はてなキーワード: 沈黙とは
バズったようなので、私も吐き出してみる。
馬の名前は多少知っていた。
流れてきたことが有り、それを見て実況を
ウマ娘というコンテンツを知ったのは2018年のアニメ1期のころだ。
このアニメにはまった。
サイレンススズカの沈黙の日曜日についても、手に汗を握りながら、
幸いにもそういうことにならずに済んだ。
アニメが終わった後は、pixivの二次創作(主にSS)を漁るのにはまった。
ウマ娘(未実装のウマも含む)がどういう背景を負っていて、どういう気持ち
競馬をあまり知らない私でもわかりやすい言葉で書いている作品が多く、
私の心を躍らせた。
2019年になり、パカちゅーぶとウマよんが細々と続き、リリースの延期が発表されるたびに
ネット上では嘲笑交じりで小さく取り上げられた。そしてアイマスにも関わったウマ娘担当の
石〇Pがサイゲームズを退社していたことが明らかになり、もう開発は絶望的だと思われていた。
2020年になり、コロナ禍が世間を襲い、攻略サイトがニンジンの育て方を載せていることがちょっとだけ
我々被害者は、殆どの事を知るに至り、国家の闇の黒さに愕然とし、立ち尽くしてしまうが、元々人間の持つ本性から考えると不思議とも思わない。
この犯罪と無関係の人はいないが、被害や加害と遠いところにいる人、極一般市民は想像を絶するハリウッド映画の世界くらいにしか思えない事だろう。
日本国を疑心暗鬼の国に落とし入れるつもりは無いが、この犯罪が普通に知られ、尚沈黙を守るような国にはなって欲しくない。
被害者は現在、誰にも理解されず苦しんでいる、その被害から逃れたいのは当然だ。
コロナの影響もあり街頭活動等が出来ず個々で戦っている方の方が圧倒的に多いようだ。この被害にかえって平静でいる方がおかしいかもしれない。
テク犯により身体的精神的にまで影響を受け身動き出来ずにいる人もいる。
被害者は自身の被害状況から感じ取ってきたものを杓子定規とし他者の被害を計ろうとする。
また社会経験から判断したり、文章力から、感性から、持って生まれた才能から、その人なりに積み上げ解決方法を模索する。
それはたまたまヒットした検索結果だったり、たまたま同時期にパソコン、スマホの前にいた人だったりで、
実際は断片的な情報の欠片でしかないものを集め、脆弱な片寄ったメディアリテラシーであることも気付かず組み立て、真実に近付けようとする。
そこに真実が有るか否かは別問題でもあるが、被害者本人は時間をかけ咀嚼し精製し出来あがった結果の犯人像ゆえに頑なに固執し断定し余裕と言うものが一切無い場合が殆どである。
被害を受けつつ冷静さを保つことも難しいものであり、感情的になりがちな事も理解出来るけれど。
そしてそのこれぞ間違いない犯人像、犯罪の全体像とし、犯人を訴えるぞ!私は証拠もある!と言う。
或いは私は政治家に訴える陳情する、署名を集め法整備を呼び掛ける。
人権擁護委員会に訴える!
その為に組織を作るぞー!
ラノベより120パ―セント面白いという長編小説をいつでも書く用意があるのだが、私にその場所を用意できないほど活字界は衰弱しているのだろうか。
noteで書いて稼げばいいじゃん。
有料noteでよくない?
ブログやnoteもありますし、どうしても書籍化したいなら自費出版という手もありますよ。
慈悲深くて金持ってる誰かが場を用意してくれるのを文句垂れながら待つ、大変フェミニズム的で宜しいかと思います。
この方は何故「私の場所は用意されて然るべきもの」と考えられてるんでしょうか?
書けばいいじゃん。場所なんていくらでもあるでしょ。お金貰わなくてもいいのならインターネット上にはいくらでもね。
書けるものなら是非書いてください今すぐ。このTwitterで。
ポリシーとかないから提灯記事書けるけど、金くれる人がいないと書けないのでお仕事プリーズって事かな?
お金が発生しないのに石川優実さんの擁護をするのはキツいという意味になりそうな。
無償で書くほどは支持してないって事かな?
この人の言ってることって既存の作品とか創作を見てバカにしながら「自分ならこれ以上のものできる!」と言い、この時代いくらでも発表する場所はあるのに1文字も描かない自称絵描きや自称もの書きと変わらん。
これフェミの時の勝部先生も「お金がもらえないから発言して助けたりしない」って言ってましたね。
誰かに用意して貰えると思ってるところがいつでも他力本願のフェミらしくて実に笑える。その辺のblogなりnoteなり幾らでも書くとこあるのにこういうとこさえも甘ったれないとなんにもできないし石川氏を庇うこともできないんだねえ
正しさなんてもの100%を超えることは無い基準値次第(立ち位置や視点)で移ろうものが道義的正しさだから超える表現をしたことで、盛ってる嘘がどこかにあると自白してるようなものなので、その正しさは80%如何だろうな
この人はアイヌ民族へのヘイト扇動をおこない、それを糾弾されたのに、説明なく沈黙したままの差別者。活字界の衰弱はしらないが、切通の人権意識が衰弱しているのはまちがいない。差別やヘイトについてなにか書くなら、まずこの6年前の公開質問状への回答文であるべき
「アイヌ民族をめぐる問題」での発言以降信用していない。危うさしか感じない。 https://togetter.com/li/805440
加害者は被害者に謝り償うのは当然としてさ、その次に同じ中学校の真面目な生徒に対しても謝らなきゃいけないと思うわ。
加害者のせいで中学校に対して抗議やバッシングが多数来ているけど、その責任をまともに負うのは真面目な生徒もおなじなのよ。連帯責任で彼らは自分がしていない罪を負い償いをするの。それも今の生徒だけではなく後から入ってくる生徒も。それで学校が荒れると今度はそちらも対処しなくてはならなくなるの。加害者は同じ学校の無関係の生徒を生贄にするのよ。
私の中学校は生徒が誘拐殺人を起こして、犯人の情報が2ちゃんとかでバレてウチの学校の生徒が謂われなきバッシングを受けたのよ。それで学校が荒れてねそれは10年ほど収まらなかったと聞く。私は事件が起きてから4年後に入学したけども、本当に生贄にされている気分だった。学校が荒れてて気分はよくなかったし、その荒れているコミュニティに強制的に組み込まれているから連帯責任との板挟みで苦しかった。それで自傷行為をしたこともある。
その上で加害者に言いたことがある。・・・・・・加害者たち!あんたたちは同じ学校に通う生徒にとっての悪魔であって疫病神であって邪神なんだよ!!これから謂われもなき殺意を何百もの生徒に向ける殺人鬼なんだよ!!罪なき真面目な生徒に苦しみの理由を与えた大層な神さまだこと!!これからあんたたちはいじめ被害者だけではなく同じ学校というコミュニティに属する人間から恨まれるんだよ!!言っとくけど自殺はするなよ!死んで何とかなるほどの価値は無いからな!!同じ生徒の恨みを買って呪われ続けることによって初めてゼロから始まるんだよ!!・・・・・・・というのが、人を殺した加害者と同じ中学校に通っていた人間からの素直な気持ちだな。その気持ちは正直10年以上経った今でも忘れることが出来ない。加害者は同じ中学校の生徒に迷惑をかけているしそれに沈黙することは重罪であると思う。こっち(同じ学校の生徒)だってそのような苦労をせずに生きる権利はあったと思うし、あとからその意味をどうこう言われてもうるさいわとしか思えない。こういう放埒な迷惑と殺意を振り撒く犯罪者は磨がれた鋭いナイフのように憎んで初めてこちらと対等であって、こちらに許しを請うことすらも罪だと思う。だから加害者にはその辺の分をわきまえてこれから暮らしてほしいと思う。
結論から言うと、note筆者の「88cmと8kg」氏は、小さい頃から学校や街中など、あらゆる場面で女性に「キモい」と言われ続けたそうです。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
弱者男性だけどもうフェミニストをやめたい|88cmと8kg|note
仕方なく街を歩けば「キモい」「あいつはナシ」だの定期的に言われた。みんなこれが妄想に聞こえるそうだけど事実だ。男性だってそういうことを言われる。言ってきたのはすべて女性で、男性からは一言もない。今でも。
そして中学を出る頃には、こういう一部の男性は、「キモい」という言葉に強烈な苦手意識を持ちます。自分の名前が呼ばれる10倍以上「キモい」という言葉が飛んでくるような環境では、自分の名前よりもすぐに反応する言葉になります。
ゼミでも、学部でも少し喋れば「異様な雰囲気の怖いキモ男」だった。基本、女性にモテたい男性は、キモ男を、一緒にいると「格が落ちる」から無視するか、マウンティングの道具として利用しはじめる。結局俺はここでは男性からも孤立した。ホモソーシャルは最悪だ。でも知ってる。ああいうことをするのはモテるためで、一部の女性はそういう人を喜んで持ち上げてきた。ドラマやゲームで人気の男性キャラの特徴を思い出してみればわかる。
ここからは個人的な話になりますが、自分は今でも道を歩いていると女性に「キモい」と笑われることがあります。2か月に1度くらいの頻度です
「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます
こういう経緯から、88cmと8kg氏は「キモい」という言葉に対して、極度の恐怖心と抑圧を感じています。
なので例えば、駅のホームで待っている時、女子高生たちが「キモい」という言葉を使って笑っている時は動悸がしますし、レストランで女性の友人と話している時相手が「キモい」という言葉で同級生を笑うとき、それが延々と続く場合は笑顔を作って席を外して心を落ち着けます
そして、一部男性に対する抑圧を象徴する端的な表現として「キモい」という言葉がある、という認識に到っています。
今の社会では女性は抑圧され、社会のあらゆるところに抑圧を象徴するものが転がっていますが、一部の男性にも似たような構造があります。そして数あるそれの中で、最も一般的で、最も象徴的な言葉が「キモい」なんです。
ここまではOKでしょうか。88cmと8kg氏は、主に女性に「キモい」と言われ続けてきて、そのことを強い抑圧と感じて苦しんできました。ここまでの話では、フェミニズム/フェミニストは出てきません。88cmと8kg氏の主張がフェミニズムとつながるのは、以下の文脈です。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
「女子高校生に「きもい」言われ立腹 傷害容疑で県立中央病院職員を逮捕|事件・事故|徳島ニュース|徳島新聞」
記事タイトルではまるで女子高生が見ず知らずの人にキモいと言って殴られたのように見えますが実際は全然違います。この記事によれば、
・突然あらわれた男が「家に来ないか」と声をかけ、
・「キモい」と言われ逆上し、逃げたところをしつこく追跡してきて、
という本当に酷い事件です。女性であるというだけで声をかけられ、断ると逆上され暴行されるという、ヘイトクライムそのものの事件です。 そして、こういった事件は現代では見逃されないし、勇気ある人たちは沈黙しません。「夜未成年がうろついてたから悪い」だとか、「キモいと言ったから暴力されても仕方ない」だとかいうセカンドレイプそのものの意見も、現代では正当化されず批判されます。自分はこの空気が救いです。強盗が起きて、強盗された側が悪いなんてことは決して絶対にありません。しかし、たくさんリツイートされたフェミニストのみなさんの意見の中にこういうものもあります。
として、以下の「フェミニストのみなさん」のツイートが挙げられます。
これに対して、88cmと8kg氏は、こう言います。
私はフェミニストでありたいと思っている男性です。弱者男性といったほうが多分すぐわかると思います。なので言いたいです。
今回の件は100%加害者の男性が悪いと言い切れます。しかし、「キモい」という言葉の致命的な力を絶対に忘れないでください。本当に強烈な抑圧の言葉なんです。汚い言葉を引用しますが、「ブス」とか「クソマンコ」や、「ニガー」などよりも強いかもしれません。なぜなら、一部の男性は、小学生くらいの幼少期から、女性の集団に1日何十回もその言葉をかけられ続けて尊厳を奪われているからです。それは一般的なことなんです。しかも、誰も真剣にそれをとらえません。こういったいじめが記事になったことが何度ありましたか?男性から女性はシャレになりませんが、逆は男性が「みっともない」からなんです。もしくは、自分が「キモい」から悪いんです。告発しても女性は無罪放免、怒った自分が先生に怒られるなんてことはよくあることです。席替えで「キモい」生徒の横に来た女子生徒が泣く行為が怒られた現場を見たことがありますか?
つまり、このnoteで88cmと8kg氏がフェミニストのみなさんに対して批判的なのは、
からです。だから、88cmと8kg氏はそうした「フェミニストのみなさん」に対して「「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます。そして、多くのフェミニストはそれを正当化してしまうんです」「お願いなので、「キモい」という言葉を過度に正当化することはやめてください」と訴えています。「過度に正当化する」というところに含みがありますが、つまり、この言葉を何か/誰かを批判するときに普通に使うこと自体が、「キモい」という言葉とそれがもたらす差別を正当化しているんだ、という主張だと思います。
そして、このことが敷衍されて、弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください|88cmと8kg|noteでの主張につながっていきます。
例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。特に後者の言葉は実際に人を殺せるヘイトスピーチなんです。
実際問題、自分はフェミニストのみなさんが入っているTLを見ると、自分に「有害な男性らしさ」が激しく発生していることに気づきます。それは「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。自分はミソジニストになるのを避けるために定期的に表アカウントからは離れています。だからインセルのようなろくでもない連中が、フェミニストが増えた後増える理由も正直わかります。いかれた差別主義者がわめくのは無視できますが、社会的正義の名のもとに差別を正当化される苦しみは無視できないのです。
嘘だと思うのなら、最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??なぜ、弱者男性をトランス女性とかアジア人のゲイとか入れ替えた時に、極めてグロテスクな差別発言になってしまうことぐらい差別を訴える人ならわかってくださいよ!「トランス女性とかキモい無理。男性の人権を侵害している。」「アジア人のゲイが他の人種と同程度に愛されたいと思うのは差別的」。そういう言葉なんですよ??「非処女とか汚い無理」とか森元総理でも言いませんよ?障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。おそらくは相手を人の言葉の通じないゴブリンか何かだと思っているのでしょう。ミソジニスト、ネトウヨ、白人至上主義者、その横に並ぶのが上の発言をした人たちです。最近も一緒になって車椅子の人の人権を訴えた人たちだったのに!!差別主義者の気持ちがわかった良い授業だったと思いますよ?
そもそも、ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。先程もその光景を見ました。「キモい」なんて感情にしかよらない侮蔑語は、マジョリティの規範に依存する言葉です。上記の属性の人々を攻撃する最悪の矛として常用されているし、だからこそ理性による人権という盾で身を守ってきたのです。実際キモいからしょうがない、口をふさぐなと言うかもしれません。しかし、上記の人達は人権を訴える場所でその言葉は使いません。マジョリティにその言葉を使われる苦しみを知っているからです。性犯罪について裁判などで男性が同情されやすい特権があるのように、女性には差別しても批判されにくい特権があると言わざるを得ません。そして悲しいことに、差別と戦う人たちでさえそれを濫用してしまっているのです。
88cmと8kg氏にとっての弱者男性論の根幹は、長年にわたって女性から自分に投げかけられ、自分を傷つけてきた「キモい」という言葉への被抑圧感情と問題意識と、彼の観測するフェミニストのみなさん達が、女子高生暴行事件の犯人を批判するときや、その他の文脈(これについては直接の引用がないので、「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している」という発言が実際にあったかどうかはわかりませんが)で、「キモい」という言葉を普通に使っている、という認識にあります。その文脈で読めば、88cmと8kg氏の訴えがなぜ「女性とフェミニスト」に向かっているのか、より具体的に理解できると思います。
加害者は被害者に謝り償うのは当然としてさ、その次に同じ中学校の真面目な生徒に対しても謝らなきゃいけないと思うわ。
加害者のせいで中学校に対して抗議やバッシングが多数来ているけど、その責任をまともに負うのは真面目な生徒もおなじなのよ。連帯責任で彼らは自分がしていない罪を負い償いをするの。それも今の生徒だけではなく後から入ってくる生徒も。それで学校が荒れると今度はそちらも対処しなくてはならなくなるの。加害者は同じ学校の無関係の生徒を生贄にするのよ。
私の中学校は生徒が誘拐殺人を起こして、犯人の情報が2ちゃんとかでバレてウチの学校の生徒が謂われなきバッシングを受けたのよ。それで学校が荒れてねそれは10年ほど収まらなかったと聞く。私は事件が起きてから4年後に入学したけども、本当に生贄にされている気分だった。学校が荒れてて気分はよくなかったし、その荒れているコミュニティに強制的に組み込まれているから連帯責任との板挟みで苦しかった。それで自傷行為をしたこともある。
その上で加害者に言いたことがある。・・・・・・加害者たち!あんたたちは同じ学校に通う生徒にとっての悪魔であって疫病神であって邪神なんだよ!!これから謂われもなき殺意を何百もの生徒に向ける殺人鬼なんだよ!!罪なき真面目な生徒に苦しみの理由を与えた大層な神さまだこと!!これからあんたたちはいじめ被害者だけではなく同じ学校というコミュニティに属する人間から恨まれるんだよ!!言っとくけど自殺はするなよ!死んで何とかなるほどの価値は無いからな!!同じ生徒の恨みを買って呪われ続けることによって初めてゼロから始まるんだよ!!・・・・・・・というのが、人を殺した加害者と同じ中学校に通っていた人間からの素直な気持ちだな。その気持ちは正直10年以上経った今でも忘れることが出来ない。加害者は同じ中学校の生徒に迷惑をかけているしそれに沈黙することは重罪であると思う。こっち(同じ学校の生徒)だってそのような苦労をせずに生きる権利はあったと思うし、あとからその意味をどうこう言われてもうるさいわとしか思えない。こういう放埒な迷惑と殺意を振り撒く犯罪者は磨がれた鋭いナイフのように憎んで初めてこちらと対等であって、こちらに許しを請うことすらも罪だと思う。だから加害者にはその辺の分をわきまえてこれから暮らしてほしいと思う。
小学生に怒るほどわざわざ勉強を教えるということは、中学受験をするか異様に勉強ができないかのどっちかだと思うんだけど特に後者なら絶対怒らないでほしい。勉強そのものに負の感情が結びついていいことはひとつもない。
あと長い沈黙は相当なSOSだと思う。学校の成績よりお子さんのメンタルケアをして何でも話せる関係になる方が先。このままこじらせるよりも信頼できる第三者を間に挟んで今後の方針を考えた方がいい。
好きな人ができた。1週間前にペアーズでマッチして、4回くらい電話して、会うことになった。
顔は半分しか写ってないけど、電話の感じがもう好きすぎて2回目の電話でもう好きだった。(チョロすぎ)
電話する人は他にも色々いたけど、こんなに電話だけでもう顔どうでもいいから好きですなんてなる人いなかった。
いいね!も10桁代だし、いい人見つけられたー!って盛り上がってたけど、たしかにプロフィールは簡素だった。
話し上手だけど、既婚者だったり詐欺師じゃないよねって冗談めかして聞いたら「既婚者や詐欺師ではないよ笑」って言われたのも、ばりばりに怪しかったのに聞こえないふりをした。
会う話になって、こっちの地元に全然寄せてくれないのもちょっと気になったけど、相手の地元が都会のこともあってそんなものか~って思って会った。
会ったら、電話の通りの人ですごい楽しくて、
なんかマスクとるのはずかしいねってなったけど、レストランでマスクとった。
そしたら、めちゃくちゃイケメンだった。
鼻から下隠してるから、鼻から下があんまり自信ないのかな、でもどんな顔でももう好きって勝手に思ってたら、めちゃくちゃイケメンで泣いた。
自分の顔見られたくなさすぎて泣いた。
テンションあがりすぎて、お酒飲んで、すごく楽しかったけど、帰り際「家来る?」って言われて、ブチ切れた。
そういう人なんだね、とかヤリモクならこのアプリやんないで、とか色々言ったらごめんねとしか言われないで
散歩しようって歩いてたらどんどん駅から離れてってえ?どこ向かってるのって言ったら家だった。
終電ないでしょって言われて
本当に何もしないからって言われて行った。
もうどうでもよかった。
とりあえず離れたくなかった。
家で朝まで一緒にお酒飲んで、色んな話した。
私に似てる友達がいるって見せてくれた女の子はお世辞にも可愛いとは言えない子だった。
そいつは私の話ばっかり聞いてきて、かと思ったら自分の弱みもさらけ出してきて
高校の頃いじめられてた話とか、勃たなくなって別れた話とかしてくれたから、
私も今まで散々遊ばれてきたこととか、家の事とか言ってしまった。こんなの友達に言ったことないのに
私はお酒飲むと眠れなくなるから先に寝てねって言っても、私が寝るまで寝ないよって言ってずっとお話に付き合ってくれた。
ここまできたらもうやってもいいやっていうかむしろ2人きりの家で手出されないって私本当にブスなんだなって思って
ぎゅーしたり膝枕したりしたけど、結局キスすらしてくれなかった。どんだけだよ笑
始発の時間になると、さすがにうとうとしてたから、そっと帰った。
もう一生会えないと思う。なぜなら、LINEすら交換してないから。笑える。会ったら、交換してくれるものだと思ってた。結局聞いてくれなかったし、ヤリモク死ねって言った手前自分から聞けないし。
帰ってる電車の中で、久々にこんな苦しいって思った。
2年前以来かも。
あんだけイケメンで、聞き上手で優しくて、マジで可愛いアイドルとかと付き合えると思う。
少なくとも私みたいなブスとは付き合わない。
笑うよね、アプリじゃあっちはいいね10桁でこっちは200超なのに
吐きそうなくらい苦しくなるの、久しぶりだ。
3時からみなとみらいを案内してくれて、夜に海と船を見ながら、タイタニックのテーマ流して、タイタニックごっこしながら笑ってお酒飲んだんだよ。
こんな辛くて楽しい日、あるかよ。
沈黙が、気にならなかった。
その代わりずっと、何考えてるか考えてた。
何考えてるのって聞かれるから、とてもじゃないけど何考えてるか考えてたなんて言えなくて黙ったし、何度も素を見せてほしいよって言われた。
もうメッセージすら来ないだろうなって思ってたら来るし
最初は家くる?って言われた時は遊ばれたと思った。ヤリモク死ねよって思った。
でも、そうじゃなくて選ばれなかっただけなんだ私は。
彼女候補から漏れただけで、ただ相手は私の事を気に入らなかっただけなんだ。顔のタイプじゃないんだろう。
とりあえずやれないかなレベルで、私が家までの道で泣き出したから面倒だからやめようと思ったんだ
こちとら顔も知らない、2回目の電話でもう好きになっちゃってたんだよ。好きじゃないなら優しくしないでほしい。途中で帰ってほしい。死にたい。
1週間前にマッチしただけなのに、なんでこんな好きなの
セフレでも友達でもなんでもいいから、また会いたいって思うけど、多分メンヘラ晒したからセフレルートもないし友達にもなってくれないだろう。
会いたいってこっちから言えば優しいから何回かは会ってくれるかもだけど、段々返信が帰ってこなくてフェードアウトするんだろう。
今切れば傷はそんな深くないのかも
って思いながらも、メッセージにいつ返信すればいいのかタイミング伺ってる。
またいつ会える?って気抜くとすぐ聞きそう。
しようね!って言ってくれても具体的な時間はないし、会うまでも別にそうだったのに会った後だとすごく色々考えちゃって。
こんな好きになれる人、中々出会えないから音信不通になるまで頑張ってみようかな。
死ぬほど辛いんだろうけど。
2、3年ぶりにこんなぶわってなるほど好きな人に出会って、次またいつ会えるかわかんない。
このまま1晩だけのフェードアウトなんてやだ。
ただ私はブスだし話も面白くないし癒してあげれないしメンヘラだし、そりゃ好きになってもらえるとこなんかない。
今はやんわりだけど、きっぱり距離をとられるために進んでいくのか。
辛い。
ごめんこんな辛いの久々で心の整理つけたくて文書いた。
でも全然整理つかない。
anond:20210506234730に追記しようかと思いましたが、思いの外長くなったので別にしました。
わたしの見たこと、聞いたこと、知っていることは①発達障害男性をはじめとする多くの男性が弱者男性を自称した②弱者男性を自称する人々は「障害持ちでも女は理解のある彼くんがいるからイージー」と言い③弱者男性を自称する人の中に苦言を呈す人が殆ど、全くと言っていいほどいなかった。ということだけです。
全ての弱者男性でないことはわかります。誰よりも「こんなこと言うのは一部の人だけだ」と思いたかったです。でないと、辛すぎるじゃないですか。でも残念ながら、思えませんでした。今は一部ではなく、半分もしくはそれ以上だと思っています。
発達障害と躁鬱に対して、前向きに対処し、生きていくために、Twitterで同じように障害を持つ人たちとつながっていました。同じ困難を抱える仲間だと思っていました。
ある日「理解のある彼くん」のあのツイートが流れてきて、それ以降男性のフォロワーが口々に「女の方がイージーだ」と言い始めました。皆それに同調し、下衆なツイートを積極的にリツイートしはじめました。彼らがいいねをつけたツイートが山ほど流れてきました。誰一人否定する男性がいないことが、とても残念でした。
リアルであったことのある男性で、アセクシャルを打ち明けた人さえそちら側でした。分かり合えたと思っていましたが、間違いでした。
発達障害ではない男性のアカウントで、苦言を呈してくださった方が1人だけいましたが、弱者男性側から「ちんぽ騎士」呼ばわりされ晒されていました。それをリツイートしたのも、リアルでも知り合いの男性でした。
「女には股を開けば理解のある彼くんがゲットできるだろ」という発言が正しく、それを耳にする女性の気持ちを慮るのは性欲目的以外ではあり得ないと思っていたのだなと知って、気持ちが悪くなりました。
その発言のあった頃から、もう、弱者男性というものへ嫌悪を覚えるようになりました。仕事で関わる軽度の障害のある男性に対しても、この人もそうかもしれないな、あのツイートにいいねしてたのかもしれないな、と考えるようになりました。
弱者男性を名乗って精神障害持ち女性をサンドバッグにする人たちがいたとしても、わたしは「全ての弱者男性ではない」と信じ、嫌な思いをさせられても「辛いから仕方ないですよね」と許す「べき」だったんでしょう。そう出来ないわたしが悪いです。多くの人の心は差別してしまうもので、わたしも例外ではないのだと思います。(それについては、わたし自身、残念に思います。)
「全ての弱者男性ではない」と主張する人は、「すべての障害持ちの女性に彼くんがいるわけではない」とは言いませんでしたよね。なぜ弱者男性を自称する人達が、女性の精神障害者を叩いているときに一言でも止めなかったんですか?あの「女はマンコパワーがあるから」と言い張る下衆な人達が弱者男性でないなら、何故そういう人たちを野放しにし、弱者男性の社会的信頼を貶めたのですか?わたしには、全く理解できません。
全ての弱者男性が悪いわけではなくとも、弱者男性を名乗る人に攻撃される側がどう思うか想像してみてほしいです。
全てでないことはわかります。
ある属性を名乗る人たちに何度もバッシングされたら、その属性の人々を嫌いになるのが、多くの人間の基本的な感情の在り方ではないですか。
弱者男性を名乗る人が「女は彼くんがいるだろ」という中で、弱者男性のあなたが沈黙していたら、弱者男性が犯人に見えます。
わたしの増田へはこんなにも反応できるのに、なぜ、あのときは沈黙したのですか?
男性の困難を語る上で、男性の場合女性より支えになるパートナーが得にくい(これは必ずしも事実でないようにわたしは思いますが)ことを受け止め、真剣に考えていくのならば尚のこと
その言説をねじ曲げて、精神障害持ちの女性への当て擦りやバッシングに使われることを憂い、否定していくべきではないですか。
弱者男性が差別されるように仕向けているのは、弱者男性を自称して他の人達を叩いてる人じゃないですか。
これはわたしの我儘ですが、パフォーマンスでもいいから、「弱者男性ですが、私はこれに反対です」と言って欲しかったです。そう言っている人を信じたかったです。
わたしのことはどうでもいいです。福祉の仕事をしていましたが、離れることを決めました。転職活動はコロナが明けるまで様子を見ようと思いますが、弱者男性への嫌悪が芽生えてしまった状態で続けていくのは無理だと思います。(給料の安さや、鬱がマシになったからステップアップを目指したいなど他の理由もあります。)
改心するつもりもないです。トーンポリシングだとも思ってないです。だって、弱者男性がいくら態度を改め「わきまえた」ところで、もう耳を貸すつもりはないですから。
ただ、みなが「すべての弱者男性ではない」と思ってくれる聖人ではないと思いますよ。
「弱者男性」という言葉を使って、「女はマンコがあるからイージーなんだ」「弱者男性は女性よりもずっと辛いんだ」という人たち、弱者男性を自称して発達障害持ちの女性の辛さを矮小化する発達障害男性たち、「女の自殺未遂は気を引くため。女の自殺は自殺未遂の失敗。」と叩く鬱持ちの男性たちを放っておくかぎり、わたしのような狭量で愚かな人間が「すべての弱者男性はこういいう人間なのだ」と思うようになるでしょう。いい気味です。
いい気味です、が、同じ障害者として、障害者への風当たりを強くする言動は迷惑です。
ですからやはり、弱者男性を援護するならば、弱者男性として、女性精神障害叩きに反対して欲しかったです。
あれは俺たちじゃないから、全員が言ってるわけじゃないのに、といっても「言ってる人が沢山いること」はきちんと受け止めてくれませんか?
あなたたちがあれを野放しにしてきた結果、1人の障害者の女に嫌われるようになったというだけの話です。
女の1人や2人、障害者の1人や2人、どうでもいいですよね。それならそれで結構です。
sekiryo 弱者男性の確証もないし全員というデータも出せないのに同一視するの?それやめてって言われてるのにまた聞く耳持てないの?悪人を叩いてもgrgdsやらのヘイト愉快犯が善人にはならないし罪は消えないぞ?向き合えよ。
弱者男性という確証はありませんが(そもそも弱者男性自体定義不明ですし)自称しているのだからそうなのだろうと思いました。弱者男性のフリをしている偽物か、「極一部」の弱者男性なのかもしれませんが、わたしには判別不能です。(発達障害男性は弱者男性に入りますか?発達障害もウソかもしれませんが……。)
同一視したくはありませんが、彼らは日本のどこかで生きているわけで、今目の前で関わっている人が「それ」の可能性があることは、常にわたしの頭によぎってしまいます。聞く耳は持たないです。今は持ちたいとも思わなくなりました。
全ての障害者女性の彼くんがいるわけじゃない、データもないのに、漫画で見ただけのくせに、やめてと言ってるのに……わたしも思いましたよ。
あなたのような人が、女性精神障害者叩くのはやめようよと言ってくださればよかったです……。
madogiwahirasyain 別に積極的に手を差し伸べてくれなくても構わない。弱者男性だからという理由で迫害しなければそれでいいけど、この増田は弱者男性全体に精神障害者を叩いてきたというレッテルを貼って迫害しようとしてるのでアウト
全体にレッテルを貼って迫害しようとはしてません。全体に対して嫌悪感があるので、もう関わらないで生きていこうとは思います。
弱者男性全体は女性の精神障害者を叩いていませんが、弱者男性を「名乗って」女性の精神障害者を叩く人々が大勢いて、弱者男性を名乗ってそれを止める人が殆どいなかった。というのは、わたしが見た一面的な事実です。いわゆる弱者男性論壇に立つ人も、それを批判したり咎めたりしませんでしたよね。
わたしの私怨から、このことは記して置かなければならないと思いました。
deamu 増田が私怨により貶めたい属性があって、それを根拠なく主語にしてサンドバックにしようとしてる増田の行為は新たな差別。男憎しで差別を正当化する増田が連日投稿され、いつもの人達が同意を繰り返す加害性の祭り
根拠はあります。どのように提示すれば気が済むのか教えていただければ可能な限り対応しようとは思います。サンドバックにしようとはしていません。私怨により弱者男性貶めたいわけではなく、私怨により「弱者男性を名乗ってこちらをバッシングしてきた人々」の存在を周知したいです。
「弱者男性は〜なんて言っていない」という主張を数多く見ました。そう主張する人々は、あれが目に入らないから批判しないのか、目に入っているのに批判しないのかずっと疑問でした。弱者男性論壇の方に、「理解のある彼くん」の件を周知し、批判していただきたかったのが1つ。無かったことにされるのが腹立たしかったのが1つですね。
差別の正当化はしていないつもりです。わたしに差別的な感情が芽生えるに至る過程を書きました。そうすることで、弱者男性差別を解消しようとする人や弱者男性当事者が、自分たちの主張が誰かの心を踏み躙っていることを自覚し、やめてくださるかもしれないと考えたからです。特にASD男性には伝えなければ分からないのかもしれないと思いました。
また、わたしの感情を中心に書いたのは、それが明白な事実だからです。女性障害者を叩く人が本当に弱者男性なのかは分かりませんが、弱者男性を「名乗って」女性障害者を叩く人の発言を読み、わたしが嫌な気持ちになったことは事実です。そのことを受け止めていただきたかったです。
ただ、わたしの差別的な感情に正当性はありません。その事は明記しておくべきでした。すみません。
わたしに関して言えば、男性は別に憎くはありません。ただ恋愛感情を抱かない以上、深い関わりが女性相手よりも持ちにくくはあります。
あの増田を書いたのは、男性が憎いからではありません。「女は理解のある彼くんがいるから」と言う人達が憎いから書きました。そこは混同して欲しくないです。弱者男性を名乗ってやってきたこと、(それが貴方でないなら)やってきた人たちがいたことは受け止めて欲しいです。
一部の人がおかしなことを言うのはどこでもあり得ることです。それに対して、他の人たちが咎めなかったことが1番残念です。今からでも咎めて欲しいですが、過去のことは水には流しません。
最後にずっと、思っていたのは
女に生まれればイージーだった、遺伝子レベルで運命を呪うのならば、「そもそも障害者に生まれなければよかった」でいいんじゃないですか。なぜ、女性の障害者ばかりがターゲットされるのかわからないです。健常者の男性は狡いと言えばいいじゃないですか。
女性には理解のある男性が現れやすいとして、だから何なんですか。男性のあなたには現れないと思うのならば、現れないなりに対処していくだけの話でしょう。現れないなりの福祉を求めていくだけの話でしょう。「女はこうだけど」と言うことに何の意味があるんですか?
わたしもあなたと同じですよ。理解のある彼くんはいませんが、自分で働いて自分で生きていくつもりですよ。
ただ障害者だからって、みんながあなたと同じなわけではないんですよ。女性の、既婚の精神障害者は、障害者のくせにいい目を見てる狡い人達ではないです。同じ障害者でもあなたと同じように不幸になる義務はないです。
沈黙は加担と同じ
最初に断っておく。
いや、私はオリンピック開催には否定的なのだが、言いたいのはそこじゃない。
ここでは「オリンピックに道義的な問題があるとき、アスリート批判は間違っているのか?」について話す。
どうやら池江選手に「五輪出場を辞退して欲しい」とか「五輪開催に反対して欲しい」というリプライが届いて戸惑ったらしい。
おーけーおーけー。そりゃ確かに戸惑うだろう。
簡単に「じゃあ五輪辞退します!」とはできない。それだけ選手は多くのものを背負っているからだ。
この話題に対して俺らのアルピニスト 野口健が次のような投稿をした。
池江さんご本人に「五輪辞退を求める」といった趣旨の投稿をした人たちは下衆の極みである。五輪開催の有無について意見があれば決定権のあるIOCや、また開催国、開催都市である国や東京都に向けるべき。最もやってはいけないのはアスリートにその刃を向けること。 https://t.co/9K6XDiHOSx— 野口健 (@kennoguchi0821) May 7, 2021
『下 衆 の 極 み』
凄まじい表現だ。普通は血の通う人間に向かってこんな言葉をチョイスしない。
アルピニストの強い怒りが感じられる御ツイートだが、ちょっと待って欲しい。
本当に五輪開催の有無についてアスリートに意見を求めてはいけないのだろうか?
というかアスリートは五輪開催について社会的責任を負うのではないだろうか?
少し考えていこう。
今回の報道を受けて思い出したのは昨年のW&Sオープンを辞退した大阪なおみ選手。
彼女は人種差別に抗議するために試合を辞退し、これを受けた大会側が正式に人種差別に抗議することで一件落着となった。
当時も散々議論になった大阪選手のこの行動について強調しておきたいことが2つある。
ひとつは、これは大阪選手だけでなくバスケや野球など多くのスポーツで同時多発的に起きたムーブメントであること。
そしてもうひとつは、別に大会主催者が人種差別を行ったわけではないということだ。
つまり大阪選手を含むアスリートたちは「大会が人種差別への抗議声明を出さないのは道義に反する」と考え行動を起こしたのだ。
もう少し視野を広げてスポーツの外も見てみると、このような話はたくさん出てくることがわかる。
例えば今年の3月に、グラミー賞元会長の女性蔑視発言と人種差別的な審査基準を理由に、3組のアーティストがグラミー賞ノミネートを辞退した。
(元会長の女性蔑視発言ときいて何かを思い出さずにはいられない)
主催者側に道義的な問題があるとき、参加者がその問題について黙っていていいのだろうか?
少なくとも海外のアスリートやアーティストは「No」だと答えるだろう。
沈黙したまま大会に参加するのは道義的問題を肯定していると考えるからだ。
森前会長が辞めたことで、女性差別という問題は(建前上の)解決となった。
寒々しい解決ではあるが解決は解決。これで五輪に参加するアスリートは差別加担者の誹りを免れることができた。
ならこれで万事OKだろうか?もちろんそうではない。
いま問題になっているのは五輪開催による感染拡大、つまり大会主催者側の人命軽視の姿勢だ
この感染拡大問題はアスリートにとってより直接的な道義的責任が発生する。
なぜなら人々はあなたたちアスリートを応援するために密になり、感染が拡大し、人が死ぬからだ。
アスリートはそのことをわかっているはずだ。わかっていて、しかし見てみぬふりをしながら大会に参加する。
そして、人が死ぬ。
もちろんそうはならないかもしれない。
五輪開催時にはコロナはすっかり収まっていて、みんなで肩組んで国歌を歌いながら応援するかもしれない。
だがそんな馬鹿げた楽観論で行動するようならアスリート失格だと言わざるを得ない。
いまはすっかり寒々しい響きになってしまったが、五輪は「アスリートファースト」である。
アスリートのための大会なのに、アスリートに五輪開催について意見を求めるのが"下衆の極み"なのだろうか?
まだ幼い高校野球の青年ならいざ知らず、いい大人が自分の行動によって与える社会的影響について無知でいていいはずがない。
そしてあなたたちアスリートには、海外のアスリートがそう示したように、大会主催者を動かすだけの影響力がある。
その責任と影響力を認識しておきながら「自分たちはただ競技に集中するだけです」という態度は許されて、
アスリートにその影響力を行使して欲しいと願うことは"下衆の極み"なのだろうか?
もうすぐ90歳になる私の祖母はいま東京に住んでいる。その東京にいま五輪という名の変異株フェスがやってこようとしている。
それをなんとかして阻止したい。その気持ちが私には痛いほどわかる。
ここまで読んでくれてありがとう。以下は読まないでもいいよ。
オリンピックのむかつきポイントは多すぎて何から言っていいかわからないが、
ひとつには「オリンピックを聖域にしていること」が挙げられると思う。
私たちはこれまでどれほど「オリンピックだから」と我慢を強いられてきたのだろうか。
「オリンピックだから」の一言で我々は楽しみを奪われ、ただ働きさせられ、汚職と利権に沈黙させられ、そしていま命までもが軽んじられている。
オリンピックを聖域にした結果がこれだ。
そして野口健の「最もやってはいけないのはアスリートにその刃を向けること」という発言も、その聖域の延長にあると私は考える。
はっきりいって、これがオリンピックでなかったら多くの選手が声を上げていたはずだ。
しかしオリンピックだから、オリンピックが特別でしかたのないことだから、アスリートは人命軽視にすら抗議しない。
それどころかオリンピック選手までもを聖域化して、それを批判する行為を"下衆の極み"だと断ずる。
アスリートがなぜそんな特権的地位にあるのか私は理解に苦しむ。
頑張っているから?頑張っていれば批判されない特権を得るのか?
ちがう。
アスリートは経験的に、頑張ってさえいれば自分が批判されにくいことを知っているのだ。
どうせ日本人は馬鹿だから始まってしまえば感動して自分たちを称賛するだろうとわかっているのだ。
だが、少なくとも私は、もしも五輪開催によって私の大切な人の命が失われたら、全てのアスリートを軽蔑しスポーツを強く憎むだろう。
上記の文章で最後に「全てのアスリートを軽蔑しスポーツを強く憎む」と書いたせいか、
スポーツマンvsスポーツ苦手マンといった構図のコメントがついてしまった。
私個人の話をするならスポーツは好きだ。素朴に体を動かすことを楽しいと感じる。
ではなく、私が言いたいのは「見る人に元気を与える」という名目の元で行われている産業スポーツ。
それらスポーツに関わる者は本当に批判してはならない聖域なのだろうか?ということだ。
個人がスポーツ好きだろうが嫌いだろうがそんなことはどうでもいい。
平社員でも、会社が不正をやっているのにわざわざ「応援してください」とか言ったら叩かれるんじゃね
ただ沈黙しているだけの平社員ならば責めようとは思わないけれど
いや、平社員だったら間違いなく叩かれただろうな
「上の言いなり」なら何やらかしても許されるんですかって。
悪党を叩くために小悪党を持ち上げるのは時代劇の中だけにしておいてくださいよって。
そもそもあの件だって、騒ぎにならずに被害者側が泣き寝入りしてたら、あの学生だって何も問題だなんて思やしなかったでしょう。
よくやったと褒めてもらいレギュラーにも戻れて、卒業すればいいとこに就職もできて、もう人生万々歳。
たまたまああやって騒動になっちゃったものだから、にわかに「いや俺も被害者なんです」みたいなポーズを始めただけ。
冷や飯食わされたのならそれこそそんなクソな部活なんか辞める選択肢だってあったのに、相手ケガさせてでもレギュラーの座にしがみつくことを選んだのは、他でもない自分自身ですよ?
こういうの確かセカンドタックルとか言うんでしたっけ? 知りませんけど。
もちろん、一番悪いのが悪行を命令する側なのは確かで、逆らいづらい事情があったであろうことも別に否定はしません。
しかし、だからってやらかした奴の評価をマイナスからゼロに、しまいにゃしれっとプラスにまで持っていこうとするふてえ仕草は、当事者であろうと野次馬であろうといただけない。
「沈黙は加担」とか抜かすんならさあ、実際ドツいた奴の一体何が加担じゃないっていうんだよ。
だいたい「学生さんがカワイソウ」って言うなら、その前にパワハラのせいで辞めちゃって、しかも話題にもしてくれない学生たちの方がよほどカワイソウだろうが。
でもその時は気に食わないものを殴るのに都合がよかったものだから、責任を問うどころか「勇気ある学生だ!」とか賞賛する動きまであって、みんなして日大叩きの神輿に祭り上げちゃったわけ。
当時そういう流れに突っ込んでも、まともに耳貸してくれなかったけどな!
もうおわかりですよね?
自分の思い通りに使えるから、下っ端のアスリートを勝手に免責しようとする。
自分の思い通りに使えないから、下っ端のアスリートも連帯責任とばかりに叩く。
本当にこれだけ!
菅首相会見 ワクチン接種 1日100万回を目標とする考え | 新型コロナウイルス | NHKニュース
これに対し、ぶくまは手厳しい。例えば、こんなふうに。
アメリカの1日の接種回数300~400万件を考えると目標としては妥当なラインだが、1日わずか数万件の検査で現場がパンクする日本でできるわけないと今から諦めている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210507/k10013017981000.html
しかし、アメリカは最初からうまく行っていたわけではなかった。
ワクチン接種が始まった当初は大混乱だった。
連邦政府と州との連絡調整不足、優先順位をめぐる混乱、各州ごとのバラバラな接種戦略、連邦政府のワクチン供給管理への州の非難などなど。
フランスでも1月時点はさんざんだった。報道では「お役所仕事」「縦割り行政」の弊害を厳しく指弾された。
ワクチン供給が始まって1週間もたつのに、わずか接種したのはわずか800名とは何事か、いう報道がみられた。
ただし、それは三か月前のことだけど。当時、アメリカのニュース報道をみていて、前途多難だな、と思ったのを覚えている。
1月に報道をウォッチしていた頃(といってもデイリーショーを英語の勉強がてらみていただけだけど)、
大統領就任から100日の4月下旬、バイデンが高らかに勝利宣言をすることになるとは想像できなかった。
以下は1月27日、デイリーショー(youtubeの報道バラエティーショー)で紹介していた報道の一部だ。
ワクチン接種の遅れにイラついたニュースキャスターがこんなことをいう。(同番組1分過ぎ)
また、現在の日本で報じられている、基礎自治体のワクチン接種予約サイトがパンク状態。
これも、アメリカは3か月前に経験していた。(同番組2分過ぎより)
https://www.youtube.com/watch?v=43y1TOC9aTM&t=140s
各地で予約サイトはクラッシュするなど混乱が続いています。ある予約センターでは、750回分のワクチンに25万もの電話が鳴り響いたという。
また、インターネットで予約するスキルがない高齢者が接種会場へ車の長い列をなして夜を明かしている、といった報道や
予約キャンセルによるワクチンの無駄な廃棄などが問題視された。
あるドラッグストアでは、予約キャンセルで余ってしまったワクチンをたまたま立ち寄った若い健康な女性に接種したという事例などが紹介された。
4月に入ってからも、ワクチン接種に消極的な人々を釣るために、「今ならもれなくビール付き」みたいなキャンペーンをやったりした。
今日、日本で報道されているワクチンのロジスティクスをめぐる問題は、すでに欧米が通ってきた道なのだ。
日本も各国の教訓を生かせばいいし、そもそも災害経験のたくましい日本に、行政にそれほどロジ能力が足りないとはとても思えない。
だから、ひょっとすると案外、一ヵ月もすれば、100万の水準にめどが立つかもしれないと若干、期待している。
しかし、ワクチン供給をめぐるロジ管理も喫緊の課題であるが、実はもっと重要なことがある。
バイデン政権発足後の「3本の矢」ともいうべき最初の取り組みのひとつがワクチン接種の促進だ。
しかし、そもそも一体何のためにワクチンを接種するのか。その方針と目標をしっかりと共有すること。
これがあいまいに理解されていると、一体なんのために急いでいるのかわからなくなる。
以下は、アメリカCDCのファウチ博士が、今年1月下旬、トランプ失脚後、初めて”自由に”会見を行ったときの報道だ。
https://abcnews.go.com/Health/wireStory/coronavirus-guidelines-now-rule-white-house-75419663
ファウチ博士:もし7割から8割の国民が接種されていれば。。それは夏頃になると思うが、少なくとも秋までにはある程度の正常性を回復できるだろう。
記者:(途中で質問を挟んで)それは秋までに接種が完了できると認識しているということですね。
ファウチ博士:いやそんなことは一言も言ってない。”もし”7~8割の大多数のアメリカ人がワクチン接種を受けていれば集団免疫が獲得できるということだ。正常性とはそういうことだ。今懸念しているのは、ワクチン接種を受けたがらない人たちだ。
重ねて、今後、ファウチ博士はホワイトハウスで定期的に記者会見を行うと発表。ファウチ博士は会見の最後にこう語る。
私が今後、会見でお伝えするのは、科学的な事実です。科学に語らせるのです。
https://www.nytimes.com/2021/01/24/health/fauci-trump-covid.html
abcニュースは、この報道に「ファウチ博士ワクチン接種に大きな但し書きをつけた」とした。
記者もまた、住民にワクチンがいきわたるかどうかという、行政サービスデリバリー目線での質問だった。
abcも質疑の記者も、ミクロな視点で、アメリカ人がちゃんとワクチンにアクセスできるかどうかを問題視していた。
一方、ファウチ博士は、彼の答え方からわかるように、ワクチン接種の利益というのは、決して医療アクセスといった住民サービスレベルの問題だけではなく、
感染症の蔓延の克服だ。パンデミックの原因を取り除くために必要なこと、という視点で発言していた。
ファウチ博士のいうノーマリティというのは、個々人一人ひとりのワクチンによる免疫力強化というより社会全体の免疫力のことだ。バイデンも言及していたことだが、ファウチ博士はトランプ政権で一番欠如していた科学性を真っ先に訴えたのは本当に象徴的だったと思う。
しばしば報道機関は、どこの国であれ、災害や事故、殺人事件の現場に急行し、現場の窮状を訴えることでインシデント対応を促す。
しかし、インシデント対応と、リスク削減は根本的に発想の異なるものだ。
報道機関は例えば、殺人事件が起こってもセンセーショナルに報道しがちで、背景にある社会保険の欠如とか貧困といった原因部分を軽視しがちだ。
リスク削減とは、簡単にいえば、そこで起きている出来事の対応の問題点ではなく、出来事の「原因」にスポットを当て、原因を取り除くことにフォーカスすることをいう。
ファウチ博士が強調していたのは、その原因分析は科学的なアプローチでなければならず、そこがすべての出発点だということだった。
5月に入ってからの報道、例えば「バイデン政権、若年層へのワクチン接種へシフト」
をみても、一貫して集団免疫という戦略に基づいたワクチン接種促進を行っている。
https://abcnews.go.com/WNN/video/biden-administration-shifts-vaccination-focus-77501505
一体何のためにワクチン接種を促進するかという全体的な目標ではないかと思う。
住民にワクチンが行きわたるかどうか、の前提として必要なのは、なぜワクチン?という疑問に、「あなたの健康維持」というだけではなく、社会システムの視点から答えることだ。それが本来、公共というものだ。
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kansensho/vaccine.html
をみても、残念ながら「あなたの健康」以上の情報が見当たらない。
厚生労働省はワクチンによる集団免疫獲得について、明確な見解を示していない。
まあわかる。よくわかっていないリスク(不確実性)については、下手なことは言いたくないものだ。官僚特有のディフェンシブなスタンスがにじみ出ている。
でも実は、その科学的不確実性について沈黙する姿勢こそが、リスク・ガバナンスの内なる敵なのだ。
水俣病に代表される過去の公害問題もその姿勢がボトルネックとなって被害の拡大が見過ごされてきた。
仮説を立てて意思決定をする勇敢さが必要だ。8割おじさんを思い出してほしい。
ファウチ博士が科学的にすべてを見通しているかというと、そうではない。
接種されたワクチンによってどれだけの期間、有効に免疫力を持ち続けることがえきるか、はっきりとした証拠は1月の時点でも、今日でさえも出ていない。つい先日もこんな報道があったばかりだ。
https://gigazine.net/news/20210507-covid-19-herd-immunity
ここでは、5月時点で成人の半数以上が少なくとも1回のワクチン接種を受けているアメリカでさえ集団免疫獲得は困難だと率直に表明されている。
ファウチ博士が7~8割としたコロナウイルスの集団免疫の仮説も、データが蓄積されるたびに、恐らく日々、新しい仮説に塗り替えられてゆくだろう。科学的不確実性と向き合うことがリスクガバナンスのキモだ。だからこそ、ホワイトハウスで毎週のように会見を開く、ということに意義がある。
疑問なのは、日本において、そういったリスク・コミュニケーションが開かれているのか、ということだ。
聞こえてくる報道は、直近のロジ課題、高齢者の接種問題ばかりだ。
それもワクチンの安全性の広報であったり、供給のロジであったり行政の住民サービスの視点が中心だ。
それって、役場の窓口でやる会話でしょ。重要じゃないとはいわないけど。
河野大臣は、恐らく菅首相から突然、ワクチン接種促進担当として指名されて、戸惑っただろう。
感染症の知識もあるわけではない。だからこそ、やれることを模索した結果として、接種促進のロジ分野に集中してしまった印象を受ける。
もちろんワクチンの安全性を広報することに意義がないと言いたいわけではない。
しかし、もっとも根幹にあるべきなのは、最終的なゴールを提示することだ。
高齢者の接種のあとどうなるか?何一つ見えてこない。
一体どれくらいでワクチンの効果が切れてしまうのか。10年持つ、あるいは一生、抗体が働くというわけではあるまい。
そうすると、抗体を持つ人間が何%で集団免疫が達成できるとして、仮定したワクチンの賞味期限以内に短期集中的に接種が完了しなければ
集団免疫がいつまでたっても確立できず、次から次へと新しい変異に対応させられるということになる。
アメリカがこんなにも早くワクチン接種のロジが進歩した理由のひとつは、バックグラウンドとして理解している接種戦略があるからではないだろうか。
やみくもに尻を叩いているわけではないはずだ。
日本では、先日、菅首相が唐突に思いついて7月末までの高齢者のワクチン接種を指示、混乱が広がっている。
冒頭の報道も、厚労省からすれば、寝耳に水だったとしても不思議ではない。
それくらい日本のリーダーの方針は行き当たりばったりにみえる。
一体なぜ7月までに?
・いつものことながら急に何かを決心するくせに、目的意義を聞かれても答えが返ってこない。
・方針や方向性を共有したうえで役割分担を決め、タイムラインを設定するということもしない。
・うまくいかないと、キレて「みろ、周りはもう先に進んでるじゃないか、何してるんだ」と部下を怒鳴る。
河野大臣にしても、自分のプレゼンスをみせるいいチャンスだったのに。将来の総理大臣候補と目されているのだが。
3か月の働きにもかかわらず、目先の短期的なロジ状況を伝達するだけの役人仕事になり下がってしまった。
ロジならロジでもいいのだけど、ドメスティックではない外交の動きがあってもよかった。
例えば、なんなら4月に菅首相とアメリカに飛んでもよかったはずなのに。
これではちょっと大臣の仕事内容としては物足りないというのが私の認識だ。
全体を見ているひとは誰なのか。それが日本ではわからない。それが問題だ。
リスク・ガバナンスというのは、平時のガバナンスに比べてより高い能力水準が求められる。
リスク自体が複合的で、科学的にも不確実性が高く、そして社会政治的な影響について認識がばらつきやすい。
ワクチンも、そういう意味では、リスク・コミュニケーションの能力が試される課題。