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2023-02-05

anond:20230205073209

「今あるものおかしい!」っていうのがリベラルさんなんだから

その立場立脚したらつまり共感さえ集まれば何でもやり放題じゃん

2023-02-04

anond:20230203110859

憲法には「家」も「特別優遇措置」も、何処にも書かれてないよ?

寧ろ現状の婚姻制度は、「家」による不本意婚姻とそれに基づく人権侵害から

個人を守るためにある。

結婚「出来る」よりも先に、結婚「しなくても済む」権利保障した規定だと読むのが自然なんだよね


家族関係における個人尊厳と両性の平等

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2 配偶者選択財産権相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人尊厳と両性の本質的平等立脚して、制定されなければならない。

2023-02-03

anond:20230203230358

どう読んでも同性婚は「想定されていない」以上の何物でもなく、同性婚を「認めていい」とも書いていなければ「認めてはいけない」とも書いていない。法の原則に則れば「書いていないことは禁止されていない」のだから、少なくとも「同性婚を認めたとしても違憲にはならない」というのが当然の解釈でしょ。同時に「同性婚を認めなかったとしても憲法(少なくとも24条)には違反しない」というだけで。

同性婚を認めないのは違憲」と主張するなら、憲法上の根拠24条ではなく14条辺りになるのかな。まあ東京地裁の「24条の(1項には反しないが、)2項には反する」という判断も分からなくもない。(以下が24条2項)

配偶者選択財産権相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人尊厳と両性の本質的平等立脚して、制定されなければならない。


でも宇崎ちゃん献血ポスター問題があったとは思いません。

2023-01-31

まあ、単に「オタク」という言葉定義曖昧なだけで、「ここではフィクトセクシュアルのことをオタクと呼んでいるんだ」という前提に立脚した話だと言うならわからないこともない。

2023-01-27

日本は. 将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか

昔の資料だが、産業構造ビジョン2010


国民の皆様の暮らし生活の「閉塞感」は何ら改善していない、むしろ、将来に向けて、新たな光が見えない、というのが実感ではないでしょうか。


私は、この背景に、「日本は将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか」が見えていない、ということがあるように思います


これまで、「日本は高度なものづくりでやっていけるんだ」「いやいや、ものづくりは古い。金融ITで食べていくんだ」

「これから内需だ」「いやいや、これからは、成長するアジア市場に出て行くんだ」

「それじゃ、企業はみんな海外にいってしまうんじゃないか」と、様々な議論がでています

これに併せて、根拠のない日本礼賛論、何も生み出さな悲観論実態から乖離した観念論が飛びかっています


どれも、真実の一面をとらえているのでしょうが日本産業の将来像を示しているとは言えません。


全体として、日本産業の将来像を示し、それに向かって行動を起こさない限り、国民の皆様の閉塞感は払拭できないと思います

そこで、今回の「産業構造ビジョン2010」では、徹底して、日本産業課題と、世界の動きを分析しました。

そこで明らかになったのは、世界企業市場の新たな動きに取り残された、日本の官民の「行き詰まり」の現状です。

この行き詰まりを打開するためには、現状分析立脚して、政府民間を通じて、発想の転換を行う必要があります


徹底した現状分析から、混乱した議論に対して、いくつかの「神話真実」が見いだせます


例えば、日本は過剰貯蓄だから消費の比率を拡大しないといけない、という議論を良く耳にします。

しかし、最近では、日本家計の貯蓄率は、既に米国を下回り、先進国の最低水準となっています

所得を増やさないで、消費を拡大するのは持続可能ではありません。


しかしながら、賃金の水準を見ると、2000年代戦後最長の景気拡大期においても、賃金の上昇は見られません。

企業がもうけすぎているから、企業負担させて消費者に再分配すべきだ、という議論があります

しかし、国際的に見ると、労働分配率先進国で最高水準だというデータもあります


いずれの事実も、「単なる再分配ではなく、全体のパイを増やし、それを所得の拡大につなげていく、という好循環を作り出さなければならない」ということを示しています


近年、日本産業は、付加価値拡大の多くを、自動車等の特定グローバル製造業依存してきたのは事実です。

しかしながら、実は日本の輸出比率国際的には低い水準にあります。これは、特定企業以外の多くの企業は、世界の成長市場と直接つながっていないことを示しています

グローバル製造業に極度に成長を依存している日本ドイツは、労働生産性が大きく改善しても、賃金水準はこの20年間殆ど向上していません。

これは、特定グローバル製造業依存した成長モデルは、新興国との賃金競争に直面して、なかなか賃金があがらないことを示唆しています


日本全体の付加価値をあげていくためには、特定グローバル製造業以外の産業が、成長市場につながっていく必要があります

まり産業構造のものの変革が必要なのです。


日本企業については、「日本ハイテク技術世界一。だから日本企業は強い」という議論があります

しかし、液晶でも、DVDでも、日本企業世界を席巻していたのは最初の数年だけで、世界市場が急拡大するとともに、日本企業世界シェアは急激に低下していっています

企業利益率で見ても、多くの業種で、日本企業は、同業種の世界企業と比べて、半分以下の利益率になっています


こうした事実は、特定企業や、特定製品問題というよりもむしろ日本産業共通したビジネスモデルが、世界から取り残されていることを示唆しています

グローバル化については、見方が分かれています。「グローバル化は国内雇用空洞化を招く」という議論があります。「だから外需ではなく内需依存に転換するべきだ」という議論もあります

かに保育園待機児童問題など、国民需要供給サイドが追いついていない、潜在的内需拡大分野は、たくさんあります


内需拡大は極めて重要です。

しかしながら、市場全体で見ると、市場拡大は、少子高齢化が進む我が国や他の先進国から新興国に移行するのは明白です。

成長市場から身を隠して、持続的に成長するのは困難です。

日本が衰退しないためには、むしろグローバル化を積極的に進めるしかありません。

しかし、国内立地の国際競争力の低下をそのまま放置してグローバル化だけ進めれば、国内から雇用付加価値も失われてしまます


最近アンケート調査によると、この数年で、アジアの中での日本に立地する魅力、すなわち立地競争力は、急激に低下しています

実際に、日本企業外国企業も、日本国内拠点を他のアジア諸国に移転する例が、次々と出始めています


この、いわゆる「空洞化」を回避するためには、グローバル化を止めるのではなく、税制も、空港港湾等の社会基盤も、国際的に魅力あるものにすることにより、付加価値雇用を生む拠点国内に引きつけていかなければなりません。


また、人材グローバル化はきわめて重要課題です。

教育制度など引き続き政府全体で検討すべき課題もあります

しかし、グローバル化は待ったなしです。

人材も、グローバル市場で戦える即戦力の高度人材を一人でも多く育成し、あるいは呼び込まなくてはなりません。

さらに、グローバル化を進める一環として、日本付加価値や良質な雇用を生んでくれる外国企業は、積極的に呼び込んでいかなくてはならないのです。


企業を補助するのか、労働者支援するのか」「外国企業支援していいのか」という国内の内向きの配分論ではないのです。


グローバル化に直面して、各国政府は、国内付加価値と良質な雇用を獲得するために、熾烈な競争を行っているのです。

日本けが内向きの議論に終始していては、衰退するしかないのです。


厳しい現実直視した上で、なお、日本産業には新たなチャンスがあることを忘れてはなりません。

環境エネルギー制約や少子高齢化は、日本世界各国に比べて極めて厳しい挑戦を強いられる社会課題です。

しかし、日本技術を活かして、世界に先駆けて課題解決ビジネスモデルを示せれば、むしろ新たな国際競争力の源泉になります

こうした数々の「転換」を実現するためには、政府はもちろんのこと、企業産業、そこで働く方々、各々が変革に向けた行動を起こさなくてはなりません。


そして、官と民の関係も、世界の動きや、社会課題解決要請を踏まえて、新たな関係を構築していく必要があります

産業構造ビジョン2010」は、その具体的な処方箋を示したものです。


雇用を生み出すのは企業であり、産業です。雇用の質を高めるには、企業産業競争力を高めることが必要です。

その先に質の高い雇用賃金の上昇、消費の拡大という好循環が見えてきます。単に企業利益を上げさせるために、ビジョン提示し、政策を打つのではありません。

その先にある、「国民の皆様一人一人が豊かさを実感する」という目的に向かって、閉塞感に満ちている現状と課題をしっかりと受け止め、官と民双方の、今後のあるべき姿と処方箋を、我が国全体で共有することが必要です。

2023-01-22

[] anond:20230121123355

元増田コミュニケーションコストを肩代わりするなんて言っていない (anond:20230121130433)

じゃあ下記必要無いんでないの?

わざわざ可視化するまでもなく、整えても・砕けた表現にしても・要約しても、話が通じない人がいることは皆日常で実感しているでしょう

SNS書き込みのような社会的な発信をする際に、また他人の発信したものを読む際に、AIによる自動添削/要約作業インターフェイスを挟むのは当たり前のことになるだろう。そしてそこ>に一枚AIが噛んでいることすら意識されなくなるだろう。

IMEも「欲しい字を呼び出すための道具」から自動で変換してくれるアシスタント」に意味が変わってきている。

 

とりあえず、おバカな人が見えない空間できゃっきゃしたいも何も、

おバカな人が好きそうなコンテンツSNSにいたらおバカな人を目にする機会はどうしたって増えるんじゃないか

例えば、おバカな人が好きな Twitter だと、 NASANature論文紹介アカウントかにでもアレな人が突撃してるのよく見るよ

精神を病んだ人・宗教の人だけでなく、フツーに該当ジャンルバックグラウンドがある人だったりもしてる

科学アカウントでもそんなレベルなんだからマンガアニメゲームなんて説明するまでも無いよね

ましてや自称政治とか自称ジェンダー見てる人はとても正気とは思えないよね。趣味から致し方がないが

 

ーーーーーーーーーー

追記

増田主題としているところはAIって言ってみたかっただけよねって感想になるし、

おバカな人が好きそうなコンテンツ場所にいなきゃ良いだけじゃんってなるし、

所得(知能が影響することが多い)が違うと生活スタイルが異なることが多いは別に近代に限ったことじゃないじゃん

エスタブリッシュメント(上級国民)でもない限りむしろ現代は差は縮まったでしょ

・・・・って感想になるけど、

 

この2つはすごく共感できる

別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。

>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

>もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。

 

共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

ここが YESなっちゃうようなら、ペット共生なんて出来ないし、人間限定しても道徳社会規範刑法も要らないんだなぁ

○○をしたら自分社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物社会化成功したと言える

動物だって理解させることが出来るんだから人間理解できないわけないじゃない

これを理解させることがすべて保護者義務だし(なのでメンヘラ開き直りDQN保護者として不適格なことが多い)、

フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃん認識をしていて

特別支援必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ

CU特性

共感性に乏しく、悪いことをしても罪の意識を感じない。非行ハイリスク

http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~nagasawa/2019SEN.pdf

 

あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場人間尊厳尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない

アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、

福沢諭吉大学出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?

あとアカデミアの人間なのに自身バックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、

それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外学会同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?

こういう人たちは一刀両断バカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います

ただただひたすらにバカなだけで

 

 

社会にとって、下記の二つに該当する人物は脅威になり得ます

 

こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな

 

その中のひとつが娯楽の襟を正すことだと思います

ガチャ環境ガチャが大はずれしたキッズにお外の価値観に触れる機会を与えることができるのが、

スポーツ、娯楽(映画ドラマアニメマンガゲーム音楽小説)

から、売れれば正義現実空想妄想は違うからどんな非倫理的でも売れればセーフとか、

本当、いい加減なんとかした方がいい

 

参考にしてね

anond:20240310173949

2023-01-21

anond:20230121220009

本当にスルーしてから叩けよ

根拠のある正義立脚できなくなった時点でアウトだっていうのがよくわかるコメント

夢見すぎだと思うんだよな

増田が言ってる対象者オウム(AI)に整えられた文章そもそも理解することが出来ないぞ

対象者努力不足(訓練不足)で文章が読めないのではなくて生まれつきの学習障害なので

せいぜい接客営業で正しい振る舞いができない子が上っ面マシになる程度で

話が通じない人とのコミュニケーションコストを肩代わりなんかしてくれないと思うよ

 

まぁそういう水準の人の話は置いておくとして、

 

使ってはいけない言葉家族友達パートナーに投げかける人はどこの階層にもいて

アインシュタインレベルでも余裕でいるわけなのだが、

disコミュニケーションを繰り返す人がオウム(AI)によってマシになるかといえばそれもまた怪しいと思うんだよな

極端な話、学術的な話・技術的な話・複雑な制度の話とかで無ければ、

言葉が通じなくても時間かければ最終的には通じるから

 

使っている言葉問題ではなく増田自身が言っている通り思考能力問題よ、

ワイ的に言えばその人の価値観問題

同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

 

まぁ、一部の人増田でずっとChatGPTにきゃっきゃ言ってるが、元増田AIって言いたかっただけよねという感想持ちました

anond:20230121112445

AIチャットボット社会を不可逆的に分断する

バカガキがホームレス女性をなぶりものにして動画にしているとの記事があった。

差し入れを装って異物を食べさせて喜ぶ輩がいるのでホームレスは貰った食べ物を捨てるのだという話も。直接的に寝込みを襲う事例も昔からある。

なんでそんな酷いことをするのだと思う?

って、別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

しろそういうことをしない者はなぜしないのか。

同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

知能の格差は乗り越えることができない。

馬鹿の壁、というより巨大な空隙がそこにはある。大事なことは何も伝えられない。

われわれは心ならずも関わり合っている。本当は通じてないのを知っていて、あたかも会話が成立しているように振る舞っている。教育によってバカが「治る」かのように。

「会話が成り立っているかのように装うスキル」は、社会生活を送る上で長らく必須のものだった。「コミュ力」と呼ばれるものの正体はそれだ。

知的水準が近い者同士の意思疎通に「力」は必要ない。利害の不一致から対立が生じることはあれど、お互い全然何言ってるかわからないということは基本的にない。

バカとの会話にいくらエネルギーを投入しても成果はゼロだ。だからバカがゴネたり暴れたりするのを避けるためだけに、会話が成り立っているかのように粉飾することにエネルギーを使わざるを得ない。

さて、このような「あたか意味が通っているかのように体裁を整える作業」はAIの得意技だ。

SNS書き込みのような社会的な発信をする際に、また他人の発信したものを読む際に、AIによる自動添削/要約作業インターフェイスを挟むのは当たり前のことになるだろう。そしてそこに一枚AIが噛んでいることすら意識されなくなるだろう。

IMEも「欲しい字を呼び出すための道具」から自動で変換してくれるアシスタント」に意味が変わってきている。

星新一だったかな? 人間はみな肩にロボオウムを載せてそれを介して会話する。人間は「こいつ何て言ってんの?」とか「うぜえから帰れ」とかオウムに耳打ちすると「どういったご用向きでしょうか」「相すみませんが今手が離せませんので」とかオウムが代弁し、オウム同士で会話がなされる。その未来が来た。

この文章のいわんとすることは増田に常駐のバカにはわからない。というかそもそも読みもせずに適当に目についた単語に反応して鼻糞つけるような脊髄反射トラバがつくのが関の山だ。しかし少し先の未来には、バカの端末にはバカにとってもっと親しみがもてるかたちに(内容も)作り変えられた文章が映し出され、バカの頓珍漢なレスポンスは穏当な挨拶に作り変えられてこちらの画面に表示させられることになる。

しかしそれも過渡期にすぎない。「AIを介してしか会話できない」を経て「AIしか付き合いたくない階層」が生まれるだろう。

追記

こういうフワフワした話への他人コメントというのはすごくありがたい。

こっちも正味はフワフワで言ってるのだから、本文の字面のものにバチッと噛み合ったコメントじゃなくても、フワフワ思考が枝葉を伸ばしていくよすがになるのでありがたい。

ただ少々勘違いされてる人が多いのは、タイトルの不可逆的分断とは、末尾のもうAIだけでいいや層の出現を指すのであり、万古不変の「バカとの空隙」そのものを言いたいのではない一応為念

AIが便利なんで、努力で埋まる程度の距離自分たちで埋める気が失せる」ことによる細かな分断というのもあるいは生じるのだろう。このあたり言葉足らずだった。

バカとは。逆から言えば意思疎通コスト無限なやつがつまりバカである

デタラメ言う・聞く耳持たないふるまいを政治的武器に、頭の出来の悪さを強みに変える適応が骨がらみになった者をここではいう。(生来の知能の低さをそうやって「悪用」しない生き方現実的可能か?はむずかしい問題

AIオウム人間様の労力を代行し低減させる。しか無限は縮小できない。

代行できないところは、しれっとよくできたまがい物で置換するしかない。そしてAIにとって本物とまがい物は完全に連続しているのだ。そこにおいて代弁者独自権力を持つ。議会ブラックボックス化すると代議士支配者になるのと同じで。

まりAIは道具だと言い張る限りにおいてそれは道具だが、とりあえず自分AIさんのことただの機械だなんて思わないですという者は出てくる。それが一歩先の光景。その先はわからない。

追記

それにしても書いてあること読まない・書いてないこと読み取るブコメ割合がいつもよりだいぶ多い印象。ふわふわが呼ぶのか。

2023-01-17

セルフワーク系の)認知行動療法が嫌いな理由

ガチセラピストガチでやる認知行動療法についてはあんまり知識ない(ちゃんと受けたことない)から自分一人でやるカラム法みたいなカジュアルなやつに限った話になる上に、めっちゃ偏見まみれだけど(まさに「認知の偏り」?)。

から認知行動療法ライン作業感というか、「はいあなたに今生じた感情は〇〇という自動思考によるものですよー、それは△△という認知の偏りに基づいていますねー、この場合合理的思考は何でしょうかー、そう□□ですねー、『正しい認知』ができて楽になりました、よかったですねー」みたいな一連の流れがクソだなって思っていて、それは「あらゆる人の個別的な考えがテンプレ的なフレームに則って画一的に処理されていく」ことへの不快感によるものだと理解していたのだけど、最近になってそれとは別の切り口から嫌いな理由が考えられるようになった。

すなわち、「最初から『望ましい状態』という目標≒『結論』が決められているから」という理由

認知行動療法って、結局「外部から与えられた定義における『不適応を起こしている人間』」を「外部から与えられた定義による『望ましい状態』」に持っていく技術なわけじゃん。前者に関してはまあ「生きづらさを感じている」とか「トラブルが多い」とか、本人の困り感に立脚したものが多いだろうから置いておくとしても、後者の「望ましい状態」というのが、最初から自明のものとして設定されているというか、「合理的認知に基づいてストレスの少ない(ストレスに遭っても対処できる)人になりましょう!」という目標(≒結論)が何の疑いもなく立てられてる感じがする。そして、セルフワーク系認知行動療法においては、「不適応を起こしている人間自分」に対して、認知行動療法という「治療」を行うことで、「望ましい状態」に変わって(変えて)いこうね!っていう流れなんだろうけど、私はその「望ましい状態合理的認知に基づいてストレスの少ない(ストレスに遭っても対処できる)人」という前提が何の迷いもなく置かれているのが怖い。

かに、「解決すべき課題」や「なりたい自分」といった「目標」を持った人が、認知行動療法によってそれを達成しようとする時、認知行動療法というのは良いツールだと思う。「職場の人と円滑にコミュニケーションを取りたい」と思っている人にとって、「なりたい自分」は認知行動療法定義される「望ましい状態」と一致するだろうからセラピストなりテキストなりと二人三脚目標達成に向けて頑張れば良い結果になると思う。

でも、自分の中で「解決すべき課題」がはっきり見つかっていない、あるいは「なりたい自分」が明確に定義されていないうちに、治療者側(テキストを作った側)が考える「望ましい状態」こそが「目標である宣言され、そこに向かって自己変容をすることが「正しい」から頑張ろうね、と旗を振られることは、何というか、押し付けじゃないのかな?って思うのだ。それが本当に「正しい」のかどうか考える余地が与えられていないことに、息苦しさを感じるのだ。

もちろん、多くの人にとって「合理的認知ができる、ストレスのない状態」というのは「快」であり、「望ましい」、ひいては「正しい」ことなんだと思う。でも、うまく言えないけど、「不合理な認知」も「ストレスで苦しんでいる状態」というのも、それが「自分」の一面である以上、「正しくない、間違っている」と断言することは乱暴なんじゃないかな、と思うのだ。認知行動療法定義する「正しい」認知に基づく生き方を推奨するあまり、「偏った認知を持った人」が「偏った認知を持ったまま生きる」ことが否定されるのはダメなんじゃないか、と。

多分ガチ認知行動療法だとこの辺の問題クリアされてるのかなとも思うけど、セルフワーク系だとここらへんの認識があまりに雑なイメージ偏見かもしれん)があるから何となく書いてみた。あんまりまとまってないから書き直すかもしれない。

anond:20230117175121

そういうの、もっと女サイドから声あげて欲しい。

女性からっていう根拠で頼むのは個人的ジェンダー観では嫌なんだけど、近代フェミニズムが「当事者(女)でも無いのに偉そうなこと言うな」っていう無敵バリアの上に立脚しているので、そのバリア無効化するのはジェンダー的な意味女性しかできない。

2022-12-28

anond:20221228222637

アップデートってなんですか?日本語で具体的に説明できないでしょ。

そういうのが全然ダメ。具体的に説明できない以上、気分でしかない。気分なんてなんの意味もない。

自分がどう感じたかどう考えるかなんて現実には何一つ役に立たない。気分など全く意味がないことを自覚しましょう。

結局アップデートとか寝言を行っている連中は全員が税金チューチュースキームで肥え太っているだけではありませんか。そういう不正義を無視するから財政赤字になる。税金泥棒することのどこがアップデートなんですか?

そしてアップデートかいう連中は社会問題をなにひとつ解決できない。税金チューチュースキームを続けられなくなるからね。

少子化を解消できない以上、アップデートかいう連中はのさばる必要はないですし、尊重する意味はないでしょう。どこにその正当性があるのでしょうか「。誰も説明できないです。

以上から、仕方がないとか戻れないとかもなんの根拠もありません。それどころかそこに戻すのが憲法立脚した日本なので、できないとかいうのは大日本帝国の過ちを繰り返すだけで日本人は学習ができない馬鹿なのでしょうか?

いい加減もうアップデートしたらどうですか?

2022-12-25

ブルーロック面白い

最近見始めたおっさんだが面白い

友人にすすめられて見始めた

そいつ女子なので明らかにビジュアルで見はじめたタイプだけど

普段きらら見てるような俺でも楽しめた

 

構成はデスゲームスポーツって感じ(ちょっとカイジ地下労働っぽさも入ってる)

どっかでみたなーと思ったら大運動会だった、あれ大好きなんだよね

 

理不尽なことする主催者枠の人がちゃん理屈っぽいこと言ってて笑う

主人公理屈屋っぽいか解説役が居なくても成り立っている

主人公ビジュアルの割にかなり好戦的エレンタイプ

スタンドプレイかチームプレイか、っていうクソみたいな二元論に終止してないのがいい

サッカー作画めっちゃよくてかっこいい、良質な格闘漫画みたい

BL狙ってそうな雰囲気めっちゃ感じるけど個人的に嫌な感じがしない、むしろ尊い

・デスゲームでよくある「敵」「味方」がコロコロ変わる感じもおもしろ

 

てかこの話の構成ってうまくやるとハマるよな

スポ根ってどうしても試合がメインになるけど、試合ってもう擦られすぎてて新しいものが生まれにくいんだよね

そうなると「チーム戦を一回バラす」っていう作業必要になってくる

ハイキューの強化合宿とかそういう感じ

この作品はそれをデスゲームミックスさせることで常にバラしまくりの状況を作ってる

ただデスゲームみたいな「死」を作れないからそこを「選手生命」に変えることで成立させてる

デスゲームみたいなファンタジーよりかはスポーツ立脚してるからリアリティも出せる

どんどん数が少なくなっていくからトーナメント戦みたいな「負けるキャラフォーカスを当てていく」もできる

 

この作品が向いてると思う人

・デスゲーム好き

スポ根好き

BL好き

 

向いてない人

・熱血嫌い

純愛過激派

・女キャラが出ないと発狂する人

2022-12-11

anond:20221211225640

萌え絵批判は総じてフェミニズム理論立脚してるじゃん。

コラボ批判派は反カルトで括れないじゃん。

そんな違いも分からないの?

anond:20221211053642

自由平等という近代リベラリズム規範立脚するリベラルフェミニズムは、既に現代人のコモンセンスに溶けて輪郭がなくなった。

元々前近代的伝統規範へのアンチテーゼとして出てきたものから、何せもう幕府大日本帝国もないんで、ハッピーエンドを迎えた話。もちろん女性差別のものはまだ撤廃されてないが、活動家役割はもうない。

ポストモダンフェミニズムのほうは、既存規範のもの女性差別インストールされているからどんどんぶっ壊せという一種アナーキズムなので、同時代生活者にとっては浮世離れした迷惑な話でしかない。

要するにまともなフェミニズムはその啓蒙的使命を既に終えており、それ以外のフェミニズムそもそも社会の敵。つまりフェミニズム社会必要ない。

我々がやるべきことは男女の所得格差是正するとかの具体的な問題解決努力だけだ。

2022-11-12

サンドバッグにされる義務

現在どんな「損」や「困苦」を味わっていようとも、10代、20代の頃になに不自由なく暮らしやりたい事を親にやらせてもらい、ちゃん社会に居場所を得て最低でも「年齢と同額の月収」得て30代くらいまで穏当に生きてきた人間は、そのような道を歩めなかったヒトから無条件にサンドバッグにされるくらいの「不幸」は味わって然るべきだと思うし、なんも言い返す権利はないと思ってる。

能力技術獲得する上で当人がどんだけ努力し工夫した的な事実は一切関係ない。

努力し工夫できる環境や知性を与えられた時点で一切合切全部「外的要因に基づく運の良さ」でしかないのだ。下地ちゃんとしてりゃ努力や工夫なんて誰でもできる。AIが描いた絵にちょろっと加筆するくらいの難易度しかいからだ。

から「運が悪い」ヒトは無限かつ無条件に運が良いヒトを叩いても良い、と僕個人は考える。

もとい、そうはいっても運良いサイドも腹が立ったら自分のこと棚上げして運悪いヒトに反論してもいいし、より運がいいヒトに対しルサンチマンをぶつけても良い。それによって被る「損」はそこれそ他罰などせず当人自己責任やXX税として引き受ければよいだけ。「既に得している側」が損している側と同じカード切るならより沢山税金払うのは当たり前。

能力立場の全ては「運」が生み出した格差しかなく、各々が立脚する地平に見合った「正義」を信じて納得するなり怒ったり泣いたりしていればよい。

持つもの、あるいは「かつて持っていた者」は持たざるもの無限愚痴と悪意をぶつけられても「仕方ない」と言わざるをえない。さもなければ不公平すぎる。

人間社会に属している限り絶対の善などというものはないし万人にとって得のある秩序などというものもない。

「真の自由」とはむちゃくちゃ厳しく何のフォローもないクッソ塩対応の「荒野」で暮らす事であり、その中で「自然ネイチャー)」と対話できたと実感できた時こそ、真の意味で「自活できている状態」と言えるだろう。自由安心は容易には両立できない。

人間管理し親を努めている環境はことごとく「親の利益」を最優先にした環境となっている。親の利益が「強い子孫を維持する事」であれば、仮に子供主観的には地獄のような体験をさせてでも「親を継ぐ事ができるだけの強度」を獲得させるべく「負荷」をかけるだろうし、それをしなければ子供はオートで親の財産や親が築いたインフラを食いつぶして「弱体化」するのは人間元来の性質的にも、歴史的にも自明事実である

「弱体化する方向に餌を巻いたりヒトを操る」事ほど邪悪無為アプローチはなく、エンタメというのは基本的にそういう性質無責任甘やかし特性)を備えているので個人的には「悪カテゴリ」に入れてある。

楽しい時間を過ごす代わりにむっちゃ無為に歳だけとってその責任は全部エンタメ摂取した人間自己責任」。そんな残酷があってたまるかという話だが、世界事実そのように仕組まれユーザーを「嗜好品中毒」にする事を是として回っている。

抗いがたい魅力をふりまきながら「それに翻弄される側が悪い」と嘯く態度は「挑発的」だし「残酷」だ。

「魅力や快楽を用いて他者に何らかのアクションを起こさせようとする振る舞い」はことごとく「挑発」かつ「暴力」であり、これを無自覚アンド無責任に行う人間こそが「真の邪悪」だと僕は思っている。

それを自覚的手続き的にやっている場合は「普通悪人」。

普通悪人自身がやっている事の加害性を多少は理解しているのでまだ対話余地があるぶん「相対的には善良」であるしかし、何故か世の中では自覚的悪人の方が無自覚なそれよりも悪者扱いされていて納得いかない。

自身の加害性を理解できず加減無く加害してしま人間」のほうがどうして純粋可愛いという事になってしまうのだろう。力を持ったピュア加害者の方こそ真の邪悪だろう。

しかしやはり感情的には「力加減を知らずに無自覚に加害してしま赤ちゃんみたいな存在」は可愛いと言わざるをえない。ゆえに、私は邪悪ものが好きだと結論する。

「悪と邪悪を弱体化させる」ならば、まずは暴力的で挑発的な魅力に溢れたエンタメ共産国ばりに「制限」かけて抑制する必要があるだろう。

―と、そこまで話をシリアスに飛躍させずに「なあなあで終わらせる」為にはふつうにどん詰まりになるまでなんも考えずテキトー現状維持して(エンタメ中毒のまま弱体化するに任せて)暮らしましょうねという話にしかならない。「真剣」になったら上記理屈にたどり着かないほうがおかしい。

2022-10-23

anond:20221023062912

自分の年齢を棚に上げて若い女ばかり狙うのをやめろ」って

努力教なのか?

男女平等立脚するリベラルの主張とは普通にマッチしてると思うが

2022-10-17

anond:20221017003131

大した話ではないのだが

「勝つための議論をする」と言う部分

多分違うと思うんだよな

人の中には、事実のすり合わせとか、一度自分の考えを捨てて仮定から仮設を構築してみるとかを、「自身否定」と捉えるのが居るんだ

相手の話を全部受けたうえで、「相手事実」に立脚してないと話が進まない

これは「議論に勝ちたい」のではないんだよね

これを解すのはすごい大変で

ちいちいちいちいちいちいちいち

ちょっとだけ事実確認をさせてくれないか」とか

「間違ってると言うんじゃないんだけど、仮定の話として、ちょっと違う事も考えてみたいんだ」とか

事細かにこれから話すことはこういう事だよと話さないと、意識が切り替わらない人が居る

実際こういう人は多くて

レオペとかで生み出されたのが、「コンセントちゃんと刺さってますか」の言い換え、「一度コンセントを抜き差しして電源をOFF/ONしてください」なんだよね

相手の「コンセントは刺さってる」を疑ったりすると話が進まないので、作業として確認すべきことを実行してもらう

刺さってなければ「あっ」となって以後おとなしいし、刺さっていれば電源は入るので、しれッと次の確認に移ればいい

私は母と話すときは「いいから、わかったから、一回私の話を聞いて、確認したいことがあるから」みたいに話すけど

なんらか、会話の手順を考えた方が良いと思う

2022-09-16

「けつなあな」に関する学説判例の整理

A説(通説) 「けつなあな」を「けつのあな」と読み替える

この場合、その後の女性の返答から「けつなあな確定」とは肛門への指、性器又は異物の挿入を伴うアナルセックス意味すると考え、「けつなあな」とは単なる誤記と解する。

B説(少数説) 「けつなあな」と読む

「けつなあな」をそのまま読み替えず「けつなあな」と読み、アナルセックスではない2人の間に共通した認識の存する行為又は概念を指すと考える。根拠として、LINE誤記があれば現在ではすぐに削除して訂正することが可能であることを挙げ、日本語として素直に読めば「けつなあな」を「けつあな」と読みアナルセックスと解することは無理があるとする。これについて多数説からは「LINE誤記に気が付きながらこれを放置することは日常生活でよくあることである」との批判がある。

判例 「けつなあな」を「けつ(の)あな」と読み替える

最高裁判所はこれまでの「『けつなあな』はアナルセックス意味しない独特の概念である」という考えを大法廷にて変更し、「『けつなあな』を『けつ(の)あな』と読み替え、当該事案においてはアナルセックスの申込であると解される」とした。調査解説は「社会の情勢の変化に鑑み、多数説に立脚したものである」と示した。尚、一部の裁判官は反対意見にて「『けつなあな』からアナルを想定することは日本語として無理がある」とし、少数説に立脚した立場をとっている。

2022-08-14

「早く孫の顔をみたい」と「非出生主義」

上手くまとまるかはわからぬが、言いたい放題言われるがままの状況に辟易しているので、この場で気持ちの整理をしたい。

非出生主義とタイトルには挙げたが、それに絡むだけで単なる日記にすぎないのだが、無論、昨今はその話題世間では言語化

が達成されていない状況にあるように思われるので、その点も解決することを主眼においた内容になることと思う。

推敲はしないいわゆる殴り書きにはなるのだが、それで十分である

最近、早く孫の顔を見たい、淋しいと親に言われることがあった。まあ、お盆なので、どこでもよく見る光景なのだろうが、

正直、毒親育ちだと仮に、子供が生まれても、親にはできるだけ会わせたくないと思っている。

どうして、わざわざ病質的環境大事な人を巻き込まないといけないのか皆目、私にはその理由がわからないのだ。

しろ嫌悪しており、阻止しなくてはいけないと言う使命感さえ持っている。子供は敏感にそういった、異常性を察知するものでもある。

から侮蔑眼差しを受けていることを目の当たりにしては、親も狂いそうになるのではないかという憐れみの念があることも忘れないでいてほしい。

「いやいや、そういうことではないのだよ」という所詮子供の分際でバカにするなというものもいるだろう。(随分とふてぶてしいとは思うが)

まあこの手合でもあるのだが、これは答えが明白だ、親の権威性を振りかざしたいだけ、そして耄碌しているだけなのだから底が知れている。この件は以降触れない。

また、「単にに孫の顔がみたいのだよ」と食い下がるものもいるだろう。

なぜそのように考えるのだろうか。

すっとぼけてみたものの、まあ、いうまでもない。

単に生物的な本能として、生殖連鎖確認したいということに違いない。それが安心なのだ

まず、この私の内心と親の心情の間にある距離感はいわばヒリヒリとした長年の確執の賜物と思わずはいられない。

私の関心事は個人(ここでは子供)の尊厳にある一方で、親はより本能的な生物欲求立脚する主張となっている。

概して、孫は見込めないと思っている前提で親は話しているのだろうが、私は子供は作るつもりでいる点は異なる前提にあるのだし、

自身子供を作ったのにお前はという強迫も含意しているように思うと、言われる筋合いはないという苛立ちとともに、

「ああ、こちらの思っていることもまた理解できずにいるのだな」と、自身が抱く親に対する恨みの思いは正しかったのだと、

やはり毒親はどこまでも変わらないのだなあという絶望感が増す一方なのだ。これまで同様、距離を置き、狂気から逃れる他ない。

毒親問題というのは本人にとっても苦悩するものだが、往々にして、毒親の親も毒親であることを疑ってかかるとよく当たる。

毒親が私と同じ境遇の時にどう感じていた所までは私と同様であるから改めて書くまでもないだろう。

ただ、親と私は強迫に対する解決方法が違っている。それだけのことという代物ではなく、それこそが本源的な違いなのだと私は思っていて、

この認識の断絶に隔てられているままでは解決不可能なのだと思う。深い絶望がここにはある。

これは一人の人間としての尊厳・生きる意味問題である。その場のお気持ちだとか世間体だとかで支配強迫したところで、尊厳は奪おうとするのは

虐待しかない、非道い話なのである。(この支配から解放を願うというのはウクライナ戦争にあるウクライナ人も同じ心地にちがいない。余談だが。)

とはいえ、ここまで私を苦しめる親とは一体何者なのであろうか。何様なのだろうか。私の友人もこうした苦労をしているのだろうか。

この答えは私は持ち合わせていないが、私のような立場であればこうして心から叫びを発せざる得ないほど追い込まれる状況になるかもしれないことを思い

配慮批判することだけはしないでほしいと思うし、心にもない世論形成には加担せず、無視せず、信念に基づいて行動してほしい。

なぜなら、この、人間関係の構造は今話題山上と同じなのだから

そして、こうしたいきさつを各々が抱えているというのも、出生率低下の副因になっていると思う。勿論、経済的理由もあるのだろうが、貧しいのは金銭的なものではなく、精神的な側面にも潜んでいることを見落としてはならない。公園に苦情する地域社会というのも良い例である

またも、「いやいや、私はそれでも産んだ」という上から目線のものも出るだろうが、正直言うが、そんなあなた自分毒親確率がだいぶあると思う。

しろ、教えてもらいたいのだ、毒親でなく、不信感なく親の言うことが正しいと信じられるその理由が。

毒親に何を聞いても間違えたことばかり教えられていると、毎日が辛いのだ。

お前いくつだよというかも知れないが、それは良い指摘である。いくつになっても親は親、子は子なのだ

どんな間違った親で、洗脳が解けない親であっても、いくつになっても親のためを思っていることは根底にあって、

そこはしっかり外していないことを思い出してほしい。

このもつれた情念和解の道に通じる希望見出したいものだ。ただ、今はそれに気づけただけで良しとして、筆を置くとしよう。

2022-08-12

anond:20220812104136

そもそも労働者には業務事業を変革するインセンティブがない、どころか個人にとっては有害またはリスクが高い」

この問題は今の若い世代になると徐々に改善していくと思う。

今の事業モデルはすべて昭和立脚してるからね。昭和ITがないか基本的新卒から退職まで40年同じことをしていた。

ギガスクール世代日本を変えていくと思う。

2022-07-28

ツイフェミトランス差別を指摘することの無意味

ツイフェミは畢竟「差別する側に立ちたい」という願望から

フェミニズム風運動をして反差別棒を振ってるのであって

本質的には反差別人権立脚してない

なのでお前それ差別やんけと言われても

全然急所を突いてない

2022-07-09

anond:20220709130509

なるほど

宗教ツールとしての有効度と、怖さですよね

宗教改革をなしとげた欧州

そして欧州からまれさらに封建性への挑戦に立脚したアメリカ

理性・理屈立脚してるから強いんですね

もはや応援演説存在意義が問われている

どこの番組か忘れたが、

選挙勝敗はどれだけ多くの有権者握手たかで決まるといわれます

と当たり前のように言っていて、卒倒しそうになった。

自分知識がないというのもあるが、

「そ、そんな昭和時代みたいなことをしていたのか・・・

というのが率直な意見であった。

ふと思い出したのが田中角栄エピソードである

(注:私は現代政治は詳しくないけど政治史は興味あるおじさんです)

彼は今太閤と呼ばれ、平民から成りあがったということで、

とくに地元新潟から絶大な支持を得ていた。

彼の秘書だった早坂氏の記録が興味深い。

選挙前に農村選挙カーが入るときには、はだしで田んぼに入って、

作業をしている奥さんやおばあさんに、泥だらけになりながら駆け寄って

「おーっ!奥さんよろしく!」握手をしに行くのである

このような平民目線に近い行動は、票集めに絶大な効果があった。

当時はインターネットもなく、すべての情報口コミであった。

「現職総理田んぼに入って握手をしてくれた」

という口コミは、人を介して絶大な効果を生んだろう。

一方対照的なできごとがあった。

今回の安倍氏暗殺事件で、「女子高生2人の状況説明がうますぎる」

と、ツイッターで少しバズったのである。(現在動画は削除されたか

https://twitter.com/search?q=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%80%80%E7%8A%B6%E6%B3%81%E8%AA%AC%E6%98%8E&src=typed_query

彼女たちはデジタルネイティブスマホネイティブであり、

学校の教材も多くがデジタル化されているだろう。

まりデータ処理が生まれつきできている世代である

迅速に的確な情報収集して判断する能力が鍛えられている。

先日も、若い世代議論が怖く、多数決を好む、

という興味深い記事があった。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220707/k10013706251000.html

これも、口頭による議論という不確かで一過性のものより、

データ処理に基づく冷静な判断を求めている証左ではないだろうか?

思えば、「朝まで生テレビ」のような議論番組は、

ショーとしては成り立っているものの、

そこでなんらかの「結論」が導かれることはない。

また、テレワークが普及し2年が経ち、

無駄会議が減った」

「事前に資料を共有したり、時間を決めて会議するようになった」

という企業の声を聴く

こうしたことデータ処理の一環であり、

若者最初からこのような「整然とした」プロセスを好む。

いっぽうで、昭和世代、今の50歳以上については、

「顔を交えて議論しないと進まない」と感じる人も多いようだ。

「胸襟を開いて」「心を通わせて」といった表現を好むのも、

比較高齢者に多いのではないだろうか。

ここにあるのは、老人は決定プロセス感情必須としていることである

もちろん、個々人の行動は感情をもとにしているのが当然で、

モノを買うときは皆、感情に基づいて買っているだろう。

しかし、今回は選挙である

服を買うときのような、ジュースを選ぶときのようなものとは違う。

議論ロジックで、冷静に判断すべきものである

そこに、これまでの日本人投票行動の未熟があったのではないだろうか。

国会議員にはアイドルタレント出身者も非常に多いが、

有名人認知度、という「親しみ」という感情をもとに判断やすく、

票を集めたいからという目的なのだろう。

これは個人意見なのだが、

はたしてこれが民主主義なのだろうか、という疑問である

アイドルタレント政策を持っていて、

それを実現するために提言した結果立候補する、というなら歓迎である

しかし、

権力基盤があって、それの広告塔としてタレント採用されるのであれば、

議員とはなにか?とすら思えてしまう。

理想・構想のない人間国会椅子に座る意味とは?という純粋な疑問である

そして彼らを選んできたのも、国民責任である

昭和テレビ時代であった。

ブラウン管を通じて、感情を動かされた人に、親しみを感じたのである

もちろん、長い戦後歴史のなかでは、

真面目に政策議論をした時代もあったろう。

しかし多くの日本人は、それを判断できなかった、ということもあるのではないか

一言でいうと、政策理解できないバカが多かったのである

から国民生活を守ります!」「所得を増やします!」

という、バカ向けの演説を行わざるをえない。

演説する人も、「バカバカしい公約だ」と思う時もあるだろう。

しかしそうしないと票が取れないのだから仕方ない。

このような蒙昧で前時代的なシステム立脚している選挙に、価値はあるのだろうか。

もはや、すべてオンライン投票でいいのではないか?とすら思う。

票を入れる前に、候補者思想政策を何千文字くらいで詳細に読めるようにする。

動画10分くらいの演説も見られるようにする。

経歴だとかは細かくはいらない。

「どんな業種で、長年従事してきた、〇〇のプロである」が分かればいい。

そこで判断すればいいと思う。

これはデジタル学習に長けた若者にとっても歓迎されるのではないか

断っておきたいが、私は田中角栄氏が嫌いではない。

「おーっ!奥さんよろしく!」握手をしに行ったエピソードが好きである

しかし、それは別に私が感情を揺さぶられたわけではない。

「その時代において」「もっとも適切に・合理的に票を獲得する」方法を、

実践していた、氏の能力評価するからゆえである

人たらしと言われた羽柴秀吉に通じるからである

まりその時代にあった方法を、常に探り続ける、というのが重要なのだ

今の選挙方法は、昭和と何が違うだろうか?

違うところを挙げるほうが難しいのではないだろうか。

そういうことである

ダルマに目を入れたり、赤いバラ当確者の名前に張り付けることが悪いわけではない。

「今、この方法が最適なの?」「街頭で無防備に叫んで、握手することが必要なの?」

問うこと重要なのではないだろうか。

外国によっては、その「問うこと」自体禁止されている国もある。

日本は恵まれた国であり、民主主義恩恵を得ている。

民主主義を最大化する、そのためには、

若者意見積極的に取り入れ、

企業や国の意思決定に関与させることだと思う。

歴史を見ても、老人が意思決定すると、独裁・強圧的な国家生まれる。

戦国時代を終わらせるきっかけとなった桶狭間の戦いとき信長20代であった。

天安門に集まり戦車の前に立ちはだかったのも、若者であった。

つの時代も新しいもの若者からまれるのである

企業生存戦略でも同じ。

新しい技術クラウドだとかセキュリティへの投資を怠ると、

もはや取引から選択対象から外れ、成長が困難な時代になっている。

「今までこうだったから」「現状こうだから

という企業は潰れていく。

逆に、若い社員にまかせて企画したり、SNSを通じて発信するような企業は、伸びている。

デジタル世代が急速に育っていて、ポテンシャルの高い人材が生まれている。

彼らを押しつぶすことのないよう、彼らの才能を最大限活かして、

日本繁栄を推進していくことを強く希望する。

それが安倍首相へのはなむけであるようにも思う。

2022-07-03

anond:20220703170911

赤松の主張はその無難表現規制されそうだからそれを防ぐというところに立脚してるのでこれ以上なく主張に合ったデザインだろ

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