はてなキーワード: ロッカーとは
荷物の発送や受け取りができる集合ロッカー。各ロッカーにひとつずつしか荷物を収容できないため、駅のコインロッカーが埋まるように、マンションの宅配ボックスが埋まるように、利用者が多ければ空いてないこともある。PUDO受け取りだが空きがなかった場合、不在と同じ扱いになる。
フリマアプリ「メルカリ」では「ゆうゆうメルカリ便(郵便)」と「らくらくメルカリ便(ヤマト運輸)」という発送サービスを用意している。ゆうゆうメルカリ便は郵便局・ローソンで、らくらくメルカリ便はヤマトの営業所・セブンイレブン・PUDOステーション等で発送できる。A4サイズ以下の荷物はそれぞれ「ゆうパケット」「ネコポス」として扱われている。
10/1正午に購入処理が行われた分からメルカリ便の料金が変わると発表があった。
改定前→後 | |
ゆうパケット | 175円→200円 |
ネコポス | 195円→175円 |
これは今まで料金が安いからという理由でゆうパケットを利用していた層が、一斉にネコポスに切り替える可能性を示唆するものである。ヤマトの営業所や対応コンビニそしてPUDOステーションの利用が増えるであろうことは想像に難くない。結果、PUDOステーションでの受け取りに支障をきたす恐れがある。
今夏、メルカリでは「メルカリポスト」の運用を開始した。一部のローソン等に設置され2月から運用が始まっている「スマリ」のらくらくメルカリ便バージョンといったところである。発送専用のスマリ・メルカリポストは大きなボックスに投函口がついたタイプで、とくにA4サイズ以下の荷物であれば数を気にせず扱えるという利点がある。しかしながら、私がこの記事を書いている2020/9/10現在、たった9か所しか設置されていない(https://www.mercari.com/jp/help_center/article/981/)。コロナで設置が遅れたのかもしれないとはいえ、10月の料金改定までに多少は増えるのだろうか? PUDOステーションは5000か所以上あるんだよね。追いつくまでにどれくらいかかるか分かんないな。
Q.備えるって具体的には?
A.再配達になってもがっかりしないとか、コンビニ受け取りを指定するとか。
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Q.メルカリとか使ってて恥ずかしくないの?
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A.メルカリ便だと匿名配送ができる。個人的には送り先の住所を書かなくていいのがものすごく楽だから匿名じゃなくてもメルカリ便使う。
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Q.コンビニや営業所でも発送できるのにPUDOステーションばかり混むの?
A.コンビニや営業所も混むようになると思うけど、店舗だと一時預かり最大n個みたいな制限はないから影響は少ないかと。小さい荷物でもロッカー1個埋めちゃうのは同じってところが肝なので。私はスマリでレジを通らない楽さを知ってしまったので、店舗よりPUDOステーションを使いたいと思ってる。
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Q.都会民め!
A.スマリがないエリアにもPUDOステーションはあるから使ってみてな。
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A.10/1よりネコポスで扱える厚さは最大2.5cmから最大3cmになり、ゆうパケットの最大3cmと同じになりました。つまりゆうパケットで発送していたそのままにネコポスで発送できるようになりました。だからネコポスに流れるであろうということ。
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Q.ヤマトは大変になるな。
A.それな。去年ゆうパケットプラスが始まって宅急便コンパクトの一部が流れたはずで、その分くらいはバッファあったのかもだけど、その後コロナ需要が爆発してるだろうしね。
月末になると死ぬほどクッッッソ眠い日が1〜2日。身体中が下半身にかかりっきりになり、抵抗力はハハコモリvsファイヤーレベルの紙耐久に。特に理由のない鼻水が無限に出てくるようになる。喋るだけで出てくる。黙ってても出てくる。この段階では風邪との区別がつかない。仕事に支障が出るため鼻炎薬を半分量だけ服用、それでも効果は絶大で頭はぼんやり、工場勤務だったら機械の操作は絶対任せらんないなと思いつつそろそろ来やがったなと察したあたりで斥候の滴りがユニクロのシームレスショーツに痕跡を残し、その翌日からは三社祭もかくやの大騒動たる地獄の数日間が幕を開ける。
斥候の到来を1日目と数え、明けて2日目が最も重い。バファリンのお世話になるのは3日目まで、あとはごく軽いが忘れた頃にダメ押しの出血が来てナプキンを外したばかりの下着にシミを作って一矢報いた感じになって(誰にだよ)終わる。激烈に眠い日から数えて約7〜10日間の戦いである。毎月これの繰り返しだ。
今回のサバイバルはこの2日目に起きた。当日の装備は以下の通り。
・最強夜用ナプキン
…防御力極振りでオムツかな?という見た目になる。スリムタイプでもいいんだがモレを防ぐならふんわりタイプ一択(モレないとは言ってない)。
股間が蒸れて痒くなるが背に腹は変えられない。フェミニーナ軟膏で騙し騙し乗り切る。
・パンツ
愛用してるのはユニクロのシームレスショーツ。痛む下腹部の負担をいかに軽減するかが大事。どうせ汚れるから回転数重視でサニタリー用とかは使わない。
・スパッツ
お腹を締め付けない、冷やさない、モレた時の防御壁として装備。腹をすっぽり覆えるタイプがいい。
・ズボン
エプロンさえつけてれば服装は自由なので、Tシャツに半ズボン、生足にクロックスの完全フリースタイル。見た目はマジで夏休みの田舎の中学生。虫取り誘われたら行くわってレベル。
ロキソニンじゃないだけマシ。どこででも安くで手に入る。痛みは遠のくが感じないだけで身体はつらい。調子乗って働くと薬切れた途端倒れるのでいつも自戒してる。
・替えのナプキン
2個。休憩中に1回、後半途中で1回替える。ぎゃんかわポーチに入れれば気分も上がるがすべてズボンのポケットに捻じ込むので省スペースのため最近は剥き身で入れてる。落としたら黙って拾う。
いざ出勤である。
電車ではなるべく座らない。いつ(下半身が)事故るか分かったもんじゃないからだ。
こういう時は却ってデスクワークではないことがありがたい。当方、降りかかる案件を千切っては投げながら走り回るタイプの接客系立ち仕事フレンズである。
今日も出だしは順調であった。幸い、盆明けで来客は少ない。細かい作業を進めつつ、秘密裏にだらだら零れる経血をふわふわナプキンが吸収してくれる感触を全身に感じながら客を案内し捌いていく。
喋りつつ、PCを操作しつつ、客に笑顔を向けつつ自分の体内からどろっと血の塊が流出する。痛みはないけど不快感は常にMAX。どろどろびゅるびゅる、文字に起こすとエロ漫画みたいだけどクソくらえよ。最悪だよ。こんな状況で働くとか狂ってんのかよ。
異変は休憩前、パンツと股の境目に乾いたベタつきを確認したところからだ。しかも新鮮である。あ、これ…と察して仕事を巻き上げ、フライング気味に休憩に突入。
社員食堂に行く前にトイレに駆け込み被害状況を確認。毎度そうなんだが、自分でもびっくりするほど経血が出てる。ナプキンは端から端まで一面真っ赤だ。
小学校の時授業で「一日あたりの経血は多くてもスプーン2杯」とか言われたけどあれ絶対ウソだろ。6杯分は出てるぞ。なんなら計ってやろうかクソ野郎。
ほんと初経の頃から思ってるんだけど、夜は別としてモレの95%ってナプキンの全長云々じゃ防げないんだよね。漏れるのはいつも股の間から太腿の内側。ここに漏れ伝って股と内ももは血でべったり、獲物を喰らったライオンの口みたいになってる。もうナプキンってパンツに収納する概念から抜け出さないと無理だよ。なんで変わらないんだよ。
当然スパッツなんて子猫の前の障子同様、防ぎようもなく染み込んで貫通した経血でべったり。うん、分かってた。
被害状況は半ズボンにも及び、傍目からはほぼ分からんが確実に赤黒いシミ。やっちまったな…と思いつつ狭いトイレで下を全部脱ぐ。フックが全然ないのでパンツとスパッツを左手に、ズボンは口に咥える。水道でポケットティッシュを濡らして股間を拭くのが理想だけど水に溶けるタイプじゃないとトイレに流せないし、そもそも手洗い管がタンクに内蔵されてるタイプなので手元に綺麗な水は無い。ハンドタオルはエプロンのポケットに入れなきゃだし汗を拭いたりもするので下手に濡らせない。トイレットペーパーに唾を染み込ませて股間を拭う。気休め程度。
血の染みたパンツ部分を覆うように位置を調整しながらナプキンを交換、スパッツを洗う余裕はないので前後を逆にして履く。ズボンのシミはシャツで隠れる。ちゃんとゆっるいズボンを選んでいるので肌に触れる部分も少ない。このまま何食わぬ顔で社員食堂へ、メシの後バファリンを飲んで後半戦に突入。
後半は閉店時刻に向けて動きが加速する。サビ残上等の会社だが、私は定時上がり厳守。定時内に仕事納めるのけっこう大変なんだよね。1.8倍で動き回ってやっとこさ収まる感じ。ぶっちゃけやろうと思えばできるもんだな、というのが実感なのだが。
引き続き通常業務を遂行しつつ予想だにしない案件をこなしたり投げ捨てたりしていたらふと気付く。強烈な違和感。
ズボンにさっきは無かったデカいシミがある。客に尻を向けられる状態じゃないことに気付き顔面蒼白。ちょっとトイレへ、おほほほほ、とおしとやかに宣言してカニ歩きでトイレへダッシュ。
ヤバイ。完全にアウト。Tシャツなんかで隠せないほどモレてた。基本的に立ち仕事だが、小一時間前に少しだけPC作業で椅子に座った。わずか20分足らず。絶対にその時だ。
天を仰いだところでどうしようもない。定時まであと1時間半、来客はほとんど無いが、私の大惨事に気付いたスタッフはいたかも知れない。言い出せないよなぁこれは…。
この惨状が休憩前に起きた場合、時間内に全力疾走でギリギリ行って帰ってこられる距離にユニクロや衣料品店がある。そこで下着とズボンを買って一新することもできるが(その場合は飯抜き)今回はそうもいかない。
最終手段である。ズボンを後ろ前に履き直す。超テキトーなズボンなのでデザイン的に違和感はない。後ろ手でホックを留める。べったりなシミをエプロンで隠し、降伏した時の新城直衛(皇国の守護者ね)みたいな堂々とした立ち振る舞いで仕事場に戻る。
そのまま定時まで駆け抜けた。
終業後にやってるのはドンキくらいだが、そこでいろいろ買い込んで駅のトイレでキレイにして……とか考えてるヒマがあったら一刻も家に早く帰りたい。エプロンなきあと、ズボンのシミはカバンを前に抱え続けることで隠した。そろそろ薬が切れる頃なので帰りの電車は死ぬほど座りたかったけど、カバンで前を隠し、ドアのそばに寄りかかって後ろを隠して40分の帰路を耐え抜く。頭も身体もへろへろ。
帰宅後はトイレと風呂場に直行して全部洗う。くたびれた。本当にくたびれたよ。
……というのは日常茶飯事である。私にとって生理とはこういうものなのだ。いくら対策を練っても勝つことのない、負けつつ共存するしかない隣人なのだ。
もう次からはあれだな、保育園児よろしく「(経血)おもらしセット」を会社のロッカーに揃えておくしかないな。水に流せるウェットティッシュも一緒に。
以上の記録は、生理の実質期間は3日程度、PMSもなく、周期も安定したイージーモードなフレンズのサバイバルである。
しかも靴も服装も自由、不潔じゃなければ化粧すらしなくていい私の職場での体験である。
かわいいお洋服とちゃんとしたお化粧をマナーとされている女の人たち、もっと行動の制限があるところで働く女の人たち、よりジェンダーロールが強い場であればあるほど、そして生理とそれにまつわる諸症状が重い人であればあるほどその苦労は想像を絶する。
やってらんねえよなこんなの。
韓国のCMじゃないけど、ほんと輝けるわけねえよ下半身血みどろでなんてよ。
子供を産む準備ってのは知ってるよ。ぷにぷにでふかふかだよね経血。赤ちゃんのベッドっていうのはなんかいいよね。現象自体への嫌悪はないよ。
でもそれと働かなきゃってのは全く別レイヤーだ。勘弁してほしいのは、どろどろの不快感と通常通り要求される仕事が並行していることだ。
まあ具体的に労われって言いたいわけでも男性側や雇用側に何かを要求したいわけでもない。ただ私の場合はこうだ、ってのを吐き出したかっただけだ。
でもまぁ、休みてえよ。
休ませてくれよ。
別に休暇とかじゃなくて、デスクワークだろうと接客だろうとゆっくり働ける仕組みがほしいよ。
生理が重い人も軽い人も、月一で訪れるこういうドタバタや不調と相談しながら無理なく働ける社会であってほしい。
ユニクロのシームレスショーツほんと良いよ。薄い布地だから一瞬で経血落ちるし乾きも早い。何より締め付けがなくて一度履くと戻れないぞ!
おわり
風の噂で、高校時代の知人(というよりは心の距離が近かったと思うが、今はやや疎遠なので知人でいいだろう)が離婚すると聞いた。
本人からの報告ではなく伝聞によるものだが、離婚の理由をまとめると「ライフスタイルの不一致」というやつらしい。
血の繋がらない他人が一つ屋根の下に住む以上我慢することも多々あるのは当然なので、結婚してから今まで上手くやり過ごしてきたという。
一日中同じ家に篭もるようになり、知人の積もった我慢が爆発。離婚するに至った。ということである。
で、知人が爆発した理由というのが「配偶者が汚部屋で過ごしても何ら問題のないタイプだったため、何度言っても掃除をせず散らかしっぱなし。知人は綺麗好きだったが、自分だけが掃除をし続けるのに我慢ならなくなった」というものだった。
その理由を聞いて、私は意外に思った。
「え、アイツ綺麗好きだったの?」と。
知人の方が汚部屋側の人間かと思っていたから、二回くらい聞き返した。それでも綺麗好きなのは知人で間違いないらしい。
ではなぜ知人が汚部屋側だと思っていたかというと、(学校で用意してもらう個人のロッカーがそれほど綺麗でもなかったとかの理由もあるが)私は彼女に、ラノベを借りパクされているからだった。
四刊完結くらいの長さのラノベで、別の友人に貸していたものが返ってきたところ「私もそのラノベ気になってたから読ませて?」と知人に言われて二冊貸したのだ。以前からそういったやりとりはしていたし。
ラノベの感想を早く聞きたくもあったが、読書速度は人によるので、うずうずしつつも貸した一週間後くらいにせっついてみた。
返事は「うーん、忙しくてまだ読み途中」
モヤモヤしつつも考査や短期休暇を挟んで、流石にもう読めただろうとまたせっついてみれば「ごめん、まだ」
「じゃあそろそろ返してもらっていい?」
「明日持ってくる」
と返事はされたが、次の日に返ってくることはなかった。
今だったらそこまで粘らなかっただろうが、高校生にとってラノベ二冊分の金額はそこそこ大きくて、何度も返してもらうようにせっついた。
それでもあまりしつこく言いたくなかったから、三日後、とか一週間後、とか期間を置きつつ言った。返ってこなかった。
「私の本、どこにあるの?」と聞いても
「部屋のどこかにあると思う」みたいな返事ばかりだった。
知人の家は遠くて、そこまで取りに行くことはできない。
だから言った。言っても待っても本は返ってこなかった。
永遠に「返して」と言い続けて食い下がって喧嘩するほどに愛読していたシリーズではなかったから、途中で本は諦めた。
(それ以外の部分では馬が合ったので、卒業まで仲良く付き合っていた。修学旅行も一緒のグループだったので、私だけが勝手に仲が良いと思っていたわけではないと信じたい。
ちなみに現在関係が疎遠なのは、私が県外に進学しやりとりが減ってしまったからなので、借りパクの件とはあまり関係がない)
私の本は、知人の本棚の奥底に沈んだんだか又貸しされたんだか売られたんだか紛失されたんだか知る由もないが、知人の理由を信じて「本が見つからないくらい部屋が汚いんだろうなー、だらしないなー」と思っていた。
買い直して返す、とか本の代金を返す、とかの代替案が出なかったのも「だらしないなー」であった。知人の誠意で言ってほしかったので、私からは言い出さなかった。
お菓子やジュースを奢りあっていたので、本二冊くらいの金額は返ってきていたのかもしれないが、「本の代わり」としては未だに返ってきていない。
という訳で、知人の「綺麗好きなので離婚」という話の感想が「わかるーーーー!こっちは綺麗好きなのに向こうがそうでないと辛いよね」とかではなく「どの口が言ってんの?!」であった。
別に今更、ラノベ二冊分の損失で「離婚wwwwwwざまぁwwwwwww」とは思わないが、心にはずっと800円の杭が刺さったままで、「ああ……うん……」みたいな気持ちでいる。
常に、瞠目してバックから入らないと自分の固さを保てない人たちの雄叫びが聴こえて仕方がない。
彼らは萎えている。口抜きされること中折れすること怖いんだ。本当の自分の種を射出するのが。
だから、太さもないのにLサイズで性器の大なるを装い脱落を起こす。
一度、B専やケモナーになってしまえば自分は享受する側になれるからだ。
自分は安全な銭湯にいて何か目立ったデカチンをする人がいれば脚にロッカーの鍵というサインを被り、多数で液やローションをぶっかけて雄らしいヒーロー面して気持ち良くなっている
そして絶頂となれば、果てるんだ。
卑猥な奴らだよ。
発展で見ず知らずの人に面と向かって言えないようなブツを平気で叩き込む。そのくせリアルでは良い人ぶってんだよ。気持ちイイッ。自分の欲求の為に他人を餌にしてるんだ。
とにかく雄!雄!雄!
息苦しい、何言っても雄!する
角度を変え、心太だの数珠繋ぎだのくそみそだのイキなり陰茎だのヤラセろだのクマ男だの雄っぱいだの低身長フェチだの114514だのたいこおばさんだの。そうやって卑猥用語作って自分はいきり立つんだぞって安心していいんだよ。
ヤリテェなーー。それって自分の首をしめてること分からないかな?
自分でイき方を選んで楽しく過ごせればそれでいいんだ
どんな生き方したっていいよ。
ただ他人の足は引っ張るなよ。
それに対して個人のロッカーを駅などに借りずに、会社のロッカーや机の脇を使っている場合管理責任としてあなたではなく会社にクレームを入れる権利が保健所に生まれる。あなたはかんけいない。
会社に管理ができていないと、保健所が会社の管理職に処罰する権利がある。貴方を処罰したり指導したりする権利は保健所にはないから安心していいよ。という話。
人に興味ないよねとよく言われることが多かった。確かに人の名前は覚えられないし、学生の頃話題になりがちな誰と誰が付き合っているだとか全くわからなかったし興味もわかなかった。
あるときふと気づく。確かに私は人のことをあまり覚えられない。でも大切にする人は大切にしていると最近気付いた。人に興味のない人の言い訳のテンプレートのようなものだけど、これが事実でほとんどの人に興味はなく、興味の大きさがクソデカ感情しかない人間だったらしい。
そんな私の3つのリアルクソデカ感情とその相手について話そうと思う。
不思議というか破天荒というか突拍子もない行動をするというか、世間的には問題児でしかないような彼女。なにか問題起こしてもまぁ彼女ならしかたないよねという風潮まであった。タバコを吸うとかそういう問題ではなく、体育祭で日傘をさしていたり、人間が入れないはずの小さいロッカーから飛び出てきたり、入学式そうそう他クラスまで殴り込みにいき、名前なんていうの?って聞いて回るような変人。しかも一回みたひとの顔と名前は絶対に忘れないという変人オブ変人だった。
そんな変人で、すらりとしていて、いつも飄々としていた彼女が美しいとしいと思ったのだ。恋愛的な意味ではなく、なんといえばいいのかわからないけど、毎日彼女がかわいくて仕方がなく、「おはよう、今日もかわいいね○○さん」と挨拶のように言っていた。かわいいね、好きだよと毎日言っていた。女の子同士のじゃれあいのような感じではなく、かといって恋愛的に好きなわけでもないのに、私はほぼ真顔で毎日伝えていた。私自身それがクソデカ感情だとよくわかっていなかったからである。彼女ほどではないが、彼女に限らず、女の子がかわいくなったら、なにも考えず本心で「かわいくなったね」とか「美人になったね」と真顔で言っていたし、男の子にもまた「なんかかっこよくなったな」ということもあった。そのときは大抵ドン引きされるか「でっしょーーやっぱり私超美人だからさーーww」と茶化されることばかりだった。それが当たり前だとは思う。
引かれてもおかしくないような挨拶を毎日していたけれど、何故か彼女はいつも普通の顔をして「おはよ」といっていた。
学校を卒業して一年後あったときに流石にクソデカ感情抑えようと以前の挨拶をしなかったら、「もう私のこと好きじゃないの?」ときょとんとした顔で聞かれた。流石に沸いた。何故かわからないけど彼女は私のクソデカ感情を、こいつはそういうもんだと思って受け止めてくれていたのだ。ありがたい。
部活動で私とふたりセットにされる男の子がいた。ふたりとも他の部員より積極的に活動していたからか、この学年だとこのふたりだよねといわれるようなセット。
彼は意図も言わずに理解できないような無理難題を急に言い出して、私に押し付ける。不思議なことにそのどれもが成功し、私に押し付けた無理難題は確実に意味のあるものだった。
最初は彼のことが恋愛的に好きだったのかもしれないけれど気づいたら、恋愛なんてなにもなく、崇拝していた。彼のやることなら絶対に成功する。彼の思い描いた思想を叶えることが楽しくて楽しくてしかたなかった。相棒のように頼り、頼られることがなにより嬉しかった(振り回されてばかりだったわけではなく、こちらからもかなり頼っていた)。部活動で死ぬことはないと言えど、不思議なことに彼のためなら死んでいいなと本気で思っていた。
ここにきてやっと、もしかしてちょっと重いかとしれない?と思うようになったこと、またもともと恋愛的に好きだった疑惑もあいまり、クソデカ感情をぶつけるのは流石にアカンなと思うことができたらしい。しかし隠せないのがクソデカ感情というもので、疲れているときに無理難題を言われると、「君のいうことは必ずいい方向に向かうし私は君のためならなんだってやりますよ」とか言ってしまっていた。何度か言ってしまったことがあり、スルーされたり苦い顔をされたした。本当に申し訳なかったと思う。
遠い昔「クラスも部活も一緒なわけでもないし仲良いけど、二番目なんだよなー」とある女の子に言われた。他意はなかったのだろう。放課後とか休み時間によく遊びはするけれど、お互いの家に言ったこともないし、クラスも部活も違う。クラスも部活も同じ子とより仲良くなるのは当たり前だ。
いや、わかるけどわざわざいうかね?一番になりたいというより、どれだけ仲良くなっても私は二番目という認識が離れなかった。
私は特に怪我をしているわけではないが階段が苦手で降りるのも上るのも無意識なら上れるけれど意識するとよたついてしまう。母親には階段の上から「落ちても助けんからねーw」とよく言われていた。当たり前だ。幼稚園児や小学生ならまだしも高校生相手なら私じゃなくて下敷きになった母が大怪我する可能性がある。人が上からふってきて怪我したくないもの。リスク避けるのは大事。
ある日疲れからか死ぬほど段差に弱い日があって、「おまえほんと今日ヤバイよ気を付けるどころの騒ぎじゃない」と周囲に言われていた。そんな日でも階段を使わなければならないときはあるもので、彼女と一緒に下の階へ向かおうとしていた。
「おまえ絶対落ちるなよーww」といいながら彼女は私の前にでた。前と言うことは私の下。
「え、前いくん?落ちたら危ないよ?」
「目の前で落ちたら気分悪いじゃん」
彼女は当たり前かのごとく少し前にでて後ろを振り返りつつ私をみて「大丈夫かー」と声をかけつつ降りてくれたのだ。もう二番目といわれたのは何年も前だけれど、二番目でも良いから彼女になにかあったら絶対に守ろう。彼女が心配してくれたその言葉だけで生きていける気がした。
これ以来彼女は階段を上るときも下るときもいつも私の落ちる側にいて声をかけてくれる。その度に彼女になにか嫌なことを言うやつがいたら、胸ぐらつかんで殴りにいこうと決心するのだ。
彼女はおそらくクソデカ感情が苦手なのでなるべく出さないようにしている。やっと自分がクソデカ感情持ちだと気付いたのだ。ただ、やっぱり隠しきれないのがクソデカ感情であり、彼女へのクソデカ感情を出すとガン無視される。ごめん。以前手紙をかいたらラブレターになってしまったのは本当にごめん。
ほかにもあと2,3人ほどクソデカ感情を向けている方もいるが、あまりにも長くなってしまうので割愛する。
クソデカ感情をぶつけられて気持ちのいいものではないと思う。私は嬉しいが、苦手な人だっていっぱいいる。流石に私もあったことのない人にクソデカ感情向けられてぶつけられるのは怖い。クソデカ感情が生まれてしまうのはもう仕方がない。なるべく出さず、クソデカ感情が苦手な人に無意識にぶつけないようにしなければならない。相手に不快な思いをさせてしまったら駄目だ。
あとクソデカ感情以外の人たちにもっと興味をもつようにしなければならない。興味の触れ幅が0か100しかないのはいろいろと不便。あと大変申し訳ないのが彼氏がいたときですら、クソデカ感情のほうが限界突破してしまっているという状態(今は彼氏いない)。勿論彼氏のことはちゃんと大好きになるし大好きだから付き合った訳なのだけれど、その思いがクソデカ感情に勝てない。相手に申し訳ないし、失礼だからちゃんと向き合わなきゃいけない。
私の人生はまだまだ続く。
クソデカ感情によって人を不快にさせないように。拗らせて犯罪を犯さないように。明日我が身だと自覚をもってクソデカ感情との向き合いかたを考えつつ生きていかねばならない。
なにか困ったことがあるかもしれない。私が相談にのってよいと君が思うのならば私がいくらでも話を聞こう。愛する人を見つけるかもしれない。直接教えてくれたとしても風の噂で聞いたとしても私は全力で祝福しよう。直接教えてくれたのならば心からのおめでとうを沢山伝えよう。風の噂で聞いたのなら祝福の意味を込めてひとりぼっちのティーパーティをしよう。
私には18歳の頃、同い歳の女の子と付き合っていた。
Twitterで知り合った彼女は、あまり頻繁にツイートをする方ではなかったし、繋がった時に数回話した程度でさして親しいわけでもない"モブ"の様な立ち位置になっていて、私はあまり当初彼女を気にしていなかった。
ある日の深夜2時頃。翌日も朝からバイトを控えていた私は、それでも週末という事もあって賑わうタイムラインが楽しくて、フォロワーさん達と盛り上がっている時、久し振りに彼女が浮上しているのを見掛けて話し掛けてみた。後に思えば、これが全ての始まりだった。
その日以来、頻繁に顔を出す様になった彼女とは毎日の様に話していて、数週間後に告白を受けた時も私は快く受け入れた。レズビアンという訳でもなく、バイセクシャルであった私と彼女は、そうなる事が当たり前であるかのように自然と恋人としてそばに居るようになった。
彼女は、とても心が脆い人だった。
電話をしていても、笑っていたと思えば突然泣き出すし、夜中に泣きながら電話をかけてくる事もあった。私もその頃からアルバイトを辞めて正社員として働き始めていた為、時間が減って居たけれどもそれでも何とか捻出して、直接会えない分傍にいようと努めていた。
彼女の家庭環境はかなり複雑で、血の繋がった両親は離婚。血縁者である父は、出張と銘打って母が不在のタイミングを見計らい、兄と姉を連れて出て行ってしまったらしい。残されたのは血の繋がらない母親と、彼女、そして郵送されて来た離婚届だったそうだ。どうやら父は、他に女を作っていたと後から知ったという。
血の繋がらない娘と残された母は、3人の子持ちの父の再婚相手になる事を親族から反対され、駆け落ちのような形で地元から遠く離れた土地で父と再婚していた。だから、父が末の娘を一人置いて逃げたと電話で報告した際にあんな奴を選んだお前の自業自得だと、助けて貰えず、彼女は血の繋がらない母と2人で生きて行くことを余儀なくされてしまった。しかし、母はそれ以降身体を悪くしてしまって、入退院を繰り返し、家には彼女がひとり残されてしまう事が当たり前になっていたらしい。
彼女のお母さんが手術を繰り返し、その度に心を弱くしてしまっていた彼女は、成功率の低い手術をしなくてはならないと言う説明を受けた時に心を砕いてしまった。もしもそれで失敗してしまい、母を失ったらと思うと目の前が真っ暗になって、ならば死んでしまおうと思い至った。家にはいつもひとりぼっちだから、誰かの目を気にすることも無く身辺整理を進めて、いざ飛ぼうとした時にふとSNSの事が気になった彼女。自分が死してもアカウントが残っていては、全く浮上しなくなった自分に声を掛ける人も出てくるんじゃないか。余計な心配をかけてしまうのではないかと全てのSNSアカウントを消そうとしていた。最後に残ったTwitterでアカウントを削除しようとアプリを開いた際、目に飛び込んできたのは私のツイートだった。どうしようも無くくだらない私の発言に、彼女はほんの少し笑みを零したらしい。同時に、まだほんの少しでも笑える自分に驚いた。まだ笑う事が出来るなら、まだ大丈夫なのかもしれないと思えて、自殺を思い留まった。
彼女は私の発言の数々がたいそうお気に召したらしい。それから、私とよく話しに来るようになった。頻繁に笑えるようになって、笑う頻度が高くなるにつれて私に恋愛感情を抱くようになって。
母の手術も成功して、あの時飛ばなくて良かったと私へ電話越しに泣きながら伝えて来た。
病院へ行った際、通話可能スペースまで出て来て頂いて、お母さんともお話しをした。私の分まで傍に居てくれてありがとうと泣きながら感謝をされた。
でも、そんな平穏は長くは続かなかった。
手術は成功していたものの、何やら様子のおかしい母。どうにも、別の病気が発覚したらしくまた手術を受けなくてはならなくなった。彼女はまた、母が居なくなってしまったらの恐怖に怯える事になった。SNSでかつての姉を見かけた、新しい母とそれはそれは楽しそうに、年の離れた半分だけ血の繋がった新しい弟と共に家族5人で暮らしていた。SNS上で送ったメッセージは無視されて返って来なかった。彼女はみるみる弱っていって、私も使えるだけの全ての時間を彼女に費やした。
手術の予定日は8月9日。これまでの経験上、彼女は何か不安な事があるとその前日に最も心が弱くなるから、8日は有給を取りたかったけれど大切な会議が入っていた為にそれも叶わず、せめて絶対に19時には定時で帰って来るから、それまでは1人にしてしまうけれど耐えて欲しいと伝えて仕事に出た。
でも、タイミングが悪くてどうしても断れない理由での残業が発生してしまい、仕事を終えたのは23時だった。疲れた体をよそに休憩室へ向かい、ロッカーに入れたスマホを手に取ればそこには夥しい程の通知。殆どが彼女だった。
そこには、19時を過ぎても戻らない私への不安と、振り回した事への懺悔、感謝が痛いほどに綴られていた。
「今までありがとう、大好きだよ」との言葉を最後に、連絡はなかった。21時46分。
私は会社である事も気にせずに彼女へ電話をかけた。出ない。メッセージも沢山送った。既読すら、付かなかった。翌日私は、会社を当欠した。
「遺書にね、あなたの事が沢山書いてあった。恋人同士だったんやね。」
そんな、私の空に融けた恋人の話。
彼女のn回目の命日に、まだ君の事を忘れて居ないよって意思表示も込めてここにひっそりと置いておきます。
ただの自己満足です。とっても心が弱いけど、前向きな心も捨てないで頑張ろうって踏ん張れる、とっても素敵な女の子でした。
ありがとう、私も大好きだったよ。
ヤマトからの配送連絡メールに、めっちゃ出品者の名前が書いてあるのが来てビビったんだけど。
バグだと思うんだけど個人情報めちゃくちゃ漏れてるし、いいのこれ?
直接ラクマとヤマトに連絡してしれっと直されるより、騒いだほうが面白そうなのでここに貼ります。
で出品者の情報もう一度みてきたら、名前の一部がIDになってたから(小泉進次郎→「koisin」的な)多分ほんとに漏れてるんだとおもう。
みんなも見てみて〜!
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from: ヤマト運輸株式会社 <mail@kuronekoyamato.co.jp>
subject: お荷物お届けのお知らせ
signed-by: kuronekoyamato.co.jp
(俺の名前) 様
ヤマト運輸をご利用いただきありがとうございます。
(出品者の漢字名) 様からのお荷物を 【8月7日(金) 午前中】 にお届け予定です。
※Myカレンダーサービスの設定に従い、お届け日時を変更しました。
以下より、受け取りの日時や場所(コンビニやロッカー)をご指定いただけます。
https://mycalendar.kuronekoyamato.co.jp/mycalendar/Ukehenko_doInit.action
(以下略)
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ヤマトからの配送連絡メールに、めっちゃ出品者の名前が書いてあるのが来てビビったんだけど。
バグだと思うんだけど個人情報めちゃくちゃ漏れてるし、いいのこれ?
直接ラクマとヤマトに連絡してしれっと直されるより、騒いだほうが面白そうなのでここに貼ります。
で出品者の情報もう一度みてきたら、名前の一部がIDになってたから(小泉進次郎→「koisin」的な)多分ほんとに漏れてるんだとおもう。
みんなも見てみて〜!
---------------------------------------
from: ヤマト運輸株式会社 <mail@kuronekoyamato.co.jp>
subject: お荷物お届けのお知らせ
signed-by: kuronekoyamato.co.jp
(俺の名前) 様
ヤマト運輸をご利用いただきありがとうございます。
(出品者の漢字名) 様からのお荷物を 【8月7日(金) 午前中】 にお届け予定です。
※Myカレンダーサービスの設定に従い、お届け日時を変更しました。
以下より、受け取りの日時や場所(コンビニやロッカー)をご指定いただけます。
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(以下略)
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しょぼいと思われるかもしれないが、
自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。
なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。
中学生のとき、バスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方からの練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。
私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。
単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。
ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。
今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしまう出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。
それ以前もちらほらと、小学校の読書クラブや、公民館の児童クラブ、友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。
二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大大学の前期試験に挑んだ。
父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親は過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。
そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。
だけどそれはおかしい、と同時に思う。
結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学に合格し、結局実家を離れることになったのだから。
前期試験のあの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?
自信はあった。
試験範囲の勉強は計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。
今でも思う、あの日、あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。
第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。
もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。
そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。
しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。
受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生や大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。
大学の正門前、最後の横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。
駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。
それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。
駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。
県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日から泊まり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。
好きなアーティストのライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。
少しだけ後悔している。
きっと母親とホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから。
私はやってしまった。
ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。
感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。
同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。
受験発表の日、ネットで番号がないのを先生と確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。
月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。
長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。
思い当たることがあるとすればあと一つだけ。
学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。
いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。
短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通は社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。
大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。
さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。
その最後の週だった。
作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。
大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。
他の停止ボタンと違って、プラスチックのカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。
この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンスが必要になり、その間はラインを停止させることになる。
一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。
そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。
これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。
班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。
上からのストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。
それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。
私はそれを班長のそばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。
そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。
もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。
プラスチックのカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。
班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。
その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。
その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。
私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。
流石に外までは追いかけてこなかった。
そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。
いわゆる「飛び」だった。
最低最悪なことをしてしまった。
それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。
理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。
ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。
怖かった。
とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものだから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。
実際は、適性検査のタイミングで不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのときの自分にはそれが奇跡に思えた。
入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。
こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。
自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。
きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。
何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。
そして今年の四月で、見事それを達成した。
ああ治ったんだ、と私は思った。
私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。
その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってからは毎日が楽しかった。
今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。
それなのに、私はまたやってしまった。
朝はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。
会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。
私は時間になっても、家の机に座ったままだった。
一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。
会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業は直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。
申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。
11時を過ぎて、まずい、と思った。
遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。
それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。
ほんの数時間前までは。
私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだと気づき始めていた。
怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているものを台無しにしてしまう癖。
治っていなかったのだ。
三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。
ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。
この病気は一生治らない。
発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。
たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。
ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか。
ああ怖い。
恐ろしい。
いっそ死にたい。
上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。
明日からはお盆休みだから、休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。
しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。
私が「そういう人間」だということに変わりはない。
私は
私は……
毎年の楽しみだけど、今年は不安…
プールだけは人気だ。
感染予防と、あと、若くはない、かつ
在宅勤務で体力がた落ちの自分の
体力を考えた対策をしてみる。
旅先は別。
人と間をとって活用
2,消毒はこまめに もちろんマスク
顔を触らないのと、乗り換えの度消毒
3,ドアの近くに座る
各駅停車なので、、
気休めかもだけど。
4,更衣室を使わない
私は女だが、着替えとシャワーは
自宅まで我慢。
ラッシュガード着用。
丈は短いので下にデニムをはくが、
影でコソッと脱げばOK。
最悪トイレで着替えることも考えたけど
持って帰るのが嫌だった。
幸い水着で園内は遊べるので、泳いだ後
5,荷物は最小限
重いと足が進まなくなるので、旅行は
1gでも荷物を減らしたい
□荷物一覧
・日焼け止め、消毒
・財布用のジップロック
水中ポーチに入れるので軽ければ◎
・水中ポーチ
入れる
園内の移動用もこれ一つ
・浮き輪
破れたら処分して帰るつもりが意外と丈夫
・スマホ
・バッグハンガー
Seriaで購入した輪っか型ハンガーが優秀。
一カ所がパカッと開くので
机にはもちろん、電車の手すりにも
輪っかにバックの取っ手を通して
S字フックのようにかけられる。
軽いし、シンプルで重宝。
□持って行かないもの
着て行き、そのまま帰宅
手持ちはしない
・タオル
・化粧品
どうせ水で落ちる。
・着替え
6,ラッシュはさける
始発の下り線。
変える。
元々地方なので、そう混まないけど、座りたい。
朝も早かったし、早めに食べて混雑を避ける。
7,早めに帰宅
体力と相談しつつ、無理をしない
次の日地獄を何度か見て、悟った
もう、若くない。
家の中にまき散らさないように。
9,混雑度合いはチェック
テーマパークのTwitterとライブカメラで混雑度合いはチェックしたし、連休前の
平日を選んだ。
因みに、一人遊園地だ。
何年か前、初めて一人デビューして
快適さに開眼。
以来、毎年ひとりで行くようになった。
女同士で行くこともあるけど、支度やら
日やけどめ塗り直しタイムやら、
待たされてイライラしっぱなし。
後で後悔するわよ、と日焼け止めを何度も
勧められるのも鬱陶しい。
元々地黒じゃ!
ないし。
純粋に遊ばせてくれ。
写真とかそんなにとって、どーすんのよ。
誰もみないし、そろそろ、犯罪だよ?
きっと中身、男。
共感できる。
思う存分遊んで、サクッと帰りたい。
帰宅後は、しばらく引きこもる予定。
母にも来ないよう伝えてある。
体調チェックは毎日しているし。
ずっと引きこもるなんて辛いよ。
小陰唇縮小手術を受けて、ほぼ全工程終わったのでレポートする。
【手術を受けた理由】
ずっと小陰唇の大きさが気になっていて、下着やストッキングで締め付けられると痛かった。
自転車も乗りにくい。
擦れて痒みもあった。
トイレで小が飛び散るのが最悪。
初めてボーナスが全額支給されて、一括で受けられる程度の額だったことが最終的な決断理由。
あと在宅勤務中にやったほうが楽そうだと思った。
ずっと病院は色々探していたが、同様の手術の口コミ等が良い、女性医師のところにした。
【カウンセリング】
評判通り、頭の良さそうな話し方の女性医師にカウンセリングを受けた。
サバサバしているが、話はわかりやすく、疑問や不安にも親身に答えてくれた。
とても気に入ったし、さっさとやってしまいたかったので、3日後に手術を決めた。
【費用】
副皮の切除、麻酔、薬など込みで40万円くらい。
少し相場より高いが、手術中に静脈麻酔で眠らせて欲しかったので良し。
若干安くなるので、経過の写真が学会資料等に使われるモニタープランにした。
もちろん顔や名前は出ない。
【手術当日】
かなり緊張しながら病院へ向かった。
歩きやすい靴で、しめつけない服装、ノーメイクでということだったので、
コンビニに行くみたいな服で行った。
術前に何故かとても待たされた。
着替えて、荷物をロッカー的なところに預け、自分で手術台に乗った。
足を固定して消毒等をしてもらい、テレビでよく見る心拍数が出るモニターがついた。
次に目が覚めたのは、切ったところを縫っている最中だった。
尻が蒸れて気持ち悪く、ぼんやりしていて動いてしまったので、尻の下のシートを取ってもらった。
縫っているのが頭上のライトの金属部分に反射して少し見えたので、動物のお医者さんを思い出した。
ぼんやりしていると、縫い終わったので切ったものを見るか?と聞かれ見せてもらった。
まあ肉だなあという感じだった。
その後は休憩室に自力で移動し、トイレも行き、出血が止まったので痛み止めを飲んで帰された。
【術後0日目】
帰りの電車の中で段々創部が痛くなってきた。
かなり痛くて動けず、寝そべるか正座(創部が当たらなくて良い)で過ごした。
夕飯を何とか食べ、痛み止めを飲める時間になったので飲んだ。
風呂にはまだ入れないのでそのまま寝た。
【術後2〜7日目】
在宅勤務中で本当に助かった。
風呂はかなり怯えながら入ったが、そこまで滲みなかった。
3日目くらいまでは、まだ血が出るのでナプキンをつけて生活した。
4日目は美容院に行ったりできた。
塗り薬を塗るのが怖かった。
【術後8日目〜3週間】
入浴(浸かる方)が解禁されたが、怖くて14日目くらいまではシャワーのみで済ませた。
経過観察で病院に行ったが、15分くらいで終わった。
縫合した糸が、ポロポロ取れ始めた。
溶ける糸って面白いなーとか思っていた。
取れた糸の残りが皮膚に当たるのでちくちくした。
かさぶたが痒い感じで痒いので、冷やしたりして誤魔化した。
【術後1カ月】
糸は見えている部分は全部取れた。
痒みは風呂上がりに少し感じる程度になった。
日常生活は全く通常通りになった。
塗ったところは固くなっているが、これから柔らかくなっていくらしい。
【術後の感想】
人生初手術だったが、静脈麻酔など面白い体験もできた上、煩わしく思っていたものが取れたので、とてもスッキリしている。
トイレでも飛び散らないし、締め付ける衣服も問題ないし、痒みもない。
若い方が術後の経過が良いらしいので、早めに受けてよかったと思う。
唯一気になる点は、もともとの厚みが左右で違ったため、切除後も左右で厚みが違うこと。
なんかすごい伸びてびっくりした。
しれっと誤字も直しました。
・麻酔について
完全に全身の力が抜けるか、意識が無くなるだけかの違いらしい。
高校生くらいから、自転車に乗るとなんか痛いなとは思っていた。
大学でアトピーになり、皮膚と皮膚が擦れる部分が痒く、掻いてしまうせいで余計に伸びた。
それで、皮膚と皮膚が当たってるから痒いんじゃないか?と思い、これを小さくする方法無いのかな?と考えて検索したところ、自分の小陰唇が平均より大きいらしいということに気がついた。
・なぜ小陰唇が小が飛び散る原因だと気づいたか
手術について説明している病院のHPを読んでいて、小の飛び散りが解消される、という記述があった。
これだ!!!となった。
水撒きをするホースの先をを潰して持った時みたいに、小が広がってしまうのは私の小陰唇が邪魔をしているからだと気が付いた。
個人的に、
という印象があったので、
でもサバサバしてる人で親切な人も沢山いるので、書き方がよくなかったと思います。
保険適用は、一部婦人科で施術してもらった場合できるという噂を聞いた。
しかし、手術に不慣れな医師より、高くても慣れてる医師の方がいいかなと思った。
・確定申告について
医療費控除については調べたが、美容整形は基本的に対象外なので無理そうかなと思った。
沢山お読みいただいてありがとうございました。
今日は久しぶりに晴れて、溜まっていた洗濯物が一気に片付いた。喉が渇いて、近くの自販機にコーラを買いに歩いた時、今年初めて『真夏の空気』を感じた気がする。体全体に容赦なく熱い空気がまとわりついて、何かの拍子に堰を切ったように汗が流れてきそうな感覚だ。
毎年、この感覚を初めて感じる時、決まって小学生高学年の頃の記憶が呼び起こされる。夏休みが始まって少し経った、学校のプールの日の事だ。
僕達の小学校では夏休みに入ると、週2回ほどプール登校の日があった。通常の教室授業は無く、学年別にプールに直接集まり、終わったらそのまま放課となる。水温や気温が低くて中止になる日は、国旗掲揚台に白旗が上がった。
地元は比較的暑い地域だが、その年は例年より涼しく、夏休みに入っても気温がなかなか上がらず、2階の窓から白旗を確認してがっかりする日が続いていた。ドラクエ、FF、ロマサガと家での暇つぶしには事欠かなかったが、やっぱり友達とプールで遊ぶ時間が待ち遠しかった。
そんな中、7月ももう終わりに差し掛かる頃にやっと気温が上がり、その夏休み初めてのプールが開催された。クラスメート達も、皆僕と同じような浮かれ気分でプールに集まった。水泳指導の先生もそれを察したのか、水泳練習の時間を早々に切り上げて大半の時間を自由時間としてくれた。ただの真四角な25mプールだったが、ゴーグルを付けて水中ではしゃぎ回るだけで時間は過ぎていき、すぐに僕達の学年の時間は終了になった。
更衣室では友達と午後遊ぶ約束をしながら、木製のロッカーを隔てた向こう側の女子の声に耳をそばだてていた。でも、窓から流れ込んでくる大音量のセミの鳴き声のせいで、内容はほとんど聞き取れなかった。
校門を出て、ビーチサンダルをパタパタ鳴らしながら家の方向に歩き始めると、正午を告げるサイレンが鳴り響いた。その音に驚いたように、電柱のカラスが1羽、はばたいていった。電柱のうしろの空はかき氷シロップみたいに青くて、雲は綿アメみたいに白かった。今日は夕立が来そうだな、と思った。
2つ目の角を曲がろうとすると、同じクラスのA子が立っていた。薄い水色の袖無しワンピースは、濡れた髪で肩のところが少し濃い青になっている。A子とは隣の席で良く教科書を見せてもらっていたが、夏休みに入る前の席替えで席が遠くなってしまっていた。女の子として意識する事は無かったけど、優しく透き通った声の朗読を近くで聞けなくなったことを、僕は少し残念に思っていた。
僕がA子に挨拶すると、A子は、少し言いづらそうに、「この後、うちで遊ばない?」と言った。
その時、響き渡っていたセミの鳴き声が一瞬止んだ気がした。僕は彼女の顔が見れず、2つに縛られた髪の片方を見ていた。僕は女の子の家なんて遊びに行った事が無かったし、高学年になってからは他のクラスメートからもそんなの聞いたことがなかった。僕は少し言いよどんで、「いや、この後○○の家に行く約束してるんだ」と言った。A子は、「そっか。」と言って踵を返し、こちらを見ずに「じゃ、バイバイ」とつぶやいて歩いていった。プールのシャワーで汗は引いていたのに、真夏の熱気が僕の全身を包んで、汗が吹き出してくるのを感じた。
A子とはその後、学校で会っても何となく気まずくなってしまい、一度も話す事が無いまま小学校卒業を迎えた。僕は公立、彼女は私立の中学に進んだため、その後会うことはなかった。
去年、当時のクラスメートB(男)と飲んだとき、久しぶりにA子の名前を聞いた。高校のとき学習塾でA子と再会し、共に都内の大学に進学した後2年ほど付き合っていたらしい。お互いのアパートに入り浸り、朝そのまま大学に行くこともあったみたいだ。
Bによると、彼女の家は当時複雑な事情を抱えていたという。小さな会社を経営する父親は外に女を作って家に寄り付かず、母親は自分が通うジムのインストラクターと不倫していた。両親とも幼い弟の方を可愛がり、A子はときに暴力を伴う厳しいしつけを受けていたらしい。
ところであの暑い日、A子は僕を家に呼び何をして遊ぼうとしていたのだろうか。夏の熱い空気を感じると、いつもあの日の事を思い出す。