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はてなキーワード: 7月22日とは

2020-06-29

オンライン授業のレポート地獄

7月22日までに2000字程度のレポート7つも出さなきゃいけない、、

詰んでるよね

私だけか??

2020-03-30

anond:20190723220023

半年前にレスしたけど

はいパク増パク増

2020-01-09

グラブル不正ツール利用に対する措置

2018年02月16日 238垢

2018年04月24日 537垢

2018年04月26日 121垢

2018年11月08日 97垢

2018年11月19日 352垢 永久BAN

2018年11月28日 206垢 永久BAN

2019年05月27日 735垢

2019年06月19日 2,171垢 淫紋

2019年06月21日 1,806垢 淫紋

2019年07月17日 242垢 淫紋

2019年07月22日 97垢 淫紋

2019年08月08日 1,485垢 淫紋

2019年11月07日 909垢 淫紋

2019年11月12日 1,892垢 淫紋

2019年11月15日 144垢 淫紋

2019年12月03日 1,663垢 淫紋

2020年01月09日 161垢 淫紋

合計12,856垢

永久BAN 558垢(4%)

淫紋 10,570垢(82%)

2019-12-24

山口敬之氏がTBSを辞めるまでの経緯のおさら

もう長いこと続く問題なので、どんな情報が表に出ていたか、忘れてる人も多いだろうし、新規で入った人は知らないだろうし、簡単にまとめ。

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発端は2015年3月。25日に伊藤詩織さんが山口敬之氏に就職相談メールし、日本で会うことを約束。翌日の26日は、週刊文春山口氏が寄稿した「ベトナム人韓国軍慰安所」のスクープ記事が出る日だった(後の週刊新潮調査記事によれば、このスクープには捏造や誇張があるとのこと)。この記事は「TBS放送拒否した」という触れ込みでネット右翼保守界隈で話題になる。

 

2015年4月3日伊藤さんと山口氏が食事し、ホテル事件が起きる。伊藤さんは9日に近所の警察署被害相談。そこでは管轄の署を紹介され、11日に高輪署の捜査員と面会し、防犯カメラ映像のチェックなど捜査が始まる。18日には山口から伊藤さんに釈明や弁解のメールが次々と送られる。

 

2015年4月23日山口敬之氏がTBSから懲戒処分を受け、ワシントン支局長を解任され営業部へ異動させられる。右派系列メディアでは、週刊文春の「ベトナム人韓国軍慰安所記事に対する報復的な処分であると報じる。それについて山口氏は、懲戒や解任は記事政治的な内容が理由ではなく、寄稿手続き問題があったからだと、自身FB説明

 

2015年6月8日高輪刑事山口氏を成田空港逮捕しようと待ち構えるが、直前で上から命令逮捕中止に。8月書類送検になる。

 

2016年5月30日山口氏は自己都合でTBSを退社し、米国シンクタンクイーストウエストセンターの客員研究員になり、6月9日幻冬舎から総理出版7月22日に不起訴となる。

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伊藤さんの件と「韓国軍慰安所記事の件が並行して進んでいたのが2015年3月4月伊藤さんの件発覚後のTBS社長会見で、TBSにも事件について警察から問い合わせがあり、山口氏本人にも説明を求めていたと発表されている。それが4月なら懲戒人事に影響あったと思われるし、5月以降なら懲戒人事は文春記事の件だけが理由おかしくない。

2019-11-15

anond:20191115125940

まず、住居権者・管理者意思に反する立入りを「侵入であるとする立場意思侵害説)がある。これは通常、住居侵入罪保護法益を住居権と解する立場から帰結であると言われる。他方、住居の平穏を害する立入りが「侵入であるとする立場平穏侵害説)があり、これは住居侵入罪保護法益を住居の平穏と解する立場から帰結であるとされている。

(略)

最高裁判決が「侵入」を肯定した事例には以下がある。

自由に入れる場所でも目的不法なら入った時点で不法侵入になる?

まじめに考えると意外と複雑なやつか

2019-11-03

anond:20191103140847

前提として、まず吉本興業経営陣のお粗末な記者会見ネットテレビで大々的に生中継されたことを思い出していただきたい。

そして、その映像を受けてギャラの配分についての所属芸人Twitter上でのつぶやき話題になったことも覚えているだろう。

以下の記事を読めば、公共機関広報吉本興業ではなく他の企業仕事を渡すべきだ、という私の主張はこの時点で理解できるだろう。

7月22日記者会見https://www.youtube.com/watch?v=linB0yJditc

7月22日弁護士ドットコム記事https://www.bengo4.com/c_23/n_9914/

7月24日弁護士ドットコム記事https://www.bengo4.com/c_5/n_9922/


ここでは吉本興業国連広報とのSDGsの推進で連携していることを取り上げて、吉本興業問題点を浮き彫りにしようと思う。

まず、SDGsとは何かと言ってしまうと「地球で皆が持続可能に発展しながら生きていけるように世界規模で果たすべき目標を決めた。」という話で、

17目標と169のターゲットが示すように、食糧問題人権労働問題環境問題など多岐に渡り取り上げられている。

そしてその決めた目標、すなわちSDGs推進のために広報として国連広報センター吉本連携をしているのだ。

上述した前提の状況があり、その上様々な不祥事の続報があるにもかかわらず、今も国連広報センター吉本興業連携を続けている。

皮肉なことにSDGsの周知が浸透すればするほど、国連広報吉本興業連携していること自体がより大きな問題になってしまうのだ。

例えば7月記事で、国連吉本興業動画発注しているが、吉本興業へ支払った金額は「公表できない」としている。

さらにこの国連広報センター長が吉本興業連携を存続すると発言した記事が出てからまともな続報が無い。

10月中ごろに出た記事では、「吉本興業大崎社長に協力を直訴」した旨が語られておりセンター長自ら責任を強調した。

しかし、7月記事でも10月記事でも連携を存続する理由説明根拠についての説明責任は果たされていない。

国連広報センター長に個人攻撃をしたいのではない。ただ説明責任果たしてほしいだけであることは明確にしておきたい。

7月23日のHUFFPOST記事https://www.huffingtonpost.jp/entry/yoshimoto-sdgs-un_jp_5d367df2e4b020cd994883f1

10月16日のニュースイッチ記事https://newswitch.jp/p/10719

2019-07-24

動物の「(馬鹿みたいな行動が)可愛い」って究極に見下してねぇ?

犬猫可愛いって言うのを見かけるが

可愛い」の根元には「アホみたいな行動してるw」とか「馬鹿みたいw」という嘲笑が含まれている場面があったりする。

犬が自分尻尾を追いかけてクルクルしてたり。

その一生懸命さを「可愛い」って言うのはどうなんだ?

見下しは1mmもないのか?

毎回、少しだけモヤッとする。

これは可愛いと言って良いと思うが。

ノリノリで可愛い

こっちは純粋に凄い。

この表情すごいんだが、何を思ってるんだろう

2019-07-23

[]2019年7月22日月曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
0014822024148.841.5
0196819985.436.5
02405142128.656.5
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1日3005301475100.338

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

開票作業(4), 電子投票(4), 市井紗耶香(5), ALS(8), 別姓(36), 政党要件(5), 与党側(3), 岡本(10), 夫婦別姓賛成(3), RED(3), 改選(3), 姓(52), 議席(39), 名字(32), 立憲(23), 投票率(27), 党(48), 投票(171), 当選(35), 選挙(144), 会見(18), 自民(66), N(32), 国会(31), 増税(50), 与党(38), 京アニ(33), 野党(86), 自民党(65), 消費税(59), 賛成(36), 支持(63), 票(28), 政治家(39)

頻出トラックバック先(簡易)

ALS患者れいわ・舩後氏の参議院選当確について /20190722100115(29), ■勝ったのは自民?立憲?どっちだと思う? /20190722074916(19), ■「頂きたく。」で止める言い方何なん? /20190721231813(14), ■魔法職(杖装備)の通常攻撃 /20190722134405(13), ■統合失調患者は救済対象じゃないよ /20190721105553(13), ■その同人誌、そのキャラでやる意味はあるんですか? /20190721142704(11), ■お前ら選挙だけど /20190720163623(8), ■「そして輝くウルトラソウル」で韻を踏める言葉 /20190704134816(8), ■母が女王になった日 /20190609120505(8), ■選択子無しが子供を持つ条件 /20190720014155(7), ■夫婦別姓 /20190722154708(7), ■Vtuber中の人が変わるのってそんなに大事(おおごと)? /20190718090941(6), ■山田太郎投票して自分の首を絞める二次創作屋 /20190721223532(6), ■汚部屋住みOLだけど片付けじゃなくて多分生活の仕方がわからない /20190722222223(6), ■急募 BBQの断り方 /20190722234026(5), ■最近増田、優しくて真面目じゃない…? /20190722003102(5), ■選挙開票見に行ったら役人ちょっと揉めた。 /20190722001522(5), ■男女の友情、ああだこうだ /20190522142143(5), ■小卒の無敵の人より /20190721201513(5), ■anond20190722164153 /20190722164233(5), ■ /20190722103035(5), ■「自民投票した人は増税賛成なんですね!!!」 /20190722095123(5)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

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2019-07-22

吉本芸人契約書を交わすべき

5月下旬宮迫(以下M)にフライデー直撃

M:直撃時「正直覚えてね~」、家帰ってから、「そういやそんな事あったな。ま、ウチの会社フライデーと付き合いあるし大丈夫だろ」←#1

6月2~3日、吉本フライデーから質問状を受領

M:関係芸人田村、以下T、含む)に向かって「もらってねえ、ってことだぞ」(もらった気がするけど確か打ち上げで使ったからチャラだよな、そうだと思い込みたい保身)←#2

関係芸人:宮に言われれば何も言えない←#3

6月8日、TとM#5

T「もらいました、俺50、M100」

M「いやもらったってったって打ち上げで使ったろ、チャラじゃん#4、むしろお前もらってんなら駄目だろ」

T「(オレ一人になすりつける気ですか?)いやお釣りもらってますから。」

M「いや覚えてない(逃げたい)」

T「間違いないです(必死)」

何やかややり取りがあり、M腹をくくる。#6

6月中旬芸人ヒアリング受領金額記憶はなく事実は確定せずと吉本側。MとTの趣旨と異なる。

6月下旬7月17日まで

吉本とM,Tの時系列はほぼ一致。パワハラがあったかは主張異なる。#7

7月18~19日、Mへ契約解消通知#8、#9

7月20日、MとT会見#10

7月22日、吉本社長会

#1 増田の推測(時世柄お断りを入れておく)

#2 ここでの嘘は保身であり、避難されるべきであり、実際されている。

#3 悪しき吉本伝統であり、今回の騒動において治すべき点と増田は考える。

#4 確定申告上、雑所得は、必要経費相殺される。100万のギャラに対し、100万の飲食代が必要経費として落ちるならば収入は0になり税金はかからない。

#5 会話、カッコ内の心理はすべて増田推測

#6 増田の推測。甘いかもしれないが、M自身だけでなくT含め後輩に対しても責任を取ると腹をくくった、と感じられる。

#7 パワハラはあったんだろうよ、と増田は推測する。

#8 契約書ないのになぜ契約解除なのか?

#9 フライデー2報が引き金と思われる。会見でMは内容を否定

#10 増田感想は、正直、Mは芝居かかっていたが8割は真実だろうなと。Tはほっとくと死にそうな顔してた。

直営業の可否を含め、結局の所吉本は、芸人契約書を交わすべきである。先輩後輩の力関係もっとゆるいべきであり、先輩が後輩におごらなければいけないような雇用状態問題である

反社問題について、別途。

警視庁東京都暴力団排除条例 Q&Aでは、「結婚式などの名目で多数の暴力団員が集まる行事に出席している場合」は「暴力団又は暴力団員社会的非難されるべき関係を有している」とされる。一方、「単に暴力団員と一緒に写真に写ったことがある」だけをもって「暴力団関係者」とみなされることはない。「相手が「規制対象者」であることを知らなかった場合」「利益供与違反にならない」。「利益供与違反(第24条第3項)に当たる行為をした事業者であっても、その違反した事実について、公安委員会に申告した場合には、条例規定された「勧告」の措置免除される」とのこと。

今回の事例は、知らなかった、知っていたにかかわらず、M,T+入江公安委員会に申告、少なくとも相談はすべきかと思われる。増田は、薄々わかっていた、「吉本過去契約があったならたとえ反社であっても大丈夫だろう(もしものとき吉本がもみ消すだろう)と思った」と推測する。

anond:20190722122719

2009年7月22日投票率と得票率の差もわかってないのに『投票率4割台でもサンプリング統計的には十分だろ 残り6割が4割とまるっきり違う考えであるなんてことはまずないだろうし』と書いてしまい、

10ROMってろ!!』

と言われた者です。

あれから10年、ひたすらROMに徹してきました。

来る日も、来る日も。

そして今、

やっと念願叶ってトラバをしようとした矢先に、

投票率4割台でもサンプリング統計的には十分だなんて………

感動で……胸が一杯です。

人間、辛抱すれば良いことって有るんですね!

こんな僕ですが、

残り6割が4割とまるっきり違う考えであるなんてことはまずないだろうし…!



投票率4割台でもサンプリング統計的には十分だろ 残り6割が4割とまるっきり違う考えであるなんてことはまずないだろうし!

2019-01-21

田中 カ子(たなか かね、1903年明治36年1月2日 - )は現在116歳の日本福岡県福岡市東区長寿女性世界最高齢者であった都千代2018年7月22日に死去して以来、長寿世界一並びに日本一となっている。

2018-12-14

anond:20181207184322

プロじゃないの?

<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

2018-07-23

これツイッターでバズってたからやってみたけどほとんど誤差

空気読めない人になるのでここに書きました

家電のBigOnion[お知らせ] 2018年7月22日

お客様個人情報入力・表示される「注文画面」、「会員登録画面」、「お問い合わせフォーム」につきまして、最新のセキュリティに強化 致しました。

ウイルス対策/スパイウェア対策/スパム対策/不正アクセス対策

家電のBigOnion - 家電卸・格安販売

[]2018年7月22日日曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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頻出名詞 ()内の数字単語が含まれ記事

人(194), 自分(139), 今(84), 日本(73), 話(68), 女(68), 増田(65), 男(62), 人間(57), 問題(57), 好き(55), 意味(53), 前(52), 子供(52), 相手(49), 気(44), 普通(42), 必要(42), コミケ(41), ー(40), 結婚(39), 感じ(38), 最近(37), あと(36), 場合(35), 関係(35), 熱中症(34), 差別(33), 気持ち(32), 社会(32), 世界(31), 理由(31), 他(29), イベント(28), オタク(28), 頭(28), 参加(28), 仕事(27), 結局(27), 目(27), ネット(27), 可能性(26), 存在(26), 別(26), 女性(26), 対策(26), ダメ(26), 中止(25), 昔(24), 今日(24), 時代(23), 嫌い(23), 学校(23), 状況(23), 作品(23), 時間(23), 国(22), 海外(22), 一人(22), 家(22), キャラ(22), ゲーム(22), 手(21), 全部(21), エアコン(21), 金(21), 最初(21), じゃなくて(21), タイプ(21), しない(21), 人生(20), 個人(20), 理解(20), 自由(20), 無理(20), 子(20), レベル(19), 嫌(19), 顔(19), 場所(19), 大丈夫(19), ゲイ(19), 危険(19), 絶対(19), バカ(18), 記事(18), ただ(18), 反応(18), 違い(18), 親(18), 会社(18), 非モテ(18), 毎日(18), 他人(18), 程度(17), 次(17), 方法(17), 能力(17), 言葉(17), 確か(17), 自体(17), 結果(17), 納得(17), 生活(17), 一部(17), 東京(17), 解決(17)

頻出固有名詞 ()内の数字単語が含まれ記事

日本(73), 増田(65), コミケ(41), 熱中症(34), 可能性(26), じゃなくて(21), 非モテ(18), 東京(17), マジで(15), ブコメ(14), 自己責任(13), イケメン(12), …。(12), アイマス(12), ポリコレ(11), ツイッター(11), スマホ(11), ブクマカ(11), いない(11), なんだろう(10), 最終的(9), hatena(9), Twitter(9), 安倍(9), 甲子園(9), 元増田(9), ネトウヨ(9), 個人的(9), 1人(9), ツイート(8), LGBT(8), s(8), 好きな人(8), 毎日(8), ブクマ(8), 2人(8), PC(8), ソシャゲ(8), 参加者(8), 何度(7), 中国(7), .s(7), twitter(7), わからん(7), ヤバい(7), article(7), プレイ(7), OK(7), にも(7), アメリカ(7), 発達障害(7), 契約結婚(7), 東大(7), ドイツ(7), P(6), 健常者(6), モテ(6), アレ(6), 一緒に(6), 暑さ(6), なのか(6), フェミ(6), 北海道(6), ()(6), フランス(6), 外国人(6), 10年前(6), w(6), 体育会系(6), go(6), 意識高い系(6), はてブ(6), バズ(6), モテる(6), 優生思想(6), 金(6), いいんじゃない(6), キチガイ(5), ???(5), 高校野球(5), 玉袋(5), 麻原(5), 10年(5), 社会的(5), エストニア(5), 人間関係(5), 同調圧力(5), シンガポール(5), はてなー(5), な!(5), ブログ(5), 夫婦(5), 合理的(5), デレステ(5), 自分自身(5), マイノリティ(5), 犯罪者(5), キモ(5), 生活保護(5), 20年(5), 非正規(5), レズ(5), 自分たち(5)

投稿警察もどき日中に再投稿された本文の先頭20文字 ()内の数字投稿された回数

うんち (6), チʕ•̫͡•ʔン*̫͡*ʔポ-̫͡(2), おっぱい (2), わかる (2), 昨日今日と思ったけどアホみたいな暑い(2), あばらと腰がうまいんだよね (2)

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増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

5426646(3104)

2018-02-14

サッカー小国代表Wikipedia見るの楽しい

サッカーブータン代表

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3%E4%BB%A3%E8%A1%A8

最大差勝利試合	2003年4月23日グアム
6-0
最大差敗戦試合	2000年2月14日クウェート
0-20

ここに負けてるサッカーグアム代表ってどんなだよと思ってリンクをたどる

サッカーグアム代表

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%A0%E4%BB%A3%E8%A1%A8

最大差勝利試合	2012年7月22日マカオ
3-0
2012年9月29日マカオ
3-0
2013年3月6日台湾
3-0
最大差敗戦試合	2005年3月11日北朝鮮
0-21

FIFAランキング最下位決定戦「アザー・ファイナル」でサッカーブータン代表と対戦したサッカーモントセラト代表

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%88%E4%BB%A3%E8%A1%A8

最大差勝利試合	2012年9月9日イギリス領ヴァージン諸島
7-0
最大差敗戦試合	2004年2月29日バミューダ諸島
0-13

サッカーイギリス領ヴァージン諸島代表

最大差勝利試合	1999年3月19日プエルトリコ
5-0
2000年2月27日アンギラ
5-0
2004年1月30日対アメリカ領ヴァージン諸島
5-0
最大差敗戦試合	2010年10月14日ドミニカ共和国
0-17



ちなみにアイスホッケーだと得点差がもっと面白いことになる

アイスホッケー日本代表

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%BC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A3%E8%A1%A8

最大差勝利試合
日本 44-1 クウェート
(1999年1月30日韓国江陵)
最大差敗戦試合
日本 1-25 チェコスロバキア
(1957年3月4日ソ連モスクワ)

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

モルモット Permalink | 記事への反応(1) | 03:05

2017-12-22

はあちゅうBuzzFeed #MeToo 議論ヨッピーは何をしたか

BuzzFeedに対して愛情を込めて書く。

はあちゅう #MeToo の為にBuzzFeedヨッピー謝罪を何故すべきなのか

https://anond.hatelabo.jp/20171222232013

の続きである

BuzzFeedは格好いいクールなオピニオンニュースメディアだ。きっと世界を変えるだろう。

ライフハックや、懐かしい話題、感動する話題、診断系やクイズで衆目を集め、そこに人の感情に訴える記事キャンペーンを張って、世論や、社会や、政治までも動す。

そういった、社会を変えようという強い意志積極的姿勢に憧れる。

実際にアメリカでは、差別主義者に対して一定抑止力を発するメディアとして確固たる立ち位置を築いている。

US版は、アパレルも展開していて、キャンペーンBuzzFeedを支持する人たちの間で定番のお洒落アイテムだ。インスタグラム映えすることからファッショニスタにも浸透している。

ファッショニスタに浸透することで、社会運動は更に多くの人へ。と、なり社会に大きな影響を与える。

今回も日本BuzzFeed応援する人がアメリカほど増えていたら「はあちゅう #metoo」と描かれたT-シャツ支援者が身に着け、待ちへ繰り出し、キャンペーンを後押しするツイートをしていただろう。

などど、妄想しても仕方ないが。ただのネットメディアの枠を超えた立ち位置にいるメディアBuzzFeedなのは伝わるだろうか。

BuzzFeed」は社会を動かすオピニオンニュースメディアなのである

BuzzFeedアメリカでは、ポリティカル・コレクトネス特に大事ものとしていて、政治的社会的に公正・公平・中立的で、かつ差別偏見が含まれていない言葉用語を用いるということを、大前提としている。そういう一貫とした姿勢増田や支持者を惹き付ける。

セクシズムや一定職業への蔑視なんて論外だ。これは、他のメディアでも本来駄目なものなんだろうけど。

特に特にセクシズムなどは論外だ。

大事ことなので、2回ね。

そこで、気になってた事を思い出した。まずは見ていただきたい。

ヨッピー‏ @yoppymodel 2016年1月3日

ヤリマン

のり @ajitsukenori115

@yoppymodel ヨッピーさんはどんな女性が好きなのですか?

ヨッピー‏ @yoppymodel2012年9月20日

ヤリマン差し入れとか喜びますよ。 RT @ymmtbot: 東京に住んでたらヨッピーさんに差し入れ出来たのにな~!って思ったけど、iPhoneが喜ぶ差し入れって分かんないか東京に住んでても行ってなかったかもしれんね。

ヨッピー‏  @yoppymodel 2012年7月22日

土屋アンナの事を「おしゃれヤリマン」と呼ぶ運動かいしました。応援よろしくお願いします。

ヨッピー‏ @yoppymodel 2013年11月22日

「お店にヤリマンはいますか?」って聞いたらブロックされるのかな。

ヨッピー‏ @yoppymodel 2014年3月4日

女性に「ヤリマンぽい顔ですね」って言っただけで嫌な顔されたので生きにくい世の中になったなぁとしみじみ思う火曜日の午後。

ヨッピー‏ @yoppymodel 2014年11月17日

レンタルバイクを借りました。これで沖縄一のヤリマンを探しに行きますヤリマンや〜い!

どうですかね。

比較的マシな物を取り上げてみたのだが、5年間絶える事なく続く、徹底的なセクシズムと、女性蔑視大好きなセクシス目線、おまけに沖縄蔑視まで感じる。

更に土屋アンナさんを誹謗中傷するセクハラ社会運動迄、11万人のフォロワーに向けて呼びかけているではないか

こういうのは本来受け取る側それぞれの視点でセクシス認定がされるものなんだが、これは言い逃れようがないレベルでひどい。

これがセクシズムではないと言ってしまうと、全ての反差別運動崩壊する。そういうレベルだ。

あと、気のせいだと思うのだが、いくつかの問題発言が消えている気もする。

結構ヨッピー氏、ツイート消すしね。増田の気のせいだと思うけど。

この様な発言を繰り返す人物日本ポリティカル・コレクトネスを推進する立場BuzzFeedに深く関わっていると見られる記事がいくつかある。

それが増田は昔から気になっていた。

BuzzFeed広告記事広告ではありません│ステマでも記事広告でもないBuzzFeedビジネスを、中の人解説します。

https://www.buzzfeed.com/youkoseki/buzzfeed-sponsored-contents?utm_term=.oyr9D682x9#.gl9GDmyYxG

おもしろ広告」ってどうやって作るの?人気ライターヨッピーさんに聞く

ネイティブ広告事業を展開するBuzzFeed Japanが、ネイティブ広告をこれまでたくさん実践してきたヨッピーさんに話を聞きに行きました。

https://www.buzzfeed.com/jp/youkoseki/interview-with-yoppy-san?utm_term=.hg2oJW783o#.tszkqAyGzk

ライターヨッピーさんに「会社員やりながら“生産する趣味”を持つのが最強」という話を聞いてきた│「いつでも辞めたるわ!」って言えるようにね。

https://www.buzzfeed.com/jp/narumi/yoppy-tsuribori?utm_term=.ph3Qv4yraQ#.jhgpvj619p


BuzzFeedが、自社の「広告」ではない「記事広告」の看板としてヨッピー氏を押し出し新刊宣伝(*1)を人気ブロガーを使って宣伝しているのが見て取れる。2番目のヨッピー氏をフューチャリングした記事は必見だ。どれだけBuzzFeedヨッピー氏を信頼しているかわかるだろう。

播磨谷拓巳/TakumiHarimaya‏認証済みアカウント @takumiharimaya

元ノオト社員、元トゥギャッチ編集長として言えるのは「意に沿わない仕事は断る」です。/広告は悪なのか。少なくともヨッピー記事広告広告としては性能が低いのではないか - shi3zの長文日記 (id:shi3z / @shi3z)

2番目の記事を見ると、id:shi3z の時に元ノオト社員、元トゥギャッチ編集長として素晴らしい意見を述べてた彼は今はBuzzFeedの中核にいるんですね。

ヨッピー氏は数年に渡り継続しているセクシズム発言以外にも、職業についてもポリティカル・コレクトネスレスが目立つ。

BuzzFeedは素晴らしいオピニオンニュースメディアなのに、そこにセクシスト・差別主義者的発言が目立つ人を看板にし続けているのは非常に残念だ。

はあちゅう氏(以下、はあちゅう) じゃあ私が。ヨッピーさんの強みって何ですか?

ヨッピー (笑)。これさっき言ったとおりで、僕がプロ無職を名乗ってるのは、弱者を装うみたいな部分があって、皆さん、同志社大学とか立命館大学とかって、これ世間一般的には高学歴じゃないですか。

同志社大学の誰々が何かして、わー! ひどいー!」とかって、すごいあるじゃないですか? こんなこと言うとあれですけど、そんなに有名ではない大学の人だったら割とスルーされるのに、同志社とか立命館だと「妬み」が影響しちゃうんですよね。

プロ無職」を名乗るのは、弱者を装うため

童貞ブランディング炎上経験ゼロ

http://logmi.jp/67611

見出しも、内容も、結構煽ってる。

同志社愛と結構凄い、「そんなに有名じゃない大学差別と、無職に対するポリティカル・コレクトネスに欠けた発言だ。

これに関してBuzzFeedヨッピー氏に 対して強い警告を発するべきだ。

BuzzFeed」は「ノオト」と仲が良いようだし、「BuzzFeed」には元「ノオト」の人もいるので、有名ライター立ち位置の高いヨッピー氏に、謝罪し、ポリティカル・コレクトネスを遵守する様に要望できるのは「BuzzFeed」くらいだろう。

今回の発言が何故問題なのかは別の話で例えればもっとわかりやすい。例えばDV

仮に、暴力振るわれて告発した人が、実は別の人に暴力を振るってたとする。

もしそうだったとしても、その人が告発する権利存在するし、それを否定してしまうと民主主義は成り立たない。

ただ、その告発した人も自分が振るった暴力について、指摘をされるというだけだ。

これが、増田はあちゅう氏の告発応援したい理由である

だが、そのDVに関して、異論を唱えている「メディア」側の人間が実は暴力を奮っていたとなったら別の話だ。

「加害当事者だって被害を無くすキャンペーンメディアで発信していい」とはこの場合はならない。

さいごにまとめ。

・「BuzzFeed」はにポリティカル・コレクトネス欠如についてヨッピーに注意をすべき*2

過去ポリティカル・コレクトネス配慮の足らなかった部分について「BuzzFeed 」上で謝罪発表の場を与えてあげ改心のきっかけを与えよう*3

・今回の事件をうけ、「BuzzFeed」はポリティカル・コレクトネス遵守宣言を改めて行って、日本ネット表現中立性を確立してほしい*4

本人も新エントリーで、自戒すると言っているけど、よく読むと謝ってるわけでもないぞ。どういうことだ。

ヨッピー‏ @yoppymodel 2017年5月15日

これ、申し訳ないけど、感謝おじさんがそのタイプなだけなのでは…?僕の「ヤリマン呼ばわり」については完全に筋金入りで、過去に「友達の嫁、彼女」「友達の姉」らへんも酔っ払った勢いでヤリマン呼ばわりして親友を三人くらい失いました。

って言っている位だから、もはや本人もセクシズム発言止めれなくて困っているんじゃないか治療の一貫だと思いBuzzFeedは #MeToo の為にヨッピー氏を断罪すべきである

今回も登場し発言をした、津田大介さんも「おトイレですか? お手洗いですか?」「確かに、確かに。音と匂い想像しながらね」と共演者セクハラして、その場で相手にたしなめられた筈が、その後記憶にないと発言をする位には、セクハラに関しての自覚が #youtoo だから、ついでに一緒に謝ると良い。

(*1)人気ブロガー新刊宣伝をしてもらって、商品名を明記しない隠しリンクAmazon販売ページに誘導って、随分リスク犯してまで協力してもらえるんですね?って勘ぐる人も出てくる。BuzzFeedアフィリエイトリンクを貼っている記事末のリンクの貼り方はAmazonアソシエイト規約的にNGです。

(*2):あたりまえのことだけど、ポリティカル・コレクトネス日本どころか世界にとって必要な考えで、その啓蒙活動は身内からしいかなければならない。

(*3):改心するとこで、がポリティカル・コレクトネス必要性を訴えれば、加害当事者出身で改心者という強い説得力を持つ。なにより彼はコンテンツ力があるし。

(*4):日本メディアで、ポリティカル・コレクトネス遵守を宣言している初のメディアになれることを誇って、最低限これはやるべきだ。

2017-11-01

2017-07-22

家電のBigOnion[お知らせ] 2017年7月22日

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ウイルス対策/スパイウェア対策/スパム対策/不正アクセス対策

家電のBigOnion - 家電卸・格安販売

2017-04-04


#ADHD対策

1: 個性的名無しさん 2015年07月21日 19:01>>返信する

私もショルダーバックが欠かせません、ADHDです。寝るときもかけてます

笑われたり、肩が凝ったりしますが、慣れました。

中身は、ボイスレコーダーペンテレホンカード図書券などのプリペイドカード類、身分証、鍵、定期券耳栓ストップウォッチです。全てカラビナリールでショルダーバック本体に結び付けてあります

使いすぎと紛失の予防のため、携帯現金は持ち歩きません。

まだ持っていない人にはレスポートサックミニショルダーがおすすめです。ADHDの人は、人生変わると思います


13: 個性的名無しさん 2015年07月22日 00:52>>返信する

ポケットいっぱいのバッグは、ショルダータイプブリーフケースビジネスバッグ)に多い。

少し変わり種だと、カメラバッグも内部の仕切りやポケットが多いしクッション性があり、

帆布製・革製なんかは、多少のファッション性はあるかもしれない。

ただ、仕切りを外せるタイプじゃないと書類等の紙類は入れづらい。

単体で持つなら、の条件付きになるけど、小型だとウエストポーチミニショルダーより、

ボディバッグたすき掛け)の方が、好奇の目で見られる確率は低いと思う。

邪魔かもしれないけど、あらすじを暗記した本の一冊でも一緒に入れておいて、

何か聞かれたら、それを見せるようにすれば良いんじゃないだろうか。

定型からすれば、記録用ツールしか持っていないのも嘲笑理由になるわけで。

参考URL:http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/45614325.html

2016-12-25

2016年グローバリズム終焉した年だった

1月1日 - イスラエル中部テルアビブで銃乱射が発生、9人が死傷

1月3日 - サウジアラビアイランとの外交関係断交

1月11日 - イラク連続テロが発生し48人が死亡

1月12日 - トルコイスタンブールで爆発、10人が死亡、トルコ政府ISILによる自爆テロとの見解

1月14日 - インドネシアジャカルタテロ・銃撃戦、被疑者ISILと関連

1月16日 - 2016年中華民国総統選挙民進党蔡英文当選

1月30日 - シリア首都ダマスカスで爆発、45人が死亡、100人以上が負傷、ISIL犯行声明

2月7日 - 北朝鮮人工衛星と称するミサイルを発射

2月15日 - 保育園落ちた日本死ね

2月20日 - アメリカミシガン州無差別発砲の銃撃事件、5人が死亡

3月20日 - アメリカ合衆国大統領バラク・オバマキューバ訪問

5月9日 - フィリピン大統領選挙、ドゥテルテ当選(→麻薬戦争8月までに1000人以上死亡)

5月26日~27日 - 第42回先進国首脳会議

5月27日 - バラク・オバマが現職アメリカ合衆国大統領として初めて広島市訪問

4月3日 - パナマ文書公開

6月12日 - アメリカフロリダ州銃乱射事件、50人が死亡、ISIL系のサイト犯行声明

6月22日 - 北朝鮮が中距離弾道ミサイル2発を発射

6月23日 - イギリス欧州連合離脱是非の国民投票欧州連合 (EU) 離脱支持票が過半数を占める結果

6月25日 - アジアインフラ投資銀行の第1回年次総会

6月26日 - 拡張された新しいパナマ運河が開通

6月28日 - トルコイスタンブール空港テロ、死者36名、負傷者140名

6月29日 - 北朝鮮で第13期第4回最高人民会議

7月1日 - バングラデシュ首都ダッカにて、武装集団による襲撃・人質立てこもり事件、死者28人、負傷者50人、ISIL系のメディア犯行を認める声明

7月3日 - バグダードのカッラー地区繁華街爆弾を積んだ冷蔵トラックが爆発、200人以上の犠牲者

7月6日 - Pokémon GOサービス開始

7月7日 - アメリカで5日と6日、警官黒人男性が射殺されるケースが相次ぎ、全米で抗議活動が広がる中、テキサス州ダラスで7日夜、デモ警戒中の警察官5人が射殺される事件が発生

7月10日 - 日本で第24参議院議員通常選挙自公連立与党は合計70議席を獲得し勝利

7月12日 - (南シナ海に関して)フィリピンが「中国の主張は国際法違反」と訴えた仲裁裁判違反判決(→中国はそれに従わず

7月14日 - フランス南部ニーストラックテロ事件、84人が死亡、202人の負傷者、ISILの関連性

7月15日〜16日 - トルコで軍の一部によるクーデターが発生、未遂ながら200人を超える死者

7月17日 - アメリカルイジアナ州バトンルージュ警察官が銃撃を受け3人が死亡、3人が負傷

7月22日 - ドイツミュンヘン銃撃事件が発生。犯人を含み10人が死亡

7月26日 - 日本相模原障害者施設殺傷事件が発生。19人が死亡

8月5日 - 第31夏季オリンピック

8月8日 - 日本天皇生前退位問題に対してのお気持ちビデオメッセージで発表

9月4日 - 香港にて第六回立法会議員総選挙親中派は40議席、非親中派は30議席

9月7日 - 第15回夏季パラリンピック

9月9日 - 北朝鮮建国記念日に核爆発実験実施

9月14日 - 内戦が続くシリアで、米国ロシア仲介によって、アサド政権反体制派の停戦が発効

9月15日 - 4ヶ月で大学中退起業します。レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ。

9月17日 - 2016年マンハッタン爆発事件が発生、負傷者25人

9月22日 - バハマ文書公開

10月2日 - コロンビア内戦終結国民投票、僅差で否決

10月17日 - イラクハイダル・アル=アバーディ首相ISILに占拠された北部都市モスルの奪還作戦を開始と発表

11月9日 - アメリカ合衆国大統領選挙共和党ドナルド・トランプ民主党ヒラリー・クリントンを退けて当選

12月15日 - 日本安倍晋三首相ロシアウラジーミル・プーチン大統領が、山口県長門市で日露首脳会談

12月18日 - ヨルダン武装集団警官襲撃 観光客ら10人死亡

12月19日 - ドイツベルリンで行われていたクリスマスマーケットトラック突入、多数の死傷者

12月19日 - ロシアの駐トルコ大使アンカラトルコ人警察官に銃撃され死亡

12月19日 - スイスチューリヒイスラム教関連設備侵入した男が機関銃を発砲し3人が負傷

12月22日 - シリア政権反体制派が拠点としてきた要衝アレッポを完全制圧したと発表

事故災害は省いています

エンタメスポーツは一部を除き省いています

過不足の指摘などいただければ。

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