はてなキーワード: 描写とは
やる夫家康が好きだったから今年の大河の「どうする家康」を見てるんだけど、視聴者層の広さに驚愕してる。
嫌味半分だけどもう半分はわりと本気の驚き。
たとえば、「通説では家康は狡猾な狸だし、瀬名は悪女。こんな優柔不断な家康や柔和な瀬名はありえない」という批判が正論であるかのように繰り広げられている。
物語の中で一貫しているかどうかが重要であって通説がどうかは参考でしかないというのが普通というのが常識だと思っていたので本当に驚いた。歴史を題材にした漫画でこんな感想言ったら間違いなくバカにされるよ。
ほかにも、
という描写に「今川を裏切る決断が描かれていない」と批判がつくのは自分の理解を超えていた。家のために個を捨てる決断を迫られて裏切ったというのに十分な描写だろうと思う。
不良漫画のような織田信長や仙人みたいな武田信玄のようにデフォルメが強いところが受け入れられないのはわかるんだけど、描かれているものを読み取れない視聴者が本当に多くいるなと感じさせられた。
似ている
功:エンタメで興味を持つ人を増やした
この書き方のフォーマットは考えをまとめるのに便利だな、気に入った
「何かの作品のヒロインが〇年後にこんな感じになっている」という設定の漫画、そのほとんどが「外見上それだけの年齢を経ているようには全く見えない」のよ
孤独なアラサーだったら孤独なアラサーらしく多少なりともくたびれた様子とか日常生活でのたるんだ外見とか小じわとか緩んだ腹とか描写されてしかるべきなんだけど、
外見上は全然美少女のままというか、うっかりすると「お前まだ外見上女子高生じゃねーか」ってヤツがほとんどなのよ
それで昔の服着て「キツいわよね……」とか言われても「どこが??」としかならんのよ
最近2019年版のどろろにハマった。Amazonプライムにて面白そうだと思い視聴した結果、見事深みにハマってしまった。
特に百鬼丸の性格や見た目などが好みどストライクだったので、それだけでアニメを一気見してしまうほどだった。
その後、原作も電子で購入し全て読み、流石は手塚作品だと大いに感銘を受けた。
百鬼丸のキャラはアニメの方では大幅に変えられていたけど、原作の気の良いお兄ちゃんと言った感じのキャラも捨てがたい。
当時の事情ゆえ、打ち切り的な中途半端な終わり方をしてしまったのは名残惜しいけれども、体を奪われてしまうので、取り返す為の冒険と戦いの物語や初めは少年だと思ったけど、実は少女だと発覚するヒロインなどの要素は噂通り時代の先を行っており、今でも十分に楽しめる。
そして、それらを見終わった後、タイトルにある「どろろ Re:Verse」の存在を知り、そちらも課金して最新話である15話まで一気読みした感想をここに書き記す。
脚本家はなんでも手塚作品のファンとの事だが、今の所、大本である原作どろろに対するリスペクトがまるで感じられない。
そもそもこの漫画は新アニメ版の続編という位置付けで作られている事が早い段階で分かるのだが、まだその新アニメのどろろファンとして描いてるなら分かるが、マジで原作の方のリスペクトは皆無である。
しかし、どろろというタイトルを冠していなければ、ヒロインであるロロの出生の秘密や百鬼丸の体に隠された幾つもの謎に迫るストーリー、作画の綺麗さ及びクオリティの高さなどで個人的にはそこそこ面白いと感じた。
ただし、あくまで別物として完全に割り切る事が出来ればの話なので、無理な人とっては徹底的に受け付けない漫画である事は断言出来る。
さて、ここからは具体的にこの作品が続編物としてどのような問題があるのか挙げようと思う。
ただ、筆者はどろろシリーズに関してはにわかもにわかなので、作品知識に関して間違っている箇所や誤解している箇所があるかもしれない。
なので、今回はそこら辺のツッコミはやや浅めにするもののどろろファンというよりも他の手塚作品ファンとしておかしい部分の指摘にのみ留めておこうと思う。
ちなみに筆者はブラックジャックや火の鳥を8割程読了済み、ブラックジャックのみアニメをチラホラ見てて海のトリトンやILなどを齧った事がある程度の知識である。
感想は「どろろRV」(長いのでこう略称する)読了前提だが、今の所全部読むには課金しなきゃいけないので出来る限り話の説明を入れつつ、書いていく。
というわけで早速書いていくのだが、問題は大まかに三つ+αに分けられる。
・百鬼丸、おまえどうしちまったんだよ
・何故世界観変えたし
・その他
・百鬼丸、おまえどうしちまったんだよ
まず、この漫画を読んで真っ先に鼻につくのがこの点。
前述した通り、どろろRVは新アニメ版の続編であり、百鬼丸本人は続投という形でW主人公の片割れとしてメインを張っている。
必然的に出番は多いし、活躍もするのだが今作では生い立ちの設定から性格まで違和感の塊になってしまっている。
今作の百鬼丸は何故か不死身になっており、前作の最終回から400年以上経っている。そして、400年後の現代でも生きている精神年齢おじいちゃんキャラになっている。
これは作中でもはっきり明言されており、作者も意図してそういうキャラにしているようだ。
しかし、実際の百鬼丸というのは到底400年以上生きた老戦士特有の渋さや落ち着き、思慮の深さといった物が見えてこない。
所謂彼は、粗悪ななろう小説やラノベ小説に出てくるやれやれ系主人公に成り果てており、どう甘く見ても外見通りの20代半ばの若造のようなメンタリティである。
そのうえ若い女性かつほぼ初対面であるメインヒロインのロロをラブホに連れ込んだのは、ある程度の理由付け(自分やロロが真っ当な人間では無い為ちゃんとした宿泊施設には受け入れて貰えないなど)があったので、目を瞑るとしてもなんでシャワー後、裸でホイホイ出てくるんだ。
体目当てじゃないのは分かってるけどいい年した女を匿う為にラブホは百歩譲って仕方なかったにしても、もう少し場所を考えて行動しろよ、気持ち悪い。デリカシーが無くて、何ともムカつく。
前作の百鬼丸にもデリカシーは無かったが、それは特殊な生い立ち故に仕方が無かった。
しかし、今作はその生い立ちの言い訳は効かず、作中の描写で400年以上生きていて社会生活の中に身を投じているにもかかわらず、この体たらく。
あんたより何百年も年下のブラックジャックの方がよっぽど大人びててかっこよかったよ。
正直、コールドカプセルの中で400年以上眠ってて10年だけ現代で生きてましたとか記憶を引き継いで転生しましたとか言われた方がずっとしっくり来る。
ツッコミはまだ続く。百鬼丸の目的というのは実はまたしても体を喪失してしまったので、取り戻す為だと言う。
なにやってんの?本当に、なんでまた体無くしてんの?
正直、ここは別の理由付けにした方が良かった。
一度奪われたものを取り返したはずなのに、また無くすってなんやねん。
あの腕の仕込み刀をやりたいが為にそうするしか無かったのだろうけども、ぶっちゃけ400年以上生きる不死身体にしたんならサイボーグとかミュータントにして腕が変形するとかにしても良かったのでは。
それで別目的にすりゃいいのでは。
どうしても体無くした設定にしたいなら相当理由付けをしっかりしてなきゃ到底納得出来ず、また身体を無くした400年以上生きてる癖に大間抜けのうつけ者という印象は拭えない。
でもこの作品の脚本レベル的にあんまり期待出来る理由付けにならなさそうだな…
百鬼丸とロロを狙う敵キャラは目鬼というセクシー系の女キャラなのだが、謎にレズビアン設定でロロの事を何かしらの陰謀で狙うのはともかくとして、性的な意味でも狙ってきてるのが何ともきもい。
ここで誤解しないで欲しいのだが、そういう同性愛的な設定がキモいと言っているわけではなく、別件で萌えという形で好意的な感情は持てる事は明記しておく。
そうではなく、目鬼の場合はロロだけでなくほかの女の子にも手を出し、会って早々ロロの髪の毛を舐める等、単純にセクハラ的な行動が気持ち悪い。
これで目鬼が男であっても同様の感想を抱くだろう。セクハラは同性間でも成立するのだから。
そのうえ平気で犬は蹴り上げるなど、とにかく言動が不愉快極まりない。
そして、これは目鬼に限らず、どの敵キャラや脇キャラにも言える事だが、敵キャラを愛嬌があるように描きたいが為に挿入されるギャグやコミカル描写が尽く滑ってて超寒い。
やっぱ手塚先生のギャグセンスって偉大なんだとしみじみと感じた。
悪役だからムカつくのは当然なのだが、前作のどろろは敵キャラであっても同情の余地があったり、共感することの出来る深みのあるキャラとして丁寧に描かれていたので尚更、違和感が強い。
敵キャラはどいつもこいつもイキリ散らしてて、癪に障る言動しかしない。
・何故世界観変えたし
これに関しては当初は肯定派だった。
現代に受け入れて貰う為に世界観の設定や見た目のデザインの刷新などは必要だと思っている。
新どろろもキャラデザや設定を大幅に変更したもののそれなりに受け入れて貰えたので、必要な処置だったと思う。
どろろRVもそのように擁護する予定だったが、上記のような惨憺たる内容を見て考えを変えた。
はっきりいって脚本家は、室町末期の日本初め現代以外の日本を描写できないから、世界観変更という形で逃げたのだろうなと感じる。
なぜなら、400歳以上にも関わらず、お子ちゃまメンタリティのイキリ百鬼丸やウザイだけの脇キャラと言ったダークマターが誕生している時点で室町末期の舞台設定を調べて、丁寧に描くなんて高等な事が出来るように思えないからだ。
前作の主な敵キャラは侍もしくは鬼神や妖怪だったが、今作は妖怪は続投なもののヤクザやゴロツキ、ホームレスといったものに代用されているが、まあ陳腐。
時代物で戦の惨さをメインテーマに扱っていた作品がそこらへん全部ぶん投げて、手垢まみれでベタベタなヤクザがどうのゴロツキがどうのだのやり始めたら個性の喪失という他無い。
・その他
細かいものだと、前作で言うどろろ枠のロロの女バレが早すぎるのだ。
どろろは原作だと終盤、新アニメだと中盤に実は少女だと発覚するがこの漫画は一話の時点で女バレする。
いやいや、少年かと思ったら少女だったはどろろのアイデンティティなのにそりゃねーだろ。
男(という体裁の女)の相棒書けないからこういう雑な処理したのかな…
ここまで散々作品をdisり倒したけど前述の通り、褒められるべき点も多数存在する。
まずは作画。ベテランの人を呼んであり、戦闘シーンは中々に迫力がある。
絵柄が女性向けとか00年代のエロゲとか言われているが、慣れてしまえば問題無い。
作画の崩れも殆どなく、私も一応絵を描く身なので構図やデッサンなどは参考になる。
またシナリオも新どろろの続編であることと百鬼丸が新どろろの人物と同一である点を無視すればそこそこ面白い。
主人公兼ヒロインのロロはベタな設定ながらも今のところ応援できる良いキャラだし、見た目に関しても作画含めて可愛い。
どういう出生になったのか謎も多いキャラなので、テンポの早い展開も含めて、少しづつ解き明かされていく流れは中々に爽快感がある。
百鬼丸も気になる点はあるものの割とかっこいい面もあり、これはこれで魅力的だとは感じられるので、嫌いになりきれない節がある。
ただ、これが新どろろの百鬼丸だとは到底思えないので、勝手に別人だと言うことにして読むのが必須。
何故、体をなくしたのか?何故不死身なのか?などの謎の要素は作者としても、シナリオの引きとして使うぐらいには何かしら考えがあるようなので、そこら辺が解き明かされるのは楽しみに出来る。
でもやっぱあんま期待しない方がいいな…
以上である。
総評を述べるならば「どろろの続編としては擁護不可能だが、オリジナルとして見ればそこそこ面白い」である。
正直ここから先は読もうか読まないか迷っているのだが、取り敢えず購入したコインの話数分だけでも読んでみようと思う。
出来ることなら他の人にも読んで色々と感想を聞かせて欲しいからこのような記事を書いたのだが、これを書く前に他の人の感想を探したらどこにも見当たらないのだ。
あったとしてもTwitterなどで数行程度のものか未見の人が見た目だけの感想を述べてるのみ。
まだ無料分が7話しかないのを加味してもYahooニュースや5chなどでも取り上げられたにも関わらず、絶望的な感想の少なさでどうしようも無かったのだ。
結果、私はこうして自分の思いの丈を長文でぶちまけるしか道は無かったのだ。
そもそもこの作品が連載されているピッコマはなろう系作品が人気の漫画アプリであり、脚本家の別作品も所謂なろう特有の異世界転生チーレム系が主である。
そんな人なので、どろろをなろう風味にして続編書けば、人気出るだろうという甘い考えでこれを書いたんだろうなというのが透けて見える。
正直、どろろが好きな人ってなろう系好きな人とあんま被らないと思うんだよな…
少なくとも自分はなろう系全く興味無いし…
余談
ピッコマでは一話終わる毎にいいね数が書いてあるのだが、どろろRVは話数を重ねる毎に凄い勢いでいいね数が減っており、大丈夫だろうか。
有料の部分だけで見ても最初は1147いいねだったが最新話は31いいねと2桁も違う結果になっている。
私は普段ピッコマは読まないのでいいね数の平均や基準は分からないし、流石に徐々に増えていくとは思うが、かなり心配になってくる。
まあ、でもそりゃそうだよな…
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誤字とか修正
NHKでやっていた、「作りたい女と食べたい女」のドラマを見る。
序盤ワクワクして見ていたら……思ってたのと違ったわ。
最初のイメージは「女だからこう!みたいな謎の当り前って生きづらいよね」って話だと思ったんですよ。
それがドラマ終盤から、「生きづらさではなく、恋愛の話だったの!?」と肩透かしを喰らいましたよえぇ。
同性愛に対して否定するわけではないし、そのような描写がなくはなかったのだが……
正直言えば、「そっち行っちゃったの!?」というのが感想です。
さらに言えば、最終は手前で恋心について悩んでいたのに、最終話では恋心の話が割と序盤で消化されてしまったことにも「うーん」でした。
原作漫画を読んでないのでわかりませんが、ストーリーはそのままなのかな?
せめて恋心の決着の仕方が最後にやってきたのなら、話の筋として通るし飲み込める。
けれどドラマは最終話手前で1話かけた話(恋心で悩む)のを、最後に持ってこなかったことで『え、このドラマは何の話だったの?』という消化不良になるのでした。
ドラマ視聴後に原作漫画の感想を読み漁ったが、同じように感じた人も少なからずいるのね。
昨今原作のあるものをドラマ流にアレンジすることって少ないとは思いますが、割と楽しんで見たのに「なんだかなぁ」と思うのでした。
画像チャットというサイトで知り合った顔も名前も分からない本人曰く既婚50代の女性とメールアドレスを交換し、「自分の顔を映しながら隆起した性器を見せつけ自慰行為した動画」、「モザイクなしの学生証の写真」など様々な画像や動画を送った。
自分は18歳である。若さ故の性欲で頭がおかしくなっていた。相手は「自分は結婚してるしこんなやり取りしていることが旦那にバレたらまずいから送られてきた写真とか動画はメールと一緒に見たらすぐに削除してるよ」と言ってくれたが今考えてみるとそれも怪しい。
確かに文体は50代特有のものだった。18歳の自分に対するねちっこいセクハラや性描写、顔文字の使い方やボキャブラリーの古臭さはなりすましで出来る芸当ではないように思う。
またメールをやり取りしていたのは平日の昼が多かった。既婚女性じゃなければこんな時間にメールは送れない。
心配だったので女性であることを疑うメールを送ると、本名、居住地、パートの時間帯、家族構成など様々なことを教えてくれた。
おそらく彼女は嘘はついておらず、全て本当だったのだと思う。
思うのだが、万が一今まで送ったものを流出させられたら、そう思うと恐怖で顔がゆがむ。顔も本名も住所も性器も肛門も全て見せた。それが明るみになったら僕の人生はどうなるだろう。
ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。
ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典や百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。
特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベの価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。
後にも述べるがいまやラノベは純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。
が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体あまりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。
このような単にラノベが純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。
正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベと純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。
ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。
一方で純文学、シェイクスピアのハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。
ブリタニカ百科事典先生によると、文学は芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。
逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品が文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。
でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。
文学といえばよくそのメッセージ性が問題にされているとは思う。
文学作品の物語、プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。
その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具、オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。
あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。
しかしそれがなんだと言うのだろう。
そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値を見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに「価値」じゃないか。
むしろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。
価値に対して人間が万物の尺度であってかつ尺度の多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである。
またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。
他方、ガリバー旅行記は人間社会の不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。
そういうメッセージ、風刺、アンチテーゼの質が文学作品の重要な評価軸になっているようには思う。シェイクスピアも漏れなくその点で評価されているのだろう。
こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。
たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報に視覚に関係する尺度をあてがってもどうにもならない。
あるいは文学には描写そのものの美しさというものも見出すことが当然できよう。
その最たるものが詩だろう。
それは単純に視覚的に美的なものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。
そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学の要件を満たしうるはずだ。
しかし文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というものは論理の次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである。
その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要な評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学的価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。
文学の価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学の要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。
結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。
とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並みな見解しか沸いてこないだろう。
それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲や知的障がい者には荷が重い。
だからその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。
知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。
ただの女たらしが「紀州のドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリートは社会的地位が高い傾向がある。
そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。
ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。
彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。
なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか。
教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ。
以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭な教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値を判断している。
そしてそれが権威ある辞書や事典の記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数の一般大衆に浸透し、そうしてラノベは純文学に対して劣ったものという既成観念が形成される。
月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか。
似たような話でアニメはドラマや実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。
昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。
逆にアニメはジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。
さらに時間が経てば歌舞伎や浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。
実はこの文章の原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。
その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベと同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。
ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識が存在する傍証になってしまったようだ。
本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベと純文学をバランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。
しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。
好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから、私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。
知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである。
また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログや増田に埋もれたラノベやアニメの感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会に感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。
dorawiiより
わたしはその戦士ではないが、この質問文だけでは質問内容が伝わらないと危惧するので確認させてほしい。
原因とは直接の要因であろうか。
悪口を言われたので、怒り、殴ったとなれば、それは原因と言えるだろう。
だが性犯罪において問題となる描写を見て即時行動を起こしたといった事例があるとは考えにくい。
それに金品目当ての物とりの犯罪に対して、原因は高額な貴金属そのものの価値であるとか、それを身につけてからであるとはならないはずだ。
増田は質問に記載した「性的表現が原因」についてもっと詳しく条件を説明すべきである。
ついでながら増田は犯行者の主張を鵜呑みにしてはいないだろうか。
かつて殺人を犯した人間が「悪魔が乗り移った」と主張した事件があったが、増田とて悪魔によるものと認める前に十分な検証が必要と考えるだろう。老婆心だが一応この点も指摘しておく。
質問を一般化するなら、違法行為・社会規範に反する行為を描写する表現を規制すべきとなる。
窃盗や殺人だけでなく、悪口・嫌がらせといったハラスメントなど、ネガティブな表現はドラマや漫画などに多数ある。
また性表現については映画のR18レーティングといったものが既にある。これらとは違うのだろうか。
もし同じなら「R18レーティングを撤廃すべきとは主張しないのか?」といった問いが適切だろう。
増田が定義する新たな規制なら、その内容を列挙してほしい。その規制案を提唱してほしい。
これ、なんでや?
描写の歪みはなくなって洗練されるんやが、相反してキャラの表情はハンコ絵みたいにバリエーションが減って硬い表情になってくやつ
本人たちはどう認識しとるんやろう?
・初ベスティア
音がいい気がする?
足踏みの音とかボールが弾む音とか
合っててすごくよかった
すごく面白かった
・キャラがみんなかっこよかった
好まれそうだな」って思ってた主役扱いで驚いた
「流石に映画だし負けることはないと思うが
負けエンドも微レ存…?」って
・最後の5秒の息を止めるような緊張感すご
主人公や…
・流川くんの顔が出るたびに
いちいち「おお…顔がいい…」ってなった
カッコイイし見てよかった
(視聴理由→
たくなった
(花流と流花は逆カプ界隈が仲良しだったという
当時の話を知ってたから当時一斉を風靡した
できなくなっていたんじゃ
ハマってたじゃろうな)
見させて頂いてどうなっちまうんだ…
良すぎて2回めIMAXでみた
漫画も読み始めた
世代のスポーツ漫画つながりでアイシールド21を読みたくなった
20230410に3回目みた
多分これで見納め
1回目は検索未読
2回目は原作4.5巻辺りまで
原作見終わってからだとOPの「う、うわああ!井上雄彦先生の絵が動いてるゥー!」感がひとしおでこれ原作リアタイしてたら尚更だし羨ましいな〜!と思った
公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライをフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要や監督の家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。
改めて見た率直な感想がこれだった。
OPのCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まる。カンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。
しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲や闘牛やボクシングといったようなもののオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまったことになる。
古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派の武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行的スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。
長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。
どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。
(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)
九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要な興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ。
その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後の図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトのパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいか。バケモノ界は闘争の世界ではないし、武術を習った主人公が人間をボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。
直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。
(剣が震えるところとかは好き)
熊の家を斜め上から見た図と家までの階段の坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。
渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公も視聴者も異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代の雰囲気を醸すことができていたと思う。
バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。
絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクターが支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。
今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲で空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。
(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間や密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)
バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対の指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去に弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術は人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的に選択しなくちゃならん。
当初の九太は選択の余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期や父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語の最後の最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。
同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月のライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公も将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分の意思で将棋の世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。
九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通の青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語の最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り・理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノ界から人間界に戻ったって記号でしかなかった。
センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師も反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期の不安定な青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。
なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。
尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートになっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。
そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画っぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライのダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)
脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分がオタクすぎる気もする。ポストジブリなファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品も賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。
線引きどこにするかって問題なんよなぁ
ストーカー被害が出るから恋愛描写禁止しましょう! ってとこまで行く?
教科書検定みたいなの通した教材だけで性教育とかその他諸々教える?
簡単で高威力な爆薬のレシピ公開とかでも、爆薬なかったら違う方法考えるだけだと思うし
探してどうしても殺そうという人もいるし、たまたま身近に材料揃ってたからって行為に及びやすくなる人もいる
誰でもよかった系の無差別のやつで、めっちゃ強い爆弾が使われて、その被害者がそんな情報公開するなよっていうのは納得する人多いと思う
その爆弾の強さをじゃあどこで区切るかって考えたら、爆弾じゃなくてガソリンとか灯油とか包丁のことも考えなきゃいけなくなる
性描写も異常なことを異常だとわからないような描写とかは良くないと思う
まあ異常の線引きでまた揉めるんだけど
あと犯罪系の性癖(自首しときます)が生えてしまって犯罪行為に繋がってくってケースがどれだけあるかだよなぁ
車輪の再発明はどうしても起こるし、報道も無くせってのも無理あるし
(報道では興奮しないから問題にはなりにくいとも思ってるけど。自殺とかもまあ取り扱い方次第で。ただノーリスクにはならない)
結局線を動かし続けないといけないってだけの問題で、社会の状況と自分の意見のすり合わせでこれはセーフ、これはアウト~ってやってくんだから、まとまらないわ
安易に線を言われるがままに動かし続けるとどんどん表現の幅が狭くなってくから出来るだけ自由度は高くしておきたいよねーっていうのと、
線を動かそうとしてる人達が特定分野ジャンルに偏って問題視しがちって思ってしまうから、自由派っぽい考えが強くなっているのもある
今のところの最大の欠点は少しでもえっちな用途だったりバイオレンスな描写だと高確率でなんか弾かれちゃうんだよね
主婦側のレス漫画(男性が相手にしてくれない)を読んでるので感想書いてく。かなり中傷してるので具体的な作品名は伏せます。ちなみに自分は女。
普通にありがとうも言えない奴と暮らしたくなくね?されて当たり前だと思ってるのがカワイく見えるとしたらそれ以上の愛という演出ありきですよ
・会話に返事しなすぎ
相手が真剣に真面目に自分の気持ちを開示したり、譲ろうとしたり、そこ絶対茶化さずに聞かなきゃダメじゃん!の場面でスルーしてしまう。頭の中がいっぱいらしい。発達障害?
・被害妄想が激しい
上の感謝しないに通じている
やってもらえて当たり前だと思ってんの?
面倒くさがり、仕事続かない、自分の感情に甘い、という描写があるのでADHD系の知的グレーにしか見えない
「できなくてごめん」と相手が謝罪している。ヤバすぎ。さらに自信無くなるだろ。疲れや歳や少し気が滅入るだけですぐ勃たなくなる繊細な生物なのに。そんな重い雰囲気で罪悪感を感じさせる必要がどこにあるのかわからない。パートナーなのに勃たないことを気楽に相談もできないやんけ。コミュニケーション不全をわざわざやるのが全く理解できん
君ら他人なの?
・変な自己嫌悪
意味不明なところでもう愛されてない、私に魅力がないなどと自己嫌悪に陥ってる。結婚してる時点で魅力はあるし歳を取るのは相手も織り込み済み。足りてないのは魅力ではなく頭のほう。下着の色は関係ない。
そもそもお前はパートナーの性癖を一度でも聞いたことがあんのか?「性的に魅力的な女性」の定義が見下してち○こを踏みつけながらヨダレ飲ませてくる女の奴もいるわけ。
・悩んでても言わないが不機嫌になる
言えよ
察してちゃんは3歳まで。幼稚。痛すぎ。昭和の女性なのかな?昭和女ってこんなんばっかり
せめて生理前ってわかってるなら相手に生理だからごめんとかなんか言えよ
本当に成人してる?
・話し合うことに抵抗がある
勃たないとかエロい気分になれないって心の問題をきちんと話してくれてる相手に、「話し合ってちゃんと解決しようよ!頑張ろうよ!」ってバカなのか?
お前は「今はあまり甘いものを食べる気分じゃない」「お腹が空かない」って言ってる奴に、無理やり口に突っ込んだら食べれるかも!甘いものを食べる日時を話し合えば解決!とか思ってんのか?永遠にお腹空かないのにどうして食べれないのか詰められるの?相手が不憫
理由を聞いて寄り添うのが先だろ
・浮気を考える
愛ある夫婦なのに、いい歳したオバサンが会社の優しい男に浮気心芽生えちゃった!キッショい
お前も妊娠して「ごめん妊娠しててor子育てで性欲なくて」って言ったら会社の若い子に浮気されてくれ。平等に。
人の話を聞け、真面目に仕事しろ、会社で仕事中に色気付くな。本当に成人してる?
思考が勝手に湧いただけでうるさい。どうでもいい。ネットリしてて気持ち悪すぎる
いいえ、受け身で無限に他人に気を遣わせ続けているケアテイカーです
自分のことしか見てない謙虚さは謙虚ではありません、自己主張できないことを美談にするのはやめよう
社交辞令を真に受けるのもやめよう
相手の事情も知らないのに意見を言っても意味なくない?ADHD?発達障害を疑う
幼稚すぎる
・沈黙を責める
今考えてるって言われただろ!!相手は考えてんだよちょっと黙れうるせえ自分のことしか考えてねえなマジで
幼稚!!!!!
いい歳したババアがキモい。いい加減そろそろ何が原因でどんな気持ちで何をしたいのか自己分析しろ
今まで人生何して生きてきたの?レスになって当然と言える要素しか見つからない
・オバサンって言われて傷つきすぎ
どちらかというと相手が失礼でエイジズムの濃い人ってだけなので怒るor不快になるべきとこです
・子供欲しいなー
上のような幼稚な思考回路の人間が子供を育てるのは悲惨な気がする。怖い
私が欲しいかじゃなくて育てられるかで考えろよ
犬でも猫でも先にまず育てられるかが問題だろ
後から「私は子供が欲しいんじゃなくて、旦那の気を引きたいだけだったんだ…」とかマジでやめろよ
・喧嘩したら気まずくなるのが怖い
夫婦向いてないから結婚するのやめようって判断できる能力が婚前に欲しかったね!!
・バイアグラを買ってくる
無神経すぎて草
セックス中も受け身で何がしたいとかどうしたら気持ちいいとか何が好きとか一切言わないし、無言で察してムーブして演技して、痛いとか下手くそとか萎える事言って相手の気持ち削いでそう
優しさのないクソ無神経なセックスしてそう
お前も男性に関する性知識ないんだからビビれる立場にねえだろwww
衝動性が強く、感情制御ができないADHDでは?普通は悲しい気持ちになっても行動に移すかどうかは理性によって選択しますので。
病院行ってください
キモい、幼稚、成人してると思えない、知的グレーのADHDだろ!!!!
病院行け
日本人ってどうしてこうもアホなんだろう
義務教育を本当に受けてるのか?
社会科目や近代史現代史をかなり軽視してること、人権ではなく道徳(笑)の授業をしてしまうこと、国語の授業も政治を変えたヒーローとか社会問題を解決した話とか差別と戦った法廷のヒロインとかをやらない、平等や政治に関わる社会そのものの話はせずに、
ぼんやりと川で梨を追いかけるカニがぷかぷかしただの、子供が網膜に光の陰影を焼き付けて戦争の悲惨さを説いただの(戦争が起こった原因や宣戦布告もなしの先行攻撃を仕掛けたことや戦争を起こした人や自国の戦争犯罪についての具体的描写はなくノータッチ)
こんな教養レベルでは幼稚園児と同じなんで社会問題について語れる段階にいないんだよな。義務教育が義務教育として必要な役割を果たせていない。
数学ができても社会がわからない。英語を学ばせても結局日本語しか読まない。どころか、帰国子女の英語を「カッコつけてる」「イキってる」って笑い出す始末
相当やばい