に活動してる人たちを素直に尊敬するよ。

同担って胸張って言えるほど担当できてないけどさ

それでも、熱が灯るよ。

だって加蓮をシンデレラガールにしたいって気持ちに嘘はない

から願うよ。

加蓮にガラスの靴を履かせてやりたいってずっと思ってる。

だけどまぁ、ご存じの通り弱いオタクだ俺は

すぐ挫けるし諦めそうになる。

からこそ加蓮に惹かれるんだ。

頑張れって。頑張ろうぜって言いたいんだよ。

から加蓮。

手を引いてくれ。

きらめくステージで誰よりも輝くお前の姿をもう一度みたい。

何ができるわけじゃないんだけどさ、それでももう一度。

手の届く範囲で、ちょっと頑張って背伸びして届く範囲を広げるくらいはして頑張ろうって思うよ。

俺の大好きな北条加蓮はこんなにも光り輝くんだって精一杯伝えるよ。

俺の声は小さいか投票し続けることくらいしかできないかもしれないけど、それでも声を上げるから

なぁ加蓮。

シンデレラガール絶対諦めないからな。

2019-04-01

フリーには出来ないこと

一人じゃ大規模システムの開発は出来ないんだな…と、お客さんと話したときにふと言われた言葉に考え込んでしまう。

出来ないことは無いけど現実的じゃない。

でも、そんなに拘束されたくない。

寝ても覚めても会社のことが頭から離れず、終電で帰る方が体は辛いけど気持ちが楽になってしまい、

から来た仕事を左に流すような感覚気持ち麻痺して辞めた。

だけど、会社からできる仕事も多いのはこの立場になってわかった。

フリー同士でチームを組むのもよいし、一度はやってみたいものだ。

ルイーダの酒場いかな…

まあ、あっても隅で目立たないようにしてるとおもうけど。

2019-01-29

最近寝ても覚めてもその人のことを考えてしま

授業中も、家でごろごろしてる時も、ゲームしてる時でさえ

その人のことを考えると自然と顔がほころんでしま




そいつが立体だったら完璧だったんだけどなあ

残念ながら二次元存在だし人間じゃないんだよなあ……

2019-01-22

人生仕切り直したい

24男子大学院生修論もほぼ書けてもうすぐ卒業内定もある。学歴初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。

高校までは田舎優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログ運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。

大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミング入門書とか買って自分勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitter自分勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分プログラミング勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。

大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクト過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitter井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。

大学3年目、自信を失ったなりに必死勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。

大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。

年が明けて1月卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルiPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。

大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国学会論文を通す必要があって、1本目の論文技術的にも精神的にも指導教員依存していた自覚があったから、次のテーマ自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間たっぷり使って自力研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。

翌年2月下宿クローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いかしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。

大学院2年目の5月自力学振申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望でっち上げた。内心、その研究面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員コメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。

8月、ようやく研究が形になってきて指導教員ミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単ミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針説明するのは初めてだった。自分メモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究改善する方針提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。

8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。

10月、指導教員ミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月わずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸ギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社内定と同じくらいの時期に、学振内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。

そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるもの出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。

社会に出て働くわけだし、流石に関連技術勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。

2018-12-18

78.5kg/23.8%だったおっさんが5ヶ月で61.8kg/12.7%までダイエットした

2018年7月11日から12月7日までの5ヶ月間ダイエットしました。と言いつつ稼働は実質4ヶ月だったんですが、最後の30日も地味に減ったので観察期間と銘打って期間に含めることにしました。今のところリバウンドしてません。

ダイエット方法

無難食事制限運動の両方をしました。

食事制限カロリー制限糖質制限運動筋トレジョギングです。

これらをほぼ毎日やりました。ほぼ、と言うのはダイエット方法を調べながらやったため、メニューグラデーションがあるからです。具体的には最初の1ヶ月は筋トレをやっていませんし、最初半月ほどはタンパク質を厳密に計測してません。あと手抜きも許していたので、歩くだけの日とかもありました。

ぶっちゃけしんどかったです。終わってみると大してしんどくなかったようにも思うし、日々やってる最中も同様の感想だったのですが、時折、猛烈にやめたくなるタイミングがありました。

ジョギングに加えて筋トレを始めた2ヶ月目の序盤が特にキツくて、自分としては頑張ってるのに体重体脂肪ともに変動しない(下手したら増えてる)日が続き、夏で暑かったのもあって、何やってんだろうなー、と夕方ジョギングロードで棒立ちになりそうになったのを覚えてます

4ヶ月はやると決めていたのもあって、やめる選択肢はなかったんですが、何が一番つらかったか振り返ると、「頑張ってるのに結果がでない」ことだったのかなという気がします。

なおノージムノートレーナー、ノープロテインで通しました。

絶対そうすると決めていたわけではなく、逆に室内シューズプロテインは買うところまで行ったんですが、最後まで使わずじまいでした。

ちゃんとしたダイエットが初めてで、それぞれ選択肢に入ったのが終盤だったこともあり、行こう飲もうと思ってるうちに目標に到達してまあいいやとなってしまった感じです。

7月に戻って改めてダイエットするとしたらトレーナーはともかくジムには行くと思います。その方が早く痩せたり、効率的筋肉をつけたりすることができると思うからです。家だと自重トレがメインになると思いますが、ジムに比べるとできることが限られるんですよね。筋肉への負荷もかけにくく効率性では劣るように思います

続ければ必ず痩せる

痩せるよう設計されたメニューをこなしてる限り必ず痩せる、というのが得られた最も大きな知見です。なんかトートロジーっぽいですが。

ダイエットを始めたころ、ボディービルダーの方が筋トレ解説をしているyoutubeチャンネルをよく見てたのですが、その方が「消費カロリー摂取カロリーを続けている以上、必ず痩せる」と断言されていて、その言葉が今回のダイエットの柱になりました。

脂肪を1kg減らすには7000kcalの消費が必要と言われており、消費>摂取で1日1000kcal減らすと1ヶ月で4kg、4ヶ月で16kg、すると私の場合62kgぐらいになりだいたい目標体重です。

その後、早い段階で糖質制限を取り入れると決めたため、指標としてのカロリー重要度は下がったのですが、4ヶ月は続けるという考えはここからまれものでした。

メニューテンプレ化すると続けられる

続ければ痩せることぐらい分かってるけど続けらんないんだよ! という方は多いと思います

個人的ポイントだったのは「不安最初にぬぐう」と「メニューテンプレ化する」のふたつです。

今回、ちゃんとしたダイエットが初ということもあって正しい方法が分からない、という不安はけっこう強かったです。本を読んでもネットを見ても本当に色々な方法が紹介されています。私はカロリー制限からスタートしたものの、摂取カロリー基礎代謝を下回ると筋肉を分解してアミノ酸として消費してしまうから糖質制限ダイエットの方がいいというような書き込みがあったり、逆に糖質制限ダイエットをやりすぎるとカタボリック状態になって筋肉エネルギーとして消費するから注意が必要という話があったりで様々でした(けっきょくダイエットをする以上、筋肉は落ちるという理解に落ち着きました。筋肉はつねに合成と分解を繰り返しており、分解を上回るように合成をしないと筋肉量は減ります。つまり痩せながら筋肉量を増やすのは無理で、ダイエット中にできるのはなるべく筋肉を落とさないように痩せるのが限界……という感じです。正しくなかったらすみません)。

なので調べるだけ調べて具体的な達成目標に置き換え、あとは逆に考えないようにして食事運動メニューを組みました。

具体的な達成目標というのは上述した1日の糖質摂取を50~100gにし、代わりにタンパク質を100~120gぐらい摂るといったアレです。

パッケージに書いてある成分表やカロリー計算サイトに載ってる情報を元に、朝昼夜ごとに3バリエーションずつぐらい食事メニューをもうけ、それを摂り続けることで前述の数字クリアしていきました。

糖質タンパク質を気にしながらメニュー毎日かんがえるとか無理ですけど、同じメニューをひたすら繰り返すだけなら出来ました。なんならスーパールートが楽になって買い物時間が減るまであります

朝はシーチキンを1缶使った卵焼きサラダ100gと豆乳200ml、昼はサラダチキンとサラダ100gと野菜ジュース200mlと豆乳200nlとか、夜はブロッコリー1房ゆでたやつにカレーと卵と豆乳200mlとかそんな感じです。

書き出してみると非常に質素メニューですね。食べられればオッケー派なので、このあたりのハードルは低かったです。白米が好きなのでそれを切らざるを得なかったのは辛かったですが、お茶碗1杯で糖質55gとか見るとンなこと言ってる場合じゃねえ! となりました。数字ベースで見るようになると優先順位を容易に変えられるのが良かったです。

間中もっともお世話になった食材はなんといっても大豆です。豆乳豆腐納豆、そしておから

糖質制限で困ったのはとにかくう○こが出なくなることでした。1週間近く出る気配がまったくないみたいなことになり、これはイカンと調べた結果、食物繊維を摂るのがイイらしいという情報を得ました。何を食べれば効率的に摂れるか検討した結果、おからが圧倒的に優秀でした。ただ単体では食べられないし、継続性を考えると手軽さが重要だったのでヨーグルトに混ぜて食べることにしました。これは大当たりで、すぐに問題解決につながりました。下す感じじゃなく固形ブツが出るのも良かったです。

ちなみにもし真似をしようという人がいたらヨーグルトはちみつの入った甘いやつにしてください。うっかりプレーンに混ぜたらこの世の地獄を見ることになります

あと豆乳は『のむ大豆』がおすすめです。200ml(コップ1杯)でタンパク質12gも摂れる豆乳は私の知る限りこれだけです。どろり濃厚なのどごしは人を選ぶかもしれません。

運動も、食事と同じようにメニューを決めて、それをひたすら繰り返しました。

運動食事以上に全く知識がなかったので、筋トレは大きい筋肉から鍛えるとか、複数筋肉を同時に鍛えるとか、筋肉48時間は休ませるとか、だいたいどの本でも言ってることは即メニューに取り入れました。

自重トレだったので、腕立て・腹筋・スクワットがメインでした(レッグカールとかレッグエクステンションとかバックエクステンションとかベンチディップスとかダンベフライとかもやりましたが)。

筋トレ動画を見ると、トレーナーの方は「いか筋肉を追い込むか」ということを力説してるような気がします。この感覚は長らく分からなかったんですが、SNSでも話題になったNHKの『みんなで筋肉体操』でも紹介されていたブルガリアスクワットをやったときになんとなく分かるようになった気がします。

下半身筋トレの日は『みんなで筋肉体操』のスクワットを3セットやってたんですが、3セット目になるとほんと脚がパンパンになってめちゃくちゃキツイ感じになったんですよね。でもなんかギリギリやれるみたいな塩梅で、「もう無理!」と言いながら「もう1回!」がギリ可能で、これが追い込んでる感じなのかなーと。違うかもしれませんが。

ジョギングもそうですが、この頑張りきった感じを体感できると、トレーニングに対する満足感が出るので、そういうメニューを組むのは心理的重要だと感じました。

あと上とは真逆かもしれませんが、「自分に甘える」ことは個人的重要でした。

疲れ切って帰ってくると今日はほんと何もする気ねー、筋トレジョギングもしたくないし、ブロッコリーだってゆがきたくねーということがけっこうあったんですよね。そういう日はただ歩くだけ、夜ごはんサラダチキンと豆乳野菜ジュースで済ませる、ということを許容しました。

とにかく1日でも途切れさせるとなんだかんだ言い訳つけて止めそうだという恐怖は常にあったんですよね。なのでとにかく毎日続けてるという状況をつくることを最優先しました。極論メニューは問わない。メニューはショボショボだけどダイエット継続中だと自分に言い張れるようにしました。

結果、150(120)日のダイエットを完走しました。

結果

1ヶ月毎の体重体脂肪の推移を記載します。

  • 0日め:78.5kg/23.6%
  • 30日め:73.7kg(-4.8kg)/20.5%(-3.1%
  • 60日め:71.3kg(-2.4kg)/18.3%(-2.2%)
  • 90日め:67.3kg(-4.0kg)/16.5%(-1.8%)
  • 120日め:64.2kg(-3.1kg)/13.7%(-2.8%)※ここで食事制限運動ともに停止
  • 150日め:61.8kg(-2.4kg)/12.7%(-1.0%)

一番がんばってたのは30~90日めだったんですけど、停滞期もあったので思ったほど痩せてません。思うに↘みたいには落ちないんですね。→→↓↓→→みたいな。停滞期が来ても知らん顔して継続することが大事だと思います

思うにダイエットが続いたのは

  • やる気があるうちに色々調べた

自分の中の情報量を爆発的に増やすのは大事だなーと思いました。色々調べまくった結果、最初の1ヶ月ぐらいは寝ても覚めてもダイエットのことばかり考えてました。情報量を増やすと同時にモチベも上がるので取り組むこと自体が楽しくなります

でもそのモチベは1ヶ月で切れました。

モチベが切れた後もやり続けられたのはメニューを組んであったからだと思います。何も考えずにただひたすら同じことをやり続けました。日々、微動だにしない体重計にストレスもありましたが、思考停止してやり続けました。

う○こが出ないといった解決すべき問題だけ調べて方策を練りました。むしろそういう時はモチベが上がりました。

どうしてもやりたくない時は極限までゆるいメニューで許容したのも良かったと思います。歩くだけ、サラダチキンかじるだけ、野菜ジュース飲むだけ。サボってしまうと自分との約束を破った、負けた、という気持ちになってずるずるいきそうだったので。

ダイエット毎日継続中という旗を掲げられるのは、続ける上で大きな意味があったと思います

感想

やれば出来るんだなー、というのが素直な感想です。

始めたのも必要に迫られてとかではなく、単に朝早く目が覚めて散歩する日がたまたま続いて、どうせ歩くならダイエットでもしてみるか、ぐらいの気持ちでした。もちろんたるんだ腹をなんとかしたいという気持ちは心の片隅にずっとありましたが、この機会にどうにかしてやろう! みたいな気合いはなかったです。というか無理だと思ってました。ゆるく始めたのが良かったかもしれません。

心残りは腹を割れなかったことです。調べていくと人間の腹筋は基本的割れていて、脂肪邪魔で見えないだけ、らしいです。なのでダイエットが終わるころには軽く割れてるかなと淡い期待を抱いていましたが、けっきょく全く割れてません。まだぷよぷよしてます12%程度じゃダメということですね。次回は筋トレがんばってシックスパック目指したいと思います(言うだけでやらないパターン)。

2018-11-25

いち「松原早耶P」の、人様に言えない本音

モバマスSSでは荒らし扱いとして扱われる」

Google検索すると、Googleサジェストにて、酷い言葉が現れる」

掲示板で貼っつけられる彼女画像に、薄っすらと酷い言葉が埋め込まれている」

そのような酷い扱いをされてきた、松原早耶。

これにどれだけ心が折れ、どれだけ腹がたったか

自分だってこんなことは書きたくない。

けど、書かなくちゃいけない。

何故なら、来年こそ彼女シンデレラガールにしたいかである

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2018年総選挙掲示板にて早耶のポスターに酷い言葉が書かれている事件があった。

それをまとめサイトで知ったときショックを受けたが、当時の自分は「どんな形であれ、早耶のことを話題にしてくれればいい...」ということで、自分精神を安定していた。

実際、同情の形ではあったが、早耶に票を入れてくれた人がいたから、複雑な気持ちながらも、受け入れていた。

今考えてみれば、担当として酷いことをしたと猛反省している。

ただ、心の中で諦めの心があったのが正直な感想である

からこそ、このモヤモヤ/イライラを閉じ込めていた。

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しかモバマスSRを皮切りに、最近早耶のことが好きな人、そして担当が増えてきているのを感じている。

実際、大体暇な時Twitteで早耶について検索しているが、早耶の話題が増えているのが確認できる。

それ故に、今自分の中には「今年/来年は早耶が躍進する、絶対に躍進できる」と確信している。

去年みたいに、消極的かつ悲観的な自分はいない。

寝ても覚めても仕事中でも「どうしたら早耶のことを知ってもらえるか」「女性人気が高いから、普段使いできる早耶のグッズを作るのもいいだろう」「早耶は好きになるハードルが低いから、他のアイドルと絡みやすいよな」と、常に考えている。

例年通りだと、来年総選挙4月中旬〜5月上旬になるだろう。

この年、松原早耶を本気で応援し、本気で彼女のことを知ってもらい、同情で票を貰うということは絶対にされたくない。

早耶のことを知らない人に、ほんの少しだけでもいいから知ってもらいたい。

もう彼女、そして担当Pが悲しむような出来事は起こりたくない。

そして、本気で「松原早耶」をシンデレラガール、そしてボイスを付けさせたい。

そんな決意のもと、早耶のことを全力で応援させて頂く、そんな所存である

2018-11-08

宇宙兄弟福田さん

寝ても覚めても宇宙のことばかりで生きてきて嫁に馬鹿にされながら悔しい日々過ごしてた

俺はあの人が1番共感したんだわ

2018-11-06

今日も女は

上昇婚気質シンデレラ願望も捨ててないしルッキズムの極地みたいな女向けがなんだって

ていうか女自身女向け漫画から離れまくってるんですけど

2018-10-08

寝ても覚めてもエロいこと

26歳。一日中エロいことを考えている。中学生の時よりも性欲がすごい。

堕落した生活の中で、何度もオナニーしてしまう。あー

2018-10-04

二次元への恋

特定キャラが好きということでもない。

強いて言うならその週に出てきて活躍したキャラが好き。全員好き。選べない。

もう作品自体が好きすぎてダメ

演出音楽など含めて全てが最高すぎてしんどい

寝ても覚めてもその作品のこと考えすぎて、公式だけじゃ足りなくて二次創作なんでもいいから片っ端から読んで、

最終的には自分二次創作するようにすらなって、

それでも好きすぎて落ち着かない。

もうこれは恋なのでは?

2018-09-24

工業高専から博士課程までまわり男ばっかりで同性の友人がまるでいた試しがないので同年代の女たちと果てしなく感覚がずれてる気しかしなくて、娑婆に出るのがめっちゃこわい

もういい歳だし数年くらい彼氏いないし、ていうか寝ても覚めても研究のことばっかり考えなきゃおっつかなくて浮ついた話してる場合じゃなくて

あーこれ私生活かなり詰んでるんじゃね???って思うんだけどどうしたらいいんだ、どうしようもないか増田に書き殴ってるんだけど

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